もし弥生・古墳・飛鳥時代が○○だったら

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弥生時代[編集 | ソースを編集]

弥生人が渡来しなかったら[編集 | ソースを編集]

  1. 人種はほとんどが縄文人となる。
  2. 言語はアイヌ語系統に近づく。
  3. 文字はヲシテ文字が有力。
    • いわゆる「神代文字」とは全く異なる文字ができていたのでは。
      • 上代特殊仮名遣いなどにもバッチリ対応しているはず。
  4. 宗教はアラハバキや氏子、恐山などの原始神道。
    • アラハバキの原形が残るため『東日流外三郡誌』の悪影響は皆無にできた。
  5. 稲作は交易によって伝来するものの、時期は遅くなる。
  6. 稲作一辺倒という訳では無く、狩猟は続けられ畜産も受け入れられる。
    • 東アジアや東南アジアの他の国と同様に「米+魚or豚」という食文化が成立していた。
  7. 史実よりも水田の地位が低下し、1万年前から島々を往き来した海洋国家の名残が残る。
    • そもそも稲を作る場所も「ハタケ」と呼ばれていたかもしれない。
  8. 史実よりも稲作の地位が低下するため、人口もそこまで増えない。
    • 芋や麦の栽培が代わりに広まればそうならなかったかもしれない。
  9. 豪族は各地に出現するものの、天皇が居ないため連合国家となる。
    • それ以前に筑紫、出雲、大和、坂東、陸奥などがそれぞれ別個の国だった気がする。
      • 今では言語も別物として扱われる。
      • 少なくとも一部地域は欧州列強による植民地化を経験していた。
  10. 徐々に荘園や中世や江戸時代の藩のような、連邦的な体制になった。
  11. 仏教は伝来するものの原始神道に押され、政治や教育のためのものになる。
    • あるいは「上流階級の間で広まる→庶民に広まるとともに神道に取り込まれる」という展開に。
  12. 殺生を嫌わないため武家政権で無くとも武士化し、強力な軍隊を有した。
  13. 海洋国家の名残が残るため、中古東アジアの水軍大国となった。
    • 造船技術が伴わず列島外にあまり出られない恐れもある。
  14. 分権体制の下鎖国も無いため、日本自体は史実よりも発展した可能性もある。
  15. 国の中心となる地方が無いため、蝦夷地や本州や琉球など別々の国になった可能性もある。
    • そもそも本州統一国家などありえなかった気がする(最大限まとまっても東西2分割くらい?)。
  16. 元寇は史実より遥かに強力な水軍を動員し、海戦で撃退する。
    • それ以前に「わざわざ海を越えて得体の知れない島国を奪うまでもない」として元寇自体なかった可能性あり。
  17. 産業革命期に近代化に乗り遅れ、植民地化される可能性も。
    • 展開次第では16世紀にポルトガルorスペインに領有されてもおかしくない。
    • 現在では現実以上に排外的な思想がはびこっていた恐れも否定できない。
  18. 地域密着のサッカーは熱い戦いとなったが、大都市に依存したプロ野球は衰退する。
    • むしろMLBさながらに野球も地域密着だったのでは。
  19. 日本と大陸の間に黒潮並みの強力な海流(南向き)があれば一部は現実になっていた。
    • 古代の中国大陸や朝鮮半島がずっと安定していれば完璧。
  20. 「日本」という国号が誕生していなくてもおかしくない。
  21. 「日本人=毛深い」というのが中国などでお決まりのステレオタイプだった。

稲作の日本伝来が遅れていたら[編集 | ソースを編集]

  1. 日本人の主食はパンやトウモロコシに。トウモロコシが品種改良され、もろこし397なる品種が登場する。
    • トウモロコシは南米が原産じゃなかった?そのアメリカが発見されるのは千年以上も先だよ
    • その南米から日本にトウモロコシが伝えられる(太平洋を渡れないということは無い。多分)
      • たしかにできる。南米→ポリネシア→東南アジア→日本でOK.
      • だが南米の住民がポリネシアに渡ったという証拠は現在未発見…。
    • 関西ではパンが主食になっていた。
  2. 米はもっぱらアジアから輸入する。
    • それも粒の長いインディカ種。
  3. 主食はもっぱら栗となり、稲森いずみは「栗森いずみ」に改名する。
    • 「こしひかり」は「くりひかり」に。
    • 栗が豊富にあった三内丸山遺跡が、その後、日本の首都になる。
    • 「近年、栗食から米食に変化しつつあり・・・」「栗の自給率が・・・」などと言われる。
    • 改名とは言わないだろ。
      • 粟じゃなくて栗?
    • 江戸時代に十三里が出回りはじめ、やがて主食が交代することになる。
    • サトイモも主食。現実より品種改良が進みジャガイモ並みの収穫効率に。
    • 大麦・ソバ・キビ・アワなどをお忘れなく。
  4. 水田・水路・溜池が無いため、夏の蛙の声や秋の赤トンボは少ない。季語としては微妙。
  5. 太平洋の島々、あるいはマダガスカルから明治維新ごろに稲作が伝来。
    • なぜ東南アジア(世界最大級の稲作地帯)ではなくマダガスカル?
  6. 間違いなくコンビニにはおにぎりがない。
    • 当然、ツナマヨなぞ存在しない。
    • 今のパンのようなポジションにおにぎりが居座れば、普通にあるかもしれんぞ。
    • 稲作の歴史が数百年遅れる程度大した差は出ない
  7. 他の作物とは生産能力が段違いだから、どえらく歴史が変わりそう。
    • 縄文人が弥生人に負けることはなかった。首都は東北。
      • 半猟半農の時代が長く続き、日本人の気質もずいぶん違っていた。
    • 伝来まであまり人口が増えず、かなりおとなしい歴史になる。
      • 明治維新まで1000万人いれば良い方。というか中国か欧州列強の植民地に18世紀末にはなっていたかと。
    • 水田が平地を埋め尽くすことはなかったので、人はもっと山に散らばって住んでいる。
  8. 朝鮮半島の争いに介入できないし、大陸側も日本に対してなんの野心も持たない。問題はモンゴル(元寇)。
    • 中世のモンゴルだけではなく近代の欧米列強も手ごわい。19世紀以降はいとも簡単に欧米列強の植民地にされていた。東日本はロシアの、西日本はイギリスやアメリカの植民地になっていた。
      • それまで代々住んでいた地域を無理やり追われ、狩猟採集と焼畑農耕で自然と共生した生活も無理やり捨てられて、西洋白人が設定した先住民居住区に強制的に隔離されていた。
  9. おそらく古墳時代に渡来人が持ち込むという形になっていた。
    • 日本神話での食物起源神話が全く別物になっていた。
      • ニニギノミコトが降臨した際に五穀を携えていたという設定にされていた。
    • 戦後になって「稲作民族征服説」というものが唱えられる。
  10. この想定での日本酒は何が主原料だったのだろうか。

卑弥呼が邪馬台国の女王にならなかったら[編集 | ソースを編集]

邪馬台国は弥生時代の日本の中で最大の「国」でしたが、あるときから国内が乱れました。それを収めたのが女王の卑弥呼でしたが、もし卑弥呼が邪馬台国の女王にならなかったら…

  1. 邪馬台国は自然分裂。
    • 所在地に関する論争があまり盛り上がらない。
  2. 魏(今の中国の一部)からの貢物もない。
  3. でも飛鳥時代以降の歴史には何の影響もない。
  4. ハイキングウォーキングのあのネタは無かった。
  5. もちろん台与も女王になっていない。
  6. 狗奴国が3世紀の日本で最大の国家になっていた。
  7. 「鋼鉄ジーグ」の悪役が全く別の名前になっていた。
  8. パッショナータの「卑弥呼」も別の曲名になっていた。

古墳時代[編集 | ソースを編集]

雄略天皇が朝鮮を統一していたら[編集 | ソースを編集]

雄略天皇(武)は宋の順帝から倭国・朝鮮の支配を認める「安東大将軍」に任命されましたが、その時に朝鮮半島を統一していたら…

  1. 朝鮮民族は蝦夷や隼人と同じく日本人と同化。
    • 先住民は韓狄(からえびす)などの別の呼び名になっていた。
  2. 朝鮮支配も考慮し、大宰府に朝廷が遷都される。
    • そして東には平城府、朝鮮には朝鮮府が置かれる。
      • その後時代が変わるにつれて、朝鮮府は朝鮮探題、朝鮮総奉行などに…
    • 貿易による利益を経済基盤とした平氏・細川氏・大内氏などが台頭することはなかった。
      • 但し中華貿易で味を占めた平壌仁川の豪族や、直接貿易を行った長崎の一族が台頭する。
  3. 戦国時代の勢力図に「朝鮮の○○氏」が追加される。
    • 漢城の○○氏」、「釜山の××氏」、「平壌の△△氏」・・・・。
    • 秀吉は直で中国に侵攻していた?
  4. 対馬の宗氏が歴史上から消える。
  5. 韓国自体がそもそも存在しなので地名も変わっていたと思う(漢城ではなく西京など)又、朝鮮という地名や概念が存在しないため朝鮮も内地だった。
  6. ハングル文字は発生しない。
    • というか、普通に日本語で話していた。
    • 地名も釜山や平壌みたいな漢語風ではなく日本語だった。
  7. 大戦後はやっぱり共産圏の国(史実における北朝鮮)が出来ていたのだろうか?
    • 史実の平安北道・慈江道・両江道・咸鏡北道に相当する地域が中国に併合されていた。この部分が「旧朝鮮北部領土」と呼ばれるように。

物部氏が蘇我氏に勝っていたら[編集 | ソースを編集]

  1. 仏教は廃れて、未だに日本は神道中心の国のまま
    • もうしばらく後の時代に再度入ってくる可能性はある。
    • この場合、史実より神仏習合が進んでいる(神道メインで)。
      • 明治時代にも分離できず。
    • 本地垂迹説ではなく神本仏迹説が浸透している。
  2. そのうち中臣氏が物部氏と対立するかも。
  3. 現実の天王寺駅は「阿部野橋駅」を名乗っていた。
    • 近鉄南大阪線の駅名に「大阪」が入るようになったのは難波駅や上本町駅と同時だった。

飛鳥時代[編集 | ソースを編集]

聖徳太子が天皇になっていたら[編集 | ソースを編集]

もし聖徳太子が推古天皇より長生きできて、天皇に即位することができていたら?

  1. 聖徳太子ではなく、「聖徳天皇」になっていた。
    • 教科書には、中大兄皇子(のち天智天皇)のように、厩戸皇子(のち聖徳天皇)と書かれていた。
    • 称徳天皇は別の諡号に。
  2. 山背大兄王がこの次の天皇になっていた。
    • 蘇我氏の台頭は防がれていた。

大化の改新が失敗していたら[編集 | ソースを編集]

  1. 中臣氏(実史では後の藤原氏)が潰されていたかもしれない。
  2. 蘇我氏が実権を握り続け、実史での藤原氏の地位になっている。
  3. 白村江の戦いはどうなったか…
    • 蘇我氏は百済との関係が深かったという説がある。いずれにせよ史実通り百済を助けて新羅の連合軍と戦ったと思われる。
  4. 藤原氏が蘇我氏になる以外、案外史実通り。
  5. 藤原氏が存在し無いため佐藤さんや伊藤さんという藤のつく姓が少なくなり日本で一番多い苗字は田中さんになる
    • あるいは鈴木さんかもしれない。
    • 曽我さんかもしれない。
  6. 天皇権力の絶対化が遅れていた。
    • 「天皇権力の絶対化」なんて日本史上いちども無かったと思うが……
  7. この記事は「大化の改新」というよりその発端の「乙巳の変」が失敗した場合に見える…。
    • 内容も蘇我氏宗本家が残っていたことを前提にしたものが多い。
      • 実際、蘇我氏そのものは蝦夷・入鹿が討たれたあとも健在で、決定的に没落したのは長屋王の変あたりだからなあ。
  8. 皇極天皇の次の天皇は古人大兄皇子になり、その子孫が代々天皇を引き継いでいた。
  9. 「大化」という年号は生まれなかった。
    • 「○○(天皇)n年」の表記が使われ続ける。要するに一世一元の制が古代から現在まで一貫して機能する。
      • 日本の元号は125程度しかない。

白村江の戦いで日本・百済が唐・新羅に勝っていたら[編集 | ソースを編集]

  1. 半島は親日国家・百済によって統一され、長きにわたる友好を結ぶことになる。
    • その後百済は1200年代まで続くが、結局元軍によって滅ぼされた。
      • 白村江の戦いの時点では、百済は事実上亡びており、鬼室福信などの残党が日本に頼ってきただけ。また日本軍が惨敗したのは、戦術的な拙劣さもさることながら、肝心の百済勢の意思統一がさっぱりできずに揉め続けていたせいでもある。従ってこの戦いでたとえ日本軍が勝っていても、百済が長期にわたって半島を統治できたとは考えられない。
      • というわけで、「業を煮やした日本が半島を併合したものの、その後えんえんと『倭帝○百年の支配』『謝罪と賠償をしる!』と恨まれ続ける」というのが正しそうな……
      • と言うよりも旧加羅諸国は天皇家の発祥の地とと言う説もありますから旧加羅諸国はくらいは併合したでしょう
        • (あとの地域はどうでもいいと思う)
        • うまくいけば現在の全羅道及び済州島が日本領になっていた。大陸の領土はともかく済州島については日本領だった期間が史実より長かったかもしれない。
  2. 大津遷都はなかった。
    • 天智朝はスムーズに大友皇子への政権移行が行われ、大海人皇子が反乱を起こしても速やかに鎮圧された。
    • 難波京が首都として発展。奈良も京都も小村にとどまった。
    • 滋賀県の県庁所在地は彦根か長浜になっていた。
  3. ウルトラマンGのシラリー(新羅が由来)とコダラー(百済が由来)の名前が逆になっている。
  4. そんな百済の残党に統治能力は皆無だと思われるので日本に併合されると思う。多分北海道と同じ扱いになると思う。

白村江の戦いの後、唐・新羅が日本に攻め込んでいたら[編集 | ソースを編集]

全般
  1. 少なくとも対馬は新羅の領土となる。
    • 大宰府前面の遅滞戦術成功で九州北部の戦争が泥沼化。そのうち百済人技術者の活用で瀬戸内要塞群が完成。
      • そうこうしているうちに新羅と唐が仲違い。唐使・劉徳高の来日で日唐単独講和。相前後して新羅軍が撤退。
        • 壱岐・対馬を巡り日本・新羅が睨み合い。朝廷の悲願が「対馬奪回」になる。
          • 桓武天皇の時代に撃新羅大将軍・坂上田村麻呂が登場・・・だが、勝てるのか?
    • 膠着する間に神風が襲来し(ry
  2. 日本が唐・新羅に敗退した場合、九州まで新羅の領土となる。
    • ただ、新羅滅亡時に少なくとも九州と壱岐は奪回できるだろう。対馬まで奪回できるかは、高麗誕生時の情勢次第か。
  3. 元寇の時に、高麗は旧新羅領の領有を主張。
    • その後もこのあたりの領土問題は時々騒動のタネに。
    • 現代でも韓国は旧新羅領の領有を主張している。
  4. 九州に唐・新羅による傀儡政権「倭国」が成立
  5. 元寇の時に元軍は対馬や壱岐自体は落としていた。只その後撤退しているし、そもそも日本本土まで補給が持つとは思えないし。結局のところ何もできずに終わると思う。只、九州北部は占領され、補給が届かなくなった連合軍による九州北部の略奪などはあると思われるのでしばらくは外国の侵略に怯えることにはなるだろう。少なくとも今日のような平和ボケはなかったと思う。。思うので
  6. 朝廷が平和ボケすることはなくなり、武家や幕府は誕生しない。封建制社会にもならず、律令制のまま。
    • 多賀城が東北地方の中心都市として発展していた。
    • 太宰府市は政令指定都市になっている。
もし大津宮が陥落していたら
  1. 天智天皇は唐に捕らえられて死刑
  2. 名古屋あたりまで逃げたとしてもやっぱり敗北していた。
  3. ただし、親唐勢力が皇位を継承して、天皇制自体は存続する。
    • その親唐勢力の首領が「大海人皇子」という名前だったりして。
  4. 大津は県庁所在地になれなかった。