もしあの駅が廃止されなかったら
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もしあの駅が廃止されなかったら 目次 | ||||||||||||||||||
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北海道 | 青森 | |||||||||||||||||
秋田 | 岩手 | |||||||||||||||||
山形 | 宮城 | |||||||||||||||||
山 口 |
島根 | 鳥取 | 兵 庫 |
京 都 |
福井 | 石 川 |
富 山 |
新潟 | 福島 | |||||||||
佐賀 | 福岡 | 広島 | 岡山 | 滋 賀 |
長野 | 群馬 | 栃木 | 茨 城 | ||||||||||
長崎 | 熊 本 |
大分 | 大 阪 |
奈 良 |
岐 阜 |
埼玉 | ||||||||||||
宮崎 | 愛媛 | 香川 | 三 重 |
山梨 | 東京 | 千 葉 | ||||||||||||
鹿児島 | 高知 | 徳島 | 和歌山 | 愛知 | 静岡 | 神奈川 | ||||||||||||
沖縄 |
- 路線ごと廃止された場合は除きます。
独立項目[編集 | ソースを編集]
北海道[編集 | ソースを編集]
上越駅(石北本線)[編集 | ソースを編集]
- ほぼ保線用の駅と化している。
- 秘境駅ファンもある程度来ていた。
- 標高634メートルということで東京スカイツリー開業の時に何か置かれていた。
- 「標高634m 北海道で最も標高の高い駅」と書かれたスカイツリー形の看板か。
- Chakuwikiやアンサイクロペディアで上越新幹線と引っ掛けたネタが書かれる。
- 新幹線と同じ駅名である新富士駅と交えたネタもできていた。
- 北陸新幹線上越妙高駅の仮称も違ったものになっていた。
- 佐久駅(佐久平駅開業前の仮称。北海道に同一駅名が存在。)の例があるから史実通りかも。
鹿越駅(根室本線)[編集 | ソースを編集]
- かなやま湖の開発とともに駅周辺に観光施設が作られた。
- 現在は少なくとも一部が廃墟化している。
- 駅西側でダム湖を渡る鉄道橋に並行して歩行者用の橋もできている。
- 秘境駅ファンの間ではけっこう人気がある。
- 木が茂りすぎていなければホームからかなやま湖を一望できそうなので。
- 東鹿越駅の説明がしやすくなっていた。
西永山駅(宗谷本線)[編集 | ソースを編集]
- 史実の跡地周辺に誕生した貨物駅と同名の「北旭川」と名乗っていたかもしれない。
- 貨物列車ファンの間でも撮影スポットなどとしてある程度知られていた。
- 現在の周囲は住宅地なので地域住民がそこそこ利用しているはず。
- すぐ側の操車場跡地の再開発でこの駅が重要な存在になっていた。
吉岡海底駅(海峡線)[編集 | ソースを編集]
- 今でも海底駅見学として活躍している。
- どうだろう。元々駅としての機能を前提としていないからかなり手を加えないと新幹線が通過する際に危険だと思うし。
- 残すとしたら美佐島駅以上に堅牢な壁でホームと施設が分離されたり、史実と同様に在来線規格のホームの撤去などの大改造が行われていた。
- どうだろう。元々駅としての機能を前提としていないからかなり手を加えないと新幹線が通過する際に危険だと思うし。
- どのみち北海道新幹線建設時には一時休止扱いになっている。
青森[編集 | ソースを編集]
竜飛海底駅(海峡線)[編集 | ソースを編集]
- 今でも海底駅見学として活躍している。
- こっちなら青函トンネル記念館もあるから吉岡海底よりも残せるチャンスはあったかもしれない。
- と言っても新幹線の関係上やっぱり大改造は必要になるが。
岩手[編集 | ソースを編集]
矢沢駅(釜石線)[編集 | ソースを編集]
- 当駅を移設して出来た駅ではないらしいので、東北新幹線としての新花巻駅は開業している。
- ちょうど国鉄時代における御庄駅と新岩国駅と似たような感じになる。
- なぜ新花巻と同一駅にしなかったのかという声が上がっていた。
- 下手すれば飯山駅や上越妙高駅の在来線側移設が行われなかった。
- 釜石線に新花巻駅を作るべきという声が出る。500mぐらいしか離れていないが、新幹線のために出来た富山地方鉄道新黒部駅と舌山駅(こっちは両駅の距離は300mぐらい)の例があるので可能なはず。
- 鹿児島交通の永吉駅も残っていたら矢沢永吉ファンが両駅を合わせて「矢沢永吉」になるとしてネタにしていた。
- 「矢沢→永吉」の切符が人気になっていたかも(会社が違うので発売できたかどうか…)。
山形[編集 | ソースを編集]
蟹沢駅(奥羽本線)[編集 | ソースを編集]
- さくらんぼ東根駅は存在しなかった。
- 山形新幹線の停車駅になっていた。
- この場合は「新東根」とでも名乗っていた。
- 「またしても東根市中心部への駅設置を逃してしまった」と痛恨事として語られる。
- またしても何も停まらない東根市さん
宮城[編集 | ソースを編集]
三百人町駅(東北本線)[編集 | ソースを編集]
- 若林区唯一のJR駅なのである程度重要視された。
- バス路線もこの駅への連絡を考慮したものになっている。
- すぐ側を通る県道235号は一部区間が拡幅されていた。
- 東北新幹線の高架工事のついでに駅舎の建て替えも行われた。
- 近年になって一部で「若林駅」への改称が検討されている。
山梨[編集 | ソースを編集]
甲斐善光寺仮停車場(中央本線)[編集 | ソースを編集]
- 管理が面倒くさいという理由で身延線善光寺駅とは別駅扱いになっていたかもしれない。
- 同一駅扱いだった場合、身延線は民営化後に善光寺~富士の路線になっていた。
- 国鉄時代は身延線は甲府が起終点で東京西局と静岡局の局界は善光寺~南甲府に置かれていた。
- だとすると金手は布原と同じ扱い?
- 特急かいじが臨時停車していた。
長野[編集 | ソースを編集]
フォトデッキ駅(小海線)[編集 | ソースを編集]
- JR一高い駅になっていた。
- それでも覚えやすい野辺山駅の標高のほうが浸透していた…かもしれない。
- でも観光業者に配慮して停車するのは臨時列車のみ。
静岡[編集 | ソースを編集]
袖師駅(東海道本線)[編集 | ソースを編集]
- 現実でも復活運動があるので現存していてもおかしくはなかった。
- それどころか占領期には常設駅昇格の予定もあったが諸般の事情により中止。
- たぶん委託駅。
- 袖師地区の人口は史実よりやや増えていた。
- 工場が多く立地しているので通勤客に重宝された。
- 現在は橋上駅舎に建て替え。
愛知[編集 | ソースを編集]
愛知駅(関西本線)[編集 | ソースを編集]
- 関東で言ってみれば「有楽町」と同じか。
- 国有化当時だと駅間が約200メートルしか離れていないのでおそらくまともに機能していない。
- なお東京-有楽町の距離は約800メートル。
- 名古屋駅が北に移設されたので現在は愛知駅地点とは600mほど離れてる。しかし駅前がほぼ笹島貨物駅のヤードなので旅客駅としての発展余地が(近年の笹島再開発に至るまで)ほぼ無い。
- 国有化当時だと駅間が約200メートルしか離れていないのでおそらくまともに機能していない。
- 東海道新幹線(弾丸列車)停車の計画もしていたはず…。(個人的には現実と同じになりそう)
- 近鉄と乗り換えする利用者は多分いない。
- 都市名を名乗る駅の隣に県名を名乗る駅があるという意味で神奈川駅や兵庫駅と何かと比較されていた。
土居下駅(名鉄瀬戸線)[編集 | ソースを編集]
- おそらく地上駅。
- 普通しか止まらない無人駅。
- ここから南は地下、という構造。
- 東大手駅はもう少し南にあった。
- 明和高校の最寄り駅はここになっていた。
- いつか「高校前」に改称するかもしれない。
- 椋岡駅みたいに朝と夕方のラッシュ以外普通が通過していた。
枇杷島橋駅(名鉄名古屋本線)[編集 | ソースを編集]
- 度々ホーム延伸の議論が起きていた。
- 1970年代に、ホームを都営新宿線東大島駅みたいな構造にすることに。
- 1958年の庄内川橋梁の架替時にホーム延長がセットで行われただろう。名古屋市側からの利用を考慮して武庫川駅みたいになっていた可能性がある。
- その場合、栄生と枇杷島橋に挟まれた東枇杷島駅が広江駅や東知立駅と同様、昭和43年に廃止に追い込まれた可能性もある。
- 度々高架化の計画が上がるものの、配線が複雑すぎてなかなか進展しない。
- あの狭さ、トランパス導入時に苦労しそう。
- 南宿駅や喜多山駅のような改札の構造になっているかもしれない。
- 「乗換駅として主要駅扱い(↓)」+「庄内川橋梁の架替時に改良(↑)」だとしたら案外立派な駅舎が古くから建ってたかも。
- 西枇杷島駅は戦後復活せず、昭和44年に他の休止駅とまとめて廃止。
- 西枇杷島信号場として犬山線の下砂杁信号場同様にダイヤ上のみ存在する地点に。
- 枇杷島分岐点~名鉄名古屋の折り返し乗車特例がなかった。
- 代わりに当駅が急行停車駅とされていた可能性あり。その場合、栄生は今なお急行の通過駅に。
- 栄生の優等停車はこの駅があっても無関係なので揺るがないと思うが、二ツ杁の優等停車が無くなりそう(元々緩急接続できない構造だし)。
- 代わりに当駅が急行停車駅とされていた可能性あり。その場合、栄生は今なお急行の通過駅に。
愛岐駅(名鉄広見線)[編集 | ソースを編集]
- 犬山もえぎヶ丘の住民は善師野駅が遠くて不便という欠点がないためより名鉄を利用していた。
- 犬山もえぎヶ丘は駅が近いためより発展していた。
- そのため「もえぎヶ丘」に改称されたかも。
五郎丸駅(名鉄小牧線)[編集 | ソースを編集]
- おそらく市民病院の利用者が大半。
- イオンの出店計画はより加速していた。
- 国道41号ぞいはより発展していた。
- 2015年のラグビーW杯で、一躍脚光を浴びた。
- JR飯田線「小和田駅」みたいになったかも。
椋岡駅(名鉄河和線)[編集 | ソースを編集]
- こんな駅が存続する以上、何かしらのテコ入れがなされる。
- 少なくとも普通の特別通過は廃止されているかもしれない。
- 布土駅や弥富口駅等も廃止されていないと思われる。
- 椋岡の半分くらいまで利用者が減っていた弥富口駅だけは廃止された可能性が高い。
- 阿久比が開業していなかったら普通のみ停車の駅として残っているかもしれない(ネタ殺し?)
布土駅(名鉄河和線)[編集 | ソースを編集]
- 移転と同時に急行の標準停車駅になっていたことが前提。
- 2011年12月17日のダイヤ改正で特急を含む全列車停車駅となっていた。
三河荻原駅(名鉄西尾線)[編集 | ソースを編集]
- 同時期に廃止されていた駅の中ではまだマシな方だったので、吉良町が投資していれば残った可能性が高い。
- ダイヤの方針は忠実通りと思われるので、現在は急行 (全列車) 停車駅になっているはず。
- 伸びもある程度は期待できる…はず。
ナゴヤ球場正門前駅(名古屋港線)[編集 | ソースを編集]
- 名古屋港線が全線旅客化されていれば間違いなく残っていた。
- 地下鉄名港線にも何かしらの影響があったはず。
- 昭和期に旅客化していたら、名港線は船方経由になっていた。平成に入ってからは…知らない。ポートメッセに向かうルートとして無理やり活用するしか。
- とは言え名鉄のナゴヤ球場前駅が山王に改称されたので、こちらも改称は避けられなかったと思われる。
- 無難に「露橋駅」とか。
- 地下鉄名港線にも何かしらの影響があったはず。
- ここが残っていても尾頭橋駅の開業には影響しない…はず。
- 無論同一駅にもならず、加美・新加美や福島・新福島のように「距離こそ近いが別駅」扱いになる。
- どうだろう。ここが残る以上、JRAはわざわざお金を出してまで尾頭橋駅を作るメリットがあまりないし。
- いや、JRAや地元住民としては名古屋港線より本数の多い東海道線に停車してほしいはずだろう。だから結局尾頭橋駅開業と入れ替わる形で(以下ネタ殺し)
聾石駅(名鉄瀬戸線)[編集 | ソースを編集]
- 「旭前駅」は存在しなかった。
- 駅名にもなっている名勝「つ××石」の最寄り駅ということで現実より多少はその石が知られた存在になっていたかもしれない。
- 駅名に差別用語が入っていることから、昭和末期あたりにろうあ者の団体が駅名改名運動を引き起こしていた可能性あり。
- アンサイクロペディアあたりで「聴覚障害者石駅」とか「聴覚的にチャレンジされた石駅」とかにされていた。
岐阜[編集 | ソースを編集]
新垂井駅(東海道本線)[編集 | ソースを編集]
- 現在でも下り列車しか止まらない。
- 残っていても結局垂井線を増設していた可能性が高い。
- 但し史実と異なり、大垣~関ヶ原の折り返し運用専用になっていた可能性はある。
- ならない。新垂井経由をJR西日本所有にし、JR東海電車は垂井線経由で関ヶ原折り返しにしてもいいくらい。
- 天下の東海道本線にも「秘境駅がある」と話題になっていた。
赤坂本町駅(西濃鉄道市橋線)[編集 | ソースを編集]
- 赤坂支線の電化に伴いこの駅まで電化されていた。
- 運転系統は基本的に「大垣~赤坂本町」のみ。
- 美濃赤坂駅は通過可能の構造に改修されていた。
- 西濃鉄道の旅客営業が続いていた。
- 旅客営業が再び市橋駅まで延長していた。(史実では赤坂本町駅で短縮。)
- 電化しないなら樽見か長良川か名鉄の気動車が使われていた。
東方駅(養老鉄道養老線)[編集 | ソースを編集]
- ニコニコ動画でネタにされるのは確実。
- 東方Project関連の書き込みだらけの駅ノートが置かれていた。
- 何かにつけて新潟交通ときめき駅と対比されていた。
- アンクロもネタになっていたはず…。
- なお、韓国にも同名の駅が存在していたが、やはり廃止されている(史実)。
- そっちが残っていたら東方神起ファンの聖地になっていたか?
春照駅(東海道本線)[編集 | ソースを編集]
- 長浜方面への線路は廃止されている。
- 難読駅名として名を馳せていた。
- 美濃赤坂支線同様、東海道線の支線の終点として書籍等で取り上げられる機会も多くなっていた。
- 深谷駅は貨物駅から信号所に格下げされている。
八ツ又駅(名鉄揖斐線)[編集 | ソースを編集]
- 樽見鉄道北方真桑駅との乗換で利用者が激増し、名鉄揖斐線の廃止もまぬがれていた。
富山[編集 | ソースを編集]
芦峅寺駅(富山地鉄立山線)[編集 | ソースを編集]
- 立山博物館や近隣のスキー場などへの最寄り駅として観光シーズン中はにぎわう。
- 駅の構造上急な階段の上り下りが避けられない。
- 道路に上がるまでがかなり大変だった。
- 史実とは逆に西隣の本宮駅が廃止されていた。
- 同じ路線の「岩峅寺駅」と混同されることが多々ある。
- 立山大橋の早期開通が前提だろう。
滋賀[編集 | ソースを編集]
上関寺駅(京阪京津線)[編集 | ソースを編集]
- 一部でJR大津駅との乗換駅として案内されていた。
- 駅周辺の逢坂地区はもう少し人口が多かったかもしれない。
- しかし駅自体は多分あまり賑わっていない。
京都[編集 | ソースを編集]
八条駅(近鉄京都線)[編集 | ソースを編集]
- 当初の予定通り路線を京都駅烏丸口まで延長できていないと意味がない。
- そうでなければ高架化とともに京都駅に飲み込まれていた。
- 利用者は地元の人ばかり。
- 一応「京都水族館の最寄」とは紹介される。
- イオンモール開業後はその最寄り駅としてそれなりに賑わう。
緑化フェア梅小路駅(山陰本線)[編集 | ソースを編集]
- 現在の駅名は「梅小路公園」。
- 京都鉄道博物館がオープンすると最低でも副駅名にその名がつけられる。
- やや西側の梅小路蒸気機関車館に近い位置に移転していた。
- 京都水族館開業以降海洋生物をモチーフにした装飾が急増。
- 上にある通り京都鉄道博物館の開館を意識した改装が行われると思うのだが。
- 快速は止まらない。
- 2015年2月2日、駅名未定・位置は西方(大阪方面からの合流部付近)にずれながらも再設置決定を発表。
- 梅小路京都西駅ではなく、梅小路駅の名前で通っている。
壬生駅(嵐電嵐山本線)[編集 | ソースを編集]
- 71年(史実の廃止時)に千本通りとの交点に移転した。
- 壬生寺へのアクセスは向上している。
- 07年に「壬生寺」と改名された。
- 嵯峨野線二条-丹波口間の新駅計画ももう少し現実味を帯びていた。
物集女駅(阪急京都線)[編集 | ソースを編集]
- 洛西口駅はなかった。
- というか、現実の洛西口駅と同じ場所に物集女駅がある。
- 全国でも屈指の難読駅名となっていた。
- 現在は洛西ニュータウンなどからのバスが駅前に乗り入れている。
大阪[編集 | ソースを編集]
万国博西口駅(阪急千里線)[編集 | ソースを編集]
- 山田駅は大阪モノレール開業と同時に乗り換え駅として開業していた。
- と言うか大阪モノレールが万国博西口駅に接続する形になり、山田駅は開業すらしなかったのではないだろうか。
- その場合はこの駅が山田駅に改名されていた。
- もともと万博目的の臨時駅で閉幕後に常設駅になった南茨木駅の例があるのでこうなっていても不思議ではなかった。
- 現在の駅名は「万博公園西口」か。
- 万博公園でのイベントなどの際に裏口として重宝される。
応神御陵前駅(近鉄南大阪線)[編集 | ソースを編集]
- 戦後に駅名が変更された。
- おそらく所在地の地名である「古室」を名乗っている。
- 近年の駅舎改築で古代建築を意識した駅舎になっていた。
- しかし利用者は地元住民と一部の古代史マニアくらい。
- 現在はあちこちに「百舌鳥・古市古墳群を世界遺産に」というポスターが貼られている。
花壇町駅・大学前駅(阪急千里線)[編集 | ソースを編集]
- 現在ある関大前駅は開業されず。
- 大学前駅が「関大前駅」に改称されていた。
- 花壇町駅は現在は「第一高前駅」に改称されている。
片町駅(京阪本線・JR片町線)[編集 | ソースを編集]
- 京阪・JRとも廃止されなかった場合、京阪本線とJR学研都市・東西線との乗り換えは京橋よりもこちらの方が便利になっていた。
- JR側は東西線の開業に伴い地下に移設された。
- 大阪城北詰駅はなかった。
- 大阪城北詰が仮称通り片町になっている可能性もある。
- その場合、JR東西線の起点は片町駅(現実の大阪城北詰駅)となっていた。
- 大阪城北詰が仮称通り片町になっている可能性もある。
- OBPに行く場合、場所によっては京橋駅よりもこちらの方が便利になっていた。
- 京阪は恐らく普通のみの停車駅となっていただろう。
- 現実よりも「片町線」と呼ぶ人が多くなっていた。
- 因みにJR東西線と片町線の境界は現在も片町駅。
- 京橋駅は高架化で移転はするものの場所は大阪環状線の東側に建設されていた。
- 地下鉄長堀鶴見緑地線京橋駅は現実より少し西寄りに建設され京阪片町駅と接続するような構造となり、駅名も「京橋片町」もしくは「野田橋」となっていた。また、コムズガーデンはJR京橋駅と結ぶ地下街となっていた。
- 片町駅に近い大阪ビジネスパーク駅が片町駅を名乗っていたかもしれない。
豊野駅(京阪本線)[編集 | ソースを編集]
- 2面4線の待避可能駅となっている。
- 香里園駅の待避線はなかった。
- 現在は急行・快速急行停車駅となっている。
- 寝屋川市役所への最寄駅であることから「寝屋川中央」とかいう駅名に改称されていたかもしれない。
- 寝屋川市駅は現実よりも大阪寄りにある。
- こちらには急行が停まらなかったかもしれない。
- そもそも寝屋川市駅の移設が行われていない。
- もしくは寝屋川市駅移設に伴い、この駅を外環状線の近くに移設する形で存続。イオンモール開業後はその最寄り駅としてそれなりに賑わう。
- 高専の最寄駅としても、便利になる。
- もしくは寝屋川市駅移設に伴い、この駅を外環状線の近くに移設する形で存続。イオンモール開業後はその最寄り駅としてそれなりに賑わう。
- あるいはこちらが「寝屋川市」駅を名乗り、現実の寝屋川市駅は「木田」か「大利」駅を名乗っていた。
- もちろん市の中心駅はこちらで、急行も停車していた。
孔舎衛坂駅(近鉄奈良線)[編集 | ソースを編集]
- 新生駒トンネル建設に伴い駅が移転していた。
- 近鉄でも有数の難読駅名となっていた。
- 何て読むの?
- 逆に石切駅は移転しなかった。
- 現実よりも大阪寄りにあるため、石切神社に行くのに距離が短くなっていた。
- それでも待避線の設置は行われていた。
- 準急と普通のみが停車していた。急行(1978年に登場した2代目)は停車しなかった。
京阪神磐船駅(京阪交野線)[編集 | ソースを編集]
- 河内森駅は開業しなかった。
- JRとの総合駅になり、学研都市線との乗り換えも便利になっていた。
- 現在は「河内磐船」に駅名が変更されている。
玉出駅(南海本線)[編集 | ソースを編集]
- 岸ノ里駅の駅名は変更されなかった。
- 高架化に際して岸ノ里駅は少し北側に設置されていた。
- 本線と高野線の乗り換えが少し便利になっていた。
大和田駅(阪神本線)[編集 | ソースを編集]
- 大阪府内に大和田駅は2つあることになっていた(もう1つは京阪本線の大和田駅)。
- 路線が異なりしかも離れているので間違う人は少ないと思われる。
- ちょうと地下鉄中央線とJR大和路線の高井田駅みたいなことになっていた。
- 千船駅はやや神戸寄りにある。
- 駅名も千船ではなく佃だったかも。その場合京阪との同名回避のため大和田駅の方が千船駅に改称されていた可能性もある。
- 駅名が改称されなかった場合、このページで取り上げられていた。
網島駅(JR片町線)[編集 | ソースを編集]
- 片町駅は貨物専用駅となった後廃止された。
- 路線名も「片町線」ではなく「網島線」となっていた。
- 後に城東線(現・大阪環状線)との交点に京橋駅が開設されるが現実の京橋駅よりやや北側に設置された(網島線・城東線とも)。
- それに伴い網島~桜ノ宮間は廃止。
- JR東西線開通までは現実の片町駅と同様都会の中にある行き止まりローカル駅となっていた。
- JR東西線の開通に伴い地下化されていた。
- ただ駅名は大阪城北詰になっていなかったかもしれない。
龍神駅(南海本線)[編集 | ソースを編集]
- 堺の表玄関として役割は堺駅よりむしろこちらかも知れない。
- それでも特急は堺に停車しこの駅は通過する。
- 急行は一貫して停車し続ける。
- 堺駅とあまりに近いため統合する計画は依然としてあるだろう。
- 堺駅を「龍神」と呼ぶ明治・大正生まれはいなかった。
- 和歌山県の温泉街と勘違いする人が出ていただろう。
- そういう意味で福岡市営地下鉄七隈線の別府駅と比較されていた。
(旧)吹田駅・市役所前駅(阪急千里線)[編集 | ソースを編集]
- 市役所前駅は後に吹田市役所前駅に改称されていた。
- JRと阪急の吹田駅が離れていたのは現実と変わらず。
兵庫[編集 | ソースを編集]
鐘紡前駅(山陽本線支線)[編集 | ソースを編集]
- カネボウ倒産後は駅名が変更されていた。
- 神戸大空襲により鐘紡の工場が廃業に追い込まれた際に鐘紡関連の施設は完全に消滅したので変更の時期は遅くとも1950年代。
- 新駅名は「競輪場前」→「御崎公園」。
- やはり朝夕しか列車が来ない。
- ただしサッカー試合の開催日には臨時列車を増発。
菊水山駅(神戸電鉄有馬線)[編集 | ソースを編集]
- 登山道の整備か何かが行われていないと存続させてもらえなかっただろう。
- あるいは駅自体の整備による観光地化が行われていた。
- むしろここも神戸市お得意の山上開発が行われ、市のベッドタウンへと発展していた。
- 秘境駅ということで駅ノートが置かれている可能性が高い。
西宮東口駅(阪神本線)[編集 | ソースを編集]
- JR西宮駅との乗り換えは現実よりも近かった。
- 西宮駅は高架化にあたって東側(梅田寄り)に移動することはなかった。
- 地上時代の駅と同じ位置で高架化されている。
- 現在でも普通電車のみの停車だっただろう。
池田駅(摂津鉄道)[編集 | ソースを編集]
- 福知山線から分岐する行き止まり駅になっていた。
- 所在地は川西市でも駅名のとおり池田市の駅として機能している。
- 能勢電鉄もこの駅を起点に計画され、却下された結果阪急池田駅に接続していた。
鹿塩駅(阪急今津線)[編集 | ソースを編集]
- 仁川駅とともに阪神競馬場への最寄駅として機能していた。
- 大多数の人は仁川駅を利用するだろうが、混雑緩和のためこちらを利用する人もいただろう(特に宝塚方面へ行く場合)。
西宮戎駅(阪急神戸線)[編集 | ソースを編集]
- 当初は臨時駅だったが、後に常設駅に昇格していた。
- 無理をすれば阪神西宮駅まで徒歩連絡できるようになっていた。
- 阪急における西宮市役所への最寄駅としても機能していた。
- 恐らく特急は停車しないだろう。
- 駅名の割に西宮神社には遠いと言われていた。
- そのため、「越水」あたりに駅名が変更されていたかもしれない。
- 現在は国道171号との交点あたりに駅が存在している。
奈良[編集 | ソースを編集]
屯鶴峰駅(近鉄南大阪線)[編集 | ソースを編集]
- 現在は秘境駅扱いされている。
- 屯鶴峰はもう少し開発されていた。
- 知名度も上がっているはず。
- 香芝総合公園近くの団地開発に伴ってやや東への移転が検討されている。
油阪駅(近鉄奈良線)[編集 | ソースを編集]
- 近鉄奈良駅地下化の際に一緒に地下化されていた。
- 徒歩連絡は必要なものの、JR奈良駅との乗換駅として重要な存在になっている。
- JR奈良駅高架化の際にはJR奈良駅が北寄りに移設されて油坂口が設けられ、JR⇔近鉄の乗換えがさらに便利になっていた。
- 特急はともかく急行や快速急行の停車駅になっていた可能性が高い。
- 新大宮駅は開業しなかったか、奈良市役所の最寄駅ということで近鉄奈良駅地下化後に改めて開業していた。
- 現実よりも少し西側にできていたかもしれない。
- 奈良そごう(現ミ・ナーラ)や平城宮跡へ行くにも便利になっていた。
- 奈良そごうは閉店しなかったかも。
- 平城遷都1300年を機会に駅名も「平城宮跡公園」に変更されていたかもしれない。
- 奈良そごう(現ミ・ナーラ)や平城宮跡へ行くにも便利になっていた。
- 駅舎も橋上化されていた。
- 現実よりも少し西側にできていたかもしれない。
キャンプ・カー駅(近鉄奈良線)[編集 | ソースを編集]
- 公園整備で臨時駅から昇格する。
- 平城宮跡へは西大寺でなく、この駅で下車。
- 奈良そごう→イトーヨーカドー奈良店→ミナーラも新大宮駅よりもこちらの方が近くなっていた。
- 「平城宮跡歴史公園前」に改称する。
- あるいは「平城宮跡公園」。
- 駅名改称までは珍駅名として注目されていた。
和歌山[編集 | ソースを編集]
築地橋駅(南海和歌山港線)[編集 | ソースを編集]
- 両隣の久保町駅・築港町駅の廃止と同時に設備が近代化されていた。
- 近隣住民の利用を促す何らかの方策が行われていた。
- 各停と特急・急行のダイヤ調整に苦労している気がする。
広島[編集 | ソースを編集]
新宮島駅(広電宮島線)[編集 | ソースを編集]
- そのまま「阿品」駅に転用されていた。
- 田尻駅が「広電阿品」に改名された際には「北阿品」と改名された。
- 戦時中まで折り返し用のポイントが残っていた。
- ちょうど西広島バイパスと国道2号線の合流地点のそばに位置しているのでバイパス建設時にスペース確保のため史実以上の規模で埋め立てが行われた。
八田原駅(福塩線)[編集 | ソースを編集]
- 八田原ダムは出来ないし、八田原トンネルも出来ていない。
- ダムはあっても別の所で出来ていたはず。
- もっと上流だと貯水量が確保できず、もっと下流だと立ち退き世帯がさらに増えそうなので現実の位置以外ではおそらく無理。
- 長島ダム建設に伴う大井川鉄道の付け替えと同じように湖岸に新線を建設していた。
- この場合県道56号と404号の交点あたりに移転後の八田原駅が開業していた。
- ダムはあっても別の所で出来ていたはず。
鳥取[編集 | ソースを編集]
白兎仮乗降場(山陰本線)[編集 | ソースを編集]
- 地元住民以上に観光客が多く利用していた。
- 特に夏場は海水浴客のために快速が臨時停車することもある。
- それでも「スーパーはくと」が停車するほどの利用者数はない。
- ホームなどに因幡の白兎にちなんだ飾り付けが行われる。
- てゐ。
愛媛[編集 | ソースを編集]
出合駅(伊予鉄郡中線)[編集 | ソースを編集]
- ドラマ「東京ラブストーリー」放映直後に「梅津寺(ロケ地)-出合」の切符がよく売れた。
- 「恋愛成就のお守り」として伊予鉄当局も盛んに宣伝していた。
- 現在でも駅名にちなみ婚活イベントに使われることがある。
- 重信川と石手川の合流地点付近にあるので洪水でたびたび被害を受けていた。
福岡[編集 | ソースを編集]
東小倉駅(日田彦山線)[編集 | ソースを編集]
- 小倉駅乗り入れ後も日田彦山線の列車は東小倉発着だった。
- 一方鹿児島本線側にはホームが設置されていない。
佐賀[編集 | ソースを編集]
世界炎博駅(松浦鉄道西九州線)[編集 | ソースを編集]
- 博覧会終了後すぐ「黒川」に改名していた。
- 実際にそうなったと思ってたんだが、いまの黒川駅とは微妙に位置が違うのか・・・
- 当初から恒久設置のつもりなら確実に駅舎が凝った作りになっていた。
- 例:装飾に有田焼のタイルが使われる。
- 特徴的な駅舎を紹介する本やウェブサイトでよく取り上げられている。