もし大島根県が存続していたら
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1876年(明治9年)から1881年(明治14年)までの間、島根県は現在の県域に加えて鳥取県に当たる地域も含んでいました。俗に『大島根県』と呼ばれます。
もしこの『大島根県』が存続していたら、今の山陰地方や島根県・鳥取県はどうなっていたと思いますか。
全般[編集 | ソースを編集]
- 県庁所在地は安来市か松江市に置くかで揉める。又は出雲市。
- 又は米子市。
- どこに出来たとしても30万都市にはなっていた。
- 松江がちょうど県土の中央付近にあって交通に便利ですし、もともと大きな街ですので、そのまま県都にふさわしいのではないでしょうか?
- 山陰地方ではなく、北陽地方と呼んでいる。
- 皇族は出雲大社ご参拝も正装・制服。
- 実は大根島県になっていた。
- 米子・境港・松江・安来市の4市が合併して政令指定都市が誕生。
- 「日本地理」ならぬ「日本のチリ」と呼ばれていた。
- 鳥根・島取と呼ばれることもなかった。
- 仮にこれもあったら参議院選挙の合区はなかった。
- 「えっと……島根って砂丘のある県だよね?」が問題発言にならない。
- 因幡が抜きの場合は状況次第では問題になりますが。
- それでも因幡と伯耆は仲が悪いので、因幡は追い出されるかも。
- 或いは運よく因幡は残るかもしれませんが、発展しても但馬などの北近畿との交流が密になりそう。
- 同時期には他の県も合併され、『大石川県』や『大大阪府』『大愛媛県』『大高知県』『大鹿児島県』『大長崎県』が誕生していた(第2次府県統合を参照)。
- 1903年に実在した法案『府県廃置法律案』では、島根県が再び鳥取県の西部(伯耆)を併合して『松江県』となる予定だった。
- 松江市は巨大な県の都として現実よりも発展しており、早期に中核市に昇格していた。一方、鳥取市は今よりも小さい町だった。
- 島根県の人口が100万人を超えていた。
- 史実では1955年の93万人がピークで、以後は減少傾向。県民歌『薄紫の山脈』(1952年作)でも「90万の県民の~」と歌われていた。
テーマ別[編集 | ソースを編集]
メディア[編集 | ソースを編集]
- 山陰放送と日本海テレビは最初から両方カバー。
- 山陰放送ではなく北陽放送である。
- 山陰放送と日本海テレビのどちらかは開局しなかった可能性が高い。(この両局はVHF局だが開局当時は1県1局が普通だったため。)
- おそらく両方開局しただろうが山陰放送はテレビに参入しなかっただろう。
- 日本海テレビは県庁所在地である出雲市にできていた。
- 山陰放送ではなく北陽放送である。
- 山陰中央テレビも最初からその社名か、最初から社名に北陽と付く別社名で存在している。
- FM山陰もしかり。
- 山陰中央テレビは島根放送のままだった。
- FM山陰もしかり。
- 朝日系のテレビ局も出来ている。
- この場合広島ホームテレビが正式に基幹局と認められている。
- TV東京系はケーブルテレビで乗り入れ。
- 新聞は山陰中央新報1紙。
- 史実の山陰中央新報+日本海新聞のエリアだった場合、近畿と中国地方にまたぐ新聞社が誕生していた。
- なので日本海新聞が存在せず、大阪日日新聞は中日新聞が買収していた。
産業[編集 | ソースを編集]
- 企業が北陽○○という社名を好んで使いたがる。
- 現実に北陽警備保障とか、社名に北陽○○と付く会社は存在しますので。
- 大阪にある関西大学北陽高等学校がここにあると勘違いされる。
- ついでにお笑いコンビ北陽も島根県出身と勘違いされる。
- そちらは違う名前になってたんじゃないかな…
- ついでにお笑いコンビ北陽も島根県出身と勘違いされる。
- 王子製紙や日立金属、三洋電機などが大島根県を代表する企業のひとつに。
- 銀行は山陰合同銀行と全県をエリアとする第二地銀(史実では島根銀行)のみ。
- 山陰合同銀行でなく「北陽銀行」かも。この場合、北洋相互銀行は北洋銀行でなく「北海道中央銀行」あたりに改称していた。
- 合併後は「札幌銀行」。
- 山陰合同銀行でなく「北陽銀行」かも。この場合、北洋相互銀行は北洋銀行でなく「北海道中央銀行」あたりに改称していた。
交通[編集 | ソースを編集]
- 空港は米子空港と江津辺りにある空港の2空港制。
- その米子空港は淀江か名和又は御来屋辺りに出来ている。
- 米子空港至近と江津辺りにある空港至近には山陰自動車道が空港フィーダー道としてとっくの昔に出来ている。
- しかも高速道路の本線から直接空港に乗り入れ。
- 高速は完成4車線。
- しかも高速道路の本線から直接空港に乗り入れ。
- 江津辺りにある空港は出来ていなかったかも・・。
- 隠岐空港を忘れないでください。
- 山陰本線、伯備線、因美線、智頭線、三江線、山口線は全線電化。但し交流電化。
- 米子空港と江津辺りにある空港などのフィーダー路線となっている。
- 伯備線は境線と乗り入れしていたかも。
- 境水道大橋に鉄道が走っている。
- 一畑電鉄は複線化。一畑線などは廃止されていない。
- 今福線も実現し、広島~浜田間が鉄道でも結ばれる。
- 岩日線も実現し、新岩国から益田や萩への移動がしやすくなっている。
- 境港と浜田港の2港制。
- 境港はコンテナ扱い港として整備。
- バス会社は石見交通と、一畑バス、全但バスの3社でエリアが分かれ、日本交通もJRバスも支店を擁する。
- 現実とは違って因幡には鳥取空港は設けられず、岡山・米子各空港のフィーダーエリアとなる。
- 又はこれに加えて北近畿か丹波辺りに出来た空港のフィーダーエリアともなる。
- 但馬空港も設けられていない。
- 又はこれに加えて北近畿か丹波辺りに出来た空港のフィーダーエリアともなる。
- 智頭急行はそもそも作られなかった。また、鳥取に高速道路がなくても特に問題視されなかった。
- 現実の場合、問題視されないのではなく、そもそも鳥取市に県庁所在地があること自体が問題ですが・・。
- 実際はそうなる前に米子・岡山などの各空港から高速道路が既にとっくの昔に出来ている。
- 智頭急行は智頭線として出来ていたのでは・・。
- 現実の場合、問題視されないのではなく、そもそも鳥取市に県庁所在地があること自体が問題ですが・・。
- 余部鉄橋はそもそも作られていない。代わりに若桜から戸倉トンネル経由で和田山への鉄道や高速道路が出来ている。
- 山陰本線が小浜線と共に日本海縦貫線の一部となっている。もちろん余部経由ではなく、戸倉峠経由。
- 因幡以東は関西を通らないで北陸・関東甲信越や中四国・九州へなどの通過地として発展。
- ミニ新幹線かフリーゲージトレインが乗り入れしていたでしょう。
関連項目[編集 | ソースを編集]
- もし因幡・但馬・丹後・丹波・若狭・越前が1つの県だったら
- もし鳥取県と島根県が合併したら
- もし大石川県が存続していたら
- 同時期、石川県も富山県および福井県の嶺北地方を併合して『大石川県』となっていた。
- もし38府県のままだったら
- 大島根県が誕生した府県合併。
- もし28道府県制が導入されていたら
- 島根県が伯耆を併合して『松江県』が誕生するはずだった法案。