もしあの駅が○○だったら

提供: chakuwiki
移動先: 案内検索
保護解除
このページは、「ブロック逃れによる編集強行」のため保護されていましたが、現在は解除されています。詳しい経緯はトークページをご覧下さい。
経過次第では再び保護される事もございますので、趣旨に合った投稿をお願い致します。
もしあの駅が○○だったら 目次
北海道 青森
秋田 岩手
山形 宮城

島根 鳥取

福井

新潟 福島
佐賀 福岡 広島 岡山
長野 群馬 栃木
長崎
大分


埼玉
宮崎 愛媛 香川
山梨 東京
鹿児島 高知 徳島 和歌山 愛知 静岡 神奈川
沖縄

北海道[編集]

南千歳駅[編集]

苫小牧方面から新千歳空港への乗り入れが可能だったら

90年代後半に検討されていたが没になった模様。

  1. それでも乗り入れる列車は数えるほどだったはず。
    • 「おおぞら」「とかち」の一部が新千歳空港発着となるも、設定から数年後に季節列車に格下げされる。
  2. 新千歳空港からトマムや富良野方面へ向かう臨時列車はもう少し長く運行されていた。

吉岡海底駅[編集]

旅客営業を行っていたら
  • 竜飛海底駅同様、地上に出られる設備自体は一応あるようです。
  1. 書類上は渡島吉岡駅の移転扱いとなっていた。
  2. 北海道側の青函トンネル記念館もここに建設されていた。
  3. 場所が場所なので利用客は竜飛海底よりも少なかった。

青森[編集]

竜飛海底駅[編集]

旅客営業を行っていたら
  • 吉岡海底駅と異なり、竜飛海底ではツアー客が地上に出ること自体は可能でした。
  1. 最初から駅として建設するつもりだった場合、ホームの幅がもう少し広くなっていた。
    • やろうと思えば北海道新幹線開業後も駅として残すことができたかもしれない。
  2. 青函トンネル記念館が事実上の駅舎となっていた。
    • 竜飛崎や階段国道も近いので秘境駅にはなっていない。
  3. 土合や筒石のように階段を使って地上に行く事も可能になっていた。
    • 但し、改札締切時間が、列車出発時刻の少なくとも30分前から最悪1時間前となる。または、竜飛海底駅ホームまで、実在する道の駅みんまやにある『青函トンネル竜飛斜坑線』を利用したかもしれない。実史でも、海底駅が営業していた時代に、「海底駅見学コース」(ゾーン539カード購入者のみ)海底駅から道の駅まで利用できた。
  4. 事実上、竜飛斜坑線と津軽海峡線(北海道新幹線)との乗り換え専用駅になっていそう。

宮城[編集]

仙台駅[編集]

仙石線ホームが地上に移転しなかったら

宮城電気鉄道時代の地下ホームが継続使用されていたら?

  1. 後の京成上野駅同様に改良工事を行い1面2線に増強された。
    • トンネル出口までの区間も複線になっている。
  2. 陸前原ノ町電車区の72系は先頭車に貫通扉が追加された。
    • 970番台は103系1200番台ベースの車体だった。
  3. 新性能化が史実よりも遅れ、1980年代に103系1000番台が転用されるか1500番台が新製投入される。
  4. 陸前原ノ町駅ー仙台駅地下化とあおば通延伸は行われていたのだろうか。

群馬[編集]

土合駅[編集]

エスカレーターが設置されていたら
  • 有名な長い階段の隣に不自然な空間がありますが、元々はエスカレーターを設置するスペースだったそうです。
  1. おそらく上りエスカレーターのみが設置されていた。
    • 場合によっては日本一長いエスカレーターが置かれることになっていたかもしれない。
  2. エスカレーターがあろうとも、あの長い階段を踏破しようとする猛者は多かったと思う。
    • メンテナンス等の観点から、途中でエスカレーターの乗り降りが可能な構造になっていた。
  3. 筒石駅が「嫌でも階段を上らなければ地上に出られない真のモグラ駅」と言われていた。

東京[編集]

東京駅[編集]

丸の内口駅舎が建て替えられていたら
  • 国鉄分割民営化直後、再開発計画の名目で駅舎が解体される可能性があったそうです。
    • 実はそれ以前にも何度か建て替え計画があったとか…。
      • 1950年代から国鉄による再開発事業が計画されていた。計画によれば赤煉瓦駅舎を解体し、八重洲口の鉄道会館のようなビルを建築し、商業施設にする予定であった。
        また、同様の計画は1966年、1977年にも発表されていた。
  1. 「伝統ある駅舎を解体するとは何事か」と、JR東日本を非難する声が相次いでいた。
    • 「分割民営化最大の失敗」「バブル期の無計画な建て替えの爪痕」などと言われていた。
    • 労働組合と市民を巻き込んだはげしい反対活動が行われていた。
  2. 八重洲口側の建て替えにも少なからず影響を及ぼしていたかもしれない。
    • 現在ほど八重洲口の再開発(グラントウキョウ)は行われていなかったか、行われていても小規模なものだった。
  3. 皇族専用の中央玄関が無くなるので、丸の内中央口から直接外に出られるようになっていたかもしれない。
  4. 東京ステーションホテルはビルの上層階にある高級ホテルになっていた。もしくは廃業していた。
  5. 東京駅は観光名所ではなくなった。
  6. 1977年に建て替えた場合国鉄の民営化が史実よりも早かった。
  7. 1986年の計画案の場合、数千億円もの金額を投じて建設されるため、「公社最大のバカ事業」と国会で貶されていた。
  8. 1958年の計画で建築した場合、近年建て替えた場合、1914年の駅舎が復元された可能性が高い
貨物駅が併設されていたら
  • 開業時には八重洲側に貨物駅を併設する予定があったらしく、その為に用意した土地が後に新幹線ホーム等に使われたとか…。
  1. 汐留ではなく東京が貨物の拠点を兼ねる事になるので、新幹線の起点には品川か新宿が選ばれていたかもしれない。
    • 後に貨物駅が郊外に移転したとすれば、東北新幹線が品川まで延伸する形になっていたかもしれない。
  2. 武蔵野線の開業が早まった可能性大。
東北新幹線のホームが地下に建設されていたら
  1. 中央線のホームが高くなることはなかった。
  2. 東海道本線のホームは3面6線のまま。
  3. 最初から東海道新幹線との直通を考慮しなかったらこうなっていた。
  4. 上野東京ラインの開業が史実よりも早まっていたかもしれない。
丸の内口駅舎が復元されなかったら

復元計画が出た時、「八角屋根のほうが歴史が長い」という声もあったらしいですが

  1. 丸の内再開発計画に影響があった。
  2. =耐震工事で3階建てにするのが無理だったからである。
  3. 空中権売買で復元費用を賄えないと判断された。
  4. 鉄道博物館あたりにドーム屋根時代の東京駅の模型が展示されていた。

新宿駅[編集]

京王線の駅が現在も東口にあったら

京王新宿駅は戦前には東口側の伊勢丹近くにありましたが、戦時中に変電所が戦災に遭って電圧が下がり、電車が新宿駅南口前の甲州街道の坂を登れなくなったため、駅を西口に移転したという経緯があります。もしこの戦災がなく、戦後も京王新宿駅が東口にあったらどうなったしょう?

  1. 専用軌道化したときに甲州街道に平行して国鉄(JR)を跨ぐ高架橋ができ、同時に京王新宿駅も高架駅となる。
    • 京王新宿駅はJR新宿駅から離れた場所となるので、乗り換えが不便になる。
    • 西口側にも駅ができるが、甲州街道の南側なのでやはり乗り換えは不便。
    • 不便なので京王新宿駅が東武や京成みたいになる。
    • 高架化ではなく地下化になっていた気がする。丸ノ内線の新宿三丁目駅に通路もつなぐだろうし。このときに「国鉄新宿駅前(←省線新宿駅前)」を「新宿南口」か「新宿」に改称していた。
      • 新宿南口(仮)駅は京王新宿(新宿三丁目?)駅を凌ぐ利用客数となるが、島式ホーム1面2線路で無理やり裁いていた。
  2. 都営新宿線は新宿三丁目駅まで。そこから西は京王新線となる。
    • 位置を考えると、地下化されていた場合は京王線にそのまま乗り入れだった可能性が高い。
  3. 新宿駅西口の土地は全て小田急のものとなり、小田急新宿駅は地平だけで5~6線のターミナルとなる。
    • その上にできた小田急百貨店も広大な店舗となる。
    • 西口は小田急、東口は京王のテリトリーとなり新宿高島屋は存在せず。
  4. いずれにせよ新町と幡代の2駅は廃止されていた。西参道は残っていたかも。
  5. マルイがある場所に京王百貨店新館ができていた。
    • 京王新宿追分ビルが京王百貨店になっていた。
京王線と京王新線のホームが分かれていなかったら
  • 笹塚までは複々線化されているとお考えください。
  1. ≒現在の京王新宿駅の用地を東急が使っていた場合である。
    • 本来東急の新宿進出用に使う予定だった用地なので、新宿駅に入る直前にあんな急カーブが出来たらしい。
  2. 京王線側の初台駅は廃止されないどころか、ホームが10両対応になっていた。
    • 幡ヶ谷駅は地上駅だったのでどのみち地下化されている。
  3. 新宿線への乗り入れはおそらく史実通り。
    • 新宿線側に引上線が作られるだろうから、全列車が新宿線に乗り入れることは無い…はず。
    • 千葉県営鉄道の計画が潰れていなければ、急行ではなく橋本特急が乗り入れていた。
  4. 新宿駅があそこまで過密ダイヤになる事は無かった。

原宿駅[編集]

現在も宮廷ホームが使われていたら

原宿駅の少し北側に皇族専用のホームが存在しますが、今のところ2001年から使われていない状態です。

  1. 天皇陛下が新幹線と在来線の使い分けを徹底していれば可能性はあった…かもしれない。
  2. E655系は宮廷ホームで公式に初披露されていた。
  3. お召列車を運行する際には、埼京線・湘南新宿ラインのダイヤ調整にかなり手こずっていた。
    • そのため新宿~大崎間の一部列車が運休になるため大顰蹙を買う。
臨時ホームと駅舎がつながっていたら

原宿駅には正月シーズンのみ使われる臨時ホームがありますが、明治神宮側としかつながっていません。

  1. 正月シーズン以外にも臨時ホームが使われていたかもしれない。
    • (例)竹の子族全盛期の1980年代ごろ。
  2. 明治神宮側の臨時改札口も本格的な作りになっていた。

渋谷駅[編集]

埼京線のホームが離れていなかったら

再開発計画で移転の予定がありますが、ここでは埼京線の営業開始時からホームの位置が山手線の隣だったとして考えます。

  1. 東横線の駅舎に干渉しかねない為、物凄い難工事になっていた。
    • 山手線のホームを上下線で分けるにしても、史実とは違う形(東山線の名古屋駅方式?)になっていた。
    • 副都心線の直通運転の準備と称して埼京線延伸時点で地下に移設されていたかも。
  2. 新南口は建設されず、貨物ホームの跡が放置されていた。
  3. 渋谷より恵比寿の方が乗り換えが便利と言う事にはならなかった。
    • 史実通り埼京線が恵比寿に停車していたとしても、大崎延伸以降は文字通り普通の中間駅になっていた。
地下ホームの管轄が東京メトロのままだったら
  • 史実では副都心線開業と共に東急に管轄が移管されました。
  1. 東急側からすれば自社のターミナル駅であるはずの渋谷を他社が管轄する事になる異常事態になっていた。
    • 東横線地上ホーム最後の日にこれに関する言及が少なからずあった。
  2. 半蔵門線ホームの駅名標等を取り換えずに済んでいた。

新木場駅[編集]

京葉線とりんかい線のホームが同一階にあったら

史実では2F:りんかい線、4F:京葉線なので、改札も別かつ乗換にも乗り降りを要します。

  1. 京葉線が最初から旅客運用を前提としていれば有り得た。
  2. 赤坂見附のような構造だと首都高にぶつかりかねないので、京葉線開業後に線路を4Fに付け替え…と言うのが自然だろうか。
    • いずれにせよ運営会社や京葉線側のカーブのせいで2面4線の対面乗換構造にするのは難しそう。
    • りんかい線は東雲まで下り勾配が続いていた。
  3. 有楽町線のコンコースが史実よりも広くなっていた。

御茶ノ水駅[編集]

駅改良工事が1980年代にあったら

1988年ごろ、御茶ノ水駅を3階建てに建て替えて1階に改札、2階に水族館とホール、3階には美術館を作るという計画が検討された。

  1. この時点で御茶ノ水橋口、聖橋口、臨時改札口がコンコース内でつながっていた。
    • 臨時改札口も終日利用可能になっていた。
  2. エレベーターやエスカレーターは設置されていた。

信濃町駅[編集]

臨時ホームが撤去されなかったら

千駄ケ谷駅と同様に臨時ホームがあったらしい。

  1. なぜか「創価ホーム」の異名がつく。
  2. 千駄ケ谷駅と同様2面2線化工事が行われていたかもしれない。

代々木駅[編集]

山手線池袋方面と中央・総武線千葉方面も対面乗り換え可能だったら

中央・総武線中野方面と、山手線内回り渋谷方面が同じホームで乗り換えできます

  1. 代々木駅は2面2線構造になっていた。
  2. 代々木駅の前後に大規模な立体交差が設けられていた。
    • 新宿駅にある高島屋とサザンテラスを結ぶ歩道橋は地下通路になっていた。

浅草駅[編集]

東武鉄道の駅改良工事が実現していたら

1997年に東武浅草駅の周辺地域の再開発と絡め、隅田川橋梁から直進した位置に10連4本が入れる駅を造ることが発表されたことがありましたが、現在に至るまで実現していません。もし実現していたら。

  1. 少なくとも東京スカイツリー開業までには完成していた。
  2. 北千住駅での分割・併結作業は史実より早く廃止された。
    • 今でも区間急行・区間準急の10両運転が残っていた。
  3. 松屋浅草の駅ビルは取り壊されていたか、別の商業施設になっていた。
  4. 直進した位置の終端部が浅草寺の二天門の近くになるため、土休日は観光客でごった返していた。

西武新宿駅[編集]

新宿ステーションビルに乗り入れていたら

今の西武新宿駅は仮駅で、新宿ターミナルビル(ルミネエスト新宿)に乗り入れる形でできる予定でした。しかし、ホームのスペースが狭いなどの理由で乗り入れが中止になりました。もし、乗り入れていたら…

  1. 早くても、1965年までに開業していた。その時は、8両編成に対応できる3面4線のホームを有するターミナル駅になっていた。
    • 1970年代には、10両編成に対応できるようになっていた。
    • 北口(歌舞伎町方面)にも、改札ができた。
  2. 西武新宿線の利用客が史実より多かった。
  3. 新宿駅の混雑が史実より激しくなっていた。
    • 混雑緩和のために、高田馬場駅は特急を含む全ての列車が停車していた。
  4. 新宿ターミナルビルは西武百貨店新宿店になっていたかもしれない。
    • その代わりに、プリンスホテル新宿は新宿西口駅付近にできていた。
  5. 西武新宿~西武秩父を結ぶ特急「おくちちぶ」が今も運行されていた。(史実では、1993年に廃止)
    • その代わりに、西武新宿~本川越間を結ぶ特急「小江戸」は運行されていないか、朝夕ラッシュ時に運行されていた。(史実より、運行本数が少なかった。)
  6. 単線になっている新宿線南大塚~本川越間は複線化されて、脇田信号場は、脇田駅になっていた。
    • 同じく拝島線玉川上水~武蔵砂川間も複線化されていた。
  7. 西武ライオンズがリーグ優勝や日本シリーズ制覇を果たした際には、祝賀パレードで賑わっていた。
  8. 新宿線・拝島線のダイヤが現在とは違うものになっていたかもしれない。
    • 西武新宿~本川越を結ぶ快速急行が廃止されることはなかったかもしれない。
  9. 東京メトロ丸の内線や都営地下鉄大江戸線だけではなく、JR線や小田急線や京王線や都営地下鉄新宿線との乗り換えも確実に便利になっていた。
  10. 西武バスも新宿駅周辺に乗り入れるバスが史実より多くなっていた。
    • 新宿駅と西武新宿線・拝島線沿線の駅を結ぶ深夜急行バスが運行されていた。

京急蒲田駅[編集]

史実より早く高架化していたら
  • 史実では、2010年10月に高架化されました。
  1. 早まった分、箱根駅伝の復路に配慮して、臨時ダイヤを組むことはなかった。
    • 2008年の第84回大会におけるアクシデントもなかったかもしれない。
  2. 早まった分、慢性的な交通渋滞も解消されていた。

上野駅[編集]

高層ビルに建て替えられていたら
  • 高さ300mの駅ビルを建てる予定で建築家に設計を依頼したものの、地元の反発・難工事・バブル崩壊で実現しませんでした
  1. 上野駅の乗降客減少の懸念は緩和されていた。
  2. 一方でバブルの塔などと揶揄されていた。
  3. 次は東京駅が建て替えられるといううわさが出ていた。
  4. 「JR側に頭端式ホームがある」、「駅ビルの高さが300m」から天王寺駅と比較されていた。
  5. カテゴリ削除まで「世界一高い駅ビル」のギネス記録はずっと上野駅になっていた。

神奈川[編集]

新横浜駅[編集]

在来線ホームがJR東海の管轄だったら

当然ですが新幹線ホームはJR東海の管轄、在来線ホームはJR東日本の管轄です

  1. この駅だけsuica導入が遅れていた。
    • 客から苦情が殺到しかねないから簡易リーダーぐらいは置かれていたと思う。但し設置費用はJR東が全額負担。
  2. 横浜線の快速が停車することはなかった。
    • かわりに小机に停車していた。
  3. 菊名以南が横浜支社、小机以北が八王子支社の管轄になっていた。

京急川崎駅[編集]

川崎駅と統合されていたら
  • 終戦後すぐに京急川崎駅を国鉄川崎駅に近い場所に移転させる計画があったそうです。
  1. 川崎駅の番線は京急からカウントされるようになっていた。
    • 東海道本線のホームは7・8番線になっていた。
  2. 大師線の車両留置はどこで行われていただろうか?少なくとも川崎駅周辺に新たに建設できるとは考えにくい。
  3. 線形が若干悪くなるので、京浜間の所要時間が少し伸びていた。
  4. 南武線沿線から羽田空港への利便性が少しだけよくなる。
    • 当然、川崎駅には中間改札が設けられていた。
  5. 大師線の川崎大師以北の地下化が成功していたかもしれない。

矢向駅[編集]

特定都区市内における横浜市内駅に含まれなかったら
  1. 一部の川崎市の駅が横浜市内駅に含まれることはなかった。
    • あるいは川崎市内の駅ができていたかも。

長野[編集]

南小谷駅[編集]

現在もJR東日本からJR西日本への乗り入れが行われていたら
  1. リゾートビューふるさとは糸魚川まで向かっていた。
  2. 松本~糸魚川間の特急も登場していた可能性も。
    • その場合、キハ189系が導入されそう。
  3. 南小谷~糸魚川間の電化が計画される構想が出る。
  4. 北陸新幹線金沢開通に伴いJR東日本への移管話が出ていたかも。

新潟[編集]

ガーラ湯沢駅[編集]

正真正銘在来線の駅として作られていたら
  • 元々新幹線の保線基地だった所を流用した為に新幹線の車両が入線していますが、その点については考えない事にします。
  1. 史実でも道路の向かい側に上越線が通っているので、新線を作らずに直接駅を建設した可能性が高そう。
    • 通過列車も多いのでゴンドラ以外は通年営業になっていたかもしれない。
  2. 北陸新幹線開業まで「はくたか」の一部が臨時停車していた。
    • むしろ「水上」がガーラ湯沢まで乗り入れていた。
      • 開業当初は「シュプール号」が関東各地からひっきりなしに運転されていた。
  3. 新幹線が来ない代わりに越後湯沢―ガーラ湯沢間にシャトル列車が運行されていた。
    • 但し他のスキー場に配慮するならば六日町辺りまで運行していそう。

福井[編集]

福井駅[編集]

当初の計画通りに高架化されていたら

当初は京福と在来線が2F、新幹線が3Fになる予定でしたが、諸般の事情で新幹線も2Fに建設される事となりました。

  1. おそらく在来線の高架化時点で新幹線のホームも建設されていた。
    • 但し金沢の様に開業までは特に内装工事などは行われていないと思われる。
    • 最初から高架ホームに乗り入れるので、えちぜん鉄道が新幹線ホームを間借りする事も無かっただろう。
  2. 新幹線ホームを2面4線にすることが出来ていたので、福井への暫定延伸が史実以上に現実味を帯びていた。
  3. 構造上福山駅と比較されていた。

愛知[編集]

豊橋駅[編集]

名鉄の改札・ホームが別に用意されていたら

豊橋-平井信号所間は史実通り飯田線と線路を共有していると考えてください。

  1. 流石に1面2線くらいは確保できていただろうから、協定をどうにかして急行以下の一部列車も豊橋に乗り入れていたかもしれない。
  2. どこかのタイミングで新豊橋駅との統合構想が浮かぶも、おそらく実現せずに終わる。
  3. 史実通り船町・下地を通過しても特に問題は起こらないだろう。
    • と言うかこの場合は逆に通過しないと面倒な事になりそう。
  4. 名鉄とJRの改札が隣り合わせになっている可能性大。
  5. その構造上JRと南海の関西空港駅と比較されていた。

金山駅[編集]

総合駅化が行われなかったら
  1. 金山橋駅自体は移転もしくは改装されていただろうが、JRとの乗り換えが至便になっていたかは未知数。
    • 神宮前までの複々線化にも何かしらの影響が出ていそう。
  2. 「しなの」は現在でも金山を通過していた。
  3. 名古屋駅への一極集中が現実以上に進んでいた。

勝川駅[編集]

高架化時点で城北線が中央線ホームに乗り入れていたら

既に乗り入れ準備のための用地は用意されていますが、今のところ乗り入れ予定はありません。

  1. それでも大人の事情で電化や直通運転は行われない。
    • とは言え乗換に関しては史実よりも圧倒的に便利になっていた。
    • 線路自体は一応繋げているが、使われるのは検測の時くらいになっていそう。
  2. 仮ホームが高架上にあるので単線での乗り入れを余儀なくされていた。
    • 仮ホーム撤去後もこの部分だけ単線で放置されていた気がしなくもない。

徳島[編集]

徳島駅[編集]

史実よりも早く高架化されていたら
  • 史実では、完成時期は先行区間が2028年頃、全区間を2030年代半ばごろになる予定。因みに、国鉄時代でも計画されていた。
  1. 佐古駅とともに、1993年7月に高架化されていた。
    • 全体の完成が早くても、1996年頃か1997年頃になっていた。
    • 牟岐線の徳島~文化の森間も高架化されていた。
  2. 車両基地の移転が史実よりも早まっていた。
  3. 駅周辺の再開発が史実よりも進み、史実よりも賑わっていた。

福岡[編集]

博多南駅[編集]

九州新幹線開業時に駅が高架上に移設されていたら
  • 史実では九州新幹線の全線開業後も独立線区として残りましたが…。
  1. 新幹線の本線に駅を移すと該当区間が二重免許になってしまうので、博多南線は書類上では廃止扱いになっていた。
    • 同時に駅の管轄もJR九州に完全移管される。この為使用車両も800系とN700系に統一。
    • 運賃の急激な上昇を避けるために、博多-博多南間を利用する場合のみ特例運賃が設定される。
  2. 博多南止まりの列車を設定できなくなる代わりに、新鳥栖までのシャトル便が設定されていた。
    • 折り返し線の建設を名目として、長崎ルートの分岐部が暫定的に施工されていたかもしれない。
    • トンネルを抜ければすぐ新鳥栖なので、博多南に通過線は設置されない。



関連記事