もし元号が○○だったら
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存在しなかったら[編集 | ソースを編集]
最初の元号「大化」を用いたのは孝徳天皇の時代ですが
- 年号は江戸時代まで干支、明治時代以降は皇紀で表すのが主流に。
- むしろ身分や地方ごとに異なる紀年法が使われていた。
- 僧侶なら仏滅紀元(おそらく東南アジアとは別物)、江戸っ子なら「今の公方様の〇年」という感じ。
- 長崎では中国人との接触が多いことから普通に中国の元号が使われていた。
- 明治維新の際にはどの暦を新日本の共通暦にするかで揉めに揉めていた。
- むしろ身分や地方ごとに異なる紀年法が使われていた。
- 元号がつく歴史用語名がかわるので歴史学者がなんて言えばいいか苦労する。
- 歴史教科書では○○天皇何年で数えていた。
- それでも現天皇の時代を今上何年とは言わないだろう。
- 「今上〇年」という言い回しが使われていたら古文書の年代特定に困る事例が増えていた。
- むしろ「今上」という言葉自体使われなかったかも。
- それでも現天皇の時代を今上何年とは言わないだろう。
- 明治以降の天皇の諡号は現実と違う名前になっていた。
- あるいは西暦の使用が明治時代から定着していた。
- これを機に、公文書や商取引でも元号の使用が禁止されていた。
- むしろ神武天皇紀元(皇紀)が広く使われていたのでは。
- ただし江戸時代に水戸藩や国学者などにより複数の異なる「皇紀」が考案されさらなる混乱を招いていた恐れもある。
- 現実の明治以降の歴史は「東京時代」に。
- 政体が変更された1945年以降はどうするか。
- ヨーロッパのように「近代」「現代」と分けていたと思う。
- 政体が変更された1945年以降はどうするか。
- コンピューター関連の関係者の負担が減る。
- 利用者側としても、officeシリーズで新元号への変換ができない問題も発生しないのでシステム上印刷後手書き修正を強いられることもない。
- 史実の私年号が「元号」と呼称されていた。
- 織田信長あたりは確実に独自年号を使っていた。
最初から一世一元だったら[編集 | ソースを編集]
- 元号がいくらか覚えやすくなる。
- ただし戦前戦中の学生は歴代天皇だけでなく年号も覚えさせられたのでかなりの負担増に。
- それでも昭和は史上最長の元号だった。
- さすがに重祚した場合は元号が変わる。
- 何らかの大事件や大災害が発生した場合、譲位することによって元号を変えようとするかも。
- それでも明治以前で「(元号)時代」という呼び名が使われることはないだろう。
- 文化史なら少しは出番があってもおかしくない。
- 最初の元号「大化」は孝徳天皇崩御まで使われていた。
- 明治以前に諡号が元号の天皇がいたとは限らない。
- 一世一元以前にも天皇即位を理由とした改元はあったので。
- 後○○天皇の人数は少なかったかもしれない。
- (元号が途切れず続いていたとして)「大化」からこの制度だと弘文天皇の扱いはどうなる?
- 大友皇子の元号が使われたとしても乱に勝利した大海人皇子側によりその証拠は消されていた。
- それでも後世に木簡が見つかり使用が裏付けられる。
- 大友皇子の元号が使われたとしても乱に勝利した大海人皇子側によりその証拠は消されていた。
- 日本が先に導入していた場合は「東夷の物真似」との悪評を避けるため中華王朝での一世一元制の導入はなかった。
- 中国でも早い時代に一世一元制が導入されていた。
- だかそれでも最長の年号は清の康熙。
- この場合も歴史用語名で何て言っていいか苦労するパターンができていた。
- 明治や大正や昭和の様な場所の動きが江戸時代以前の日本史では少ないので。
- もしかしたら後醍醐天皇や後村上天皇の時代は、醍醐天皇や村上天皇の時代をあやかった元号を付けていたかも。
- 「建武」じゃなくて、「後延喜」とか「後天暦」と制定していたかも。
- 三文字の元号自体は中国大陸の王朝にいくつか例があるので不自然ではない。
- 「建武」じゃなくて、「後延喜」とか「後天暦」と制定していたかも。
「大化」以前から制定されていたら[編集 | ソースを編集]
- それでも古い時代に制定されていた元号は使われていたのかは論争が出る。
- 実際に運用されたのを確認できるのはおそらく継体天皇以降。
- それ以前でも金石文などで確認できる年号はあると思う。
- 稲荷山古墳出土の雄略天皇(ワカタケル)の名前が入った鉄剣にも干支ではなく元号が刻まれていた。
- それ以前でも金石文などで確認できる年号はあると思う。
- 実際に運用されたのを確認できるのはおそらく継体天皇以降。
- 現在では使われていない漢字が使われている元号もある。
- 歴史書などでは無理やり現代の漢字に変換されている。
- 九州限定で使われた元号があるといわれた(実際に提唱されているが)。
- 聖徳太子が導入したという俗説ができる?
- 日本が中国より先に導入していた場合、神武天皇が導入したという俗説ができる・・・かな?
- 史実で中国大陸初の元号を導入した漢の武帝は弥生時代中期の人なので日本が先に導入というのは不可能。
- 当時はやっとムラの集合体ができ小国が登場し始めたくらい。
- 史実で中国大陸初の元号を導入した漢の武帝は弥生時代中期の人なので日本が先に導入というのは不可能。
- 日本が中国より先に導入していた場合、神武天皇が導入したという俗説ができる・・・かな?
- どの元号が実在していたかということについて古代史学者が侃々諤々の論争を繰り広げている。
- 古い時代の元号が音読みだったか訓読みだったかも大論争の種に。
「白雉」以降定着していたら[編集 | ソースを編集]
孝徳天皇崩御したら654年から大宝が制定された701年まで686年朱鳥を除いて元号が制定されていませんでした。
- 「白鳳」や「朱雀」も正式な元号だったかもしれない。
- とはいえ、朱鳥や白雉と紛らわしい(書き間違いという説もある)ので間隔を明けてから使用されるだろう。
- 最低でも何回かは改元していた。
- 白鳳地震(684年)の時は確実。
一世一元の詔が出されなかったら[編集 | ソースを編集]
慶応4年9月8日(1868年10月23日)、元号を「明治」と改めるとともに、一人の天皇につきひとつの元号とする「一世一元の詔」が出されました。もしこの「一世一元の詔」が出されなかったら・・・
- 元号はもちろん実際よりもコロコロ変わっていた。
- 多分西南戦争あたりで明治から改元。
- となると、明治大学(1881年創立)は別の名前になる。
- 多分西南戦争あたりで明治から改元。
- 「明治天皇」「大正天皇」「昭和天皇」という名前もなかったと思われる。
- (現実の)昭和天皇崩御で改元、阪神大震災で改元、911テロで改元・・・と、最近になって格段に改元が多くなる気がする。
- 太平洋戦争とかでも改元されている気がする。
- ていうか、暗いニュースがあればその都度改元する傾向になり、年内に複数回の改元も珍しくなくなる。
- 特に2008年は原油高騰で改元、金融危機でまた改元…とかされていた。
- さすがに年内の複数改元は費用などを考えると非現実的だと思う。
- 年内の複数改元は一度ありました(749年に天平→天平感宝→天平勝宝と2度改元)。
- こういう事態に備え、「元号の単独使用」は禁止する。
- 「2001年(平成13年)」=「西暦(元号)」のように西暦+元号の形で併記すれば使用可とする。
- 2010年代になるとほぼ毎年の様に改元が起こりそう。
- 前回の改元から3年以内は再改元しないルールが制定される。
- さすがに海外の事案に対しての改元はなかろう。
- 元号が一定にならないので、西暦が現実よりも普及。
- おそらく西暦が圧倒的に使われると思われる。元号を覚えるのが大変。
- 西暦と共に皇紀も使用されていたかもしれない。
- 元号廃止論が史実より広く認知されていた。
- 戦後の国会で社会党や共産党が元号廃止法案を複数回提出していた。
- 終戦までは皇紀、戦後は西暦を使うのが主流に。
- 出版物等での元号の記載ミスが史実より多く発生する。
- 戦中までは責任者の辞職(時には自決も?)、担当者の解雇、発禁処分や自主休・廃刊等に。
- 戦後は会社や社長宅に街宣車が押し掛ける。1960年代半ば頃には元号はほとんど使われなくなり、史実の皇紀と同じ位の認知度に。
- 史実の昭和初期辺りから、国粋主義者の一部で元号復興運動が起きる。
- 戦後には皇紀復活運動も起き、保守派の間では「元号か皇紀か」で論争になる。
- 近年になり、保守を自称する一部ネットユーザーが「日本人なら元号を使うべきだ!」と盛んに主張する。
- そういう主張をするが、元号の文字や年数を間違える者が続出。中には元号が変わったことを知らない者も。
- そして他のネットユーザーから叩かれる。
- 元号の通用しない外国人からも叩かれる。
- 右翼なこの人(皇室ファン)が発狂して叩き返す。
- そして他のネットユーザーから叩かれる。
- そういう主張をするが、元号の文字や年数を間違える者が続出。中には元号が変わったことを知らない者も。
- 出版物等での元号の記載ミスが史実より多く発生する。
- 甲子改元が行われていたとしたら、1924年・1984年にも改元。大正と昭和、昭和と平成の間にそれぞれ短い元号が出現していた。
- 辛酉改元も行われていたら1921年・1981年にも改元。甲子改元と合わせて大正と昭和、昭和と平成の間の短い元号が2つずつ出ていたことになる。
- (上の明治大学とかぶりますが)「平成教育委員会」「Hey! Say! JUMP」など年号を冠した物はほとんど誕生していない。
- むしろ誕生した時代を記念する意味でもっと増えているのでは。
- 改元がとても多くなりストックが切れるのを恐れて、4文字の元号復活。
- 767年制定の「神護景雲」以来。
- 当然大戦終了後も改元。
- 改元は天皇家の権威を象徴するので、敗戦直後はGHQが許さなかっただろう。
- もしも借箱や歴史のif検討委員会の元号ネタも増加していただろう。
- 「もしあの時改元されていたら」や「もし元号が○○だったら」といったページが存在していた。
- 国鉄のダイヤ改正が和暦を用いた通称(サンロクトオ、ヨンサントオ、ゴーサントオ等)で呼ばれることはなかった。
- それらは西暦で呼ばれることになる(ロクイチトオ、ロクハチトオ、ナナハチトオ等)。
- かつての西工ボディも「42MC」・「53MC」・「58MC」ではなく、「67MC」・「78MC」・「83MC」になっていた。
- 実際、昭和終焉後は「96MC」や「02MC」など西暦表記に変更された。
- 遅くとも現行憲法制定時には改元に国会の承認が必要というように決まっていた。
- 国会での反対により幻に終わった元号もいくつかある。
- 衆議院では、○○(元号)解散があったかもしれない。
- 国会での反対により幻に終わった元号もいくつかある。
昭和が「光文」になっていたら[編集 | ソースを編集]
- 大正天皇の崩御直後、東京日日新聞(現・毎日新聞)が次の元号が「光文」であると報じましたが、実際には元号は「昭和」となりました。
- もし、この報道がなく(元々元号は昭和だと決まっており、「光文」は決まらなかった内閣案の一つであるとの説もありますが)元号が「光文」になっていたら?
- 当然、「昭和」を冠するものは全て「光文」になっていた。
- 史実で昭和2,3年生まれで「昭二」「昭三」という名前になった人は、「光二」「光三」となっていた。
- それ以外の「昭○」さんの多くも、↓の例を除けば「光○」さんになっていたかもしれない。
- 昭和の「昭」の字は当用漢字に入らなかったかもしれない。
- かろうじて人名漢字には入り、「浩」のように人名ではよく使われるがそれ以外では使われない漢字になっていたかもしれない。
- 「昭」は元号に使われたおかげでポピュラーな人名漢字になったはずだが…。
- 元号発表時には「照」の間違いではないかという声も上がったほど。
- 「昭」は元号に使われたおかげでポピュラーな人名漢字になったはずだが…。
- かろうじて人名漢字には入り、「浩」のように人名ではよく使われるがそれ以外では使われない漢字になっていたかもしれない。
- 逆に光文社は別の名前になっていたかもしれない。
- 光文書院も。
- むしろ地図などを出版する昭文社が「光文社」を名乗っていたかも。
- 史実で昭和2,3年生まれで「昭二」「昭三」という名前になった人は、「光二」「光三」となっていた。
- 元号の1文字アルファベット表記は「K」なので、平成はその時の候補だった「修文」「正化」のどちらかになっていたかもしれない。
- 63年後、毎日新聞が「平成」の元号をスクープした際そこまで叫ばれなかった。もしくは、この事件がないので真っ先には報道できなかったかもしれない。
- それでも毎日新聞社内は相当なプレッシャーがかかっていただろう。
- 当時の宮内省関係者面目丸つぶれ。
- 自治体名に「光文町」や「光文村」などができる。
- 東京の昭島市は「光島(みつしま)市」になっていた。
- この「光文」を音読みすると「こうぶん」になり、弘文天皇の「弘文(こうぶん)」に通じる。弘文天皇が壬申の乱で悲劇的な最期を遂げられたのは言うまでもない(ちなみに、二・二六事件は一部で「昭和の壬申の乱」と位置付けられたらしい)。本当にそのような不吉な因縁のある「光文」が元号の最終候補に挙がっていたのか、不思議でならない。
- 艦隊シリーズの後世世界では「洸文」になっていた。
使用が禁止されたら[編集 | ソースを編集]
外国人には理解されず、国際的にも通用しない、日本だけの紀年法「元号」(和暦)の使用が禁止されたら?
- この人達(皇室ファンとか)が発狂する。
- 今度は公文書や私文書で「元号→西暦」への変換に追われ、痛い出費と時間を負わされることになる。
- 元号と同様、他国の紀年法(皇紀、民国紀元、主体暦とか)も禁止される。
- 公文書や公的な場で禁止されるとしても、文化的、宗教的な場での使用までは禁止されない。
- 単独での使用は禁止するが、「2010年(平成22年)」→「西暦(元号)」のような併記の形式に限り、特例で使用可能とする。
- 「あなた昭和生まれなの(オバサン)」とか「もうすぐ平成生まれがオバサン扱いになってしまう」などのようには、元号で世代が区分されなくなる。
- 時代区分は、明治維新以降こんにちまで「東京時代」となる
- それでは大雑把すぎるため欧米や中国のように第2次大戦終結あたりでも分けられるのでは。
- 中国や欧州のように共産主義になって国家が変わったわけではないが‥。
- 戦中の時は「戦争時代」、現代は「現世時代」と呼ぶようになるかも。
- なぜ唐突に宗教用語が?
- むしろ、ヨーロッパみたいに「近代」「現代」と区分されていたかもしれない。
- それでは大雑把すぎるため欧米や中国のように第2次大戦終結あたりでも分けられるのでは。
- 現在流通している日本円の硬貨は全て流通禁止にされ回収される。
- 自販機業界などはそれに伴う特需で大儲け。
- 平成仮面ライダーシリーズはやはり「21世紀仮面ライダーシリーズ」に変わるのか?
- 昭和仮面ライダーは20世紀仮面ライダーになる。
- 元号が付く地名は改名されてしまう。
- 自治体は山梨県昭和町は「西条町」、群馬県昭和村は「久呂保村」、福島県昭和村は「野尻村」に戻される。
- もしくは合併されている。
- 東京都昭島市はどうすれば?
- 駅名や社名も同じく。
- 明治製菓はどこかに吸収される。
- 大正製薬も吸収合併されているか、全く違う社名になっていた。
- 慶應義塾大学や比叡山延暦寺まで改名を強いられる。
- 自治体は山梨県昭和町は「西条町」、群馬県昭和村は「久呂保村」、福島県昭和村は「野尻村」に戻される。
- おそらくこうなっているだろう。
- 4月29日の祝日「昭和の日」は改名されるか、廃止になる。
- みどりの日に戻るかもしれない。
- 当然ながら元号(「明治」「大正」「昭和」等)は放送禁止用語になる。
- 1989年以前の日本やその勢力圏を舞台にした作品が作れなくなってしまう。
- 特に西暦伝来以前の時代が舞台の時代劇は絶滅間違いなし。
- 歴史番組も作りにくくなる。
- ニュースで古文書発見を報じる際にも文書にモザイクがかかる。
- 1989年以前の日本やその勢力圏を舞台にした作品が作れなくなってしまう。
- それでもNHKや産経新聞は西暦を絶対に使わないだろう。
- 現在のコンプライアンス原理主義の世の中ではそうはならないかと。
- 平成までで廃止された場合、オリンピックに便乗した国際化の一環だろといちゃもんをつけられていた。
- 果たして2019年の今年の漢字は何になっていたのだろうか?(史実では令和の「令」)
- 史実2位の「新」かもしれない。
- でもその「新」って「新元号」の「新」なのでは?
- 2019年の今年の漢字は上位4つが元号関係(1位…令、2位…新、3位…和、4位…変)なので、もし「新」じゃないとすると史実5位の「災」か史実6位の「嵐」のどちらかになっていた。
- 史実2位の「新」かもしれない。
- 果たして2019年の今年の漢字は何になっていたのだろうか?(史実では令和の「令」)
- 明治維新時に廃止されていた場合、明治維新は戊辰維新と呼ばれていた。
- 平成筑豊鉄道の令和コスタ行橋駅は、氷河期筑豊鉄道のゆとりコスタ行橋Z駅になっていた。
- 団塊大学、バブル大学、氷河期大学、ミレニアル大学、Z大学などができていた。
明治から大正への改元が○○だったら[編集 | ソースを編集]
1912年8月1日だったら[編集 | ソースを編集]
- 1912年は7月31日まで明治、8月1日から大正となり、完全に7月以前と8月以後に分かれていた。
- 大方には影響なし。
1913年1月1日だったら[編集 | ソースを編集]
- 1913年が大正元年となり、大正は14年までとなっていた。
- 大正から昭和への改元時も下みたいに1927年1月1日にやっていた。
大正から昭和への改元が1927年1月1日だったら[編集 | ソースを編集]
- 江戸時代までは年末まで改元しない場合が多かったため、有り得た。
- 1927年が昭和元年となり、昭和は63年までとなっていた。
- もしくは1989年を1月1日まで遡って平成元年として、この場合昭和63年が幻の存在となっていた。
- 昭和→平成も僅かな期間ながら生前退位という形になっていた。
- その為昭和元年が希少価値となる事はなかった。
- もしくは1989年を1月1日まで遡って平成元年として、この場合昭和63年が幻の存在となっていた。
- 昭和x0年が西暦で19x6年になるため、キリが悪い事から早くから西暦が庶民に普及していた。
- 1927、1928、1929年に最も人気だった男の子名前はそれぞれ「昭一」「昭二」「昭三」になっていた。
- この場合平成改元時も年末まで改元しなかった可能性もある。
日本史ですべて暗記することになったら[編集 | ソースを編集]
- 出来事が起きた年を、テストにおいて西暦で書くと不正解になっていた。
- 歴代天皇より数が多いため、戦前生まれからは批判の嵐。