もしあの人が健在だったら/その他
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安藤満[編集 | ソースを編集]
鳴きでツモの流れを操る「亜空間殺法」で一世を風靡し、『むこうぶち』などの漫画原作を手がけるなど多方面で活躍しながら、55歳の若さで他界したプロ雀士・安藤満。もし彼が今なお健在だったら…。
- 最低1~2個はタイトルを取っている。
- 現在も『むこうぶち』の原作を手がけている。
- 西原理恵子の冠婚葬祭には何かと顔を出している。
飯田正人[編集 | ソースを編集]
最高位戦4連覇など「ミスター最高位」「大魔神」「白鯨」などの異名を持ち最強と謳われていたが、63歳で大腸癌で他界したプロ雀士・飯田正人。もし彼が今なお健在だったら…
- =ガンが寛解していたらである。
- その後も恐らく抗がん剤治療のために頭髪が抜けたため被っていた帽子をトレードマークにしていたかも。
- 亡くなる前に出場権を有していたMONDO TVの第8回王座決定戦に出場していた。
- MONDO TVのタイトルはもちろん、最高位戦などのタイトルもさらに取っていただろう。
伊藤和夫[編集 | ソースを編集]
- 2014年の代ゼミ縮小について講義もしくは講演会でコメントされてたかも。
- 山本義隆先生同様75歳くらいまでは現役で活動されてたかも。
- 駿台の後輩の竹岡師がNHKの仕事の流儀に出たときに、インタビューあたりは受けてたかも。
伊東一雄(パンチョ伊東)[編集 | ソースを編集]
- 体力の持つ限りは「すぽると!」のメジャーリーグコーナーを担当していた。
- イチローや松井秀喜といった日本人メジャーリーガーの活躍には声を大にして喜んでいただろう。
- 一方WBCに関してはどういう意見を述べていたか気になる。
植村直己[編集 | ソースを編集]
- 探検の神様と呼ばれ、カリスマ視されていた。
- 東の三浦、西の植村になっただろう・・・
- 野口健と一緒にエベレストはじめ世界各地の山に清掃登山に行っていた。
- 日本山岳協会会長に就任か…。
- 「世界一受けたい授業」に講師として出演。
- 宇宙飛行士になって宇宙を冒険。
- 40歳を過ぎてからの転身はさすがに無謀かと。
- それ以前に本人が宇宙を目指そうとしていた痕跡はない。
- 同姓同名(ただし下の名前の表記が異なる)という縁でこのアナウンサーとの対談が実現していた。
- ちなみに植村直己自身も関西(兵庫県)出身。
- 宿願の南極大陸横断を達成していた。
- 当然ながら国民栄誉賞はまだ受賞していない。
- 2013年6月22日の『富士山世界遺産登録』決定時に、富士山登山に関して何らかの提言をした可能性があった。
- 恐らく、富士山世界文化遺産登録決定後に急増した『弾丸登山』に、何らかの苦言を呈したかもしれない。
- NHK-BSプレミアムで月曜19時30分から放送『にっぽん百名山』を監修した可能性があった。
- イモトアヤコと一緒にエベレスト登山に行っていた。
- 日テレ「24時間テレビ」の登山企画で、監修もしくはプロデュースした可能性も…。
- アウトドア専門の学校を設立していた。
江畑謙介[編集 | ソースを編集]
- 憲法改正問題の解説者としてテレビにかなり出演されてそう。
大川慶次郎[編集 | ソースを編集]
- 体力の持つ限りは「スーパー競馬」に出演していた。
- 「21世紀の競馬」を見ることが叶っていた。
- ハルウララやディープインパクトに対してどんなコメントをしていただろうか…。
小川英[編集 | ソースを編集]
- 名探偵コナンの脚本に参加していた。
- 七曲署捜査一係4部作の脚本を全て執筆していた。
- マツケン版遠山の金さんの脚本も執筆していた。
- 「三匹が斬る!」や「鬼平犯科帳」の脚本に最後まで参加していた。
壁村耐三[編集 | ソースを編集]
- 秋田書店編集部にもう一度復帰されていた、、、かも。
岸由一郎[編集 | ソースを編集]
- 2011年の東日本大震災発生後の鉄道に関してもコメントしていた。
- 生前の活躍ぶりを見るととても「コメント」どころでは済まなかったような気がする。
- 被害路線の早期復旧に向けたPRなどに精力的に取り組んでいた。
- 生前の活躍ぶりを見るととても「コメント」どころでは済まなかったような気がする。
- リニア・鉄道館や京都鉄道博物館の展示内容策定にも関与していた。
- 海外の鉄道博物館や鉄道車両保存について助言を行う機会にも恵まれていた。
- 「岸由一郎が関与した」ということが少なからぬ鉄道ファンにとって博物館の品質証明となっている。
- 師匠の青木栄一氏と共著で鉄道史に関する著書を出していた。
- 車両保存関連の一般向けの入門書も出している。
- テレビ番組に出演する機会もさらに増えていた。
- NHK「探検バクモン」あたりには確実に出ていた。
- 場合によっては多忙のため鉄道博物館を退職していたかもしれない。
- 母校の東京学芸大学の客員准教授くらいにはなれていた。
- 2012年の井笠鉄道記念館廃館問題の際にも建物(旧新山駅舎)や車両を守るため奔走していた。
- 『駅メモ!-ステーションメモリーズ!』などの鉄道系ゲームにも関与していたかもしれない。
- スーツ氏などの鉄道系YouTuberともコラボ出演していたかもしれない。
ダイアナ元皇太子妃[編集 | ソースを編集]
- その後もボランティア活動を積極的にこなすも、引き続きパパラッチに狙われ続ける。
- 日本で「パパラッチ」という言葉は定着していなかった。
- ゆくゆくはアルファイド氏と再婚していたかもしれない。
- と言うよりもダイアナはアルファイド氏の子を妊娠したから暗殺されたって説もあるんだよね。
- 実際は妊娠していなかったらしい。
- アルファイド氏の伯父さんは悪名高い武器商人カショギであり、熱心に取り組んでいた対人地雷廃止運動との矛盾を突っ込まれて、その意味で大スキャンダルになったと思う。
- と言うよりもダイアナはアルファイド氏の子を妊娠したから暗殺されたって説もあるんだよね。
- エルトン・ジョンは「Candle In The Wind 1997」を歌っていない。シングルは当初の予定通り「Something About the Way You Look Tonight」の単独名義で発売されることになる。
- 他国メディアからの英国王室へのバッシングは現在も続いており、最悪の場合、ウィリアム、ヘンリー兄弟も王室を捨て、母であるダイアナのもとへ去っていたかも。
- チャールズ皇太子とカミラ夫人は史実より早い時期に再婚したが、世界各国からの扱いは冷たかった。
- 息子ウィリアム王子とキャサリン妃の結婚式に招待され、二人を祝福していたかも。
- お騒がせ女であることが明らかになり英国民の人気も低下する。
- 2012年のオリンピックはロンドンじゃなかったかもしれない
マッスル北村[編集 | ソースを編集]
- 山岸がオリンピア10位に入ったことことなど日本のボディビルの進歩を称えるコメントをしていた。
純恋[編集 | ソースを編集]
- モデルとしての人気が上昇していた。
- 「小悪魔ageha」の看板モデルに成長していた。
- ボランティア活動は続けている。
- 仙台が絡む何らかのイベントで小田井涼平(関西出身だが仙台でモデル活動を始めた)との共演が実現していたかも。
貞明皇后[編集 | ソースを編集]
※昭和25年(1951年)5月17日に貞明皇后は崩御しましたが、昭和25年(1951年)6月以降に貞明皇后が生きていたらどうなっていたのでしょうか。
- 昭和28年(1953年)に秩父宮雍仁親王が亡くなったときに悲しみ包まれた。
- エリザベス2世女王の戴冠式には出席していなかった。
- 当時の皇太子明仁親王(現・上皇)と皇太子明仁親王妃美智子(現・上皇后)の結婚の儀においてお祝いのメッセージを述べている。
- 昭和35年(1960年)曾孫の浩宮徳仁親王(現・今上天皇)が誕生したことに伴いお喜びになっている。
- 1960年代以降、一般参賀に出席していたことがある。
- 自身の初孫である東久邇成子が亡くなったあとの昭和36年(1961年)7月26日に成子さんの葬儀には参列していた。
- 昭和39年(1964年)に開催の東京オリンピックの開会式に出席していた。
- 昭和43年(1968年)か昭和53年(1978年)まで生きていたかもしれない。
戸田城聖[編集 | ソースを編集]
- 池田大作氏は現在とは違う処遇になった可能性が高い
- 無罪判決になったが大阪事件の道義的責任を取らされ失脚した可能性がある
- 別の方が3代目会長に就任した可能性がある
- 海外にある池田大作氏の一兆円の個人資産はもちろん無い
- 今とは違う創価学会ができた可能性がある
- 池田大作氏の長男池田正博氏は幹部職にいない
- 池田大作氏が戸田城聖会長に叱責され反省し真人間になった可能性がある
- あるいは、池田氏は戸田会長と対立して脱会し、新たな日蓮正宗系の教団を結成。創価学会と敵対していたかも。
- 但しどちらも史実ほどの勢力はないと思われる。
- 創価学会は今以上の発展を遂げている
- 当然、日蓮正宗との決裂はない。
- 今も身延線には日蓮正宗の行事の時に臨時列車が走っていた。
- 特急「ふじかわ」の本数も多かった。
- 当然、日蓮正宗との決裂はない。
- 彼(戸田氏)や池田氏の活躍次第では、日本人の創価学会そのものへのイメージが良い意味で変わっていて、日本人が宗教に寛容になれていたかもしれない。
- 大作の次男も早世することはなかったはず。
- 創価学会を批判する書物の発売および言論出版統制事件は起きなかった
- 学会そのものや学会員の有名人を叩く風潮もなかったかも。
- 人間革命が書かれていないor書かれていても戸田城聖氏と牧口常三郎氏の話になっていた可能性も。
- 公明党は党名が変わっていたか、場合によっては結党に至らなかった。
野村沙知代[編集 | ソースを編集]
- 史実ではサッチー死後、ノムは著書でサッチーが引き起こした南海時代の問題行動の数々を認める傾向であったが当然サッチーを擁護したまま。
- 南海監督解任騒動で絶縁状態になった実兄ともノムは和解せずに終わる。
- 結局、ノムは死ぬまでホークスOBとしてのイベントには全く出ず。
引田天功(初代)[編集 | ソースを編集]
- 今も大脱出に挑戦していた。
- 引田智子は少女隊には加入せず、「プリンセス・テンコー」としてデビューしていた。
- ばびっとも別の人が担当していた。
- 朝風まり(現実の2代目)はそのまま引退していた。
- 某国の将軍様の楽しみが1つ減っている。
- 数年後、ある刑事ドラマの悪役を拝命して、大門軍団と戦う組織の首領を演じていた。
平塚八兵衛[編集 | ソースを編集]
- グリコ・森永事件が社会を震撼させたころは、後手に回った警察の捜査姿勢を嘆いていた。
ビリー・ヘリントン[編集 | ソースを編集]
- 2013年以降も来日してニコニコ超パーティーなどの大規模なイベントに参戦していたかもしれない。
- 50歳の誕生日となった2019年7月14日には本人からの報告動画が上がっていた。
- ニコニコ動画界隈での盛り上がりも史実よりずっと盛大だったであろう。
- バイセクシャルとしてLGBTの権利拡大を求める運動にも参加していた。
- ひょっとすると日本の性的マイノリティとも連帯できていたかもしれない。
- それでもガチムチ関連動画の衰退を食い止めるには至らなかった。
- 既に建設業がメインとなっていたため新しい素材がそこまで増えたようには思えない。
- たまに訪日・訪中などした際の動画もあまりMADに使われないと思われる。
- 史実で死の原因になった交通事故から歪みなく生還していたら現実以上に崇められている。
- 「兄貴は森の妖精だから本格的♂生存本能で助かった」などと噂された。
- 場合によっては赤さんの元ネタの男性やVAN様あたりとの共演が何らかのイベントで実現していた。
マーティン・ルーサー・キング・ジュニア[編集 | ソースを編集]
- ベトナム戦争終結後は核軍縮を目指す運動に力を入れていた。
- 現在まで健在だった場合、イラク戦争に反対していた。
- "I have a dream"に匹敵する演説を行っていたかもしれない。
- 2008年の大統領選でオバマの応援に駆けつけていた。
- あるいは、自らが大統領になろうとした。
- 2004年以前に黒人大統領が誕生していた。
- ネルソン・マンデラ氏の前に南アフリカの大統領に就任か?
- 2016年に発足したトランプ政権での『トランプ大統領』の「暴言(イスラム教の入国禁止)」をどう思ったか?
- 「汚い国」発言についても。
- あるいは、自らが大統領になろうとした。
- アメリカ大陸で黒人の独立国家を興す。
- 第二次南北戦争を回避するため南北会議によって南部に人口約2千万人の国として独立。
- キング牧師の考えは人種間の融和を第一にしたものなのでそれはない。
- 参考:「いつの日か、ジョージア州の赤い丘の上でかつての奴隷の子孫とかつての主人の子孫が兄弟愛というテーブルに同席できることを願っている」(1963年にキング牧師が行った演説の一部)
- 1970年代前半ころのJNNニュースコープのオープニングで、別の人物が登場していた。
- マルコムXの影が薄くなっていた。
- 同じ黒人解放運動家でもキング牧師は穏健派でマルコムXは過激派。それほど影は薄くなっていないと思う。
- 現役の上院議員である
- さすがに21世紀頃には天寿を全うしていたであろう。この場合、上記3は実現しない。
- 1996年のアトランタオリンピックの開会式に出席していた。キングからモハメド・アリへの聖火リレーが実現していた。
マザー・テレサ[編集 | ソースを編集]
- アフガニスタンやイラクに向かい難民や子供を支援していた。
- ソマリアやスーダンにも行っていた。
- フォラツェン氏とともに北朝鮮に出向いた。
- なぜかアルカイダの暗殺対象にされていた。
- アルカイダは現実でも「緒方貞子を暗殺する」と言っていたくらいなのでこのようなことがあっても不思議ではない。
- インドの急激な経済発展に対し何らかの意見をしていた。
- 「格差の拡大を避けることが政治の務めだ」といった趣旨のものが予想される。
- 実際の政治にもある程度影響を及ぼしていた。
- コソボ独立問題にはどう反応していたのだろう…。
- 100歳の誕生日を迎える2010年8月26日には世界各地で生誕100年を祝うミサが開かれていた。
- 生前から列福のための調査が行われることはさすがに無さそう。
- トランプ大統領の排外的な言動に対し意見し、トランプにツイッターで罵られていた。
- 恐らく2020年には天寿を全うしている。
三宅久之[編集 | ソースを編集]
- 2012年の安倍晋三氏の総理大臣就任や2013年のたかじん復帰に満面の笑みで喜んでいた。
- 竹○氏はたかじんのそこまで言って委員会に出たとしても、もう少しおとなしいキャラだった。
- 2014年のたかじんの死去や2022年の安倍晋三氏が銃撃されて亡くなった際には死を悼んでいた。
森徹[編集 | ソースを編集]
- 長野五輪にももちろん出場。メダルは無理でも入賞は果たしていたかもしれない。
- メダル獲得の場合、日本の長野五輪のメダル数は多かった
- ソルトレイクも出場。トリノは厳しかったかも。
- 2005年辺りに現役を引退していた。
- 「いのちの輝き」「トオル、君を忘れない」はもちろんなかった。
山口二矢[編集 | ソースを編集]
昭和35年、当時、日本社会党委員長だった浅沼稲次郎を刺殺した17歳の少年、山口二矢(やまぐち おとや)。その後、少年鑑別所内で首吊り自殺を遂げた。 もし、自殺していなかったら。
- やはり、その後も過激派右翼運動家として活動し続けている。
- 国会議員になってたかも。
- 立候補はしたかもしれないが、当選は難しいのでは…
- 当選は無理だったとしても、選挙に立候補したことで一定レベルの知名度は得られていただろう。
- 立候補はしたかもしれないが、当選は難しいのでは…
- 維新政党・新風の立党に関わっていた。
- 一水会などの「新右翼」や三島由紀夫には批判的だったか…。
- 国会議員になってたかも。
- 17歳の少年であるため、極刑は免れると思われるが、出所した後の風向きはひどいものであろう。
- 出所後はひっそりと生活し、政治的な発言は一切しなくなるが、右翼の間では神格化された立場を保っている。
- 赤尾敏氏の葬儀の時だけは公の場に姿を見せたかもしれない。
- 「スパモニ」の鳥越俊太郎の昭和史検証コーナーで、鳥越氏の単独インタビューを受けていたかもしれない。
- たかじんのそこまで言って委員会にコメンテーターとして出演していた。
- 朝まで生テレビのパネラーとしても出演していた。