もし中島飛行機が解体されなかったら

ナビゲーションに移動 検索に移動
  1. レガシィもスカイラインも同じ会社が製造している。
    • 先代の御料車も中島が作った
    • むしろたま電気自動車は同じ立飛系のオオタ自動車共々東急くろがね工業に合流していた。その後史実通り日産入りするが、日産プリンスならぬ日産くろがねとなっていた。
      • 愛知機械工業も日産内でもう少し発言権が上がっていた可能性がある。日産コニーというブランドとして残っていたかも。
  2. ISASのロケットは全て中島製
    • むしろJAXAの源流となる機関を中島が企業立で作っていたかもしれない
    • 三菱、川崎、IHIあたりと切磋琢磨して開発が進む。
      • そのIHIのジェット・ロケットエンジン部門がまさに中島飛行機の後身なのですが…
  3. バブル期に工場跡地を売って大儲けしている
    • 国際基督教大学(ICU)が、中島飛行機三鷹研究所の敷地ではなく、別な地域に設立されていた。
  4. 結局は富士重工という社名になっていそう。
    • 終戦後に改名した「富士産業」という社名のままでは。
  5. YS-11クラスの飛行機を製造していた。
    • HondaJetやMRJのような飛行機も製造していた。
  6. FHI案P-Xが現実のものになっている
  7. F1に参戦していたかもしれない。
  8. 群馬県を代表する企業になっていた。
  9. 海雄会が関東電気自動車製造へ改組することもトヨタグループ入りすることもなかったため東北への拠点移行はもう少し早く行われていたかもしれない。
  10. ジェイ・バスどころか日野車体工業すら発足せず、金沢産業が富士産業傘下のまま存続。後年には富士産業のコーチビルダー部門を完全に引き継いでいた。
  11. 関東バスにもいまだに影響力を及ぼし、富士系列のショーウィンドウとしての役割も続いていた。