もしプロ野球の表彰が○○だったら

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最優秀選手[編集 | ソースを編集]

各年に最も活躍した選手に与えられる最優秀選手(MVP)のタイトルは、現行では原則として各リーグの優勝チームの中で貢献度No. 1の選手が選ばれ、類稀な成績を残した選手がいた場合にのみ優勝チーム以外からも選出されることがあります。この選出方法が現行と違っていたら?

  • 各項目とも、投稿は年代順でお願いします。

所属チームの成績とは無関係に最も活躍した選手を選出することになっていたら[編集 | ソースを編集]

MLBでは基本的にこの方法に立っています。

  1. パリーグでは1997-2000年までもイチローが選出され、7年連続で受賞することになっていたかもしれない。
    • 1999年は首位打者とはいえ、フル出場していないし最多安打も獲得していない。打率も1994-2000年の7年間で2番目に低いので微妙。
1961年・パ
  1. 2リーグ制以降最多の42勝を挙げた稲尾和久が選出されていた。
1986年・両
  1. 2年連続で三冠王に輝いたランディ・バースと落合博満が選ばれ、ともに2年連続の受賞となっていた可能性が高い。
1999年・両
  1. セ・リーグでは史実でMVPに輝いた野口茂樹よりも勝数・防御率で上回った上原浩治か、右打者最高打率(.369)・153打点のロバート・ローズになっていただろう。
  2. パ・リーグでは高卒新人としては史上初となるベストナインとゴールデングラブ賞、最多勝、新人王に輝いた松坂大輔が選ばれていただろう。
2005年・セ
  1. 史上2人目のシーズン200安打を達成した青木宣親が選ばれていたかもしれない。
2008年・セ
  1. 右打者最高打率を更新した内川聖一が最下位球団から受賞していたかも。
2010年・パ
  1. スイッチヒッターとして初の200本安打を達成し最多安打を獲得するした西岡剛が選ばれたかも。
2011年・パ
  1. 統一球をものともせずに本塁打王を独走したおかわり君・中村剛也が選ばれていただろう。
2014年・セ
  1. 日本人右打者のシーズン通算193安打を放った山田哲人が選ばれ、2年連続最下位球団からの受賞。
2015年・パ
  1. NPB新記録シーズン通算216安打を放った秋山翔吾が選ばれていただろう。
2016年・セ
  1. 2年連続トリプルスリーの山田哲人か本塁打王・打点王の二冠で球団初のCS出場に貢献した筒香嘉智が選ばれていた。

完全に優勝チームからの選出に限定されていたら[編集 | ソースを編集]

  1. 日本語名称が「最優秀選手」に変更されず、「最高殊勲選手」のままだった。
    • 史実では1963年から「最優秀選手」に変更された(同年のパ・リーグで選ばれたのは優勝した西鉄の選手ではなく、南海の野村克也が優勝していない球団から初めて選出)。
1949年
  1. 史実の藤村富美男ではなく、優勝した巨人から最優秀防御率と最高勝率を記録した藤本英雄が選ばれていたかも。
1963年・パ
  1. 優勝した西鉄から、稲尾和久が選出されていた。
1964年・セ
  1. 優勝した阪神から、ジーン・バッキーが選ばれていた。
1974年・セ
  1. 優勝した中日から、星野仙一が選ばれていたものと思われる。
1980年・パ
  1. 史実の木田勇ではなく、優勝した近鉄で本塁打王・打点王に輝いたC. マニエルの2年連続受賞だった。
1982年・パ
  1. 史実の落合博満ではなく、優勝した西武の松沼博久と松沼雅之の兄弟でMVPを争うことになっていた。
    • 甲乙つけがたい成績だが奪三振で大きく勝る兄が有利か?
1985年・パ
  1. 史実の落合博満ではなく、優勝した西武から東尾修が選ばれていたと思われる。
1988年・パ
  1. 史実の門田博光ではなく、優勝した西武から最多勝を獲得した渡辺久信か、無冠ながら打撃3部門+守備&走塁で優れた成績を残した秋山幸二が選ばれていた。
1990年・パ
  1. 野茂英雄ではなく、優勝した西武から本塁打・打点の2冠を獲得したO. デストラーデか、無冠ながら打撃3部門で優れた成績を残した清原和博が選ばれていた。
  2. 後者の場合、清原が「無冠の帝王」の典型のように扱われることはなかっただろう(史実でも公式タイトルの最高出塁率などを獲得しているが)。
1994年・パ
  1. イチローではなく、西武移籍1年目で盗塁王を獲得した佐々木誠が選ばれていたと思われる。
2004年・パ
  1. 松中信彦は三冠王になりながらもMVPになれなかったので、過去三冠王を取りながらMVPになれなかった経験があるランディ・バースや落合博満らが引き合いに出されていた。
  2. 和田一浩は史実での2010年と合わせて両リーグでMVPを受賞した選手になっていたと思われる。
2005年・パ
  1. 杉内俊哉ではなく、渡辺俊介・サブロー・今江敏晃・西岡剛のいずれかが選ばれていた。
2008年・パ
  1. 岩隈久志ではなく、中島裕之と中村剛也の争いになっていた。
2013年・セ
  1. バレンティンが選ばれることはなかった。単純に考えれば史実で得票数2位の村田修一が選ばれたことになるだろうが…。
2014年・パ
  1. 金子千尋ではなく、単純に考えれば史実で得票数2位の柳田悠岐が選ばれたことになるだろうが…。

あの年の優勝チームが違っていたら[編集 | ソースを編集]

僅差で優勝を逃したチームが、史実と違って優勝していた場合を想定してください。選出方法は現行と同じとします。

1973年・セ
  1. 阪神が最終戦で勝利して優勝していれば、江夏豊が選ばれていただろう。
1982年・セ
  1. 中日が最終戦の大洋戦で敗れて巨人が優勝していれば、江川卓か原辰徳が選ばれていただろう。
1984年・セ
  1. 中日が優勝していれば、谷沢健一が選ばれていただろう。
1986年・セ
  1. 巨人が優勝していた場合、クロマティが選ばれていたと思われる。
1988年・パ
  1. 近鉄が10.19決戦に勝ち優勝していた場合、阿波野秀幸かブライアントが選ばれていただろう。
1989年・パ
  1. オリックス優勝の場合はブーマー、西武優勝の場合は秋山幸二が選ばれていただろう。
1991年・セ
  1. 中日が優勝していれば、落合博満が江夏豊以来となるセ・パ両リーグでの受賞となっていた。
1991年・パ
  1. 近鉄が優勝していれば、野茂英雄が史上初となる入団からの2年連続の受賞となっていた。
1992年・セ
  1. 阪神優勝の場合は仲田幸司かパチョレック、巨人優勝の場合は斎藤雅樹が選ばれていたものと思われる。
1993年・パ
  1. 日本ハムが優勝していれば、西崎幸広かウインタースが選ばれていただろう。
1994年・セ
  1. 中日が最終戦で勝利して優勝していれば、大豊泰昭か山本昌広、広島優勝の場合は前田智徳か野村謙二郎が選ばれていただろう。
1996年・セ
  1. 中日優勝の場合は山崎武司、広島優勝の場合はロペスが選ばれていたものと思われる。
1998年・パ
  1. 日本ハムが優勝していれば、片岡篤史かウィルソンが選ばれていただろう。
2007年・セ
  1. 中日優勝の場合はタイロン・ウッズか岩瀬仁紀、阪神優勝の場合は藤川球児だっただろう。
2008年・セ
  1. 阪神が優勝していれば、藤川球児か金本知憲が選ばれていただろう。
2008年・パ
  1. オリックスが優勝していれば、小松聖かローズが選ばれただろう。
2010年・セ
  1. 阪神優勝の場合はマートン、巨人優勝の場合はラミレスが選ばれていたものと思われる。
2010年・パ
  1. 西武が土壇場でV逸することがなければ、中島裕之が選ばれていただろう。
2011年・セ
  1. ヤクルトが優勝していたら、来日1年目でホームラン王に輝いたバレンティンが選ばれたかも。
2014年・セ
  1. 広島優勝の場合は菊池涼介、阪神が優勝の場合は外国人選手では初めてとなる来日初年度の100打点を達成したマウロ・ゴメスが選ばれていただろう。
2015年・セ
  1. 巨人優勝の場合は菅野智之かマイコラス、阪神優勝の場合は藤浪晋太郎か福留孝介が選ばれただろう。
2016年・セ
  1. 巨人が優勝していれば、遊撃手として首位打者になるのはセ・リーグ史上初の坂本勇人が選ばれていただろう。
2016年・パ
  1. ソフトバンクが優勝していれば、日本球界5年ぶり復帰の最多勝利と勝率第一位投手のタイトルを獲得した和田毅が選ばれただろう。
2021年・セ
  1. 阪神が優勝していたら、近本光司かスアレスが選ばれたかも。
2021年・パ
  1. ロッテが優勝していたら、荻野貴司かレアードが選ばれたかも。
2022年・セ
  1. DeNAが優勝していたら今永昇太かエスコバー、阪神が優勝していたら青柳晃洋が選ばれたかも。
2022年・パ
  1. ソフトバンクが優勝していたら、千賀滉大か今宮健太が選ばれたかも。

選出対象が打者優先だったら[編集 | ソースを編集]

MLBでは基本的にこの方法に立っています。

  • ただし項目名の通り、MLBでも投手がMVPに選ばれる可能性はあります。また、1953年から55年のパ・リーグでは投手をMVPの選出対象外としたことがあります。
  1. それでも2013年の田中将大みたいに、類稀な成績を残しリーグ優勝に貢献した投手はMVPに選出されただろう。
    • あと、2016年の大谷翔平のように打撃成績が優秀な投手も。
  2. 沢村賞の対象が両リーグから1名ずつになっていた。
    • リリーフ投手も受賞可能になっていた。
      • リリーフ投手としての受賞第1号は1979年の江夏豊。

リーグ優勝チーム部門とV逸チーム部門に分けられていたら[編集 | ソースを編集]

  1. V逸チーム部門の名義は敢闘賞か?
  2. このページの最初の2項目は現実のものとなっていた。
  3. 敢闘賞は該当者なしの年があったかもしれない。

日本シリーズ進出チームからの選出に限定されていたら[編集 | ソースを編集]

完全に優勝チームからの選出に限定されていたら」とは異なり、「2位or3位のチームがCSに優勝して日本シリーズに出場した場合、そのチームに限定して選出」というルールを想定します(あくまで「優勝チーム」ではないため)。

2007年・セ
  1. 山井大介が選ばれていた。
2010年・パ
  1. 荻野貴司か金泰均が選ばれていた。
2014年・セ
  1. ゴメス、マートン、メッセンジャー、呉昇桓の外国人カルテットの争いに。
2017年・セ
  1. この年の打点王のホセ・ロペスか首位打者の宮崎敏郎が選ばれていた。
2018年・パ
  1. 柳田悠岐か森唯斗が選ばれていた。
2019年・パ
  1. 千賀滉大が選ばれていた。

沢村栄治賞[編集 | ソースを編集]

リーグ分立時からパ・リーグも対象だったら[編集 | ソースを編集]

1989年からパ・リーグにも対象が拡大されて全球団から選出されることとなった。

  1. 「MLBのサイ・ヤング賞を見習って作られた」という誤解は減っていた。
  2. パリーグの人気低下はもう少しましになっていたかも。
  3. 両リーグ1人ずつ、あるいはリリーフ・クローザーにも対象が拡大された可能性も。
  4. 1971年に阪急の山田久志、1980年に日本ハムの木田勇が受賞していた。
    • 1961年、西鉄の稲尾和久が中日・権藤博と共に受賞していた。

リリーフ投手も受賞対象だったら[編集 | ソースを編集]

  1. リリーフ投手の価値は早い段階で上がっていただろう。
  2. 1980年に江夏、1997、98年に佐々木が受賞していた。
  3. 1988年の郭源治、2011年の浅尾拓也も有力。
  4. 2005年の岩瀬仁紀、2007、08年の藤川球児も有力だったかも。

最優秀新人[編集 | ソースを編集]

海外のプロリーグ所属経験を持つ外国人枠選手も選考対象だったら[編集 | ソースを編集]

  1. 広島のチェコ選手が1995年の新人王になっていた。
    • 2014年には広島のロサリオも候補だった。
  2. いずれにしろ、よほど若い外国人選手じゃないと新人王獲得は無理であろう。
    • 「MLB以外(マイナーは可)」という条件でもやっと一人出るかどうか。
  3. スカウトが外国のアマ選手を偵察するようになる。
  4. ほとんどの年の新人王を外国人が占める。
    • 史実の木田勇、清原、野茂、上原クラスでないと日本人は獲得出来ない。
    • 実際は選考する記者たちが日本人を優先するはずだからそこまでハードルは高くならないと思われる。
    • 明らかに成績が上回る外国人選手がいたのに日本人が受賞したら、人種差別ではないかと物議をかもす。
  5. 3か国で新人王を獲得する選手も出てくるかも。
    • 韓国プロ野球で新人王を獲得、その後来日し新人王、メジャー移籍し新人王というパターン。

年齢制限が存在したら[編集 | ソースを編集]

22歳以下
  • Jリーグの「ベストヤングプレーヤー賞」は2010年よりこの規定(「その年の4月2日時点で21歳以下」)。
  1. 受賞者は高卒ないし社会人経由で入団1〜2年目の選手が占める。
  2. 大卒でプロ入りする選手が減る。
    • 条件が「その年の4月1日時点で22歳以下」ならセーフ。
  3. 該当者なしの年がほとんど。
    • 逆に高卒選手の積極起用が増えるかもしれない。
  4. 逆に入団からの年数制限は撤廃される。
  5. 西武の牧田和久(2011年4月1日の時点で26歳)と源田壮亮(2017年4月1日の時点で24歳)が年齢制限に引っ掛かり受賞できなくなるため、2017年現在の12球団で西武だけが「21世紀の新人王受賞者が不在」の球団ということになってしまう。

完全に入団1年目の選手からの選出に限定されていたら[編集 | ソースを編集]

  1. 「該当者なし」となるシーズンが増えていたかもしれない。
1982年・パ
  1. 2年目の大石大二郎(近鉄)ではなく、7勝を挙げた山沖之彦(阪急)が選ばれていた。
1985年・セ
  1. 2年目の川端順(広島)ではなく、110試合に出場した広沢克己(ヤクルト)が選ばれていた。
1988年・パ
  1. 2年目の森山良二(西武)ではなく、高柳出己(近鉄)か山内嘉弘(阪急)が選ばれていた。
1998年・パ
  1. 4年目の小関竜也(西武)ではなく、56試合に登板した藤田宗一(ロッテ)が選ばれていた。
2000年・セ
  1. 2年目の金城龍彦(横浜)ではなく、9勝を挙げた高橋尚成(巨人)が選ばれていた。
2005年・セ
  1. 2年目の青木宣親(ヤクルト)ではなく、8勝を挙げた中田賢一(中日)が選ばれていた。
2008年・セ
  1. 3年目の山口鉄也(巨人)が選ばれることはなく該当者なしだった。ちなみに史実で選考2位・3位だった坂本勇人(巨人)と岩田稔(阪神)もそれぞれ2年目・3年目だった。
2018年・パ
  1. 2年目の田中和基(楽天)ではなく、全試合出場し123安打を記録した藤岡裕大(ロッテ)が選ばれていた。
2019年・セ
  1. 村上宗隆ではなく、新人最多安打記録を更新した近本光司が選ばれていた。この場合、新人王と盗塁王のダブル受賞となった。
2019年・パ
  1. 高橋礼ではなく、交流戦で首位打者を記録した中川圭太が選ばれていた。
2021年・パ
  1. 宮城大弥ではなく、9勝を挙げた早川隆久(楽天)が選ばれた。
2022年・パ
  1. 水上由伸ではなく、佐々木朗希と完全試合バッテリーを組んでいた松川虎生が選ばれていた。
2023年・セ
  1. 村上頌樹がMVPとダブル受賞することはなく、史実得票2位の森下翔太が選ばれていた。
2023年・パ
  1. 山下舜平大ではなく、史実得票2位の渡辺翔太が選ばれていた。

カムバック賞[編集 | ソースを編集]

1974年以前に制定されていたら[編集 | ソースを編集]

  1. 1965年に中日の板東英二と巨人の中村稔、1972年に阪神の田淵幸一が受賞していた。

外国人選手も選考対象だったら[編集 | ソースを編集]

  1. 1989年に巨人・クロマティと日本ハム・ブリューワ、2000年に日本ハム・ウィルソン、2012年にロッテ・グライシンガーが受賞していた。
  2. 再来日の方の復活も含めるとしたら2007年のローズも受賞していた。

現在も当初と同じ選考基準だったら[編集 | ソースを編集]

近年は選手生命の危機となる怪我・病気をした選手を専ら選出するようになったため、ほとんど該当者がいない。

  1. 07年巨人・木佐貫洋、09年中日・河原純一、14年ソフトバンク・大隣憲司、16年ヤクルト・坂口智隆、19年中日・大野雄大、23年DeNA・東克樹が受賞していたことであろう。

パ・リーグがセ・リーグと同じ選考基準だったら[編集 | ソースを編集]

パ・リーグは授賞基準が厳しく2023年まで6人しかいない。

  1. 1982年に阪急・佐藤義則、1993年に日本ハム・田中幸雄とオリックス・藤井康雄、2005年オリックス・大久保勝信、2019年オリックス・海田智行が受賞していた。

最優秀バッテリー賞[編集 | ソースを編集]

1991年以前に制定されていたら[編集 | ソースを編集]

  1. 1972年、73年と阪神の江夏豊と田淵幸一が受賞していた。
  2. 1978年ヤクルトの松岡弘と大矢明彦が受賞していた。
  3. 巨人の森祇晶か南海の野村克也が選出選手候補だったことだろう。

正力松太郎賞[編集 | ソースを編集]

1977年以前に表彰されていたら[編集 | ソースを編集]

  1. 巨人の川上哲治が選手、監督として受賞していたことだろう
    • 10回以上受賞していた。
  2. 1965年南海の野村克也が戦後初の三冠王として受賞していた。

ゴールデン(ダイヤモンド)グラブ賞[編集 | ソースを編集]

1972年以前に表彰されていたら[編集 | ソースを編集]

  1. 吉田義男は間違いなく複数回受賞している。
  2. 南海の「100万ドルの内野陣」が揃って受賞するシーズンがあった。
  3. 松原誠がタイトルなしで現役を終えることはなかった。
    • それでも王貞治が優位なのは変わらないはず。
  4. 1954年、巨人の広岡達朗が新人として初受賞していた。
  5. V9巨人の正捕手・森昌彦もこの賞の常連になっていた。
    • 「一度も受賞していないのは意外」と言われることはなかった。

最多安打[編集 | ソースを編集]

1994年以前から表彰されていたら[編集 | ソースを編集]

現実ではイチローの210安打をきっかけに表彰が始まった。

  1. 長嶋茂雄がこのタイトルの最多獲得者であることがもっと知られていた。
    • 長嶋にとっても励みとなり、180安打ぐらい打っていたシーズンもあったかもしれない(史実では最多の年でも163安打)。
    • よって通算2500安打を超えていた。
  2. 近鉄時代の土井正博は無冠の帝王と呼ばれなかった。
  3. 打撃三冠王に最多安打が加わり「四冠王」といわれていたかもしれない。
    • ちなみに戦後の三冠王で同時に最多安打を獲得していないのは王貞治の2回目(1974年)と落合博満の2回目以降(1985年・86年)。
  4. 1982年の田尾安志は最多安打を獲得していたので、首位打者を争っていた長崎慶一のいる大洋との試合で敬遠され続けても途中であきらめていた可能性がある。
  5. 藤村富美男の最多安打記録(191安打)を塗り替えて初めて200安打を達成する選手が出てくるのが早まっていたかも。
    • 早くて広瀬叔功(史実では1963年に187安打)か張本勲(史実で1976年に182安打)あたりが達成していたかも。
      • 前者の場合2014年の山田哲人よりも先に、日本人右打者最多安打新記録となっていた。
      • 後者は通算安打数も3200近くまで増やせていた。
        • イチローが現実通り活躍できていたら、シーズン・通算それぞれの安打数で現実以上に比較されていた。
    • その場合、1994年のイチローの210安打は史実ほど注目されなかったかも。

その他[編集 | ソースを編集]

一切なかったら[編集 | ソースを編集]

  • 日本シリーズMVP、最多勝、本塁打王、ゴールデングラブなど、あらゆる賞そのものが一切表彰されることがなかったら?
  1. プロ野球がここまで盛り上がることがなかった。
  2. プロ野球選手はシーズン中の試合をやって、年俸貰って、終わりという寂しい立ち位置だった。
  3. 順位も付けなかったかもしれない。そうなると、日本シリーズもなければ、一番勝ったからといって胴上げすることもなかった。
  4. そもそも試合の詳細な記録自体公表してなかったかもしれない。
  5. 静岡の勝手国みたいに、野球に厳しい法が敷かれているのかもしれない。
  6. 個人タイトルが存在しないので、消化試合での敬遠合戦などの悪習はなかった。