もし始皇帝が○○だったら

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中国を統一していなかったら[編集 | ソースを編集]

  1. 中国大陸はヨーロッパのように小国分立状態が普通になる。
    • CU(中国大陸連合)が発足される。
      • いや、始皇帝が秦を建国していなかったら「China」という言葉はできなかったから違う名前になっている。
        • 始皇帝が秦を建国したからChinaという言葉ができたわけではないよ。それまで何百年も存続していた秦王国が、たまたま当時の中国の最西端にあったので、西方諸国では「秦=中国」と思われただけの話。
        • そもそも15年で亡びた「秦帝国」が、対外的に中国の総称となるはずはないし、中国がChinaとなったのは始皇帝とは無関係です。
        • 同様に、「遼=契丹」があった時代には、「契丹=中国」と思っていた人たちが居て、ロシア語では中国のことをキタイ、中国人のことをキタイスキーと呼ぶようになりました。キャセイパシフィックのキャセイも同じ語源。
        • 中華などの言葉もないのであのあたり一帯は現在日本でも「支那」と呼ばれていた。
          • そもそも「支那」と言う呼称もないので中国に対する呼称は「中国」「中華」「支那」の何れもない。
    • それでもモンゴル帝国の時代は中国大陸は統一されていた。崩壊したら元通りだが。
  2. 日本が成立した後も大陸からの圧力はさほど気にせずに済み、逆に大陸諸国の対立を煽って利益を得るようになる。
    • 中国の影響で日本もヨーロッパ状態かも。
      • 日本は、地理的には英国的立場にあるわけだが、だからといって英国ほどの外交手腕を持ちうるか否か……
        • 対馬海峡がドーヴァー海峡並みに狭ければ、否応なく大陸の情勢に巻き込まれてしまうので、日本の外交能力も英国並みになったかもしれないが……
  3. 楚・越(ベトナムでは無く現在の福建省)・台湾は東南アジア諸国に分類される
    • ベトナムもタイも中国から追い出された民族なので両国とも存在しない、と言うか中国大陸にある。
  4. 朝鮮半島の立場はそれでも変わらない。
    • 白村江の戦いの新羅への援軍が近隣の国のみになるので、日本が勝利し百済が統一するのか?
    • 中国で分立状態が続くため高句麗の南下が成功し、遼東半島を含む形で朝鮮を統一していたかも
  5. おそらく「王」がその後も続き、「皇帝」は出来なかった。
    • 「皇帝」の皇の字がない「帝」ならできたかも。始皇帝の曾祖父の昭襄王の代に、ごく短期間ながら「西帝」を名乗ったことがあった。ちなみに同時に「東帝」を名乗ったのは斉の湣王。
    • 日本の君主は「天皇」ではなく「大王」のままだったかも?

他の勢力が統一を果たすとしたら[編集 | ソースを編集]

  1. 最も有力なのは三國志の魏(または晋!?)かな
    • 残念ながら、後漢が存在しなければ、曹操は一平民で終わります
  2. 北方勢力の金とか
  3. 隋はどうなの
  4. 北方の騎馬民族が次々に南下しては征服を繰り返す歴史になるかと。
    • それって実史でも同じであるような。隋も唐も鮮卑政権だし。
    • でも隋と唐は完全に漢化されてるか鮮卑と漢族の混合政権だがな
  5. あんがい項羽が40歳くらいで統一したりして、その時には劉邦も韓信も寿命で死んでるだろうから楚漢戦争に近いのが起きても滅ぼされず、楚が長続きするかも?

長江以南を併合できなかったら[編集 | ソースを編集]

もし統一が数百年遅れていたら可能性はあったかと、実際多くの国で巨大な大河が国境となる場合が多いですし、時代によって「戦国七雄」は長江以南を支配できてなかった時期がありました。

  1. 中国南部(長江以南)は複数の国家が乱立し、越や楚などの国も現在まで存続していたかの知れない
  2. ベトナムが南越国のように広東省の大部分を所有する
    • 南部は大部分がカンボジア領かチャンパが存続する
  3. 台湾は閩国(福建省)の領土か、日本が支配するまで未開の地
    • 確か戦国時代にオランダが占領していた気が。但し、英蘭戦争でイギリス領になっていた可能性は高い。
    • こうなっていたらフィリピンも英西戦争によりイギリス領になっていた。
      • 1763年のパリ条約でイギリス領になっていた。
    • インドネシアも1811年~1816年のイギリス占領期からずっとイギリスの植民地支配が続いていた。
  4. 中国歴代王朝と長江以南の国家とは肥沃な荊州(現在の湖北省)をめぐって度々戦乱を起こす
  5. 上海が長江以南にあるため代わって青島が中国経済を引率していた
    • この世界の上海は国境に近いため軍事要塞都市になっていた。
  6. 宋は靖康の変の時に完全に滅ぼされていた
    • そのためモンゴルは金を南宋と挟み撃ちすることが出来なくて金が史実よりも長く存続する
    • そもそも肥沃な南部地区を開発することもなかったので、おそらく遼が少し長く存続。元の台頭も遅れる。
  7. 長江以南の国家が冷戦期に西側だったら黄海を封鎖されて中国経済は史実よりも落ち込んでいたかも?
    • 中国の西太平洋進出計画が史実に比べて大幅に遅れるか、無い
  8. もしかすると現在の中国の首都は北京では無く、水が豊富で平地にある開封か洛陽だったかも知れない
    • そうなると開封または洛陽はドイツのベルリンと比べらる事が多かったかも知れない
  9. 水が豊富な中国南部の大部分が自国領じゃなくなるので黄河周辺の公害対策が進んでいたかも?
  10. 少なくとも漢・唐・清(+中華人民共和国)は江南を征服していた。しかし事実上史実の雲南のように独立を維持していた。
    • 恐らく現在でも(江南越族自治区)になっていただろう。多分中国は同化政策を続けていただろうが。
    • 雲南は明清時代に省になっている以上、多分例えるなら現在のウイグル自治区だろう。
    • 元も征服していたかも。また中華民国時代も江南は中国領のままであるが、史実のチベットや外モンゴルのように名目上は中華民国領であるが、実質上は独立状況となっていた。

本当に不老不死になっていたら[編集 | ソースを編集]

秦の始皇帝は中国統一を果たしたころから自身の権勢の永続のため不老不死となることを望み、そのために遠く日本まで霊薬を探しに行かせるなど、さまざまな行動を起こしていました。当然そんな企ては実現するはずもなかったのですが、もし実現していたら?

  1. 自分が不老不死ならば後継者など必要ないので、息子たちはみな抹殺される。
  2. 始皇帝が不老不死になったとしても秦王朝は最終的には崩壊の道をたどっていただろう。あんな強権体制が永久に続けられるはずがない。
    • 秦王朝を倒すのは項羽か劉邦のどちらかである可能性が非常に高いが、彼らも殺すことができずに幽閉するのがやっと。
      • 初期仮面ライダーシリーズ(1号からストロンガーまで)の大首領のように後代王朝の影のドンとして君臨。
  3. 後の唐代の玄宗皇帝のように政治に飽きて女にうつつをぬかしていた可能性もある。
  4. 秦のほかにも大きな国(インド・ローマ・ギリシャほか)の存在を知り、それらの国の征服にのり出す。
    • アレキサンダー・チンギスハーン・ナポレオン1世を超えた大支配圏を構築する。
  5. 死ねないことが苦になって退位して隠居する。

水銀を飲んでいなかったら[編集 | ソースを編集]

  1. 寿命が延びて秦はもう少しもっていた。