もし中国国民党が中国共産党に勝っていたら

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全般[編集 | ソースを編集]

  1. 中国が韓国側に立って参戦するため、朝鮮戦争は韓国側の一方的勝利に終わる。
    • そもそも朝鮮戦争が起こらない。
      • 中国国内で、朝鮮戦争みたいな分断戦争が起きていた。そして、ソビエト連邦に近い旧満州国が、中華人民共和国になった。
      • ソ連側が面白くないと国境紛争を理由に侵攻するが、ソ連のぼろ負けで終わる。
      • 朝鮮特需もなく高度経済成長も起きないため、日本では終戦直後の貧困状態がずっと続くことになる(昭和40年代の沖縄を想像していただきたい)。
    • 共産中国も北朝鮮も無いとなれば、東アジアは現実の数十倍は平和だったってことだな。
      • 中国・韓国(統一朝鮮)・日本で「東アジア連合」結成とか。
        • 1960年頃に結成され、資本主義国家条約機構設立時にNATOやASEANと合体していた。
      • 朝鮮戦争が起きないので、韓国は中国よりも遅いが日本と同時期に高度経済成長を遂げていた。
        • 下手すれば日本の高度経済成長が韓国より遅れていた。この場合、ソウルオリンピックが1976年に、東京オリンピックが1988年に開催されていたかも。
          • この場合、日本は韓国よりも発展しておらず、技術力も中国どころか韓国よりも低く、日本がパクリ大国になっていた。
            • そもそも朝鮮特需がなければ日本は戦前より貧しい農業国だったかも知れない。それならパクリ以上の独自の物を作れるはずがない。
          • 在日朝鮮人ではなく在韓日本人がネタにされていた。
          • 酷い場合、日本は農業国に転落していた。
      • 北朝鮮がなく共産中国もないので、現実の北朝鮮に当たる地域は大発展していた。
        • これと同様に日本人から見た独裁者といえばヒトラーかスターリンか下記の虐殺数から見れば蒋介石となっていた。
        • 史実では北朝鮮は国共内戦終結前の1948年に成立したが、国共内戦で国民党が共産党に勝っていたら、建国後すぐさま崩壊していた。
        • もし共産党の残党が大陸のどこか(満洲?)で国家設立していたら、そこが「東アジアの火薬庫」と呼ばれて北朝鮮的なポジだった。
    • よって東アジアでは冷戦の影響が国共内戦を除けば余りなかった。
  2. やっぱり抗日資料館が中国全土に建設されている。
    • 意外と親日国家になったりして。
      • 中共以外の中国語圏はオタク文化好きだったりするから、あり得る。
    • 下記の尖閣諸島の領土問題や日清戦争敗戦、日中戦争の辛い記憶がある事から日本とロシアみたいな関係になっていた。
    • 反日教育をやらないから、反日感情はそれほど強くなかった。
      • 仮にあったとしても史実ほど歪んだことを叩き込ませてはいない。
    • 日本の高度経済成長が中国より遅れたため、中華思想の存在から中国が日本を見下していた。
    • 特定アジアという言葉はなかったかもしれない。
  3. 今でも元号(民国○○年)が続いている。
    • 民国n年は大正n年と一致するので、民国n年を大正n年と言い換える人も居ただろう。
  4. 単に「民国」といえば大韓民国ではなく、中華民国のことを指していた。
  5. 平均寿命は1950年頃に50歳だったのが1980年に72歳、2000年頃に79歳、2020年頃に84歳に伸びていた。
  6. 教育に関しては識字率が1950年に40%だったのが、1980年に80%、2000年に99%に達し以降は横ばいなっていた。
    • 並びにピンインは国語ローマ字に声調記号を使用した改良版で史実の国語注音符号第二式に近いものが用いられている。
    • 注音記号も現在も中国大陸で用いられている。
    • 繁体字が今でも使われていたら文盲率は1%どころじゃ済まないはず(史実でも繁体字を使っている台湾は、教育制度が確立された先進国の中では最も文盲率が高い)。
  7. 宇宙開発については1960年代辺りに初の人工衛星打ち上げ、70年代辺りに有人宇宙飛行を成し遂げていた。
    • 国際宇宙ステーションにも参加している。1980年代以降の覇権国家が中国になっていた場合、国際宇宙ステーションは中国が中心になっていた。
      • むしろ米国とソ連の宇宙開発競争がないため、宇宙開発が史実より進まなかったかも。
        • 宇宙開発とナショナリズムが結び付くこともなかった。
          • とくにソ連が早く崩壊していた場合、軍事目的利用の意味も薄くなるため、予算を打ち切られていた可能性がある。
            • 宇宙よりも採算性が高く利益が上げやすい海底探索競争に移行していた可能性がある。史実よりも海底は潜水艦やロボットだらけになっており、資源を採掘しまくっていたかも。
  8. ここまでナショナリズムが沸騰してアメリカと対立して冷戦がアメリカvsソ連からアメリカvsソ連vs中国になる前提でいるが、国民党中国がアメリカと協力して国力がソ連を抜いた時点でアメリカと並んで西側陣営の中心となり、冷戦がアメリカvsソ連からアメリカ・中国vsソ連となる方の可能性が高い。
    • また、国力がソ連を抜いた時点で西側陣営中に中国軍を駐留させるような協定をアメリカと結んで、中国にアメリカ軍を駐留させる事への見返りとしてアメリカに中国軍を駐留させていた。
    • そして国力がアメリカを抜いて冷戦が終結しソ連が崩壊した後の1986年にアメリカにとって代わって世界の覇権国家になっていた。
      • それと同時に中国軍が世界展開する代わりに、アメリカ軍が一部地域を除いて撤退していた。
        • 日本にあるアメリカ軍基地も一部を除いて中国軍基地に転換していた。
          • 上記通り、日華安保が結ばれていたら冷戦時代の日本ではアメリカ軍基地より中国軍基地の数が多くなっていた。
            • 無論、中国に近い九州や沖縄には多数の中国軍基地がある。
          • 並びに中国軍のせいで反東京ジャイアニズムになる地域もあった。
      • 1986年に世界の覇権国家が中国となった時点でNATOと東アジア連合とASEANを発展的解消し合体して、中国を中心国として上海に本部を置き日本や韓国も加盟する、資本主義国家条約機構(仮)が出来ていた。
        • それが上海協力機構(SCO)を名乗っていた。
  9. 世界中で中国が好かれるようになっていた。
    • ならびに上記の高度経済成長があったら尚更。
    • 逆に日本は好かれていなかった。下手すると反日国が増えていた。
      • 上記通り反日教育をやらないため、中国は現実程反日ではないが、太平洋戦争で日本に侵略された辛い記憶がある東南アジアは現実の特定アジア程ではないが、反日になっていただろう。
      • 他にも太平洋戦争の交戦国であるアメリカやイギリスやソ連の後継のロシアも現実の特定アジア程ではないが反日になっていた。
        • この世界の中国の反日感情はこの世界の東南アジアやアメリカやイギリスやロシア並みだった。
      • 下手すると日本は韓国並みに嫌われていた。
      • 日本の戦争犯罪を追求しても共産圏をアシストすることにならないため、史実より西側陣営、欧米からの追求が厳しかったかも。
        • 特に交戦していたアメリカが日本を援助することに消極的だった可能性がある。
        • 朝鮮戦争がなければ自衛隊は設立されないため、今以上に米軍におんぶにだっこだった。おそらくパラオやミクロネシアのような自由連合(独自の軍隊は持てない代わりに米軍が防衛の全責任を負う)だっただろう。
        • これと上記の「高度経済成長が起きない」が組み合わさると、日本の国際的地位は今よりずっと低くなる。アメリカに潰されたという意味ではハワイ王国と大差ない評価だったかも(ハワイと違って名目上の国名は残るが、実質は植民地なので)。
      • 親日反日という言葉自体が流行らなかったかも。
        • ドイツ同様今でも自虐史観教育が継続していて、それに異議を唱えたり反日扱いすることは許されなかったため。
          • これに加えて自衛隊も存在しない場合は、旭日旗は戦前の遺物「戦犯旗」とみなされてタブー視されていた。
  10. 2003年のSARS並びに2020年のコロナウイルス感染症もなかった。
    • 2020年の夏季五輪は大阪で実現していた。
    • 仮にあったとしても政府の対応は現実よりうまくいっていただろう。
    • SARSはともかく、コロナは中共武漢研究所の作ったウイルスなんだから最初から無いでしょ。
  11. 世界的に見て社会主義、共産主義並びにそれらの概念は現実よりも早く、1970年代に衰退していた。
    • 1956年ハンガリー動乱は成功しました。
    • ペレストロイカやグラスノスチ、ソ連崩壊や東ヨーロッパの民主化、東西ドイツの統一は1970年代のうちに起こっていた。
      • 恐らく東欧民主化やベルリンの壁崩壊や冷戦終結が1977年、東西ドイツの統一が1978年、ソ連崩壊が1979年に起きていた。
        • むしろベルリンの壁は建設すらされなかったかも。
        • どの道アフガニスタンのあのような惨状はなかった。
          • サハロフが軟禁される事もない。
          • 2021年に中国がタリバンに資金援助してガニ政権が瓦解することも無かった。
        • モスクワでのオリンピックは今でも実現していない。
          • 1980年のオリンピックはパリで開催されていた。
            • 資本主義の上海で開催だったかも。
          • ソ連はオリンピックを開催できないまま崩壊した。
      • 北方領土の返還が実現していたかも。
      • 外満州は中国へ返還される。
      • 現実よりロシアは弱体化していた。よってチェチェンやジョージアやウクライナへの侵攻もなかった。
        • 北方領土の日本への返還や外満州の中国への返還どころかシベリアやチェチェンも独立し、この場合、資源が豊富ではなくなるため、ロシアは格段に弱体化していた。
        • 主要国首脳会議のメンバーにならず、中国・日本・統一朝鮮・アメリカ・イギリス・フランス・ドイツ・イタリアの8カ国のG8になっていた。
          • 辛うじてロシアはG20には入り、G8に次ぐ経済大国を築いていた。
          • この世界線で特にカナダが衰退する理由がないのでカナダを含むG9だったのではないだろうか。
            • それともカナダの左傾化が進んで仮想敵国になっていた?
            • モントリオール五輪がないので、カナダは現実程発展していなかった。
              • 経済発展の結果として五輪開催が可能になることはあっても、五輪で発展するわけではないからカナダは関係ない。むしろ産業構造が競合するロシアの衰退はカナダにとってはチャンス。
        • 議員内閣制や連邦構成主体が大きな権力を持つ連邦制が導入され、ロシアにも民主主義が根付いていた。
          • プーチンは2000年代初頭から20年以上に亘り首相に居る。
            • 70歳になる2022年を以って勇退し、メドベージェフに禅譲していたかも。
          • ロシアの政治体制はドイツに近くなっていた。
        • そもそも国名がロシアではなくモスコビアになっていた。むしろロシアはロシア帝国の領土を継承した旧ソ連並びにそれの大州の呼称になっていた。
        • 軽武装までは行かないが、軍事に力を入れる事もないので、代わりに経済成長に力を入れ、世界の工場となり、「MADE IN MOSCOVIA」製品が世界を席巻していた。
    • フルシチョフは失脚しなかった。
      • ブレジネフは書記長になれず、ゴルバチョフはロシア連邦初代大統領になっていた。
    • 毛沢東や周恩来が史実通り1976年に死去していた場合、毛沢東や周恩来の死去が冷戦終結期の一連の出来事の始まりとなっていた。
      • 「あのう、毛沢東とか周恩来って、いったい誰?」(1976年当時の若者)「ああ、三十年ばかり前に、蒋総統にコテンパンにやっつけられた共産党のトップで、確かモスクワに亡命してたはずなんだけど、最近まで生きてたとはねえ!」(1976年当時の年配者)
      • 晩年は溥儀(1967年歿)みたいなオワコン扱いだった。
    • アフリカに共産主義国家は誕生しなかったかもしれない。
    • 史実の日本のように、中国が「アジア唯一の先進国」だったら中華思想をこじらせてアフリカをはじめとする途上国を蔑視していただろうから、史実の中華人民共和国のようなアフリカ支援を行っていなかったかもしれない。
  12. パンダは現実より早く日本に来ていた。
    • 飼育する動物園も現実よりも多かった。
    • シフゾウも。
  13. サミットにも中国が入っていた。が代わりに日本が入っていなかった。
    • ただ、入るにしても蒋経国死去による民主化以降となっていた。
  14. 故宮博物院が2つある状況になっていない。
    • 台北の故宮博物院の貯蔵品も北京のそれに貯蔵されている。
  15. 中国の海洋進出もなかったか、あっても大人しい形で行っていた。
  16. 中国の略称としては「中」より「華」が一般的となっていた。
    • そのため日中戦争ではなく日華戦争の呼称が一般化していた。
    • そもそも中華民国は中華と呼ばれる事が多いため、中国の事を中華と呼ぶ事が増えていた。そのため中国地方との混同が減っていた。
    • 日本風にアレンジされた中華料理と区別するために、本場風のそれを中国料理と呼ぶ用法はなかった。
      • むしろ中国より中華のほうが格式の高い言葉。
  17. 中国における国共内戦の呼称は抗共戦争となっていた。
    • 中国各地に抗共の名が入った地名や施設が多くできていた。
      • しかし、かつて大陸で共産主義が席巻していたことを知らない中国の若者は「抗共?何それおいしいの?」
  18. 中華民国が大陸に居座るため、略称のROCが有名になっていた。
    • そのためロシア・オリンピック委員会の略称が変わっていた。
      • 選手団はピョンチャンの時と同様OARと名乗る?
      • 語順を変えてOCR?(それは文字認識ソフト)
    • そもそも2つの中国を区別する必要性がないので普通にChinaだと思う。Chinese TaipeiもChinese Hong Kongも全部China。
  19. 古くから中国の長寿者は多く、人口を考えると現実の日本やアメリカ以上の世界一の長寿者大国になっていた。
    • 中国の平均寿命は日本を抜き、史実の香港並みだった。
  20. 朝鮮戦争やベトナム戦争やソ連のアフガン侵攻が起きないので20世紀後半以降の戦争が減り、第二次世界大戦後の世界は比較的平和になっていた。
    • 場合によってはキューバ危機も起きなかった。
    • ソ連の後継のロシアも弱体化しているのでクリミア侵攻やウクライナ侵攻も起きなかった。
  21. 結論として、現実の台湾を大きくした国になっていた。
    • 上海の街並みはもっとごちゃついた感じで「東洋の魔都」のイメージ通りだった。
      • だからといって垢抜けないわけではなく、むしろ上海市民のファッションセンスは東京と並ぶアジアの最先端だった。
      • 上海はむしろ香港みたいな感じだった。
  22. こうなっていた方が全般的に良かった気がする。
    • 日本も経済成長が遅れた分、失われた30年がないので総合的にもこの方が良かったと思う。
      • 就職氷河期がなかったので、21世紀における日本社会もうまく回っていた。
      • ひょっとしたら高度経済成長期は21世紀に入ってから、ベトナムやインドネシアとほぼ同時期だっかもしれない。
        • 1964年が北京オリンピックで、2020年が東京オリンピックだった。
    • 社会主義や共産主義が衰退していたので、世界は現実の10倍平和になっていたと思う。
      • 高校進学に関しても地元集中運動などがなかったので、競争原理が保たれていた。
        • 1970年代以後の高校増設も現実ほどではなく、その分廃校も少なかった。
          • 同時期に東京や大阪などであった革新政治もなかったので公共交通機関が現実よりも早く整備されていた。
            • 2000年以降の新自由主義を先取りする課題が1970年代にすでに起きていた。
            • しかし共産勢力に対抗する目的の右傾化も起きないため、GHQが作った左翼的な法律が残ってしまい、史実の革新政治と変わらなくなる。
          • その分1970~90年代における高校進学率は現実より下がっていたかも。
            • 現実で公立高校に進学できていた者でも私学に進学せざるを得なかったケースも出ていた。
              • 史実では私立高校がほとんど存在しない地方が何県もあるが、そうした地域にも私立高校ができていたかも。
                • あくまでも滑り止めとしてね。
                • 公立高校が希少化し、公立高校は公立大学並みのステータスだった。
        • 美濃部さえいなければ公教育の崩壊も、私立の進学校化もなかった。
          • 先取り学習を行う中高一貫校が存在していなければ大学受験者全体の平均的な学力が下がるため、今でもゆとり世代のような入試問題が出されていた。
        • 基本的に旧制中学を継承した公立高校がエリートなので、中学受験がエリートの本流とはみなされなかった。
          • 岸田総理も開成でなく日比谷出身だった。
            • とはいえ開成も旧制中学からの伝統があるから、日比谷の併願校として優秀な生徒を集められた。
            • しかし、その隣県である千葉と埼玉は今でも公立王国だった。
          • 一億総修羅の国。地元の中学校が荒れていても「憧れの県立御三家」に行くために我慢するしかない。
      • 日本においても社会党共産党が衰退していたので、1993年に55年体制が崩壊することはなかった。
        • 必然的に自民党1強状態が続くが、それでも現実ほど政治のレベルが低下することはなかった。
        • 新進党や民主党民進党と言った新党は誕生しなかった。
        • 但し公明党自民党とは完全に独立していた。
        • 革新勢力に対抗する目的がないので、保守合同が起きなかった可能性もある。
          • その場合比例代表制中心の選挙制度で、保守優位ながら複数の保守政党が集合・離散と合従連衡を繰り返していた可能性もある。チェコなどに見られるパターン
    • 何だかこの方が暮らしの良い世の中になっていた気がする。
    • 中華人民共和国や北朝鮮と言った世界にとって脅威になる国家が存在せず、ロシアも現実より弱体化していたため、世界全体が現実より平和になっていた。
      • 21世紀に入って、ひょっとしたら核兵器を撲滅できていたかもしれない。
        • 日本においても憲法改正の議論が盛り上がらず、憲法改正は一部のタカ派が主張していた。
        • 憲法9条を「お花畑」として一笑に付す風潮は皆無で、むしろ民主化後のロシアや東欧諸国が日本の憲法9条を見習っていた。
      • 2022年のロシアのウクライナ侵攻も行われず、諸物価の上昇はなかったか現実ほどではなかった。
        • そもそも貧しい農業国だったら、ウクライナ関係なく生活は苦しいはずだが。
    • 戦争が現実より減り、中国の一人っ子政策がなかったため世界の人口は2022年現在で85億人にまで増えて、2050年には110億人、2100年には125億人にまで増えると予想されている。
    • 中国の人口はインドの2倍近くあった。
  23. 共産勢力が伸長しなかかったため修正資本主義も広まらず、世界全体で資本格差は現実よりはるかに厳しかった。
    • それは欧米の話。日本は戦前回帰が起きなければ今でも格差が少なかった。
  24. 当然ながら文化大革命は起きず、平和な中国だった。
    • 伝統文化や文化財の喪失は免れたが、その分中国社会全体の合理化は遅れた。良くも悪くも台湾みたいになる。
  25. この項目のタイトルは「もし中国共産党が中国国民党に勝っていたら」になっていた。
    • 「東欧のように90年代に体制崩壊する」というように、史実と異なる推測をする者もいたかも

地域別[編集 | ソースを編集]

  1. 尖閣諸島南沙諸島はもちろん、モンゴルの領有も主張している。
    • と思いきや1960~70年代位に中蒙国交正常化が行われ、領有主張放棄。
      • マジレスすると、1946年に中蒙国交正常化が行われている。
        • しかし台北遷都後にモンゴル承認を取り消しているのが史実。
      • 共産モンゴルなんて認めんという立場になっていただろうから民主化以降まで国交がなかったかも。
        • むしろモンゴルの民主化が早まっていた。
          • 下にある通り、ソ連崩壊が1979年に起きているからその翌年の1980年に民主化していた。
    • 沖縄が中国領になっていたら奄美群島の領有権を主張していた。
      • この場合、中華民国沖縄省か台湾省の一部となり中国軍の基地軍がおかれる国防戦略的に重要な地域になっていた。
      • 奄美群島を実効支配もしていたら、種子島には自衛隊の基地が置かれ、国防戦略的に重要な地域になっていた。
        • 宇宙センターの隣は自衛隊の基地となっていた。
          • 中国自体が共産化していない以上、日本が中国(すなわち中華民国)を仮想敵国視して警戒する理由自体が最初から存在していないはずなんだが…
        • 沖縄は国民党の統治のもとで史実よりも経済成長していた。
        • 沖縄と台湾は同一の経済圏を構成するため、街並みも似通っていた。沖縄は「パスポートのいらない中華風の街」として人気だった。
  2. 日本や韓国の米軍基地がない代わりに、中国東北部は米軍基地だらけになる。
    • この世界で史実通りにイラン・イラク戦争、湾岸戦争、9.11テロなどが発生した場合、イスラム勢力の東進を阻むために、後年になってウイグルや東トルキスタンなどに米軍が駐留する。
      • ウイグルとアフガニスタンは陸続きのため、在華米軍が中国軍とともに陸路でアフガニスタンに侵攻した。
    • 否、米軍基地は日本国にも存在する。中華民国と同様に、ホワイトハウスの一大拠点として。
    • ただ沖縄に関しては史実より少なかった。
      • 沖縄は奄美と同時に日本に返還されていた。
        • 小笠原諸島も。
      • むしろ沖縄には中国軍基地が多くなっていた。
        • 日華安保や日華地位協定が結ばれていたら尚更。
        • 結果として沖縄では中国軍関係者による犯罪や交通事故が多くなり、中国本土に距離的に近いだけあって、中国の植民地に近い状態になっていた。
        • 那覇には横浜や神戸や長崎並みに大きな中華街が出来、三大中華街が四大中華街になっていた。
          • 並びに琉球料理と中華料理が融合した琉華料理なる料理が出来て、沖縄の食文化は中華化が進んでいた。
        • 中国に近い沖縄では中国軍基地がある事で、中国との関係が成り立ち、中国軍が経済を支えており、中国を身近に感じられるようになっており、中国と良好な関係になっていた。このため、反基地派は現実より少ない。
          • 現実の青森県三沢市のようになっていた。
        • 高度経済成長が遅れ、沖縄が既に日本に復帰しており、日中国交正常化といった出来事もないため日本での1972年と言えば高度経済成長が本格化して真っ只中の1年という認識だった。
    • もし冷戦がアメリカvsソ連vs中国になっていた場合は上記の米軍基地は中国軍基地に変更され、中国東北部はベーリング海峡以上に緊張していた地域になっていた。
    • 西側陣営がアメリカと中国の二頭制になっていた場合、冷戦終結・ソ連崩壊と同時に中国に返還されていた。
  3. 首都は北京ではなく、南京になっている。
    • そもそも「北京」ではなく「北平」と呼ばれている。
    • 「北京」と言う名前の期間が長かった事を考えると何処かのタイミングで「北京」に戻していた。
      • おそらく国共内戦終結後の1950年代初頭に北平から北京に戻していた。
    • 南京が統一王朝の首都だったのが明朝初期だけだった一方で、北京が元朝時代以来、南京が首都だった時期を除いてずっと首都だったや近代中国語の標準語が北京語である事から国共内戦終結後の1950年代初頭に北京に移していた。この場合、1964年のオリンピックは北京で開催され、同時に開業した中国最初の高速鉄道は北京~南京〜杭州〜広州や南京〜上海〜杭州で開業していた。
      • この場合、1964年に北京で夏冬両方のオリンピックが開催され、ハルビン冬季オリンピックは1994年に開催されていた。
        • 北京の初のオリンピック立候補は1960年の夏冬両方のオリンピックだが、呆気なく落選していた。
      • 広州オリンピックが2000年に開催され、南京が2032年のオリンピック開催地になっていた。
        • 2000年のオリンピック招致で広州と名古屋もしくは福岡が争うが、結局広州に決定。
        • この場合、シドニーオリンピックは2008年に開催されていた。

香港[編集 | ソースを編集]

  1. 香港の経済と映画産業は史実ほど発展しない
    • 何故なら香港の発展は中国の共産化の影響で大量の資本家が亡命してきたため、尚且つ中国本土が資本主義なら山岳部の多い香港を金融拠点にするメリットが薄れたはず
      • 香港の高層ビルが大幅に少なくなる、よって世界有数の夜景もなくなる
      • 中国が資本主義なので、中国の高度経済成長後は衰退し、返還前はイギリスの政策次第にもよるが、経済や産業は発展したとしても史実ほどは発展せず、人口も史実より少なくせいぜい400万人程度に留まる。返還後はさらに衰退する。
    • 上海が中国映画の中心地のままになる
      • ブルース・リーやジャッキー・チェンも上海在住
      • 温暖な気候を考えると広州かも。
    • 深センの発展も大幅に遅れる
      • 広東省の経済の中心は広州のまま、深センは広州の外港として発展していた
      • 深圳の街自体存在せずに農村のままな可能性もある。
      • 香港はイギリスの貿易で中国への窓口として経済的に発展していたので、史実ではその隣の深圳は経済特区に指定されて発展してきました。なので、深圳は史実通り発展はしていたはず。それも国共内戦に国民党が勝ち、史実よりかなり早くから高度経済成長をしていたので、史実より早く1960年代前半頃から急速に発展し、史実のような大都市になっていた。民主化後、中国が覇権国家になっていたらむしろ史実よりも発展していた。
      • 中国と欧米の経済格差が最初から無ければ「イギリス領」であることにそこまで旨味がないため、せいぜい史実のマカオ・珠海くらいの発展だった。
    • その香港やマカオの返還は現実通りだが、現在では単なる直轄市(省相当)になっている。
      • マカオはポルトガル本国のカーネーション革命後の1975年に返還されていた。
        • 香港も1970年代に返還されていただろう。
        • 史実の沖縄返還辺りで返還されていた。また、730のような対面交通の転換も行われていた。
      • よって香港やマカオが沖縄みたいになっていた。
      • 返還後に広東省に編入され、香港が地級市の香港市となり、マカオは面積が小さいので隣の珠海市に編入される。この場合、香港とマカオは中国本土として扱われ、オリンピックなどでも香港やマカオの選手は「中国選手団」として出場している。
    • 租界や租借地が返還時に特別区と称する中国の特別地域に移行するケースも多かったので現実通りでは。
    • 広東語より上海語(呉語)の地位が高くなっていた。

台湾[編集 | ソースを編集]

  1. 台湾独立主張など起こらない。
    • むしろ早い段階で独立主張がおきる。
    • 結局、台湾省に大幅な自治権を付与することで落ち着くが、それでも独立主張をする人は一部にいる。
      • しかし影響力は琉球独立運動と同レベル。
  2. それでも台湾は日本領になってない。
    • むしろ沖縄が中国領になっていたりして。
  3. 史実とは逆に国共内戦に敗れた中国共産党が台湾に逃れていた
    • 地政学的に見て中共はむしろ東北(旧満州)に逃げる方が自然だろう。
      • その場合の国号は「満洲人民共和国」。

チベット[編集 | ソースを編集]

  1. チベットには現在もダライラマがいる。ただ封建的な社会なので格差がひどいまま。
    • 戦前は独立国だったので1950年代に中蔵国交正常化が実施されていた。
    • 史実のブータンを大きくしたような国になっている。

インドシナ[編集 | ソースを編集]

  1. インドシナ一帯が共産主義国家にはならなかった。
    • インドシナは3つの共産主義国(ベトナム、カンボジア、ラオス)に分断しなかった。
    • 意外と早くに経済成長していたかも。
      • 少なくともベトナムやカンボジアは現実のタイ並みに発展していた。
    • ベトナム戦争はなかった。
    • 代わりにインドが共産化し、インド戦争で南北に分断された恐れもある。

インド[編集 | ソースを編集]

  1. 中印国境紛争は…ソビエト連邦がインドを支援していたから現実通りか。
    • シッキム王国が現在も続いていたかも。
  2. 上に書いてあるとおり、インドシナのかわりに共産化してインド戦争で南北に分断された恐れがある。

ソ連[編集 | ソースを編集]

  1. やはりソ連とは対立していた。
    • アメリカ以上に反共主義が席巻していた。
    • 中ソ国境紛争もおそらく史実通り。
      • 下手すると中国は外満州(沿海州など)の領有権も主張していた。
    • 蒋介石が民主化運動を弾圧し、経済成長により対米貿易摩擦も起こりナショナリズムも沸騰するのでアメリカとも対立し、冷戦がアメリカvsソ連vs中国(中華民国)の三つ巴になっていた。
    • 資本主義陣営がアメリカと中国の二頭制になっていた場合、中国とアメリカが反共で協力していた。
    • いや、蒋介石がソ連と仲良くしていた事を考えると現実ほど対立していない。資本主義陣営がアメリカと中国の二頭制になっていたら、資本主義陣営の中心国家の内のソ連と仲が良い方として、資本主義陣営、特にアメリカと共産主義陣営、特にソ連との橋渡し役になっていた。
      • 蒋・スターリンの蜜月はあくまで第二次世界大戦中までの話。このスレ自体が国共内戦の発生を前提としている以上、中共のバックにいたスターリンと友好関係を保てていたとは考えにくい。むしろ敗れた毛沢東がソ連に亡命していたのでは?
  2. いずれにせよこの場合、中国(中華民国)が西側陣営に留まる以上、ソ連圏の勢力は史実より圧倒的に劣勢となっている以上、スターリン死去からフルシチョフによるスターリン批判の発生がもし史実通りのタイミングで起きていた場合、おそらくフルシチョフが史実におけるゴルバチョフの役割を果たして、おそらく東欧革命からベルリンの壁崩壊を経てソ連解体に到る一連の過程も、史実より30年ばかり前倒しされていていた可能性が高い。
    • この場合ソ連解体後の混乱も、史実ほど熾烈にはならずに済んでいただろうから、その後のプーチン独裁が発生する条件も整わず、結果的にロシアもより穏健な形で民主化を徐々に進めていったのではなかろうか?
      • しかしそうなればロシアは結局経済的にもかなり中国への依存に傾斜せざるを得なかったろうから、結局は史実と似た成り行きとなっていたかもしれない(もっともこの場合の「中国」が「中華民国」である点だけは史実と異なるわけだが…)。

日本[編集 | ソースを編集]

  1. 日本において国鉄の分割民営化は現在に至るまで行われていない。
    • 国労の支持母体である共産党が衰退していたので現実ほど荒れることはなかった。
    • ひいては営団地下鉄や大阪市営地下鉄の民営化もなかった。電電公社や専売公社は微妙。
    • 郵便事業や道路公団民営化もなかった。
    • 国鉄のままでも車両や設備の近代化が行われていた。
  2. 日本は敗戦後の経済停滞を1960年代まで引きずるも、そこから高度経済成長期に突入し、1976年に東京オリンピック、1980年に大阪万博、1984年に札幌冬季オリンピックを開催し、1982年に統一ドイツを抜いて世界第3の経済大国になるも、阪神・淡路大震災で高度経済成長は終結し、以後は東日本大震災まで安定成長期となり、東日本大震災で安定成長期が終結した後は、低成長期になっていた。
    • 長野冬季オリンピックは2010年に開催され、2020年のオリンピックは大阪で、2025年の万博は福岡で開催されている。
      • 一方で名古屋のオリンピックへの立候補はなかった。
        • 立候補するにしても2000年だが、呆気なく落選していた。
        • もしくは福岡だったかも。
      • 東京の戦後初のオリンピックへの立候補は1972年だが、呆気なく落選していた。
    • 2005年の万博は現実通り。
      • 大阪の花博は2000年に開催されていた。
    • 現実にバブル崩壊後に起こった就職氷河期はなかったことから1990年代以降の出生数は現実よりも多く、うまく行けば第3次ベビーブームが起こっていた。
      • 企業内の年齢構成が歪になることもなく、団塊世代の定年退職後に人手不足が問題になることもなかった。ひいては技術伝承もうまくいっていた。
      • 1970年代生まれの結婚率が以後の世代に抜かれることはなかった。
        • つまり1970年代生まれが現実の1960年代生まれみたいになり、1980年代生まれが現実の1970年代生まれみたいになっていた。
    • 東海道新幹線は1975年頃に開業していた。
      • 青函トンネルは札幌冬季五輪に合わせて1983~84年に開業していた。五輪期間中には青函トンネルを経由して臨時の寝台列車なども運転されていた。
        • やっぱり現実通りかも。
      • 山陽新幹線は1980年頃に開業し、東北新幹線は青函トンネル開通に合わせて1988年に青森まで開業。
        • 東北新幹線は東京駅で東海道新幹線と繋がっていた。
      • 九州新幹線は下記通り九州が大発展している事から1988年に開業し、上越長野新幹線は長野冬季オリンピックに合わせて2009年に開業していた。北陸新幹線北海道新幹線の開業時期は現実と変わらない。
        • いや、大阪が史実ほど衰退しなかったことから北陸新幹線は大阪五輪が開催される2020年を目処に新大阪まで延伸されていた。
      • 日本の鉄道整備は1970年代半ばまでは史実よりも遅れたが、その後は急速に進み2020年頃には現実以上に整備されていた。
    • 日本の大学進学率は低いままだったかもしれない。
      • 上がったとしても2000年代中盤くらいからだろう。
    • 日本の高度経済成長は1963年頃に始まっていた。
    • むしろ2000年代の好景気がバブル景気と呼ばれていた。
      • その頃日本は経済大国と言われるようになり、中国に肩を並べていた。
      • 小泉内閣がバブル景気を起こしていた。
        • 中国の人口が圧倒的に多いため、国全体でのGDPは中国に敵わず2割位になるが、1人辺りでは中国と肩を並べていた。
        • 2008年のリーマンショックがバブル崩壊となっていた。
          • リーマンショック自体起きるとしたら中国で起きていた。
            • その原因が四川地震で、四川地震は日本の好景気を終わらせるなど世界中に不況をもたらした大地震とされていた。
    • つまりもし日本の高度経済成長が20年遅れて起きていたらに近い状況になる訳だね。
    • 日本の出生率は1960年代まで3人台で推移したが、丙午の1966年に2.4人となった後は1970年代前半に3人台に回復するも、そこから減少し1980年代半ばに2.2人、1990年代半ばに1.8人に落ちるも、2000年代に2.1人台に回復するも、その後は減少し2020年には1.8人台までに落ちていた。
      • その為、日本の人口は1億4000万人位となって2021年現在でも増加し続けていた。
    • 1950年代の日本は軍国主義主義でない以外は1930年代とほぼ変わらなかった。
    • 池田勇人政権が高度経済成長政策を始め、田中角栄政権が所得倍増を行っていた。
    • 中曽根内閣が現実通りだとしたら、1991年に終わっていて、1990年代には阪神・淡路大震災もあった事から低成長期になっていた。
  3. 個人情報保護法は施行されなかったか、施行されていても現実ほど秘密主義にならなかった。
    • むしろ中国の方が先に施行していた。

交通[編集 | ソースを編集]

  1. 高速鉄道は史実より早く開通。
    • 1960年代には開通していた。もしかしたら新幹線は中国が発明し、中国の技術提供で日本に建設されていた。
    • 下にある通り、日本を凌ぐ世界一の鉄道大国になっていた。
  2. 「中正国際空港」とは台北空港ではなく南京空港のことを指していた。
  3. 日本を凌ぐ世界一の鉄道大国になっていた。
    • 乗降客数世界一の駅は上海駅になっていた。
    • 世界の駅別乗降客数Top100のほとんどを中国の駅で占めている。
    • 上海や北平や広州や南京の周辺は世界一の私鉄王国になっている。
      • 私鉄王国にならなくても中国国鉄による大都市近郊電車が出来て、かなり栄えていた。
      • その中国国鉄は国共内戦で国民党が勝利した後の1950年に中国各地の国有鉄道と国有化されていない鉄道を国有化して合体して出来たが、1988年の民主化と同時に民営化した。
    • 新幹線のような高速鉄道は中国が開発した。
      • 1964年の南京オリンピックに合わせて南京~上海間が開業後、1980年までにほぼ全ての省に新幹線網が張り巡らされていた。
        • 南京オリンピックに合わせて最初に開通するのは、距離的に南京を経由する上海〜武漢間だと思うんだが。
        • その後、重慶などを経由して成都まで延伸される。
      • リニア新幹線も2020年代前半に南京~上海間で開業後、2040年頃までにほぼ全ての省にリニア新幹線網が張り巡らされる予定となっている。
    • 一人当たりの鉄道利用回数も世界一となっている。
    • 鉄道技術も世界一になっていた。

政治[編集 | ソースを編集]

  1. 右翼は中国を支持していた。
    • 逆に左翼が中国を支持していなかった。下記の蒋介石による共産主義の大弾圧があったら尚更。
  2. サンフランシスコ講和条約会議にも参加している。
    • 1950年代の段階で日本と中国の関係が正常化していた。
  3. 環境汚染問題についてまともに取り組んでいる。
  4. 共産党独裁は存在しないが、役人・官僚の腐敗が蔓延。結果的に中央政府が汚職に対して厳しい姿勢は現実と同じ。
    • 天安門正面に掲げられている毛沢東の肖像は当然存在しないか、蒋介石の肖像に替えられる。
      • 民主化後に孫文に替えられていた。
    • 蒋介石ら国民党は共産主義を弾圧していたが、中国の人口があまりにも多いため、2000万人もの人が殺されていた。その為、蒋介石はヒトラーやスターリンと並ぶ3大極悪人に名を連ねて、世界的に見れば中国の高度経済成長を遂げて超大国へと導いた一方で2000万人もの人を殺した独裁者というイメージが付いていた。
      • これに対し、中国では「大虐殺より高度経済成長を行って日中戦争で中国を、国共内戦で国民党勝利に導いた偉大な人物」「大虐殺は国共内戦で国民党を勝利に導き、高度経済成長を遂げるために仕方なかった」とされ、蒋介石はスターリンのような扱いを受け、中国人が選んだ偉大な歴史上の中国人の順位の上位に入っていた。
      • でもアメリカは当初は反共のため、覇権国家の中国への移行後は覇権国家の中国におもねるために大虐殺を認めているが、一方で民主国家の独裁時代の悪行を認める事になるため、アメリカでは賛否両論が起こっていた。
      • 蒋経国が蒋介石時代の規制や虐殺などの圧政を緩めていた。
      • だが史実のように強大な中共軍に対抗する必要がなくなっているため、史実の台湾でのように独裁体制を維持できる口実がなくなっている以上、より早い段階で民主化運動が発生していたのでは?
  5. 色々あった挙げ句、蒋経国死去時の民主化時に連邦制に移行している。
    • アメリカドイツのように、省政府が大きな権限を持つ。
      • 省や直轄市ごとに法律が異なる。
    • 地域政党も多く設立され、「台湾民進党」「東トルキスタン党」「内モンゴル人民党」などが存在している。
      • ダライラマ本人が党首の「チベット・ラマ党」もある。
        • 何れにせよ、ウイグル人やチベット人がかわいそうな目に遭う事はなかった。
    • 香港・マカオも他の省と同じ扱いではあるものの、旧宗主国に由来する独自の法律が残る。
      • 道路も左側通行のままである。
    • 史実のインドに近い体制になっている。
      • 「中国は国ではなく大陸である」という格言が生まれる。
    • 李登輝氏は台湾省のカリスマ知事として名を残す。
  6. クーデターが起こって史実の冷戦終結期まで反共軍事独裁政権が続く可能性も・・・
    • 現実の国民党政権も北伐の際に各軍閥に大幅に譲歩する形で中国に勢力圏を広げていったため、そのため国民党政権時代の中国は各旧軍閥による内乱が度々起こっていた
    • その場合、国民党は史実の韓国における韓民党やその系統の政党のように中国の民主化運動を指導していた
    • 1989年の南京で民主化を求める学生デモに軍が発砲した事件が起きたかも。
    • 蒋継国死去まで独裁が続いていたかも。
    • アメリカとは独裁政治であることやナショナリズムの沸騰から喧嘩別れして米華対立が起こり、冷戦がアメリカvsソ連vs中国の三つ巴になっていたかも。
      • 民主化と同時に東トルキスタンと台湾が独立し、チベットは大チベット全域を領土とするようになっていた。
      • とするとこの陣営につくのはピノチェト政権時代のチリとかカラマンリス帰国前のギリシャとかか?
      • むしろ国力がソ連を抜いた時点でアメリカと対等関係になり、冷戦がアメリカvsソ連からアメリカ・中国vsソ連になっていた。
  7. 初の核実験は1970年辺りに実施していた。
  8. 一人っ子政策もないため、人口は20億人近くになっていた。
    • 出生率は1965年の段階で6.6人だった事を考えると2018年現在で2.3人程はあった。
    • むしろ1960年代の出生率上昇がなく5.5人程度で、2020年現在の出生率が1.8~2.0人程度になり、人口は15億人程度に落ち着いていた。
      • となると、1950~1960年代に5.5人だったのが、1980年に3.7人、2000年に2.1人となり、2020年には1.9人となっていた。
    • 第二次大戦の戦勝国だし、蒋氏父子による独裁から民主化しても独裁時代の名残から強靭な少子化対策が出来るので、先進国としてはイギリスやフランスやアメリカ並みに出生率が高くなっていた。
    • 更に冷戦終結・ソ連崩壊後に世界の覇権国家になっていた場合、中国が世界一の移民受け入れ国になるが、中国の人口が15億人位で世界一多い事を考えると人口に対する移民の割合はかなり小さい。
  9. 民主化を機にトップの肩書きが「総統」から「大統領」に変わっていた。
    • むしろそのままだろう。
    • そもそも中国語の「総統(ツォントン)」自体がpresidentの翻訳語なんだけど…
  10. 無論、中国がパクりをやることもなかった。
    • 下手すれば日本がむしろパクリ国家になっていた。
  11. 蒋経国死去後に民主化した中国では政党活動が自由化され、リベラル政党の民主党などが結党されていた。
    • 2021年現在では国民党と民主党が互いに総統を出す二大政党制に近い状況になっていた。
    • 国民党は保守政党となっていた。
    • 蒋経国死去が現実通り1988年の場合、1988年に最初の総統選挙が行われ、任期が4年なら4の倍数の年に総統選挙が行われていた。
      • 並びに総統の任期は4年2期までの制限が設けられていた。
      • 並びに中国が冷戦終結後に世界の覇権国家になっていた場合、中国総統選が世界で一番注目される選挙になっていた。
        • しかもアメリカ大統領選挙と同じ年に行われるので、その分アメリカ大統領選挙の影が薄くなっていた。
        • 並びに日本語で総統と言えば中国の総統を指す事が多くなり、ヒトラーのような全体主義国家の元首を指す事が減っていた。
  12. 当然ながら一つの中国問題はなかった。
  13. 中国での蒋介石は日本との戦争に勝ち高度経済成長を遂げた英雄的指導者か共産党や反体制派を弾圧するなどした独裁者で評価が分かれていた。
    • 一方で毛沢東は黒歴史となっていた。
    • 1968年前後で資本主義陣営各国で左翼運動や学生運動が高じていたことを考えればこの世界線の中国でも同様の理由から60年前後では(かつて日本が北朝鮮を礼賛したように)インテリの間で毛沢東が祭り上げられていた可能性はある。しかし国民党による反共独裁体制が敷かれていたならば、実質的に確実に赤狩りが発生するため、史実より早い段階で天安門事件のようなことが起こっていたのではないかという見方もできる。
  14. 日本の天皇・皇族の中国訪問も早まっていた。
    • 1960年代中に昭和天皇夫妻が、1970年代中に明仁皇太子夫妻と三笠宮夫妻が、1980年代中に常陸宮夫妻が中国を訪問していた。
  15. 今でも青天白日満地紅旗は中国の国旗である。
  16. 1988年の蒋経国死後、史実で共産中国の国家主席になっていた江沢民や胡錦濤、習近平は中華民国の総統になっていた。
  17. 国慶節は辛亥革命の発端となった武昌起義が起こった10月10日となり、下記の1964年の南京オリンピックの開会式が10月10日となっていたら、翌年の1965年からは国慶体育節となっていた。
  18. 当然ながら常任理事国は中華民国のままだった

経済[編集 | ソースを編集]

  1. 資本主義「中華民国」は順調に経済発展するが、やがてナショナリズムが沸騰し日本やアメリカと対立。
    • 台湾は中国領になるので、日本のシーレーンが脅かされる。
    • 韓国は中国側につき、朝鮮海峡を挟んで日本と対立。
    • 遅くとも日本でバブルが崩壊したあたりでGDPが日本を追い抜く。
      • ただし国内格差がひどいのは史実同様。
      • 実史のアルゼンチンかフィリピンのような感じになる
        • 流石にアルゼンチンとか言う転落国家と比べるのは中国に対して失礼、アヘン戦争前は文句無しのGDP一位だったしキャパシティは十分。ただ一人当たりに直すと南米よりも低いかも。
      • 2000年代にはアメリカをGDPで抜いていた。
        • むしろオイルショックの時期にGDPでアメリカを抜いていた。
      • というかバブル時代がなかったか、あったとしても2000年代だった。
    • むしろ上記のように中国の方が先に経済成長を遂げていた。
  2. 1960年代には高度成長期をむかえているだろう。
    • 北京・上海などの大都市には史実より早く高層ビルが立ち並んでいた。
    • 1960年代に南京オリンピック、1970年代に上海万博と北平冬季オリンピックが行われている。
      • 上記通り、1964年に南京オリンピックが、1970年に上海万博、1972年に北平冬季オリンピックが行われている。
    • よって1970年代には中国製品が世界中を席巻し、1980年頃にはアメリカで中国製品不買運動が起こった。
      • しかし下手すれば史実の日本のように1970年代の成功体験が呪縛となり、1990年代のIT革命と共に没落する一方、遅れて産業が立ち上がった日本がIT大国になるかも。
        • この場合、DeNAが史実のテンセント、楽天がアリババの位置付けになる。
        • 経済状況に関しては政治体制も関係してくるから言い切るのは不可能。
        • 1980年代は下に書いているようなアメリカにとって代わる覇権国家になるための準備期間のために、むしろそれはない。
      • 1980年頃の中国製品不買運動の後の中国は21世紀の覇権国家になるための準備をして、1986年の資本主義国家条約機構設立と同時に世界の覇権国家になっていた。
      • 下にある通り唐山地震が起きた1976年から80年にかけて中国経済は停滞し、1976年の中国はマイナス成長になっていた。とは言えアメリカに再びGDPで抜かれる事はない。
  3. 自動車界は中国車が席巻。
    • 一方で日本車の影は薄い。
      • デトロイトを衰退させたのは中国車が原因だった。よってデトロイトには反華主義者が多く、中国の覇権国家化に反対する人も多かった。
      • TopGearで日本車がいわゆる「アジアンカー」にカテゴライズされていたかも。※この世界の中国車はアジアンカーとは別枠
    • 鉄道車両業界でも中国車両が席巻していた。
    • ルノーは日産&三菱ではなく中国車メーカーと提携し、オランダで多国籍企業連合を設立。
  4. Facebook、Google、Netflix、Twitter、YouTubeなどは中国の企業が作っていた。
  5. 上海都市圏が1965年頃にニューヨークを抜いて世界最大の都市圏になっていた。
    • 一方で東京の人口が1000万人を突破したのは1972年にずれていた。
    • 上海が世界一の世界都市となる一方、東京はソウル位の世界都市止まりだった。冷戦終結・ソ連崩壊後に中国が覇権国家になっていたら尚更。
  6. 中国が1980年代に世界の覇権国家になる事から、それ以降には中国を中心としたグローバル化が進み、中国語由来のカタカナ語が増えて、コンピューターなどIT業界の企業も中国のものが多くなっていた。
    • 百度がGoogle、優酷がYoutube、微博がTwitterやFacebookの立ち位置になっていた。
      • QQや微信がLINEの立ち位置になっていた。
      • 当然GAFAという言葉は誕生しない。
    • 中国語はそれより前の1970年代半ばにアラビア語の国連公用語化と同時に国連作業言語になっていた。
    • そして中国語は2030年頃に英語に代わって、世界共通語になる事から、1990年代に世界中の学校で中国語が小学校の内から必修科目となっていた。
      • 一方で英語は2030年頃から凋落し、小学校や中学校における英語教育も2050年頃には廃止され、その分アメリカのスペイン語化が進み、2070年頃には英語とスペイン語の話者数が逆転し、2090年頃にはアメリカが完全にスペイン語の国になっていた。
    • 世界共通通貨も米ドルから中国元に代わり、経済などの指標通貨に中国元が用いられるようになっていた。
      • 「圓」がアジア共通通貨となっていた。通貨マークは\(Yuen)
    • 国連本部の上海移転が真剣に検討され、早ければ2020年代には上海に移転していた。
      • 少なくとも一部の国連機関は本部を中国に移転していた。
    • オリンピックの競技時間は中国のゴールデンタイムに合わせて行われ、夏季オリンピックの競技時期も中国の7~8月は暑い事から10月に行われるようになっていた。
      • 1964年の南京オリンピックや2008年の広州オリンピックは10月開催となっていた。
        • 南京オリンピックは国慶節に合わせるため10月10日が開会式となり、広州オリンピックも国慶節に合わせるため10月7日が開会式となっていた。
      • 恐らく日本にとっても都合が良かっただろう。東京や大阪で五輪をやったとしてもマラソン競技を札幌に移すこともなかった。
      • オリンピックで莫大な放映権料を支払うのは中国版NHKであり、その中国版NHKの言いなりに従うように競技時期や競技時間が決められていた。
      • その中国版NHKは蒋氏父子独裁時代には国営だったが、民主化後に独立行政法人に移行した。
      • オリンピックの開会式も日本時間で言う昼間に行われていた。
      • 中国人がIOCの会長に就任していただろう。
      • IOC本部の中国移転も検討され、早ければ2020年代に実現していた。
    • 1990年代以降のグローバル化は中国が中心となっていた。
    • そのため世界の国を日本の都道府県に例えると中国=東京・埼玉・神奈川武蔵地域、統一朝鮮=千葉となっていた。
    • 2001年の同時多発テロは上海辺りで起きていた。
      • ひょっとしたら事件そのものが起きなかった可能性がある。
    • 1986年に覇権国家になった後は中国一極体制になるも、不況が現実通りだとしたら1997年の世界通貨危機でそれが揺るぎ始め、2008年の世界金融危機で一極体制が弱まり、以降は多極体制になっていた。
    • アメリカが唯一の超大国として一極体制を築く事はなかった。
  7. 2021年現在における東アジア3カ国の発展度は中国>日本>韓国になっていた。
  8. 中国が世界一の技術大国になっていた。
    • 特許出願件数も1965年以来、半世紀以上に亘って世界一にいる。
    • 知的財産権に関しては中国が1番うるさくなっていた。
      • 著作権などに関しては逆に日本は甘かった。
    • 中国人が建設したり製造したりしたものは、頑丈で壊れないという安全神話が存在している。
      • 日本に中国製の鉄道車両が存在していたかもしれない。
    • 中国が世界一のものづくり大国になっていた。
    • 中国国内で起きる事故(衝突事故や落下事故)の数が現実よりかなり減っていた。
    • 「中国の科学力は世界一ィィィ!」と言われていた。
    • 逆に日本の技術力が低かった。
  9. 中国産食品の安全性に問題が出る事もなかった。
    • 2008年の毒ギョーザ騒動もなかった。
    • それどころか中国製品の安全性に問題が出る事もなかった。
  10. 中国国内で発生した自然災害の死者が現実よりかなり減っていた。
    • 1976年の唐山地震の死者は2万人位に、2008年の四川地震の死者は1万人位に抑えられていた。
    • それどころか中国の防災も現実より進んでいる。
  11. 中国が世界一のODA(政府開発援助)大国になっていた。
    • OECDに加盟するのは民主化の辺りになっていた。
    • 一方で日本は経済成長が遅れたため、ODA大国になっておらず、OECD加盟も中国と同時期の1980年代になっていた。
      • 無論、中国が日本からODAを受ける事はなかった。
  12. BRICSの名前も変わっていた。
    • インドネシアのIが入ってBRIISかメキシコのMが入ってBRIMSになっていた。
  13. 中国の経済成長が早く内陸部の開発が現実より早く行われた事から、黄砂の量が1970年代には現実の2000年代と同じくらいに増えていた。
  14. 中国が冷戦終結後に世界の覇権国家になるため、1997年のアジア通貨危機や2008年の世界金融危機はなかったかもしれない。
    • 現実通りあったとしたら中国で起きていた。特に前者は発生時点で中国が世界の覇権国家になっていたため、世界中で金融危機が起きていた。
      • その結果、中国は世界規模の不況を抑える能力はなく、中国の覇権は無能であるのを理由に中国の覇権から離れる国が出て、2010年代には中国を覇権国家としながらも世界中の大国がしのぎを削り合う多極体制になっていた。
      • 特に冷戦時代に東側の中心国家で西側の中心国家の一つの中国に対抗してきたソ連の後継のロシアは前者のタイミングで中国の覇権から離れ始め、後者のタイミングで完全に中国の覇権から完全に離れていた。
        • 並びに2010年代にはロシアは中国やアメリカと冷戦時代のソ連程ではないが対立するようになっていた。
        • この世界のロシアは中国との関係はアメリカ並みに良くない。
        • でも弱体化しているのでクリミアやウクライナに侵攻する事はなかった。
        • イランの体制が現実通りなら、現実のアメリカほどではないが中国と対立するようになっていた。並びに現実通り上記のロシアと並んで某ユーザーにネタにされるようになっていた。
    • 2008年の世界金融危機の原因が四川地震となっていたかもしれない。この場合、四川地震が世界経済に悪影響をもたらした地震として後世まで語り継がれていた。

日本経済[編集 | ソースを編集]

  1. 朝鮮戦争が起こらず、軍事特需もなくアメリカが国民党中国を支援するので日本の戦後復興は遅れていた。
    • そのため日本のGDPが1961年に中国を抜くことはなく、高度経済成長が10年遅れていた。
      • 中国は国共内戦終結直後の1950年頃に日本より早く高度経済成長期に入り、GDPはアメリカのそれをオイルショックの辺りで抜いていた。
        • このため南京オリンピックが1964年に、上海万博が1970年、北平冬季オリンピックが1972年に実施されていた。
          • この場合東京オリンピックは1976年、大阪万博は1980年、札幌冬季オリンピックは1984年に開催されている。
          • この南京オリンピックで太極拳が正式種目に追加される代わりに柔道の追加が遅れ、下手すれば今でも正式種目に採用されていない。
            • この場合、太極拳と柔道の立場が逆転していた。
              • テコンドーがオリンピック種目に追加されることもなかった。
              • 1976年の東京オリンピックで一回だけ公開競技となり、その後2000年頃に正式種目となる。
          • 何れにせよモントリオールがオリンピック開催地にならないため、同都市が数十年にも渡り借金を税金で返済する事態に陥る事はなかった。
            • サラエボもオリンピック開催地にならなかった。
          • 南京は1960年のオリンピック開催地に立候補するも、落選していた。
          • 戦後初の東京のオリンピック立候補は1972年になっていた。
          • インドネシアが共産中国と関係を深めないから、新興国競技大会も実施されず、1964年の南京オリンピックにも無事に参加できていた。
          • チャスラフスカは中国人の間で人気になる一方で日本での知名度は低く、一方でコマネチが日本人の間での人気が史実以上になっていた。
        • こうなっていたら、冷戦の構造が1970年頃までに変わり、アメリカvsソ連vs中国の三つ巴になっていた。
          • 恐らく民主主義vs共産主義vs開発独裁の間の冷戦になっていた。
          • もしくは国力がソ連を抜いた時点で中国はアメリカと対等な関係になり、冷戦がアメリカvsソ連からアメリカ・中国vsソ連になり、国力がアメリカを抜いて冷戦が終結しソ連が崩壊した後の1980年代にアメリカに取って代わって世界の覇権国家になっていた。。
        • 蒋経国の死去と同時に民主化していた。
        • 中国は文句なしでアジアの中心になっていた。
        • 中国語の地位も現実より高く2030年頃には英語から取って代わって世界共通語になると予想されている。
          • 中国語は冷戦終結後に国連事務局の作業言語に追加されていた。
        • 冷戦終結後に中国はサミットやOECDに加盟し、前者がG8になっていた。
        • 日本は中国の強い影響下に置かれ、日華安保が結ばれる代わりに、日米安保が史実より弱くアメリカの援助がないので高度経済成長が10年位遅れていた。
          • 代わりに中国がアメリカと密接な関係を築き、中国がアジアの中心国となるも、国力がソ連を抜いた時点でアメリカとの関係が同盟国から対等関係国になっていた。
            • 1963年まで1ドル=36元という固定相場制があった。
          • 日華安全保障条約と日華地位協定が結ばれ、日本は中国軍を日本に駐留させ、その中国軍に対し特権を提供し、結果として日本はアメリカよりもむしろ中国の属国となり、統一朝鮮も中国の属国となっていた。
          • 1980年代以降、日本の政治は中国にベッタリとなり、日華同盟が強化されて中国の言いなりに従うようになっていた。
            • 一方で日本はアメリカから援助を受けないので、日米関係は現実程緊密ではない。下手したら日本は反米になっていた
            • 中華思想の存在を考えると中国は日本を冊封国・朝貢国のように扱い、日本を属国に置く事を冊封と呼んでいた。並びに日本の天皇・首相が中国の総統・首相の元を訪問する事を朝貢と呼び。その際には前者が後者に対し「三跪九叩頭の礼」みたいな儀式をやっていた。
              • 中国は他の中国の属国も冊封国・朝貢国のように扱い、属国に置く事を冊封と呼んでいた。並びに属国の国家元首・首脳が中国の総統・首相の元を訪問する事を朝貢と呼び、その際には前者が後者に「三跪九叩頭の礼」みたいな儀式をやっていた。
            • つまり史実で親米だった政権が親華となり、親中だった政権が親米になっていた。
        • 中国の国連分担金の割合も、1970年代後半以降ずっと1位にいる。
      • 恐らく戦後は日本と中国の立場が逆転していた。
      • 日本は世界第二の経済大国やアジアNo.1になれず、第三の経済大国やアジアNo.2止まりだった。
        • 日本が妙に自信を持つこともなく、国民性も控え目になっていた。
      • つまり中国の高度経済成長は1950~73年であり、オイルショックでつまずくも、以後は安定成長を続ける。
        • 1960年代には世界中で低価格製品の多くが中国製になり、中国が「世界の工場」と呼ばれるようになっていた。
        • 一方で日本はオイルショックの時はまだ経済成長が進んでおらず、エネルギーも石炭が中心なのでオイルショックの影響は小さかった。
        • だがオイルショックは中国が高度経済成長によりアメリカを抜いて世界一の経済大国になる時期に起きたので、石油価格は史実よりかなり上昇しており、このために日本経済への影響も史実程ではないが大きかった。
          • 中国の高度経済成長が早かったので、1960年代の内に石油価格が上がっていた。
        • 唐山地震が発生した1976年から80年までは中国経済が停滞し、76年の中国はマイナス成長になっていた。とは言えアメリカに再びGDPで抜かれる事はない。
      • 中国は第2次世界大戦終結当初のアメリカの計画のように、戦勝国のよしみでアメリカの支援を受けて経済成長していた。
        • 第二次世界大戦終結当時、アメリカは中国を日本に代わるアジアの大国にしようとしており、その計画が実現していた事になる。
      • 一方で中国は中華思想の存在からかなり自信を持ち、国民性も積極的になっていた。
      • この中国の高度経済成長は最大都市にして経済の中心の上海と首都の南京を流れる長江に因み「長江の奇跡」と呼ばれていた。
        • 一方で日本の高度経済成長は富士山に因み「フジヤマの奇跡」と呼ばれる事に。
  2. 日本におけるバブル景気はなかった。
    • あっても2000年代で、小泉政権の経済政策でバブル景気が起こっていた。
  3. 中国の高度経済成長が早かった事から、九州は大発展。上手くいけば福岡が東京・大阪に次ぐ日本第三の都市になっていた。
    • それどころか西日本も発展し、大阪の人口も現実以上に東京に迫っていた。
    • 特に中国の覇権国家化後は対中国の拠点として、他の地方が衰退していく中で、九州だけが成長していったかも。
      • 特に東日本大震災後は東北が衰退していく中で、九州だけが一人勝ち的に成長していったかも。
        • 東日本大震災を契機に大阪遷都が検討されるようになっていたかも。実行されていたかどうかはわからないが。
    • 長崎新幹線や東九州新幹線は2020年頃に全通していた。
      • 四国新幹線の計画も早まっていただろう。明石海峡大橋は新幹線対応で建設され、豊後水道にも橋が架けられていた。
        • 明石海峡大橋が現実通りだった場合、紀淡海峡大橋が実現していてそこに新幹線が通っていた。
    • さらに上手くいけば福岡は大阪を抜いて日本第二の都市になっていたかも。
      • 福岡は他の5大都市と同じ1956年に政令指定都市に昇格していた(現実には1972年)。広島市も1972年に政令指定都市に昇格している。
      • 福岡市の昇格はむしろ1980年では。広島市の昇格は1990年で、仙台市の昇格は1998年となっていた。
    • 佐賀空港は九州国際空港として現実よりも大規模に作られていた。関西空港も現実より早く1980年代後半から遅くとも大阪で花博があった1990年までに開港していた。
      • 神戸空港も現実より大規模になり、関空を補完していたか、関空自体が神戸に作られていた。
    • 交通体系(特に鉄道)が東京一極集中になることはなく、大阪から東北以北に直通する寝台特急なんかも現実以上に運行されていた。さすがに広島や福岡からは遠いが。
      • 大阪~新潟・青森を結ぶ「きたぐに」や「日本海」が廃止になることはなく、21世紀に入って新車に置き換えられていた。あと大阪~仙台にも寝台特急が設定されていた。
      • 東海道と東北両新幹線の線路が東京駅で繋がっていたほか、日本海側にも新幹線ができていた。
    • 東京・大阪・福岡の3大都市が均衡して発展している。
      • 東名阪ではなく東阪福という言葉が生まれている。
  4. 中国が日本より先に高度経済成長を遂げたため、中国とアメリカを結ぶ航路は現実より早く活性化し、航路に位置する鹿児島県は加工貿易の拠点として栄えていた。
    • このため鹿児島県の生活水準や県民所得は現実より上がり、福岡県と同じ水準になっていた。
      • 川内や串木野や加世田や枕崎や山川や根占や鹿屋や志布志が加工貿易の拠点として栄えていた。このため南薩線や大隅線や志布志線は廃止されず、場合によっては宮之城線や山野線も廃止されなかった。
        • それらの都市には創業者が鹿児島県出身の京セラの工場が建設されていた。
      • 九州自動車道は指宿が終点で、北薩横断道路や南薩縦貫道や大隅縦貫道は終点まで自動車専用道路で建設され、都城と末吉財部を結ぶ地域高規格道路の自動車専用道路(都城末吉道路・都城志布志道路とは平塚IC(都城市)付近で分岐)が建設されていた。
        • 南九州西回り自動車道や東九州自動車道の大隅区間は建設ペースが現実より早まり、2025年までに開通していた。
      • 鹿児島市は昭和末期~平成初期に政令指定都市に昇格していた。
        • 九州新幹線は2004年の時点で博多~鹿児島中央が全通していた。
          • むしろ1988年に全通していた。
        • 熊本市よりも人口は多かっただろう。

文化・サブカルチャー[編集 | ソースを編集]

  1. ダイレンジャーが五星戦隊では無く「晴天戦隊」になってる。
    • 普通に「中華戦隊」じゃないのか?
      • 初期案の中華戦隊チャイナマンがそのまま実現するわけか・・・。
    • 「三民戦隊」なんてのが頭に浮かんだが、これじゃ三人になってしまう…
      • 「五族戦隊」はどうかな?
  2. 民間放送局や民間新聞社が多く設立されていた。
    • 私立学校も多く設置されていた。
  3. 簡体文字はなかった。
    • 中国と日本で字体を統一している可能性もある。
      • 朝鮮半島は「漢字ハングル交じり」である。
  4. 90年代後半からサブカルチャーが目まぐるしい発展を遂げる。
    • 00年代のセカイ系ブームの1/3ぐらいが中国製作品になっている。
    • 10年代後半には中国人声優ブームが到来。MXで華流アニメ枠が設立され、中国人声優をメインキャラに起用した日本製アニメ作品も作られ大きな話題になった。
      • 当然アズレンや少女前線も中国人声優を起用。どちらも日本版で吹き替えが行われているかどうかはかなり怪しい。
        • 前者のアニメは当然中国人が脚本を書き中国企業が制作しており、中国全土で最速放映(史実の中国がネット社会であることを考えると配信も?)されている。
      • 華流アニメで中国語を学んだ人も少なくはない。
    • 華流ドラマも韓流ドラマレベルに日本で放送されるようになる。
      • 「THE KAROKU THEATER」は現在まで放送中。
    • 日本のバラエティ番組に出演するC-POPアイドルもある程度いたはず。
      • それどころかK-POPとC-POPの立場が逆転し、世界をC-POPが席巻していた。
    • 中国人アーティストのBillboard Hot 100へのチャートインも何度か果たしている。
      • 中国が冷戦終結・ソ連崩壊後に覇権国家になっていた場合、中国以外の歌手の中国のベストヒット100に入るのが一種のステータスになる。
    • 「日本のアニメ産業が中国に追い抜かれる」という懸念が現実のものとなっていた可能性も否定できない。
      • むしろ中国のアニメ産業が発展しており、日本のそれは発展していなかった。
    • それどころか中国のサブカルチャーが発展しており、日本のそれは発展していなかった。
  5. 上海ディズニーランドは1980年に東京より先に開業していた。
    • ユニバーサルスタジオ広州も1990年頃に開業していた。
      • もしくは北京。
    • 90年代後半になって、やっと東京にもできる(香港と同時期)。
  6. 中国国内では現在でも儒教が盛んに信仰されている。
    • 並びに曲阜にある孔府には今でも孔子の子孫が住んでいる。
    • それどころか信教の自由が保証されていた。
  7. 文化大革命もないため、中国国内の保存文化財の数が増えていた。
  8. 大躍進もないため、雀が穀物を食べたりする一方で害虫を食べるという側面のイメージは付かなかった。
  9. 冷戦が1977年に終結のため、『バトルフィーバーJ』のバトルコサックは別の戦士になっていた。
  10. 中国から多数のノーベル賞受賞者が出ていた。
    • 人口を考慮すると受賞者数は世界一になっていた。
    • 一方で日本は少なかった。

スポーツ[編集 | ソースを編集]

  1. 中国の夏季オリンピックでのメダル獲得数は自国開催の1964年の南京で1位となった後、1976年の東京以降ずっと1位にいる。
    • 1976年には唐山地震があったので、それをバネにメダル獲得数1位になっていた。
    • 冬季オリンピックでのメダル獲得数も自国開催の1972年の北京で1位となった後、1984年の札幌以降ずっと1位にいる。
      • 冬季については分からない。それなりに強くなっているとは思うけど。
      • フィギュアスケートは現実の日本みたいに1990年代から強くなり、2000年代には世界の強豪となり、2010年代には女子がロシアと張り合っていた。
  2. 野球の普及率・レベルが現実の台湾並みに上がっていた。
    • 人口・国力などを考えるとアメリカに匹敵する強豪だった可能性が高い。
      • アメリカではなく中国の球団に移る日本人選手もいた。
        • 王貞治辺りが移っていたかも。
      • オイルショックの辺りでアメリカを抜いて世界最大の経済大国となり、1980年代に世界の覇権国家になるので、2000年頃には野球の本場と言えば中国と言える状況になっていた。
      • 日本のプロ野球界でも多くの中国人選手が活躍している。
    • 卓球も現実と変わらない程の強豪国になっていた。
    • 一方でサッカーの普及率は現実同様低いまま。W杯出場は早くて1980年代、下手すれば日本と同じ98年となっていた。
    • 中国出身の大相撲力士も早くから誕生していただろう。
      • 下手したら現在の角界は中国人力士が大活躍している。
    • テニスの普及率も高く、現在のテニス界では中国選手が大活躍している。四大大会に中国オープンが加わり五大大会になっていた。中国が冷戦終結・ソ連崩壊後に世界の覇権国家になっていたら尚更。
  3. 中国競馬業界が目指している、現役競走馬数10万頭・年間生産頭数2万頭といった世界トップクラスへの規模拡大も、国民党が勝ったことで史実の共産党による競馬禁止が行われず、既に達成する事が出来ていた。
  4. 2002年のサッカーW杯は日韓華共催となっていた。
    • もしくは2002年のW杯が中国で開催され、2022年が日韓共催か日本単独開催になっていた。
  5. 中国国内における他のオリンピックや万博については、1985年に西安万博、1998年にハルビン冬季オリンピック、2008年に広州オリンピック、2010年に武漢万博、現実通り2022年に北京冬季オリンピックが開催されている。
    • 1988年のオリンピックに武漢が立候補するも、落選していた。

共産党のその後[編集 | ソースを編集]

全般[編集 | ソースを編集]

  1. どこに逃れようとも中華民国が中国の名を冠し続ける以上、共産党政府は「中共」もしくは「新中国」と呼ばれ続けていた。
  2. 下にもあるようにソ連崩壊で立場がだいぶ危うくなっている。

満州に逃れた場合[編集 | ソースを編集]

  1. 「中華人民共和国」は国境線を脅かされ、政治主義を超えて日米に接近。
  2. 毛沢東はとっくの昔に失脚し、周恩来か林彪が実権を握り、日満国交正常化を実現させる。
  3. 日本が残したインフラと豊富な資源を元に地道に発展を遂げ、今のベトナムのような政体になっている。
  4. ソ連崩壊からしばらくして民主化されていたかも。
  5. 果たして史実通り珍宝島事件は起こったのだろうか?
    • 史実の中華人民共和国ほど国力がなく、ソ連に対抗することが出来ないため起こっていない可能性が高い。
      • ソ連に有利なように国境線が一方的に決められていた。

台湾に逃れた場合[編集 | ソースを編集]

  1. 共産党勢力が台湾に逃げ込んで、キューバのような状況になるのでは?
  2. 台湾で文化大革命が起きていた。
    • そんな内乱状態にして外敵からの侵入を容易にはさせないだろう。むしろ共産党により二・二八事件のような虐殺がおきて戒厳令が敷かれる。
  3. なんとなく、対外強硬策はとっていないような気がする。
    • でも少なくとも沖縄の領有権は主張しそう。
  4. 毛沢東の息子・毛岸英は朝鮮戦争に参加せず、戦死もしないため、親子の間で世襲交代が行われる。
  5. 台湾の政治体制が共産主義になる他は、文化大革命がないため史実と同じように1980年代から高度経済成長期に入っていた。
    • 改革・開放や中ソ対立による西側接近がなかった場合、今でも貧乏だったかも。
      • 改革・開放や西側接近があっても、史実の中国ほど重要視されないため、そこまでは裕福にならなかった。ベトナム戦争のような国土が疲弊する出来事がないぶん史実のベトナムよりは早く経済成長に入ったと思われるが、史実のタイやマレーシアくらいの地位じゃないだろうか。
  6. 中ソ対立があった場合、地理的に離れているので珍宝島事件のような衝突は起きなかった。
  7. 80年代に崩壊していたか現在も共産主義だったかは微妙なところだ。
    • 改革・開放や西側接近を行わなかった場合東欧革命の時期に崩壊していた気もするが、キューバやラオスの例を見るとなんともいえない。
  8. 中ソ対立があっても、史実ほど海外に中国派や毛主義の勢力はできなかったかも。

ソ連に逃れた場合[編集 | ソースを編集]

  1. 毛沢東はソ連共産党員となっていたか、国民党政府に対抗するゲリラを結成していただろう。
    • やはり国民党中国はソ連と対立するので、それを生かして国民党政府に対抗していただろう。

新疆に逃れた場合[編集 | ソースを編集]

  1. 毛沢東は史実以上にソ連との関係を深めていた。
  2. ソ連崩壊でウイグル人が実権を握る「ウイグリスタン共和国」になっている。
  3. 新疆の現地住民への弾圧は現実と変わらなかった。

なぜか日本に逃れた場合[編集 | ソースを編集]

  1. 日本は分断国家になっていた。
    • 東日本の首都は東京に、西日本の首都は大阪になっていた。
      • 大阪は史実ほど東京に吸い取られなかったので衰退しなかっただろう。特に中共が東日本に行った場合。
        • むしろ現実以上に発展していた。
        • 中曽根・小泉両内閣もなかったため、その後の新自由主義や失われた30年もなかった。
        • 少なくとも小笠原諸島の東日本返還は無かった。
    • 何れにせよ朝鮮戦争は起きなかった一方で、GHQと中共との間で日本戦争が起きていた。
      • その過程で米軍は伊豆諸島も武力で占拠していた。
      • ソ連も介入していたら北海道が大規模な戦火に巻き込まれるだろう。下手すると戦後、道全土がソ連領になっていたかもしれない。
  2. 統一に成功していた場合こうなる。

消滅した場合[編集 | ソースを編集]

  1. どんな最期を迎えたのだろう?
    • 「中国共産党の勃興から消滅までの物語」がハリウッドで映画化される。
    • 恐らく、ソ連が共産党に勝ち目はない事で見捨ててて、共産党が自然的に崩壊かな。
    • その場合、ソ連の国力が落ちていたのでペレストロイカやグラスノスチ、冷戦終結やソ連崩壊が早まった。
      • 少なくともフルシチョフは失脚しなかった。
      • 北方領土の日本返還も1980年代あたりに実現していた。
    • もしくは国共内戦中にソ連が崩壊し、後ろ楯を失った共産党が自然的に崩壊かな。
    • 国共内戦中に毛沢東が命を落として、共産党が分裂して崩壊も有り得る。
  2. 「中国共産党の後継者(残党)」を名乗る輩が中華民国にちょっかいを出し続けていたのは間違いなさそう。
  3. 社会主義や共産主義と言った概念は1970年代には衰退していた。

関連項目[編集 | ソースを編集]