もしあの鉄道車両が計画されなかったら
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- 新規追加は国鉄・JRは車種別に形式が若い順に、私鉄は会社別(東から順)+形式が若い順にお願いします。
国鉄・JR[編集 | ソースを編集]
私鉄[編集 | ソースを編集]
東武鉄道[編集 | ソースを編集]
1800系[編集 | ソースを編集]
- 1970年代から「りょうもう」の使用車両は日光線系統と共通化されていた。
5000・5050・5070系[編集 | ソースを編集]
- 2000系が継続使用されていた。
- 7300・7800系はそれに置き換わるまで使用されていた。
- 8000系の製造両数が900両近くにまで跳ね上がっていた。
8000系[編集 | ソースを編集]
- 2000系が更に増備され、日比谷線乗り入れ以外の運用にもついていた。
- 後継車である20000系も日比谷線乗り入れ以外の運用にもついていた。
- 私鉄の103系と呼ばれることはなかった。
西武鉄道[編集 | ソースを編集]
2000系[編集 | ソースを編集]
- 西武の通勤車両は3ドア車を頑なに導入し続けていた。
- その分、3000系が更に増備されていた。
- それすらなかったので有楽町線や副都心線との相互乗り入れも企画されなかった。
- よって、6000系も登場しない。
- S-TRAINも設定されたか怪しくなる。
- サステナ車両導入時には、313系やE127系がJR各社から強奪されている可能性がある。
40000系[編集 | ソースを編集]
- S-TRAINは無かった。
- その代わりレッドアローの置き換えとして西武・秩父・メトロ・東急・横浜高速に直通する新型特急車両を開発していた。
- その場合4000系の池袋・秩父鉄道乗り入れ廃止、池袋線無料種別飯能運行系統分断、快速急行全列車地下鉄直通&練馬停車が実施されていた
東京急行電鉄[編集 | ソースを編集]
8000系[編集 | ソースを編集]
- 東急は18m車を頑なに導入し続けていた。
- 7200系が更に増備されていた。
- 18m車オンリーであるため、運用効率化の観点から7200系も日比谷線に乗り入れていた。
- その代わり、半蔵門線は18m車対応で建設されていた。
- 副都心線直通まで東横線は18m車オンリーだった。
- 田園都市・半蔵門線開業で20m車を導入したかもしれない、東横線系統は18m車、田園都市・大井町線は20m車の二本立て。
- 目黒線化の時点で20m車対応の工事にかかって後は史実通り。
- 令和になると東急新7000系タイプの6連や8連が大量に増殖している可能性が高い。
8500系[編集 | ソースを編集]
- 8000系の増備が継続されていた。
- 先頭車が付随車のみなので地方私鉄譲渡時に改造の手間が増していた。
- 8090系と8590系は登場したのだろうか?。
- 少なくとも、8590系は登場しても別の形式名になっていた。
京王電鉄[編集 | ソースを編集]
6000系[編集 | ソースを編集]
- 京王本線は18m車の8両+4両対応にホーム延長。
- 相模原線は最初から12両対応、高尾山口は8両しか入れない。
- 京王本線のステンレス車は井の頭3000と共通車体。
- 当然都営新宿線も18m車で建設。
- 新宿線と浅草線の車体は共通に。
東京メトロ[編集 | ソースを編集]
02系80番台[編集 | ソースを編集]
- この時点で方南町駅は6両化され、02系0番台が導入されていた。
- 本線のワンマン化は横浜のブルーラインと同時期だったかも。
- あるいは銀座線のお古が相変わらず使用された。
- 01系が3両化されて転属していたかも。
05系千代田線転籍車[編集 | ソースを編集]
- 5000系および6000系ハイフン車引退と同時に北綾瀬駅は10両化されていた。
- 現実の「綾瀬」行きは「北綾瀬」になっていた。
- B修工事も行われず、東西線側も15000系増備で対応していた。
小田急電鉄[編集 | ソースを編集]
2300形[編集 | ソースを編集]
- 3000系(SE)の登場が早まっていた。
- 珍車扱いされることはなかった。
- 準特急用の2320形の登場は史実と変わらなかった。
30000系[編集 | ソースを編集]
- 展望デザインを何とかして維持するために、史実の60000系のような車両がこの時点で製作されていた。
- もしくは通勤用特急と言う概念が出てこなかった。
- 「EXE」の愛称は採用されず、該当車両も従来の「○SE」を踏襲する形になっていた。
- おそらくブルーリボン賞も獲得できている。
- 二層建て列車は存在しなかった。
50000形[編集 | ソースを編集]
- 恐らく60000形の登場が早まっていた。
- ロマンスカーにおける連接構造や前面展望席は史実よりも早く衰退していた。
- 70000形「GSE」も前面展望構造は採用しなかったかもしれない。
- 連接構造は10000形「HiSE」が最後になり、平成以降には登場しなかった。
- ロマンスカーは現実以上に箱根の観光輸送よりも沿線需要を重視するようになっていた。
- 車内販売も早くに廃止されていた。
60000系[編集 | ソースを編集]
- ≒「ロマンスカーの地下鉄乗り入れがなかったら」である。
- 御殿場線乗り入れ用の特急車両は全く異なるコンセプトになっていた。
- おそらく両端とも非貫通型になっていた。
- 2009年の鉄道友の会ブルーリボン賞は京阪3000系が受賞し、同社としては初のブルーリボン賞受賞となっていた。
長野電鉄[編集 | ソースを編集]
1000系[編集 | ソースを編集]
- 2100系「スノーモンキー」がさらに増備されていた。
- 湯田中駅のスイッチバックが廃止されることはなかった。
富山地鉄[編集 | ソースを編集]
T100形[編集 | ソースを編集]
名古屋鉄道[編集 | ソースを編集]
5500系[編集 | ソースを編集]
- 少なくとも7000系は非冷房で落成していた。
- 6000系や6500・6800系鉄仮面も下手したら当初非冷房だった。
- 当然、100系初期車も非冷房で鶴舞線は走る電子レンジと言われるほど暑くなっていた。
- 東海集中豪雨で失ったのは6000系列だった。
- 6600系に至っては廃車まで非冷房だった。
3880系[編集 | ソースを編集]
譲渡車ですが便宜上ここに。
- 名鉄の3扉車導入が遅くなっていた。
- 少なくとも1970年代は2扉車が製造され続けていた(100系除く)。
- 6000系は登場しなかった可能性大。
- 登場しても史実の中期車に当たる車両以降だった。
- 6600系も無かった。
- それでも100系については史実通り。
- ただでさえ少ない大手私鉄同士の車両譲渡例が1つ減っていた。
6000系[編集 | ソースを編集]
- 名鉄の普通列車は今でも優等列車のお下がりだった。
- それでも地下鉄鶴舞線や上飯田線直通には専用車両が導入されていた。
- 車両を普通列車と特急列車で分けることもなかった。
7000系[編集 | ソースを編集]
- 運転席を客室の階上(場合によっては階下も)に設けた前面展望車両は日本では存在しなかった可能性が高い。
- 変わりにハイデッカー車両が史実以上に普及していた。
- イタリア国鉄セッテベッロの日本における知名度はおそらくほぼ0。
- その分、5500系が多く製造されていた。
- キハ8000系は5500ベースになっていた。
- マイカーから史実ほど利用者を奪えなかっただろうから、名鉄の経営は史実よりやや厳しくなっていた。
- 当然、7700系や7300系は登場せず。
- 登場していても史実のような構造ではなかっただろう。
- 8800系や1000系にも影響が出ていた(特に一部に7000系の廃車発生品を使用した前者)。
- 少なくとも展望席は無しか。
- 名鉄特急がミュージックホーンを搭載することはなかった。
- ミュージックホーンが史実ほど普及しなかったかもしれない。
- 「どけよホーン」なんて言葉も生まれない。
- 言葉でいえば「ダンプキラー」もない。
- 中京競馬場の名鉄杯のファンファーレははたして何の曲を使ってたのだろうか…
- 「白帯車」もなかった。
- 名鉄に有料特急は登場しなかったかもしれない(北アルプスとその間合いを除く)。
- 名鉄の車両の塗装がスカーレット一色になることはなかったかもしれない(7000系で初めてスカーレット一色を採用したため)。
- さすがにライトパープルになることはないだろうから、ピンクとマルーンのツートンが名鉄の車体色として定着していた。
近畿日本鉄道[編集 | ソースを編集]
モ680形(旧奈良電デハボ1200形)[編集 | ソースを編集]
- 令和に入っても特急含めどの路線でも吊り掛け車がバリバリ現役だった。
- 大阪線のみはMB-3028系でカルダン車を一部入れたのみだった。
- 2024年以降に入る新車まで吊り掛け駆動のVVVF車の可能性がある。
- 山陽電鉄はMB-3037系を頑なに維持していた。
モ1450形[編集 | ソースを編集]
- 21世紀に入るまでどの路線でも吊り掛け車がバリバリ現役だった。
- 1422系・1220系は吊り掛け駆動のVVVF車だった。
- シリーズ21やひのとりまでも吊り掛け駆動方式だった。
8000系X69編成[編集 | ソースを編集]
- 3000系によりステンレス車が標準化されていた。
- 21世紀に入るとE231系化の波が近鉄にも押し寄せていた。
2680系[編集 | ソースを編集]
- 令和に入ってもすべての一般車が非冷房だった。
- 3000系や1420系、1233系、5820系も非冷房で落成していた。
270系[編集 | ソースを編集]
- モニ220が令和に入っても直接制御のまま運行されていた。
- 260系の登場は四日市あすなろう鉄道移管後になっていた。
3000系[編集 | ソースを編集]
- 平成に入るまで近鉄にて回生ブレーキの導入が遅れた。
- 令和に入ってもひのとり導入まで電気指令式ブレーキを採用していなかった。
- ブレーキ読替装置が出ることもなかった。
- 当然、8800系や1400系などの省エネ車両も誕生しなかった。
- 初代1250系以降は形式が変わっても従来どおり投入されていた。
- つまり、相鉄や西鉄と同様、抵抗制御から直接VVVFに飛んでいた。
- 名古屋線通勤車のVVVF化率も高まっていた。
- 2024年以降の新型一般車も電磁直通ブレーキで確定していた。
- さらには小田急新3000形も電磁直通ブレーキで落成していた。
2050系[編集 | ソースを編集]
- 1810系の全廃が早まっていた。
- 9200系も存在せず。
1420系[編集 | ソースを編集]
- シリーズ21までVVVFの導入が遅れた。
- 特急は12600系が純増されていた。
- 3200系は電機子チョッパ制御で落成していた。
- 下記の5200系は界磁チョッパ制御で落成していた。
- 5800系も界磁チョッパ制御だった。
- 名古屋線一般車はVVVF車ゼロの状態が大手私鉄の幹線では極端に珍しく令和に入っても続いた。
- 下手をするとGTOサイリスタのVVVFを採用する事業者が第三軌条集電方式向けと路面電車向けに絞られていた可能性もある。
- 阪神5500系は界磁チョッパ制御で登場し、名鉄3500系は存在しない。
3200系[編集 | ソースを編集]
- 烏丸線には3000系が純増されていた。
- 大阪線は1422系ではなく1420系が純増されていた。
- 下記の5200系は機器を変更した上で落成していた。
- シリーズ21は史実通りに投入されていた。
5200系[編集 | ソースを編集]
- JR西日本221系を始め、3扉転換クロスシートの近郊型車両は誕生しなかった。
- 阪急9000系、西鉄3000系なども同様だった
- 阪急8000系か9300系の間違いでは?
- 阪急9000系、西鉄3000系なども同様だった
21000系[編集 | ソースを編集]
- 21020系も存在しない。
- 23000系も本形式をベースに作られることはなかった。
- 近鉄の看板車両といえば今でもビスタカーだった。
- ビスタカーの存在が薄れることもなく、グッたいむではそれをネタにされることもなかった。
- 名阪間の移動に近鉄を使う人は現実よりも少なかった。
- 名阪甲特急は現実よりも早く大和八木や津駅に全列車停車となっていた。
ビスタカー[編集 | ソースを編集]
- 他社でも2階建て車両が企画されることはなかった。
- その代わり、速達性重視路線を史実より早くから行われた。
L/Cカー[編集 | ソースを編集]
- 東武「TJライナー」や西武「S-train」、京王の座席指定通勤列車は誕生しなかった。
- 東急や京王が有料列車を運転することはなかった。
- 5200系が現実以上に投入されていた。
- あるいは急行用にロングシートの1026系・1620系・9820系のトイレ付き版が大阪線・名古屋線向けに大量に増備されていた。
- 近鉄奈良線への特急以外のクロスシート車投入はなかった。
- 代わりに1620系が奈良線にも投入されていた。
- 205系3100番台2wayシート車も登場しなかった。
- デュアルシート試作車であるクハ79929の二の舞になっていた。
- 5820系は4ドアオール転換クロス仕様となっていた。
京阪電気鉄道[編集 | ソースを編集]
3000系ダブルデッカー[編集 | ソースを編集]
- 京阪特急の7→8両への増結は一般の平屋車両で行われた。
- 鴨東線開業あたりで、8000形8550番代が10両(現実の2倍)製造されて6→8両化されたらあり得る。
- その場合、鴨東線開業の時点で全ての編成に8000系が最低1両は組み込まれるようになり、現実以上に好評を博していた。
- 鴨東線開業あたりで、8000形8550番代が10両(現実の2倍)製造されて6→8両化されたらあり得る。
- それでも旧3000系はリニューアル改造されたが、8000系と比べて見劣りがするようになっていた。
- 引退も史実より早かったかも。
- プレミアムカーは現実より早く導入されたかもしれない。
- 富山地方鉄道にダブルデッカーが走ることもなかった。
- 料金不要のダブルデッカーといえばクハ415-1901程度の認識で終わっていた。
5000系[編集 | ソースを編集]
- 京阪本線の600→1500V昇圧は1970年代のうちに実現していた。
- 10両編成の運行も行われていた。
- 京都市内の地下化も早まっていた。
- 1968年に昇圧が実現していらこうなっていた。
- 東福寺駅は三条までの地下化とともに地下ホームに。
- そうなっていたら朝の8連運転が早まった。
- 2400系がさらに増備されていた。
- 途中で集約分散形クーラーに変更されていたかもしれない。
- それとともに途中から方向幕装備となっていた。
- 途中で集約分散形クーラーに変更されていたかもしれない。
阪急電鉄[編集 | ソースを編集]
2800系[編集 | ソースを編集]
- キハ66系を始め、117系、西鉄2000系、名鉄5700系など、両開き2ドアを持つ転換クロスシート車は登場しなかった。
- 6300系も登場しなかった。
- そもそも阪急京都線特急は転換クロスシートではなかった。
- よって、京阪にサービス面での優位性を許していた。
- 国鉄も117系を投入しなかった。よって、JRになってからも221系以降の車両は登場せず、未だに私鉄王国関西が続いている。
阪神電気鉄道[編集 | ソースを編集]
ジェットカー[編集 | ソースを編集]
- 阪神は普通列車と優等列車で車種を分けていなかった。
- 京阪2000系、近鉄6800系といった同種の性能を持つ車両も存在しなかった。
9000系[編集 | ソースを編集]
- =阪神大震災がなかったらである。
- 阪神のステンレス車体の導入が遅れた。
- 9300系は9000系として登場していたかもしれない。
- 近鉄乗り入れできるのが1000系だけになっていた。
- 下手をしたら阪神8000系と近鉄8810系が界磁チョッパ制御のまま乗り入れ対応になっていた可能性もある。
5550系[編集 | ソースを編集]
- 5311形は5700系導入後に置き換えられ、5143F共々真っ先に廃車されていた。
- 5500系リニューアル完了時にアレグロブルーの塗装は消滅していた。
- =もし阪神・淡路大震災が発生しなかったらである。
南海電気鉄道[編集 | ソースを編集]
2300系[編集 | ソースを編集]
- 2000系を無理矢理でも2両ワンマン運転できるように改造していた。
- あるいは高野線での増備自体が2000系8次車という扱いだった。
- 7000系の一部を置き換えのために8300系がさらに増備されたかも。
- 時期的にむしろ8000系が現実以上に増備されていた。泉北3000系の南海本線移籍も現実より多かったかも。
- 2000系の南海本線転属はなかった。
- 高野山が世界遺産に登録されなかったらこうなった…かは微妙かもしれない。
10000系[編集 | ソースを編集]
- サザンはなかった。
- 南海本線の特急は全車自由席になっていた。
- 名鉄・京阪などの一部指定席特急も誕生しなかった。
50000系[編集 | ソースを編集]
- 「ラピート」はなかった。
- 関空への特急は10000系「サザン」をベースにした車両が導入されていた。
- 場合によっては一部座席指定になっていた。
- 南海電鉄は今も関西大手私鉄では一番地味な存在。
山陽電気鉄道[編集 | ソースを編集]
700形[編集 | ソースを編集]
- 820形・850形の製造数が増えていたのはもちろん、車両不足を補うために国電の戦災復旧車が投入されていたかもしれない。
- 山陽の大型化は遅れ、場合によっては阪神・阪急との直通はかなわなかった。
- 流石に併用軌道こそ廃止されているも、今もこじんまりとした電鉄兵庫駅が起点。
- むしろ神戸高速鉄道の建設を機に車両限界の拡大が行われていた。この場合3000系が最初の大型車となっていた。
- 1003号・107号が琴電に譲渡されることもなかった。
西日本鉄道[編集 | ソースを編集]
3000形[編集 | ソースを編集]
公営鉄道[編集 | ソースを編集]
東京都交通局[編集 | ソースを編集]
10-300形6次車[編集 | ソースを編集]
- 少なくとも10-300形を10-300形で置き換えるという珍現象は起きていなかった。
- 新宿線にもレンジの波が押し寄せていた。
- 結果として新形式10-700形が登場していた。