もし和歌山県と大阪府が合併したら

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  1. 人口は約980万人となり文句なしの全国第2位の都道府県となる。
    • 少なくとも神奈川県に人口が抜かれることはなかった。
  2. 面積は約6600㎢。それでも兵庫県には勝てず。
    • 最小の都道府県は今も昔も香川
  3. テレビ和歌山は存在しない。
    • 和歌山放送も存在しない。
      • テレビ大阪は和歌山でも視聴できるようになる。
  4. 南海電鉄は全線が大阪府内を走ることになる。
  5. 和歌山市が大阪府南部の1都市となるため、さらに衰退が激しくなる。
    • 和歌山ラーメンが大阪のご当地ラーメンという扱いになっている。
  6. 「紀州路快速」は紀伊田辺までの運行になっていた。
    • アーバンネットワークは白浜まで広がっていた。
  7. 南紀地方に向かう交通網が改善されていた。
    • 紀勢本線は新宮まで高速化・一部複線化され、紀伊半島を1周する高速道路も完成。
    • 現実の南紀白浜空港はなく、代わりに那智勝浦か新宮に空港が出来ている。
  8. 新宮市から府庁のある大阪市まで約270kmあることに。
  9. 大阪府の天気予報は北部(現実の大阪府)・中部(現実の和歌山県北部)・南部(和歌山県南部)となる。
  10. 橋本市は現実以上に大阪志向が強くなっていた。
    • 南海高野線の橋本駅までの複線化は史実より早い1980年代に完了し、難波~橋本間の運転本数も増加していた。
      • さらに九度山か高野下まで大型車両(6000系列など)の乗り入れが可能になっている。
  11. 紀陽銀行も大阪の地銀か都銀に吸収された。
  12. オークワは大阪市内に本社を移転していた。
    • 関西一円に店舗を展開していた。
    • 場合によっては平和堂と合併し、関西有数の中堅スーパーとなっていた。
  13. アマチュア相撲の勢力図が現実とかなり異なっていた。
  14. 智辯和歌山高校野球部は存在しなかったかもしれない
    • 学校自体創立されなかった可能性もある。
    • 人口が多いため、夏の甲子園の区分けは1980年ごろに大和川あたりを境に2代表制(堺市-松原市-藤井寺市-柏原市以南が南大阪)になっていた。
      • 分割された時期が時期なら、南大阪は「PL枠」と呼ばれていたかもしれない。
        • PL学園が弱体化した後は箕島・市立和歌山などの和歌山勢も勝ち上がれていたか…
  15. 「阪和自動車道」は違う名称になっていた可能性も…。
  16. 太公望列車は今でも新宮行きだった。
  17. JR東海の在来線が大阪府内にも存在することになっていた。