新型コロナウイルス関連の投稿は当分の間厳禁といたします。詳しくはこちらをご覧ください。

もしアイルトン・セナが健在だったら

提供: chakuwiki
移動先: 案内検索
  1. セナは最後までウィリアムズに所属し続け、97年を最後に現役を引退。
    • 又は、あの和解が本当だったらプロストグランプリの初代ドライバーに就任し2000年まで現役。
      • 没後25年(日本式に言えば二十六回忌)の際にプロストが「我々は彼が亡くなるまでの半年間、本当に素晴らしい時間を過ごした」とコメントしたくらいだから案外あり得たかも。
      • 史実の死出の旅直前の「アラン、君がいなくて寂しいよ」は逆にあまり注目されなかったかもしれない。
    • ただ、ウィリアムズに在籍中に95年か96年にチャンピオンになった場合、97年を待たずしてウィリアムズから追われていたかもしれない。
    • プロストの51勝の記録はまず抜いていただろうな。97年37歳まで現役を続行してたとしたら通算60勝80PPいってたかも。
    • 現役ラストイヤーは本人の希望で成績度外視でミナルディでドライブしていたことだろう(生前ラストイヤーはノーギャラでもいいからミナルディでドライブしたいと言っていた)。
  2. シュー兄とレースの接触をめぐって毎回大喧嘩していた。
    • アーバインとの喧嘩も日常茶飯事。
      • ハッキネンに対してはたまに絡んだ場合も「しょうがねぇな、アイツは」と大目に見る。
    • 引退後にBBCやフジ辺りでプロストかマンセルと組んでのゲスト解説も実現したものと思われる。
  3. 95年か96年に、F1レーサー人生最後のワールドチャンピオンになっている。
    • デイモン・ヒルは最後までナンバー2ドライバーのままで、結局ワールドチャンピオンにはなれなかった。
      • ただしセナ現役中にウィリアムズを放出された場合、史実のジャック・ヴィルヌーヴ同様にマシン戦闘力の低下に苦しむ羽目になった可能性も有り得た。
    • デビッド・クルサードは95年に別のチームからデビューしている。
      • セナ事故死が無かったらマンセルが助っ人で来ることもなかったのでたぶん95年にマクラーレンからデビューしてたと思う。
        • ジャック・ヴィルヌーヴのF1参戦はセナ引退と入れ替わる形になっていた。
  4. 引退後、しばらくはブラジルでF1中継の解説をしている。
    • または2年ほどインディ500に参戦する。
      • そのままアメリカでの居心地がよくなり、NASCARにも出場。
        • この場合、ホンダ車のNASCAR参戦があったかも。
          • ホンダのことだから5,900ccV8のOHVで15,000rpm位は回してきそうだな。ちなみに史実ではトヨタが参戦している。
      • 2017年のインディ500で佐藤琢磨が優勝した時も、もちろん盛大に祝福。
    • ル・マン24時間レースにも数回出場。マシンはもちろんNSX。
      • NA2型NSX-R(またはタイプS-Zero)の開発段階でテストドライブにも参加。サスペンションのセッティングに大きな影響を与えていた。
        • 2017年リリースの新型NSXも。
    • ひょっとしたらスーパーバイク選手権にドゥカティからスポット参戦していた可能性も。
      • 後のデスモセディチ(市販車版)にもセナバージョンが登場していた。
        • もちろん本人も1台所有。
    • PIAA NAKAJIMAからSUPRGT、フォーミュラ・ニッポンへスポット参戦も。
  5. 2002年頃、自らのF1チームを立ち上げて監督に就任。ホンダのエンジン供給を受ける。
    • ドライバーはブラジルの若手か佐藤琢磨。
      • でもこの人は絶対に雇わないでしょう。
      • ただ、セナの甥であるブルーノ・セナは採用するかもしれない。
    • スーパーアグリの立場がとても微妙なものになる。
      • でもセナのチームが資金難で撤退という事態にはならないと思う。
    • ホンダのF1撤退により、2008~2009年のストーブリーグはエンジン探しに奔走している。
      • もし参戦ができるなら、結局はブラウンGPで使用されたメルセデスのエンジンにするかも?
        • となるとセナ=ブラウンGPと言うチーム名になっていた?
  6. 引退後も日本のバラエティ番組に出演するために度々来日する。
    • 『生ダラ』で石橋貴明とカート対決を続けていた。
      • 2000年以降は『ぐるナイ』辺りで岡村隆史とカート対決をしていた可能性も。
        • 「ごちになります。バトル」にも出演していた。
      • 局を移して『とんねるずのスポーツ王は俺だ!』の可能性もある。
    • とんねるず関連では『みなさんのおかげでした』の「食わず嫌い王選手権」にも出演。F1中継をフジテレビが行っている関係で、最初の対決相手は中嶋悟辺りかと
      • ジャン・アレジか片山右京が相手だとバラエティ色が強いんだけどなあ…。こっちは難しいか。
      • 2018年春の改編期による『みなおか』放送終了には惜別メッセージ送っていた。
    • かなりマニアックで申し訳ないけどタカラヅカスカイステージのスカイステージトークで瀬奈じゅんとの対談が瀬奈が宝塚在籍中に実現していたかも。
  7. 漫画「アイシールド21」の主人公の名前が変わっていた。
  8. 前日のイモラサーキットで予選中に事故死したローランド・ラッツェンバーガーの葬儀に参列。
    • すぐさまベルガーと共にGPDAを復活させ、F1の安全性向上に奔走していた。
    • 次戦モナコのカール・ベンドリンガーの事故も真のあたりにして成績にかかわらず94年限りで引退ということも考えられる。
  9. T-SQUAREのアルバム『Solitude』が製作されることはなかった。
    • FACES』の後、引退までにもう1曲はテーマソングが製作されていた。
  10. この男のブラジル国外のメディアへの露出は史実より少なくなっていたかもしれない。
  11. 『北の国から'95秘密』で、純が「カラジジ」と呼ばれることはなかった。
  12. 古舘伊知郎がF1実況を降板するのがもう少し遅くなっていたと思われる。
  13. 2009年10月、ここに五輪招致が決定した時、大喜びしていたに違いない。
    • あるいは、招致活動を盛り上げていたし、実行委員会の委員にもなっていたはず。
      • 母国でのオリンピック開催は喜ぶだろうけど、セナはパウリスタだからそれはあり得ない。
        • 逆にサンパウロが開催地に立候補していたとか?
      • おまけにそこは憎きこの人の出身地だし。
  14. 94年の事故で奇跡的に回復した場合。
    • 怪我で94年シーズンを棒に振り、95年シーズンにウィリアムズから復帰するがタイトルは取れず引退。
    • デビッド・クルサードは、96年にウィリアムズからデビューしている。
      • クルサードは、95年に別のチームへ移籍している。
    • 史実で死因となったサスペンションの破片が、ヘルメットをかすったorすぐ横で飛んだ事に対するトラウマが余りにも大きく、このまま現役引退を表明していた可能性もあったとも思われる。
    • 結婚して子供が出来た場合、ジャン・アレジとゴクミの息子ジュリアーノとの2世ドライバー対決が日本でも注目されるようになる。
  15. ユーミンの楽曲が2曲ばかり減っていた
    • その曲は「Hello My-friend」と「Good bye friend」
      • それに伴い、フジテレビ月9の君といた夏の主題歌が別の曲となっていた
  16. ティエリー・ブーツェン曰く「彼なら難なく大統領になれただろう」。この話が実現していたら2010年代のブラジルは「セナ大統領」だった可能性も。

関連項目[編集]

トークに、もしアイルトン・セナが健在だったらに関連する動画があります。



関連記事