もしあの列車・種別が○○だったら/国鉄・JR

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全般[編集 | ソースを編集]

エル特急が現在でも続いていたら[編集 | ソースを編集]

2000年代以降衰退したエル特急。2018年3月のダイヤ改正でJR東海を最後に消滅したが、もし、衰退していなかったら?

  1. JR東日本は特急の全席指定主義に走ることはなかった。
    • 「ひたち」「ときわ」はE657系置き換え完了後も自由席が設定されていた。
      • 自由席車を確保するため、E657系には付属編成も登場し、現在でも14両編成で運行する列車が存在していた。
      • 常磐線沿線の利用者の不満が減っていた。
    • 「スワローあかぎ」はなかった。
    • 踊り子も自由席車を確保するためE257系2500番台が更に増備されていた。
      • もしかしたら波動用を除いた500番台全てが2500番台に改造されていたかもしれない。この場合2021年をもって房総特急は減便されていた。
  2. JR北海道では特急の住み分けが徹底されていた。
    • 「ライラック」もエル特急だった。
    • JR北海道にとってのエル特急は電車特急だった。
  3. JR西日本の場合大阪・京都から北近畿方面の「こうのとり」「きのさき」などや南紀方面の「くろしお」、北陸方面の「サンダーバード」や岡山から山陰に向かう「やくも」が今もエル特急を名乗っていた。
    • 但し気動車で運行される「スーパーはくと」「はまかぜ」はエル特急という扱いにならない。
    • 場合によっては関西国際空港に行く「はるか」もL特急扱いとなっていた。
  4. JR九州は九州新幹線鹿児島ルート全通後は日豊本線や長崎本線の特急がエル特急を名乗っている。
  5. JR東海はほぼ現実と変わっていない。
  6. JR東日本は現在でも特急の千鳥停車が根付いており、停車駅が整理されることもなかった。

急行が2016年に廃止されていたら[編集 | ソースを編集]

急行はまなす廃止で定期の運転がなくなったJRの急行が廃止されていたら?

  1. 急行として運転されていた列車は快速or特急として運行されていた。
  2. 無料種別としての急行を設定するところがあったかも。
    • JR西日本は新快速の上位種別として京都-新大阪及び尼崎-三ノ宮無停車の「急行」を設定していた。
  3. それでも北海道東日本パスに特急券併用では乗れない。

現在でも準急が運行されていたら[編集 | ソースを編集]

  1. 使用車両は113系や415系などの近郊型車両が使われていただろう。
    • それらの車両の老朽化により、JR西日本は223・225系、JR東海は313系なんかが運用されるようになっていた。
      • 但し快速との差別化のため、現実の313系8000番台のように車内のグレードが若干上げられている。
    • JR東日本はE231・E233系にロング/クロス転換可能シートを採用した車両が運用されていた。
    • 近郊型車両で運行する優等列車を準急として運行していたので遜色急行と呼ばれることはなかった。
  2. ホームライナーみたいな列車が準急扱いになったかも。
  3. 青春18きっぷで乗車できたかもしれない。

新快速が○○だったら[編集 | ソースを編集]

運転されていなかったら[編集 | ソースを編集]

京阪神圏
  1. いまだに私鉄王国が続いていた。
    • 京阪・阪急は現在も特急の京阪間ノンストップを継続、阪神間でも阪急・阪神特急の停車駅は現実より少なかった。
      • 京阪新3000系と阪急9300系は2ドアクロスシート車となっていた。
        • 私鉄の客が激増して逆に4ドアになったりして。
  2. 大阪-姫路間の輸送は阪神・山陽直通特急が独占していた。
    • 途中停車駅は西宮・三宮・新開地・明石・高砂のみとなり、2扉転換クロスシート車両が運行されていた。
    • 直通特急自体も1980年代には運行開始していた。
    • 神姫バスも阪急バス・南海バスと共同で大阪(難波・梅田)-姫路に山陽道経由の高速バスを運行していて、阪姫間である程度のシェアを確保していた。
    • 場合によっては阪急も梅田~姫路間に直通特急も運行している。
    • 阪神・山陽電鉄の特急停車駅のホームは8両編成対応となっていた。
  3. 滋賀県が現実より発展しなかった。
    • 名神ハイウェイバスの急行便は今も運行されていて、停留所の大幅縮小もなかった。滋賀県内から京阪神への交通は高速バスが主力となっている。
      • 超特急便とは別に、名神大垣・名神彦根・名神八日市・栗東にも停車する「快速特急便」が運行されていた。
    • 急行比叡もJR化後特急に格上げされて存続。
    • 長浜・彦根-京都・大阪にも近江鉄道と京阪バス・阪急バスが共同で高速バス路線を運行していた。
    • わかさライナーは国道161号線(湖西道路)経由となり、近江今津や京都深草を経由していた。
    • 彦根米原長浜あたりは京阪神よりも中京圏との結びつきが強くなっている。
    • 一方、大津市の中心市街地の衰退はなく、浜大津は滋賀県一の繁華街の地位を保っていた。
      • それでも大津西武は史実通り閉店してそう。
    • 湖西線内の特急停車駅が増えていた。通勤時間帯には敦賀始発・終着の特急も走っている。
    • 南草津駅が開業したか微妙。
    • 奈良県の人口が滋賀県に抜かれることもなかった。
      • 名張市の人口が減少に転じたり、大阪都市圏から除外されることもなかった。大阪のベッドタウンとしての名張の地位が低下することもなかった。
    • 新幹線のびわこ栗東駅も何の反対もなく開業していた。
      • 今頃五箇荘駅が検討されている。
    • 北陸本線田村〜敦賀間と湖西線永原以北は交流電化のまま。
      • さすがに滋賀県や福井県からの要望で直流化はやっていただろうが、せいぜい京都どまりか。
    • 滋賀県から大阪や神戸の大学に自宅通学(親元から通学)する者は殆どいなかった。滋賀県の大学生の自宅通学範囲は京都で止まっていた。
  4. 姫路市は現実より神戸・大阪指向が弱くなり、独立した都市圏が形成されていた。
    • 姫路駅前商店街の衰退はなかった。
    • 大阪-姫路・赤穂にも高速バスが運行されている。
      • 山陽道開通後は京都-姫路にもバスが運行されている。
      • 姫路-神戸空港間のリムジンバスも廃止どころか逆に増便されていた。
    • ちょうど関東における宇都宮市のような位置づけとなっていた。
      • 新大阪・新神戸~姫路間で新幹線を利用する乗客が多くなっていた。
        • バブル期に新幹線通勤が増加し、その区間のみを走る「こだま」が設定される。
    • 大阪や神戸の人にとっては今でも姫路は遠い所というイメージになっている。
    • 姫路から大阪や京都の大学に自宅通学(親元から通学)する者はいなかった。姫路の大学生の自宅通学範囲はせいぜい神戸までで止まっていた。
  5. 阪神なんば線は遅くとも1990年代初頭には開業していた。
    • 梅田方面への輸送量が限界に達していたため。
    • 姫路方面から近鉄線への直通列車も運転されている。
  6. 兵庫県では、「明石~神戸間はJR、姫路~神戸間は山陽」という住み分けがなされる。
  7. 神戸市営地下鉄は、伊川谷駅などで現実よりはるかに利用客が増え、快速が運転されている。
    • 阪急神戸線との相互直通運転が20世紀中に実現していた。
  8. 結論。京阪神間の輸送は私鉄の、京阪神-滋賀県・播磨地方の輸送は名神・山陽道経由の高速バスの天下となっていた。
  9. 京阪大津線の経営状態はもうちょっと良かった。
    • 京阪本線と同規格に改修されて淀屋橋~石山寺・坂本間の直通運転が行われていたかも。
  10. 東海道線の快速が高槻以東各駅停車になることはなかった。
    • むしろ快速が現実の新快速なみの停車駅になっていた。
      • 快速の本数が毎時6本になっていた。
  11. 117系が登場したか怪しい。
  12. 阪和線の113系は湘南色だった。
    • 関西線の113系も。
    • 阪和線はスカ色だった可能性もある。
    • 冷房化が現実より遅れていた。
  13. かわりに中央快速線の「特別快速」が京阪神圏でも走っていた。
  14. 天王寺〜和歌山間を特急・急行で移動する乗客が早くから増えていた。「くろしお」に加え「きのくに」も鳳駅に停車していた。
    • 現実よりも南海が有利になっていたかも。
  15. 大阪から加古川線経由で西脇に直通する気動車急行も運行されていた。大阪-加古川では急行「但馬」「みまさか」などに併結され、加古川線内の停車駅は厄神・粟生・社町となっていた。
    • 1975年10月の中国道開通までは利用客が多かったが、中国道開通後は直通利用客が激減して1980年代後半に大阪直通は廃止された(1980年10月以降は加古川線区間が快速に格下げされていた)。
  16. 神戸市内-小野・粟生の移動で神戸電鉄粟生線を利用する人も史実より多かった。
名古屋圏
  1. 現在も名鉄の天下が続いている。
    • 特急は全列車全席座席指定となっていた。
      • 名鉄1200系は登場しなかった。
    • 蒲郡へも名鉄がメインとなり、名古屋からパノラマカーによる直通特急が現在も運行されている。
      • 蒲郡線と西尾線はとっくに複線電化して、国府まで延長していた。また、豊橋駅が移転又は地下化していたかも。
  2. 名鉄岐阜市内線・美濃町線・揖斐線・谷汲線・田神線・八百津線・三河線(一部)・竹鼻線(一部)は廃止されなかった。
  3. 特別快速も運行されなかった。

現在でも湖西線内は各駅停車だったら[編集 | ソースを編集]

1986年から1996年まで湖西線内は全ての駅に停車していた

  1. 快速もすべての駅に停車していた。
  2. 時間がかかるので敦賀始発は米原経由がメインになっていたかも。
  3. 湖西線の減便が行われたかも。

会社・路線別[編集 | ソースを編集]

JR東日本[編集 | ソースを編集]

仙石線快速が今でも続いていたら[編集 | ソースを編集]

  1. 本数が削減されていた。
  2. 史実での廃止時点では旧A快速のみの運行だったので停車駅が旧A快速に準じたものとなっていた。
  3. 東矢本を通過する代わりに宮城野原が停車駅に加わっていた。
  4. 2Wayシート車のロングシート固定化はなかった。
  5. 松島への利便性が低下することはなかった。

仙山線快速の停車駅が1種類だけになったら[編集 | ソースを編集]

  1. ややこしい存在が減っていた。
    • 一部の駅でアルファベットを付与して種類を分けることもなかった。
  2. 本数が削減されていた。
  3. 最速達便のみが運行していた。

区間快速の設定に意欲的だったら[編集 | ソースを編集]

JR東日本は他のJR各社とは異なり、区間快速の設定に消極的です。もし、区間快速の設定に意欲的だったら?

  1. 快速の停車駅がばらばらになることはなく、ややこしくなることもなかった。
    • 停車駅別に種別が是正されていた。
  2. 仙石東北ラインの快速(緑)は間違いなく区間快速になっていた。
  3. 仙山線の快速も一部区間を各駅停車する快速も区間快速になっていた。
    • 一部の駅で停車駅が少ない順にA、B、C・・・などとアルファベットを便宜的に付与することはなかった。
  4. 首都圏の快速はほぼ現実と変わらないと思う。
    • 常磐線快速だけは例外的に取手発着は区間快速になっていた。
    • むしろ今は亡き京葉線の武蔵野快速が区間快速に種別が是正されていた。
    • 埼京線(赤羽線)がJR発足初の区間快速になっていたかも。
    • 京浜東北線の快速が区間快速に是正されてそう。
      • 東海道本線の普通と停車駅で逆転現象が起きていた
  5. 湘南新宿ラインの快速が区間快速になり、特別快速が快速になって「北本と戸塚に『特別停車』する快速」と言われなかった筈(設定時点で快速アクティーは戸塚を通過していた)。
  6. 中央線は現在の快速→区間快速。通勤快速→快速に変えていたので杉並3駅は区間快速以下しか停車しなかった。
    • ダイヤは今よりマシになっていた。
  7. 南武線はラッシュ時用に稲城長沼駅以西の区間快速が設定されて、遠近分離が強化されていた。
  8. 総武線は区間快速が増える代わりに快速は新日本橋、馬喰町、新小岩、市川、稲毛が外されていた。
    • これらの駅は区間快速停車駅だが、快速通過駅になっている。

地方交通線を主体とする優等列車の設定に意欲的だったら[編集 | ソースを編集]

JR東日本は地方交通線を主体とする優等列車は廃止されたり快速に格下げされるほど設定に消極的ですが、もし、地方交通線を主体とする優等列車の設定に意欲的だったら?

  1. 急行「陸中」は快速「はまゆり」への格下げではなく、特急に格上げされていた。
    • むしろ18きっぷユーザーを北海道東日本パスに誘導するため急行のまま残していたかも。
    • 「あがの」「べにばな」「よねしろ」「もがみ」なども同じく。
  2. 「リゾートしらかみ」をはじめとする観光快速列車は間違いなく特急になっていた。
  3. JR東日本も本格的な特急型気動車を保有していた。
    • JR東日本は気動車特急が育たないと言われることもなかった。
    • 当初はキハ185系辺りが導入されていそう。
  4. JR東日本は史実のJR九州のような体質になっていた。
  5. 必要以上な特急誘導だと叩かれていた。
  6. JR東日本は首都圏で採算が取れるからローカル線に特急は不要という考えを持っていなかった。
  7. 大糸線も特急の本数が削減されることはなかった。
  8. 地方交通線を活用した都市間輸送にも力を入れていた。
    • 磐越東線や山田線にも都市間優等列車を運行していた。
  9. 地方の快速列車のグリーン車や指定席が廃止・縮小されることもなかった。特急を運行しない路線では代わりにグリーン車や指定席車の連結にも力を入れていた。
  10. 元名鉄キハ8500系も会津鉄道に譲渡された後も特急として運行されていたか。
    • その場合は上野~会津若松間の東武鉄道経由で運行される特急列車が誕生していたかもしれない。

上野東京ライン経由の快速が東京駅で普通列車に種別変更していなかったら[編集 | ソースを編集]

上野東京ラインを経由する快速列車は現在、東京駅を境に普通列車に種別を変更していますが、もし、上野東京ラインを快速列車が東京駅で種別変更していなかったら?

  1. 種別が快速であることは現実と変わらない。
  2. 「アクティー」「アーバン」「ラビット」と言った列車愛称は間違いなく廃止されていた。
    • 逆に統合して一体化した快速種別を出していた。
      • 当然、新橋、上野、尾久、さいたま新都心を通過する種別も出ていた。
  3. 湘南新宿ラインの遠距離利用客が減っていた。

JR四国[編集 | ソースを編集]

快速の設定に積極的だったら[編集 | ソースを編集]

JR四国は高松地区を除いて快速の設定には消極的ですが、もし、快速を積極的に設定していたら?

  1. 通過駅のある普通列車は快速に是正されていた。
  2. 高知地区ではごめん・はなり線直通快速列車は土讃線内でも快速運転を行っていた。
  3. 派生種別もある程度積極的になっている。
    • 「サンポート」は区間快速に是正されていた。
  4. そもそもJR四国は都市間輸送は特急で十分という考えを持っていなかった。
    • 「よしの川」や「むろと」も特急格上げではなく快速に格下げされていた。
      • 「ホームエクスプレス阿南」も快速だった。
    • 経営体力がJR東日本並みに持っていたら十分あり得た。
    • 観光列車も特急ではなく快速程度にとどめていた。
      • ましてや全席グリーン車にすることもなく、もう少しリーズナブルなものになっていた。
      • 普通列車として運行している「伊予灘ものがたり」は快速に是正されていた。
    • 地域輸送は各駅停車で十分という考えも持っていなかった。
  5. 徳島地区では徳島発で大歩危や阿波池田、穴吹、鳴門、阿南、牟岐、海部、甲浦行きが存在していた。
    • 海部と甲浦行きはDMV導入に伴い阿波海南行きに短縮されていた。
  6. 高松地区にはJR西日本における「通勤ライナー」級の通勤快速列車も設定されていただろう。
    • 「モーニングEXP」「ミッドナイトEXP」「ホームエクスプレス阿南」は通勤快速列車だったかも。
    • そもそもJR四国は通勤優等列車ですら特急にはしなかった。

列車別[編集 | ソースを編集]

もしあの列車・種別が○○だったら/国鉄・JR/列車別