もし手塚治虫が長生きしていたら

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  1. 同時多発テロイラク戦争や北朝鮮の核実験に反対する風刺漫画を書いていた。
    • いや、彼らにちょっとだけ同情する漫画を描いて、米国日本への皮肉を込めていたと思う。
    • 戦争や核兵器等に関する表現で、一部の文化人やネットユーザーから叩かれていたかもしれない。
  2. 火の鳥、鉄腕アトムは勿論完結していた。
    • 『火の鳥』は年に単行本一冊くらいのペースでまだ続いていると思います。
      • 90年代半ばごろに『現代編』で無事完結していた。
    • 『鉄腕アトム』は平成アニメ版開始の時に再開されるが未完で終わると思います。
    • 『ネオ・ファウスト』や『ルードウィヒ・B』もしっかり完結していた。
      • 『グリンゴ』も同様。
  3. 森内閣の時に国民栄誉賞をもらっていた、いや無理やりもらわされた。
  4. 今日まで生きていたら、間違いなく文化勲章も授与されていたはず。
    • 紫綬褒章も貰っていたかも。
    • 90年頃に紫綬褒章、95年頃に文化功労者、2003年満75歳で文化勲章、そして2019年、ボブディランに続く異例としてノーベル文学賞を…。
  5. コミケでどきつい18禁同人誌を売り出す
    • 『ふたりエッチ』に触発されて頑張りすぎる。
      • そして黒歴史として封印される。
  6. ブラックジャックの18巻は本人による修正をへて発売された。
    • 『ジャングル大帝』に差別表現があるとされて問題になった際も、本人による修正版が発売された。
    • 手塚治虫全集はリメイクされて全450巻になっていたかもしれない(少なくともブラックジャックは26巻が出る)。いやあの人なら50巻分くらい描きかねない。
    • 『ドン・ドラキュラ』のドン・ドラキュラ伯爵のフルネームも初登場時の物か2回目以降に使われたもののどちらかに統一されたか、双方を統合したものになっていた。
  7. 小室哲哉の最大の理解者として公私共に相談相手となり、彼が逮捕されることもなかったかもしれない。おそらく創作者としての彼の苦悩を最も理解できた人物の一人であったろうから。
    • 逆に彼自身が逮捕・・・・とまではいかなくても、その種のトラブルに巻き込まれていた可能性はある。
  8. 田中圭一は手塚風エロが書けなくなるので、石ノ森風エロが中心に。
  9. ロボット産業のデザイナーやアドバイザーとして名を連ねている(大阪府出身だけに関西の企業や企画には特に)。
  10. 24時間テレビのスペシャルアニメもしばらくは製作され続けていた。
    • '90年(史実でのアニメ放送最後の年)はアンパンマンではなく手塚作品だった。
    • 21世紀以降は「ブラック・ジャック」のスペシャル版になっていたかも。
  11. 自分の事例を引き合いに出し、この会社に「の同業者に真似される事はむしろ誇りだよ」と言っていた。
  12. 母校での事件をきっかけに、「子どもたちを守れ!」という運動に参加していた。
    • ポルノ的描写はすべて廃棄していたか、逆に「写真や絵で満足できない○○コンが実在の子どもを襲う」という主張をしていたか・・・・・・
      • どちらにしても児童ポルノ規制法関連には大きく影響力を与えていただろう。
  13. 阪神・淡路大震災に関しては何らかのコメントを出していた。
  14. 関空のマスコットも勿論この人が・・・・・
  15. 林原めぐみや水樹奈々等の声優がパーソナリティーを務めるアニラジにゲストに呼ばれていた。
  16. これが現実化する。
  17. 「ダウンタウンDX」にも出演し、大ボケ発言した際に浜田から「治虫!」とよく突っ込まれる。
  18. トキワ荘繋がりで、石ノ森章太郎の葬儀に参列し、弔辞を述べていた。
  19. ネット選挙が解禁された2013年、日本共産党の選挙広報用ウェブページのイメージイラストを執筆する。
  20. 24時間テレビのチャリティーオークションに自作の絵画か原画を出品。
  21. 2003・2005年の阪神タイガース優勝を心から喜んでいた。
    • お祝いのコメントを寄せたり、自筆のイラストを書いたりしていただろう。
    • 万が一にも日本シリーズが阪神vs西武になったりしたらどっちを応援していたんだろう?
  22. 果たして宝塚市に「手塚治虫記念館」はできていたのだろうか?
    • もしできていたら当然オープニングのテープカットにも招待されていた。
    • できていなかった場合、阪急宝塚駅の発車メロディーが鉄腕アトムのテーマになることはなかった。
    • 阪急宝塚線のラッピング車両も存在しなかったかもしれない。
      • もし仮に現実通り走るとしたらデビュー時に何かしらコメントを求められていただろうし、出発式に参加したかもしれない。
    • 史実で1994年に宝塚歌劇団が上演した「ブラックジャック」と「火の鳥」の公演を観劇していたかもしれない。
  23. 1993年、『鉄腕アトム』の作中でアトムが通っていた「お茶の水小学校」と同名の小学校が現実に開校した際に、何らかのコメントを出していた。
    • さらにアトムの生年月日である2003年4月7日にもマスコミの前で何かしらコメントを残していたかも。
  24. 富野監督に対して散々ツッコミを入れてたかもしれない。
  25. 『トイレのピエタ』の作品化は実現していた。
    • RADWIPSが関わるかどうかは不明だが。
  26. 『PLUTO』や『ヤングブラックジャック』や『アトム・ザ・ビギニング』にはシナリオを寄稿していた(もう8~90歳くらいだろうし…)。
  27. 一部のアニメに対してもTwitterやFaceBookでネタにしていた。
    • たぶん『侵略!イカ娘』や『けものフレンズ』は絶賛していた(笑)。
      • しかしその場合、後者の例の事件の際には落胆していたかも。
    • 『テラフォーマーズ』に関しては「ゴキブリが攻めてくるなら僕ならこうするね!」などとノリノリでツッコミを入れていた。
  28. 2014年のセンター試験の日本史の問題の題材にならなかったかもしれない。
    • まだ、子供向けの伝記の題材にされることもないはず。



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