もしあのJリーグのクラブが○○だったら
2009年に東京ヴェルディ、大分トリニータが倒産していたら[編集 | ソースを編集]
2009年に東京ヴェルディ、大分トリニータは経営危機を迎え、両チームとも運営会社が倒産寸前まで行きました。史実では2チームとも何とか乗り切りましたが、仮に少なくとも片方が倒産していたら?
両チームとも倒産していたら[編集 | ソースを編集]
- シーズン終了後に検証本が出る事は必須
- ヴェルディ、トリニータがJリーグから借りる資金は史実より少なかった(回収不能になる可能性が高いが・・・)
- 根拠としてJはスカパーとの契約が残っているため、シーズン終了後までチームを存続させないとリーグが大幅に赤字となってしまうため
- 仮にシーズン終了を待たずに両チームとも倒産、残り試合が開催不能なんて事になったら大規模な訴訟沙汰に・・・
- Jリーグへの加入条件が大幅に強化される
- 恐らくJ3の誕生は5年以上遅れていた
- 場合によっては10年近く凍結される可能性も・・・
- 史実では2014年から導入となる「Jリーグライセンス制度」が2011年にはできていた。
- ヴェルディのユースについては以下に
東京ヴェルディが倒産していたら[編集 | ソースを編集]
- 新聞に「名門最悪の結末・・・」と書かれる事が必須
- 元・親会社の読売新聞はJリーグのやり方を徹底的に批判していた。
- 一方ネットでは「ナベツネざまぁwww」の声が。
- サポーターの間でもアンチを中心に「自業自得だ」「フリューゲルスの時と違って同情できない」などの声が出る。
- トリニータが存続した場合、一部のサポーターから「見せしめのために潰された」と批判される
- 新会社設立で結局史実通り存続の可能性も
- 女子チームの日テレベレーザは、FC東京または川崎フロンターレが引き取る
- ユースチームは切り売りされる
- おそらくユース、スタッフ含むの大部分はユースが弱い川崎フロンターレが引き取る
- 相模原SCと言う線もあり得る
- 史実のヴェルディユース出身で後に代表入りした小林祐希・中島翔哉・畠中槙之輔・安西幸輝のキャリアに影響が出ていた。
- 三竿健斗を忘れずに。鹿島や海外への移籍はあっても、日テレの後藤晴菜アナと結婚することはなかった。
- 解散していた場合、東京ヴェルディのサポーターが設立した東京グリーンSC(仮称)を結成してJFLに加盟する
- J3にも初年度から参加している
他クラブと合併していたら[編集 | ソースを編集]
- 両方のサポーターが大反発する
- チーム名はFC東京ヴェルディに、旧FC東京のサポーターから受け入れられるかは疑問だが・・・
- その場合、合併直後のオリックスバファローズのように愛称は3年間暫定で3年後に新愛称を募集する
- 新愛称はVに拘るなら東京ヴィクトリー、FC東京のイメージなら炎から、東京ファイヤーナイツとか東京フレイムソルジャーズとかになるかも、略称も東京Fになるし・・・
- 「グリーンファイヤー東京」。東京らしく?倒置法名称。ユニフォームが赤青緑で見苦しい。
- 無難に「東京ユナイテッド」。
- そうすると現実の東京ユナイテッドFCは別の名称になる。
- 無難に「東京ユナイテッド」。
- その場合、合併直後のオリックスバファローズのように愛称は3年間暫定で3年後に新愛称を募集する
- ユースチームに関してはやはりフロンターレが大部分を引き取る事になる
- それでも久保建英はバルセロナからの帰国時にFC東京を選んでいそう。
- 傘下のバレーボールチームも改名される。
2010年からJFLに加盟した町田ゼルビアと合併していたら
- 神奈川県扱いや田舎扱いを受けていた町田市民が多いに喜ぶ。
- クラブ名は町田Vゼルビア。あるいは町田ヴェルディZ。
- カッコイイクラブ名。
- 話題性で人気実力とも史実のゼルビアより好評。JFLを断トツで通過し、J2から再度降格することもない。
- クラブライセンスの導入により、野津田が規格を満たさないためJ1昇格を見据えて味スタに舞い戻る。チーム名は横浜町田・・・ならぬ東京町田Vゼルビアに。
- 当然町田市民からは大反発。
- 結局はヴェルディか、歴史は繰り返すと揶揄される。
- ホームゲームの二割は野津田で開催を続ける。
- 当然町田市民からは大反発。
- ヴェルディOBの相馬直樹が、ここの監督に就任するのは変わらない。
- 2008年にヴェルディの株式を売却した過去があるので、サイバーエージェントが経営に参画したか怪しい。
大分トリニータが倒産していたら[編集 | ソースを編集]
- かてつのヴィッセル神戸、サガン鳥栖のように大部分の資金が回収不能になる
- 史実どおり最低限主力の売却を余儀なくされる事は必須だが新会社設立でJ2に居座った場合、一部から批判を浴びる
- ただし現実のトリニータよりは資金面で余裕が出来るので史実よりは満足な補強が出来て2013年は1年でJ2に降格なんて事にはならなかったかも・・・
- 少なくとも6節残しで降格する事は無かった
- 当時の社長であった溝畑宏が観光庁長官に就任することはなかった。
- 本当に「チームがバラバラ」になった。
- 2013年のAKB総選挙で指原が1位にならなかった可能性がある。
- 大分スポーツ公園総合競技場は年に数試合しか使えなくなる。
JFL以下へ降格処置となった場合[編集 | ソースを編集]
海外のサッカーリーグではクラブ破産のペナルティとして3部以下へ降格させる事が多いのですが、仮に大分に適応されていたら
- 場合によってはJ3初年度の参加クラブになっている
- うまくいけば現実同様J3からJ1に戻れたかも。
- FC町田ゼルビアの降格は無かった。
- おそらく最悪でも九州1部リーグあたりまでか。
HOYO大分に吸収されていた場合[編集 | ソースを編集]
地域リーグを駆け上がったHOYO大分(現・ヴェルスパ大分)に吸収された場合
- イメージカラーは赤に変更。
- 地域リーグからやり直す初のチームとなる。
- 地域決勝に大量のサポーターがつめかける。
- ヴェルスパ大分というクラブ名はまだ生まれていないので、別の名前になる。
- ACトリニータ大分。あるいは、T-ELAN大分。(T-岡田風に)
- 大分ユナイテッドも可。
- J3オリジナル12になるかも。
共通していえる事[編集 | ソースを編集]
- 2010年のJ2チームが最大2クラブ減少していた。
- 大規模なJリーグ再編が行われていたかも。
- 「フリューゲルスの時の教訓が何一つ生かされていない」とJリーグはサッカーファンから批判されていた。
東京ヴェルディ[編集 | ソースを編集]
ホームタウンを移転したら[編集 | ソースを編集]
黄金時代が続いていたら[編集 | ソースを編集]
Jリーグ初期の僅か数年で終わったヴェルディの黄金時代ですが、仮に現在まで黄金時代が続いていたら
- 読売グループはサッカーだけで無く、バスケやラグビーにも参入
- 東京ヴェルディラグビークラブ(仮名)の本拠地は味スタをサッカーと共通
- ラモスは監督に就任しない
- 現在もアルディレスがヴェルディの指揮をとっている
- 2005年の天皇杯は勿論獲得していた
- 東京に移転しても人気は高い
- ヴェルディの平均観客動員数が3万人を超えていた
- 東京ダービーは毎試合観客に怪我人が出る。
- 日本テレビがヴェルディの試合を全試合生中継する。
- ただし関東ローカル。
- 日テレG+がJリーグと放映権契約を結んでいる。
- かつての巨人V9時代のように、マンネリ化して人気が下がり、弱くはないが人気はないというチームカラーになっていた可能性も否めない。
- V9末期には、巨人の1位指名を拒否した選手もいた
- ↑拒否した人は巨人どころかプロ自体にまったく興味が無かった人物。巨人だから拒否したわけではない。
- それを言うなら、むしろ森監督時代の西武だと思う(パ・リーグ全体の観客動員数に影響したので)。
- V9末期には、巨人の1位指名を拒否した選手もいた
- 日本テレビ系とのアニメとコラボしていた。
巨人を名乗っていたら[編集 | ソースを編集]
Jリーグの100年構想ではチーム名を共通する事が掲げられていますが、同じ読売グループが経営している巨人とヴェルディは名前が違います。仮にヴェルディが巨人を名乗っていたら
- ヴェルディがJ2に降格した事によって「巨人ブランド」を大幅に失墜させていた
- 現在の野球のほうも大して変わらんような気が・・・。
- 正式なチーム名は「東京読売ジャイアンツFC」(後に「東京ジャイアンツFC」)となる。
- 見分けるために野球は「巨人」サッカーは「ジャイアンツ」と呼ばれるようになる
- または漢字表記を野球チームの「読売巨人軍」に対し、サッカーチームを「読売巨人隊」にしている。
- Jリーグは企業名を排除しているので「川崎(移転後は東京)巨人隊」。
- または漢字表記を野球チームの「読売巨人軍」に対し、サッカーチームを「読売巨人隊」にしている。
- もちろんYGマークもそのまま使用。
- スポーツ紙等では「東京G」。(「F東京」=FC東京との区別で)
- 東京移転前は「川崎ジャイアンツFC」だったということか!?
- 見分けるために野球は「巨人」サッカーは「ジャイアンツ」と呼ばれるようになる
- チームカラーが緑でなくオレンジになるため、清水エスパルスやアルビレックス新潟のサポーターから大ブーイングを受ける。
- そのため、ユニフォームを野球と同じく、ホームでは白ベース、アウェーでは黒ベースにしている。
- 少なくともアルビレックスは後発だからいちゃもん付けられる立場じゃないな
- それ以前に読売クラブ以来の古参のサポーターがまずクレームをつけるだろう。
- なでしこリーグの日テレベレーザも「東京ジャイアンツFCレディース」になっている。
- 東京バンバータとの業務提携にも影響が出ていた。少なくともジャイアンツ、あるいは巨人に関する名前を冠することになっていただろう。
- グランパス、ガンバ、セレッソ、サンフレッチェのサポーターからは史実以上に激しいブーイングを浴びせられる。
- とりあえず巨人は巨人でもポルトガル語で「東京ギガンテス(Gigantes)」になる。
- 読売グループの手を離れて以降は何度かチーム名の改称が提案されているが、サポーターの激しい抵抗にあい失敗。
- アニメコラボに積極的なヴェルディの体質を考えるに、一度ぐらい進撃の巨人とコラボしていてもおかしくはない。
ヴァンフォーレ甲府[編集 | ソースを編集]
2002年に売却されていたら[編集 | ソースを編集]
J2開幕から3年連続最下位、2000年には4億4780万円と言う過剰債務を負っていたヴァンフォーレ甲府。
この年にチーム解散もしくは売却(実際いくつかの自治体からの誘致があった)の話がでましたがサポーターの必死の署名活動もあり以下の条件が下され
- 平均観客動員数 3000人以上(2000年実績 1850人)
- クラブサポーター 5000人以上(同 2698人)
- スポンサー収入 5000万円以上(同 2600万円)
をクリアした2001年は黒字で当面の危機は去りました、しかし2001年に上記の条件が達成出来ずに2002年に甲府が売却されてしまってたら。
- 少なくとも川中島ダービーは無い
- 甲府の存在はJリーグの黒歴史に・・・
- 下手したら山梨県はJリーグ空白県に。
- JR東日本の沿線ということもあり、現在ではJR東日本エリア全域に支持を広げようとするジェフユナイテッド千葉・市原の地盤になっていた。
- 下手したら山梨県はJリーグ空白県に。
- 同じく過剰債務に陥っていて、一時甲府の経営を参考にしていた札幌も潰れていたかも
- でも北海道と言うニッチを占める存在だったので例え潰れても移転はしなかった
- 売却された甲府は北東北、北陸、南九州、沖縄、山陰のJリーグ空白地帯に移転していた。
- 四国の可能性もある。
- バレーのダブルハットトリックもなかった。
- 2005年の柏はJ1に残留していた。さすがに早野乙の監督交代は避けられなかったとは思うが…。
- もしかしたら仙台が昇格していたかも。
- 小瀬での停電も発生せずに済んだ。
- 2005年の柏はJ1に残留していた。さすがに早野乙の監督交代は避けられなかったとは思うが…。
清水エスパルス[編集 | ソースを編集]
1997年の経営危機で○○だったら[編集 | ソースを編集]
清水エスパルスは1997年に運営会社の「エスラップ・コミュニケーションズ」が21億円の累計赤字を抱え、経営危機が表面化し解散の危機に陥りました。しかし、クラブ存続のための運動により、清水に本社を置く企業が支援を表明し、1998年に地元の多数有力企業の資本参加によって新運営会社「株式会社エスパルス」が新たに設立され存続できました。
もし異なる展開を迎えていたら?
解散していたら[編集 | ソースを編集]
- ジュビロ磐田は後々、「ジュビロ静岡」に解消していた可能性あり
- 一方で清水エスパルスのサポーターは「清水FC」を結成し、J2初年度に加盟する
- 史実の横浜FCに近い形になる。
- 澤登正朗はここで現役を終えていた。
- 報道ステーションのスポーツキャスターにはならなかったかもしれない。
- 清水エスパルスが消滅したため、県内においてジュビロは実史以上の注目を集め、実史以上の黄金時代を迎える
- 清水のサッカー熱が冷め、高校サッカーの清水商業も弱体化してしまった。
- 静岡FCのJ昇格が実現していた。
- マリノス・フリューゲルスの合併が早まり、大規模なJリーグ再編が起きていた。
- エスパルスのグッズがサッカーミュージアムに寄贈される。
- 静岡県でのサッカー人気は低迷していた。
- 藤枝MYFCやアスルクラロ沼津のJ3加盟も数年遅れていた。
横浜フリューゲルスと合併していたら[編集 | ソースを編集]
この頃は横浜フリューゲルスも運営会社であった佐藤工業と全日空が共に累計赤字を抱えるなど、経営状態は思わしくない状態で、翌98年に佐藤工業は撤退、フリューゲルスは横浜マリノスと合併横浜F・マリノスとなりました。
もしここで、清水エスパルスと横浜フリューゲルスが合併していたら?
- チーム名は「清水F・エスパルス」になっていた。
- 当然「株式会社エスパルス」も「株式会社F・エスパルス」になっていた。
- チーム名を考えると「清水S-フリューゲルス」のほうがいいかも。
- 現実のマリノスとフリューゲルスの合併のように、エスパルスがフリューゲルスを統合する形になっていた。
- そして横浜FC設立。
- 胸スポンサーがJALからANAに。
- 真田雅則が古巣に戻ることになったかもしれない(清水の前は全日空所属)。
- 横浜国際総合競技場のこけら落とし試合でマリノスの相手はどこになったのだろう?
○○に移転していたら[編集 | ソースを編集]
- 三重県四日市市
- JFLのコスモ四日市と合併していた。
- もちろんヴィアティン三重は存在しなかった。
ガンバ大阪[編集 | ソースを編集]
チーム名が大阪ジョーズになっていたら[編集 | ソースを編集]
J加入時はガンバは松下電器がユニバーサル映画を買収した時期と重なり、強そうなので大阪ジョーズと言うチーム名になりかけたが、瀬戸内海にサメが出没する事件があってこの案は流れたと言う。
- 05年の優勝時はユニバーサルスタジオとのタイアップが実現する。
- 「『ガンバ』ってのは、イタリア語で『脚』って意味なんだよ。楽器の『ヴィオラ・ダ・ガンバ』っていうのもね・・・」という蘊蓄が語れなくなっていた。
- ジョーズは英語で顎という意味。大阪顎ってもはやサッカーチームじゃない・・・。
- 華麗なシュートを決めると、スポーツ紙に「大阪上手」と書かれる。
- 拙いプレーをしたときや負けたときには「大阪下手」と書かれる。対戦相手のサポーターからもそう呼ばれる。
- 初期の低迷時代は散々このネタでいじられ、「ガンバ大阪」に改名。
- 「まるで下手だからガンバれと言われてるみたい」と選手やサポーターから不満続出。
- 初期の低迷時代は散々このネタでいじられ、「ガンバ大阪」に改名。
- 拙いプレーをしたときや負けたときには「大阪下手」と書かれる。対戦相手のサポーターからもそう呼ばれる。
- マスコットも鮫がモチーフに。
- グランパスのシャチと壮絶な争いが繰り広げられる。
- さだやす圭とひと騒動起こった可能性もあり。
- 「なんと孫六」で「大阪ジョーズ」が存在するため、このことで作者側がどう出るか…
- C大阪のJリーグ加盟後は「大阪J」と略記される。
サンフレッチェ広島[編集 | ソースを編集]
チーム名が広島パープルになっていたら[編集 | ソースを編集]
J加入時に当時のマツダのチームカラーの青から変更を余儀なくされて紫に変更。そこから一時このチーム名で決定しかけたが、川淵チェアマン(当時)が難色を示し変更したと言われている。
- 今でも現在のような青紫色ではなく、Jリーグ開幕当初のような赤紫色のユニフォームだった。
- 京都パープルサンガは違う名前で加盟していたかもしれない。
- 最初から京都サンガF.C.と言う名前だっただろう。あと、チームカラーもバイオレットに。
FC今治[編集 | ソースを編集]
愛媛FCのセカンドチームのままだったら[編集 | ソースを編集]
- FC今治は2009年から2011年まで愛媛FCのセカンドチーム・愛媛FCしまなみとして活動していましたが、2012年に独立してチーム名を「FC今治」に変更して現在に至ります。
もし、現在もセカンドチームのままだったら…。
- J3で戦うこともなく、2020年現在も四国リーグ所属。
- 今治に新スタジアム(ありがとうサービス. 夢スタジアム)が建設されることもなかった。
- 岡ちゃんはJFA(日本サッカー協会)の理事を続けていた。
FC琉球[編集 | ソースを編集]
株式会社かりゆしが沖縄かりゆしFCから撤退しなかったら[編集 | ソースを編集]
親会社のためにかりゆしFCは分裂、FC琉球が誕生し、バスケに先を越された沖縄のサッカー界ですが、もし、その親会社に「サッカー文化を大切にする」という心があったら。 おまけで、ローカルネタではありますが、ホテル経営など本業にかかわる部分も追加してみました。
沖縄かりゆしFCは[編集 | ソースを編集]
- とっくにJ2入り。
- FC琉球が誕生しなかった。
- 2009年天皇杯敗退での解散もなく、チームは健在ばかりかJ2優勝争いに加わってる。
- ラモスは今日もかりゆしFCの監督。
- もしくはかりゆしJ2入りを引っさげてヴェルディ監督に。
- ハンドボールの「琉球コラソン」はなかった。
- 2008年11月23日の「ニコニコ動画presents」があったかどうか・・・・・・
その他[編集 | ソースを編集]
- 那覇市の財政が幾分マシになっていた。
- 三井不動産と交渉中断してとまりん一時撤退という事態も避けられた。
- とまりんのホテルは2008年11月~翌年5月の間も営業中。
- 三井不動産と交渉中断してとまりん一時撤退という事態も避けられた。
- マリオットホテルを手放すことはなかった。