もし元号が○○だったら

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存在しなかったら[編集]

最初の元号「大化」を用いたのは孝徳天皇の時代ですが

  1. 年号は江戸時代まで干支、明治時代以降は皇紀で表すのが主流に。
  2. 元号がつく歴史用語名がかわるので歴史学者がなんて言えばいいか苦労する。
  3. 歴史教科書では○○天皇何年で数えていた。
    • それでも現天皇の時代を今上何年とは言わないだろう。
  4. 明治以降の天皇の諡号は現実と違う名前になっていた。
  5. あるいは西暦の使用が明治時代から定着していた。
  6. 現実の明治以降の歴史は「東京時代」に。
    • 政体が変更された1945年以降はどうするか。
  7. コンピューター関連の関係者の負担が減る。

最初から一世一元だったら[編集]

  1. 元号がいくらか覚えやすくなる。
  2. それでも昭和は史上最長の元号だった。
  3. さすがに重祚した場合は元号が変わる。
    • 何らかの大事件や大災害が発生した場合、譲位することによって元号を変えようとするかも。
  4. それでも明治以前で「(元号)時代」という呼び名が使われることはないだろう。
  5. 最初の元号「大化」は孝徳天皇崩御まで使われていた。
  6. 明治以前に諡号が元号の天皇がいたとは限らない。
    • 一世一元以前にも天皇即位を理由とした改元はあったので。
    • 後○○天皇の人数は少なかったかもしれない。
  7. (元号が途切れず続いていたとして)「大化」からこの制度だと弘文天皇の扱いはどうなる?

「大化」以前から制定されていたら[編集]

  1. それでも古い時代に制定されていた元号は使われていたのかは論争が出る。
    • 実際に運用されたのを確認できるのはおそらく継体天皇以降。
  2. 現在では使われていない漢字が使われている元号もある。
  3. 九州限定で使われた元号があるといわれた(実際に提唱されているが)。
  4. 聖徳太子が導入したという俗説ができる?

「白雉」以降定着していたら[編集]

孝徳天皇崩御したら654年から大宝が制定された701年まで686年朱鳥を除いて元号が制定されていませんでした。

  1. 「白鳳」や「朱雀」も正式な元号だったかもしれない。
    • とはいえ、朱鳥や白雉と紛らわしい(書き間違いという説もある)ので間隔を明けてから使用されるだろう。
  2. 最低でも何回かは改元していた。
    • 白鳳地震(684年)の時は確実。

一世一元の詔が出されなかったら[編集]

慶応4年9月8日(1868年10月23日)、元号を「明治」と改めるとともに、一人の天皇につきひとつの元号とする「一世一元の詔」が出されました。もしこの「一世一元の詔」が出されなかったら・・・

  1. 元号はもちろん実際よりもコロコロ変わっていた。
    • 多分西南戦争あたりで明治から改元。
      • となると、明治大学(1881年創立)は別の名前になる。
  2. 「明治天皇」「大正天皇」「昭和天皇」という名前もなかったと思われる。
  3. (現実の)昭和天皇崩御で改元、阪神大震災で改元、911テロで改元・・・と、最近になって格段に改元が多くなる気がする。
    • 太平洋戦争とかでも改元されている気がする。
    • ていうか、暗いニュースがあればその都度改元する傾向になり、年内に複数回の改元も珍しくなくなる。
    • 特に2008年は原油高騰で改元、金融危機でまた改元…とかされていた。
    • さすがに年内の複数改元は費用などを考えると非現実的だと思う。
      • 年内の複数改元は一度ありました(749年に天平→天平感宝→天平勝宝と2度改元)。
      • こういう事態に備え、「元号の単独使用」は禁止する。
        • 「2001年(平成13年)」=「西暦(元号)」のように西暦+元号の形で併記すれば使用可とする。
  4. 元号が一定にならないので、西暦が現実よりも普及。
    • おそらく西暦が圧倒的に使われると思われる。元号を覚えるのが大変。
      • それでもNHKは西暦を絶対に使わない。
      • 予算や法律など、政府が出すものは元号が使用されていますからね・・・。
    • 西暦と共に皇紀も使用されていたかもしれない。
    • 元号廃止論が史実より広く認知されていた。
    • 終戦までは皇紀、戦後は西暦を使うのが主流に。
      • 出版物等での元号の記載ミスが史実より多く発生する。
        • 戦中までは責任者の辞職(時には自決も?)、担当者の解雇、発禁処分や自主休・廃刊等に。
        • 戦後は会社や社長宅に街宣車が押し掛ける。1960年代半ば頃には元号はほとんど使われなくなり、史実の皇紀と同じ位の認知度に。
      • 史実の昭和初期辺りから、国粋主義者の一部で元号復興運動が起きる。
        • 戦後には皇紀復活運動も起き、保守派の間では「元号か皇紀か」で論争になる。
      • 近年になり、保守を自称する一部ネットユーザーが「日本人なら元号を使うべきだ!」と盛んに主張する。
        • そういう主張をするが、元号の文字や年数を間違える者が続出。中には元号が変わったことを知らない者も。
          • そして他のネットユーザーから叩かれる。
            • 元号の通用しない外国人からも叩かれる。
          • 右翼なこの人(皇室ファン)が発狂して叩き返す。
  5. 甲子改元が行われていたとしたら、1924年・1984年にも改元。大正と昭和、昭和と平成の間にそれぞれ短い元号が出現していた。
    • 辛酉改元も行われていたら1921年・1981年にも改元。甲子改元と合わせて大正と昭和、昭和と平成の間の短い元号が2つずつ出ていたことになる。
  6. (上の明治大学とかぶりますが)「平成教育委員会」「Hey! Say! JUMP」など年号を冠した物はほとんど誕生していない。
  7. 改元がとても多くなりストックが切れるのを恐れて、4文字の元号復活。
    • 767年制定の「神護景雲」以来。
  8. 当然大戦終了後も改元。
  9. もしも借箱や歴史のif検討委員会の元号ネタも増加していただろう。
    • 「もしあの時改元されていたら」や「もし元号が○○だったら」といったページが存在していた。
  10. 国鉄のダイヤ改正が和暦を用いた通称(サンロクトオ、ヨンサントオ、ゴーサントオ等)で呼ばれることはなかった。
    • それらは西暦で呼ばれることになる(ロクイチトオ、ロクハチトオ、ナナハチトオ等)。
  11. かつての西工ボディも「42MC」・「53MC」・「58MC」ではなく、「67MC」・「78MC」・「83MC」になっていた。
    • 実際、昭和終焉後は「96MC」や「02MC」など西暦表記に変更された。

昭和が「光文」になっていたら[編集]

  • 大正天皇の崩御直後、東京日日新聞(現・毎日新聞)が次の元号が「光文」であると報じましたが、実際には元号は「昭和」となりました。
    • もし、この報道がなく(元々元号は昭和だと決まっており、「光文」は決まらなかった内閣案の一つであるとの説もありますが)元号が「光文」になっていたら?
  1. 当然、「昭和」を冠するものは全て「光文」になっていた。
    • 史実で昭和2,3年生まれで「昭二」「昭三」という名前になった人は、「光二」「光三」となっていた。
      • それ以外の「昭○」さんの多くも、↓の例を除けば「光○」さんになっていたかもしれない。
    • 昭和の「昭」の字は当用漢字に入らなかったかもしれない。
      • かろうじて人名漢字には入り、「浩」のように人名ではよく使われるがそれ以外では使われない漢字になっていたかもしれない。
    • 逆に光文社は別の名前になっていたかもしれない。
  2. 元号の1文字アルファベット表記は「K」なので、平成はその時の候補だった「修文」「正化」のどちらかになっていたかもしれない。
    • コンピューター時代に入った時、慶応(明治の一つ前の元号)との兼ね合いでもしかしたらひと悶着あったかもしれない。
      • ただ1970年代だともう慶応以前の生き残りはそういないので、江戸時代を表す「E」でどうにか誤魔化せたかもしれない。
  3. 63年後、毎日新聞が「平成」の元号をスクープした際そこまで叫ばれなかった。もしくは、この事件がないので真っ先には報道できなかったかもしれない。
    • それでも毎日新聞社内は相当なプレッシャーがかかっていただろう。
  4. 当時の宮内省関係者面目丸つぶれ。



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