もし日本が太平洋戦争で勝っていたら/戦勝日本の戦後

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日本全般篇[編集 | ソースを編集]

  1. 広島・長崎・沖縄・東京ほか日本各地に「抗米記念館」が。
    • 「戦勝記念館」じゃないかな。
    • 広島・長崎の原爆の死者がどんどん増えていく。
      • それ以前に広島・長崎に原爆を落とされたことになっている。
        • そもそも落とされてないだろ
          • 落とされても勝っている。
            • 1945年8月9日の段階から連合国に勝つなんていくらなんでも無茶。超兵器ガ壱號でも見つけたなら別だけど。
      • マンハッタン計画自体がそれなりに進展しつつ、本土決戦に追い込まれるような自体になったら、航空機による投下ではなく潜水艦による決死作戦で“原爆魚雷”(魚雷といっても日本の特殊潜航艇サイズ)を使ったかもしれない。
        • この場合、列島ではなくパラオ、トラック、台湾あたりが標的になっていたかもしれない。
        • 本土決戦に追い込まれてる時点で(ry
    • ついでに遊就館の地位が高まる。
      • 海遊館と間違えるやつも出てくる。
      • 恐らくそこでは日本の犠牲者を祀り、アメリカの犠牲者は他の場所で祀られていたでしょう。
    • もしかしたら日本占領下のハワイとか。
  2. 8月15日は戦勝記念日として祝日に。皇居前広場と靖国神社にて盛大な式典が挙行される。
    • 夏休みなんだけどな・・・。
    • ちょうどお盆の時期なので、この日の前後2日ほどを休みにするのが定番になる。日本版バカンス。
    • 「死んだ者に勝者も敗者もない。亡くなったすべての人の冥福を」と慰霊の行事も各地で行われる。
      • それ、勝っても負けても変わらないと思うけど・・・ 私の思い込み?
        • 勝った側が言うのと負けた側が言うのとでは、微妙に違ってくると思う。
    • そもそも戦争終結の日付がいつになったかもわからないのだが。
      • 12月8日も「大東亜記念日」として国民の祝日になる。
    • 東条英機の誕生日(7月30日または12月30日)も国民の祝日になっていた。
  3. パスポートなし&日本語の通じる南国リゾート、サイパン・グアム・パラオ観光が大人気。
    • あとミクロネシア・マーシャル。
  4. 横須賀に戦艦大和が保存されていて、観光名所になっている
    • いや、建造された呉に保存されているんじゃないかと思う。
      • だが近年は勘違いしたカップルが多数訪れる。
      • 技術転用された後継機が「宇宙船大和」として日本の宇宙進出の一旦を担っている。
        • 後の宇宙戦艦ヤマトである。
    • 長門や鳳翔などもどっかで保存されて観光名所になっている。
  5. 日本国内の遺伝子汚染が一層進んでいた(ニホンザルとタイワンザル、ニホンシマリスとチョウセンシマリス等)。
  6. 軍事関連の知識がヲタ知識と敬遠されることはない。他の一般的な知識と同レベルで扱われる。
  7. とりあえず現実の日本と比べて非常に「鬱苦しい国」になっていたと思われる。
    • (そしてフィリピン人の血が流れてる私は迫害されるであろう。つーか存在してないかも。)
      • 言葉狩りも無くて、在日コリアンが暴れることもなく、のびのびした社会になっていると思うがな。
        • いや、今以上に華僑や華人、韓僑が幅利かしている可能性がある。
      • 軍国主義が流行るのは大恐慌以後から。恐慌以前は軍縮万歳平和万歳金儲け万歳。何にせよ極端から極端に走るお国柄ですからねぇ。
        • 恐慌の時に国民における政治家の印象が悪くなったからねぇ。「何となくダサい陸軍」が相対的に高潔なイメージを持たれるようになってしまった。
      • 民主主義の代わりに民本主義が広まっていたものと思われ。
        • 大日本帝国憲法改正を昭和30年代に行いまくり、第9条と天皇以外は日本国憲法とほぼ同じになる。
          • 昭和帝陛下自身が「君臨すれども統治せず」を座右の銘にしていたから、それが明文化されることになるわけだ。
          • 昭和22年改正大日本国憲法第11条「第1項、天皇は日本国の国体維持の為領土臣民を保護する目的に於いて陸海空その他の軍事力を統帥す。第2項、前項に於いて定めたる統帥権の多元性は之を認めず」。
        • ジョン・ロックの社会契約論ですな。王権神授説とは相容れないけど、日本の場合日本神道の神様は神聖であっても絶対じゃないから、許容範囲かと。
        • 吉野作造や出身地の大崎市はもう少し注目されていた。
    • 「皇室」と「硬質」などの変換ミスによって不敬罪に問われることがある。
  8. 平成17年には日露戦勝100周年と大東亜戦勝60周年で様々な記念式典が開かれ、お祭り騒ぎになる。
  9. 交流や電波などの周波数を示す単位は未だに「サイクル」(c/sec)が使われている。
    • ヘルツ(Hz)の由来であるハインリッヒ・ヘルツはドイツ人のため。
    • “西側”では一時期ヘルツが採用されたが、ナチスドイツ崩壊後に日本にあわせてサイクルに回帰してしまう。
  10. 青函トンネルには鉄道のほかに青函高速道路が開通している。
    • 樺太トンネル(樺太自動車道)と対馬海峡トンネル(釜山自動車道)も開通。勿論鉄道(新幹線)とセットで。
      • いや、さすがに現実のユーロトンネルのように、高速道路トンネルではなくカートレインと鉄道(新幹線)のセットになっている。
    • むしろ津軽海峡大橋が建設されているのでは。
  11. 恐らく高速道路や新幹線などのインフラ整備はかなりスムーズになっていた。
    • 左翼運動が非合法扱いなので政府の用地買収に抵抗するという発想がない。
  12. 成田空港は超大国のメンツを保つ為に仁川以上にデカくなった。
    • いや成田は作られず、かわりに長崎大村(又は福岡)や千歳が上海浦東以上に拡張された。
      • 冷戦崩壊後は稚内も拡張された。
        • ふつうに羽田を拡張するでしょう。
    • 関空については神戸沖か三田又は淡路島で開港した。
    • 国内に組み込まれるため朝鮮や台湾、南洋諸島などの外地へゆく飛行機のほとんどは羽田発着。
    • 構想はされるものの「内地は外地に比べてあまりに狭い」「広くて地価も安い外地も国内なのだからそっちに造ればよい」という発想になっていたかも。
      • その代わり当初の第二東京空港案のように、仁川や浦東が滑走路5本のマンモス空港に。
  13. 2ちゃんねるは国際化していてウィキペディア並みの言語対応化を行っていた。後、ニコニコ動画も
  14. 「特定アジア」や「在日」なる中国や韓国への差別用語は無かった。
    • よってニダーやシナーなど一連のAAは存在しない。但しアサピーだけは存在する。
      • ただし右翼的な電波発言を行うキャラと化している。
    • でもやはり大陸系に対する人種差別自体は健在。
      • 1992年に大阪市の鶴橋で人種間対立が原因の大阪暴動が勃発。
        • しかし統計を見てみると、逮捕者・死傷者とも大阪暴動より1985年の阪神タイガース優勝時のバカ騒ぎの方が多かった。
  15. 日本各地の役所の建物は帝冠様式になっていた。
    • むしろ、史実でのスターリン様式の如く、“東側”で大型ビルディングに帝冠様式が採用されている。
  16. 満州国の首都・新京の計画都市の素晴らしさが認められ、世界遺産になっていた。
  17. 陸海軍の政治力を削ぐ事が出来るかどうか(帝国憲法の統帥権と主権の項を改正できるか否か)で戦後日本の様相はかなり異なる。
    • 終戦後の政治的影響力の低下や軍事予算縮小に反発した軍部強硬派がクーデターを決行、陛下を祀り上げた軍事政権を樹立させるルートも。
    • 三笠宮や東久邇宮の入れ知恵で昭和天皇が軍事縮小に寛容的になっていたかもしれない。
  18. 女性の地位は未だに低いまま。
    • 女性参政権の施行は史実よりかなり遅いだろう。
      • 皮肉にも銃後の労働力確保で女性の社会進出が進んだ影響で、市川房枝らが「昭和デモクラシーだ」と頑張って実現させたかも。史実でもフランス、ベルギーなどWW2後に実現した先進国もあるし。
      • 選挙権が18歳に引き下げられても、選挙権があるのは男性だけだった可能性もある。
    • とはいえ、日独冷戦のライバルのドイツは戦前から女性参政権があったから日本も施行されない限り、日本を批判する根拠となっていた。
      • 遅くとも日本で普通選挙が施行された30年後の1955年に施行されたと思われる。
    • 平成末期に「女子力」という言葉は流行していない。
      • 女性向け雑誌、女の子向けのおしゃれのハウツー本の出版もない。
        • あったとしても、「主婦としての心構え」とか「未来の旦那様のための身だしなみ」という内容だった。
    • 女性は未だに20代前半で結婚するのが当たり前となっていた。
      • 早ければ、10代後半で結婚した女性もいた。
      • 「ある程度の年齢以上では結婚しているのが当たり前」という認識だった。
      • 「娘にはいい相手と結婚させたい」と願う親は多かった。
        • 出会い系サイトやマッチングアプリでは、娘の結婚相手を探す親も多かった。
      • 18歳成人になっても、女性の婚姻最低年齢は16歳のままだった。
    • 専業主婦が当たり前で、夫婦で共働きは珍しかった。
      • 職業婦人でも結婚したら退職するのが普通だった。
      • 結婚後も働き続けている女性は、今で言う「シングルマザー」(当時の言葉では「寡婦」)など訳ありの女性だった。
  19. 日本は弱体化しなかったが、相対的な地位低下は避けられない。
    • 中国の経済成長は文化大革命や大躍進がないため、史実より早く起きていた。
    • 中国や日本の国力が現実より強いため、オリンピックは真夏の7~8月ではなく秋の9~10月に開催できていた。
      • 日本における夏季五輪は1948年に東京、1984年に大阪、2020年は現実通り東京か福岡で実現していた。
        • むしろ1972年にソウル(この世界では日本領だったので)、1992年に大阪、2020年が名古屋あるいは福岡だったかも。
  20. 国民が戦勝で調子に乗り、国民の反連合国軍感情が起こり、激しくなる。
    • さらに多くの元連合国で反日感情が強まり、イギリスやフランス等が反日国家になり反日国家は史実より多くなっていた。
  21. パン食は史実ほど普及せず、学校給食は和食が中心になり、洋食はたまに出る程度になっていた。
    • 家庭でも洋食があまり普及しないのでがんや糖尿病などの生活習慣病は史実より少なくなっていた。
  22. 人権の濫用が厳しく規制されるため、ポリティカル・コレクトネス(という名の言葉狩り)はかなりおとなしいものに。差別用語も未だに普通に使われている。
    • …というか、ポリコレ自体が弾圧を受けていた。
  23. 「戦勝後」(せんしょうご)という言葉が日本人の間で一般的になる。
  24. 信教の自由も存在しない。信仰に関しては未だ内務省の制限を受け続けた。
    • 国家神道が未だ健在で、両部神道などの神仏習合文化の復興の動きはなかった。
    • 教派神道十三派体制や仏教十三宗五十六派体制が未だに押しつけられ、その枠に当てはまらないものは擬似宗教として抑圧される。
      • 特に天理本道や大本、創価教育学会やPL教団などは未だに非合法化され弾圧を受けていた。
    • 神仏分離令や修験禁止令が失効していないので、山伏や修験者は真言宗醍醐派や天台宗寺門派、あるいは御嶽教・扶桑教・実行教といった教派神道のいずれかに所属させられる。
      • 一方でGHQによる弾圧がない為、戦前に山伏の代わりとなっていた霊術家は未だ活発に活動していた。
    • 天社神道禁止令が残っているため、天社土御門神道本庁の設立は未だ許されず、日本易学連合会と土御門神道同門会が陰陽道復権運動を続けていた。
      • 暦はいまだに神宮暦の専売制。運勢暦・開運暦の類はお化け暦と呼ばれ弾圧されていた。
    • 旧憲法でも建前上は「信教の自由」が明記されていたが。
  25. 成人式は今のような華やかさはなかった。
    • 恐らく男女別で開催されていただろう。
      • 同じような理由で、同窓会も男女別だった。
    • 男子は「軍服で成人式に望むべき」という風潮さえあった。
      • 学生は学生服での参列となる。
  26. 今も自由恋愛に対する風当たりが強かった。
    • 学生の恋愛も当然禁止。
    • 女性が男性アイドルに熱を上げるのは「不良」だとされていた。
    • しかし庶民には夜這いの風習があり、そこまで厳しくはなかった。
  27. SNSを利用する人に対しても厳しい目があった。
    • もちろん学校の校則でも「SNS禁止」が明記されている。
      • そのため学校でSNSの正しい使い方を教えてもらえず、史実より誹謗中傷など間違った使い方をする人が多かった。
    • 特に女性のSNS利用に関して世間の目は厳しかった。
      • SNSを見て求婚する男性もいたし、「SNSをしている女とは結婚しない」と断言する男性もいた。
  28. 薩摩土肥の影響力が戦後も強く頭が上がらなくなったか謀反を起こす動きもあった。

大日本帝國軍[編集 | ソースを編集]

もし日本が太平洋戦争で勝っていたら/戦勝日本の戦後/大日本帝國軍

政治・経済篇[編集 | ソースを編集]

もし日本が太平洋戦争で勝っていたら/戦勝日本の戦後/政治・経済

教育篇[編集 | ソースを編集]

  1. 東条は「救国の名宰相」として国民の尊敬の的。
    • ただし東条内閣は対独交渉の難航が原因で終戦直前に総辞職。
    • 道徳の授業で勉強する。
    • 昭和30年代初頭に亡くなって国葬が執り行われる。
    • 紙幣の肖像になる。
    • 岩手県庁前と国会議事堂前に東條英機元首相の銅像が立っていた。(岩手は英機の本籍地)
  2. 今でも小学校の授業に「修身」があり、忠君愛国を教わる。
    • 歴史の学習は歴代天皇名を暗記することから始まる。
    • もちろん縄文時代は教えられない。
      • 平気で教えているような気がする……
        • ただし、それは当時の庶民の住んでいた遺跡と言う形で。したがって神話は事実扱い。
    • 音楽の授業で軍歌を教わる。
    • まあ今くらいになると修身も今の道徳くらい意味を成さなくなるでしょう。
  3. 「富士は日本一の山」の歌詞で知られるあの童謡が作れなくなる。旧日本領も含めた中では、富士山は八番目位の高さなので。
    • そのかわり「にいたか山」という童謡が作られる。
    • 「富士は列島一の山」になる。
    • 「美シサデハ日本一」トイフコトニ。
    • ♪新高は列島市の~山~
  4. 蛍の光が4番まで歌い継がれる。
    • 5番以降が作られる。
  5. 全国の中学3年生から無差別に選出した50クラスに「戦闘実験第68番プログラム」施行。
    • ただし、大日本帝国では中学校は男子校なので、女子はいない。
    • 学制改革はなかったかもしれないので「中学3年生」ではなく、「中学4年生」もしくは「中学5年生」だった可能性もある。
    • 全国って本土か?それとも外地も含めるのか?
    • んな非効率的なことそもそもやらない
  6. 我が国に於ける教育に於いて、初等教育や中等教育に於いては、英語が教育されなくなり、変わりに独逸語が必須科目となる。
    • 冷戦状態になりすぐまた英語に戻る。
  7. 優生学は「ナチの妄想による擬似科学」として徹底的に否定されている。
  8. ひょっとしたら、和算が復活するかもしれない。
  9. 内地8番目、外地含めて10番目の帝国大学が広島に設立される。
    • 横浜、新潟、神戸、岡山、熊本辺りにも出来る。
  10. 小学生以上の全国民が、歴代天皇と教育勅語を暗唱出来ている(聴覚障害者もそらで書き取り)。
  11. 戦争が終わると、すぐ体罰禁止になる(戦前は体罰反対が叫ばれていたので)。
  12. 学校での防犯教育は、「自分が凶悪犯罪を起こさないためにはどうするか」という内容も盛り込まれる。
    • 戦前の少年犯罪は今と比べ物にならないくらい凶悪だったので。
  13. 小学校を卒業したら、進路は男女で完全に分かれていた。
    • 「男子は中学校、女子は高等女学校」といった風に。
    • そのため、女子は基本的に大学に行けなかった。
  14. 女子中等教育機関における「高等女学校」が今もあった。
    • 女性の大学進学がそれほど期待されていなかったため、ほとんどの女性の最終学歴が「高等女学校卒業」もしくは「高等女学校中退」になっていた。
    • 授業に花嫁修業や子育て実習があった。
    • 高等女学校は、今も嫁探しの場所となっていた。
      • 中には、娘の制服から学校を特定して学校に連絡する男性もいた。

報道・芸能篇[編集 | ソースを編集]

  1. 天気予報では「今日の京畿地方は晴天に恵まれ絶好の行楽日和」とか「明日の台湾では台風○号の接近にともない」なんて言葉が。
    • 「お元気ですか日本列島」の各地のニュースのコーナーで「京城放送局の金田さーん」とか「豊原放送局の山本さーん」とか。
      • 台北放送局の佐々木さーん!敷香放送局の伊藤さーん!
      • 朝鮮半島を含むなら、「日本列島」という言い方はどうなるんだろう。
        • 単に「列島」の部分を省いていると思う。
        • 東日本諸島(含、樺太・千島・台湾)・朝鮮・南洋諸島じゃないの?
    • 「まずは高雄からズ~~~~~ムイン!!」
      • 読みはかおしゅんじゃなくて、たかお。
      • ズームインのお天気リレーもこうなる
        • 例)高雄(たかお)→台北(たいほく)→平壌(へいじょう)→京城(けいじょう)→那覇→福岡→広島→大阪→名古屋→東京→仙台→札幌→紗那(択捉島)→豊原(とよはら)→奥端(おは)の内の数局が並ぶ。
  2. 国歌が毎夕、テレビから流れる。
    • もちろん民放全局(独立U局を除く)。
    • でも前後に流れる番組は考慮していない。
      • 某独立U局の0時チャンネルコールの後「こぉけぇぇのぉぉぉぉ むぅぅぅすぅぅまぁぁあぁでぇぇぇ…………
        あ~い○い3センチ♪
      • そのような局はたくさんありますが、どの局ですか?
    • 国旗掲揚も普通に行われてる。
    • 旗日でなくても国旗掲揚を行う家が多い。
    • なぜかテレ東は流さない。
  3. 今もテレビやラジオのアナウンサーは「であります」口調。
    • 例:「次は『今日のわんこ』であります。本日の犬は東京都中央区の山田○男さんに飼育せらる柴犬、『ポチ』であります」
    • 「新年を飾る陸軍始観兵式は畏くも大元帥陛下の親臨を仰ぎ奉り、皇居前広場において厳かに執り行われました」などと硬い表現で、陸軍省検閲○○号と表示される。
      • 嫌だな。分かりにくいし。
      • 皇居前広場なんて多分言わない。宮城前広場だと思う。
  4. 朝日新聞が極右。ただし右派本道の方々からは「電波」扱いされている。
  5. 「愛國戦隊大日本」が大絶賛される。
    • 存在すらしないかも。だってロシアが滅びてるし。
    • ソ連の代わりにドイツが敵だったりして。
    • オープニングの最初のフレーズが大問題になって、2話くらいで放送打ち切りになってたり。「『もしも弱ければ』だと?皇軍ある限り、そんなことは絶対あり得ん!!!」
    • その代わり西米にて「Patriotic Ranger USA」が製作されてたして。
  6. 日本テレビ放送網の全国展開が認められる。
  7. NHK「朝の連続テレビ小説」では戦死する人間が生きていたり、ストーリーが変わったりしていた。
    • おしんでは田倉竜三は自殺しなかった。
    • 梅ちゃん先生では松子は吉岡智司と結婚していた。
  8. 大河ドラマでは反戦描写が消えていた。
    • 朝鮮出兵は普通に描写されていた。
      • 加藤清正や立花宗茂が主役の大河ドラマも普通に作られていた。
      • でも最初に主役になるのが李舜臣。(挑戦も日本国内に当たるため)
    • 女性陣の「戦は嫌にござりまする!」というセリフはなかった。
    • 北条時宗では元は徹底的に悪役として描かれていた。
    • 平清盛は美しい映像が評価され高視聴率を記録した。
      • むしろ皇室呼称が現実以上に大問題になって総スカンを食らってた。
        • すなわち安徳天皇は黒歴史。
    • 坂の上の雲は普通の大河ドラマとして50話分制作されてた。
    • 東郷平八郎や山本五十六辺りが主役の大河ドラマが制作されてた。
    • 鄭成功も大河ドラマの主人公になれていた。
    • 「太平記」では足利尊氏が悪役になっていた。
  9. 大東亜戦争を扱ったドラマ・映画ではカーチス・ルメイの吹き替えを寺田農がやっていた。

交通篇[編集 | ソースを編集]

  1. 全国自動車国道計画は打ち切られなかった。
  2. 史実通り1950年代前半に道路法が改正され、一級、二級の区分がなされる。
    • よって国道36号が鹿児島市~那覇市を結ぶ国道として指定され、史実の37~40号が1つ、42号以降が2つずれ、41号が大泊~50度線を結ぶ国道指定されていた。
      • 大泊から奥端だと思う
      • この世界の国道41号(史実の40号)は旭川~大泊の路線となっている。
    • 二級国道としては沖縄に227号那覇名護線と228号那覇南風原線が、南樺太に247号豊原敷香線(豊原~真岡~恵須取~敷香)と248号大泊真岡線(大泊~留多加~内幌~真岡)が指定されていた。なお史実の227号~244号は2つ、245号~271号は4つずれていた。
    • 内地と外地の国道番号は別々に設定される。
      • 外地の国道番号は「朝3号」「台15号」って感じになるんだろうか?
  3. 本土と南樺太や千島列島を結ぶ航空便が多く設定される。
  4. 現実ほど車社会にはならないが、1980年代以降の西米車の流入で車社会傾向になる。
  5. 国有化された私鉄は返還されている。
  6. 民営化という考えができるか微妙なので、JRは出来なかったかも。
  7. 外地との行き来が盛んに行われたので、成田空港や関西空港は1960年代の高度成長期のうちに開港していた。
    • 中部国際空港も1970年代のうちに開港し、北海道や九州にも国際空港ができていた。
    • 青函トンネルも1960~70年代のうちに完成していた。
    • その場合、関空は泉州沖ではなく神戸沖に建設されていた。

地域別[編集 | ソースを編集]

外地篇[編集 | ソースを編集]

もし日本が太平洋戦争で勝っていたら/戦勝日本の戦後/外地

千島地方篇[編集 | ソースを編集]

  1. 北の方の島は軒並み過疎化。
    • 無人島になってしまった島もある。
    • でも幌筵島や阿頼度島は登山家が大挙しておしかけそう。温禰古丹島の幽仙湖も一大観光地になってそう。
  2. しかし国後島だけは本土とのトンネルが開通して国後市としてソコソコ存続してる。
    • いや、千島全土を結ぶ道路や鉄道ができて、かなり、発展しているかも。
      • その場合カムチャツカ半島まで延びてそっからアラスカまで…無いな…
      • 道路は島ごとに整備されているかもしれないが、架橋やトンネルは多分できない。鉄道は無理。
        • 国後と北海道の間の架橋はできるかもしれない。
    • 国後の人口は150万人。東国後市とかができる。
      • 東国後市ではなく留夜別市だろう。
  3. 択捉島は一応択捉市として、100万都市になってる。
    • 東択捉市や、北択捉町だとか南択捉市とかがある。
    • 紗那村が市制施行して紗那市になってる。
      • 根室でギリギリ市なのに国後や択捉が100万人以上の都市なんてありえない。
      • 近年は某ラノベファンの聖地巡礼スポットになってる。
  4. 遠洋漁業の基地とニチロの加工工場があちこちの島にある。
    • ニチロはマルハと経営統合していない。
  5. 人口が多くなっている択捉島、国後島の町村は次のように分割される。
    • 旧蘂取村→蘂取町、年瑠璃町(字乙今牛村北部)、茂世路村(字乙今牛村南部)
    • 旧紗那村→紗那市(字紗那村+字有萌村)、別飛市
    • 旧留別村→留別市、天寧市(字振別村太平洋側)、振別市(字振別村オホーツク海側)、内保市、老門町、丹根萌村
    • 旧留夜別村→留夜別市、植内市、大滝町、岡布町
    • 旧泊村→泊市、東沸市、米戸賀市、秩苅別町
  6. 根室支庁から千島支庁が独立。支庁は留別に置かれる。

南樺太地方篇[編集 | ソースを編集]

  1. 油田開発が進められる。
    • その結果日本は世界有数の産油国の仲間入りを果たす。
      • エネオス、出光昭和シェル、コスモ石油など石油元売り企業の支店がある。
  2. 稚内市までパイプラインがしかれる。
  3. 豊原市が中心都市。
    • 敷香市も栄える。
      • 敷香は蘇連(露西亜)との国境沿いにあるため、大日本帝國軍の大規模な駐屯地として軍需関係の産業が発達するが、ものものしい雰囲気があり、観光目的では近寄りがたい雰囲気が漂う。一般人は、住民基本台帳カードのやうなIDを携帯し呈示しなければ、敷香に逝く事が原則として許可されない。
      • 枢軸が勝ってるならソ連分割されているかも。
  4. 現時点で存在していないであろう人も……。(by その可能性のある人)
  5. 特急スーパー宗谷は増発。
  6. 宗谷海峡トンネルが開通し、特急スーパー樺太が走っている。
    • でも札幌からは空路を選ぶ人がほとんどで、乗客減に悩んでいる。
    • さすがに青函トンネルと両方を管轄できないので、津軽海峡線と青函トンネルはJR東日本に管理移管される。
      • 結果、JR東は経営苦に……。
      • 石油パイプラインはこのトンネルの中を通っている。
      • いや青函隧道はJR北海道の管轄で、稚泊隧道はJR樺太の管轄じゃないの?
  7. 南樺太全体が過疎化に悩んでいる。
    • 戦前のような国家や郷土に対するアタッチメントが強烈だったころは、中卒や高卒の後に進学目的などで東京などへ移住しても、やがて生まれ育った郷土へ戻ってくる人が多いため、いまのような過疎化はあまり生じなかった。
    • そこで、南樺太道が「多来加湖埋め立て計画」と「インフラ整備計画」を実行。北部の工業化により、人口を増加させることに成功。
  8. インフラ整備により住み易くなる。
  9. ロシアからの亡命者が押し寄せる。
    • 「ロシアからの亡命者は冬に流氷に乗ってやってくるんだぜ」というネタが飛び交うが、実際にやって凍死した者がおり、「シャレになんね!」と現地では禁句あつかい。
  10. 大泊港が「さいはての港街」として何気に隠れた観光地となるか、若しくは本当のさいはての港として地元やお仕事で来る人以外はほとんど誰からも見向きもされなくなる。
  11. 樺太西線も東線同様国境近くまで延伸されるが、名好郡内では東線の上敷香以北同様に時刻表が軍事機密扱いで公開されない。
  12. 北樺太を樺太庁に編入する。
    • 奥端(オハ)から東亜ロシアへ鉄道と道路が延びている。
      • 「樺太国境の旅~国境駅を越える~」などのタイトルで鉄道系の本やブログの人気テーマと化す。
  13. 樺太帝国大学(豊原帝国大学)が設置される。
  14. 今頃、不況に日本中が悩む中、樺太地方の大卒就職率は99%。人員が足りなくて困っているばかり会社なので、本土中、日本中から就職希望者が殺到。
    • これにより、いち早く日本は不況を脱し、樺太の活性化にもつながるのであった。
  15. 国道39号(大正国道)が東京市~旭川市~豊原市を結んでいる。

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