もしあの雑誌が休刊していなかったら
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- 漫画雑誌はもしあの漫画雑誌が休刊していなかったらへ。
あ行[編集 | ソースを編集]
OUT[編集 | ソースを編集]
- 『オトナアニメ』等のようにサブカル系アニメ雑誌となっていた。
朝日ジャーナル[編集 | ソースを編集]
- 論調が類似しそうな『週刊金曜日』は創刊されなかった。
- 94年頃にはオウム真理教を叩きまくっていた。
- 筑紫哲也元編集長の死去の際には追悼増刊号が出た。
- ネット右翼に最も敵視される雑誌になっていたのは間違いない。
- 編集部襲撃予告事件くらいは発生していても不思議ではない。
- 近年は朝日新聞と同じように北朝鮮や中国を批判する記事が増えてきた。
- 慰安婦報道問題などで朝日新聞社の体制を批判する内容の記事も普通にあった。
- かつての読者を狙っていわゆる「全共闘世代」のその後を取材した連載があったかもしれない。
ADLIB[編集 | ソースを編集]
- 同じ出版社から発行されていた『スイングジャーナル』も休刊しなかった。
- 当然スイングジャーナル社を退社したスタッフなどが立ち上げた新会社から創刊され、スイングジャーナル誌最後の編集長三森隆文が編集長を務める『Jazz Japan』は創刊されなかった。
- ジャズ・フュージョンの人気が低迷することはなかった。
- 史実と異なりインスト(ジャズ・フュージョンのみならず歌のない音楽全般)のアルバムもヒットチャート上位に入り、CDは歌モノしか売れないということにはならなかった。
お笑いポポロ[編集 | ソースを編集]
- (史実で休刊した後に)ブレイクした芸人の特集が組まれていた。
- あるとすればスギちゃん、日本エレキテル連合、8.6秒バズーカー、クマムシ、バンビーノ、ピスタチオあたりが妥当だろう。
- 2019年頃からはお笑い第7世代(霜降り明星、EXIT、ミルクボーイetc…)の特集が多くなっている。
か行[編集 | ソースを編集]
Cawaii![編集 | ソースを編集]
- =ギャル系の退潮がなかったら、である。
- 逆にS Cawaii!が休刊になっていたか吸収統合していた。
- AKB48メンバーが専属モデルを務める雑誌は休刊になるジンクスは生まれなかった。
キング[編集 | ソースを編集]
- 「万人向け」という方針は現在まで変わっていない。
- そのせいで60年代には「日和見主義」などと左派のインテリに非難された。
- この雑誌に連載が持てるのが国民的作家の証とされた。
- 娯楽の多様化をうまく反映できていたら…。
- 高度成長期にはサラリーマンの間で広く愛読されていた。
- 戦争を忘れないため8月号の題字は毎年戦時中のものと同じ「キング 改題 富士」。
- 80年代くらいに英字表記の「KING」としてリニューアルされたかもしれない。
- 日本史の研究対象にされる機会はもっと多かったはず。
- 所蔵している図書館は多かった。
- 現在の発行部数はピークの10分の1くらい。
- 2000年代以降は人気作品のリバイバル・リブート版が連載の中心になっていた。
- キングレコードの社名の由来がこれであることはもっと広く知られていた。
Kindai[編集 | ソースを編集]
- AKB48および派生グループが中心となっていた。
- 韓流スターも取り上げており、比較的控えめに取り扱っていたジャニーズ事務所所属者は彼らに喰われていた。
- 韓流が下火になってからはLDH所属者(3代目JSBなど)が表紙を飾ることが多くなっていた。
ゲーマガ[編集 | ソースを編集]
- ソフトバンククリエイティブ(現・SBクリエイティブ)が雑誌出版から撤退することはなかった。
- ライトノベルに偏重することはなかった。
- 『アイドルマスター シンデレラガールズ』および『アイドルマスター ミリオンライブ!』の特集が組まれていた。
- 史実とは逆にファミ通が休刊に追い込まれていた。
ゲーメスト[編集 | ソースを編集]
- 音ゲー主体となった現在では様変わりしているだろう。
- それでもあの芸術的な誤記は健在。
- DTPが導入され、タイポによるものと思われる誤植が増えていた。
- 2006年に創刊20周年を記念して、自虐的な書籍『確かみてみろ!ゲーメスト誤植伝説』を出していたかもしれない。
月刊天文[編集 | ソースを編集]
- 専門的な記事を求めている天文学ファン向けの月刊天文雑誌として存続した。
- 同じく月刊の天文雑誌である『天文ガイド』や『星ナビ』とは初心者向けが星ナビ、中級者向けが天ガ、上級者向けが月天と住み分けていた。
月刊平凡[編集 | ソースを編集]
- 明星→MYOJOがジャニーズ系のタレントを扱うのに対し、平凡は非ジャニーズ系のタレントを扱うなど、差別化を図る。
- スポーツ選手も取り扱う。
KERA BOKU[編集 | ソースを編集]
- 当然派生もとのKERAも電子化せず発行を続けていた。
- ゴシックパンク系の衣類がいまでも生き残っていた。
小悪魔ageha[編集 | ソースを編集]
- ギャル文化は衰退しなかった。
- 盛り髪文化はいまでも栄えていた。
- 全都道府県に2000円程度のお手軽な値段で盛り髪をセットしてくれるセットサロンが普及していた。(史実では上位政令指定都市クラスまでしかない)
航空朝日[編集 | ソースを編集]
- 必然的に復刊は民間航空解禁後にずれ込む。
- 民間航空中心の構成か。
- 軍事中心の『航空ファン』とはうまく住み分けていた。
- 発行元の新聞社の影響で幾分左寄りの記事もある。
- 例:オスプレイ配備への批判。
- 後にカタカナ名に変更されていた可能性あり。
- 朝日新聞の航空系記事の量も増えていた。
GORO[編集 | ソースを編集]
- 『Sabra』は創刊されていなかった。
さた行[編集 | ソースを編集]
写真週報[編集 | ソースを編集]
- 終戦直後にGHQが占領政策を円滑に進めるためのPR誌として復刊。
- 当時は巷にあふれていたいわゆる「カストリ雑誌」とは異なる良質な紙を使い手触りからも「アメリカ」を感じさせる存在であった。
- 講和発効後は政府のPR誌として存続。
- 史実の『フォト』や『Cabiネット』は存在しなかった。
- 現在なら宮嶋茂樹あたりが連載を持っていそう。
- 2016年現在の主なトピックはTPP、東京五輪準備、外国人観光客誘致など。
- 東日本大震災以降は毎号被災地のその後が取り上げられる。
- いわゆる「クールジャパン」戦略の一環としてアニメ風のマスコットキャラクターが誕生していた。
- 現在は英語、フランス語、中国語など海外の言語版もある。
- 公式サイトでも外国語で記事を閲覧できる。
- あるいはFRONTかNIPPON (いずれも第二次世界大戦中まであった対外宣伝グラフ誌)が続いているんじゃないか。
週刊アスキー[編集 | ソースを編集]
- 初代
- アスキーの黒歴史が減っていた。
- アスキーの一般週刊誌市場参入は成功したとみなされていた。
- 同日発売の週刊誌で読者層も同じである週刊ポスト・週刊現代と双璧をなす存在となっていた。
- 2代目週刊アスキー(パソコン雑誌)は史実通りに週刊誌化されてもEYE-COMのままだった。
- 両面表紙は他の雑誌にも影響を与えていた。
- 2代目(冊子版)
電子書籍版は存続していますが、冊子版が現在でも発売されていたら?
- 「電脳なをさん」が打ち切られることはなかった。
- パソコン雑誌から総合誌がなくなることはなかった。
- DOS/VだのMacだのといった専門誌くらいが生き残ることもなかった。
ソウルジャパン[編集 | ソースを編集]
- 「悪羅悪羅系」はいまでも現役だった。
- 若者が大人しくなりすぎることはなかった。
- むしろ暴走族文化なども復活していた。
- 「ソウルシスター」もいまでも発行されており、「悪羅ギャル」という形でギャル文化が残っていた。
- 「チャンプロード」が廃刊になることもなかった。
- 迷彩ファッションも人気になっていた。
宝島[編集 | ソースを編集]
- 宝島社はファッション誌に偏重することはなかった。
- 「VOW」がsweetに移籍することはなかった。
旅と鉄道(鉄道ジャーナル社版)[編集 | ソースを編集]
史実では朝日新聞出版から復刊していますが、ここでは鉄道ジャーナル社時代の『旅と鉄道』が休刊することなく、現在でも発売し続けていたらとします。
- 鉄道ジャーナルの公式サイトに『旅と鉄道』の関係を否定する旨を記載することはなかった。
- 時代の変化により、季刊誌に降格していた。
- むしろ月刊誌に昇格。
- RJ時代末期に本当に月刊誌に昇格してたんですが・・・
- むしろ月刊誌に昇格。
- 青春18きっぷの発売期には青春18きっぷの話題で占めていた。
- 若者向け路線を堅持していた。
- 読者コーナーは男性からの投稿は「くん」付けのままだった。
- しかし偏見防止の観点から「さん」づけに改められた。
- 読者コーナーは男性からの投稿は「くん」付けのままだった。
- 日本列島外周気まぐれ列車は種村直樹の生前まで連載が続いていた。
- 外周が終わったのは2010年なので、末期は近隣私鉄の乗車ルポを掲載していたかも。
ディズニーランド[編集 | ソースを編集]
ここでは講談社から1964年から2007年まで刊行されてた雑誌について取り上げます。また、1983年の東京ディズニーランド開園以降の路線変更もなければということも想定いたします。
- 『First Book Disney』は創刊されなかった。
- TDL関連の記事は『ディズニーファン』に割り振られた。
- 『仮面ライダーBLACK』以降の仮面ライダー、『科学戦隊ダイナマン』以降のスーパー戦隊、『宇宙刑事シャリバン』以降のメタルヒーロー、『ヤットデタマン』以降のタイムボカン、各シリーズも取り上げていた。
- 『美少女戦士セーラームーン』シリーズは最後まで取り上げられた。
- ガンダムシリーズは『機動戦士Zガンダム』から取り上げていた。
- 90年代以降はSDガンダムが主体だった。
- ムック本のブランド『ディズニーランドデラックス』も続けられており上記『セーラームーン』シリーズ、『ここたま』シリーズ、『夢のクレヨン王国』以降のテレ朝日曜8時30分枠のアニメは刊行されていた。
鉄道ナビ[編集 | ソースを編集]
- 2000年頃にカメラ雑誌『CAPA』の増刊として4号まで発刊された。
- 史実では隔月発売だったが、少なくともCAPAから独立した上で月刊誌になっているはず。
- 親元がカメラ雑誌故に、初心者向けの鉄道撮影のノウハウや機材の比較を他の鉄道雑誌よりも鋭く取り上げていた。
- 2010年代以降マナー特集が頻繁に組まれるようになる。
- 史実の学研が毎年刊行している貨物列車ナビが特集記事になっている。
- 他の学研ムックとして発売された物も特集として扱われていた可能性大。
- 鉄道雑誌のジャンルにおいて写真撮影系も市民権を得ていた。
- 他社(恐らくイカロス出版辺り)が二番煎じ雑誌を刊行していた。
テレビランド[編集 | ソースを編集]
- 「ハイパーホビー」は存在しなかった。
- 出すとしても、高年齢マニア向けのムック本扱いになっていた。
- 超星神シリーズや『魔弾戦記リュウケンドー』、トミカヒーローシリーズの記事も掲載されていた。
- ウルトラシリーズはダイナあたりから本格的に現役作品も扱うようになっていた。
- 場合によってはテレマガが2000年代後半に休刊していた可能性がある。
- ハンターハンター、ワンピース、NARUTO、銀魂、テニスの王子様、イナズマイレブン、鋼の錬金術師、コレクターユイ、キューティーハニーf、ケロロ軍曹、かいけつゾロリ、あたしンち、プリキュアシリーズ、妖怪ウォッチ、進撃の巨人、ダンボール戦機、デジモンシリーズ、鬼滅の刃の特集ページが毎月掲載されていた。特に徳間書店繋がりのアニメージュではプリキュアシリーズやイナズマイレブンが猛プッシュされてるぐらいだし。
- 大きなお友達向けになってて、もしかしたらジョジョの奇妙な冒険やタイバニやラブライブも取り上げられてたかも。
- メガレンジャー以降の戦隊シリーズ、ビーロボカブタック、テツワン探偵ロボタック、燃えろ!!ロボコン、平成仮面ライダーシリーズ/令和仮面ライダーシリーズの記事もこちらで連載されていた。
- コミカライズ版も存在する。
なは行[編集 | ソースを編集]
PCfan[編集 | ソースを編集]
現在でもマイナビムックの1ブランドとして存続していますが、もし、月刊誌として現在でも発売し続けていたら?
- 毎日コミュニケーションズ(現・マイナビ出版)は総合誌市場から撤退することはなかった。
- 「Mac Fan」等の専門誌に偏重することはなかった。
- 「Mac Fan」との兼ね合いと住み分けからそれでもアップル製品は扱わないスタンスを貫いている。
- Mac以外は最小限の扱いになっていたのでは?
- 2012年頃にはWindows8、2015年頃にはWindows10の話題で占めていた。
- 今頃はパソコンにとどまらず、タブレット(特にAndroid、Windows系)の話題も取り上げていた。
- 「週刊アスキー」のように電子書籍オンリーの形で続いていたかもしれない。
- Google検索で「もしかしてpcファン」と出ることもなかった。
- 月刊誌化と大幅値上げがなければ「週刊アスキー」と並び称される存在になっていた。
- おまけ付き商法に走ることもなかったはず。
- 「週刊アスキー」や「Mac Fan」同様、ウェブサイト版も開設されていた。
- ウェブサイト版はあくまで雑誌版を補完する目的で開設される。
ファミリーコンピュータMagazine[編集 | ソースを編集]
- その後も、「ファミマガGC」「ファミマガwii」「ファミマガwiiU」とタイトルを変えて発売されていた。
- PS2あたりまでくすぶっていたが、wiiで任天堂ハードが持ち直すに連れてファミ通のライバルとなっていた。
- 「Nintendo DREAM」が休刊に追い込まれていた。
FOOL'S MATE[編集 | ソースを編集]
- その後もシド、the GazettE、アンティック-珈琲店-、Alice Nine、ゴールデンボンバーといった若手や中堅を取り扱っていた。
FOCUS[編集 | ソースを編集]
- 相変わらず、過激な取材活動を続けていた。
- ネット限定でもっと過激な映像が見られるサービスを始めていたかもしれない。
- FOCUS公式チャンネルがYouTubeに設置されていた。
- 版元の思想もありリベラル派から特に厳しく批判されていた。
- 史実と異なり『FRIDAY』か『FLASH』が休刊に追い込まれていた。
- 後者が休刊だったら48/46関係本(総選挙ガイドブック等)はフライデーの増刊で、青木編集長も講談社に所属していた。
- それでもグラビアは扱わないスタンスを貫いていた。
- 中瀬ゆかりは『新潮45』ではなくこちらの編集長になっていたかも。(史実ではFOCUS休刊とほぼ同時期に『新潮45』編集長に就任している)
- マッド・アマノの「狂告の時代」は途中で打ち切られていた(ネタにしたタレントから肖像権で裁判を起こされたのが原因)。
プチセブン[編集 | ソースを編集]
- ティーンズ路線を堅持しており、『SEVENTEEN』と並び称される存在になっていた。
- SEVENTEENをライバル視していた。
- SEVENTEENが売り上げを伸ばすこともなかったので逆にSEVENTEENが休刊に追い込まれていたかも。
- そもそもSEVENTEENが天下を取ることはなかった。
- SEVENTEENをライバル視していた。
- 『Pretty Style』(PS)はなかった。
- カッコカワイイという概念も生まれなかった。
- 『DiaDaisy』もなかった。
- 小学館の雑誌部門が大幅な赤字になることはなかった。
- 現在でも全国制服グランプリが行われていた。
- 夏服編も行われていた。
- 史実で本誌休刊後に二コラ、ピチレモン、ラブベリー等で専属モデルを務めていたモデルの何名かはここの専属モデルを務めていた。
- ラブベリーの存在が薄れていた。なので休刊も史実より早く、復刊すらされなかった。
- 北川景子・榮倉奈々らもSEVENTEENではなくここからデビューしていたかもしれない。
- その流れで卒業後に20代女性向けファッション誌であるCancamへ移籍するモデルが現れていた。
- 2010年以降はAKB48グループの子を積極的に登場させていた。
- その分、グラビアには必要以上に力を入れることもなかったので現在でも女子に支持される路線を堅持していた。
- 2015年頃からは乃木坂46メンバーも加わる。
- プチセブン派とラブベリー派で二分し、派閥が別れていた。
- 時代の変化により、月刊誌に降格していた。
- 他のファッション誌と同様に付録を付けていた。
ペコちゃん[編集 | ソースを編集]
- 1961年〜63年頃に少年画報社から発行されていた幼児向け雑誌。マスコットキャラクターに不二家の「ペコちゃん」を起用していた。
- 2007年に発覚した不二家の賞味期限切れ原材料使用問題を機に、一時休刊に追い込まれる。
- その半年〜1年くらい後に、実質的な復刊が行われていたかもしれない。
- 但し、この時点で誌名変更かつペコちゃんの起用は廃止されていた可能性もある。
- その半年〜1年くらい後に、実質的な復刊が行われていたかもしれない。
宝石[編集 | ソースを編集]
- 東野圭吾や米澤穂信、宮部みゆき、湊かなえあたりが連載を持っていた。
星の手帖[編集 | ソースを編集]
- 編集委員のうち小尾信彌は2014年に、村山定男は2013年にそれぞれ亡くなったため、編集委員は少なくとも2人は交代する。
- 小尾・村山ともに天文学者なので後任の編集委員も天文学者から選ばれる。
- 1人は渡部潤一、もう1人は福江純・山岡均・鳴沢真也のうちのいずれかが編集委員に就任していた。
- 小尾・村山ともに天文学者なので後任の編集委員も天文学者から選ばれる。
- 季刊ということもあって月刊天文雑誌では扱えないような専門性の高い記事も掲載されていた。
ま~わ行[編集 | ソースを編集]
MUSIQ?[編集 | ソースを編集]
- その後も非ジャニーズ系統などを取り扱っており、ジャニーズ系統を取り扱う他誌とは一線を画していた。
メンズエッグ[編集 | ソースを編集]
- ギャル男文化は衰退しなかった。
- いまでも渋谷は若者の街だった。
- スジ盛りがいまでもよく見かけられた。
- 日焼けサロンがいまでも人気だったかも。
- 渋谷109ー2はいまでもメンズファッションの聖地だった。
メンズスパイダー[編集 | ソースを編集]
- V系バンドやV系文化がここまで下火になることはなかった。
- マルイワンがなくなることもなかった。
- ケラもまだ紙の雑誌として現役だった。
- SHOXXやキュアも廃刊にならなかった。
- 普通におしゃれな美容室やカフェ、ファッションビルなどの有線などでV系の曲が流れていた。
- ファッションビルがアニメビルに乗っ取られてしまうことはなかった。
- かつてストスナを行っていた宮下公園が行政に改悪されたあとは原宿でストスナを行っていたかもしれない。
- スジ盛りはまだ町中でよく見かけられた。
- TikTokのbgmでもV系の曲がよく使われていた。
- 男装モデルのルウトさんはメンズナックルに移動せず、いまでもメンズスパイダーで活動していた。
メンズナックル[編集 | ソースを編集]
- 史実でも割りと最近まで発刊していたので、あまり変わらないかもしれない。
- もう少し活気があって広い販路で流通していれば、史実の末期のメンズナックルのようにホスト業界の内輪雑誌のようになってしまうことはなかった。
- むしろスポンサーや広告ページはちゃんと美容系や服屋で埋まり、ちゃんとファッション雑誌らしくなっていた。
- スジ盛りがいまでも人気だったかも。
- 若者は史実ほど大人しくなりすぎなかったかも。
ラジオパラダイス[編集 | ソースを編集]
- アニラジの特集が組まれていた。
- QRとかは特に。
ラブベリー[編集 | ソースを編集]
2015年にムックという形で復刊しましたが、ここでは月刊誌として現在でも発売し続けていたらとします。
- AKB48の専属モデルのメンバーが増えていた。
- 姉妹ユニットも松井珠理奈にとどまらず、SKEはもとより、NMB・HKTからも専属モデルのメンバーが登場していた。
- しかし今までのラブベリーのモデルからはAKBに仕事を奪われたことで疎まれていただろう。
- バランスをとるため、さまざまなアイドルグループから専属モデルを募っていた。
- 例えば飯窪春菜がモーニング娘。に加入した縁で、ハロプロからの参加があったかもしれない。
- 今頃は乃木坂46のメンバーも専属モデルになっていただろう。
- いや、むしろ乃木坂のメンバーは受け入れなかったかもしれない。その分、モデル進出する乃木坂に対抗する形でAKBメンバーに力を入れていた。
- AKB48のメンバーが専属モデルとする雑誌は休刊に追い込まれるジンクスができず、「Cawaii!」の二の舞になることはなかった。
- 現在でもAKB48メンバーのモデル活動を躊躇することなく積極的に行われており、モデルの仕事が乃木坂46に奪われる事もなかった。
- 1990年代後半以降生まれのメンバーはここのモデルを務めており、加藤玲奈、岡田奈々、宮脇咲良、吉田朱里などが専属モデルを務めていた。
- AKB48の若手メンバーがラブベリーのモデルになったおかげで若手メンバーが伸び悩むことはなく、主要メンバーの平均年齢がインフレ化することもなかった。
- 1990年代後半以降生まれのメンバーはここのモデルを務めており、加藤玲奈、岡田奈々、宮脇咲良、吉田朱里などが専属モデルを務めていた。
- よってAKB48はグラビアを主体とした路線に走ることはなかった。
- AKB48は男性より女子中高生に支持される風潮が強まっていた。
- 姉妹ユニットも女子中高生からの支持が高まっていた。
- 現在でもAKB48メンバーのモデル活動を躊躇することなく積極的に行われており、モデルの仕事が乃木坂46に奪われる事もなかった。