もしバブルがなかったら/文化
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文化[編集 | ソースを編集]
- 女子高生の茶髪・細眉・ミニスカート普及は史実より10年ほど遅くなっていた。
- むしろ早くなっていたのでは。団塊ジュニアの頃にコギャルブームなどが起こっていたと思う。人数が多いだけに現実以上に大ブームとなっていた。
- ミニスカートの普及自体は早まったと思う。ただし茶髪・細眉の普及は遅くなる以前になかったのでは。
- 史実とは違って茶髪・細眉・ルーズソックスはほとんど登場しない。
- スケバン(超ロングスカート・パーマ)からそのまま黒髪・ハイソックスに移行したと思う。
- ミニスカートの普及自体は早まったと思う。ただし茶髪・細眉の普及は遅くなる以前になかったのでは。
- 加えてブルセラの表舞台への台頭もなかったかあっても史実より10年以上遅くなった。
- ブルマは今でも女子小中高生の体操服として少しは残っていたかもしれない。
- 仮に全廃になったとしても2010年代に入ってから(史実では2005年に全廃)
- ブルマは今でも女子小中高生の体操服として少しは残っていたかもしれない。
- それと女子高生ブームがないかあっても小規模になる。
- 今でも青春物といえば中学校を舞台とするのが主流でむしろ女子中生にスポットが当たっていた。
- むしろ女子高生の制服は今でも濃紺の上下が主流で、セーラー服はもとより、スカートもジャケットと同色。ジャンパースカートも健在。
- ブランド制服? 何それ美味しいの?
- 独特のデザイン制服もなかった。
- 女子高生の制服は未だに古臭いものばかり。男子高校生も詰襟が未だに主流。
- おしゃれな制服は未だにお嬢様学校くらい。
- お嬢様学校はむしろセーラー服が主流だった。
- 男子高校生に至ってはバンカラ文化が未だに根付いていた。
- おしゃれな制服は未だにお嬢様学校くらい。
- 三つ折りソックスも未だに健在。
- 濃紺のジャケット制服のところは最悪、喪服呼ばわりされていた。
- いや、女子高生の文化は地味なままであった。むしろ黒髪で、メイクもナチュラルなものであり、清楚な風潮が続いていた。
- そのまま2010年代の女子高生のような文化に突入していたかも。
- 履物やカバンの自由化も早くから行われており、派閥ができていたかも。
- むしろ韓国が日本を追い抜くのが史実よりも早く、経済力も高くなっていたので、韓国文化も史実より早く広く浸透しており、オルチャンメイクが主流になっていた。サブカル系は史実のTikTokで提唱されているダークオルチャンメイクになっていた。
- そのまま2010年代の女子高生のような文化に突入していたかも。
- 数は減っても、小学生男子の短い半ズボンは絶滅していなかった。
- 史実では、1999年に私服タイプの半ズボンの生産が打ち切られた後、ハーフパンツ化のうねりが体操着・制服・礼服にも及んだが、もしバブルがなければこれらには半ズボンタイプが残り、私服タイプの半ズボンの生産再開も早まった可能性。
- 半ズボンの衰退はブリーフの衰退と比例している。なので、パンツもおしゃれになることもなく地味なままだった。
- 安室奈美恵や浜崎あゆみは女子高生のカリスマになれなかった。
- これらは安室奈美恵のブレイクに比例しており、バブルとは関係ないのでは?
- むしろ早くなっていたのでは。団塊ジュニアの頃にコギャルブームなどが起こっていたと思う。人数が多いだけに現実以上に大ブームとなっていた。
- 1990年代前半に発売されたスーパーファミコンのソフト価格がもっと安くなっていた。
- 少なくとも10000円を越えるソフトは出現しなかった。
- ディスクシステムの存在の意義が薄れることもなかった。
- ファミコンカセットの大容量化もなかった。
- ゲームの質が向上することもなかった。
- 「バブルへGO!! タイムマシンはドラム式」はもちろん作成されない。
- 「半沢直樹」も(原作となる小説も含めて)。
- なんJで2010年の日本シリーズがバブ川GO児というネタがはやることもなかった。
- 当時の地上波で放映されそうな00年代後半の邦画というと、「ローレライ」とか?その場合「ドミンゴww」から派生して打たれた投手を、さらにはやらかした人物を「〇〇ンゴww」のなんJで呼ぶようになったように、後続番組を、さらにはつまらない番組を「〇〇レライww」と揶揄していたかもしれない。
芸能[編集 | ソースを編集]
- 1990年代前半に蛯原友里のようなカリスマモデルが出現していた。
- 梨花や平子理沙、藤原紀香あたりがその役目を担っていた。
- モーニング娘。のような(あえて「AKB48」とはいわない)アイドルグループが1990年代前半に国民的人気を博していた。
- アイドル空白期がなく、その一方でビーイング、Avex系は表舞台に出てくることが余りなかった。
- TUBE、B'z、ZARDがヒットを連発することくらいは史実と変わりなかったが、他のビーイング系は不発に終わっただろう。
- ここでは乃木坂46に相当するアイドルグループが結成されていただろう。
- AKB48と乃木坂46に結成が逆転していた?
- 女性アナウンサーのアイドルタレント化もなかった。女子アナブームは起こらなかった。
- 史実の人気女子アナの多くはアイドルや女優として有名になるか、一般人として社会に出て有名にはならなかった。
- バンドブームは史実ほど派手にはならない分、もう少し長続きした。
- 安全地帯やSHOW-YA、レベッカの全盛期は1990年代の前半まで続いた。
- TM NETWORKの「Self Control」や「Get Wild」は史実よりヒットし認知度も更に高かった。
- 1990年のTMNへのリニューアルはなかったかも知れない。
- その場合、この年のシングルはロック路線にはならず「RHYTHM RED」の制作が数年遅れていた。
- 1994年に「終了宣言」を打ち出して一旦解散ということはなく、その後も現在まで活動を恒常的に継続していたかも知れない。
- その場合、史実のような小室ブームはなかったが、宇都宮隆や木根尚登の人気が低迷することもなければ、小室哲哉が詐欺事件を起こすこともなかった。
- 1990年のTMNへのリニューアルはなかったかも知れない。
- CHAGE and ASKAは「モーニングムーン」や「黄昏を待たずに」「指環が泣いた」「恋人はワイン色」が史実よりセールスを伸ばし1980年代からヒットを連発していた。
- ロンドンで制作されたのは「SEE YA!」ではなく「ENERGY」だったのかも知れない。
- 逆にドラマ「101回目のプロポーズ」が制作されないため「SAY YES」は史実ほどセールスを伸ばさず、1990年代前半に一大ブームを起こすこともなかった。
- 初のダブルミリオンシングルは「YAH YAH YAH」になっていた。
- 2回目のシングルのダブルミリオンセールス達成は1995年前後になっていただろう。
- 初のダブルミリオンシングルは「YAH YAH YAH」になっていた。
- いずれにせよ、90年代でチャゲアスが大活躍するのは史実の前半ではなくむしろ後半になっただろう。
- 90年代後半以降も積極的にほかの歌手やアイドルに楽曲を積極的に提供していた。
- チャゲアスはSMAP、V6、TOKIO、Kinki Kids、MAX、CHEMISTRYなどへ楽曲を提供し自身の楽曲と同様にヒットさせていた。
- 90年代後半以降も積極的にほかの歌手やアイドルに楽曲を積極的に提供していた。
- CHAGE and ASKAが史実のような2000年以降の没落も回避できるので、ASKAは薬物に走らずに済んだだろう。
- 女性タレントは結婚したら芸能界から引退して専業主婦として家庭に収まるのが今でもごく普通になっていた。
- 「30歳定年説」というのが存在していた。
- ドラマの主演女優は20代が当たり前で、30代で中堅、40代になるとベテランの域に達するようになっていた。
- ≒もし日本で男女共同参画社会が進展しなかったらとも言える。
- この項目に書かれる女性芸能人が多くなっていた。
- ましてや20代以降でブレイクする遅咲きの女性芸能人はほとんどいなかった。
- 壇蜜が世に出ることもなく、橋本マナミや吉田羊も売れない女優のままだった。
- 未だに芸能人は結婚すれば自分の配偶者の名前をたとえ一般人であっても公表している。
- 子供が生まれた時も子供の名前も無条件で公表し、子供の名前や顔を伏せるといったことはしなかった。
- 必然的に石原さとみの配偶者等も公表している。
- エッセイを書いてるか、もしかすると1.5世?俳優として芸能界デビューしている。
- お笑い芸人が増えすぎることもなかった。
- 彼らの多くは一般企業に会社員として就職できていた。
- ≒もし日本の少子化がなかったらとも言えるので、21世紀(特に令和)以降にテレビで活躍する芸能人の平均年齢が上がらず、また遅咲きな年齢でデビュー・ブレイクする芸能人が多くならなかったかも。
放送[編集 | ソースを編集]
- 「101回目のプロポーズ」「東京ラブストーリー」などのトレンディドラマは制作されなかった。
- テレビドラマの視聴率低下は現実より早く訪れていた。
- 「鳥人戦隊ジェットマン」(「戦うトレンディドラマ」というスーパー戦隊)の内容が完全に変わっていた。
- テレビの深夜放送は現実よりも少なかった。
- バブルでスポンサーが増加しCM枠を増やすことが深夜放送増加の1つの要因だったから。
- 下手すれば深夜アニメというジャンルは生まれていなかった。
- その場合オタクブームは起こらず、秋葉原も普通の電気街のままだった。
- アキバ呼ばわりされることもなかった。
- 大阪の日本橋も同じく電気街のままで、ポンバシ呼ばわりされることもない。
- 地方局において本来全日帯で放送しているアニメが深夜に追いやられることはなかった。
- 当然ながらUHFアニメは存在していなかった。仮にあったとしても放送されるのは過激な描写(主に×××××な表現やグロ表現)が含まれている作品くらいだった。
- バラエティ番組の演出が現実以上にひどくなることはなかった。
- 無駄にテロップを入れたりいいところでCMを入れたりするようなことはなかった。
- ナレーションがうるさすぎて内容が入りづらくなることもなかった。
- 低俗すぎる番組が増えることもなかった。
- 企業紹介みたいな番組やグルメ番組がやたらと増えることもなかった。
- ぼかしやモザイクが必要以上に増えることもなかった。
- 出演者だけ喜んでいると言われることもなかった。
- 放送時間が無駄に長くなることもなかった。
- 3時間以上の長時間番組は現実よりも少なかった。
- この世界線では地方ではクロスネットが多くなっていたので、尚更その傾向が強まっていた。
- フジテレビはバラエティ至上主義に走ることはなかった。
- むしろ硬派路線のままだった。
- お台場に本社を移転することはなかった。
- 「フジテレビなら面白いことをしそう」と先入観を持つ視聴者や業界関係者が多くならない。
- いずれにしても、史実の人気アーティストや人気アイドルの楽曲のセールスや認知度は史実と多かれ少なかれ違ってくるし、タイアップも史実と異なる例も散見されるだろう。
- 当然のことながら音楽ユニット自体の結成や解散、活動の休止や再開時期も異なってくる。ソロならばデビューや引退も史実と違ってくる。
- 女子アナブームや女子アナのタレント化現象は起こらなかった。
- 女性アナは男性アナのアシスタント的な役割でしかなく、結婚と同時に退職するのが当たり前のままだった。
- 日本レコード大賞の放送日は大晦日のままだったかも。
- 日本の少子化が現実ほど進まなかったことが考えられることから、平日の夕方には今でもアニメや特撮ドラマの再放送が行われており、情報番組を長々とやることもなかった。
- アニメ「ドラえもん」「クレヨンしんちゃん」や「ミュージックステーション」の枠移動もなかっただろう。
- 「それいけ!アンパンマン」「しまじろうシリーズ」「名探偵コナン」「ポケットモンスターシリーズ」「ONE PIECE」なども同様。
- 民放キー局は今でもゴールデンタイムでのアニメ放送に意欲的だった。
- 『高速戦隊ターボレンジャー』と『地球戦隊ファイブマン』は「スーパー戦隊の暗黒時代」とされていなかった。
- フジテレビは「ポンキッキーズ」を平日朝の放送から平日夕方→土曜日朝に変更そしてBSへ移行させなかった。
- 2000年代以降も平日朝の放送で定着し続けている。
- アニメ「ドラえもん」「クレヨンしんちゃん」や「ミュージックステーション」の枠移動もなかっただろう。
- 歌番組が壊滅状態になることはなかった。
- 平成新局があまり整備されなかった。テレビ朝日系列は史実より貧弱だった。テレ東は福岡に進出していたが、佐賀との相互乗り入れで実現していた。
- TNCまたはSTSのどちらかがテレ東系列になっていた。もしくはTNCがクロスネットで加盟し、STSが独立局としてTNCの漏れ落ちを流すという感じになっていたかも。
- こうなっていたかもしれない。
- ここに書いてある1980年代後半以降のいくつかのアニメ作品も史実以上にヒットしなかったかもしれない。
- YTSがテレビ朝日系にネットチェンジせず、現在もフジテレビ系のままだった。