もし広島・長崎への原爆投下が○○だったら

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もし広島・長崎への原爆投下が別の展開を迎えていたら?

全般[編集]

広島・長崎のどちらにも投下できなかったら[編集]

  1. 原子爆弾の投下作戦が失敗に終わっていたので、戦後処理でアメリカがそれほど権威を張れなかった。
    • もしくは本土決戦で無理矢理決着をつけていただろうから、戦争末期はより悲惨な結果になっていた。
    • 日本は分割統治されていた
    • 原爆ではなく対外講話相手として模索していたソ連の宣戦がポツダム宣言受諾の最大要因だったので、本土決戦までいったかは不透明。
      • もっともソ連に北海道が占領されるくらいまで降伏は伸びていたかもしれない。
  2. 「核の恐怖」が日本人に浸透するのは第五福竜丸事件以降になる。
    • 下手するとキューバ危機が本当に核戦争を誘発していた可能性も…。
  3. 空襲が行われた都市が更に増えていた可能性もある。
    • 原爆ではなく焼夷弾が広島や長崎、それに小倉や京都へ多数落とされた可能性がある。
    • 少なくとも京都は通常爆撃で焼け野原にされていた。
      • 広島や小倉もやられたであろうが長崎はレーダー爆撃がしにくい地形だったため助かった可能性もある。

爆発が地表近くだったら[編集]

  • 広島・長崎共に原子爆弾は空中で爆発しています。
  1. 少なくとも爆心地付近ははクレーターを残して完全に消滅していた。
    • 原爆ドームや浦上天主堂は塵も残さず破壊されていた。
    • その代わり爆風被害がやや狭まっていたかも。
  2. 土壌が地中深くまで放射能汚染されるため、戦後の被爆被害はさらに広まったと思われる。
    • 最悪の場合、住民を強制移住させて爆心地付近を放棄せざるを得なかった。
    • 昭和20年代のことなのでかまわず復旧して後から大変なことになるほうがありそう。
  3. 広島の場合はクレーターに元安川の水が流れ込み池になっていた恐れもある。
    • 現在の鯉城通りや相生通りも巻き込まれていたら広電の復旧がとんでもなく遅れていた。

広島[編集]

投下できなかったら[編集]

  1. 8月6日の原爆投下は断念しても、8月9日に第1目標として投下する。
    • でも、原爆のイメージは小倉。
      • 下にある通りファットマンが広島に落とされていたら被害は史実以上だった。
  2. 変わりに小倉に投下していたかも。(史実は八幡空襲で生じた靄による視界不良より断念)

爆心地が別の場所だったら[編集]

  • 史実では現在の中区大手町にある島病院上空。
中島町
  • 現在平和記念公園がある付近。
  1. 誓願寺か慈仙寺あたりが目標地点とされていた。
  2. 原爆が炸裂した地点の真下には長崎のようにその旨を示す碑が建てられていた。
    • おそらく数メートルはある塔になっていたと思われる。
      • 平和記念式典も塔の根元で行われていた。
  3. 旧大正屋呉服店(現レストハウス)の建物も倒壊していた可能性が高い。
  4. 市内のその他地域の被害状況は史実と大差なさそう。
広島城
  1. 中国軍管区司令部の地下室にいた人も誰も助からなかった。
    • 場合によっては原爆投下の第一報が数時間遅れていた。
  2. 本丸と二の丸が平和記念公園にされた。
    • 天守は再建されることもなく代わりに壊れた石垣が当時のまま保存されている。
    • RCCの社屋が現在地にできなかったかもしれない。
  3. 史実より北寄りの地点で爆発することになるため縮景園や牛田浄水場の被害が史実以上に。
八丁堀
  1. 広電の白島線が分岐する地点が目標にされていた。
  2. 福屋は旧館・新館とも倒壊しそのまま廃業に追い込まれていた可能性大。
    • それでも当時付近に本社があった中国新聞は史実同様に何とか生き延びていた。
  3. 流川や薬研堀は繁華街として生き残ることができなかった。
    • あの付近が平和公園になっていた可能性もある。
      • 近年になって平田屋川の復興計画が出る。
    • 街として復旧していても「平和公園の近くに歓楽街があるのはけしからん」としてかつての賑わいを取り戻すことはできなかった。
宇品
  • 広島港がある地域。
  1. 長崎のように本来の目標地点が雲に隠されていたら考えられた。
  2. 陸軍の「暁部隊」は何もできず全滅していた。
  3. 中心市街地はあまり大きな被害を受けずに済んだ。
    • 広島城天守や産業奨励館もあまり傷まずに終戦を迎えることができた。
    • その一方で広島でも原水禁運動があまり盛り上がらなかった恐れもある。
  4. 被服支廠か糧秣支廠あたりの建物が原爆被害の象徴になっていた。
広島駅
  1. 目標地点は駅そのものか駅東側の扇形庫。
    • 市街地の破壊を考慮すると前者が有力か。
  2. 比治山で陰になる地域が限られるため段原在住だった張さん(当時5歳くらい)が生き残れたかどうかやや不安。
  3. 本川から西はあまり被害を受けなかった。
    • その代わり被害を受ける地域が東寄りになるため府中町でも直接の犠牲者が出ていた。
  4. 二葉山の仏舎利塔が原爆死没者の慰霊を意識した施設になっていた。
  5. 国鉄の復旧がどれほど遅れていたか見当もつかない。
    • 山陽本線が長期にわたり分断されたため引き上げや復旧にとって大きな足かせになっていた。

長崎[編集]

広島より先に投下されていたら[編集]

長崎への原爆投下が、広島への原爆投下よりも先だったら、どうなっていたでしょうか?

  1. 広島・長崎ともに実史以上のダメージを被っていた可能性あり。
  2. 降伏が遅れていた可能性も。
    • 下手すればソ連にも支配されていた。
  3. それ以前に長崎ではなく小倉に投下されていた
    • 長崎原爆はもともと小倉に投下されるものだった
      • 小倉を第一目標にしても、史実のように雲にさえぎられて長崎投下もありえたと思うが。
    • あるいは、広島への原爆投下を先送りして…ということもあった(実際、当日広島・小倉のどちらにも投下できなかったら長崎へ投下する予定だった)。
  4. 原爆関連で両都市を語る際には「ナガサキ・ヒロシマ」と呼ばれる。

中島川付近に投下されていたら[編集]

当初計画では、中島川付近への投下を予定していました。

  1. 実史以上の被害が出ていた。
    • 爆心地が市街地近くになる為、多くの死傷者が出るのは避けられない。
    • 眼鏡橋、大浦天主堂、グラバー園等多くの観光名所は無くなっていた。
      • 広島原爆での元安橋や縮景園の被害状況からして「無くなる」というのはおそらくない。
    • 「祈りの長崎」などと言える状況にはなかった。
  2. 平和公園や原爆資料館は市街地に建設されていた。
    • この場合、平和公園や原爆資料館へのアクセス対策として、長崎自動車道の長崎多良見IC~長崎IC間が史実よりも早く開通していた可能性がある。

投下できなかったら[編集]

  • 小倉同様、長崎も視界不良で投下できなかったら?
  1. 長崎に投下できなかった場合は太平洋に投棄する予定だったらしいので、長崎は原爆の被害を被らなかった可能性が高い。
  2. この時点で原爆を使い切ってしまったので、日本が降伏しなければ本土決戦もあり得た。

関連項目[編集]




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