もしあの鉄道車両が実用化されていたら/私鉄
製造・改造・譲受に至らなかった車両がもし、実用化していたら?
- 新規追加は「会社別(東から順)+形式が若い順→形式不明(50音)」の順にお願いします。
- 便宜上、実際に導入された形式の改造車についてもこちらで扱います。
- 関連項目
- 勝手に鉄道車両開発/私鉄 - 根も葉もない鉄道車両を作りたければこちらへ。
- もしあの鉄道車両が更に増備されていたら/私鉄 - 実際に導入された車両はこちらへ。
分割項目[編集 | ソースを編集]
南部縦貫鉄道[編集 | ソースを編集]
JRキハ22形譲受車[編集 | ソースを編集]
レールバス置き換え用としてJRからキハ22形を譲受する計画があったが、実現しなかった。
- 車番はキハ105・106になっていた。
- 末期に積み残しが出ることはなかった。
上信電鉄[編集 | ソースを編集]
東武8000系譲渡車両[編集 | ソースを編集]
- 台車が特殊で保守に難があったためお流れに
- 7000形はなかった。
- 富岡製糸場が世界遺産にならなかったらでもある。(これにより補助金が増額されたので新車導入に踏み切れた)
- 東武からの譲渡車として話題になっていた。
- 一方で上毛電気鉄道300型(東武から上毛に譲渡されたが5年で引退)の二の舞を危惧する声が出た。
- 上毛300型は非冷房・釣りかけ駆動だったから二の舞にならないのでは。
- 東武8000系の他にも東急8090・8590系があった。
- =上信電鉄が20m級の3ドア車に固執しなかったら、といえる。
- JR東日本から107系を購入することはなかった。
秩父鉄道[編集 | ソースを編集]
京阪3000系譲渡車両[編集 | ソースを編集]
- 急行「秩父路」用として京阪旧3000系を購入することを検討したそうですが、結局実現しませんでした。
- 首都圏において京阪電車に乗れることがファンの間で話題になっていた。
- 有料列車になるので批判されるかもしれない。
- 外部塗装は京阪時代のまま、テレビカーも健在。
- 外装はともかくテレビカーは撤去されていたと思う。
- 走行機器は富山地鉄や大井川鐵道に譲渡された車両と同様別に調達していた。
- 現実に導入された3000系(元JR165系)よりも新しいことから、2015年現在も現役で活躍している可能性が高い。
- となると台車(京阪は標準軌、秩父・地鉄・大井川は狭軌)を換装出来たかがターニングポイント。営団地下鉄の台車から交換できた富山地鉄は今でも現役、できなかった大井川鐵道では引退した事を考えると尚更。
- 一般車両が元東急の車両への置き換えに連れて見劣りが否めなくなるので一般車両と同時期に置き換えられた可能性も。
- 富山・大井川とは異なり中間車も譲受していた。
- ダブルデッカー車かどうだったかは微妙だが。
- 富山地鉄は阪急2800系を譲り受けていたかもしれない。
- 2002年以降も、埼玉県内で転換クロスシート車に乗ることができた。
西武鉄道[編集 | ソースを編集]
国鉄63系割り当て車[編集 | ソースを編集]
- モハ63形2両が入線する予定であったが、在来車の地方私鉄への供出を嫌ったため辞退。
- 国鉄モハ50形借り入れ→西武モハ311形編入はなかった。
- 史実通り63系の払い下げもしていた場合、この車両も初代401系になっていた。
- 戦後の西武は早くに20m4扉車を標準としていた。
7000系[編集 | ソースを編集]
- 全席ハイデッカー仕様の3両編成の特急車両。図面は近江鉄道「あかね号」に流用されたという説がある。
- 計画通り秩父鉄道への直通特急として運行されていた。
- とはいえ直通区間はせいぜい長瀞までだっただろう。
- 案外小田急10000形のようにバリアフリー対応が困難なことから早期に廃車されていたかも。
- 秩父鉄道が3000系置き換え用に購入していた。
- 長大トンネルを抜けるため、貫通扉が設置される予定だったらしい(ソース:Rail Magazine)
振り子式特急電車[編集 | ソースを編集]
- 5000系置き換え用として計画されていたが、費用対効果が薄いことや競合交通機関のなさもあり、10000系が導入されることになった。
- JR四国8000系をベースに導入していた。
- 完全新製車なので001系への置き換えはなかったか遅れていた。
- 機器流用がないのでその分5000系や101系から改造の5両や8両の9000系が製造される
東武鉄道[編集 | ソースを編集]
150系[編集 | ソースを編集]
100系の4両編成版。6編成投入予定だった。
- 100系とは違い、コンパートメントは持たなかった。
- 野岩鉄道・会津鉄道にも乗り入れていた。
- 「きりふり」「南会津」「しもつけ」で運用され、最初から特急だった。
- 300・350系は登場しなかった。
- 1800系が持て余すため、東上線に転用されていたか史実より早く格下げ改造されていた。
- 後者だと1800系の機器を流用した通勤車に改造され、編成数が一致する野田線に転用されていた。
- 京成3400形のように10030系を鋼製車体にした車両として登場していた。
- 後者だと1800系の機器を流用した通勤車に改造され、編成数が一致する野田線に転用されていた。
- これらのことから、500系は登場しなかったかもしれない。
- 1800系が持て余すため、東上線に転用されていたか史実より早く格下げ改造されていた。
250系初期案[編集 | ソースを編集]
当初は1800系の機器を流用する案もあった。
- おそらく史実で唯一転用されず廃車された1814Fの機器を流用していた。
- 通勤転用車の廃車後一部の200系が同車の廃車発生品に機器更新していたかもしれない。
- ただしその編成が250系化されたかは微妙。
- 110km/h化に影響が出ていた。
- 場合によっては110km/h化が見送られていたかもしれない。
1800系東上線転用車[編集 | ソースを編集]
200系投入で捻出した1800系を東上線に転用する案があった。
- 恐らく秩父鉄道直通特急に投入されていた。
- しかし特急の有料化で利用者の不満が募っていた。
- 有料列車としての水準が劣るので料金不要のままだったかも。
- 西武鉄道も対抗して有料特急車を導入。
- よって、7000系の投入が実現していた。
- 1800系は設備が見劣りするため大規模なリニューアルで対応していた。
- 「TJライナー」以前に通勤時間帯の有料着席列車が実現していた。
- 恐らく名称も異なっていただろう。
- =もしフライング東上が有料特急として成功していたら、である。
- そもそも成功していたらためらわれることなく実現していた。
- 格下げ改造されることはなかった。
- 現在に至るまで残留していたかは微妙。
- 後継車両は史実の50090系を基本6両+付属4両にした車両になっていた(そうしないと秩父鉄道に入線することができない)。
- フライング東上をイメージしたカラーリングに変更されていた。
6000系モデルチェンジ車[編集 | ソースを編集]
6000系のモデルチェンジ車として両開き扉を持ち、冷房を備え、集団見合い式セミクロスシートを採用した車両。6000系の増備車となるが、あくまで登場していたらということでここに記載。
- 5700系を置き換えていた。
- だいや・おじかにはこの車両が優先的に投入されていた。
- 6000系から6050系への改造はこの車両の設備を踏襲していた。
- 6050系への改造は免れていた。
- その代わり、8000系のような大規模な更新を受けていた。
6050系転換クロスシート採用案[編集 | ソースを編集]
6050系への改造に際して転換クロスシートを採用する案があった。
- 私鉄の117系と呼ばれていた。
- だいや・おじかにももちろん投入されていた。
- 東日本は転換クロスシート車不毛の地と言われ続けることもなかった。
- E217系も当初の通り転換クロスシート案が採用されていた。
- 側面は京阪旧3000系と似たような感じになっていた(実際に設計図までできていたらしい)。
- 改造時期にもよるが213系に似た車両になっていたかも(ただしこちらは裾絞りのない鋼製車体で扉配置が微妙に異なる)。
- それはこっちじゃない。
- 間違いなく近鉄5200系に影響を与えていた。
- 西武4000系も転換クロスシート車になっていた。
- 下記の富山地方鉄道への譲渡が実現していたかもしれない。
ステンレス製通勤車[編集 | ソースを編集]
1980年代にステンレス製通勤車が検討され、アルナ工機でモックアップが製造されたが、導入には至らなかった。形式は諸説ある為不明。尚、後に登場する9000系や10000系とは別の車両。
- 製造されても少数派で終わっていた。
- 他の8000系同様、その後青と水色の帯が追加された。
- 2000年代には更新工事の対象となり、前面も他の8000系と同様のタイプに改修されていた。
- 現在は全車野田線に配置されている。
- 8000系として製造された場合、80000番台あたりからがステンレス車にモデルチェンジされていたかも。
- ファンが恣意的に80000系と呼ばれていた。
- 9000系の没案かもしれない。
- この車両がうまくいっていれば、阪急も7300系あたりからステンレス車体になっていたかもしれない。
野田線用高性能通勤車[編集 | ソースを編集]
1960年代に計画されていた。
- 2000系の前面に8000系の側面を組み合わせた車両だった。
- もしくは2000系の下回りに8000系の車体を組み合わせた車両だった。
- 野田線が旧型車の墓場と揶揄されることもなかった。
- 車齢を考えると1990年代には淘汰の対象になっていた。
- 10050系が新車で野田線に投入されていた。
- あるいは8000系と同時期にリニューアルが行われていた。
- 支線や北関東に転用されたかも。
- 性能は101系並だった。
- 私鉄の101系と呼ばれていた。
- 2080系は登場しなかったか、別の路線に投入されていた。
- 上述のように支線や北関東に転用されたかも。
- 形式は7000系だった。
- 8000系と同様に1980年代半ばには新塗装化されていた。
7300系再更新車[編集 | ソースを編集]
1980年代に計画されていました。
- ステンレス車体になっていた。
- 上記のステンレス車の試作車体は実は7300系の更新用だったとか…。
- 5070系もステンレス車体だった。
- 世にも珍しいステンレス車体の釣掛車となっていた。
- 余談だが、アルミ車体のつりかけ車は、相鉄と北鉄→大井川に実績がある。
- 後にVVVF車に更新されていた。
- いや、東武の感覚では機器更新には消極的だからそのまま廃車になっていたかも。
- 10000系の製造数が減っていた。
- 冷房は5050・5070系同様、備えていた。
- 形式は7000系だった。
- 釣り掛け駆動の界磁チョッパ制御だった。ちなみに、釣り掛け駆動の電機子チョッパ制御なら、山陽電気鉄道にいた。
営団03系野田線用[編集 | ソースを編集]
日比谷線車両20m化の際に60000系を7両に増結して日比谷線直通に転属させ、穴埋めとして野田線に20000系と営団03系を走らせるという噂がありました。
- 18m3ドア車ばかりになった沿線民の心境はいかに。
- ホームドアなんてできるわけがない。
- 70000系は無かった。
- 塗装は東武と共通化されていた。
- 形式は東武20000系に編入されていた。
- 前提文通りだと20000系も野田線に転出するので、20400型への改造数が減っていた。
首都圏新都市鉄道(つくばエクスプレス)[編集 | ソースを編集]
2階建て車両投入構想[編集 | ソースを編集]
- 実際に、計画では、2階建て車両が投入される予定があり、完成予想図や模型も作られていました。
- 2010年代後半以降に、京阪電鉄のプレミアムカーのような座席指定車両が投入されていた。
- 全席座席指定列車である「つくばライナー」を設定されていた。
- 後継の3000系電車に影響があったかもしれない。
- 計画段階で元のイラストの3扉から4扉に変更されていた。
銚子電鉄[編集 | ソースを編集]
京王3000系譲渡車両[編集 | ソースを編集]
- 8両の譲渡が計画されたが、資金難により実現しなかった。
- 3716F~3719Fが譲渡されていた。
- 伊予鉄道800系を譲受しなかった。
京成電鉄(新京成含む)[編集 | ソースを編集]
3600形8連化用車両[編集 | ソースを編集]
3600形は8連化を想定していましたが、8連化用車両は登場しませんでした。
- 付随車として登場していた。
- 史実の8連化で持て余した車両は存在しない。
- その分、電装化した6連(現在は4連)が登場することはなかった。
- 牽引車代用になることもなかった。
- その分、電装化した6連(現在は4連)が登場することはなかった。
新京成8900形ダブルデッカー[編集 | ソースを編集]
当初新京成電鉄8900形はダブルデッカー車を連結するという大胆な計画がありましたが、「駅間距離が短い」という理由で没となりました。
- クロスシートになっていたのだろうか…
- 駅間距離の短さから利用者に敬遠され、全編成6両化の際に早々に廃車となっていた。
- 喜んで乗るのは長距離乗車する人と鉄オタくらい。
- 確実に「迷列車で行こう」シリーズでネタ化されていた。
- さすがに1両だけ2階建てにしていただろう。
スカイライナー10両運行[編集 | ソースを編集]
- 10両対応可能な駅があるが。
- 現実にはない特別車が設定されたかも。
- =コロナの流行がなかったら。
- 関東大手私鉄は、全社に10両以上での運行実績があることになる。
山万ユーカリが丘線[編集 | ソースを編集]
桃花台新交通100系譲渡車両[編集 | ソースを編集]
- 桃花台新交通の廃止時に実際に譲渡を打診されていた。
- ユーカリが丘線の建築限界が桃花台新交通と同じだったら十分あり得た。
- それでも路線の構造上編成の組み替えは避けられなかった。
- 首都圏から冷房車両が存在しない路線が消えていた。
- はたして愛称はどうなっただろうか?置き換えられるであろう1000形のものを継いだか、それとも「こあら4号」以降を名乗ったか…
- ピーチライナーから連想するなら「ピーチ」か「もも」になるのか。
東京急行電鉄[編集 | ソースを編集]
9000系目黒線用[編集 | ソースを編集]
- 地下鉄乗り入れ機器を設置して目黒線に転属させる構想があったが実現しなかった。
- 3000系はなかった。
- そのため実際の5000系は3000系に、6000系は5000系に、7000系は6000系になっていた。
- 3000系は東横線用の新車として導入されていた。
- 結局5000系の投入で大井町線に転属している気がしなくもない。
- 副都心線直通運転開始後も東横線に9000系が残っていた。
- ただし8両のみで各駅停車・8両急行専用になる。
- むしろ運用増により9007Fも大井町線から没収、大井町線は2020年代になっても8500系の天下が続く。
- 帯の色は史実の3000系に近いものになっていた。
- 新規製造ならともかく、改造ならば6両化改造で中間車がいくらか余る。
- むしろ目黒・南北線は8両で運転される(埼玉スタジアム対応)。
- 三田線も8両になるかは微妙、白金高輪で全列車接続で済ませる???
- むしろ目黒・南北線は8両で運転される(埼玉スタジアム対応)。
- 3020系の導入は史実通り。
- 相鉄直通には流石に対応せず、3020系で置き換え。
8500系-VVVF化改修車両[編集 | ソースを編集]
- 平成23年度までに、田園都市線では混雑緩和と輸送力増強を図るがために、5000系250両(およそ35編成)が導入される予定で、内訳は8500系(非軽量車体)30本、8590系2本の置き換えと、3本の増発用を兼ねていた。しかし、8631F以降の軽量車体は残存するや、VVVF制御を設置した上での12本が継続使用を予定されていた。
- 5000系が予定通り35本全て投入となると、リーマンショックは恐らく発生せず。
- 当然導入中止となることもなく、5000系が東横線に転用されることもないため、9000系の置き換えor大井町線転用なども行われることはなかった。
- 非軽量車体に施されていたラッピング広告が実施されていた(伊豆の夏号〜8614Fなど)
- 大井町線でも8638F〜8641Fの計4本が未だに活躍していた。
- 今よりも多くの8500系列が国内外各地で中古車が散見されていた。
- 特に秩父電鉄や福島交通、KRL(ジャカルタ都市鉄道)は8500の宝庫ともされた。
- VVVF換装以外にも諸共の内装や機器など、9000系とほぼ同一化されていた。
- ヘッドライドはHID化、ダンジョンポータルや車内表示器の設置、側面部の行先表示はフルカラーLED化、床材の黒調片化粧板への交換などなど。
- モケットシートは赤柄の7人掛けへ、吊り革の三角型への交換、さらには自動放送機材の投入も行われていた。
- ヘッドライドはHID化、ダンジョンポータルや車内表示器の設置、側面部の行先表示はフルカラーLED化、床材の黒調片化粧板への交換などなど。
- サークルK運用は指定されず、全車が南栗橋or久喜まで直通される。
- 2020年頃にようやく置き換えられる。
- 2020年頃に9000系が三菱sicに更新され、内装も2020系に準じたものになる。
小田急電鉄[編集 | ソースを編集]
キハ5000・5100形の救援車転用[編集 | ソースを編集]
「あさぎり」の電車化で持て余したキハ5000・5100形を停電時の救援用に残す案もあったが、保守面でのメリットのなさから見送られた。
- 関東鉄道に譲渡されることはなかった。
- 2エンジンを有する3ドアロングシート車は存在していなかった。
- 気動車では珍しい救援車の例として挙がっていた。
- 出力の大きさから牽引車としてももてはやされた。
- 南海も「きのくに」廃止で余ったキハ5551型を後年救援車として活用していたかもしれない。
- 事業用車となるので形式はキヤ5000・5100形に変更されていた。
- 国鉄の感覚では「キエ」となるが、私鉄では考えられないため。
7000形あさぎり用編成[編集 | ソースを編集]
- 当時「あさぎり」に使われていたSSEが老朽化していた為に新型車両(LSEの短編成版?)を製造して置き換える予定だったらしいが、国鉄分割民営化直前のゴタゴタで実現しなかったという。
- 当時の国鉄が新型車両を作るとは思えないので、20000形と371系の双方が存在しなかった。
- 結果として「あさぎり」は一貫して小田急の片乗り入れ運用だった可能性が高い。
- 一方で国鉄への貸し出しは史実通り行われていたと思われる。
- 7000形の全編成に「あさぎり」の種別幕が用意されていた。
- 箱根特急用よりも短編成なのが災いし、史実通り60000形に置き換えられていた。
- 富士急行への譲渡が行われたかどうかも怪しい。
- ファンからは「SLSE」と呼ばれていた。
8000形10両貫通化改造車[編集 | ソースを編集]
- 6号車と7号車の運転台を撤去して中間車にするという噂が一時期あったらしい。
- 小田急の分割併合する急行の廃止が早まっていればこうなっていた可能性がある。
- 運転台撤去車は近鉄8000系のそれみたいな構造になっていた。
- 全編成を改造するならチョッパ制御車の2編成もVVVFインバーターに更新されていた。
京王電鉄[編集 | ソースを編集]
初代5000系2扉クロスシート案[編集 | ソースを編集]
- 当初案は特急用車両として、2扉クロスシートになるはずだったが、混雑率の悪化の見越して、結局3扉ロングシートになった。
- 恐らく転換クロスシートを採用していた。
- 一畑電車には、台車以外ほぼ無改造で譲渡されていた。
- 同じ日本車輌製の名鉄7000系をベースとした車体構造だった。
- 流石に6000系以降は事実通り4扉車ロングシート車が製造されていた。
- 8000系も特急用車として登場していた。
- 流石にロングシート主体の4扉だが、車端部だけでもクロスシートになっていた。
- 1980年代以降、朝ラッシュ時にこの形式を優等運用に入れることには、流石に無理があった。
- 扉の増設改造が行われ、3扉か4扉になっていた。
- 京王ライナーは史実よりはるかに昔から運転していた。
- この場合、8000系は4扉転換クロスシート車だった。また、2代目5000系の登場が史実より遅かった。
- 近鉄より先にL/Cカーを開発していたかも。
- この場合、8000系は4扉転換クロスシート車だった。また、2代目5000系の登場が史実より遅かった。
- オールロングシート車で初の冷房車は、京阪2400系だった。
京浜急行電鉄[編集 | ソースを編集]
2100形4次車[編集 | ソースを編集]
- 前面形状を大幅変更して流線形とする予定だった。久里浜工場にモックアップが存在する。
- モックアップ通りのデザインでは泉岳寺に入線できなくなるので、全面貫通扉はどちらにしろ設置されていた。
- 前面が似ているので、台鉄ラッピングは本車両とEMU800型の間で行われていたかもしれない。
- 久里浜線の三崎までの延伸が実現していたら、あり得たかもしれない。
- その場合、京急ウィング号の本数が史実よりも多くなっていた。
- 早くても、2001年3月or4月頃に入籍していた。
- こいつもきっと歌ってたろうな。その後東洋IGBTに更新されるだろうが。
東京臨海高速鉄道[編集 | ソースを編集]
初期案(205系ベース)[編集 | ソースを編集]
- 創立総会の資料では今の209ベース(70-000形)の車両ではなく205系ベースだったそうです。
- りんかい線がもう少し開業早かったらこうなっていたに違いない。
- その分りんかい線の新型車両も史実より早く導入されていた。もちろん埼京線と同様E233系ベース。
- 置き換えも同時期に行っていた。
- その後は全車両がインドネシアに譲渡されていた。
- 置き換えも同時期に行っていた。
- その分りんかい線の新型車両も史実より早く導入されていた。もちろん埼京線と同様E233系ベース。
- 八高線への買い取りは史実通り。205系3100番台として改造された。
- 3100番台は仙石線用で既に使われてたから3050番台か3200番台じゃないかな。
- ただし史実の209系3100番台と異なり、不足する中間車は新造せず元山手線の車両を転用していた。
- 車内の行先表示器は無かった可能性が高い。
- 2002年度増備車は、205系5000番台と同じ東洋IGBT。それ以前の増備車は添加励磁制御。
103系借入車[編集 | ソースを編集]
当初は70-000形の他に103系(1000番台の予定だったらしい)を6連3本借入する予定だった。世界都市博中止により実現せず。
- =世界都市博が開催されていたら、である。
- 70-000形と同じ塗装になっていた。
- 遅くとも大崎延伸までには廃車されていた。
相模鉄道[編集 | ソースを編集]
10000系日立案[編集 | ソースを編集]
- TX-2000に似た車両。
- 鉄道車両の共通設計化はあまり進まなかった。
- もしくは東急5000系(2代)あたりが先駆けとなっていた。
- 日立IGBT+直角カルダンというとんでもない車両となっていた可能性大。
- もちろん11000系も日立が製造していた。
- 11000系のスペック次第では20000系が存在しなかった可能性も考えられる。
- というか、20000系の車体で塗装が史実で言うYNBの前のもの。
- それでも、12000系が走ルンですだったことに変わりない。
伊豆急行[編集 | ソースを編集]
東急8000系2扉改造車[編集 | ソースを編集]
- 伊豆急行100系の置き換えに東急8000系を2扉に改造して入れる案があった。
- JR東日本から113系と115系を譲受することは無かった。この形式が200系を名乗っていた。
- 改造で無理がたたって早期廃車されていたかもしれない。
- それでも伊豆急行8000系登場は現実通りか。
しなの鉄道[編集 | ソースを編集]
営団5000系譲受車[編集 | ソースを編集]
- 史実では計画中止に。
- 115系、169系はある程度置き換えられていた。
- これらの車両の灰色塗装の部分はステンレス車体をそのまま使っていた。
- 本気で置き換えるなら東葉高速鉄道1000系も同時に譲受していた。
- 最初にインドネシアに送られた営団の車両は7000系になっていた。
- もしくは中間車を先頭車化改造して本数を増やしていた。
- どこかしらで営団以外のステンレス車も導入していたかもしれない。
- おそらく東急8500系がここにも転属していた。
- 長野県の私鉄・三セクはどの路線も元東急車が走っていることになる。
- 北しなの線の譲渡に伴い、元南武線の205系を譲り受けていた。
- おそらく東急8500系がここにも転属していた。
- 「ろくもん」の改造車両も営団5000系になっていたかもしれない。
- 同時に営団時代のリバイバル編成も登場しているはず。
- かつてJRだった路線でJRでない車両を用いる珍しい例となった。
- しなの鉄道20周年に合わせ、千代田線塗装や東葉高速鉄道1000系風塗装に塗られた車両が登場していた。
長野電鉄[編集 | ソースを編集]
3000系[編集 | ソースを編集]
- 増備が計画されていた前面展望タイプの特急車両。タブレット収受の面で実現しなかった。
- A特急運用に充当されていた。
- ワンマン運転が困難な構造や使い勝手の問題から早期淘汰の対象となっていた。
- 1000系導入時に3000系と1000系を並べたうえで引継式が実施されていた。
- 2000系を置き換えていたら、2000系は3扉ロングシートとなり、中央扉が両開き扉となっていた。
- 1000系導入時に3000系と1000系を並べたうえで引継式が実施されていた。
- 2000系D編成は存在しなかった。
- 湯田中駅のスイッチバックも導入時点で解消されていた。
- 同時に4両化の為移転(湯田中側引き上げ線を延長・改良)していたら4両編成に増結していたと同時に、通勤車の3両固定編成ではなく、2両重連になっていたかも知れない。
- 東京メトロから購入する03系は別形式を名乗っていた。
- おそらく3700系か5000系あたりとなっている。
2000系格下げ車両[編集 | ソースを編集]
- 第4編成が登場したところで特急車の本数が4編成となることから、第1編成を3扉化し各駅停車用へ格下げする計画が生じたが、諸事情により取り止めとなった。
- 冷房化は行われなかった。
- 3扉化の影響で老朽化が早く進むため、営団から購入した3000系に置き換えられていた。
- 最悪、営団3000系が不足した場合は同編成の車体のみ京王5000系のものに載せ替えられている。
富士急行[編集 | ソースを編集]
E257系0番台譲渡車両[編集 | ソースを編集]
- E257系0番台の付属編成(M203編成)が富士急に譲渡される噂が存在していた。
- 1編成しか譲渡されないとなるとトーマスランドのラッピングがされていた可能性が大(5000形の例)。
- 史実でトーマスランドラッピングがされている6000系の塗装は他の車両と共通化されていた。
- あるいは別のラッピングが施されていた。
- 史実でトーマスランドラッピングがされている6000系の塗装は他の車両と共通化されていた。
- 先頭車には行先表示器が取り付けられていた(長野電鉄に譲渡された253系の例)。
- 料金不要で元JRの特急車両に乗れるとして注目されていた。
伊豆箱根鉄道[編集 | ソースを編集]
東京メトロ03系譲渡車両[編集 | ソースを編集]
5000系置き換え用に購入を検討していたらしいが、実現しなかった。
- 西武グループの地方私鉄で西武車以外の車両が走る珍しい例となっていた。
- 近鉄グループの路線なのに東急車が走る伊賀鉄道や養老鉄道と比較されていた。
- 第1編成に準じたラッピングが施されていた。
- 一部の座席は転換クロスシートに交換されていた。
- 置き換えた5000系ステンレス車は他社への譲渡が打診されていた。
- 史実で03系が譲渡された北陸鉄道が購入していたか。
- 大場車庫の配線の関係で、台車はボルスタ付きのものに交換されていたと思われる。
富山地方鉄道[編集 | ソースを編集]
阪急2800系譲渡車両[編集 | ソースを編集]
- 実際に購入を検討していたそうですが、京阪旧3000系が譲渡されることになったため実現しませんでした。
- 実際に2800系を購入するために、転換クロスシートへ復元するためシートの中古調達元を探していた。そこで京阪旧3000系の廃車予定を知りシートを調達しようと交渉を開始したところ、車体ごと譲り受けることになった。
- 3扉ロングシート化されていた車体は再び2扉転換クロスシート化されていた。
- 外部塗装は当初阪急時代と同じマルーン1色だったが、後に標準塗装である黄色と緑のツートンに塗り替えられる。
- 走行機器は旧国鉄の発生品を流用。
- 京阪旧3000系は富山地鉄に譲渡されなかった可能性が高い。
- もしこちらも譲渡されていた場合、富山の地で京阪と阪急のツーショットが見られた。
- 阪急の車両が子会社の能勢電鉄以外に譲渡されている例として注目されていた。
- 3扉化したあと2扉に戻すなど車体にかなり手が加えられている関係で老朽化が早かったことから2000年代以降に置き換えが進んでいた可能性が高い。
- 東急8090系導入時に引退か。
- 阪急電車が東急電車に置き換えられる、として、鉄オタの間で話題になる。
- 2010年頃に6300系が導入されてた。
- 東急8090系導入時に引退か。
- 3扉ロングシート のまま就役した場合は、2020年代まで生きながらえていた。
東武6050系譲渡車両[編集 | ソースを編集]
- 実際に購入を検討していたそうですが、実現しませんでした。
- 旧京阪3000系の10030系はこれによって置き換えられていた。
- 耐寒・耐雪設備装備のため同社にとってはうってつけの車両となっていた。
- 但しボックスシートのため転換クロスシートの在来車両と比べてサービスダウンになっていたかも。
- パンタグラフは下枠交差形から菱形に換装されていた。
北陸鉄道[編集 | ソースを編集]
営団02系譲渡車両[編集 | ソースを編集]
- 軽井沢で02系が陸送されているのを目撃された時に、北陸鉄道への譲渡が噂されていました。(実際は高岡市で解体)
- 架線電圧600Vの石川線向けに投入された。
- 熊本電鉄に行った01系と比較された。
- 足回りはほぼ新品になっていた。
- 帯はオレンジ色になっていた。
- それをいいことに、銀座線の01系を模した塗装にして撮影会を開催する。
- 1編成くらい赤帯のまま就役。
- =金沢市or石川県が軌道系交通に理解を示し、北鉄に補助金を出していたら。
- 馳浩がもっと早く石川県知事に就任していたら、有り得たかも。
福井鉄道[編集 | ソースを編集]
京阪80形譲渡車両[編集 | ソースを編集]
- 実際に購入を検討していたことがありますが、結局は実現しませんでした。もし購入が実現していたら…。
- 京阪と福井鉄道は軌間が異なる上、80型の制御装置が特殊なものだったので台車・主電動機は新品となっていた。
- 京阪80形についていた折りたたみ式ステップが有効に活用されていた。
- 名古屋市営地下鉄の中古車両を購入することはなかった。
- 車両によっては両運転台化が行われていたかも。
- 一部は名鉄の中古に置き換えられていた。
名古屋鉄道[編集 | ソースを編集]
1000系貫通化改造[編集 | ソースを編集]
- 一時期実際に計画されていたらしい。
- 構造的にかなりの難工事になっていた。
- 場合によっては展望席部分の作り直しも有り得た。
- 全車特別車編成のみの施行になっていそう。
- 幌は搭載されるものの、1600系と同様2005年まで使用されなかったとみられる。
- それでも全車特別車編成は史実通り全廃となる。
1030・1230系VVVF化更新[編集 | ソースを編集]
- 2010年代前半に噂されていた。
- 一部の車両は電装解除されていた。
- 合わせて1200系と同様のリニューアルも行っていた。
- 2200系3次車の製造数は少なくなっていた。
- 1850系や1380系には施されたのだろうか。
- この2形式にも施された場合、やはりリニューアルも行われる。
- そうなれば3300系、3150系の製造数も減っていた。
- この2形式にも施された場合、やはりリニューアルも行われる。
- 1200系と1800系もVVVF化されていたかも。
- ブレーキも改造されていた場合、増結車に3R車も使用されていた。
5300・5700系3扉化改造[編集 | ソースを編集]
- 1990年代に実際検討されましたが、結局実現しませんでした。
- 少なくとも2019年末に引退することはなく、もっと長く使われていた。
- ただ2→3扉改造で車体に負担がかかっているので、そう長くは持たないだろう。
- あるいは名鉄6750系の廃車時期に車体載せ替えがなされ、2023年に入っても現役である。
- 平成になってから3扉化したという意味で西鉄2000形や京急2000系と比較されていた。
5300・5700系3扉車[編集 | ソースを編集]
- 当初は6000系ベースの3扉セミクロスシート車にする案もあったそうです。
- この場合も2019年末に引退することはなかっただろう。
- 前面は鉄仮面になっている。
- 扉間転換クロスシートになった場合、特急格下げ車などを除くと本邦初として注目されていた。
- 2年後に登場した近鉄5200系の影が薄くなっていた。
- JR西日本221系電車をはじめ他社の車両に影響を与えていた。
- 名鉄はこの時点で2扉車の新造をやめていた。
- 1200・1230系はこの車両を基本にしたことになっている。
- 1800・1850系もこの車両を基本にした。
- この場合、片方の運転台を撤去し1000系の全車特別車と編成を組むか分割してその増結車両に改造されその分5000系と2200系の製造数が減っていた。5300系の全廃は史実通り。
- 1800・1850系もこの車両を基本にした。
- 同時期に登場した山陽5000系と現実以上に比較されていた。
- 混雑緩和のため後にロングシート化されていた可能性もある。
- 2200系一般車と同じような内装になっていたかと。塗装も史実の1200系リニューアル車と同様のものになってた。
- 同時期以降に製造された6500系・6800系はオールロングシートで登場した(朝夕時間帯の混雑緩和,5300・5700系との区別の為)
- 京阪8000系は6000系,西鉄8000形は5000形に転換クロスシートを設置・固定窓にした車両となる。西武4000系は3000系にボックスシートを設置・窓割りを変更した車両となる。
- ←居住性と混雑が激しくないことから史実通りかと 京阪8000や西鉄8000はJRのクロスシート車と差別化も必要だし
- 名駅での整列乗車の観点から、2扉車である7000系列や初代5000系、5200系とは併結せず、3扉車である6R車と併結していた。
- あるいは歯車比の関係で併結は原則行わず、1380系、2代目5000系との併結が実施されている。
6750系の高性能化改造[編集 | ソースを編集]
- 6750系は高性能化を視野に入れていましたが、実現しませんでした。もし、高性能化改造していたら?
- VVVFインバータ方式に改造されていた。
- いや、全車特別車1000系から下回りを流用していたじゃないかな。この場合5000系の製造数が減っていた。
- 1000系の一部廃車以前に改造していたらVVVF化されていた。
- あるいは5700系を早期廃車にして部品を転用していた。この場合5000系の2連版も2本のみ登場している。
- 余すことなく機器流用を行うため。
- 改造時期によるが、路面電車を除くと唯一の吊掛式駆動→IGBT-VVVFへの改造例となっていた。
- 相鉄3000系「やあ。」
- ↑IGBT-VVVFって書いてあったのか。これは失礼。
- いや、全車特別車1000系から下回りを流用していたじゃないかな。この場合5000系の製造数が減っていた。
- 2015年現在でも活躍している。
- 4000系は登場しなかった。
- なので、6000系も今だに健在。
- 史実通り4000系投入なら本線に転属していた。
キハ8500系のパノラマカータイプ[編集 | ソースを編集]
- デザイン検討の段階で1000系パノラマスーパーに酷似した案もありました。
- 展望席があるので、現実より鉄道ファンや観光客に人気があった。
- JR東海キハ85系との連結運転はなかった。
- 「北アルプス」は「ひだ」とは独立したダイヤで運行されていた。
- それでも「北アルプス」は史実通り廃止されていただろう。
- 廃止後の車両譲渡先は会津鉄道ではなかったかもしれない。
パノラマドームカー[編集 | ソースを編集]
- パノラマカーこと7000系の発展形として実際にモックアップまで作られたらしい。
- 実現こそしなかったものの、8800系や1000系の先頭部にこの車両の趣旨が活かされたとも言われている。
- 7500系は製造されなかった可能性が高い。
- 流石にフルモデルチェンジを2年で作るというのは無理があると思う。むしろ8800系の方が存在していないかと。
- 形式名は「7800系」とか。
- 8800系の中間車も同様のコンセプトで設計・増結されていた。
- 一方で1000系以降に導入されていたかはどうか微妙。
- 日本唯一の定期運転で乗車できるドームカーとして、パノラマカー以上に引退が惜しまれていた。
- 計画では先頭車だけでなく中間車にもドームを設ける予定だったらしいので、保存されているとすればどちらも舞木に置かれている思われる。
- 名鉄の消極的な方針だと、運転台付近だけ、というのもあり得る。
- 廃車の時期にもよるが、史実の7000系の代わりに中京競馬場で保存されていた可能性もなくはない
- もしくは実物を残さない何らかの形で車両を保存していたかもしれない。
- その場合7000系パノラマカーも実物を残さない形で何らかの形で保存していた。
- もしくは実物を残さない何らかの形で車両を保存していたかもしれない。
- 計画では先頭車だけでなく中間車にもドームを設ける予定だったらしいので、保存されているとすればどちらも舞木に置かれている思われる。
- どちらにしても低重心が災いして、空港線開通前後に廃車。
- 豪華過ぎて、引退まで特急として使われていた。津島〜蒲郡の特急あたりで。
- 引退が7000系と同時期ならば、河村市長があおなみ線にこの車両を走らせる構想をぶち上げていたかもしれない。
- パノラマメイツのサービス乗務員→サービスを廃止して運転扱い開始→車掌に降格も遅れていた。
- 間違いなくブルーリボン賞を受賞していた。
- 白井昭氏は「パノラマカーで初めてブルーリボン賞をとったのにこの車両でもブルーリボン賞をとれるなんて嬉しいほかない」と言っていた。
- 土川元夫氏が社長のうちにできていたら土川氏も「よくやりました」と言っていた。
- その代わり6000系はブルーリボン賞ではなくローレル賞だった。
- 1977年のブルーリボン賞は該当なしだった。
- その代わり6000系はブルーリボン賞ではなくローレル賞だった。
- 土川元夫氏が社長のうちにできていたら土川氏も「よくやりました」と言っていた。
7000系の当初のデザイン[編集 | ソースを編集]
- 当初はボンネットが突き出たデザインになる予定だったが白井昭氏が「かっこ悪い」といいデザイン変更を指示してこの案はお蔵入りに。
- かっこ悪いデザインと言われていた。
- ブルーリボン賞は取れなかった。
- 開発陣はクビになっていた。なぜなら名鉄の当時の副社長・土川元夫氏はパノラマー製造時に「ブルーリボン賞を取れなかったら車両開発部・部長以下全員クビだ」と言っていたため。
- 1962年のブルーリボン賞は名鉄7000系ではなく国鉄キハ82系か南海20000系が受賞していた。
- 開発陣はクビになっていた。なぜなら名鉄の当時の副社長・土川元夫氏はパノラマー製造時に「ブルーリボン賞を取れなかったら車両開発部・部長以下全員クビだ」と言っていたため。
- 小田急3100系は平屋建て運転台・連接車体で制作された。
- パノラマドームカーは計画すらされなかった。
東急5000系(青ガエル)譲渡車両[編集 | ソースを編集]
- いささか珍しい、大手私鉄間での車両譲渡が1975年と1980年の二期間に、3700系が東急から名鉄へ譲渡される形で行われましたが、同期に廃車あるいは中小私鉄譲渡の候補となっていた5000系の譲渡も注目されていました。しかし、直流カルダン駆動方式という名鉄では当時、希少であったモーター方式であったことや、長野や上田へ先行譲渡される取り決めが決定されていたために中止へ。もし譲渡されていたら...。
- 軽量車体のモノコックに冷房化など追加設備の改修が困難だったため、意外と短命に終わっている...?
- 遅くとも90年代には廃車になっていたと思われる。
- 今よりガルダン駆動に関する部品のストックが豊富だったがために、名鉄5000系ともども共食い方式で走らせていた。
- 名鉄譲渡後は既存系列に倣って"5800系"などに改名されていた。
- 譲渡されるにおいて、2灯シールビームや種別版、テールの角目化が追加されていた。
- Twitterに上がっている長野電鉄譲渡予定の赤い青ガエルには違和感がなかった。
三岐鉄道[編集 | ソースを編集]
下津井電鉄メリーベル号譲受車[編集 | ソースを編集]
- 北勢線譲受後下津井駅跡に保存されている同車を譲受する話があったが、架線電圧や保安装置の相違などの問題から実現しなかった。
- 流石に直流750V対応化はされている。
- 保安装置の更新もしていた。
- 導入当初は10年以上動いていなかったことから起動するかが不安視されていただろう。
- その内外装を活かし観光向けとしていたかもしれない。
能勢電鉄[編集 | ソースを編集]
自社オリジナル車両[編集 | ソースを編集]
- 1995年の昇圧の際に導入予定でしたが、阪神・淡路大震災の時にアルナ工機が被災したのと、阪急自体も大きな被害を受け3100系の購入に変更されました。
- 車体は阪急8000系後期車と同一設計
- もしかしたら導入時にフルーツ牛乳色になっていたかも。
- 4両編成1C4M2T
- 2両編成1C2M1M1T
- 2つ繋げてラッシュ時の能勢電線内列車の6両連結もあった。
- 機器は阪急2800系あたりの廃車発生品を用いていたと思われる。
- 5200系の方が機器供出元には向いてるような。
- 星特にも充当される。そのため、6002Fの譲渡はなかった。
高松琴平電気鉄道[編集 | ソースを編集]
京王6000系譲受車[編集 | ソースを編集]
- 志度線用に車両を16m級にして投入する可能性があったそうです
- 名市交の車両はことでんにこなかった。
- 確実に某動画サイトで迷列車扱いされる。
- 原形はとどめていないと思われる。
- 四国唯一の界磁チョッパ制御車として注目される。
土佐電気鉄道[編集 | ソースを編集]
ウィーン市電譲受車[編集 | ソースを編集]
- 90年代に海外車両導入の一環として購入されたが、経営悪化に伴い入籍せずに解体。
- 動力車とトレーラーの連結編成であったため、トレーラーに運転台の増設改造が施されていた。
プラハ市電譲受車[編集 | ソースを編集]
- 経緯はウィーン市電譲受車に同じ。
- 日本国内で営業運転を行う旧共産圏製の車両として史上初かつ唯一の例となっていた。
ミラノ市電譲受車[編集 | ソースを編集]
- 同上。
- オリジナルの車体に木材が多用されていたため、入線改造の際には車体がほとんど新造に近い形になっていた。
西日本鉄道[編集 | ソースを編集]
8000形・6000形チョッパ制御案[編集 | ソースを編集]
・当初はチョッパ制御にすることが考えられていたが、諸般の事情(変電所の回生ブレーキ対応が遅れたか?)により抵抗制御で落成。
- おそらく界磁チョッパ制御を採用していた。
- 8000形の早期引退はなかった。
- 両形式とも2010年代後半から2020年代にVVVF化される。
- もしかして6050形の導入はなく、1999年頃まで6000形としてチョッパ車を増備し続けていたかもしれない。
地下鉄[編集 | ソースを編集]
東京地下鉄05系千代田線転用車[編集 | ソースを編集]
- 初期車が6000系の予備車として千代田線に転属する計画があったが、結局北綾瀬支線向けに4編成が転用されるだけで終わった。
- 16000系の導入数が減っていた。
- 結局6000系リニューアル車と同時に廃車対象となり、そのままインドネシアに送られていた。
- あくまでも予備車扱いなので一定数は史実通りインドネシアや北綾瀬支線に転用されただろう。
都営地下鉄12-000形試作車[編集 | ソースを編集]
- 12-000形の試作車は量産車と全く異なる構造だったが、これが量産されていたら?
- 史実では登場しなかった中間車が製造されている。
- 試作車も中間車を組み込んだうえで通常運用に入っている。
- 史実同様、大江戸線全線開業と共にマイナーチェンジがなされている。
- 但し史実の1次車が存在しないので、大江戸線に全面塗装の車両は存在しない。
- それどころか12-600形の投入までは大江戸線の車両は全てステンレス車だった可能性が高い。
- 地下鉄他路線がステンレス車なので12-600形もステンレス車体で製造されていた。
- 大江戸線のみならず、全国のリニア地下鉄でステンレス車体が普及していたかも知れない(史実ではステンレス車は存在せず全てアルミ車)。
- 大阪メトロ80系や横浜市営地下鉄10000系などはステンレス車体になっていたかもしれない。
- それどころか12-600形の投入までは大江戸線の車両は全てステンレス車だった可能性が高い。
- 但し史実の1次車が存在しないので、大江戸線に全面塗装の車両は存在しない。
- 場合によっては浅草線5300形もステンレスだったかも?
都営地下鉄6000形改造車[編集 | ソースを編集]
- 経年の浅い6000形2次車以降は改造し、継続使用される予定であったが、改造費が、6300の導入費に匹敵するため6300形の追加導入で置き換えられたが、改造されていたら?
- VVVFインバータ制御に改造されていた。
- 初期車にも経年の浅い6000形が組み込まれていたため、先頭車が6300形で中間車が6000形の6300R形が登場していた。
- 6500形導入による置き換え対象は6000形と6300R形になっていた。
- 6500形導入が早まっていたかも。
- 史実通り6300形の初期車も置き換えられるため、6500形に統一されていた。同時に全編成8両化。
- 6500形導入による置き換え対象は6000形と6300R形になっていた。
- 東急線内で6000形の姿を見ることができるようになっていた。
- 「登場から30年以上経って当初の目的を達成することができた」とも言われていた。
- 都営地下鉄はその後、地下鉄用に関しても車両の機器更新に積極的になっていた。10-000形の後期車もVVVF化されていたと思われる。
東京地下鉄8000系南北線転用車[編集 | ソースを編集]
- 6次車は9000系とほぼ同様の構造で南北線8両化の際同系に編入改造する噂があったそうだ
- 新造時期が近い9109~9115Fに組み込まれていた。
- 中間車の新造数が減っていた。
- 史実と同様だったらSR2000系の8両化が進んでいた。
- 相鉄から南北線・SRへの直通は、もうちょっと活発だった。
- ついでにB修繕も施工。9000系のB修繕の進捗は現実より早かった。