もし中世・近世ヨーロッパが○○だったら
(もしスペインの無敵艦隊がイギリスを征服していたらから転送)
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フランク王国が分裂しなかったら[編集 | ソースを編集]
フランク王国は現在のフランス・ドイツ西部・イタリア北部を支配する程の領域をもっていましたが、カール大帝がフランク人の伝統に従い3人の嫡男に王国を分割するよう遺言しました。
しかし実史と違ってカール大帝がフランク人の掟に反してフランク王国が3つに分裂しなかったら。
- 現在のドイツが誕生したか如何か微妙・・・
- 神聖ローマ帝国の誕生も無いので現在のドイツの当る地域はプロイセン・オーストリア・バイエルンの3つ巴になる
- スイスはフランス・オーストリア・バイエルンの何れかの領土になる
- 諸侯も滅ぼされてプロイセン等に併合されるから現在のドイツに連邦制と言う懸念が無い
- そもそもフランク王国の首都がライン川流域のままだったら現在のドイツ西部を併合できたかどうか・・・
- 多分現在のドイツに当る地域をプロイセンが併合出来ても国名はドイツ帝国では無くプロイセン王国のままになる
- フランス王国では無く「フランス帝国」になっている
- でも正式国号はローマ帝国
- パリが現在の様に発展できたか如何かは微妙
- 現在のフランス語はフランス+ドイツ語ライン方言のような言語になる
- もしかすると現在のドイツ東部はポーランド領になっていたかも知れない
- 逆に、ポーランド西部がドイツ領になり、ドイツ全体が西に移動した形になる。
- イタリア半島は北部のフランク王国、東のヴェネティア、中部のローマ、南部のナポリに分裂したまま今に至る。
- G8は仏米英加日露のG6。
- フランスが大きすぎるためEUは誕生せず。
- ドイツは西部の工業地帯がないので農業国のまま。
- 言うまでもなくフランク王国全体が現在のフランスの前身である。
- 蛇足だが史実では西フランク王国がフランスの前身。
- カロリング朝が断絶した時に国名を「フランク王国」から「フランス帝国」に改称。
- 少なくともライン川西岸まで完全にフランス領だったはず
- この場合、首都のアーヘンが西により過ぎているためパリへ遷都された可能性も
- オランダはドイツ領(と言うかプロイセン領?)のままだったかも知れない
- ライン川西部のオランダとベルギーは当然フランス領
- 関連項目
レコンキスタが失敗していたら[編集 | ソースを編集]
キリスト教国であった西ゴート王国がイスラム教国ウマイヤ朝によって滅ぼされ、他のキリスト教国が最後のイスラム教国であるナスル朝を滅ぼすまで774年間続いたレコンキスタ(国土再征服運動)。ここではもしキリスト教徒たちの侵略が失敗していたらどうなっていたかを考えます。
- 現在もイベリア半島はイスラム教の土地になっている。
- アル・アンダルス=アラビア語が現存し、アラビア語口語の中でも重要な位置を占めることに。
- 当然ながらヨーロッパにおけるアラブ・イスラム文化の影響が現実よりも濃いものに…
- 現実のオスマン帝国のような共存戦略を取るか、対立が続くかによってかなり違った様相になる可能性も。
- イベリア半島にある国家は、今なおEUに入れない。
- いずれにせよ、帝国主義時代にはオスマンと同様に侵食された。
- その時にキリスト教化が進んだかも。
- それより先、ナポレオンによって制圧されたかもしれない。
- 大航海時代の旗手は、スペインやポルトガルではなく始めからフランスやイギリス・オランダだった。
- フランスやドイツはイベリア半島からの移民にも苦慮することに。
ノルマン人が新大陸に進出していたら[編集 | ソースを編集]
中世ヨーロッパで海賊や商人として活躍したノルマン人(ヴァイキング)は、北米大陸に隣接するニューファンドランド島まで達していたそうです。もし、ノルマン人がさらに進んで北米大陸に進出していたらどうなったでしょう?
- ノルマン人は鉄器を持たないインディアンを征服し、北米大陸各地にノルマン系の王国が乱立。ヨーロッパ中世に似た社会が北米に生まれる。
- その結果、北米には大国は誕生せず、中小規模の国家が並立したまま近代を迎える。
- やがてノルマン人は中南米へも進出。
- アステカやインカはノルマン人によって滅ぼされる。
- ジャガイモが早期にヨーロッパや北米にもたらされた結果、これらの地域の人口は増大。
- だが同時にタバコと新大陸の病原菌が早期に旧大陸を襲っていた。
- ヨーロッパ人の太平洋進出やオーストラリアやニュージーランドの発見も史実より早まった。
- インドやらジパングやらと終始勘違いしていたコロンブスwithスペインによる進出ではなかったので金山の開拓による現地人使役や重税付与等の現地人との確執はなかった。
- おそらくニューファンドランド島は「ヴィンランド」という名前になっていた。
- 「フィンランド」と紛らわしかった。
- モンゴル帝国のヨーロッパ侵攻時にはヨーロッパから大量の難民がアメリカ大陸に押し寄せていた。
百年戦争が○○だったら[編集 | ソースを編集]
ジャンヌ・ダルクが神のお告げを聞かなかったら[編集 | ソースを編集]
- フランスはイギリス軍に占領され、英仏連合王国が成立。
- イギリス・フランスとともに史実と全く異なる歴史を歩んでいた。
- 世界史も大幅に変わっていただろう。
- 英語は現実以上にフランス語の影響を受け、一方のフランス語は半ば死語になっている。
- その後のフランスはアイルランドのような立場になっていた。
- フランスは20世紀に入る頃までイギリス領だった。
- その後独立するも、現在もイギリスの影響が強い。
- おそらく独立後もフランス語より英語が広く用いられている。
- 当然ながらフランス革命などない。
- 「Axispowersヘタリア」におけるイギリスとフランスの関係が史実と全く異なるものになっていた。
- でも両国間の仲は相変わらず。
- フランス版中○思想は死滅。
イングランドが勝利していたら[編集 | ソースを編集]
- 一時的に英仏が同君連合となるも、相続の結果最終的には分裂して現状と変わらない。
- フランス全土がチャネル諸島状態となる。
- 一方でスコットランド・アイルランドが独立したままでいる。
- ジャンヌ・ダルクは史実ほど有名になっていない。
- フランスはイングランドの植民地状態に・・・。
- フランス革命で英国王室が途絶えていた。
- ブルボン王朝が存在していないことを考えると、史実と異なりフランス独立戦争になっていた。
- いずれにせよ英国は米仏との独立戦争で疲弊していたのは間違いない。
- ブルボン王朝が存在していないことを考えると、史実と異なりフランス独立戦争になっていた。
- ナポレオンはエジプトではなくアメリカに遠征して、独立を阻止した。
スペインの無敵艦隊がイギリスを征服していたら[編集 | ソースを編集]
- 1588年、スペイン無敵艦隊がイングランド(イギリス)に侵攻したが、数も装備も劣るイギリスの海軍に大敗し、スペインがヨーロッパにおける覇権が揺らぐきっかけとなった。
- ではもし、無敵艦隊がイギリス海軍を破って、そのままイギリスを征服していたら?
日の沈まぬ帝国スペイン編[編集 | ソースを編集]
- エリザベス女王はスコットランドに逃げ込むが、かつて母親を処刑されたスコットランド王ジェームズ6世に捕らえられ、スペインの手で刑場の露と消える。
- スペインは同じカトリックの国には手を出さないため、アイルランドは生き残り今とは違った発展の仕方をしている。
- 大西洋における制海権を確固たるものにしたスペインは、そのままオランダを追い詰め、再び植民地にする。
- イギリスでは宗教裁判が荒れ狂い、カトリックの影響を受けた芸術や文化が発展する反面産業が停滞し産業革命は起きずしまい。
- シェークスピアはハプスブルク家ヨイショの作品ばかり書く羽目になる。
- オランダ人が日本にやってこなくなったので、ヨーロッパで唯一日本との貿易関係を持つようになる。(ポルトガルはスペインに併合されていたので、ここでは含まない)
- 日本の鎖国に対抗して本気で日本の征服をもくろむ。その場合日本は「もし切支丹が弾圧されなかったら」に書かれたような未来を歩んでいたかもしれない。
- イギリス人は今でもスペイン語が母国語。
- 英語にあたる言語は英語ではなくてスコットランド語といわれるようになる。
- ベッカムは最初からレアル・マドリーに所属している。
- イギリスが実際の歴史よりも没落しているので、イギリス発祥のサッカーという近代スポーツが発展することもない。したがって、ベッカム選手の活躍もなければ、レアル・マドリードもない。
- 第二次世界大戦ではスペイン=イギリスは中立を決め込むためナチスは全力でソ連を潰しにかかることができる。
- スペインは史実でイギリスが支配した北アメリカやオーストラリアやニュージーランドも植民地にしていた。
- 結果、スペイン語が世界共通語になっていた。
さまよえるオランダの逆襲編[編集 | ソースを編集]
- 海からもスペインに包囲され、ますます追い詰められたオランダは、スペイン打倒のためならありとあらゆる国との同盟を働きかける。
- この結果、三十年戦争は宗教ではなくてヨーロッパの覇権をめぐる争いという性格が最初から浮き出たものとなり、開始時期も早まったと思う。
- いっぽう、スペインの圧制に苦しむイギリス人が戦争中に一斉蜂起し、ポルトガルと一緒に独立する。
- しかし新生イギリスのボスとなった、クロムウェルの独裁にうんざりしたイギリス人はクロムウェルの死後、スコットランドの国王チャールズ2世を自国の国王に迎え入れる。つまり結局歴史は変わらなかった。
- 国教は恐らくカトリックのままだったろうから、影響はそん位かねえ?
七年戦争でプロイセンが負けていたら[編集 | ソースを編集]
その後のドイツ[編集 | ソースを編集]
- プロイセンはオーストリア・ロシア・スウェーデンの元で分割される。
- ドイツ再編・統一はオーストリア主導の下で行われる。したがってオーストリアの科学は世界一チイイイイ!!になったのか?
- オーストリアは真のドイツ国家を主張しオーストリア人こそ真のドイツ人と考える人が多かったので統一後の国名はやっぱりドイツになったと思います。
- オーストリアの力が強くなるのでハプスブルグ家発祥の地であるスイスは力ずくで併合そていた可能性もあったかも
- オーストリアが嫌になったヒトラーは、スイスに亡命する。そこで芸術三昧の日々。
- ヨーロッパで膨張しすぎたオーストリアは結局イギリスやフランス、ロシアを相手に第一次世界大戦を起こし、史実どおり負ける。
- そして戦後の講和会議でドイツは細かく分割される。
- でも南ドイツ諸邦くらいはオーストリア領に留まったかも、首都が東により過ぎているのでミュンヘンに移転しろと南ドイツ諸邦の住民が文句を言ってくる。
- 冷戦期が実史と同じようにあれば本当にオーストリアはミュンヘンに首都を移転していたかも知れない。
- ドイツ語はと言えば南ドイツ語が主流、北ドイツ語に当る部分はスウェーデン語と呼ばれている。
- ドイツ帝国が実史よりも早く成立するがこの世界のドイツの主体は「プロイセン」で無く「オーストリア」
海外[編集 | ソースを編集]
- イギリスは早めに手を引いたこともありフランスから海外植民地を奪うことができず、アメリカ独立で一気にジリ貧になる。
- そのためインドはフランスの影響が強くなる。
- 日本は明治維新後、オーストリアの政体を参考にする。
- 多民族国家をうまく統治するコツを覚えようとするが、実は逆効果だった。(自治を一部の民族に大幅に認めてしまうため、他の民族からの独立運動も激しくなる)
- で、朝鮮を完全に併合はできずに「大日本=大韓二重帝国」と称する。
- それどころか下手すれば「大日本=アイヌ=琉球=大韓四重帝国」かも。
- そこまでやるとしたら台湾も入れてあげた方が良いとおもいます。ただ、実際日本が近代併合した国は琉球と旧韓国だけなので「大日本=琉球=大韓三重帝国」ですむと思います。
- ちなみに二重帝国内では遼東は韓国領
三十年戦争でハプスブルク家が勝利していたら[編集 | ソースを編集]
- ウェストファリア条約が結ばれないので、近代国際法は誕生していない。
- 「近代」そのものが、現実の世界とは異なる性質を持っていた可能性もある。
- 「主権」という概念が生まれていないので、国家によって国際法上も格差があったり、国家が対外的に完全には独立していなかったりする。
- 東洋では中国王朝による冊封・朝貢体制が未だに健在。
- 神聖ローマ帝国はハプスブルク家によって支配された帝国となり、やがてこれがドイツ帝国となる。
- その領土は現実世界におけるドイツのみならず、オーストリア、スイス、オランダ、ベルギー、ルクセンブルク、チェコ、ポーランド東部まで及ぶ。
- そしてフランスやスウェーデンと対立を続け、さらなる戦争が繰り返される。
- アフリカやアメリカ大陸(カナダ辺りか?)やオーストラリア辺りに植民地を持っていた。
- 江戸時代にはオランダに代わって鎖国中の日本と通商関係にあった。
- ドイツびいきの人は、一度は「もし、そもそも三十年戦争がなかったら」を想像したことがあるだろう
イギリスの国教がカトリックのままだったら[編集 | ソースを編集]
イギリスでは国王ヘンリー8世の離婚問題を機に独自のイギリス国教会が成立しましたが、もしそれが無くカトリック国のままだったらどうなっていたのでしょう。
- イギリス王室がバチカンに強い影響力を及ぼしていた。
- イギリス人のローマ教皇が誕生していたかもしれない。
- バチカンが英語を使用する機会が増えていた。(史実ではラテン語、イタリア語の他フランス語を常用)
- アイルランドは独立しなかったかもしれない。
- アイルランド独立は宗教対立の側面が大きいため。
- むしろアイルランドは分断されることなく独立している。
- アメリカでもカトリックが現実よりも強くなっていた。
- 「WASP」という語は存在しなかった。
- じゃあ替わりに「WASC」だな。
- 「WASP」という語は存在しなかった。
- フローレンス・ナイチンゲールがカトリックの聖人となっている。少なくとも福者になっていただろう。
- 聖人になっていた場合、記念日は5月12日、従軍医師、衛生兵、および看護師、介護者の守護聖人。
- イギリス料理がもう少しマシなものになっていた。
- フランスの影響を受け、かなりレベルの高いものになったかもしれない。
- トマス・モアが処刑されることはなかった。
- プロテスタントはマイナーな宗派となる。従ってキリスト教の二大勢力は今でもカトリックと東方正教会となる。
- キリスト教の祭典といえばクリスマスとイースターの2大祭典となる。ハロウィンは消滅するか残っても知る人ぞ知る祭となる。
- 実はプロテスタント以外はハロウィンは基本祝わない。
- ある特定の国だけに残り、その国の文化とされていた。
- 「え?ハロウィンてなに? それ、おいしいの?」「子供たち、夜更かしなんかしないで、いい加減早く寝なさい! 明日や明後日は諸聖人の日と死者の日で、お墓参りとか忙しくなるんだから!」
- キリスト教の祭典といえばクリスマスとイースターの2大祭典となる。ハロウィンは消滅するか残っても知る人ぞ知る祭となる。
14世紀にペストが流行しなかったら[編集 | ソースを編集]
- その後地球が寒冷化が抑えられていたかも。
- ユダヤ人が迫害されることもなかった。