もしあの鉄道車両が実用化されていたら/関西私鉄
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製造・改造・譲受に至らなかった車両がもし、実用化していたら?
- 新規追加は「会社別(東から順)+形式が若い順→形式不明(50音)」の順にお願いします。
- 京都・大阪(北大阪急行含む)・神戸市営地下鉄(北神急行電鉄含む)の車両はもしあの鉄道車両が実用化されていたら/私鉄#地下鉄へ。
- 便宜上、実際に導入された形式の改造車についてもこちらで扱います。
- 関連項目
- 勝手に鉄道車両開発/私鉄 - 根も葉もない鉄道車両を作りたければこちらへ。
- もしあの鉄道車両が更に増備されていたら/私鉄 - 実際に導入された車両はこちらへ。
近畿日本鉄道[編集 | ソースを編集]
名古屋線用国鉄63系電車[編集 | ソースを編集]
- 運輸省から割り当て受け入れの打診を受けたが、急曲線区間が存在し入線は困難として辞退。(現実では南海線系統に20両が割り当て)
- 近鉄名古屋線にあった善光寺カーブなどが入線の際の改良工事で解消されていた。
- ただし当時の名古屋線は狭軌なので標準軌に改軌する際の工事に手間取っていたかもしれない。
- 名古屋鉄道から同型車を譲受していたかもしれない。(現実では63系を20両が割り当てられたものの、後に東武鉄道と小田急電鉄へ譲渡した。)
- 1972年に1000系と同様のラインデリア付き近鉄標準車体に載せ替えられ、形式も1030系となる。電気品は63系由来のものを流用したが、台車は近畿車輛オリジナルのシュリーレン式車体直結ダイヤフラム式に交換。その後1980年代前半に冷房化と同時に10100系廃車発生品を利用して高性能化され、その後は史実の1000系と同じ経過を辿った。
下津井電鉄2000形譲り受け車[編集 | ソースを編集]
- 下津井電鉄廃止後、同社の2000形電車を譲受する計画がありましたが、実現しませんでした。
- 恐らく北勢線に投入されていた。
- 下津井電鉄が600Vなのに対し、近鉄は750Vだったため、走行機器の改造が必要だった。
- 北勢線移管後この案が没になったのはこのためだったとされる。
- 観光路線ではなかったため、案外使いにくい車両になっていた。
- とは言え近鉄時代には北勢線唯一の冷房車だったため、夏季は重宝された。
- 北勢線の廃止が話題になり始めるとこの車両で活性化を図ろうという動きが生まれた。
- 地域活性化の観点から活用されたかも。
- 果たして三岐鉄道には引き継がれたのだろうか?
- 仮に引き継がれていたら、イベント用になっていた。
3000系界磁位相制御車改造[編集 | ソースを編集]
- 実際に改造が検討され、部品も確保されていましたが、車体の状態が悪かったために結局実現しませんでした。
- モーターや制御装置は8000系の廃車発生品が流用されていた。
- 京都・橿原線だけでなく奈良線でも運用されるようになっていた。
- それでも阪神には乗り入れなかった。
- 京都市営地下鉄烏丸線乗り入れのため本系列は全長が他系列よりも短かったが、連結器の交換により8000系などと同じになっていた可能性が高い。
- 2020年現在でも現役だった可能性が高い。
18000系高性能化改造[編集 | ソースを編集]
- 18000系は吊り掛け駆動の特急車として製造されましたが、高性能化も検討されたものの難しかったため実現しませんでした。
- 早期廃車はなかった。
- 18200系・18400系とともに廃車となっていた。
- 末期は史実の18200系と同様団体用となっていた。
- 12600系は登場しなかった。
- 1000系・1010系の高性能化改造の手本となっていた。
- モ18000形偶数車は電装解除されてク18100形となったが、10100系の電機品と台車を流用して高性能化されたため、MT比1:1となるなど性能上の問題で18000系単独での青山越えや生駒越えは困難であったことから、18000系単独で使用する場合は吊り掛け時代と同じく運用には制約があった。
21000系ダブルデッカー[編集 | ソースを編集]
- 近鉄のアーバンライナーこと21000系は計画段階ではダブルデッカーも検討されましたが、結局取りやめになりました。もし導入が実現していたら…。
- 近鉄=ビスタカー、のイメージはアーバンライナー登場後も残っていた。
- ダブルデッカーはデラックスシート車になっていただろう。
- 1階席にはコンパートメントなんかが設置されていたかも。
- ダブルデッカーはモーターや制御装置などがないトレーラーにする必要があるため、その分他の車両のモータ出力を大きくしていた。
- VVVF制御(これも当初は検討されていた)が近鉄特急車で初めて採用されていたかもしれない。
- 23000系「伊勢志摩ライナー」や21020系「アーバンライナーnext」にもダブルデッカーが組み込まれていた。
- 23000系は分かるが、速達化を考えると21020系は史実通り全車平屋になっていたんじゃないだろうか。
- そもそも21020系は21000系と共通運用を前提に設計されているので接客設備を統一するという意味でダブルデッカーは連結されていると思う。あと最高速度は21020系も23000系も同じだし。
- 23000系は分かるが、速達化を考えると21020系は史実通り全車平屋になっていたんじゃないだろうか。
30000系ハイデッカー車[編集 | ソースを編集]
- 30000系ビスタカーの開発に当たってはハイデッカー方式も検討されました。
- 近鉄におけるダブルデッカー車両は10100系で打ち止めとなっていた。
- 20000系「楽」や50000系「しまかぜ」もハイデッカーは採用されるもののダブルデッカーは存在しなかった。
- 23000系「伊勢志摩ライナー」にハイデッカー車両が組み込まれていたかも。
- 21000系「アーバンライナー」もデラックスシート車にハイデッカーが採用されていた。
- 京阪特急へのダブルデッカー組み込みはなかったかもしれない。
テレビカー[編集 | ソースを編集]
1967年に10100系で試験的に運用が行なわれました。
- 12000・12200系の一部車両がテレビカーになっていた。
- カラーテレビは京阪よりも先に採用されていた。
- 近鉄特急は座席指定なので、座席を指定する際テレビカーが選択できるようになっていた。
- スナックカーと共に東海道新幹線に客を奪われた名阪特急の起死回生策として位置づけられていた。
- それでも新幹線から客を取り戻せてたかどうかは微妙。
- 近畿圏と中京圏ではテレビの放送エリアが違うので、青山トンネルあたりでチャンネルの切り替えを行っていた。
- 「アーバンライナー」までこれが続いていた場合、デラックスシート車にテレビが搭載されていた。
- それでも地デジ化とともにテレビカーは廃止されていた。
- 「テレビカー」が京阪によって商標登録されることはなかった。
ハイデッカー特急車[編集 | ソースを編集]
1952年に計画された前面展望ハイデッカー特急車。
- この車両に「ビスタカー」の名称が与えられていた。
- その後の近鉄特急は前面展望室を売りにしたものとなっていた。
両運転台の特急車両[編集 | ソースを編集]
1970年代の名阪ノンストップ特急の利用が低迷した頃に計画されたことはあるようです。
- 恐らく12200系を両運転台にしたような車両になっていた。
- 両運転台に加えトイレ・洗面所も付いているので座席定員は少なくなっていた。
- 座席定員をできるだけ確保するため、トイレは史実における12000系と同じく便器が斜めに設置されていた。
- 同様に理由で扉は1ヶ所になっていた。
- 単行運転のため1両に走行機器を全て搭載しなければならずかなりの重装備となっていた。
- 座席定員をできるだけ確保するため、トイレは史実における12000系と同じく便器が斜めに設置されていた。
- 1980年代に入って名阪ノンストップ特急の利用客が上向きに転じると増結用として活用されていた。
- それでも異端車ということで1990年代に入って22000系に代替されて廃車になっていた。
- 史上最短編成の特急と評されていた。
- 最後は湯の山線特急で使用された。それの定期列車廃止と運命を共にするか。
- 近鉄の感覚だと最後は片運転台車両への改造か中間車化の方がありそう。
京阪電気鉄道[編集 | ソースを編集]
2600系の600系からの改造車[編集 | ソースを編集]
- 1980年代の鉄道雑誌で「600系からの改造も予定されている」との記述があった。
- 1800系(2代目)はなかったかも。
- 車体は旧600系のものを流用するが、前面に方向幕が取り付けられ、車掌側の開閉窓が固定式に変更されていた。
- 車体構造の関係で冷房化が困難だったので、非冷房車で竣工していた。
- 数年後に車体を新造し、6000系に編入されていた。
- もしくは冷房化できるように車体の強化をしていた。
- その場合冷房化などの一連の更新工事に多額の費用が出るため京阪5000系以前のいずれかの形式の廃車が早まった。
- もしくは冷房化できるように車体の強化をしていた。
- 数年後に車体を新造し、6000系に編入されていた。
3000系ステンレス車[編集 | ソースを編集]
- 3000系は計画段階ではステンレス車体も検討されたそうです。
- 西鉄3000形や神戸電鉄6000系と似たような車体になっていた。
- 外観はステンレス無塗装に青帯となっていた。
- 13000系もステンレス車体となっていた。
- こちらはステンレス無塗装に濃淡グリーンの帯。
- 関西大手私鉄全社にステンレス車体の車両が走ることになっていた。
- 自社でステンレス車を保有しない阪急・近鉄は乗り入れ車両にステンレス車が存在するので。
5000系VVVF更新車[編集 | ソースを編集]
リニューアルの際、VVVF制御化も検討されていたそうです。
- 京阪線では最初のIGBT-VVVFを採用した車両となっていた。
- むしろ時期的にドレミファインバータになっていた可能性もある。
- 誘導電動機搭載のため、台車の改造あるいは新製が必要になっていたかも。
- 6000・8000系もリニューアルの際VVVF化されていた。
- それでもホームドアとの関係で2021年に全廃されていた。
8000系30番台新塗装仕様[編集 | ソースを編集]
- 実際に塗装変更後のデザインは用意されていたが、結局引退まで施される事は無かった。
- おそらく引退直前に史実通りクラシックスタイルに戻すだろうから、新塗装を見られたとしてもかなり短期間だったと思われる。
- ここで戻されなかったとしてもくずはモールでの保存時に旧塗装に戻されていたはず。
- 引退後に富山地方鉄道の譲渡車両が1編成この塗装に変更されていたかもしれない。
- 30番台が史実通りクラシックデザインに戻されていた場合は、ダブルデッカーが連結されていない編成が新塗装風のデザインになっていた。
- 一方で大井川鐡道での再現は史実通り実現せずに終わる。
- 旧3000系のリニューアル工事がもっと多くの編成に施されていたら有り得た可能性大。
- クラシックスタイルに戻されていたのは史実通り1編成だけだと思われる。
9700系[編集 | ソースを編集]
- 寝屋川工場内に社内の案として出ていたことがあるようです。
- アルミ製車体の中間車を先頭車に改造する工事は難工事となっていた。
- 場合によっては自社寝屋川工場の手に負えず、メーカーの川崎重工業に送って改造していたかも。
- 6000・7200・9000系の3形式を種車にした車両が編成内に混在していたので、ファンから迷車扱いされていた。
- 車両によって製造時期が異なるので内装なんかも違っていた。
- 9700系登場の煽りで7200・9000系に6000系の中間車が組み込まれていた。ただ車内LED表示機については旧7200・9000系に合わせて旧6000系の車両にも取り付けていた。
- 京阪線の8両編成が不足していた。
- 2200・2600系の廃車が早く進んでいた。
- 8両編成の不足はこれらを組み替えて行われていたかも。
- 10000系の7両編成は登場しなかった。
- 時期的に機器はおそらくドレミファインバータ。
新3000系以前に検討された中之島線新型車両[編集 | ソースを編集]
こちらも某氏が本で行っていました。
- 京阪もドレミファインバータ車両が走っていた。
- 関西にはドレミファインバータがないということはなかった。
- 中之島線の優等列車も特急だった。
- 関西にはドレミファインバータがないということはなかった。
- 中之島線の優等列車縮小後は8000系と共通運用。
- 2019年にプレミアムカーがつく。
- 2階建て車両がついていた。
- 登場時はテレビも付いていたが、8000系と同時期に撤去。
- 恐らく3扉車になっていた。
- 形式は11000系だっただろうか?
- 京急の2100形を意識すると21000系だと思う。
- 京急がドレミファをやめた後も京阪はドレミファはやめない。
京阪本線10両編成・12両編成[編集 | ソースを編集]
川島令三さんが中之島線ができるときにできると言っていました。
- 北浜駅は近すぎるため淀屋橋駅に統合されていた。
- 10両編成と12両編成車両の機器はドレミファインバータ。
- むしろ10・12両編成は北浜駅を通過していたかドアカットの対応をとっていた。
- プレミアムカーは10両編成・12両編成に連結されていた。
10000系7両編成[編集 | ソースを編集]
現実には支線ワンマン運転用の4両編成しか投入されませんでしたが、計画では本線への投入計画もあったようです。もし本線への投入が実現していたら…。
- 現実では7200系・9000系からの編入の形で実現しましたが、ここでは新車として投入していたらの妄想とします。
- 2200系や2600系の置換えが早まっていた。
- ターコイズグリーン1色の電車が本線にも走っていた。
- 現実とは異なり、一般車はこの色に塗装変更されたかも。
- 何れにせよ新3000系は登場していた。
- 2012年に13000系が登場するのは現実通り。
軌間可変ディーゼルカー[編集 | ソースを編集]
第二次世界大戦後、京阪は琵琶湖周辺の開発に乗り出した西武グループへの対抗・自社営業圏の防衛策として1961年に浜大津で京津線と接続する江若鉄道の株式を取得、1963年の淀屋橋延長線の開業を見据えて淀屋橋から三条-浜大津経由で江若鉄道の終点・近江今津までの約112kmを走破する直通列車の運転を計画していた。車両は軌間可変構造の気動車を計画していたが、これが実現していたら?参考リンク
- 史実より50年以上も早くフリーゲージトレインが実用化されていた事になり、そうなるとミニ新幹線も改軌工事をせずフリーゲージトレインで運転されていた可能性が高い。
- 近鉄は京都~吉野間や大阪難波・上本町~上野市間で直通特急を運転していた。
- 伊賀線は近鉄から分社されなかった。
- 大阪難波から松阪経由でJRに乗り入れ、新宮に向かう直通特急が運行されていた。
- 大阪市高速電気軌道堺筋線は阪急だけではなく南海との相互直通運転も実現していた。
- ラピートは阪急河原町駅発着となっていた。
- 箱根登山鉄道は全線標準軌のままだった。小田急は箱根湯本までの乗り入れ用のフリーゲージトレインを導入していた。
- 近鉄は京都~吉野間や大阪難波・上本町~上野市間で直通特急を運転していた。
- 江若鉄道は廃止にならず、改軌・電化の方向に進んでいたかも。その場合湖西線の動向にも影響が出そう。
- 江若鉄道の鉄道線は京阪に吸収されていた。江若鉄道自体は現実通り江若交通というバス会社となる。
- 湖西線は近江今津以北のみが建設され、以南は京阪に乗り入れていた。
- 京阪淀屋橋駅から金沢・富山方面に向かう国鉄→JR線直通特急が運行されていた。
- 北陸本線がJR東海に帰属していた可能性もある。この場合JR東海は「JR中部」という社名になっていた。
- その場合、新大阪ー敦賀(or米原)まで建設して、あとは北陸本線に乗り入れていた。
- マジレスすると湖西線は日本海縦貫線の整備という国土的・広域的観点から京阪フリーゲージ気動車の有無にかかわらず史実通り建設されていたので、仮にフリーゲージ気動車があったとしても江若鉄道は史実通り廃止されていたと思われる。
- 京阪のものになっていたら湖西線は建設されても江若鉄道のルートをとらないと思われる。
- 関西以外でも軌間可変車両が導入されていた。
- 京阪旧3000系や8000系は軌間改変車として誕生していた。(ただし改軌されていたらその限りではない)
- 京阪京津線・石山坂本線は京阪線と同規格になっていた。
- 京津線三条~御陵間の廃止もなかった。
- 予定通りの時期に完成していたら世界初の軌間可変車両になっていた。
- なおスペインでタルゴの軌間変換システムが開発されたのは1968年。
- 日本の鉄道車両や新幹線システムの輸出において大きな強みになっていた。
- 台湾の高速鉄道への新幹線導入はもっと楽に決まっていた。
- 都営地下鉄新宿線は京王電鉄線だけでなく、京成電鉄線とも相互直通運転を行っていた。
- 都営新宿線と京成本線との接続駅が本八幡ではなく、東中山となっていた。京王線~京成線成田空港・芝山千代田間の直通特急が設定。
- これにより、京成上野~成田空港・芝山千代田間と京急線~成田空港・芝山千代田間の特急電車は一部を除き、殆どが成田スカイアクセス経由となり、京王線の特急運行形式や種別が現在のものとは変わっていた。
- むしろ京成電鉄は改軌せず、浅草線にフリーゲージトレインが導入されていた。
- 都営新宿線と京成本線との接続駅が本八幡ではなく、東中山となっていた。京王線~京成線成田空港・芝山千代田間の直通特急が設定。
- 大江戸線を除く都営地下鉄車両の規格統一が為されていた。都営地下鉄三田線~京浜急行線、京王電鉄線~都営新宿線~京成電鉄線、都営三田線西高島平~都営地下鉄浅草線西馬込間の運行系統が設定。
- 東京メトロ半蔵門線と都営新宿線の九段下駅を介する形で両地下鉄線だけでなく、東急田園都市線~京成線や京王線~東武伊勢崎・日光線との相互直通運転を行っていた。
- 間違いなく鉄道友の会ブルーリボン賞を受賞していただろう。
- 2016年に阪神5700系がブルーリボン賞を受賞した後に京阪が関西大手私鉄では唯一ブルーリボン賞の受賞経験のない会社だと言われることはなかった。
- 間違いなく江若鉄道は廃止されず、湖西線は別ルートをとっていた。
阪急電鉄[編集 | ソースを編集]
新京阪線用国鉄63系電車[編集 | ソースを編集]
- 運輸省から国鉄63系電車の割り当て受け入れの打診を受けたが、条件とされた新京阪線(阪急京都線)の車両の他線(神宝線系統と現在の京阪電車)での転用ができずに断念。
- 阪急のことなので内装が豪華になっていた。
- 当時「日本一豪華な63系」と言われていた。
- のちに神宝線系統も車両限界をこの車両に合わせる工事を行っていた。
- これにより、阪急の車両は大型になり、同じく63系を導入した山陽電車の直通先が阪急になっていた。
- 神宝線と京都線の規格が統一されていた。
- 阪神も神戸高速鉄道開業に合わせて20m車を導入し、後の近鉄直通に際しては規格が揃うことになっていた。
- 山陽~阪神~近鉄の3社直通も実現していた。
- 神宝線の1500Vへの昇圧も史実より早く実施されていた。
- 神宝線で工事が行われなかった場合、京都線専用車として使われていた。
- 大阪万博直前に、3300系をベースとした車体に交換され、1990年頃まで活躍する。
- あるいは、1980年代に1300系(初代)の機器を流用して新性能化され、あとは3300系と同じ運命を辿る。
8000・8300系新塗装案[編集 | ソースを編集]
- 8000・8300系の設計段階では新塗装も検討されましたが、結局は6300系と同じ車体上部だけクリーム色というデザインに落ち着きました。
- 恐らく阪急バスの観光・高速車と同じような色合いになっていた。
- 塗装は新しく変わるものの、阪急=マルーンというイメージは変わらなかった。
- そういう意味で近鉄が3200系で採用した新塗装と比較されていた。
- 塗装は新しく変わるものの、阪急=マルーンというイメージは変わらなかった。
- 在来車もリニューアル工事などの際に塗装変更されていた。
- あるいは8000系が登場した数年後に行われたCI導入と合わせて変更が行われていた。
- ただし、5000系以外の電磁直通ブレーキ車はマルーン単色のままかも。
- 能勢電鉄も最終的にはこの塗装になっていた。
- 阪急でもステンレス車が導入される。
- マルーン以外の塗料を使うことに抵抗がないので、アメリカ博号みたいな派手な塗装の電車が再び登場する。(すみっコぐらし号など)
- 21世紀に入ってからのどこかのタイミングで、再度新塗装が発表され、もはやマルーンですら無くなる。
- それでも6300系と9300系は史実通りの塗装になる。
有料座席指定車[編集 | ソースを編集]
- 川島令三氏の本にかつて導入する話があったそうです。
- 阪急阪神系も有料座席指定車両に熱心になっていた。
- 今頃阪急ファンがなぜ阪急阪神に有料車両がないのかを疑問視しなかった。
- 近鉄特急の阪神乗り入れも早期に実現していた。
- 阪神~山陽直通特急にも指定席車両が連結されていた。
- 運行距離や所要時間の関係からトイレ付きとなっている。
- 京阪神私鉄はすべて有料車両がある。
- 「京とれいん」や、繁忙期の京都線~神戸線直通特急は有料座席指定列車となっていた。
- 「京とれいん」には便所や売店などの設備が設けられ、「京とれいん雅洛」には便所・洗面所・飲食可能なサービスコーナーの設備も設けられていた。
- 京阪プレミアムカーの導入が早まっていた。
- 2021年に有料座席導入計画が発表されました。
- 2024年に「プライベース」として京都線に導入されることになった。
- 1994年以前に有料座席が神戸線・宝塚線でも運行開始していた場合、1995年1月17日の阪神淡路大震災でしばらく運休していた。
- 復旧後は現実の223系1000番台よろしく神戸復興の象徴と名を馳せた有料座席指定車両が登場していた。
- 愛称は、「Hシート」。
9300系2扉車[編集 | ソースを編集]
- 9300系は2扉車の検討もされましたが、最終的には3扉車になりました。もし2扉車で投入されていたら?
- 基本的には2扉オール転換クロスシートで、1編成のうち2両がセミコンパートメント付きのロングシート車になっていた。
- 側面の割り付けは6300系よりも2800系の2扉車時代に近くなっていた。
- 2023年8月に開催された阪急百貨店うめだ本店の鉄道模型フェスティバルで展示された模型と設計図によるとドアが車端に寄った6300系と似た割り付けだったらしい。もしそうなっていたら十三駅のホームドアが現実と異なった仕様になっていただろう(JR西で採用されているようなロープ式とか)。
- 側面の割り付けは6300系よりも2800系の2扉車時代に近くなっていた。
- 場合によっては指定席が導入されていたかも。
- もし成功していたら京阪やJRの新快速も指定席を導入していた。
- 途中停車駅の増加に伴い転換クロスシート車に関しては一部ロングシート化が行われていた。
- 6300系「京とれいん」は登場しなかった。
- 特急の停車駅が現状通りになっていたらダイヤの足枷になっていただろう。
- 対策としてドア付近のロングシート改造が行われていた。
阪神電気鉄道[編集 | ソースを編集]
20m級急行系電車[編集 | ソースを編集]
- 阪神電鉄は1970年代に近鉄乗り入れ用の20m級急行系電車を投入すること計画していましたが、西大阪線難波延伸の頓挫とともに投入計画は消えてしまいました。これがもし本当に投入されていたら…
- 阪神はこれ以後20m車体を標準としていた。
- 8000系や9000系なども20m車体で登場。
- 側扉は近鉄に合わせて片側4扉となっている。
- 1998年に梅田~姫路の直通特急運転開始に合わせ、山陽側も20m車乗入れ対応に改修していた。
- 山陽5030系も20m車体で登場していたかも。
- 山陽が20m乗り入れ対応に改修されなかった場合、乗り入れ相手は阪急となっていた。
- 阪神なんば線開業後は近鉄特急車両による姫路直通も実現していた。
- 震災後、元町のトンネル補強後も、20メートル車が通れた。
- 阪神なんば線開通後近鉄と相互直通するに当たっては近鉄車両と車体長やドア位置が揃っていたので何かと都合が良かった。
- 逆に山陽車とは車体長やドア位置が違っていた可能性もある。
- 山陽5000系が19m3扉で登場していた可能性があるため。
- 逆に山陽車とは車体長やドア位置が違っていた可能性もある。
- 御影駅は20m車が停まれるように改修されていた。
- 御影駅の待避設備がなくなり、石屋川駅を待避可能な構造にしていた。
- 近鉄奈良線や阪神線へのホームドア導入が検討されていた。
- 8000系前期車と9300系は転換クロスではなく、ボックスシートかデュアルシートだった。
京急旧1000形譲渡車[編集 | ソースを編集]
阪神淡路大震災発生時、京急は阪神に車両譲渡を申し出ましたが、譲渡には至りませんでした。ではもしこの時車両譲渡が成功していたら?
- 阪神1000系となっていた。
- もちろんなんば線開業時の車両は別形式を名乗る。
- それまでには廃車になっていた可能性が大だと思う。
- もちろんなんば線開業時の車両は別形式を名乗る。
- 9000系の製造分が減っていた。
- 塗装はおそらく京急時代のまま。
- 「この車両を赤胴車して扱うか」で鉄道ファンの意見が真っ二つに分かれていた。
- 緊急的な譲渡であることを考えると、遅くても2000年代初頭には全車廃車になっているはず。
- 9300系が史実よりも多く生産されていた。
- 対象となりそうな2両編成車両(武庫川線での運用を検討していたらしいので)は現行7861形より新しい車両なので、意外としぶとく生き残っていたかもしれない。
- 逆に9000系は存在せず、その分なんば線開業時には1000系が史実より多く増備される。
- 優等列車と西大阪線の運用がメインになっていた。
- 本線に操作系が異なる車両を入れるのはよろしくないので、支線(西大阪線と武庫川線)での活用が念頭に置かれていたとのこと。
- 仮に本線に入っていたとしても朝夕ラッシュ時限定になっていただろう。
- 主に準急に運用されていた。
- 仮に本線に入っていたとしても朝夕ラッシュ時限定になっていただろう。
- 本線に操作系が異なる車両を入れるのはよろしくないので、支線(西大阪線と武庫川線)での活用が念頭に置かれていたとのこと。
- 阪神は震災復旧後直ちに正常ダイヤに戻っていた。
- 阪神電車でも東洋IGBTが採用されていた。
- 後に2023年に発表された西武鉄道の小田急8000形及び東急9000系譲渡と比較されていた。
1990年代前半に計画されていた新型急行系電車[編集 | ソースを編集]
阪神電鉄では1990年代初頭に8000系に代わる新系列の急行系車両の製造が検討されましたが結局は8000系をマイナーチェンジして継続投入することになりました。もしこの時新型車両の投入が実現していたら?
- 恐らくVVVF制御車となっていた。
- 阪神は現実よりも早くこの時点でVVVF制御を導入していた。
- 形式は恐らく9000系となっていた。
- 阪神大震災で被災廃車となった車両の補充に際しては本系列のステンレス車体バージョンの車両が投入されていた。
- 8000系は1991年製の8231Fで打ち止めとなっていた。
- 外部塗装は新塗装が採用されていただろうが、ジャイアンツカラーになっていたかどうかは微妙。
- 車内は現実の8000系後期タイプと同じになっていた。
- 普通用の5500系はこれをベースに製造されていた。
- 阪神大震災で一部の車両が被災していた。
- 2010年代に入ってリニューアル工事が行われるようになった。
- 阪神なんば線開通後は近鉄線に乗り入れていたかも。
南海電気鉄道[編集 | ソースを編集]
6000系VVVF制御改造車[編集 | ソースを編集]
- 1980年代後半の更新工事の後にVVVF制御改造が検討されていました。
- 南海のVVVF制御車導入が早まっていた。
- 11000系は確実にそうなる。31000系は微妙な所。
- 9000系もVVVF制御車としてデビューしたかも。
- 時期的には9000系が全て出た後なので、そこはあまり関係ないかも。ただし、9114FあたりでVVVF試作車が存在していた可能性もある。
- 今頃、電子機器の劣化で廃車が進んでいる。
- 2度目の制御装置更新して2010年代でも全車現役だったりして(しかも泉北高速所属)…
- 6100系も更新と同時にVVVF化されていた。
- その際内装が1000系と同等にリニューアルされている。
30000系前面貫通化改造[編集 | ソースを編集]
- リニューアル工事の際、前面の貫通化も検討されていました。
- 恐らく31000系と同じ前面になっていた。
- そのため、改造前の流線型を惜しむ人も増えていた。
- 車体を大改造したことがきっかけで車両の寿命を縮め、2015年の高野山開創1200年を機に新型車両に置き換えられていた。
国鉄485系譲受車[編集 | ソースを編集]
- 急行「きのくに」の特急「くろしお」への格上げに際して国鉄から485系を購入する計画がありましたが、実現しませんでした。
- また、同計画で購入を検討した車両は583系だったとも言われています。
- 難波発着の「くろしお」が設定されていた。
- しかし、381系に比べて速達性に難があるため、結局は381系置き換えに際して廃止されていた。
- 戦災復旧車以外で旧国鉄の車両が大手私鉄に譲渡された珍しいケースとなっていた。
- 難波「くろしお」廃止後は南海線の全車指定席特急に運用されていたかも。
- 「サザン」あたりに転用されていた。その分、 10000系の製造数が減っていた。
- 10000系とは違い、運用が限定されていたため、早いうちに12000系への置き換え対象になっていた。
- 1990年代には新塗装化されていた。
- 「サザン」あたりに転用されていた。その分、 10000系の製造数が減っていた。
能勢電鉄[編集 | ソースを編集]
自社発注のVVVF車[編集 | ソースを編集]
- バブル期に自社発注のVVVF車を投入する計画があったようです。
- 恐らくアルナ工機製のアルミ車体を採用していた。
- 阪急8000系をベースに作られていた。
- 実際の計画では流線型の前面に神戸市3000形に似た側面という外観だったらしい。
- 車内はロングシートをベースに一部クロスシートになる予定だったとか…。あと側扉がボタン開閉式になる予定だったらしい。もし実現していたら他の私鉄のドアボタン普及が早まっていたかも。
- 実際の計画では流線型の前面に神戸市3000形に似た側面という外観だったらしい。
- 阪急8000系をベースに作られていた。
- 外部塗装は阪急と異なる独自のものを採用している。
- 恐らく1700系で実際に採用されたものになっていた。
- 後に親会社と同じマルーン1色に統一されることもなかった。
- 阪急2000系は能勢電鉄に譲渡されず廃車解体されていた。
- 逆に8000系と8300系の導入数が逆転し3300系廃車が早まったかも。
- 「日生エクスプレス」運行の際には阪急直通用に新車を投入していたかも。
水間鉄道[編集 | ソースを編集]
南海22000系譲受車[編集 | ソースを編集]
- モハ501形(元南海モハ1201系)の置き換えに当たっては南海22000系を譲受する計画もあったようですが実現せず、結局東急から7000系を購入しました。
- モハ501形は現実よりも数年長く活躍した。
- 南海22000系が高野線から撤退するのは1994年以降のため。
- あるいは南海2000系新造のペースが早まっていた。
- 2000系ではなく1000系(2代)かも。
- 水間鉄道はワンマン運転のため、現実に貴志川線(現和歌山電鐵)に移籍した2270系と同様、前面の非貫通化や前寄りの側引戸の運転室後部への移設などが行われていた。
- 22000系は600/1500V複電圧仕様だったため、水間鉄道の600→1500V昇圧は同系を導入した時点では行われなかった。
- でもいずれは1500V昇圧が行われていただろう。
- 2018年現在、22000系は他社に移籍した車両を含めても全車両現役。
- 熊本電鉄への22000系譲渡はなかった。
- 水間鉄道は本系列導入により全車両の冷房化が実現していた。
- 関西で東急7000系を見ることはできなくなっていた。
- 伊賀鉄道への東急1000系移籍や養老鉄道への東急7700系移籍が現実以上に騒がれていた。
野上電気鉄道[編集 | ソースを編集]
80形[編集 | ソースを編集]
- 野上電鉄末期の1991年に武庫川車両に発注された13m級車。補助金打ち切りのため実現せず。
- 廃止後に地方私鉄に譲渡されていたのは間違いないだろう。
- 叡山電鉄あたりか…と思ったが、軌間が違うので可能性は低いだろう。
- 熊本電鉄に5000系置き換え用として譲渡されていたかも。
- よって東京メトロ01系譲受車はなかった。
- 福井鉄道という可能性もある。
- むしろ新車が実現していたら廃止はなく野上は両備系になり水戸岡デザインになっていた。
- 叡電デオ810の登場は史実よりも遅れていた。(80形のキャンセルにより製造が前倒しになった説があるため)
- 軽量化の為、アルミ車体になっていた(野鉄の軌道は軟弱であったため)。
水間鉄道501形譲受車[編集 | ソースを編集]
水間鉄道から501形(元南海1201系)を譲受したが、電装解除しても軌道の軟弱さから就役には至らなかった。
- 車両そのものは譲受しているが入籍には至らなかったため、ここに記載。
- 軌道強化した上で就役していた。
- そして再電装化された。
- 同時に冷房化・カルダン化していた。
- そして再電装化された。
- 車体が大型なのでラッシュ時に重宝していた。
- それでも野鉄廃止時には廃車になっていた。
- この場合も野上は廃止にならず両備系になって水戸岡デザインになっていた。