もし日本が戦後しばらくして権威主義化していたら

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戦後の日本はGHQによって日本国憲法が制定され民主化が実現。これにより戦後民主主義がスタートしたことで日本は民主化しました。以後70年間日本は戦後民主主義の名の下に、今日まで民主主義国家として歩んできましたが、これがもし戦後ほどなくして権威主義へと戻っていたら…

全般[編集]

  1. 権威主義化するやいなや、日本国憲法は改正されるのは間違いない。
    • 憲法9条は直ちに改正の対象になり、陸海空軍は復活し、集団的自衛権の行使は合憲となる。
      • 戦前の大日本帝国の陸海軍が旧日本軍と呼ばれるのに対して、こちらは新日本軍と呼ばれる。
        • 国内での通称は前者が「旧軍」で後者が「新軍」
      • 緊急事態条項・首相による法律と同等の効力を持つ政令の施行なども追加される。
    • 吉田茂・鳩山一郎両首相の下で権威主義化となれば、当時の国力や国内の経済状況、国際情勢からして徴兵制も復活。
      • 戦後は男女平等の観点から、女性にも兵役の義務が課せられる。
        • 国内のフェミニスト団体が女性の兵役義務に賛成していた一方、反フェミニズム団体が「婦人を戦場に送るな」と主張していただろう。
        • 上官が女性になるのも珍しいことではなくなるだろう。
      • 徴兵制が再び廃止され、兵士が志願制に戻るのは早くて1972年前後。遅ければ1989年の冷戦終結の前後になるだろう。
        • ただし徴兵制が廃止された後も、志願兵として兵役を修了した者は大企業や官公庁に優先的に就職できるような制度が設けられているほか、そのまま軍人として社会に出て、高齢で勇退するまで兵士として働いた者は、退役後も福利厚生の面で文民より圧倒的に優遇されている。
          • 徴兵制の有無に関わらず、こうした退役軍人が文民より厚遇されるのは間違いない。
          • 政治家に転身した退役軍人も多数いたし、場合によっては退役軍人上がりの首相も誕生していた。
          • 退役軍人上がりの首相に該当するのはおそらく永野茂門。
        • 中国が共産党政権であるうちは徴兵制は廃止されなさそう。
          • おそらく1990年代中盤の北朝鮮崩壊と同タイミングで徴兵制廃止になると思われる。
          • 日本が徴兵制を廃止してから1~2年後に台湾と統一韓国も徴兵制を廃止している。
    • 権威主義化した直後は大日本帝国憲法をそのまま使いまわしていたかもしれないが、ほどなくして一部改正していた。
      • 再民主化までの憲法典の正式名は「大日本帝国憲法」ではあるが、通称は昭和帝国憲法に。
  2. 史実ほど中国に舐められることもなければ、安全保障の面でアメリカに依存することもなかった。
    • 日本は史実ほどアメリカの言いなりになることもなければ、アメリカも史実ほど日本を服従されることもなく、日米は史実よりは対等に近い同盟国になれた。
      • でもなんだかんだ言って貿易摩擦問題とかは史実通り起こっていた。
    • 逆に中国との関係は史実以上に険悪なものになっていた。
      • 場合によっては今も大陸中国を国家として承認していないかもしれない。
      • 国交回復前には日本の再びの軍国主義化を恐れていた事情を考えれば、キューバ危機レベルの事案が冷戦中に日中間で起こっていてもおかしくはない。
    • 政権の後ろ盾がアメリカだったら、アメリカ51番目の州と揶揄されるくらいの親米になっていたのでは。
      • 親米なのは間違いないだろうが、どちらかというと親共和党というスタンスであり、民主党との関係は史実より悪かったと思われる。
    • 日本に米軍基地ができるのは間違いないが、おそらく米領のグアムなどにも新日本軍の基地ができているだろう。
  3. 韓国との関係は史実より良好な状態を保ったまま現在まで推移する。逆に北朝鮮との関係は史実より険悪な状態のまま現在まで推移。
    • 李承晩ライン制定前に権威主義になり陸海空軍を保持した場合、竹島を韓国に奪われることは避けられたかも知れない。
      • 逆に李承晩は史実以上に日本に対して辛辣な姿勢を取っていたに違いない。
    • 韓国で李承晩が政権から下野し国外へ亡命した後、日韓国交正常化が実現するのは史実と同じ。但し、この日韓国交樹立が史実より数年早くなる可能性は大いにある。
  4. 吉田茂政権の下で権威主義化した場合、同政権が史実より若干長続きするため鳩山一郎政権の発足が遅れ、日ソ国交正常化が史実より数年後になった。
    • 日ソ国交回復は鳩山一郎政権最後の懸案として実現しただろう。
      • 但し、日ソ国交樹立後の日ソ両国は史実よりかなり警戒し合い対立することになるのは避けられない。これは鳩山一郎によって権威主義化した場合にも言える。
  5. 諸外国における日本に対する評価が史実と多かれ少なかれ違っていた。
    • 韓国、台湾、アメリカにおける日本への評価は史実より上がっていた。
      • 韓国は史実ほど反日にはならず、日本も史実ほど反韓・嫌韓は多くない。
        • 韓国で「親日」がタブー視されるなんて当然あり得ない。
      • 台湾の親日ぶりは史実以上のものに。
        • 一部の過激な台湾人が「日台合併」を叫んでいそう。
      • アメリカでは一部の白人至上主義者の日本人を含む黄色人種への差別は史実と変わらないが、それ以外の一般人は日本に対してそれ相応の評価をしただろう。
        • 但し、一部の有識者は日本が戦後民主主義を破棄したことを痛烈に批判したかも知れない。一方それを評価した有識者も現れる。
        • 共和党支持者は史実よりもっと親日になるだろうが、民主党支持者はむしろ史実よりもっと反日だった。
      • 日本国内でも、反米・反韓・反台的な言動は史実よりも忌み嫌われることになった。
    • 逆に北朝鮮、中国、ヨーロッパ諸国における日本への評価は史実より下がっていた。
      • 北朝鮮は史実より更に日本を悪者呼ばわりし強く警戒した。
      • 中国の反日ぶりは史実以上に早く且つ顕著なものになっていた。
        • 当然日本でも反中感情は史実以上に高く、中国製品不買運動も度々起こっている。
      • ヨーロッパでも東西ドイツ、オランダ、フランスは日本に対して史実よりかなり辛辣で冷ややかな態度を取った。
        • フランスも権威主義的な国家だから仲良くできそう。
      • 北欧諸国(特にフィンランドとスウェーデン)も同様に対日感情は史実より悪かったし、逆に日本国内でも北欧諸国に対する評価は史実よりかなり低かった。
      • イギリスは一定の理解を示してくれた可能性は高い。
        • アイルランドもイギリスほどではないが一定の理解を示してくれただろう。
      • 戦後デモクラシーで失敗したイタリアは遅かれ早かれ同じような道を辿っていた。
      • スペイン・ポルトガルも民主化前は比較的日本に対して好意的だったであろう。
      • ギリシャやトルコも同様に比較的親日であった。
        • 上記2カ国ではもしかしたら日本の開発独裁政権に範をとった反共独裁政権が誕生していたかもしれない。
  6. 戦後日本の独裁政権も天皇制との兼ね合いをどうするかが課題になるのは避けられない。
    • むしろ天皇制の存在が政権の暴走の抑止となり、世界中の独裁国家の中では一番穏健な独裁となっていただろう。
      • 天皇には内閣総理大臣の任命権と罷免権が与えられるだろう。少なくとも後者は間違いなく与えられる。
        • 首班となる内閣総理大臣が天皇に罷免されたことで総辞職なった内閣もいくつか前例があったこと間違いない。
      • それでも上述の「天皇大権」は伝家の宝刀のような扱いになり、滅多なことでは行使されないだろう。
    • いずれにせよ、天皇主権の下での内閣の独裁になることはほぼ間違いない。内閣でも権限は首相へと一極集中することになる。
      • 名目的には首相に権限が一極集中しているが、実質的には閣僚や軍関係者による合議がある程度尊重されているだろう。
    • イメージとして近いのは軍事政権時代のタイかな
    • GHQにより皇籍離脱させられていた皇族の方々は権威主義化した後に皇籍復帰していた。
      • 史実の竹田恒泰氏は竹田宮恒仁王の名前で皇族の一員として活動していた。
      • 皇位継承者問題も起こらないので、女系天皇を認めるべきだなんていう主張は今も異端扱い。
  7. 何にせよ高度経済成長は史実と変わらず起こることは間違いない。
    • 高度成長期には同時期の韓国や台湾のような開発独裁が日本でも盛んに行われていた。
      • 国自体の規模や国力からして韓国や台湾以上に派手な開発独裁になったであろう。
        • 公共事業に反対する市民運動も史実ほどの規模や影響はなく、起きても警察や軍により鎮圧されていた。
        • 従って鉄道・道路・航空問わず日本の交通インフラは史実よりも更に充実していた。
        • おそらくこれこれに書いてあることが実現していた。
        • 勝手に交通整備シリーズにある鉄道・道路・航空インフラは大部分が既に実現していた。
        • 出生率の減少はいずれにしろ史実ほどではないが起きるので、1990年代以降は交通インフラの過当競争が問題になっていたかも。
  8. 男性優遇社会が史実より長く続き、現在も史実ほど女性優遇社会にはなっていない。
    • 男女雇用機会均等法の成立と施行は史実より遅れた可能性もある。
      • 男女共同参画社会は史実ほど進んでいない。少なくとも政府が男女共同参画社会の実現を目指すのは史実より遅れただろう。
    • 飲食店や映画館、ホテルなどのレディースデーは史実ほど広まっていない。
      • 女性専用車両の導入もなかったか、導入されたとしても朝晩のラッシュ時だけだった。
    • ただしそれでも恋愛結婚の一般化は史実通りである。一般化する年代が史実よりやや遅れるだけで。
    • 民主化後は史実ほどではないが男女間の差別は徐々に解消しつつある。
    • 性別役割分業を否定的に捉える人は今も少数派。
    • その結果、平均初婚年齢は男女とも現実よりも若くなっていた。
  9. 三公社五現業などの公共企業体や地方公営企業の民営化は史実より遅れ且つ進んでいない。
    • 国鉄、電電公社、専売公社の民営化は平成に入ってからになる。
    • 道路公団や営団地下鉄の民営化も史実より遅れるか現在も未だに実現せず。
    • 郵政三事業民営化も実現してないかもね
    • 地方の公営交通も史実ほど廃止にはなっていない
    • むしろ公共交通機関は国有・公営が主流になる。
    • 本業の不採算部門の赤字を補填するためにこれらの公社は確実に何らかの副業に手を出していた。
      • 結果として公共企業体の税金依存度が下がっていた。
  10. 日本の国際化は史実ほど早くはなかっただろう。
    • 日本人や日本企業の世界進出も史実より遅れる。逆に外資系企業の日本進出も史実より遅れることになる。
      • 韓国や台湾、香港やシンガポール、アメリカへの日本人や日本企業の進出だけは史実より早まったと思われる。
      • 逆もまた同様。日本国内では史実よりもっと韓国や台湾、アメリカの資本が幅を利かせるようになっていただろう。
    • 日本の先進国首脳会議への参加は史実より遅れた。
      • 1979年のサミットは日本以外で開催されていた。
      • 1985年のプラザ合意には日本は参加できなかったかも知れない。
        • その場合、昭和末期から平成初期にかけてのバブル景気はなかった。
          • バブル崩壊後の失われた20年もなく、現在の史実における社会問題の多くはなかっただろう。
  11. いずれにせよ、現在の日本は再び民主化されている可能性が高い。
    • 民主化されるのは昭和後期~末期から平成初期~前期の可能性が高いし時期的にも妥当なところだろう。
      • 民主化は国民によって達成されてるので、史実のように今日における民主主義が機能不全に陥るようなこともなかった可能性は低くない。
      • 民主化された現在も史実のような行き過ぎた民主主義などはなく、国を代表するような大都市や北海道や沖縄などの国境沿いの外地は国の安全保障や経済などを大きく左右するので、通常一般の自治体と違い民主主義や地域主権、住民自治が著しく制限されている。
        • というかそうすべきかと…
  12. どっち道高度経済成長がある以上、医療も普通に進歩するので、国民の平均寿命は史実とほぼ同様に推移するし、国民の健康度も史実とほぼ変わることなく上昇する。
  13. 高度経済成長期までは国策で東京一極集中が史実以上に進められるが、オイルショックとその後の安定成長期以降は東京一極集中の是正が国策で進められ、現在の東京一極集中は史実ほど顕著ではない。
    • 史実のような東京一極集中ではなく東名阪三極集中だったかもしれない。いずれにしろオイルショック以降は国策で多極分散政策が進められたのは間違いないし、場合によっては民主化をきっかけに事実上連邦制へ移行していたかもしれない。
      • 平成になってからは福岡も第4極に加わっていた。
  14. 結局、戦後昭和の日本において動向が大幅に変わったのは政治くらいなものであり、あとはその影響をまともに受ける経済や社会が史実と多かれ少なかれ違ってきたくらいで、人々の生活は史実と言うほど変わらなかった気もする。
    • 政治的な側面においては史実ほど国民に自由はなかったが、その分国民の生活は一部の政治活動に深入りする例を除けば、むしろ史実よりよっぽど平穏なものになっていただろう。
  15. 平成期の日本は政治と経済の両面において史実のような反権威主義や新自由主義、リベラリズムやグローバリズムの浸透や増長はなく、あったとしても史実と違い顕著なものにはならず、そうなる前にこれらが素晴らしい考えだというのが嘘だというのを国民の多くが見抜くこととなった。
    • 史実において近年顕著になってきた政治問題や社会問題の多くは最初からないか、あっても徐々に解決へは向かっている。
      • 「キモくて金のないおっさん」や「ネットカフェ難民」、「派遣切り」などの概念はおそらく最初から誕生しない。
      • 「ポリコレ棒」や「保育園落ちた日本○ね」といった史実で流行語大賞の候補に選ばれた政治・経済系の新語も登場せず。
  16. あれ?意外とこの方が国力もあって暮らしやすい日本になっているような?
  17. クレーマーは現実ほどではない。
    • 少数派がクレームを出しても、多数派の意見により叩き潰されていた。
    • CMの表現なんかに問題があってもクレームにより放送中止になったりすることはなかった。
    • 表現の自由は現実以上に保障されていた。
  18. 日本でのオリンピックや国際博覧会の招致や開催にも史実と差異があった。
    • 1964年の東京夏季オリンピックは史実と変わらず開催された。
      • 但しボイコットする国は史実より多かった。
      • 岸信介政権の反共開発独裁政権の下、大会は大成功に終わった。
    • 1970年の大阪・千里丘陵での日本万国博覧会も史実と変わらず開催された。
      • 名誉総裁は皇太子明仁親王なのは史実と同じだが、名誉会長は佐藤栄作ではなく岸信介だった。
        • 史実と違い、当時の内閣総理大臣が岸信介のため。
    • 1972年の札幌冬季オリンピックも史実と変わらず開催された。
      • こちらもボイコットする国は史実より多い。
      • やはりこちらも岸信介首相の反共独裁政権の下で大成功に終わった。
    • 沖縄国際海洋博覧会は開催されなかったか、史実より数年遅れて開催された。
      • 沖縄の日本復帰が史実より遅れるため。
    • 名古屋は1988年の夏季オリンピック・パラリンピックの開催地に立候補できなかった。
      • 開催地決定当時の1981年の非常に独裁的な憲法がその要因。
        • 同じ理由で史実で開催地に当選したソウルも立候補できず。
          • 1988年の夏季オリンピック・パラリンピックはメルボルンで開催されていた。
    • 国際科学技術博覧会は史実と同じく1985年か、史実より遅い1990年。
      • 1985年開催の場合も1990年開催の場合も名誉総裁は上皇明仁陛下(2019年現在)になっていた。1985年ならば皇太子明仁親王、1990年ならば天皇陛下。
      • 名誉会長はおそらく中曽根康弘
    • 国際花と緑の博覧会は開催されなかった。
    • 1998年の長野冬季オリンピック・パラリンピックも開催されなかった。
    • 2005年の日本国際博覧会はおそらく史実と変わらず開催される。
    • 大阪が2008年の夏季オリンピック・パラリンピックの開催地に立候補することはなかった。
    • 2020年に日本で夏季オリンピック・パラリンピックが開催されるのは史実と同じ。
      • 但し開催都市は東京ではなく名古屋の可能性もある。
    • 2025年の日本国際博覧会の開催も史実と変わらず。
      • 2020年の夏季オリンピック・パラリンピックが東京なら史実と同じく大阪だが、2020年の夏季オリンピック・パラリンピックが名古屋なら東京か横浜の可能性もある。
        • 仮に大阪が開催地でも会場は鶴見緑地の可能性が高い。
          • 先述したとおり1990年の大阪花博が開催されないため。
  19. オウム事件は史実よりも早く決着していた。
    • 麻原彰晃らオウムの死刑囚たちは民主化のギリギリ前で処刑されている。
  20. 日本と日本人は史実よりよっぽど正気を保ってるが、国際社会全体における日本と日本人の評価は史実より多少下がっていた。
    • とはいえ肝心の日本国内の情勢と日本人が正気な分だけ、史実よりはよっぽど幸せだったと思われる。
    • 北欧や共産圏からの評価は史実より下がるが、アジア反共圏や英米からの評価は史実より上がっていた。
    • アスリートの実力も史実より多少上がっており、スポーツ面では国際的な評価が史実より上がっていた。

政治[編集]

  1. 権威主義が継続してる間は実質上の自由民主党の一党独裁状態
    • 左派政党は史実以上に不遇を受けることになるのは避けられない
      • 日本共産党に至っては非合法化されているかも知れない
        • JCIAが予定通り発足していた(後述)場合は非合法化されていただろう
        • 共産党は現在も非合法であるのは間違いないだろう。そして憲法にもそれを正当化するような条文が盛り込まれているに違いない。
      • 吉田内閣が史実より若干長続きするため、自民党の結党自体も史実より若干遅れるかも知れない。
        • 逆に鳩山一郎との再合流が史実より早まることで、自民党の結党も史実より少し早まる可能性もある。
          • この場合、自由民主党の初代総裁は吉田茂。
      • 社会党は一貫して右派が主流。左派は弾圧される。
  2. 吉田茂・鳩山一郎両首相のどちらかの時代に日本版の中央情報局(JCIA)の発足が実現していた
    • JCIAは主に対外部門として活動しており、国内向けは特別高等警察が活動している。
  3. 安保闘争は国家権力を行使して警察や軍により強制的に鎮圧されていた。
    • これにより日米安全保障条約の改正はすんなりと実現していた。
    • 直後のアメリカのアイゼンハワー大統領の来日が実現し、岸首相との日米首脳会談も普通に行われていた。
  4. 岸信介政権が史実よりかなり長続きし、高度経済成長期を象徴する安定政権として現在まで有名になっていた。
    • そしてこの岸政権の下で大規模な開発独裁が全国各地にて行われることになり、結果としてインフラ整備は史実よりかなり進んでいた。
      • この開発独裁の恩恵を最も受けたのは国鉄や道路公団だが、私鉄も積極的に路線や事業を拡大することになった。
      • 結果として国鉄や道路公団の独占となる線区が史実より大幅に減り、国鉄が殿様商売に走ることはなかった。
    • 池田勇人と佐藤栄作は首相にはならないが、国家の成長を担当する内閣府特命大臣として日本の高度経済成長に貢献していただろう。
    • 1972年頃に岸信介は政権を下野し、田中角栄がその後継者になっていた。
  5. 史実と同様、田中角栄は列島改造論を打ち出し、インフラの整備を更に推進させる。
    • ロッキード事件は回避でき、田中角栄は逮捕されずに済んだ可能性は断じて低くない。
      • ならば日本列島改造を続けることができたかも知れない
      • ロッキード事件を回避できたとしても、田中角栄は天皇陛下(昭和天皇)に罷免されて政権から下野する羽目になった可能性も低くない。
        • 最悪の場合、韓国の朴正煕大統領のようにJCIAの銃弾に倒れて天寿を全うできなかったかも知れぬ…
          • 田中角栄はおそらくロッキード事件は回避も、イラン革命や米中国交正常化などの影響で昭和天皇の勅令で罷免され首相を辞職…な気がしてきた。
  6. 日韓国交正常化は史実より早まった可能性は高い
    • 韓国へのODA拠出も史実と同じく行われる
  7. 逆に日中国交正常化は史実より遅れ、田中角栄の首相在任中と中国の国家主席の毛沢東の存命中には間に合わなかった。
    • 福田赳夫が日中国交正常化を実現させた首相となっていた。
    • 中国残留孤児の初の帰国も史実より遅れた
    • 台湾との国交断絶は史実より遅れた
      • 場合によっては台湾と中国をそれぞれ国家として承認していたかもしれない。
        • むしろ現在も台湾政府を承認していた。
        • 「2つの中国」を認める日本の外交姿勢がきっかけで、台湾政府も「1つの中国」にこだわるのをやめていただろう。
          • 結果として韓国と台湾の国交断絶もなく、あわやそうなりかけても日本の執り成しで事なきを得ていた。
  8. 沖縄の本土復帰が史実より早まった
    • 逆に数年遅れたか…?
      • 1978年~1980年辺りに遅れた可能性が高い
    • 返還後の沖縄にも米軍基地が多数あるのは史実とあまり変わらない。
  9. パラオの日本復帰が実現していたかも知れない
  10. 北方領土奪還に向けた動きは史実よりは早くからあった
    • だが、返還はまだ実現していない
      • むしろ返還に向けた対ソ→対ロの交渉は史実ほど平和的ではない
        • ソ連崩壊後から2018年現在に至るまでに、1回程度は北方領土を巡る軍事衝突が起きていた。
  11. 大都市の地方選挙で革新政党の候補が勝利することは皆無だった
    • 美濃部亮吉は東京都知事選に当選できず革新都政は誕生しなかった。
      • 場合によっては美濃部亮吉は逮捕され、有罪判決を受け刑務所で服役することを強いられてた。
        • 刑期を終えた後国政選挙に出馬していたかも
    • 横浜市の飛鳥田一雄による革新市政も最初からなかった
      • 横浜市営地下鉄のルートが史実と違っていた
      • 横浜スタジアムの場所や竣工時期も史実とは異なるかも知れない
      • 仮に飛鳥田一雄が史実と同様に横浜市長になってた場合、社会党から自民党の左派勢力へ鞍替えしていただろう。
        • この場合だと、飛鳥田は自民党内では鳩山威一郎や中川一郎などとならぶ党内の親ソ派の重鎮に名を連ねている。
    • 黒田了一の大阪の地方行政掌握もなかった。
      • 左藤義詮による大阪の地方行政が史実より長続きした。
  12. 地方自治体の再編は史実より進んでいた
    • 大阪都構想も1950年代後半までに実現したほか、横浜や名古屋、京都や神戸も東京や大阪と同じく特別区へと移行していた。
      • 更にこれら六大都市は都制よりも更に先進的な全域が特別区の広域直轄市へと移行
        • イギリスのGLA(グレーター・ロンドン・オーソリティ)のようになっていたであろう。
        • 岸信介政権の行革政策により、東京特別市、横浜特別市、名古屋特別市、京都特別市、大阪特別市、神戸特別市に
          • 名古屋・愛知と大阪は完全な県市合併と府市合併
            • 名古屋・愛知の県市合併はその後三河地方が別の県として独立していたかも。
          • 横浜・神奈川、京都、神戸・兵庫は都農分離で郊外や地方部が独立した県として分離
            • 小田原県、舞鶴県、出石県、加古川県が発足
          • これに際して川崎直轄市が発足するが、1970年代終盤までに横浜特別市に統合される。
        • 北九州市は西京市となり更に周辺自治体、下関市やその近隣自治体を巻き込んで西京直轄市に。
        • 福岡市も周辺自治体と合併。中央直轄の広域市の福岡直轄市に再編。
          • 福岡直轄市は壱岐と対馬を長崎県から編入
        • 西京直轄市と福岡直轄市の発足で福岡県は廃止
          • その後西京と福岡も特別市に昇格。西京特別市と福岡特別市の誕生
        • 特別市と直轄市では特別市の方が権限が大きい
          • 特別市と直轄市への昇格には内閣の承認が必要なのは間違いない
    • 広域自治体の再編も史実より進んでおり、各地で道県の合併や分割が行われてた事例がある。
    • 基礎自治体の昭和の大合併も史実より早くに進んでいた。
    • 平成の大合併は逆に史実ほど進まなかったかも知れない
      • 場合によってはバブル景気がなかったり、東京一極集中が史実ほど進まない可能性があるので
      • バブル景気は当然起こらないし、東京一極集中も田中角栄政権以降は大幅に緩和されるから、平成の大合併は史実のようには進まない。
  13. タレント、元スポーツ選手、文学者の政界進出は史実ほど進んでいない
    • 史実においてタレント候補として選挙に出馬した芸能人の多くは選挙に出馬することなく芸能活動を継続した
      • 横山ノックは漫才トリオを解散して参議院議員選挙に立候補しなかったか、したとしても史実より遅れた
      • 石原慎太郎や野坂昭如の政界進出も遅れた可能性が高い。
        • 石原慎太郎に関しては仮に政界に進出したとしても、一旦国政を離れて東京都知事になることはなかっただろう
      • 青島幸男の東京都知事選挙への出馬はなく、当選と都知事就任も当然なかった
        • 1996年の世界都市博覧会は予定通り開催されていた
        • そもそも府県知事は内務省相当の官庁による官選になっていた。北海道と東京都は内閣による任命だった。
          • 返還後の沖縄県も内閣による任命だったであろう。
      • 大阪都構想は国策で既に実現しているため、橋下徹が大阪府知事や大阪市長になることはなかったし、大阪維新の会が成立することもなかった
        • 従って国政政党としての日本維新の会は当然今も存在しない
      • もし橋下徹が史実通り政界に進出するのであれば、おそらく自民党の中曽根康弘の流れを汲む経済自由主義派閥に所属している。
  14. 国内での民主化運動の高まりや、海外での相次ぐ民主化の事例の増加を受けて、中曽根康弘政権の下で結局再び日本は民主化され、権威主義体制には終止符が打たれることとなった。
    • 中曽根康弘政権の最大の実績が三公社の民営化ではなく国の民主化になる。
      • 加えて中曽根政権が史実より長続きするため、竹下登と宇野宗佑は首相にならない。
      • 中曽根政権では民主化は不十分なままだった。
        • 中曽根政権における民主化は経済面での規制緩和などにとどまっていた。
  15. 小沢一郎が自民党を分裂させることはなく、自民党政権の首班として首相になっていた。
    • しかし小沢一郎は政権運営の失敗で結局退陣を強いられることになる。
      • 自民党が初めて政権から下野することになるとしたらこのときかも知れない。但しそれにより発足した左派政権も短命に終わり、結局遅かれ早かれ自民党は政権を奪還する。この時に首相になるのが小渕恵三。
    • 小渕恵三は自自連立の件でストレスを史実ほどストレスを受けず、突発的な発病と急死は回避できた。
      • 小渕政権の誕生は史実より遅れるが、首相の急病のないまま任期満了を迎え退陣。森喜朗は首相にならず、小泉純一郎政権の発足も史実より後年に。
        • 小泉純一郎は首相にならない気がする…それどころか自民党を離党する可能性も高い
        • 小泉純一郎が自民党を離党していた場合、現在は小池百合子や渡辺喜美と共に自身が旗揚げしたネオリベ政党を率いている。
  16. 民主化は冷戦時代には間に合わず、冷戦終結後の20世紀終盤になってようやく実現した可能性もある。
    • むしろこっちの方がよっぽど可能性が高い気がする。
      • この場合、民主主義復古を成し遂げた内閣総理大臣はおそらく首相就任が史実より遅れた海部俊樹
        • もしくは史実では首相になれなかった安倍晋太郎か。
        • 安倍晋太郎首相が民主化を達成していた場合、確実にノーベル平和賞を受賞していた。
        • 海部俊樹の首相就任はむしろ史実より早まっていた。史実では首相に就任できなかった安倍晋太郎が首相として民主化を達成していた。
  17. 民主化の数年後に小沢一郎が自民党政権の首相となるが、小沢首相の政権運営の失敗とITバブル崩壊が原因ではじめて自民党政権が崩壊した可能性が高い。
    • この政権交代で首相となるのは社民党の永井孝信が最有力。
    • しかし左派政権もアメリカ同時多発テロ事件以降のアメリカのブッシュ政権との摩擦や民主化に起因する不景気や社会不安などで短命に終わる。
  18. 民主化以降の左派政権が崩壊した後は自民党と左派政党と保守系野党の大連立政権がしばらく続いた。
    • この大連立政権で自民党から担ぎ出された首相は福田康夫と鳩山邦夫が最有力
    • 史上初の戦後生まれの首相は安倍晋三ではなく鳩山邦夫に
    • このとき連立与党になったのはおそらく民主進歩党(史実の民主党に相当)と国民進歩党(史実の国民新党に相当する保守左派政党)。
  19. 2008年のリーマンショックに起因する世界金融危機が原因で大連立政権を構成する各党間に摩擦が一気に生じる。これが21世紀序盤から数年続いた大連立政権の解消へと繋がった。
  20. 世界金融危機と大連立政権解体後に自民党単独政権に戻ることとなった。
    • このときに首相に就任した麻生太郎首相による政権が長期安定政権として現在まで続いているかと思われる。
      • 他党との連立を組む可能性もなくはないが史実の公明党の連立参加はあり得ない
      • 民主党政権誕生もなければ安倍晋三も首相にはなっていない。
        • 史実の民主党→民進党の重鎮の一部は自民党や旧社会党系の政党に残っているか他党に鞍替えしている。
        • 安倍晋三は麻生内閣で外務大臣を務めている。
        • 中川昭一の落選と急逝もなかった
          • 中川昭一はおそらく北海道自治大臣を務めているだろう。
            • 麻生太郎の首相後継者として最も有力視されている人物なこと間違いない。
        • 副首相は菅義偉が務めている。
          • こちらも麻生首相の後継者として有力視されているのは確実。
          • 副首相になる前は内務大臣を務めていた
          • 副首相は正式に内閣を構成する国務大臣のポストの一つになっていた。
  21. たちあがれ日本、生活の党、新党改革が結党されることはなかった。
    • 先述の通り、橋下徹の政界進出がないので日本維新の会も存在しない。
      • 史実で日本維新の会に所属していた政治家は、自民党に所属していたか、小泉・小池・渡辺が率いるネオリベ政党に分かれていた。
  22. 小池百合子が東京特別市(史実の東京都)の首長になることもないので、都民ファーストの会も結党されず
  23. 公明党の結党は民主化後になっていたか、そもそも結党すらされなかった。
    • その代わり自民党または別の保守系政党に何名か創価学会員の政治家がいたかもしれない。
      • そもそも創価学会自体が史実ほど大きくなっていたかどうか。
        • 少なくとも外務省が創価学会に牛耳られることはなかっただろう。
    • 右派社会主義系の政党にも創価学会員の政治家がいそうだ。
    • 創価学会員の政治家が超党派の議員連盟を作っていたかもしれない。
  24. 維新政党・新風や日本第一党のような極右政党も非合法化され、それらの政治団体で活動していた活動家は逮捕され投獄されていた。
    • ナチズムを掲げる極右団体も同様に非合法化されていた。当然組織の重鎮は逮捕され実刑を受けるのは不可避。
  25. ヘイトスピーチ禁止法が制定され、史実のネット右翼や自称「反差別・反ヘイト」界隈は相当不自由な境遇を強いられていた。
    • どちらも首相の指示で最低でも逮捕・拘留されていた。
  26. 自由民主党が保守政党による国際組織である国際民主同盟から離脱することはなかった。
    • 自民党と米国共和党、英国保守党、中華民国の国民党や韓国の政権与党との関係は今も史実以上に緊密。
  27. 小和田恒が外務省で力を持つことはおそらくなかった。従って、小和田雅子は皇太子妃にならず、適応障害に苦しむこともなかった。
    • 皇太子徳仁親王妃には、徳仁親王殿下がファンであることで有名であり、実際に本人と親交もあった柏原芳恵が選ばれていた。
  28. 北海道自治省と沖縄自治省が年代が進むと設置され、戦前の海外領土のような本土とは一線と画した行政運営が北海道と沖縄では行われるようになっていた。
    • 反共独裁政権期末期にパラオが返還されてからは、パラオでも同じこれと行政運営が行われている。
    • これらの地域では民主化後も通常の自治体と比べて民主主義や住民自治が著しく制限されている代わりに、住民税が実質無税でその他の税も内地に比べるとやや安くなっている。
  29. 中央政府の行政機関とその再編の経緯が史実とことなる。また所掌事務に関しても所々で史実と差異がある。
    • 内務省は吉田茂、鳩山一郎、岸信介のいずれかの代で権威主義復古する際に再設置された。
      • 総務省は誕生せず
    • 防衛庁は当初より防衛省。その後国防省への改組を経て、国防総省と傘下の専門各省へと分割された。
      • 陸軍省と海軍省が復活。また空軍省も設置された。
      • 特高軍が創設された場合は特高軍省も設置された。
      • 国防総省の外庁に退役軍人庁が設置。その後に退役軍人省になって現在に至る。
        • 靖国神社と遊就館、護国神社の運営管理も退役軍人省の所掌事務
        • 退役軍人やその親族及び関係者の福利厚生もこの退役軍人省が担当
    • 国家公安委員会も権威主義復古で公安省となり、しばらくしてから、公安総省と傘下の専門各省へ分割された。
    • 史実のような所謂「小さな政府」作りを目的とした2001年の省庁再編のような行政機関の再編は行われなかった。
    • 各省庁やその所掌事務を再編する省庁再編は何度か行われている。
    • 建設省は解体され、運輸省などがその所掌事務を引き継いでいた。
      • 米国に範を取って住宅都市開発省が創設された可能性も低くない。
  30. 小泉純一郎政権が誕生することはなかった。また、史実の民主党が政権与党になることもなかった。
    • 新自由主義的政策もほとんど行われなかった。
    • 鳩山由紀夫と菅直人の首相就任もなかった。
      • リーマンショック以降も麻生太郎が長期間首相を務めるため、財政出動と金融緩和が継続され、リーマンショック以降の不況が長きにわたり尾を引くことはなかった。

経済[編集]

  1. 史実よりも大企業が中心の経済体制になっていた。
    • 中小企業や零細企業は大企業と取引や請負の形でぶら下がってる事例が史実よりも多い。
  2. GHQの財閥解体で解散した旧財閥は帝国復古を経てほどなくして再合流し復活した。
    • よって旧財閥系列の銀行や証券会社同士が合併してメガバンクやメガセキュリティカンパニーを構築することもなかった。
    • 三井、住友、三菱、伊藤忠、丸紅などは昭和中期から21世紀の現在まで東洋を代表する巨大財閥として物を言っている。
      • 先にもある通り、バブル景気と失われた20年も十中八九ないので、平成のメガバンク誕生などあり得ないだろう。
      • 伊藤忠・丸紅ではなく「大建産業」が復活していたと思う。
  3. 公正取引委員会の権力が史実よりそれ相応に小さくなっていた。
    • 独占禁止法も要件が史実より緩和されるか、場合によっては一時的にでも廃止されていた。
  4. 大手私鉄や大手電機メーカーなどを中心に戦後新たに成長した財閥が多く、これらは戦前からある「旧財閥」に対して「新興財閥」と呼ばれた。
    • 鉄道系は東武、西武、東急、小田急、名鉄、近鉄、阪急
      • 西武グループはセゾングループが誕生せず堤家支配が続く。
        • 西武グループ現総帥の堤義明氏の保有総資産額は現在も世界で十指に入るレベルであり続ける。
      • 大東急解体や阪急の京阪離脱、近鉄の南海離脱はない。
        • 史実通り大東急や京阪神急行電鉄、大近鉄の解体があれば、小田急や京王・京急、京阪、南海も新興財閥に名を連ねる。
          • 京王プラザホテルや京王百貨店、京急百貨店、くずはモールの開業が史実より早まったかも知れない。
            • 京王プラザホテル開業は1960年代中盤に早まる
    • 電機系は日立、東芝、松下(現:パナソニック)、日本電気(NEC)、パイオニア、ソニー
    • 食品系はロッテ、大洋、ヤクルト、日清食品、北洋、カルビー
    • 自動車系はトヨタ、ホンダ、ヤマハ、スバル、日産、ダイハツ
    • 流通系はアイワイ、そごう、ダイエー、三越、伊勢丹、大丸
    • ゲーム系は任天堂、セガ、ナムコ、コナミ
    • 他にもソフトバンクやファーストリテイリングなども新・新興財閥に名を連ねている。
  5. 韓国や台湾、香港やシンガポールの財閥や大手企業の日本進出も昭和中期までに早まった。
    • ロッテの日本での経営規模も韓国と同一規模か場合によってはそれ以上になっていた。
      • 東京駅や新宿、銀座にロッテホテルやロッテ百貨店が進出していた。
      • 東京・江東区にはロッテワールドも開業
        • 新宿にも開業したただろう
    • 現代の日本における経営規模もかなり大きかっただろう
    • LGやサムスンの日本進出も高度経済成長期には行われていた。
      • LGの日本進出は高度経済成長期で、CM等のイメージキャラクターには石原裕次郎が起用された。
        • 「金星」ブランドはLGに改名した後もしばらく続いた。
      • サムスンは「三星(さんせい)」として80年代に日本進出。史実よりはるかに評判が良い。
    • 鴻海はシャープや東芝を買収するのではなく、自前で日本へ進出した。
      • 鴻海は日本進出の直後から台湾に地理的に近い九州や沖縄に工場を建てまくっては地元住民を大量に雇用しては育てている。
    • ジャーディン・マセソン(怡和洋行)も昭和中期に日本に進出し、日本での経営規模を拡大させ、日本での知名度も史実より遥かに高かった。
    • ファーイースト・オーガニゼーションも早期に日本に進出し、日本法人を設立させ成長させていた。
  6. 逆に欧米の企業の日本進出は冷戦時代はアメリカとイギリスを除いて皆無だった。
    • むしろ、アメリカ系企業とイギリス系企業の日本進出は史実より多かったと思われる。
      • コストコの日本進出は史実よりも早く、事業展開も史実以上になっていた。
      • ウォルマートは西友を買収するのではなく、自前で日本に進出していた。
      • テスコも高度経済成長中盤に進出していた。
      • ハズブロは70年代に日本進出。
        • 史実における「変身サイボーグ」のようなウルトラマンや仮面ライダーに着せ替えができるG.I.ジョーが販売されていた。
          • 新日本軍、韓国軍、中華民国軍兵士のモデルも販売されていたのは間違いない。
        • トランスフォーマーがタカラとの合同事業になっていたのは史実と同様。
        • マイリトルポニーは史実より大きな展開になっていた。
          • G1のアニメも吹替版が放映された。史実より人気が深く浸透している為、G4のアニメが途中打ち切りなど到底ありえない。
    • 史実で日本に進出しているドイツや北欧諸国、ベネルクス三国、フランスの企業の一部は今も日本を始めとする東アジアに進出していない。
  7. 日本の企業の海外進出も韓国や台湾、香港やシンガポール、アメリカやイギリスは史実より早く同時に史実以上に盛んに進出したが、他は史実より進出するのが遅れたうえに進んでいない。
    • 鉄道に関して言えば、韓国や台湾に(後にアメリカ・イギリスにも)上述の大手私鉄が資本を有する鉄道会社が誕生しており、現地の公営鉄道事業者と熾烈な競争を繰り広げていた。
      • その後タイやマレーシア、インドネシア、ベトナム、フィリピンにも進出していた。
  8. 政官財の癒着は現在よりもべったり。
    • ロッキード事件や東京佐川急便事件などは起こっても問題視されなかったか、場合によってはJCIAの手でもみ消されていた。
  9. 史実のバブル期以降の新自由主義政策が行われないので、オリックスやパソナ、電通は史実ほど成長できなかった。
    • オリックスは宮内義彦の政治思想が原因で一部事業の事業許可が下りず、経営拡大に難が生じたことだろう。
      • 本業のリース業では史実より長く殿様商売ができた。
      • オリックスの経営の多角化は史実より遅れるのは必至。
      • 民主化の数年後の21世紀初頭まで社名はオリエント・リースのまま。
    • ライブドアの成長も史実より遅れ、堀江貴文の知名度が上がるのも史実より遅れた。
      • その代わり、証券取引法違反で逮捕され実刑判決を受け服役したりせずに済んだ。
    • パソナが史実のように台頭することがないので、人材派遣という概念自体が一般化しなかった。
      • 労働者派遣法の制定自体が民主化以降の2000年代に入ってから。
  10. 西武企業グループが西武鉄道グループ(西武グループ)と西武流通グループ(セゾングループ)に分裂することもなかった。
    • 西武企業グループは西武鉄道グループ(西武グループ)から西武流通グループ(セゾングループ)が分裂することなく、2018年現在にまで至る。
      • 西武グループの経営拡大は史実より相当進んでいる。
        • 西武鉄道は首都圏の全域をほぼ網羅。
          • 甲信越や東海にも進出し鉄道を経営
          • 中京圏や近畿圏にも進出し、既存の在名・在阪の大手私鉄に挑むことに
          • さらに北陸の一部地域や中国地方、九州、東北にも進出
          • これらの地域でも広大なネットワークを構築する。
          • 法規制の関係上で限定的にはなったが、北海道、沖縄、パラオにも進出した。
          • さらに西武鉄道は韓国や台湾を皮切りに海外にも進出。それを経て香港やシンガポールにも進出。
            • 韓国では主にソウル首都圏や江原道、大田大都市圏、大邱大都市圏や釜山大都市圏に進出
            • 台湾では台北大都市圏を中心に台中大都市圏、台南・高雄大都市圏など西海岸を中心に進出する。
            • さらに年数を経て昭和後期までにはタイやマレーシアにも西武鉄道は進出した。
        • プリンスホテルは史実より遥かに経営拡大を進め、気が付けばアジアの業界最大手にまで成長した。
          • 東京と横浜では史実以上にホテルを展開
          • 附属するレジャー施設も史実より充実している例が多い
          • 東京駅や横浜駅にプリンスホテルが進出。これらが「東京プリンスホテル」「横浜プリンスホテル」を名乗る
            • 史実の東京プリンスホテルは「新東京プリンスホテル」を名乗る
            • 史実の横浜プリンスホテルは「横浜磯子プリンスホテル」だろう
            • 新横浜プリンスホテルは昭和後期に開業が早まる
          • 甲信越でも史実以上に経営拡大を進めた
            • 苗場スキー場の開業は史実と同じだが、以降に何度か拡張が行われる
          • 伊豆や箱根での経営拡大も圧倒的に史実以上に進む
          • 東北や北海道でのホテルやレジャー施設の経営拡大も史実より圧倒的に進む
          • 名古屋や京阪神でのプリンスホテルの経営拡大は史実よりも相当進む
            • 名古屋プリンスホテルの開業も昭和中期に早まる
              • 名古屋城界隈、栄、千種、金山総合駅にもプリンスホテルが開業した
              • 名古屋プリンスホテルは名古屋駅に進出
              • 笹島の史実の名古屋プリンスホテルは別館扱い
                • 国鉄の貨物駅移転の早期化で史実より開業が早まる。21世紀以降にザ・プリンス名古屋スカイタワーになる。
            • 京都や滋賀へのプリンスホテルの進出も史実より早まる上により積極的に
              • 京都駅には間違いなく進出していた
              • 京都宝ヶ池プリンスホテルの開業も史実より早まった
              • 彦根プリンスホテルも大津プリンスホテルも史実より開業が早まる。
                • 大津プリンスホテルは1970年代中盤に開業。
                • 彦根プリンスホテルは売却されずに現在も存在
                • 大津プリンスホテルはびわ湖大津プリンスホテルに改名していない
              • 比叡山や嵯峨野にもプリンスホテルが開業
              • 宇治、舞鶴や宮津や伊根にも開業しただろう
            • 大阪駅に大阪プリンスホテルが開業していた
              • 難波駅や天王寺駅、京橋駅や大阪城公園界隈にもプリンスホテルは開業
              • 大阪駅のプリンスホテルは「大阪プリンスホテル」に
                • 史実より早く高度成長期に手狭となり他所へ移転した梅田貨物駅の跡地に開業した。
                • 拡張も複数回実施されている
            • 新神戸駅、神戸駅、姫路駅にもプリンスホテルは進出した
              • 有馬温泉や城崎温泉にも進出
            • 高槻、樟葉、新千里、川西池田、つかしん西武、西宮、芦屋にもプリンスホテルは進出していた
            • 奈良や紀伊半島にも一部地域にプリンスホテルが進出し成功させていた
              • 奈良や橿原、白浜が有力
        • 西武バスも西武鉄道の路線網拡大が史実より進むため、それに併せて路線網を史実より拡大させていった。
          • 西武バスの路線バスは首都圏全域をほぼ網羅
          • 甲信越や北陸、東海地区も網羅
            • これらの地域の一部では分社化は必至だろう
          • 中京圏と近畿圏もほぼ網羅
            • 北近畿地区や南紀地区は分社化
        • 伊豆箱根鉄道グループの経営拡大も史実より進む
          • 伊豆箱根鉄道は駿豆線と大雄山線以外にも幾つか路線を開業させた
          • 駿豆線と大雄山線以外の路線は戦後の開発独裁の洗礼を受け開業
            • 伊東~下田の路線がその代表格
            • 沼津~三津の路線も
          • 伊豆箱根バスの経営路線網拡大も史実より進む
          • 伊豆下田バスの解散もなかった
          • 伊豆箱根タクシーも史実より経営拡大
          • 西伊豆航路も廃止されず現在も存在
          • ホテル事業からの撤退もなかった
        • 近江鉄道の経営拡大も史実より進んだ
          • 西武鉄道の近畿圏進出で西武線との相互直通運転も実施されている
        • 西武商事の発足が史実より早まるかも、また西武不動産の発足も史実より早い
          • どちらも堤康次郎の存命中に発足したかも
          • 西武商事と西武不動産の合併による西武プロパティーズの発足はなかった
          • 西武商事と西武不動産は今でも互いに合併せずに別々
          • バブル景気がないので西武不動産販売の発足はなかった
        • 国土計画がグループの持株会社で非上場なのは変わらず
          • デベロッパー事業も担当するが地方中心であり、都市部のデベロッパー事業は国土計画とは別のグループの子会社が担当した。
            • 西武鉄道とプリンスホテルの合資による子会社が西武グループにおいて大都市圏のデベロッパー事業を担当
            • 名称は西武都市計画かと
          • 国土計画のコクドへの改組は史実と同時期か史実より少し遅れる
          • コクドの本社が原宿駅前にあるのは史実と変わらず
          • コクドは20世紀末以降に堤義明総帥によって西武ホールディングスが設立。発展的解消という形で解散
            • デベロッパー部門は西武都市計画(先述)に統合
              • 統合により西武開発計画に改組
    • 西武企業グループは西武航空を旗揚げし航空事業へも参入した。グループ名はSALグループ
      • 西武航空の通称である「SAL」が由来
      • 西武グループ本体とは独立採算性
    • セゾングループ(旧称:西武流通グループ→西武セゾングループ)の経営拡大も史実より進み同時に有意義なものになった。
      • 鉄道グループとの分裂もなければグループの解体もないまま現在に至る。
        • こちらもやはり西武本体とは独立採算性だろう。
          • グループ本体とセゾンは史実におけるセゾン本体とパルコのような関係
            • 航空にも同じことがそっくりそのまま言える
      • 西武百貨店の経営拡大は史実より進んだ
        • 二流百貨店から脱皮し一流百貨店へと成長するのは史実より早まる
        • バブル景気がないので世紀末以降の経営縮小もなかった
          • そごうとの経営統合もなければ、セブン&アイの傘下にも当然入らず
          • 現在もセゾン傘下のまま
        • 池袋本店の拡張は史実より多く実施
          • 西武百貨店の池袋本店はアジアの百貨店で売り上げがトップクラスの1店舗
          • 併設の西武美術館は現在も存在
          • テナントのリブロ池袋本店の閉店も回避できた
        • 渋谷店の開業も史実より早まった
        • 1964年の東京オリンピック開幕前までに東京駅にも旗艦店を開店させている。
        • 上野駅や品川駅にも出店していた
        • 新宿駅にも出店している
        • 八王子店は駅前に移転したうえで存続している
        • 横浜駅にも旗艦店を開店
        • 安定成長期までに新横浜やあざみ野にも出店している
        • 川崎店開店は史実より約15年早かった
          • 閉店することもなかっただろう
        • 東戸塚への出店も変わらず
        • 横須賀にも出店していた
          • 大船か藤沢のどちらかにも出店してただろう
        • 相模原の橋本にも出店
        • 埼玉県には史実以上に出店
          • 大宮駅への出店は史実と変わらず。そごうとの経営統合がないので閉店されなかった。
          • 所沢への出店は史実より約15年早い
          • 本川越駅にも出店していただろう
          • 春日部への出店はロビンソン百貨店の業態転換ではなく自前での出店を行っていた
        • 相模・伊豆・駿東地域にも史実以上に出店していた
          • 小田原駅には確実に出店していた
            • 小田原駅ビルに入居する商業施設は西武百貨店だった
            • ロビンソン百貨店小田原店からの業態転換などあり得ない
          • 沼津への出店は史実と変わらず
            • 閉店することもなかった
          • 三島にも出店していたかも知れない
        • 名古屋駅にも旗艦店を出店していた
          • 名古屋駅への西武線延伸の直後に出店
          • 中京で初の店舗になった
        • 名古屋駅以外にも中京圏では複数箇所に出店していた
          • 岡崎への出店は史実より早まる
          • 高蔵寺ニュータウンにも確実に出店
          • 小牧や一宮にも出店しただろう
          • 岐阜駅には確実に出店していた
        • 京都駅にも旗艦店を出店
          • 京都駅への西武線延伸に伴うもの
        • 大阪駅にも旗艦店を出店
          • 西武線の大阪駅延伸の直後
          • 関西で初の店舗である
        • 大阪・京橋駅への出店は予定通り行われていた
        • 難波と天王寺にも出店していただろう
        • 神戸駅への出店は史実より早く閉店もなかった
          • 神戸駅への西武線延伸の直後と思われる
        • その他、京阪神への出店は史実よりも遥かに進んだ
          • 高槻への出店は史実と変わらず行われていた
            • 開店前の火災は回避できたかも
            • 1980年代に複数回拡張が実施されていた
            • 閉鎖され阪急へ譲渡されるなどあり得ない
          • 川西池田にも出店していた
          • 甲子園口か西宮にもどちらかには確実に出店していた
          • 芦屋にも出店
          • 大津への出店は史実と変わらず
            • 史実より1~2年早まるかも
            • 史実と同じくにおの浜に出店していた
          • 彦根にも確実に出店していた
          • 更に年代が進めば草津にも出店していただろう
      • 西友の経営拡大も史実以上に進んだ
        • 当初は「西武ストア」を名乗るのは変わらず
          • その後「西友ストア」を経て「西友」に
            • 「西興ストア」を名乗ることはなかった
        • 二流スーパーマーケットチェーンから脱皮し一流スーパーマーケットチェーンへ成長するのは史実より早まる
        • バブル景気がないので世紀末以降の経営縮小もなかった
        • ウォルマートに買収されることもなかった
        • 現在もセゾン傘下のまま
    • 西武の経営体制や堤家は以下のようになった
      • 堤康次郎は政治家としても史実より大成したほか、史実以上に事業を成功させた
        • 企業の経営は生前に息子に譲って下野し、政治家に専念しただろう
          • 会社を継ぐのは次男の堤清二と三男の堤義明なのは変わらず
        • 堤康次郎が死去するのは史実と同時期か史実よりやや遅い時期
          • 堤康次郎の死後に資産を息子の堤清二と堤義明が継承するのは史実と変わらず
        • 堤康次郎の死後に西武企業グループは鉄道グループと流通グループに分裂せず
        • 堤義明のメディア露出は史実よりかなり増える
        • 堤清二の創作家としての活動は史実よりかなり多角的になるが、同時に史実よりかなり副業的に
          • 音楽家や俳優などタレント的活動も行っていた
        • 堤義明は証券取引法違反をせずに済んだ
          • 有罪判決を受けることもなければ経営から下野することもないまま現在に至る
            • 堤義明は現在も総資産額で世界上位10位圏内に入っている
  11. アイワイグループ(セブン&アイ・ホールディングス)の台頭は史実と変わらないか、或いは史実以上のものになっていた。
    • セブン-イレブン・ジャパンを旗揚げして、日本でセブン-イレブンを展開するのもアイワイグループだろう。
      • 韓国でのセブン-イレブンの展開はロッテに任せることなく自前で行っていた。
      • 史実の台湾でセブン-イレブンを展開する統一企業を買収している。そのため、台湾でのセブン-イレブンも自前で展開するようになっている。
      • 開発独裁政権後期の米国法人の買収はおそらく変わらず。
        • 但し、アイワイグループにおいて、基幹となる事業は史実より後年までイトーヨーカドーで、セブン-イレブンが主力となるのは史実より遅れる。
    • アイワイグループからセブン&アイ・ホールディングスに改組するのは史実より遅い。
    • ロビンソン百貨店は現在も存在
      • 西武百貨店が西武鉄道と同一グループのままなのでセブン&アイの傘下に入ることもなかった。
        • ロフトの経営権掌握もなく、アイワイグループは自前で雑貨店を旗揚げしては展開した。
      • 当然、そごうも独立を保ち、バブルがないので経営破綻せず、セブン&アイの傘下には入らない。
  12. そごうが闇雲で無計画な経営拡大に走ることもなかったうえ、バブル景気もないので、経営破綻することはおそらくなかった。
    • そごう心斎橋本店は閉店することなく現在も存在
    • 西武百貨店との経営統合も行われず
    • そごうの経営縮小も回避できた
      • そもそも経営拡大も史実ほどは大規模でない
  13. ダイエーも、バブル景気がないので、平成以降に経営が傾き、最終的にはグループが経営破綻することもなかった。
    • 産業再生機構に入ることもイオンに買収されることもなく、2018年現在もダイエーグループは普通に存在。
      • ダイエーの屋号が消えるなんてあり得ない
      • ローソンは今もダイエーの子会社
      • バブル景気がない以上は球界参入もなかった。
    • プランタンなどのダイエー系列の百貨店の経営拡大は史実より進むことに
      • プランタンなんばは予定通り、地下食品売場が設けられ、世紀末に閉店してビックカメラに譲渡されることもなく、現在も営業を継続している。
  14. 竹下登の首相就任がないため、リクルート事件も起きず、リクルートがダイエーの傘下に入ることもなかった。
    • リクルートは創業から現在まで一貫して他社グループの傘下に入らず、独立を維持し続けている。
  15. バブル景気とその後の失われた20年がないので、山一證券やカネボウ、北海道拓殖銀行が破綻することはなく現在も存続していた。
    • 拓銀の破綻がないのでハドソンの経営破綻→コナミへの吸収合併もなかった。
  16. 近鉄グループの経営拡大も史実より圧倒的に進んだ。またバブル景気がないため、実質倒産的事態も回避できた。
    • 近鉄の世紀末以降の経営縮小はなくむしろ今も経営を拡大し続けている。
    • 近鉄グループの経営拡大は史実より早く同時に大規模に。
      • 近畿日本鉄道のネットワークは史実より更に相当拡大している。
        • 中京圏のネットワークも近畿圏なみに
        • 近畿圏でも近江地域、北大阪、阪神地域、北神地域にも進出
          • 阪急や西武と大きな摩擦を起こす
            • そこに東急が殴り込みデッドヒートは更に加熱
        • 首都圏進出も果たしていた
          • 首都圏のネットワークの規模も近畿圏と同一規模
        • 韓国や台湾にも進出している
  17. 東急グループから、東亜国内航空と東映が離脱することのないまま、現在にまで至る。また、東急グループの経営拡大も史実より進む。
    • 中核の東急電鉄グループは以下の通りに
      • 東京急行電鉄のネットワークも史実より相当拡大
        • 首都圏の全域をほぼ網羅
          • 更に甲信越や北陸、中京圏や近畿圏にも進出
            • 中国地方や九州にも進出した
          • 東北や北海道にも東京急行電鉄は進出
          • 韓国や台湾にも進出した
            • 韓国と台湾でネットワークを拡大し成功させたのち、香港やシンガポールにも進出
            • 韓国では主にソウル首都圏や江原道、湖西圏(忠清北道と慶尚南道)、台湾では主に台湾西海岸に進出しただろう
              • 韓国の嶺南圏(慶尚北道と慶尚南道)にも進出
              • 更にタイやマレーシアにも進出した
          • 当然、西武鉄道との対立が鮮明に
          • 東武鉄道とも協調から対立の姿勢へと転換
      • 東急バスのネットワーク拡大も史実より相当進んだ
        • 東急線のネットワークが首都圏のほぼ全域に及ぶので東急バスのネットワークも首都圏のほぼ全域に及ぶ
        • 東急線の甲信越と東海地域への進出で東急バスも甲信越と東海地域に進出
        • 東急線のネットワークが中京圏と近畿圏でも拡大するので東急バスも中京圏と近畿圏でのネットワークを拡大させた
          • 東急線が中国地方と九州にも進出するのでこれらの地域にも進出
        • 東北や北海道にも東急線が進出することでこれらの地域にも進出
        • 韓国や台湾にも東急線が進出することでこの両国にも東急バスは進出
    • 東亜国内航空は東急グループを離脱しないまま現在に至る
      • 東亜国際航空を旗揚げして国際線の航行も開始
      • 東亜国内航空と東亜国際航空は合併し東亜航空となり現在に至る
        • 日本航空への合併もあるはずがない
      • 日本エアコミューターは史実とは別の名前になっていた
    • 東映も東急グループから離脱しないまま現在に至る
      • 戦後に東映が急成長を遂げるのは史実と変わらず
      • 第二東映の発足も史実と同時期
    • 東急の経営体制と五島家は以下の通りに
      • 五島慶太は晩年に政界に復帰
      • 五島慶太の死後は息子の五島昇が経営権を継承
        • 大川博は早晩東映から排除され岡田茂の東映の経営権掌握が早まった
        • 横井英樹も五島昇を支える東急グループのブレーンとなった
          • ホテルニュージャパン火災は起きなかった
            • 横井英樹の晩年が史実のように暗いものにはならなかっただろう
      • 五島昇の死後は五島哲への権力継承がスムーズになされた
        • 五島哲の急死はなかったかも知れない
          • 上條清文の総帥就任が史実より遅れていた
          • 野本弘文の総帥就任は史実と同時期
        • むしろ五島昇は生前に経営から下野していた
          • 岡田茂が五島昇の後継者となった
          • 岡田茂が下野したのちに五島哲が総帥となるが比較的短期間で終わる
            • 五島哲の後継者は横田二郎
              • この場合も五島哲の急逝はなかったかも
              • 横田二郎も史実より長寿だった
            • 清水仁の総帥就任はなかった
          • 横田二郎の後継者が上條清文に
          • 上條清文の後継者が越村敏昭なのは変わらず
          • 岡田茂が逝去した時のメディアの扱いは史実より大きかった
          • 越村敏昭の後継者が野本弘文なのも史実と同じ
            • 2019年現在は野本弘文が東急グループの総帥
            • 野本弘文の総資産額は世界でも上位25位圏内に入る
  18. 阪急東宝グループの経営拡大も史実より進んだ。こちらも近鉄と同じく、バブル景気がないため、実質倒産的事態も回避できた。
    • 阪急の世紀末以降の経営縮小はなくむしろ今も経営を拡大し続けている。
    • 阪急東宝グループの経営拡大は史実より早く同時に大規模に。
      • 阪急電鉄グループは以下の通りに
        • 阪急電鉄の経営規模は史実より相当拡大している。
          • 近畿圏では京阪神地域を史実以上に網羅している。
            • 北近畿や紀伊半島にも進出
          • 大阪空港へのアクセス路線も高度経済成長以前に開業している。
          • 有馬延伸構想も小林一三の死後に再燃し実現
          • 京都本線の名古屋延伸で中京圏に進出、また東宝の縁で首都圏にも進出し鉄道を経営。
          • 首都圏と中京圏のネットワークも近畿圏と同一規模に
          • 必然的に甲信越地域や北陸地域、東海地域にも進出
          • 山陽地域や九州にも進出する
          • 更には韓国や台湾にも進出し鉄道を経営
          • 安定成長期以降には香港やシンガポール、タイやマレーシアにも進出してただろう。
        • 阪急バスの経営拡大も阪急線の路線網拡大で史実より進む
        • 阪急ホテルズの経営拡大も史実より相当進む
          • 大阪駅(梅田)ホテル阪急大阪が昭和20年代中に開業
          • 大阪・梅田に大阪新阪急ホテルが開業するのは史実より数年早いか史実と同時期
          • 宝塚ホテルと六甲山ホテルの定評は史実以上に
          • 神戸・三宮にホテル阪急神戸が開業
          • 神戸駅に神戸新阪急ホテルが開業
            • 1970年代には開業
          • 京都の四条烏丸か四条河原町にホテル阪急京都が開業
          • 京都駅の京都新阪急ホテルは1970年代に開業
          • 名古屋駅への阪急線延伸で名古屋駅にも阪急系のホテルができていた
            • 名古屋駅にはホテル阪急名古屋と名古屋新阪急ホテルができていた
          • 1973年頃に阪急線の西宮北口駅に阪急西宮ビルが竣工しそこにホテル阪急西宮が進出していた
          • 首都圏でも阪急電鉄のネットワークが拡大することで、首都圏においても阪急ホテルズの経営拡大が史実より圧倒的に進んだ
            • 東京駅や新宿駅や横浜駅にも阪急系の大規模ホテルが開業している
      • 阪急百貨店グループは以下の通りに。確実に阪急流通グループに改組している。
        • 阪急百貨店の経営拡大は史実より相当進む。
          • 阪急うめだ本店の拡張は戦後複数回実施されている。
          • 数寄屋橋阪急の開店は史実より早まるかも。
            • 閉店もなかっただろう
          • 阪急百貨店は東京駅、新宿駅、名古屋駅にも出店していた。
            • 同駅に阪急電鉄が延伸されるため
          • 三宮阪急は戦後拡張されていた
            • 震災で損傷を受けて解体されるのは不可避だが早期に復旧され現在に至る
          • 神戸ハーバーランドの神戸阪急の閉店も回避できた
          • 四条河原町への出店も史実より早く、閉店して撤退することもなかった。
          • 池田への出店は実現していた
          • 川西と宝塚への出店は変わらず
          • 西宮阪急は1973年頃に阪急西宮ビルの竣工時にこのビルに入居する形で行われた。
          • 高槻への出店も阪急線の高槻駅に併設する形で実施
            • 高槻市駅は大都市制度再編で高槻駅に改称
          • 大都市制度の再編で茨木市駅から改称された茨木駅にも確実に出店していた
          • 千里中央への千里阪急出店は変わらず
          • 箕面駅に箕面阪急が出店していた
  19. 日産コンツェルンは戦後財閥解体によって解体されるも、帝国復古以降の経済政策で、傘下の企業は再合流し、日産コンツェルンは復活していた。
    • 日産自動車が日産コンツェルンの中核企業なのは変わらず。
      • ルノーとの経営統合はなかったか史実より遅れた。
        • カルロス・ゴーンが日産自動車の会長に就任することはおそらくなかった。
          • カルロス・ゴーンが証券取引法違反で逮捕・起訴されるのも回避できた。
        • 三菱自動車との提携もあり得ない
          • そもそも三菱自動車は三菱財閥の復活により現在も三菱傘下のまま。
    • 日本鉱業が共同石油を買収することはなかった
      • (日本石油)→新日本石油との合併もあるはずがなく、JXTGグループも発足しない。
    • 日産化学は日産コンツェルン傘下であること以外は史実とほぼ変わらず
      • 経営拡大は史実より進んでおり、傘下の子会社は史実よりも多い
    • 日産生命保険と日産火災海上保険は現在も存在
      • 損保ジャパンの誕生はなく、日本興亜損害保険との経営統合もなかった
        • SOMPOホールディングスは誕生していない

海外の動向[編集]

  1. 日本の国際連合への加盟は史実よりやや遅れる。
    • 日本が国連の非常任理事国として参加する回数は少なくとも10回以上あり、アメリカやイギリスを中心に常任理事国入りさせる動きもあるが、ソ連や中国、フランスは難色を示していた。
      • ソ連崩壊後、ロシアはある程度態度を軟化させるが、中国やフランスの否定的態度は変わらない。
  2. 中華民国の国連脱退は史実よりも遅れるか、もしくは日米英韓などの慰留により回避されていた。
    • 中華人民共和国と中華民国双方を国家として承認することが現実ほどタブー視されなかった。
    • 台湾の台湾独立派の主張にも何らかの影響が及んでいた。
  3. 日本がリーダーシップを取る形で、アジアの反共主義国家による軍事同盟である大東亜条約機構が成立していた。
    • 大東亜条約機構は当初東アジアと東南アジア主体で構成されていたが、その後南アジアや中東の国々も参加していた。
    • 日本は当初「西太平洋条約機構」という名前を付ける予定だったが、韓国の朴正煕大統領の強い懇願で大東亜条約機構という名前になった。
    • 大東亜条約機構にはその後アメリカやイギリスもオブザーバー参加しているが、中東諸国はそれに否定的な態度を取っていた。
      • 現在は世界最大級の軍事同盟になっている。会議言語はおそらく英語。
      • おそらく名称は「大東亜共栄条約機構」
  4. また、日米・米豪同盟から発展する形で、環太平洋諸国による軍事同盟も成立していた。
    • 名前は「太平洋安保条約機構」になっている。
      • 「環太平洋条約機構」かも
  5. 日本がNATOにオブザーバー国として参加するのが史実より大幅に早まっていたが、それでもフランスや西独の反発は避けられなかった。
  6. 米国においては史実よりも共和党が強くなっていた。
    • パパブッシュ政権が1996年まで続いた代わりに、クリントン政権は1997~2000年の1期4年に留まっていた。
    • フランクリン・ルーズベルトやトルーマンの評価は史実よりも下がっていた。逆にアイゼンハワーの評価は史実より上がっていた。
  7. 日英同盟は帝国復古後に再締結され、現在も時代に即した更新を続ける形で締結され続けている。
    • 日本の対欧州戦略は史実以上に英国偏重になる。
      • 結果として日本で「欧米」という言葉があまり用いられなくなり、「英米」と「大陸欧州」という二項対立が国民の間で広く認識されるようになっている。
      • 日本において、英国流の保守思想は史実以上に学界・政界で広く受け入れられている。
      • また、英国文化やそれと関連の深い香港の文化も史実以上に流行していた。
    • 一方で、英国では帝国復古後から今に至るまで、保守党支持者は親日家が多く、労働党支持者には反日・反アジアの傾向が多い。
      • それでも英国国民の多くは日本の皇室に対して相応の敬意を払っており、日本はアジアを代表する同盟国として英国人に一目置かれる国になっていた。
      • 英国における日本文化の人気は昔も今も史実以上。
    • イギリスのEU離脱は史実よりもっと早かった。
      • もしくは、そもそもEUに加盟しないまま今に至っている。
  8. ドイツや北欧、中国では日本が民主化する少し前まで日本文化が規制されていた。
    • 日本の民政復古後、中国は積極的に日本文化を受け入れるようになっており、漫画やアニメ、ゲームの売れ行きも好調である。
    • 一方でドイツや北欧では今も日本文化に対して否定的な態度を取る人が多い。
      • 現在でも日本や韓国、台湾などで放送されているアニメ作品などの一部は、大陸欧州の一部の国で放送および関連商品の発売の禁止措置がとられている。
    • さすがに民主国家である旧西ドイツや北欧諸国では規制されることはないと思われる。しかし「不人気だった」程度ならあるかも。
    • ドイツや北欧諸国だけでなく、ベネルクス三国でも同様に日本文化(および韓国や台湾の文化)は不人気だったか、規制されていた。
  9. 日本の外交が国連中心主義になることも無かった。
    • 「価値観外交」や「自由と繁栄の弧」という言葉はもっと古くから一般的なものになっていた。
    • それどころか2017年頃からは日本および(統一)韓国・中華民国・アメリカ・イギリス・タイで国連脱退を主張する声が上がるように。
  10. ポリティカル・コレクトネス(PC)が史実ほどアメリカを始めとする英語圏を席巻することもなかった。
    • 英語圏の国ではむしろ日本に範を取った、行き過ぎた人権を見直す動きが保守派の間に広まっている。
    • 一方で、大陸欧州諸国は史実以上に人権やPCを重視する流れが加速していた。
  11. となるとこの場合は英語圏諸国+日韓台vs大陸欧州諸国+中国で第二次冷戦?
    • ロシアは表向きは双方に与さず中立の姿勢を保つだろうが、裏では英米圏および日韓台などアジアの反共勢力と親和的になる。
  12. 日露関係はソ連崩壊後、それまでの敵対関係から徐々に雪解けへと向かうようになった。
    • 日露米の3ヶ国による経済協力関係を強化する動きもある。
    • ただし北方領土問題は史実ほど穏健に進展せず、民主化後も小規模な軍事衝突が1回は起きていた。
  13. アムネスティなどの海外の人権団体は日本や韓国・台湾・シンガポールに対して史実より更に辛辣になっていた。
    • しかし日本をはじめとする上記の国々はアムネスティなどが中国などの人権侵害に黙りを決め込んでいることを痛烈に批判し続けている。
    • そして米国や英国の保守派もその流れに同調するようになる。
  14. 韓国の政治情勢も史実と多かれ少なかれ違ってきた。
    • 李承晩政権の失速が史実より早まった
      • 李承晩は日本に対して史実以上に辛辣な姿勢を取った
      • 李承晩の評価は韓国国内においても史実より更に低い
        • 日本と北朝鮮における評価も史実より更に低い
    • 第2共和国の発足は史実と変わらず
      • 第2共和国が序盤から迷走するのは不可避
        • 朴正煕将校によるクーデターで短命に終わる
    • 朴正煕による軍事クーデターでの第3共和国発足は史実と同じ
      • 時期的にも変わらず
      • 日本との国交正常化は史実より3年ほど早まる。
      • 朴正煕政権は史実以上の偉業を成し遂げた
        • 韓国国内における朴正煕の評価は史実以上
          • 日本においても朴正煕の知名度と評価は史実を遥かに上回る
          • 短期間での記録的な経済成長は史実以上
            • 「漢江の奇跡」と呼ばれるのは変わらず
              • この漢江の奇跡は史実より更にめざましいものになっていた
      • 維新憲法発布による第4共和国成立も史実と同時期
        • 従来より独裁色が増しているのも変わらず
        • 陸英修夫人が史実通り文世光に暗殺された場合は日韓関係が冷え込むのは不可避
          • 日本の田中角栄首相が文世光の親族を粛清したり、朴正煕大統領の一声などで危機は乗り切った
        • 釜馬民主抗争はなかったかも
          • 金泳三が新民党を除名されないなら尚更
      • 朴正煕がKCIAの金載圭の銃弾に倒れ任期半ばで死去することも回避できた
        • 金載圭は朴正煕の暗殺を企てた容疑で逮捕されて死刑判決を受けた
        • 崔圭夏の大統領就任もなかった
    • 金大中拉致事件が起きたのは日本国外だった
      • もしかしたら史実と大きく違い日韓合同で拉致が行われていたかもしれない。
    • 朴正煕は1983年頃に金鍾泌に大統領職を禅譲して政権から下野していた
      • 朴正煕政権が1980年以降迷走するのは不可避
      • 金鍾泌政権は発足当初より政権基盤が不安定だった
    • 1985年頃に全斗煥が粛軍クーデターを起こして政権を掌握し金鍾泌政権は崩壊
      • 全斗煥が光州事件を起こすことはなかった

マスコミ[編集]

  1. NHKは国営放送になる。
    • 反日だと言われる事はない。
      • 反日どころか日本政府のプロパガンダ的存在になってしまう。
    • 主要なニュース番組では最初のニュースでは必ず天皇か首相の動向が伝えられる。
      • 鈴木善幸、中曽根康弘、海部俊樹の歴代政権の時期は同時期の韓国の全斗煥政権のようなテンジョンニュースのような過剰な首相礼賛報道が連日連夜実施された。
    • 英語名は「Japan National Broadcast」。これに因んで通称は「JBC」か「JNB」のどちらかになる。
    • 一方で、バラエティやアニメは英国BBCのような感じのキワドい内容の番組が史実より多かった。
    • テレビ放送開始は史実と同時期。
      • 総合テレビの三大都市圏での放送開始は史実と同時期。
        • 反共独裁政権期の総合テレビは天皇や首相を過剰に礼賛する報道を連日連夜繰り返す。
          • 総合テレビは東西冷戦中の欧米では「右翼版CCTV」と揶揄された。
      • 教育テレビの放送開始は史実より少しだけ遅れる。
      • 総合テレビと教育テレビ以外のチャンネルも国営放送は早期に開設した。
        • スポーツテレビとエンタメテレビ
      • スポーツテレビの開設は1964年の東京オリンピックに併せての可能性が高い。
        • プロ野球中継は必ず試合終了まで放送を続ける。
          • 一方で国鉄スワローズなどの国営公共企業が所有する球団の試合中継が主体となっただろう。
        • プロサッカーの試合中継も民放各社よりも早くから積極的に行っている。
        • 競馬中継の放送には史実よりもかなり積極的
      • エンタメテレビもスポーツテレビと同時期に開設
        • エンタメテレビでは総合テレビで流せないような、民放らしいバラエティやアニメも放送。
          • 読売や毎日ほど低俗ではないが、朝日や産経よりはやや低俗だったりもする。
        • ポピュラーミュージックを扱う音楽番組もエンタメテレビでは早期より放送され現在まで継続。
      • 更に年代が進めば、経済テレビや国際テレビも開設されたかも知れない。
  2. 日本テレビは文字通り全国展開。
    • 全国に系列局を最初に整備するのも当然読売系の日本テレビ。
      • 報道番組の名称とその変更の経緯が史実と異なる
        • ZIP!は今もズームイン!のまま
          • 平日はズームインSUPER!にすらならず未だにズームイン朝!かも知れない。
        • NEWS ZEROは未だにニュース今日の出来事のまま
        • NNN朝・昼のニュースは現在も放送を継続
          • 平日昼もヒルナンデス!はなくおもいッきりテレビのまま続いていた。
            • 初期のニュースメインの内容のままにしろ健康番組メインになるにしろ、おもいッきりイイ!!テレビへのリニューアルはなかった。
      • 平日のゴールデンタイムは読売ジャイアンツの地上波放送での試合中継を2018年現在も継続
      • 月曜日のザ・トップテンの放送開始は史実より早い
        • ザ・トップテン自体も2018年現在も放送を継続している。
      • 高橋圭三司会の番組の放送開始と終了が史実より少し遅れる。
      • 日テレ系のお笑い・バラエティー番組とその経緯も史実と異なる。
        • 何でもやりまショーの放送期間は史実より少し長い
        • 踊って歌って大合戦が史実のような不振に終わることはなく、史実よりも長く放送が継続された。
        • 底抜け脱線ゲームは、昭和40年代の鉄道事故の多発を受け「不謹慎」とのことから早期に打ち切りに。
        • 日曜日だョ!ドリフターズ!!は制作されなかった。
      • スター誕生!の放送開始は史実より早い
  3. 一方朝日新聞は消滅。毎日新聞は微妙。
    • 報道犯罪が史実より減れば朝日新聞は残るかもしれない。だが当然権力からの強い制裁を受ける。
    • 毎日は読売と対峙する大手全国紙として残りそう。
      • 読売が権力と資本家贔屓で毎日が市民贔屓という構図。
    • 産経と読売が二大全国紙と呼ばれる。
      • 産経新聞は中部支社を置いて中京圏に本格進出した。
  4. 中日新聞の全国展開が実現していた。
    • 東京新聞とその記者の著しい腐敗はなかった。
    • 大阪中日新聞が旗揚げされ、近畿圏でも中日新聞を購読することができるようになった。
  5. 毎日系のテレビ局のキー局は東京放送のテレビ部門ではなかったかも。
    • ライバルの読売を意識して自前のテレビ局を開設していたかも。
      • 名称は東京テレビ
        • 略称は「TTV」だな
        • 放送する番組は史実のTBSと同じ
          • 但し2011年頃以降の腐敗と捉えられかねない極端な左傾化はなかった。
            • サンデーモーニングも比較的正気を保ったままでいる。
            • NEWS23も筑紫哲也降板後の迷走と腐敗も回避。
              • そもそもNEWS23は制作されずJNNニュースデスクの放送が継続されている。
          • ザ・ベストテンの放送開始が史実より早まるかも
            • ザ・ベストテンは2018年現在も放送を継続
              • CDTVは存在せず
  6. 朝日と産経は三大都市圏と西京都市圏(下関+北九州)、福岡都市圏以外ではクロスオーナーシップ制を敷くことはなかった。
    • テレビ朝日発足に際して日本教育テレビ(NET)は分裂
      • 朝日新聞陣営と東映陣営に分裂しただろう
        • 朝日新聞陣営がテレビ朝日を発足させた。
          • テレビ朝日のキー局は大阪に置かれた。
            • テレビ朝日の大阪移転で朝日放送は発展的に解消
          • テレビ朝日の発足自体は史実より遅れると思われる。
            • 朝日新聞の反体制的な報道がその原因
        • 東映陣営のテレビ局は東京に残り独立局として再出発
          • テレビ朝日と違って右傾化していっただろう。
          • 当初は「東映放送」という関東ローカル局であったが、その後109ブロードキャスティングシステムという名前になり、衛星放送などにも進出している。
    • フジテレビ開局は史実とおそらく同じだが、その後の経緯は史実と違ってくる。
      • 関西テレビはフジテレビの系列局になることはなく独立局のまま現在に至る。
        • 関西には産経が自前で系列局を開局させている。
          • 中京圏も同じ
            • おそらく現実的考えて、中京圏は中京産経放送、関西は関西産経放送という名前だろう。
      • テレビ朝日発足の直後にフジテレビもテレビ産経に局名を変更していた可能性も高い。
        • この場合、オールナイトニッポンは「産経オールナイトラジオ」、オールナイトフジは「産経オールナイトテレビ」という番組名になっていた。
      • 関西テレビはその後関西東宝テレビに改称し、衛星放送で全国進出を果たしていた。
  7. 産経の系列テレビ局が史実のようなバラエティー路線に走ることはなく、平成以降も低俗さのない硬派な路線を維持したまま現在に至っていた。
    • つまりはこうなるのか。
      • 概ねそんな感じ。但し、日本の政治体制が戦後も自主憲法制定で独裁になるため、社会も史実の戦後より独裁的・封建主義的になるほか、価値観や教育観も欧米のものに侵食されずに東洋流が重んじられるため、このページとは多かれ少なかれ異なってくる。
        • 報道番組の出来栄えはピカ一で「報道ならば右は産経・左は朝日」と呼ばれるまでに。
        • 夜のヒットスタジオは現在も放送を継続している。
        • プロ野球ニュースも今も放送を継続。
        • 高島彩、加藤綾子、久慈暁子がアナウンサーとして入局することはなかった。
          • 永島優美の入局は史実と変わらないだろう。
          • 2018年現在のめざましテレビのキャスターで史実の久慈暁子のポストは海老原優香が務めていた。
        • 笑っていいとも!はおそらく史実と変わらず放送されるが、バラエティー番組としては読売系や毎日系と比べて堅苦しさが否めなくなっていた。
          • テレフォンショッキングの時間が史実より長く割り当てられていた。
          • タモリは2007年頃に司会を降板する形で番組を卒業
            • 代わりにいいとも自体は2018年現在も司会者を変えて放送を継続。
              • 後継の司会者は野々村真、坂上忍、中居正広のいずれかに。
  8. 朝日の系列テレビ局も史実と違い従来の硬派な路線を維持したまま現在までに至る。
    • 朝日系列のテレビ局のニュース・ドキュメンタリー系の番組は開局から一貫して民主主義に親和的であり続ける。
  9. 中日のテレビ局開設も史実より早く、全国への放送ネットワークの展開も行われる。
    • 史実のTOKYO MX
      • TOKYO MXの名称は史実と変わらず
    • キー局は名古屋に置かれる
      • 名称はNAGOYA CENTRAL MX
    • 大阪にも系列局が置かれ、OSAKA MXの名称になる。
    • 朝日と産経と同じく、三大都市圏と西京+九北(下関と北九州+福岡)都市圏以外ではクロスオーナー制を敷いていない。
  10. 朝日と中日がそれぞれキーステーションを大阪と名古屋に置くため、マスメディアにおける過剰な東京ジャイアニズムは存在しなかった。
    • 日テレ系の「秘密のケンミンSHOW」でも東京トミンの秘密が取り上げられていた。
  11. 産経では韓国と台湾で国政選挙や統一地方選挙があった場合は、日本語放送での開票速報を東京の本局から伝える。また朝日では北朝鮮の国政選挙と中国の国家主席選出投票と全人代の代表選出投票があった場合は、日本語放送での開票速報を本局から伝える。
    • 産経では韓国大統領の就任式と台湾総統の就任式がテレビで生中継される。
    • 朝日では中国国家主席の就任式がテレビで生中継される。

生活インフラ・郵便・電信電話・IT[編集]

  1. 電力供給とガス供給は帝国復古で全て国営化される。
    • 東京電力などの史実の電力会社や東京ガスなどの史実のガス会社は存在しない。
      • 参入の自由化は行われるも、国営の1強状態は史実の電力会社・ガス会社1強よりも更に顕著に。
    • 民主化以降も電力供給とガス供給は国営が主流
    • 参入の自由化は「官民共存」が前提。つまり、参入の自由化で、国営の電力供給事業とガス供給事業の民営化は行わないということに固定されることに。
    • ただし2018年現在は国営の電力・ガス事業が全体に占める割合は徐々に縮小傾向にある。それでも電気・ガスともに90%弱の割合を維持しているが。
    • 日本発送電が復活。
  2. 水道と下水道が公営なのは史実と変わらず
    • 民営化法案も提出されてないか、提出されていても既に廃案になっている。
    • コンセッション方式で民営化を求める動きがネオリベ政党を中心にあるが、それでも国民の支持は低い。
  3. 日本電信電話公社(電電公社)は民営化されず現在も存在
    • 民営化の法案もあったが近年のネオリベ経済の衰退で廃案に
      • 現在は自民党を離党してネオリベ政党を立ち上げた小泉純一郎や同党の小池百合子や渡辺喜美、吉村洋文などが提唱し続けている。
      • 略称がNTTなのに変わりはなかろう。
        • 携帯電話の普及でNTTドコモも普通に発足していた。
  4. 電信電話事業の参入自由化は案外史実より早かったかもしれない。
    • ただしこれこそが電電公社を民営化しない口実になった。即ち「官民共存」の固定化。
      • ソフトバンクが電信電話事業に参入するのは史実より早かった。
        • むしろソフトバンク初の電信電話事業は固定電話事業だった。
          • いずれにせよ、ソフトバンクは携帯電話事業にも参入し、現在はそちらが主な収益源となっている。
        • 初期のソフトバンクの主な顧客は西鉄など九州に本拠地を置く大企業が多かった。
    • 第二電電(DDI)の発足も史実より早まった。
      • 日本移動通信(IDO)は最初から発足せず、当初よりDDIの一事業だった。
    • KDDは電電公社のグループ企業だった。
      • よってDDIとの合併もなくKDDIは存在しない。
        • auもDDIの系列
          • 「au BY KDDI」ではなく「au BY DDI」のキャッチコピーに
    • 携帯電話大手がNTTドコモ、ソフトバンク、auの3強が長期間続いたのには多分変わりない。
      • 楽天が第4の事業者として参入するのも史実と同じ。
      • ボーダフォンの進出および撤退もおそらく史実と変わらないだろう。
    • 固定電話事業はDDIやソフトバンクなどの新電電系が参入するも電電公社の1強状態にほぼ変わりはないだろう。
      • それでも2018年現在においては電力・ガス事業と比べると電電公社のシェアは相対的に低く、75%くらいになっていた。
  5. 郵政三事業民営化も行われていない
    • 自民党を離党しネオリベ政党を立ち上げた小泉純一郎が一人だけで提唱し続けている。
      • 小泉純一郎の政界引退後は次男で後継者の小泉進次郎が継承して一人だけで提唱し続けていることだろう。
  6. 区画整理や道路の建設などの大規模な事業は強制立ち退きを行ってでも進行させる。
    • 東京外環自動車道は遅くとも1980年代末には全通していた。
  7. GAFA(Google, Apple, Facebook, Amazon)の台頭も史実ほどではなく、ソフトバンクなどの日系IT企業がそれらと互角に戦えている。
    • アリババやテンセントなど中国系IT企業の日本進出も史実ほど進んでいない。

鉄道[編集]

  1. 未だに国鉄が現役。
    • あるいは鉄道省が復活。
      • 帝国復古のときには既に国鉄(日本国有鉄道)が発足してるので、国有公社の国鉄と思われる。
        • 但し、当然21世紀の現在も未だに民営化はされておらず、国鉄は現存。
          • 民営化の法案は民主化の数年後に提出されたが、リーマンショック以降のネオリベ経済の衰退で2015年頃に廃案に。
  2. 国鉄の労働組合も国労(ただし労使協調路線)だけ。
    • 国鉄系の労働組合は鉄労や動労も史実同様あるかもだが、国労も鉄労も動労も労働三権は与えられていない。
      • まして史実のような暴走は回避できたため、国鉄が1970年代以降に史実のような腐敗へと向かうこともなかった。
  3. 日本軍にも鉄道部隊がある。
  4. 新幹線網も現実より多い。
    • 東海道新幹線の開業は史実より約半年ほど早い1964年春になるかと。
      • 東海道新幹線と山陽新幹線の境界駅は新神戸
        • 新神戸延伸は遅くとも1967年には実現
        • 折り返し線を設置するために現実とは逆に海側に建設されいたかも。
          • その場合、新神戸駅は建設されず、神戸駅に新幹線が乗り入れていた。
    • 山陽新幹線の開業も史実より1年ほど早まる
      • 当初の開業区間は新神戸~広島だろう
      • 小倉~博多が1972年3月のダイヤ改正で先行開業したかもしれない
    • リニア規格でない鉄道規格の中央新幹線が1975年春までに開業していた。
      • 最初の開業区間は新宿~名古屋
        • 東京駅延伸も1980年代序盤までには行われる。
        • 後述する通り、関西本線が中央本線に編入されるため、名古屋~新神戸も1985年頃までには開業する。
      • 中央新幹線から延伸される形で中国新幹線が新神戸~小倉に建設されていた。
        • 関西本線を吸収した中央本線が大阪へ延伸され福知山線の三田以南を吸収(後述)し、三田~小月の中国本線が建設されるため(三田~相野は福知山線を吸収)
        • 中国新幹線の開業は新神戸~三次が1986年~1990年頃
          • 小倉延伸は1988年~1992年頃と思われる
    • 東北新幹線の開業は1978年頃まで早まる
      • このときの開業区間は上野~仙台
        • 埼玉県戸田市の反対運動の激しかった区間は、強制的に土地が接収されて、新幹線が建設された。
        • 在来線で新幹線リレー号は運行されなかった。
        • 盛岡延伸開業はむしろ史実より遅れる。
          • 1985年頃が有力視される線
          • 史実で東北新幹線が一気に盛岡まで開業したのは、史実の開業当時の首相だった鈴木善幸の力があったため
            • 鈴木善幸の首相就任は確実に史実より遅れると思われるので、1985年初旬はまだ現職総理は鈴木善幸かと。
              • おそらく鈴木善幸首相在職中の1985年3月14日の国鉄ダイヤ改正で東北新幹線は盛岡まで延伸開業となる。
                • 新青森延伸開業はむしろ史実よりかなり早まる。
                  • 早ければ1987年のダイヤ改正、遅くても1992年のダイヤ改正には新青森まで延伸開業するかと。
    • 上越新幹線の開業時期は史実と変わらないだろう
      • 但し、始発駅は、当初より計画通り新宿になる。また在来線の路線系統の再編(後述)により名称は「関越新幹線」に。
        • 新宿に集中する混雑を分散するため、池袋も新幹線停車駅となる。
    • 九州新幹線も博多~熊本は1985年頃には開業できた。
      • 西鹿児島への延伸開業も1992年頃までに行われていた。
    • 成田新幹線も計画中止にはならず、開発独裁により、遅くとも1985年までには開業していた。
    • 山形新幹線や秋田新幹線などのミニ新幹線は建設されなかった。
      • 秋田方面へは新潟から奥越新幹線が建設されていた。
  5. 国鉄の在来線の路線系統や運転系統の再編は史実より圧倒的に進んでいた。
    • 在来線の路線区間や路線名の変更なども史実より相当行われているということだ。
    • 各地の在来線の存廃も史実と異なる
      • 高崎線と上越線は統合され関越本線になっていた
      • 信越本線の長岡~直江津は北陸本線に編入され、信越本線は上信越本線に改称
      • 常磐線は常磐本線に改称
      • 中央本線は関西本線を吸収していた
        • 名古屋でスイッチバックなしで運転できるように大曽根~名古屋に新線が建設され開業
        • 史実の関西本線にあたる区間の名古屋~湊町も高度経済成長期までに全区間が電化&複線化されていた。
      • 田中角栄政権下の開発独裁で、本四連絡鉄道として友ヶ島・鳴門ルートの在来線が開業。阪和線と徳島本線を統合し南海道本線にしていた。
        • この南海道本線は阿波池田から伊予三島まで延伸される。
          • 予讃線の伊予三島~宇和島も吸収していたかも。
      • 山陰本線の終点は山口線の吸収により下関から小郡に変更されていた
        • 小郡から新山口への駅名改称はあったのだろうか?
        • 益田~下関は長門線に改称
      • 鹿児島本線は九州本線に、日豊本線は東九州本線に、長崎本線は西九州本線に改称
      • 新潟~青森の羽越本線と奥羽本線は奥越本線に一本化
        • 奥羽本線の福島~秋田は羽岩本線に
      • 函館本線は北海道本線に改称
      • 石北本線の旭川~遠軽は大雪本線に改称されたかも
        • この場合名寄本線の遠軽~湧別を編入
        • 名寄本線も当然存続している
          • オホーツク縦貫線も無事開業していた
          • 天北線も廃止にはならなかった
      • 留萌本線は札幌まで延伸され、史実の部分廃止はなかったほか、羽幌線も存続している。
        • 札幌~留萌~稚内の長距離列車が運行されている。
      • 石勝線と根室本線の新得~根室も統合され、滝川~新得は別路線へと分離されたかと。
      • 伊勢線の三セク化はなく現在も国鉄の所有。それどころか電化されるなど高規格化されている。
      • 筑肥線の博多~姪浜は存続している
      • 名古屋環状線の計画は実行へと移され、大阪環状線と同時期に開業していた。
      • 大阪外環状線も昭和の間に開業。「おおさか東線」という路線名にはならず。
      • 明石海峡大橋は道路と鉄道の併用橋になり神戸~徳島の在来線が開業した。
    • 関西本線を吸収した中央本線は湊町から地下線で北進延伸され大阪駅に達して、福知山線の相野以南を吸収。
      • そして開発独裁により、相野~小月の中国本線を開通させた。
        • 姫新線の一部分と芸備線を吸収
          • 姫新線の残った区間は佐用線になっていた
        • 中央本線と中国本線の境界駅は三田から改称した北神三田(若しくは神戸北三田)になる。
    • 岡多線の三セク化はなく愛知環状鉄道は誕生せず
      • そもそも岡多線開業時に愛知県は名古屋特別市に移行しており「愛知」を冠すること自体あり得ないかと
    • 若江線も昭和後期に開業していた
      • 現在では同線を経由して運転される大阪~小浜の列車が存在
  6. 国電の整備も史実より圧倒的に進んだ
    • 首都圏と近畿圏だけでなく中京圏や北部九州にも国電のネットワークが整備された。また国電のネットワークの拡大も史実以上に進んだ。
      • 先述した通り、名古屋の名古屋環状線の計画は実行へと移され、大阪の大阪環状線と同時期に開業していた。
      • 京阪神快速線の運転区間が史実とやや異なっていた
        • 新快速の運転区間は主に大垣~和気と彦根~姫路の2パターン
          • 草津発着、京都発着、大阪発着、神戸発着、西明石発着の新快速も一部存在
        • 快速の運転区間は主に米原~網干と野洲~加古川の2パターン
          • 一部電車の運転区間は安土~上郡
            • 快速の停車駅は今でも2パターン
            • 京都~高槻の速達運転&須磨、垂水、舞子通過と京都~高槻各駅停車&須磨、垂水、舞子停車の2パターンに固定化
          • 新快速と同じ大垣~和気と彦根~姫路が運転区間の電車も存在
            • 草津発着、京都発着、高槻発着、大阪発着、芦屋発着、神戸発着、西明石発着の快速も一部存在
        • 西宮への快速停車は1970年代までには行われる
          • 現在は私鉄に対抗して新快速も停車
        • 芦屋への全ての新快速の停車も史実より早い
        • 尼崎への快速停車も1970年代後半までに実施
          • 新快速は今でも一部は通過している可能性もある
        • 高槻への快速停車は史実と同時期
          • 新快速停車も史実と同時期か史実より数年だけ早まる
        • 茨木が大阪万博開催と同時に快速停車駅に格上げされるのは史実と同じ
        • 湖西線直通の新快速は当初大阪発着だった
          • 神戸淡路ルートでの徳島方面への新ルート開業で、湖西線直通の新快速は徳島発着となった。
            • この区間の新快速の現在の運転区間は敦賀~徳島
            • 同じ区間の快速の運転区間はやはり近江今津~福良か?
          • 長浜発着、赤穂線直通の新快速と快速は現在も大阪発着
            • 備前片上発着の快速は現在も存在。というか京阪神の新快速と快速は基本的にすべて備前片上発着。
              • 赤穂線直通の新快速と快速ね
        • 京阪神快速線に80系と111系、更に年代が進めば113系が配備されるのは史実と同じ
          • 昭和中期~昭和後期・末期は113系が京阪神快速線の主力に
            • 新快速にも当初は113系が使われるがしばらくして153系に代わる
              • 理由は史実と同じく153系が余剰になったため。但し史実と違い急行鷲羽が一定数存続し、163系が予定通り増備され、鷲羽は163系に統一されるのが153系が余剰になる理由。この153系を新快速に使うのは史実と同じ。
            • 117系は1975年までに登場。
              • 153系の新快速も平成初期までは健在
        • 京阪神快速線には1986年頃に211系が、1988年頃に213系が配備された。
          • 211系は主に快速、213系は主に新快速に使用
            • 京阪神快速線では113系の後継が211系に、117系の後継が213系になる
              • 民営化がないため史実の221系は登場しなかった
                • 当然ながら史実の223系や225系も登場せず
      • 京阪神緩行線の運転区間は史実より早く京都~西明石に
        • 野洲~加古川への拡大も史実より早くに実施い
        • 高槻発着、須磨発着も史実と同様に存在
        • 吹田発着、甲子園口発着、神戸発着は今もそれほど減少していない
        • 尼崎発着も史実より多い
        • 京阪神緩行線では長きにわたり103系が主力として活躍した
          • 101系も配備されたかもしれないが早期撤退は不可避
          • 103系を改良した107系や湖西線開業後は115系の通勤型仕様の105系も投入された
          • 103系の投入期間は史実より長引くだろう
        • 201系と205系の導入時期は史実とほぼ変わらず
          • 201系の導入は1982年まで早まるかも
          • 205系の導入は史実と同じく1986年かと
          • 但し京阪神緩行線の場合だと、201系の配備は史実より少し少なく、逆に205系の配備は史実よりかなり多かった。
        • 207系は900番台の量産型が配備される。
          • 史実の0番台は民営化がなく国鉄が存続するため登場しない。207系0番台が導入されるのに変わりはないが、この0番台は900番台の量産型
            • 205系が史実より大量に配備されるので、207系は史実のJR西日本オリジナル版ほどは配備されない
            • 史実の321系の登場なんてあり得ない
              • 史実の323系も当然登場しないのよ
      • 東海道本線の岡崎~岐阜は複々線化され、緩行線を走る国電が整備された。
        • 名称はやはり中京緩行線
          • 運転区間は岡崎~岐阜
          • 早朝と深夜は蒲郡~大垣に拡大
          • 一部電車は大府発着、安城発着、名古屋発着、稲沢発着、尾張一宮発着のいずれか
        • 中京緩行線は初期より長らく103系の天下が続いた
          • 黎明期に101系も配備されるが程なくして撤退する
        • 1982年頃に中京緩行線にも201系が導入される。また1986年頃より205系も導入される。
          • 103系が撤退するのは中京緩行線から2004年頃だろう。
          • 207系(900番台の量産型)も配備された。
      • 名古屋地区の列車線を走る普通列車は快速に変更されていた
        • 名称は中京快速線
          • 史実の普通列車の停車駅の一部は通過している
          • 新快速の運転区間は主に浜松~彦根と豊橋~大垣の2パターン
            • 新快速の運転開始は遅くとも1970年代後半まで早まる
          • 快速の運転区間は主に浜松~彦根と豊橋~大垣の2パターン
            • 要するに新快速と同じ。但し一部の電車で蒲郡発着、岡崎発着、名古屋発着、岐阜発着がある。
            • 快速の停車駅も2パターンある。
              • 浜松~岡崎速達運転&尾張一宮~彦根速達運転&浜松~豊橋速達運転&岐阜~彦根速達運転の2パターン
          • 区間快速は浜松~大府が各駅に停車。一部時間帯のみの運転
        • 武豊線は昭和後期までに電化され中京快速線との直通開始も史実よりかなり早い。
        • 中京快速線に最初に配備されるのは113系と163系
          • 黎明期だけ111系も配備された
          • 153系も配備されただろう
          • 新快速の運転開始で117系が配備される
        • 中京快速線にも1985年になれば211系が配備され、1987年頃には新快速に充当すべく213系が配備された
          • 置き換わる形で111系、113系、153系、165系は撤退
            • まずは111系と153系から撤退していっただろう
      • 城東線と西成線の統合と新線建設による大阪環状線の開業は史実と同じ
        • 大阪環状線の開業時期は史実より若干早まるかも
          • 当初は72系が配備された
            • 史実より長期間使用されただろう
          • 101系の配備も史実と変わらず
          • 103系もいずれ史実と変わらず配備される
          • 東京一極集中が田中角栄政権以降緩和され、東京ジャイアニズムが史実ほどでなくなるため、平成期以降は京阪神緩行線と同じ時系列と規模で車両の置換が進む。
            • 201系の新車が配備される。
              • 置き換わる形で101系は撤退
            • 205系の新車が配備される
              • 置き換わる形で103系は撤退
            • 国鉄の分割と民営化がない以上は、史実の323系も登場・配備されない。
      • 先述した、関西本線の中央本線への統合は国電にも影響を与えた
        • 名古屋地区の中央線と関西線は統合、国電も直通するようになる。
          • 大曽根~名古屋に新線が建設された
          • 快速は名古屋中央快速線に、史実の普通列車に相当
            • 史実で停車する駅の一部は通過している
          • 各駅停車は名古屋中央緩行線に
            • 史実の普通列車より駅数は多い
        • 関西地区の関西線も「中央線」の名称に
          • 電化も1960年代前半に早まるだろう
            • 更に湊町から新線で大阪駅へ延伸し福知山線の相野以南を吸収、相野~小月に開業した中国本線(先述)に直通することで近畿快速線と近畿緩行線になった。
              • 近畿快速線にも新快速が運行されることに。
      • 名古屋中央快速線の運転区間は木曽福島~柘植
        • 新快速の運転区間は木曽福島~柘植、南木曽~亀山が主流
        • 快速の運転区間は南木曽~亀山、瑞浪~河原田、中津川~四日市が主流
      • 名古屋中央緩行線の運転区間は中津川~四日市
        • 名古屋中央緩行線は瑞浪~河原田、中津川~四日市、多治見~桑名、高蔵寺~弥富、勝川~蟹江が主流
          • 恵那、神領、大曽根、名古屋、富田が発着の電車も存在
      • 近畿快速線の運転区間は柘植~美作江見
        • 新快速の運転区間は主に亀山~美作江見、柘植~佐用、加茂~福崎
          • 当初は113系が使用されたが、のちに153系が使用されるようになる。
            • 近畿快速線の153系新快速は緑色の帯をまとったグリーンライナーに。
          • 153系の後は117系が使用されるのも京阪神快速線と変わらず。
          • 117系の後継は213系に
        • 快速の運転区間は主に柘植~佐用、伊賀上野~福崎、加茂~社町
          • 当初の使用車両は113系。その後211系に置換。
        • 大阪環状線への直通快速が運転されるのもおそらく変わらず。但し史実より本数は少ない
          • 大和路快速への改称は史実より遅れる
      • 近畿緩行線の運転区間は加茂~社町が最長
        • 主流の運転区間は加茂~社町、奈良~東条、王寺~北神三田、柏原~宝塚、久宝寺~尼崎
          • 平城山、天王寺、湊町、大阪、塚口、伊丹、相野発着の電車も存在
            • 平城山は新奈良を名乗りリニア規格ではなく鉄道規格の中央新幹線の停車駅に
      • 阪和線と紀勢本線は昭和中期までこの路線体系が維持されたが、昭和後期に友ヶ島・鳴門ルートの鉄道路線が開業し再編された。
        • 阪和線は友ヶ島・鳴門ルートの開業で徳島本線と統合され南海道本線となった。和泉砂川で紀勢本線と分岐
          • 紀勢本線は和泉砂川まで延長。阪和線は解消。
        • 列車の多くが天王寺始発なのは史実と変わらず。
          • 史実と同じく普通は現在も大半が天王寺発着。
          • 快速系種別も原則として天王寺発着。
            • 但し一部に湊町発着や近畿快速線の大阪発着、大阪環状線直通の列車がある。
            • 大阪環状線発着の列車は史実と同じく紀州路快速に。
            • 関西国際空港に連絡する快速が関空快速なのは変わらず。
            • 関空特快は現在も存在。また徳島方面へ向かう特別快速や大阪環状線~和歌山の紀州路特快も存在。
              • 当初は西九条を通過していたが、USJ開業以降は西九条にも停車。
      • おおさか東線は大阪外環状線として開業。史実のひらがな交じりの路線名にはならなかった。
        • 南吹田で京阪神緩行線と接続するようになっている。
        • 開業は昭和後期になる。
          • 当初の車両は103系。その後201系と205系に置換。
          • 快速には113系が使われ、その後211系に置換。
    • 首都圏の国電のネットワークも史実よりかなり整備が進んだ
      • 山手線は概ね史実とそう差異はない
        • 但し車両の使用期間は史実より若干は長くなる
          • 72系が101系投入で撤退するのは史実と同時期
          • 101系が103系投入で早期に撤退するのも変わらず
            • 山手線の103系は最低でも1991年までは使用を継続。205系の投入時期は史実と変わらず。
            • 205系の山手線からの撤退は2010年頃まで遅れる
      • 京浜東北線は一部で史実と差異あり
        • 運転区間は小金井~平塚に拡大
          • 勿論、大宮~大船が運転区間の電車も存在
        • 横浜~大船は根岸線経由から戸塚経由に切り替えられた
          • 史実の磯子発着の電車は戸塚発着となる
          • 南浦和、赤羽、上野、東京、品川、蒲田、鶴見の各駅発着の電車も存在するのは史実と同じ
        • 72系の投入と撤退は史実と同時期
        • 103系の投入は史実と同時期だが撤退は史実より遅れる
          • 103系は2004年頃まで使用
        • 205系は史実より多く投入された
          • 205系は2012年頃まで使用
        • 209系ではなく207系(国鉄の900番台の量産型)が大量に投入された
          • 207系は2018年頃まで使用
      • 中央快速線が東京発着なのは変わらず
        • 特別快速、快速ともに終点は高尾がメイン
          • 史実と同じく快速は三鷹以遠が各駅停車、特別快速は高尾以遠が各駅停車
            • 杉並三駅が快速停車駅になることはなかった
        • 大月が終点の電車は史実より若干多い
        • 史実と変わらず国分寺、豊田の両駅が終点の電車も多数存在
        • 立川が終点、八王子が終点の電車もやはりある
        • 101系の最初の導入先になるのも変わらず
          • 101系の撤退時期も史実とほぼ同じか全く同じ
        • 103系の投入も史実と同時期。また撤退は101系より遅く平成以降になる。
        • 201系の最初の導入先になるのも同じ。但し201系自体が史実より早くに量産が開始されるので運行開始は早まる。
          • 201系の撤退はむしろ史実より遅れる。
            • おそらく201系は中央快速線では2016年頃までは現役。
        • 205系と207系も中央快速線においては少数形式ではあるが導入された。
          • 205系と207系の導入は京浜東北線と中央・総武緩行線と同時期。
            • 中央快速線の205系は201系と同時に撤退。武蔵野線や八高線に移籍した公算が高い。
              • 或いは廃車されスクラップになるかインドネシアに譲渡
        • 早朝と深夜には東京発着の各駅停車が存在するのも変わらず
      • 中央・総武緩行線は1970年頃までに立川~千葉が全通した
        • 使用される車両は当初は旧型国電
          • 1975年頃までには撤退
        • 山手線から排除された101系が大量に移籍してきて活躍するのは同じ
          • 時期的には史実と変わらず1963年。
            • 撤退は史実より遅く1989年以降に。
        • 103系が長期間にわたって大量導入された。おそらく史実を遥かに上回る両数。
          • 中央・総武緩行線への103系の導入は1970年頃に行われた。
            • 立川への延伸開業による増発で中央・総武緩行線に103系が初めて投入された。
            • 撤退は2015年頃まで遅れる。
        • 201系の導入は史実と変わらず1982年。
          • 但し史実の11月より半年ほど早まる可能性は低くない。
            • 史実より長期間にわたって導入された。
            • 撤退も2018年頃まで遅れる。
        • 205系が少数ながら中央・総武緩行線に導入されるのも変わらず。
        • 史実と違い量産された207系も確実に中央・総武緩行線に導入された。
        • 209系の中央・総武緩行線への導入もおそらく史実と変わらない。但し0番台の導入になるかと思われる。また207系の導入で投入数は史実ほどではないだろう。
      • 青梅線は1972年頃までに単独で新宿駅まで乗り入れ、1975年頃までに単独で東京駅まで乗り入れた
        • 青梅特快や青梅快速もこの新線を経由する形に切り替えられた
      • 横須賀線と総武快速線の直通開始も1970年頃に早まる
      • 常磐緩行線の上野乗り入れは中止されなかったかされても数年で再開された
      • 上野東京ラインと湘南新宿ラインの開業は昭和後期までに早まった
        • 湘南新宿ラインに関しては別の名前になってたかも知れない
      • 横浜線は当初の予定通りみなとみらい21線と相互直通運転を行っている
      • 第二京浜国電が開業し根岸線と関越本線(先述・史実の高崎線と上越線)に直通した。
        • 名称は「京浜関越線」
          • 使用される車両はやはり103系かと思われる
            • 昭和後期・昭和末期~平成初期に201系と205系に置換
      • 埼京線の開業も東北新幹線が史実より早く当初より上野を始発にして開業するので、これに併せて史実より早く開業した。
        • 史実で赤羽線の折り返し運用に充てられていた103系がそのまま埼京線の初代車両形式になっていた。
      • 多摩ニュータウンへアクセスする国電が開業していた。
        • 多摩ニュータウンの入居開始も史実より早まるので1970年頃には開業した。
      • 羽田空港国電も昭和の間に開業している。
        • 都心ルートは1970年までに開業
        • 山手ルートも1985年までに開業
        • 臨海ルートも1986年~1988年には開業している
      • 史実の東京臨海高速鉄道(りんかい線)は国鉄所有の国電の路線になっていた。
        • 名称は臨海副都心線
          • 京葉線の一部分となって東京テレポートより西は都心か品川駅へと延伸されたかも。
  7. 国鉄の急行列車や長距離普通列車は今も多数健在。特急列車の再編も史実ほどは行われず。
    • 東京~大垣や大垣~小倉の夜行普通列車は21世紀の現在も普通に存在
      • この区間の昼行普通列車も1980年代終盤~1990年代序盤までは存続
        • 東京~大垣と大垣~小倉の昼行の普通列車は快速列車に置き換えられる形なら21世紀の現在も存続してる可能性は十二分にある。
          • 大垣~小倉ではなく大垣~下関
          • 下関~西鹿児島の長距離普通列車は史実より長く存続。長距離快速列車に至っては今も健在かも知れない。
    • 比叡や鷲羽も廃止されずに停車駅が若干増えるなどして存続
      • 比叡は現在では稲沢、野洲、山科、高槻にも停車
        • 朝夕の一部の比叡は木曽川、穂積、神足、茨木にも停車
      • 鷲羽は現在では尼崎、西宮、芦屋、大久保、網干、有年にも停車
        • 朝夕の一部の鷲羽は甲子園口、六甲道、元町、東加古川にも停車
    • 東海も特急に格上げされることもなければ廃止されることもない
    • 北陸本線の特急の雷鳥と急行のゆのくには2018年現在も健在
      • サンダーバード?何それ?おいしいの?
        • 日本で「サンダーバード」と言えばいまだにイギリスの人形劇のテレビ番組というイメージ
      • 寝台特急の北陸も未だ健在。急行の立山も未だに存続している。
    • あかぎ、草津、伊豆、あまぎも急行のまま
      • 停車駅は2018年現在は史実より若干だが多い
        • この区間を走る特急は別に設けられ、史実と同じく踊り子となる。
          • 史実の特急の天城はどうなることやら?やっぱり浄蓮か葛籠の名称が妥当か?
    • 中央本線の特急のしなのはもちろん存在するが、大阪乗り入れは意地でも廃止せず。また、東京~松本のあずさは史実通り設定される。
      • 急行のきそも絶対に廃止されていない。
        • その代わりセントラルライナーも設定されてない。
        • きそは未だに新宿~名古屋を直通運転している。
          • 運転区間は東京駅まで延伸されているかも。
            • こまがねは急行列車が名乗ったのを経て、東京~名古屋を中央本線経由で走る特急が襲名した。
      • 急行のかいじが廃止されることもなかった。
        • はまかいじも急行として設定されていた。
        • 心配しなくてもあずさは特急なので「中央本線に特急がない」なんてことはない。
          • 横浜が始発の松本方面への特急のはまあずさが設定されている。
          • 東京発着で上諏訪や岡谷などの途中駅で東京へ折り返す急行のアルプスも意地でも廃止しないだろう。
      • たてしなは定期列車のまま21世紀の現在も普通に存続
      • 飯田線の伊那路も急行のまま
        • 赤石も廃止されず
        • 名称はわからないが、名古屋~飯田の特急が1日に数往復設定されている
    • 房総半島方面への特急と急行の東京と新宿への直通開始は史実より早く行われるが、両国始発の列車も史実より後年まで残った。また東京~房総半島の長距離輸送は今でも特急ではなく急行が主体。
      • 房総方面への長距離輸送で特急を使うなんて今でも金持ちがやること
      • 特急のさざなみ、わかしお、しおさいの設定は史実と変わらず。
        • 但し名称の頭に「ビュー」が添えられることは絶対にない。
        • なぎさとみさきも現在も運行を継続。但しこちらは他の特急や急行の増発による減便はあり得る。
        • 全体的に房総方面への特急の設定は史実より早い。但し増発は史実より遅い。
      • 一方、急行の犬吠、水郷、外房、内房も21世紀の現在も未だ存在
        • むしろ一般庶民や貧困層、学生はこっちで移動するのが主流
        • 成田線経由の特急の名称は「すいごう」とは別の名前になっていた。
  8. 青函トンネルの建設も早まり、札幌冬期オリンピック開催rを前にした1971~72年頃に開業していた。
    • いや、津軽海峡の海底の軟弱な地質からしてそんなに早くは開業できない気が…早くても1984年頃になるだろう。
      • 本四連絡橋が史実より多く建設される可能性もあるので、その場合はむしろ史実より少し遅れる可能性もある。
  9. 国鉄の車両の新陳代謝は史実以上に鈍い
    • 加えて国鉄自体が2018年現在も存続してるので尚更
    • 63系が桜木町事件で消滅するのは変わらず
      • 桜木町事件は権威主義復古前なので尚更
    • 72系の登場は史実と変わらず
      • 派生形式の73系の登場も同じ
      • 72系列の増備は1967年頃まで継続
    • 80系の登場は史実と同時期
    • 101系(当初:90系)の登場は1957年と史実と同じ
      • 但し時期は夏頃と半年ほど早まる
      • 試作車と量産車の初期型・前期型は片開き扉に
    • 111系の登場は史実より若干早い
      • タッチの差で1959年の形式称号改正前だったのでほんの最初の方だけ92系を名乗った。
      • 試作車と量産車の初期型・前期型は片開き扉に
    • 151系の登場も史実と同時期
      • 当初だけ20系を名乗るのも同じ
      • 派生車種の161系の登場は史実と同時期
        • 161系が登場から3年という短さで形式消滅することもなかった
      • 181系の登場時期は史実とそう変わらず
        • 181系は東海道新幹線開業後も電車化して存続した(2018年現在も存続している)つばめに使用された
          • 181系の増備は1975年頃まで継続
    • 153系の登場も史実と同時期
      • 当初だけ91系
      • 増備も1972年頃まで継続されただろう
      • 京阪神快速線の新快速に使用されるのも変わらず
        • 史実より早くに登場した中京圏の新快速にも充当
      • 153系は2000年頃まで現役を続行した
        • 新快速にも1992年頃まで使われる
    • 163系と165系の登場も史実と同時期
      • 163系の構想は頓挫せずに実現
      • 165系の登場は史実と変わらず
    • 101系と111系の増備が早晩頓挫するのは不可避
      • 101系は全電動車方式でエネルギー効率が悪いのがその要因
        • 史実と同じく大量の変電所増設や架線補強などのハード面での設備の増強が必要になるというのが理由
    • 103系の登場は史実より約1年早い
      • 113系と同じく1962年に
      • 103系は当初より両開き扉を採用
        • 時期的には113系より数か月早まる
    • 113系の登場は史実と同じ1962年
      • 東海道色と横須賀色は史実と同じ
      • 113系は当初より両開き扉を採用
    • 115系の登場は史実と同じ1963年
      • こちらも東海道色と横須賀色は史実と同じ
      • 115系も当初より両開き扉を採用
    • 401系と421系の登場は史実より若干早い
      • 常磐線の交流電化完成が史実より早いため
      • ローレル賞を受賞することもなかった
      • 試作車と量産車の初期型・前期型は片開き扉に
    • 403系と423系の登場は1963年頃に
      • 403系と423系は当初より両開き扉を採用
        • 415系の登場は史実より若干早い
          • 415系のステンレス車は登場しなかった
            • 415系は従来の普通鋼製車が1994年頃まで増備された
    • 115系の通勤型仕様の105系が導入された
      • 史実より早くに電化された福知山線などに導入
      • 先述の名古屋中央緩行線にも導入されただろう
    • 史実で構想のあった105系は107系として登場していた
      • 中京快速線、中京緩行線、京阪神快速線、京阪神緩行線などに配備
        • 営団5000系や韓国鉄道庁1000系のような車体形状になったかと
    • 史実の105系は109系を襲名して登場した
      • 史実の107系は登場せず
    • 117系は1975年までに登場した
      • 117系が中京圏と近畿圏の新快速に使用されるのは変わらず
    • 史実の急行列車の運転縮小がないので185系は急行形の171系として登場
      • 首都圏だけでなく、中京圏や東海地域、近畿圏や山陽地域にも配備された
        • 房総方面の急行列車にも充当されていた
        • 比叡と鷲羽の163系の後継車にもなっていた
    • 183系の登場は史実より約1年早い
    • 417系は117系の交直流仕様が襲名した
      • 60Hz版の437系も登場し北陸方面へ直通する新快速に充当された
        • 北陸地区の快速にも充当されただろう
      • 史実の417系は419系を襲名していた
        • 60Hz仕様の439系が存在
    • 413系はオール新製で史実より約10年早く登場した。また50Hz仕様がこの形式名を襲名した。
      • 60Hz仕様は433系を襲名
    • 711系の登場は史実と同時期
      • 酷寒地仕様でないグループがありこれが0番台を名乗った
        • 酷寒地仕様は2000番台辺りを名乗っただろう
        • 車端部はロングシートとなった
          • 扉の位置も史実と若干異なる
    • 711系の60Hz仕様の731系も登場した
      • 九州に配備された
    • 交流型の通勤電車の701系と721系も登場した
      • いずれも103系ベース
        • 701系は50Hz仕様
          • 札幌、旭川、函館、盛岡、仙台、郡山に導入された
            • 北海道向けの車両は酷寒地仕様として番台区分された
        • 721系は60Hz仕様
          • 西京、福岡、熊本、鹿児島に導入された
      • 701系と721系の改良版の703系と723系も登場
        • 703系は50Hz仕様
        • 723系は60Hz仕様
    • 713系は711系の改良版が襲名していた
      • 史実の713系は733系になっていた
        • 733系は先述の731系と同じ線区に配備されただろう
      • 車体と内装は史実の713系と同一である
    • 451系と471系の登場は史実と同時期
      • 451系が50Hz仕様で471系が60Hz仕様なのも変わらず
    • 453系と473系の登場は史実と同時期か若干遅れた
    • 455系と475系の登場は史実と同時期だろう
      • どちらも史実よりかなり量産されたと思われる
      • 455系が50Hz仕様、475系が60Hz仕様
    • 457系の登場は史実より数年遅れた
      • 1970年代前半の登場だったと思われる
      • 形式名も史実の457系ではなかったかも知れない
        • 461系だったかも
          • 改良版として463系が登場した?
      • 457系は史実にない50Hz仕様の急行形が襲名したかも
        • この場合は60Hz仕様の477系も登場していた
    • 481系の登場時期は史実と変わらず
      • 483系や485系も変わらずに登場する
        • 481系・483系・485系の0番台がボンネット型なのも史実と変わらず
        • 483系は東北本線の電化が史実より早まるため、登場が史実より数年早まった
        • 485系の登場は史実と同時期
          • 但し増備期間は史実より長く1985年頃まで増備は継続
          • 485系も途中のマイナーチェンジでボンネット型をやめて平面型の前面デザインになったのは史実と変わらず
            • 但しボンネット型は史実より若干だけ長期間製造される
    • 581系・583系の登場は史実より若干早い
      • 初期型・前期型はボンネット型車体。マイナーチェンジで平面型の前面デザインに。
        • 583系は当初より前面が平面型の車体に。
    • 781系の登場は史実より早い。
      • 酷寒地仕様だけでなく温暖地仕様や寒冷地仕様も東北や九州向けに製造されていた。
    • 751系は急行形の交流型電車が襲名していた。
      • 史実のE751系は登場せず
    • 301系の登場は史実より約1年遅い
      • 増備の中断は1972年頃まで遅れる
      • 1981年頃に増備が再開された
    • 303系は301系と先述した107系の折衷形式が襲名
      • 史実の303系は登場せず
    • 国鉄の旧式の気動車の増備は史実より長く続けられた
    • キハ10系の登場時期は史実より若干遅れそう
    • キハ20系の登場は史実と同時期
      • キハ20系シリーズは史実以上に増備された
    • キハ35系の登場も史実と同時期
    • キハ40系の登場も史実と同時期
    • キハ55系の登場は史実より若干遅れそう
      • 但しその分量産されていた
    • キハ60系の登場は史実と同時期
      • 史実よりは量産されていた
    • キハ56系とキハ58系の登場は史実より少し早いかと
      • キハ58系は史実以上に増備された
      • 快速にも史実以上に充当された
    • キハ57系の登場は史実より少し遅い
    • キハ80系の登場は史実とほぼ同時期
    • キハ90系の登場は史実より少し早い
      • 史実より量産され長く活躍した
    • キハ181系の登場は史実より若干遅れる
      • キハ80系の増備が長期化されるため
      • 増備は1980年代前半まで継続された
    • キハ45系の登場は史実より若干早い
    • キハ66系の登場は史実と同時期
      • あまりのデラックスさに史実以上に話題を集めた
      • 史実より若干多方面に配備された
    • キハ40系Ⅱの登場は史実よりやや遅いかも
      • 増備期間は平成初期にまで及ぶ
    • キハ183系は史実より登場は遅れるが史実より多方面に増備された
    • キハ185系も史実より量産され史実より各地に分布した
    • キハ70系なる急行形気動車も登場し量産された
    • 70系客車と60系客車の登場は史実と変わらず
    • 60系客車は史実より量産された
    • 10系客車の登場は史実とほぼ同時期に登場
      • 客車列車自体が史実ほど衰退しないので史実より量産された
    • 20系客車の登場時期も史実とほぼ変わらず
    • 12系客車の登場は史実より若干早まる
    • 14系客車の登場時期は史実とほぼ同時期
    • 50系客車の登場時期は史実より早まる
    • 30系客車なる通勤型仕様の客車も登場した
  10. 国鉄の新幹線車両にも史実と差異があった
    • 0系は史実と変わらず
      • 開業時から長期間にわたり増備されただろう
        • 古くなった0系を新しい0系で置き換えるというやり方に変わりはない
      • 設計にあたって軍用機を参考にするのは変わらず
      • 0系初期型の寿命は史実より短かった
        • 逆に末期型の寿命は史実より長かった
      • 0系の増備は1990年頃まで継続
    • 100系は200系とほぼ同時期に登場
      • 主回路制御方式は200系と同じだが車体は0系と同じ
        • 増備は1995年頃まで継続
    • 200系は東北新幹線の開業が1978年頃に早まるため、登場も1978年頃に早まる
      • 主回路制御方式は史実と変わらず
      • スノープラウが装備されるのも当然史実と同じ
    • 史実の100系は300系を襲名して登場
      • 登場時期は史実と同じく1985年
      • ダブルデッカーの連結も変わらず
    • 史実の200系2000番台が400系を襲名して登場
      • 当然スノープラウは装備
      • ダブルデッカー連結も変わらず
      • 登場は1986年頃
    • 史実の400系は登場しなかった
    • 史実の300系が500系を襲名
      • 登場は史実とほぼ同時期
    • 史実の500系は登場せず
      • 新世紀エヴァゲリオンと新幹線とのコラボもあるはずがない
    • E1系は予定通り600系を襲名していた
      • オール2階建てなのは変わらず
        • 国鉄型そのもののデザインになっていた
    • 史実の700系はN300系を襲名
      • 東北新幹線仕様のN400系も存在
      • すいません、史実の300系は500系なのでN500系です…
    • 700系は史実のE2系の温暖地仕様が襲名した
    • 史実のE2系は800系を襲名
  11. 貨物列車事情は史実とほぼ遜色なかろう
    • 但し国鉄の鉄道貨物輸送は史実ほど衰退せず、今でもそれ相応に盛んに実施される
    • 貨車の形式は史実とほぼ変わらず
      • 但しバリエーションが史実よりも随分と豊富に
        • 無蓋車と有蓋車のそれぞれでも史実よりたくさんの種類の貨車があった
        • 史実より同じ形式の貨車を長期間増備する傾向にあるのは間違いなさそう
  12. 新幹線の列車種別とその愛称にも当然史実との差異がある
    • 東海道・山陽新幹線は速達型のひかりと各停型のこだまの2種類でスタートするのは変わらず
      • ひかりの当初の途中停車駅は新横浜、名古屋、京都、新大阪
        • 当初より全てのひかりが新横浜と新神戸に停車していた
        • 山陽新幹線の始発駅が新神戸で、当初の開業区間が新神戸~広島のため、山陽新幹線の開業からしばらくは一部のひかりは岡山を通過していた。
          • いずれにせよ1980年代後半までに全てのひかりが岡山に停車するようになる。
        • 山陽新幹線の全通当初から全てのひかりが広島と小倉に停車するのは変わらず。
        • ひかりも後述のスーパーひかり→のぞみの運転開始で徐々に停車駅を増やしていった
          • 静岡、浜松、岡山には比較的早期より停車するようになる
            • さらに年数が経てば小田原、岐阜羽島、米原、姫路、福山、小郡(→新山口)にも停車
              • 西明石、徳山にも停車するようになった
      • のぞみは1988年頃に営業運転を開始した。
        • 当初の名称はスーパーひかり
          • のぞみを名乗るのは1994年頃に遅れるだろう
          • スーパーひかり→のぞみの名古屋飛ばしはなかった
          • 新横浜と京都への停車は史実と同時期
            • 新横浜に全てののぞみが停車するようになるのは史実より早い
          • 当初は新大阪が終点
            • 博多延長後も当初は岡山を通過していた
            • 新神戸も通過
            • 広島と小倉には停車
            • 年数の経過とともに新神戸と岡山にも停車するようになる
              • 全てののぞみが新神戸に停車するようになるのは史実より早い
      • グランドひかりは1985年のダイヤ改正で登場。廃止されることなく2019年現在も存在。
      • ウエストひかりとひかりレールスターは登場せず
    • 東北新幹線の列車種別は史実とほぼ同じだが、やはり多かれ少なかれ史実と差異がある。
      • やまびこの存在は史実と変わらず
        • 1978年(おそらく)の上野~仙台開業時は途中停車駅は大宮だけだった
          • 以降のダイヤ改正で宇都宮、郡山、福島にも停車するようになる
            • 盛岡延伸後は仙台~盛岡がノンストップ
            • 新青森延伸後の現在も盛岡止まり
      • あおばは廃止されず現在も存在
      • なすのの存在は史実と変わらず
      • はやては新青森延伸が史実より早まるので史実より早くに登場した
        • 盛岡以北は各駅に停車、盛岡以南は速達運転
      • 最速達種別の名称ははやぶさではなくはつかりになっていた
  13. 国鉄の夜行列車の動向が史実と異なる
    • ブルートレインが史実ほど衰退することはなかった
      • 博多行きのあさかぜは現在も存在
        • 下関行きのあさかぜも当然廃止されず
        • 博多発着のあさかぜは増便されていた
      • あけぼのも現在も健在
        • 秋田新幹線も開業しないので鳥海も存続してるだろう
      • 北陸も現在も存続している
    • 夜行の寝台急行も史実ほど廃止にはならず
      • 銀河は2019年現在も存在
      • 津軽も廃止されずに現存
      • きたぐにも廃止されず現在も運転を継続
  14. 営団地下鉄や各地の公営鉄道(東京都電車や市電・公営地下鉄)のネットワークは史実より広大になっていた。
    • 各地の市電の市営地下鉄や市営バスへの置換は史実より若干遅れる傾向にあるが、それでもモータリゼーションは不可避なのでどの道早期に置換された。
    • 営団地下鉄は以下のようになっていた。
      • 地下鉄のネットワークは史実より広大になっていた。
      • 民営化されて東京メトロになることはなかった。
      • 多角化は史実より進みモノレールや新交通にも参入していた。
        • ゆりかもめも営団の所有・運営になっていたかも知れない。
      • 銀座線の変遷が史実と異なる
        • 雖も路線の変遷は史実と殆ど変わらず
      • 丸ノ内線の開業は史実と同時期
        • 延伸は史実より早まった
          • 東京駅乗り入れも史実より早かっただろう
          • 新宿延伸と荻窪延伸も史実より早まる
          • 方南町支線の開業も史実より早かっただろう
        • 300形・400形・500形・900形の登場は史実と変わらず
          • 赤色の車体とサインウェーブは史実と同じ
        • 100形が移籍してくることはなかった
        • 02系の登場は史実より数年早い
          • オリジナルの姿でサインウェーブがないのは史実と同じ
          • 初期型・前期型はリニューアルされずに廃車された
          • 後期型・末期型はリニューアルされ今後も使用を継続
      • 日比谷線は以下のようになっていた。
        • 開業は史実より数年早かった。
        • 東武伊勢崎線との相互直通運転は史実より早くに開始された。
        • 東急東横線との相互直通運転は史実と同時期に開始。
        • 車両規格は当初より20m4ドアだった。
          • なので3000系も20m4ドア車体となった。
          • 相互直通先の東武2000系と東急7000系も20m4ドア車体となった。
          • 03系も20m4ドア車体となっていた。
      • 東西線は以下の通りになっていた。
        • 開業に際しては岸信介首相夫妻が試乗する様子が全国に向け報道された。
        • 高田馬場~大手町は1963年までに開業していた。
        • 大手町~東陽町も1964年の五輪開催の直前に開業した。
        • 中野~高田馬場の開業は史実と同時期かと。
          • もっともこの区間も史実より開業が少し早まる可能性も否定できない。
        • 5000系の登場は東西線の開業が史実より早いので史実より早まる。
          • 当初はステンレス製になるも、途中からアルミ合金製になるのは史実と同じ。
          • 20m4ドア車体なのも史実と同じ。
  15. 大手私鉄の経営拡大は史実より圧倒的に進んでいた。
    • 路線網も史実より遥かに広大な事例が多い。
    • 中小私鉄の大半が大手私鉄の傘下に入っている。
      • もしくはそのまま大手私鉄に吸収合併され、大手私鉄のネットワークに組み込まれている。
    • 大手私鉄の海外進出は盛んに行われている。
      • 韓国や台湾には早期より進出している。
      • 香港やシンガポール、マレーシアにも比較的早期より進出している。
      • 更に年代が進めばタイやインドネシアにも進出。
    • 阪急と阪神の経営統合はなかった
    • 大都市の都心部への乗り入れ規制は史実より緩和されていた
      • 東京の山手線の内側への私鉄乗り入れも解禁されるようになる
        • 時期的には1964年の東京オリンピックの数年前
      • 名古屋も私鉄の都心への乗り入れ規制を早期に撤廃していた。
      • 大阪も私鉄の都心への乗り入れを解禁するのは史実と同じ。史実以上に市営モンロー主義に固執しなくなっていた。
  16. 近畿日本鉄道(近鉄)は以下の通りになってるだろう。近鉄の路線網の拡大は史実をも遥かに上回るレベル。
    • 奈良線の車両の大型化と新生駒トンネル開通による孔舎衛坂駅廃止は史実より10年ほど早い。
    • 奈良線の史実の急行は高度経済成長期までに運転を開始した。
      • 但し当初は布施を通過していた。石切停車は史実と変わらず。
    • 奈良線の別料金不要の特急は史実と変わらず。快速急行への改称も同じ。
      • 奈良線での有料特急の運転開始は史実より早い。
        • 昭和後期まで学園前を通過していた。
    • 奈良電気鉄道を買収して京都線とするのは史実と同じ。
    • 東生駒駅開業は史実より早い。
    • ラグビー場前駅の「東花園」への改称と臨時駅から常設駅への昇格も史実より早い。
    • 阪神なんば線開通と同時に大阪難波~東花園間が複々線になっていた。
      • この場合、阪神なんば線は1970年代のうちに開業済み。
        • いや、おそらく奈良線は阪神なんば線の開業を待たずに複々線化されるかと。
          • 大阪上本町~東生駒は1960年代に複々線化
          • 近鉄奈良線は近鉄奈良から東へ伊賀・北勢方面へ延伸された
  17. 阪急電鉄(阪急)は以下の通りになってるだろう。阪急の路線網の拡大は史実をも遥かに上回る。
    • 京阪神急行電鉄から阪急電鉄への改組は史実と同じだがその時期が史実と異なるかも知れない。
    • 場合によっては権威主義復古後に京阪と再合流してるかも知れない。
      • 可能性としては低いが。
    • 神戸本線は権威主義復古後に三宮(当時:阪急神戸)から西へ延伸されていた。
      • 姫路と岡山を経て宇野まで延伸された。
        • この場合山陽電鉄は阪急に買収されていたかも。
          • いや、阪神かと…(詳細は後述)
        • 宇野延伸開業で快速特急の運転が開始されていた
      • 神戸本線の神崎川~芦屋川は1960年代に複々線化されていた。
      • 史実より後年まで神戸本線の特急は西宮北口を通過していた。
        • 1970年代までに西宮北口に停車。現在は夙川にも停車するのは史実と変わらず。一方で岡本は阪神・淡路大震災の後も現在まで特急と通勤特急は通過している。
    • 宝塚本線の有馬延伸構想は小林一三の死後にすぐ再燃し、高度経済成長の洗礼を受け有馬延伸が行われていた。
      • 小林米三が音頭を取った。
      • 最終的には有馬からさらに三田方面のニュータウンまで延伸されていた。
        • 船坂で分岐していた。
          • 更に丹後海陸交通の縁で福知山を経て天橋立まで延伸された。
            • 三田のニュータウン新線より約20年早く開業する。
        • 史実の神鉄公園都市線は阪急の路線になっていた。
      • 大阪空港連絡線は無事開業していた
    • 京都本線の大宮(当時:阪急京都)から河原町への延伸は史実より10年近く早い。
      • 河原町から東へ祇園、山科、大津、八日市を経て名古屋まで延伸された。
      • 大阪の大都市制度の再編(広域直轄市の大阪特別市への移行)で高槻市は高槻に、茨木市は茨木に駅名を改めている。
      • 京都本線の淡路~高槻は1960年代に複々線化されていた。
        • 新大阪連絡線も無事開業していた。
          • 崇禅寺と南方を経由するのは一部の区間運転の準急と普通と千里線直通の一部電車のみになっている。
          • 京都本線の準急は1961年頃に運転を開始していた。
        • 急行は大阪万博の頃まで茨木を通過していた。
          • 茨木に急行が停車するようになってからも長岡天神に急行は停車しなかった。
            • 長岡天神停車の急行が誕生するのも、全ての急行が長岡天神に停車するのも史実より遅い。
          • 一方、名古屋方面は笹島、八田、八社には古くより急行が停車していた。
          • 主要経由地の野代、大泉原、石槫にも急行は停車。
          • 急行は長らく石槫~石山は各駅に停車していた。
      • 京都線でも快速特急の運転が開始されていた
        • 快速特急の運転開始と同時に特急は桂と高槻(史実:高槻市)への停車を開始した。
    • 伊丹線は伊丹本線に昇格し単独で梅田に乗り入れていた。
      • 塚口駅は立体化されていた
      • 伊丹から先へ宝塚まで延伸されていた
  18. 京阪は1970年代までに1500V昇圧を果たしていた。
    • 中之島線は西九条以西まで延伸し、阪神と直通していた。
    • 交野線の生駒延伸は高度成長期に実現。反対側も枚方市から高槻方面に延伸していた。
    • 1300系と1700系は史実より量産されていた。
    • 1800系と1810系の登場も史実と変わらず。
    • 600系Ⅱは片開き扉となっていた。
      • 史実の600系Ⅱは700系Ⅱになっていた。
        • 史実の700系Ⅱは800系Ⅱになっていた。
        • 700系Ⅱに冷房装置を装備した900系も登場していた。
    • 奈良電気鉄道買収の失敗を受け、開発独裁の洗礼を受けた自社線での奈良乗り入れを果たしていた。
      • 先述の交野線の生駒延伸線がそのまま奈良へ延伸され繋がったかも知れない。
        • 大阪市内とのアクセスを考えるとむしろ本線の萱島あたりで分岐し、清滝峠を越えて奈良県に入っていた。
    • 1900系の登場は史実と同時期
    • 淀屋橋延伸も史実と同時期
    • 京都都心区間の地下化は史実より20年早かった
    • 2000系の登場は史実と同時期
      • 昇圧後も2600系に改番されることはなかった
        • 2600系は史実の2630系だけが襲名していた
    • 2200系の登場は史実と同時期
    • 2200系に冷房装置を装備した2400系の登場も史実と同時期
    • 5000系の登場は1963年頃に早まる
    • 鴨東線は1978年頃までに開業していた
      • 鴨東線の開業後に叡山電鉄を吸収合併して自社線にしている
        • 比叡山鉄道(比叡山ケーブル)も合併し自社線に
        • 叡山線はもちろん京阪線と直通している。
    • 3000系の登場は史実と同時期
      • 3000系の登場で1900系は一般車に格下げされるのも史実と同じ
      • 鴨東線の開業による特急の増発も3000系の増備で賄われる
    • 京阪百貨店の本店は守口市ではなく京橋にできていた。
      • 京都の三条にも開店していた。
  19. 南海電気鉄道(南海)の経営拡大は史実より進んだ。
    • 悲願の四国進出を達成していた。
      • 結果として国鉄は四国では壊滅的な状態に陥っている。
      • 徳島県が全国で唯一電車の走ったことのない県にはなっていない。
        • というか徳島県は都道府県合併で消滅
      • 南海線は輸送力の増強が史実より早くから史実以上に行われていた。
        • 昇圧は史実より約15年早かった。
        • 岸里~羽衣は1970年頃までに複々線化されていた。
        • 史実の11001系は当初より1000系を名乗っていた。
      • 高野線が大運転と区間運転に分けられるのは変わらず。
        • 20000系は史実より増備されていた。
        • 21000系は2000系を襲名
        • 22000系は2100系を襲名
      • 南海線と高野線区間運転の車両形式の共通化は古くから行われた
        • 初の新性能通勤電車の3000系が1959年頃に登場した
        • 3000系のツードアボックスシート版の5000系も登場、急行に使用された
        • 6000系と7000系は南海線と高野線に均等に配備された
          • 6000系の登場は史実と同時期
          • 7000系の登場時期も史実とそう変わらない
        • 6100系と7100系も南海線と高野線に均等に配備された
          • 6100系の登場は史実より1年早い1969年頃
          • 7100系の登場は史実より2年早い1967年頃
        • 6200系の登場は史実より早い1972年頃
          • 6200系の普通鋼製仕様の7200系も1973年頃に登場した
        • 8000系の登場は史実と同時期
          • 1編成しか製造されないことはなく量産へと至っていた
  20. 阪神電気鉄道(阪神)は以下のようになっていた。
    • 戦後もしばらくは中型車の導入が続くのは変わらず。
    • 初の大型車の3011形の導入は史実と同時期か史実より半年~1年ほど早い。
      • 帝国復古を記念して導入された可能性もあるだろう
      • セミクロスシートなのも変わらず
      • 梅田~三宮ノンストップの特急に使用されるのは史実と変わらず
    • 戦後の阪神も史実と同じく大手私鉄では最も盛んに千鳥式運転を行う
    • 3301・3501形の登場は史実より約半年早い
      • 増備も1967年頃まで継続
        • 末期型は両開き扉に
          • 末期型でも両開き扉になるのはおそらくごく一部
    • 5001形の登場も史実より少し早まる
      • セミクロスシートなのは変わらず
      • 片開き扉だった
    • 5101・5201形の登場も史実より約半年早い
      • 初期型・前期型~中期型は片開き扉に
        • 両開き扉になるのは後期型・末期型
      • 増備も1967年頃まで継続
    • 5151形の登場も史実と同時期
    • 野田~甲子園は1960年代序盤までに複々線化された
      • 大物~尼崎は三複線に
    • 山陽電気鉄道を子会社化を経て吸収合併していた。
      • 山陽電気鉄道から中国地方延伸計画を継承し、高度経済成長期に開業させていた。
        • 最終的には下関まで達していただろう。
    • 尼崎宝塚線は戦後計画が再燃し、開発独裁により宝塚まで鉄道線が開業していた。
      • 史実で現在尼崎止まりの急行は宝塚まで走っている。
    • 尼崎市内の高架化事業の完成も史実より約40年早い
    • 西宮市内の高架化事業も昭和後期までに行われた
      • 西宮東口駅は昭和後期には廃止された
    • 3601・3701形の登場は史実と同時期
      • 増備は1976年頃まで継続
        • 末期型の一部は両開き扉に
      • 電機子チョッパ制御化され7601・7701形にはならなかった
    • 7801・7901形の登場は史実と同時期
      • 初期型・前期型が片開き扉なのは史実と同じ
      • 中期型は両開き扉となるのは同じ
        • 中期型のドア窓が角張ったスタイルになるのは変わらず
      • 後期型・末期型も両開き扉なのは史実と同じ。ドア窓は角張ったスタイルにはならず
        • 7801・7901形の後期型は史実より相当量産された。
      • 7801・7901形の増備は1985年頃まで継続
  21. 名古屋鉄道(名鉄)は以下のようになっていた。
    • ネットワーク拡大は史実以上に進んでいた。
      • 石油危機以降の路線網の縮小も史実ほどではないか或いはほとんど進まず。
      • 史実で未成線に終わった路線は全て開業させていた。
      • 中部地方の中小私鉄の大半を買収していた。場合によっては吸収合併。
        • 北陸鉄道を吸収合併し、岐阜方面へ延伸させていた。
        • 富山地方鉄道も吸収合併し自社線に。
          • 現在は名鉄の車両ばかりになり、西武や京阪からの譲渡車は存在しない。
        • 加越能鉄道も吸収合併し自社線に。
          • 加越線も廃止せず
        • 福井鉄道も子会社化を経て吸収合併
      • 単独で北陸へ乗り入れ、北アルプスもこの北陸へアクセスする新線を経由
        • キハ8000系気動車も8000系電車に
          • 後継のキハ8500系気動車も8500系電車に
        • 国鉄には乗り入れない
        • 北アルプスは2019年現在も存在
    • 既存路線のインフラ整備も史実より進んだ
      • 神宮前~栄生は複々線化
      • 名鉄名古屋駅や名鉄岐阜駅は高度経済成長期に拡張された
        • 新名古屋、新岐阜という言い方は早期に取り止めていた
  22. 西日本鉄道(西鉄)は以下のようになっていた
    • 大牟田線の熊本延伸構想は戦後に再燃に熊本延伸は実行された
      • 最終的には鹿児島の鴨池まで延伸
    • 北九州市内線と福岡市内線は公営化され資本撤退。市内バスも公営バスとの共同運行になる。
      • のちにこれへ発展する
      • これにも発展する
        • これに関しては公営になり、地下鉄になる路線が大半だっただろう
    • 門司港~博多の路線も早期に開業
    • 筑豊電気鉄道の博多延伸は無事実現していた。
      • 博多延伸後に西鉄に吸収合併されていた。
    • 佐賀を経由し佐世保や長崎へ伸びる路線も開業していた。
  23. 東武鉄道(東武)は以下のようになっていた。
    • 史実と同じく本業中心だが、史実より経営の多角化は進んでいた。
    • 路線のネットワークは史実をも更に上回るだけ広大になっていた。
      • 本線系統のネットワークは史実以上に広大になり、東日本を席巻するまでの規模になった。
        • 本線系統の新たなる本流として上野延伸線が昭和30年代前半に開業していた。
          • 伊勢崎線の列車の多くが上野発着となる。
            • 10両編成は全て上野発着となっていた。
            • 営団地下鉄日比谷線との相互直通運転開始も史実より早まる
            • これらによる結果、伊勢崎線沿線の都市化が史実より早まった
          • 日光線も一般列車の多くが上野発着になる。
        • 伊勢崎線の北千住~北春日部は1960年代前半に複々線化。
          • 2019年現在、複々線区間は太田まで達している
          • 日光線も東武動物公園~新栃木は複々線化済み
          • 鬼怒川線のハード面のインフラ整備も史実より進む
          • 野岩鉄道の開業は史実より早い
            • 開業後に買収し自社線に。経営難に陥った国鉄会津線も買収し自社線にした。
        • 1960年代前半に東北地方まで路線を拡げる。
          • 結果として東武は大手私鉄で最初に東北地方への進出を果たす。
      • 東上線は上州延伸計画が戦後再燃していた
        • 東上本線の高崎延伸構想が再燃し昭和30年代後半までに実現した
      • 第3の幹線として東京・日本橋~房総半島の路線が開業。本線系統、登場線系統に次ぐ、第3の路線系統を確立した。
        • 名称は東総線か、東上線に倣って。
          • 主流の東総本線は日本橋~銚子の路線に。
      • 第4の幹線として上野~常磐地域の幹線が開業し、第4の路線系統を確立した。
        • 柿岡地磁気観測所がある関係で交流区間や非電化区間が多い路線系統に。
          • 私鉄で最初に交直流電車と交流型電車を所有したのも東武となった。
          • 私鉄初の交流電化区間も東武鉄道の路線に。
    • 昭和中期の車両はこうなる
      • 7300系と7800系の登場は史実より早い
      • 5700系の登場は史実と同時期
      • 1700系と1720系の登場は史実より1年ほどそれぞれ早まるかと思われる
      • 2000系の登場は地下鉄日比谷線との相互直通運転が早まる分だけ史実より早い
        • 直通先と違って普通鋼製なのは変わらず
        • 初期型・前期型は片開き扉に、両開き扉になるのは中期型以降
        • 開発独裁の影響で地下鉄日比谷線の車両規格が20m4ドアとなるため、20m4ドア仕様の車体となっていた。
      • 8000系の登場は史実より若干早い
        • 初期型は片開き扉に、前期型以降が両開き扉に
  24. 西武鉄道(西武)は以下のようになっていた。
    • 路線網は開発独裁の洗礼を受け史実より遥かに広大になっていた。
      • 企業の政治色の強さ(反共独裁政権とのパイプの強さ)に起因する。
      • 車両形式の数も史実より増える。
    • 特急レッドアロー号の登場は史実より早い
      • 1964年頃に史実にない戦後新たに開業した路線から運行を開始した。
      • 史実にある路線でも西武秩父線開業が史実より早いため、運行開始は史実より早まる。
    • 夜行特急ブルーアロー号の運行も開始している。
      • こぶしがまさにそれ
    • 路線は以下のようになっていた。
      • 池袋線系統のネットワークは史実より広大になっていた。
        • 池袋線の準急が練馬に停車するようになるのは史実と同時期
          • 池袋は快速は停車するが急行は通過するのは現在も史実と同じ
        • 豊島線は池袋直通列車が主流になるのは史実と変わらず
        • 池袋線の駅の数は史実よりやや増えていた
          • 秋津~所沢に駅が2つほど開業していた
        • 再軍備による空軍の創設で空軍入間基地にアクセスする入間線が開業していた
          • 武蔵藤沢~稲荷山公園の新駅から分岐
        • 狭山線は史実とそう変わらず
          • 単線なのは史実と同じ
          • 球団発足が史実より早まるため、狭山湖駅が西武球場前駅になるのも史実より早い
      • 新宿線系統のネットワークも史実より広大になっていた。
        • 新宿線は史実以上に各駅停車主体のダイヤになっていた。
          • 年代が進みネットワークが拡大するとともに各停偏重のダイヤは徐々に是正されていく。
        • 拝島線の開業は史実より早い。
        • 国分寺線は開発独裁の洗礼を受け横浜まで延伸されていた
      • 渋谷を起点とする渋谷線が開業し渋谷線系統を形成している
        • 渋谷線は渋谷~自由が丘~新横浜~二俣川~海老名~松田~小田原~箱根湯本
          • 企業グループとして夢であった東京~箱根の鉄道路線が開業
          • 西武線の渋谷駅は渋谷の西武百貨店の地下にある
  25. 東京急行電鉄(東急)は以下のようになっていた。
    • こちらも路線網は開発独裁の洗礼を受け史実より遥かに広大になっていた。
      • 西武と同じく企業の政治色の強さ(反共独裁政権とのパイプの強さ)に起因する。
      • やはり車両形式の数も史実より増える。
    • 日本初のステンレスカー導入も史実と同じ
      • セミステンレスカーの導入も日本初なのは史実と変わらず
        • 初のセミステンレスカーは史実と同じく5200系
      • オールステンレスカーの導入も日本初なのは史実と変わらず
        • 初のオールステンレスカーは史実と同じく7000系
    • 有料特急の運転は高度経済成長期の序盤前後には開始していた。
      • 有料特急仕様の車両はアルミ合金製車体が続く
    • 路線は以下のようになっていた
      • 東横線は桜木町から南へ三浦半島方面へ延伸されていた。
        • 三浦半島へのレジャー客向けにデラックス特急が運転された。
        • 横浜~桜木町が廃止になるなんてあり得ない。
        • 横浜高速鉄道みなとみらい21線との相互直通運転は行われていない。
          • みなとみらい21線は当初の予定通り国鉄横浜線と相互直通運転を行っていた。
      • 田園都市線の開業は史実より数年早まった
        • 新玉川線も史実通り開業するが、史実より早く昭和後期には田園都市線に編入される。また新玉川線の開業も史実より早い。
        • 玉川電気鉄道のネットワークは史実より広大になるが、廃止はどちらにせよ不可避。但し全廃は史実より遅れる。
          • 世田谷線は史実と同じく現在も残存。
        • 田園都市線は中央林間より西へ小田原まで延伸された。

教育[編集]

  1. 史実のような教育の著しい腐敗は回避できたか、あっても微かで泡沫のもので済んだ。
    • 歴史教育において自虐史観が長きにわたり浸透することはなかった。
    • 道徳教育が史実より力を入れられ、史実の事件や社会問題の一部は最初からなかったかあっても史実ほど深刻化せずに済んだだろう。
    • 右派や左派を問わず、過激で危険な政治思想に染まる国民は史実より遥かに少なくて済んだに違いない。
      • ヘイトスピーチや暴力的な政治団体は史実より早くからタブー視され、法律で規制されるようになるのも史実より早かった。
      • 一方で民主化運動において自身の思想ゆえに少々過激な思想に染まりそうした行動に出る国民はいたに違いない。
        • 全体からすれば僅かな過激派政治団体のメンバーは史実より相当不自由な境遇にあっただろう。
    • 大学が史実のように左翼の牙城と化すことは当然なかった。
      • 学生運動が活発にならなかったため、その反動として史実のように苛烈な管理教育が行われることはなかった。
        • 管理教育そのものは否定されないので、学校によっては今も管理教育が残っている(主に生徒の学力レベルが比較的低い職業科高校で)
    • 高校進学時における地元集中運動も存在しなかった。
      • 高校入試は完全な自由競争になり、行きたくもない高校に進学させられることもなかった。
        • 高校浪人も史実ほど珍しくなくなる。
      • 1970~80年代に必要以上に高校が増設されることもなく、その分21世紀に入って統廃合で閉校する高校も少なかった。
        • 気がつけば自分の母校がなくなっていた、というケースは余程のことがない限り存在しない。
    • 今でも教師は絶対的権威を持っており、PTAは刃向かうことはできなかった。
      • 従ってPTAの力は現実ほど強くなかった。
      • いまだに暴力教師が蔓延している。
      • 今でも給食を残すと怒られたり無理やり食べさせられたりしていた。
      • ただし指導方針があまりにも悪質だと判断された場合に厳しい処分が下されるのは史実通り。
      • というかそういう暴力教師はそもそも教職として不適格と看做されるだろうけど……
      • 体罰は今も容認されていただろう。
        • 但し、体罰もその範疇を超えて虐待の域に達した場合は、史実以上に非難され、処分も史実より相当重くなるのは間違いない。
    • 学校内におけるいじめや校内暴力について教師は史実よりもっと厳しい処分を下していた。
      • 少年法が改正された結果、小中学生でもいじめの主犯格や非行少年少女は普通に留置所や刑務所に収監されるようになる。
        • 少年犯罪でも加害者の実名が公表されていた。
      • 当然学校ぐるみでのいじめ隠蔽など起きようもない。万一起きようものなら校長以下全職員が懲戒解雇。
  2. 大学進学率は史実ほど上がらず、現在も高卒は史実より厚遇されている。
    • 大学は今でもエリートが行くところ。受験戦争も史実ほど激しいはずがない。
      • 今でも貧乏な家庭の子供の多くは高校卒業後直ちに就職するのが一般的。
        • 奨学金の返済が社会問題になることはなく、学歴格差が所得格差にほとんどそのまま反映されることもない。
      • 中卒で就職する子供は今も一定数いるが、定時制職業学校への通学を前提とするデュアルシステム制になっていた。
      • また史実と違い、いわゆる「受験少年院」はほとんど存在しない。
      • 高専(主に男子)や短大(主に女子)へ進学する生徒の比率はは今も史実より高い。
    • 大学が史実のように乱立することもなく、大学のレジャーランド化は今も起きていない。
      • 日本の大学はアメリカ同様「入るのは簡単だが出るのは難しい」と言われるようになっていた。
        • どこの大学でも講義のレベルが史実より上がるので、留年や中退が史実ほど珍しくなくなる。
        • 全学部生のうち、理系は3割程度が、文系でも2割近くが留年を経験していた。また、中退率も史実より多少上がっていた。
        • 大学を中退した学生が専門学校に進学し直すパターンが史実より増える。
      • その代わり大学の学費は国公立・私立を問わず史実より大幅に安いか、完全に無償化されている。
        • 少なくとも私立大学の学費は高くても国公立大の2倍程度に収まっていた。
    • それでも医学部は全都道府県に新設される。ただし学生運動が活発じゃないのなら最初から○○大学医学部として設置される。
    • 学部・学科の新設も史実ほど進まない。また史実のカタカナ学部学科はもっとまともな名前の学部学科になっていた。
    • 大卒者は史実以上に優遇されることになるが、新規採用者における大卒者の割合が史実より大幅に低いので、さほど問題になることはなかった。
      • また、大学院卒業者は史実以上に更に優遇され、博士号が「取っても食えない」と自嘲気味に言われることもなかった。
      • 理系の博士号取得者は様々なメーカー企業や官公庁・軍から破格の待遇で重用された。
      • また、文系の博士も学術界や実業界で史実以上に活躍していた。
  3. 一方、日本人のノーベル賞受賞者は史実より若干少なかったかも知れない。
    • 化学賞、物理学賞の日本人受賞者は史実ほどは多くなかった。
    • 逆に文学賞の日本人受賞者は史実より多かった。
      • 少なくとも史実の楯の会事件を起こさず天寿を全うした(もしくは2018年現在も存命の)三島由紀夫は確実に受賞していた。
    • 経済学賞の日本人受賞者は現在に至るまで出ていないのは史実と同じ。
    • 佐藤栄作の平和賞受賞はなかっただろう。
    • 安倍晋太郎が民主制復古を成し遂げていたら、東洋と西洋の融和に対する貢献とセットで平和賞を受賞していたかもしれない。
  4. ゆとり教育は民主化後の今に至るまで一貫して行われない。
    • またゆとり教育を成立させるに至るきっかけとなった詰め込み教育も史実ほどには進まない。
    • 2010年代の小中高のカリキュラムは理系科目に限ればほぼ史実と変わらないか、少しだけ多くなっていた。
  5. 権威主義復古の直後に教育勅語と修身科の授業が復活し、民主化後の今も時代に即した内容の修正を経て続いている。
    • 修身の授業を通じて、国家への忠誠や軍人に対する崇敬が今も教えられている。
      • 戦後活躍した科学者や実業家も、本人の没後5年くらいしてから修身の教科書に入るようになっていた。
    • 2000年代以降はネットリテラシーについても部分的ではあるが教えられている。
      • ネットの普及が史実よりかなり早いので、ソ連崩壊後からネットリテラシー教育が始まっているだろう。
  6. 社会科の授業において、小学校5年生頃から共産主義やナチズム、無政府主義の脅威と危険性を入念に教えるようになっていた。
    • 現在は共産主義やナチズムよりも、カルト宗教やポリティカル・コレクトネスに重点が置かれるようになっている。
    • 行き過ぎた自由主義や個人主義に対する危険性も教えられるようになっているだろう。
  7. 中学受験や小学校受験は大都市中心部であっても史実ほど一般的にならない。
    • 結果として都市中心部の公立中学校が荒廃することもなかった。
    • また、SAPIXやena、浜学園などの中学受験を対象とする進学塾は史実ほど成長できなかったか、高校以上の受験を対象とする塾に鞍替えしていた。
    • 日能研や四谷大塚はそもそも誕生すらしなかったかもしれない。

航空[編集]

  1. 戦後の一定時期までは史実以上の日本航空の一強状態
    • 日本航空の一強時代は昭和中期には終わると思われる
      • 但しそれ以降も業界における日本航空のシェアは史実以上
        • 日本航空は未だに国有のまま(即ち現在も日本のナショナル・フラッグ・キャリア)
        • 東亜国内航空との合併などあり得ない
        • 経営破綻も回避できた
  2. 全日本空輸の成長は史実と変わらず不可避だろう
    • 但し史実のシェアの一部は日本航空に持っていかれている
  3. 東亜国内航空は日本エアシステムへの改組もなければ日本航空への吸収合併による解散もなく現存
    • そもそも未だに東急グループの傘下
      • 東亜国際航空を旗揚げして国際線運航にも参入
      • 現在は「東亜航空」の社名
        • 略称は「TAL」
  4. 東急以外の大手私鉄も挙って航空事業に参入し大手航空会社へと成長させていた。
    • 西武企業グループの「西武航空」はその代表的な例。
    • これに書いてあることの大半が実現している。
  5. 成田空港建設にあたっての三里塚闘争は史実ほど泥沼化しなかった
    • 三里塚の空港予定地の農民の土地は強制的に接収されていた
      • そして予定通り1973年には新東京国際空港は開港できていた。
  6. 中部国際空港と関西国際空港は首相就任直後の田中角栄がすぐさま建設を指示した。
    • 1973年初旬には中部国際空港と関西国際空港の建設のためのボーリング調査が実施され、問題ないとわかれば程なくして建設工事へ着手した。
      • 関西国際空港は1985年頃に開港したと思われる。
      • 中部国際空港も1986年か1987年辺りに開港していただろう。
  7. 首都圏の空港は史実よりも整備されていた
    • 先述したとおり新東京国際空港(現:成田国際空港)も予定通り1973年に開港
      • 新東京国際空港の滑走路は開港当初より最低でも3本はあった
    • 東京国際空港の拡張も史実より早くに史実以上の規模で実施されていた
      • 羽田空港の国際線就航再開は昭和の間に行われていた
    • 更に、昭和末期~平成期に羽田、成田に次ぐ第3の国際空港が首都圏には建設され開港していた

軍事[編集]

  1. 自衛隊ではなく日本軍なので階級は旧軍と同じか米軍式?
    • おそらく旧軍の階級をそのまま流用していると思われる。空軍は米軍に倣った階級体系になるか。
      • 韓国軍や中華民国軍と同じか似たような形では?
  2. 史実で未だ構想中か開発中の武器や兵器が既に実用化されている。
    • 日本が技術立国であるのは変わりないので必然的にこうなる。
      • 戦後の日本で軍事研究や軍事開発は史実よりも圧倒的に進む。
        • その結果、世界中の軍事技術が史実よりも多かれ少なかれ進歩する。
    • 少なくともOICWやK11といった過剰機能な複合小銃といった失敗は起きなかっただろう。
  3. 岸信介政権下での憲法改正で文民統制の記述が削除され、軍人も政治家になれるようになる。
  4. 佐藤栄作の首相就任はなく、岸信介政権が史実より長期化し、この間に日本は核武装し核保有国となる。
    • おそらく1970年頃に核武装するものと思われる。
      • アジアでは中国に次ぐ2番目の核保有国となる。
        • この流れに乗って、1970年代中に韓国と台湾も核武装した。
  5. 日米安保条約の締結によるアメリカとの軍事同盟締結は史実と同じ
  6. 韓国と台湾とも1970年頃に安全保障条約を締結し軍事同盟を結んだ。
    • 竹島(独島)は埋め立てで拡張され日韓共同の軍事基地となる。
      • 当然領土問題は発生せず、「竹島/独島は日本/韓国のものだ」という主張は民主化後の日韓両国における極右と極左の決まり文句となっている。
      • 日韓合同軍事演習は毎年のように行われていた。
      • PKO活動において弾薬の受け渡しが問題になることなど到底ありえない。
    • 尖閣諸島も埋め立てで拡張され日台共同の軍事基地となる。
      • 中華人民共和国の艦船が尖閣諸島周辺の海域を航行するなどありえない。
    • 日本陸軍の部隊の一部は、冷戦時代は韓国に、冷戦終結からしばらくして北朝鮮が崩壊した後は旧北朝鮮にも駐屯するようになっていた。
    • 海軍や空軍も朝鮮半島・台湾に基地を置くようになっていた。
  7. 中曽根康弘政権は不沈空母構想を無事実現させていた。
  8. 2とは反対に兵器の輸入国になっていたかもしれない(戦後間もない日本が一定以上の生活水準を維持しながら大規模な軍備拡張を進めようとすると、外国からの兵器導入に頼らざるを得ない為。)また、アメリカ民主党政権がチリなどの南米各国にしたように日本に制裁を加えて来た場合には、これらの国がしたようにフランスやイスラエルから兵器を買っていたかも。
  9. UNOGIL(国際連合レバノン監視団)をはじめ、海外派兵や反共主義国家への軍事的支援は当然ながら行われていた。
    • ベトナム戦争やラオス内戦にも当然参加しており、ベトナムやラオスの共産化は食い止められている。
      • ラオスの共産化は史実通りかも知れない。
      • ベトナム戦争では当初から長らく南軍側で参戦してたが、南軍が劣勢になるにつれ、北軍との講和路線へとシフトして、日越単独講和を実現させ、それに続き韓国などのほかの西側諸国の多くも、北側との講和へと舵を切った。そのため史実と同じくベトナム戦争は北軍が戦勝している。
      • 一方でフォンニィ・フォンニャットの虐殺のような事件も新日本軍によって引き起こされており、民主化後の日本は謝罪と賠償を行っている。
        • ベトナム戦争で新日本軍は韓国軍によるライダイハンの共犯者となり、民主化後に謝罪と賠償を行っている。
    • 冷戦後も日本は湾岸戦争、イラク戦争に参戦している。
  10. Su-27を1995年に「評価試験用」として購入、その10年後に西側技術によるコピー機「F-3」(和製J-15)をF-15SJの後継として生産・運用開始している。
    • F-35はF-4EJとF-15MJの後継となるのでF-15は日本の空から2017年には完全に姿を消す。
  11. 民主化後に行われるF-35のSDDには当然参加。
    • 史実におけるイスラエル仕様のF-35Iのように日本向け仕様が作られていたかもしれない。
  12. 強襲揚陸艦構想は史実よりも早く結実。2000年に運用開始されたひゅうが級はワスプ級と同等の能力を持っていた。
    • ハリアーIIの配備計画も結実していた。
  13. 栗栖弘臣と竹田五郎が統合参謀(参謀長、史実:統合幕僚長)を解任されることはなかった。
    • 田母神俊雄も統合参謀を解任されず現在でもその職に在任している。
    • 栗栖弘臣と竹田五郎は自由民主党の国会議員となり、軍事閣僚も歴任していただろう。
    • 田母神俊雄は2019年現在において、衆議院議員と自由民主党政権での軍事閣僚を務めている。
  14. 日本は西側でも有数の軍事大国になっていた。特にアジアでは自由主義圏最強の軍隊を持つ国になっていた。
  15. 陸自や海自の特殊部隊は史実よりかなり早くベトナム戦争時に設立。
    • 史実の第一空挺団は1968年英国SASを手本とした「特殊空挺部隊」として再編されていた。
      • 英語圏への訳語はそのままSASなので、オーストラリアやニュージーランドの同名部隊と区別する際にはJSASと呼ばれた。
    • 史実の特別警備隊に相当する部隊は1966年に海軍特殊戦旅団として設立。英訳は"Japan Naval Special Warfare Flotilla"。Navy SEALsが手本となっていた。
      • 同じNavy SEALsを手本にされて設立された、従兄弟の関係である韓国のUDT-SEALsとはかなり緊密な関係だったのは間違いない。
  16. 豊和工業が韓国の大宇同様M16A1のライセンス生産を行っていた為、その関係で日本においても独自のAR15ファミリーが登場していた。
    • 日韓台米でAR15をベースとした小火器の共同開発計画が持ち上がっていたのは間違いない。
      • そのためアジアの特殊部隊における小銃がHK416やSCARといった欧州製ライフルに支配されることもなかった。

科学技術[編集]

  1. 高度経済成長や石油危機はいずれにしろ史実通り起こるので、1980年代までの日本の科学技術の発展はほぼ史実通りに進んだ。
    • 三種の神器の登場も史実と同時期に変わらず起きるだろう。
    • 自家用車の普及も史実と同時期
      • 自動車技術は史実より発展していた
    • 戦後に日本の航空機産業は再び盛んになっていた
      • 国産旅客機は史実より相当な数が製造された
        • YS-11も史実より量産された
        • 史実にない国産ジャンボ機も大量製造された
    • VHSビデオテープレコーダーの発売は史実と同時期
    • ウォークマンの発売も史実と同時期
      • WM-20の発売も史実と同時期だろう
  2. 一方で、サミット参加が遅れプラザ合意がなされず、結果バブル景気が起こらないので1980年代以降の日本の科学技術の進歩は史実以上のものになっていた。
    • 1980年代後半以降の日本の科学技術の進歩が史実以上になることから、少なくとも西側先進諸国全体において科学技術の進歩が史実以上に進んでいた。
      • 電機系や科学技術系の企業がバブルに踊らされないため浪費に走らず、技術革新が物凄い勢いで進むため
      • 携帯電話やパソコンの普及は昭和末期には始まっていた。
        • ポケットベルは1985年頃のものになっていた。
          • ポケベルが鳴らなくては1985年頃に制作されたか、もしくは制作自体が行われなかった。
            • 史実の1993年に「ケータイが鳴らなくて」の名前で制作されたかも。
        • iモードやカメラ付き携帯電話も1993年頃には登場する。
        • 史実のWindows95にあたるOSが1988年頃には発売されていた。
          • PCの歴史が史実と様変わりしてるかと
            • PC-98は短命に終わりPC/AT互換機への移行はスムーズに進んでいた。
        • スマートフォンも1998年頃から21世紀序盤にかけて登場
          • LINEなどの通話アプリも2000年代序盤には普及
          • 国産の通話アプリも1つか2つくらいはあっただろう。
    • インターネットの普及も史実よりかなり早かった
      • ブログも1990年には普及
      • ウィキペディアも1991年に登場
      • Chakuwikiも1994年に登場
      • YouTubeも1995年に登場
      • ニコニコ動画も1996年に登場しただろう
      • twitterのサービス開始も1996年
      • Pixivも1997年にスタート
      • Facebookも1994年にサービス開始
      • 2ちゃんねるも1990年頃からサービス開始していたが、様々な犯罪の温床になったため、ネット実名制の導入とともに消滅していた。
        • ネット実名制の導入はおそらく2009年頃。
    • 音楽媒体・映像媒体のデジタル化も史実より早かった
      • CDの普及も史実より数年早まる
        • MDも昭和末期には普及
      • DVDも昭和末期には一般化
      • 一方で音楽媒体や映像媒体のアナログ媒体も1995年頃までは広く流通
        • アナログの記録媒体とデジタルの記録媒体が共存する期間が史実よりかなり長い
    • 音楽や映像の再生機器の進歩も史実より早くに史実以上に進む
      • ウォークマンのWM-101の発売は史実と同時期だがWM-501の発売は史実より1年早い
        • D-515は1988年頃に発売
        • 1990年頃にはMP3プレイヤーへと移行していた

社会・生活[編集]

  1. 少なくとも戦後日本人の価値観には史実と多かれ少なかれ差異があった。
    • 西洋的価値観は史実ほど広まらなかった。
      • 自己の名誉白人的感覚に囚われる日本人は史実より少なかっただろう。
        • 一方で欧米に留学したり仕事で赴任したりを経験した一部エリートが、現地での冷遇に接して、日本への帰国後に東洋的価値観からの脱却を主張するようになっていた。
          • しかしほとんど誰からも共感を得られないか或いは相手にすらされないまま終わる。
          • 中には東洋的価値観からの脱却を求める主張が受け入れられない結果日本を捨てる人も少なからずいた。
  2. 結婚観や家庭や育児に対する価値観にも史実と若干の差異があった。
    • 戦後日本人の結婚事情が史実と違う
      • 帝国復古のしばらく後まで恋愛結婚は史実以上にタブー視された。
        • 恋愛結婚をタブー視する風潮を払拭したのが皇太子明仁親王と正田美智子の結婚とそれによるミッチーブーム。
      • お見合い結婚の衰退と恋愛結婚の一般化は史実より遅れるが早晩不可避
        • 反共独裁体制後期~末期には恋愛結婚か職場結婚が主流になり、お見合い結婚は少なくなっていた。
      • 現在に至るまで平均初婚年齢は史実より若い
        • 10代の結婚は2019年現在もさほど珍しくない
          • 10代の結婚に対する社会の風当たりが史実のように厳しくなることもなかった
        • 10代の妊娠・出産に対する社会の風当たりは史実ほど厳しくない。
          • ただし、できちゃった結婚に対する社会的なイメージが良くなるのは史実と同時期。
    • 育児に対する考え方や風潮などにも史実と差異があった
      • 児童虐待の件数は史実より少なかった
      • 我が子に子供のうちから高い教養を身に着けさせようとする親も史実より少なかっただろう
      • 親から子に対する体罰は史実より容認される傾向にあった
        • 特に父親からの体罰は最早当たり前に
        • 但し体罰も度を越えた場合や体罰の範疇を超えて虐待の域に達した場合は史実より相当非難される傾向にある
      • 子供にこんな名前をつける親は史実よりもずっと少ないし、そのような親は間違いなく世間の笑い者になっている。
  3. 食生活に対する価値観も史実とはやや異なっていた。
    • 食の欧米化が進むのは史実よりやや遅れた。
      • 史実よりやや遅れるもののいずれは不可避だろう。
        • 但し史実ほどは顕著ではないと思われる。
        • 欧米の食文化の浸透は食文化そのものの国によって史実より差が大きかった。
          • フランス料理は史実より高級感が拭えない。
          • イタリア料理は史実より広まるのは遅れこそするものの、今は史実と同じくらいか場合によっては史実以上に広まっている。
          • イギリス料理は時期は別として、いずれは史実より広まっていたと思われる。
            • イギリス料理はマ✕いという通説もなかったかも知れない。
          • ドイツ料理は史実ほど広まらず。
          • 北欧の料理は今でも史実以上に広まっていない。
          • スペイン料理は広まるのは史実より遅れるが、今は史実と同じくらいか、こちらも場合によっては史実以上に広まっている。
    • 日本人の米離れも史実ほど進んでいない。
    • 日本人は今でも鯨を(昔ほどではないが)食べている。
    • 若者の和食離れも史実ほどではなかった。
    • 中華料理は史実以上に食されていたと思われる。
      • ただし、史実以上に台湾料理や広東料理などの南方系の料理の影響が強くなっている。
    • 韓国料理は史実より早くから史実以上に食されていた。
      • 史実よりより早く、より深く浸透している故に韓国語の料理名がそのまま使われる事はあまりなく、日本語に訳された名前を使っている店が大多数。これが遠因で韓国料理の日本起源説を唱える人がいたかもしれない。
    • 東南アジアのエスニック料理が広まるのも史実より早かった。
      • 特にタイ料理とシンガポール料理は史実より相当早くから広まり、今は史実より相当かなり広まってるだろう。
        • マレーシア料理もタイ料理やシンガポール料理ほどではないが、ほぼ同じくらい広まってると思われる。

道路[編集]

  1. 史実よりも整備が進むのは確実
  2. 一般道の整備は史実以上に進んでいる
    • 国道の整備も史実以上の規模に
      • 未舗装区間の舗装や幅員の拡幅は史実より早くから行われてきた。
      • 国道1号線は昭和30年代序盤までに全区間の舗装が完了していた。
  3. 高速道路や都市高速道路のネットワーク拡充も史実より進む
    • 東名高速道路と名神高速道路は片側6車線の計12車線になっていた
      • 開通も1950年代終盤に早まる
    • 中央高速道路の開通も1965年頃に早まる
      • こちらもやはり片側6車線の計12車線に
      • 中央自動車道への改称はなく現在も中央高速道路の名称
    • 高速道路の暫定2車線区間は遅くとも2010年頃までには全て解消していた。
    • 東北自動車道の開通も史実より早まった。
      • 最初の区間は1960年代には開通した。
      • 全通も1982年頃に早まる。
      • 名称も「東北高速道路」だった。
    • 関越自動車道の開通も史実より早かった。
      • 少なくとも全通は史実より早く1982年頃になる。
      • 名称も「関越高速道路」。
    • 東京外環自動車道は遅くても1980年代序盤には全通していた。

スポーツ[編集]

  1. 史実より業界は発展しているだろう
    • 少なくとも国策によるスポーツ振興は史実より盛んにおこなわれている。
      • スポーツ庁は昭和の間に発足している。
  2. 戦後も日本の国技が相撲なのは史実と変わらず
    • まあ当然と言えばそりゃ当然
    • 力士は以下のようになっていた
      • 大鵬の爆発的な人気は史実と変わらず
        • むしろ史実以上の人気になっていた
      • その後の北の湖・千代の富士の人気も史実と変わらない
      • 若貴兄弟の人気もやはり史実通り
    • 但し大相撲の人気低迷はプロ野球の大衆化もあり史実と同じく不可避
    • 昭和天皇がこよなく大相撲を愛されたのは変わらず
      • 天覧試合も史実より多めに設定された
    • 相撲協会の腐敗もなかったかあっても史実よりは幾分マシだった
    • 外国人力士が増えるのは史実と変わらないが、21世紀に入ってから日本人力士の優勝が激減することはなかった
  3. プロ野球は戦後急激に人気が急上昇し、史実以上の支持を得て、現在でも国民的スポーツの代名詞に。高校野球も史実以上の人気を得れば、大学野球や社会人野球も史実より盛り上がっていた。
    • 興行収入が日本で最高額なのも変わらず
    • プロ野球の戦後史が史実と違い、結果として現在の日本のプロ野球界も史実と異なる
      • 1949年の日本野球連盟の分裂による2リーグ制移行は史実と同じ
        • 阪神がパ・リーグ加盟からセ・リーグ加盟へ意思を転換するのも変わらず
          • 結果阪神がセ・リーグに加盟するのは史実と変わらず。理由は読売ジャイアンツとの伝統の一戦のため。(史実でもそうだった)
        • セントラル野球連盟は権威主義復古以降から中央野球連盟に。一方、太平洋野球連盟は変わらず。
          • いずれにせよ、現在はセントラル野球連盟とパシフィック野球連盟に改称している。
        • セ・パ両リーグ問わず国策で球界拡張が実施されるため、球団数は史実よりそれ相応に増えている。
          • 球界拡張は現在までに複数回実施された
            • 帝国復古の1953年には実施されていた可能性がある
            • 東京オリンピックを見据えて1963年オフにも球界拡張は行われた
            • おそらく1970年オフ~1971年開幕前にも球界拡張は実施
            • 1982年の開幕前に行われた可能性も断じて低くない
              • この場合1985年にも球界拡張があったか、1982年の球界拡張がない場合1985年に球界拡張が行われたかと
            • プロ野球60周年を記念して1993年オフ~1994年開幕前には確実に球界拡張が行われた
            • 民主化後の21世紀に入ってからも1度は球界拡張が行われただろう。
        • セントラル・リーグは以下のようになっていた
          • 巨人の一強多弱なのは変わらず
            • 但し球界における影響力は史実以下
            • V9は史実と同じと思われる
              • V10達成もしくはV8以下止まりかも知れないが、いずれにせよ高度経済成長期に連続日本一を達成するのに変わりはない。
          • 中日の優勝回数は史実とほぼ変わらず。強さも史実とさほど遜色なかろう。
          • 阪神は史実より強く、優勝回数も史実より若干多い。
          • 広島の優勝回数は史実より少ない。
            • 球団自体は広島市の行政の所有になっており、球団名は「広島東洋カープ」にならず「広島カープ」から変わらず。
          • 国鉄がプロ野球から撤退することはなかった。
            • よって産経のプロ野球参入はなかった。
            • ヤクルトは新球団を旗揚げし球界に新規参入
          • 国鉄の撤退がないどころか電電公社と専売公社も球界に参入しセ・リーグに加盟している
            • 本拠地は首都圏だろう
            • 東京オリンピックを見据えた球界拡張で参入
              • 電電公社と専売公社は権威主義復古を記念した球界拡張の可能性が高い
          • 日本航空もプロ野球に参入していた
            • 球団名は日航機の尾翼の鶴丸に因んで「日航クレインズ」に
            • 日航球団は確実にセントラル・リーグに加盟
          • ヤクルトは先述したとおり、新規参入で球界入りしていた。
            • 参入は1970年オフの可能性が最も高い
            • セ・リーグ加盟は史実と変わらず
              • セ・リーグ加盟の条件として、当時の日本の核武装を記念した名前になってたかも。
          • 東武も1970年オフにセ・リーグに新規参入で休暇入り。
            • 本拠地は春日部
              • 春日部市郊外に運動公園を整備しそこに本拠地球場を構えた
            • 訂正、球界入りです。
            • 初代オーナーは根津嘉一郎(2代目)
            • 巨人との一戦は名物になってるだろう。
              • 監督も特に初期は巨人のOBが招聘される。
          • 大洋球団の発足は史実と変わらないが、史実と同じく成績低迷が続いた。
            • ホエールズの愛称は史実と変わらず。当初は下関が本拠地だったのも同じ。
            • 松竹ロビンスの吸収合併は史実より遅れた。いずれにせよ不可避なのは変わらず。
              • 松竹球団の吸収と同時に大阪へ移転するのも変わらず。
                • 大洋松竹ロビンスを一時的に名乗るのは同じ。後に洋松ロビンスに改名するのも変わらず。松竹の撤退で大洋ホエールズに戻るのも変わらず。
            • 大洋ホエールズに戻ってから川崎に移転するのも史実と変わらず。
        • パシフィック・リーグは以下のようになっていた
          • 東急は東映への移管も売却もないまま現在も球団を所有し続けている
            • 球団名も東急フライヤーズのまま
              • 駒沢球場の建設とそこへの移転と、五輪会場建設による閉鎖解体は同じ
                • 駒沢球場解体後は神宮球場へ移転するがほどなくして後楽園球場へ移転するのも史実と変わらず
                • 1977年頃に東急田園都市線の沿線に超大型球場を建設し2019年現在もそこを本拠地としている
                  • 現在では屋根が付きドーム化されている
            • 水原茂の監督就任は史実と変わらず
            • 張本勲の入団も史実と変わらず
              • 張本勲は巨人に移籍せずこの球団一筋で現役を終えていた
          • 近鉄と阪急は現在も球団を所有し続けている
            • オリックスは新球団旗揚げで球界に新規参入
              • 史実より早くに建設された大阪ドームを当初より本拠3江地としている。
              • 球団名も球団創設から現在まで一貫して「オリックス・ブルーウェーブ」。
              • 日本プロ野球創設60周年を記念した球界拡張(1993年オフ)でおそらく参入。
              • 訂正:本拠3江地→本拠地
            • 阪急ブレーブスは現在も存続
              • 阪急西宮球場から他所へ本拠地を移転せず
              • 阪急西宮球場は老朽化のため2005年頃に閉鎖され解体。2006年より西宮北口駅の反対側に建設された阪急西宮ドームを本拠地球場にしている。
              • 戦後帝国時代初期は小林一三が名物オーナーなのは史実と変わらず
              • 小林一三の死後は一三翁の息子の小林米三が名物オーナーに
            • 近鉄バファローズも現在も存続
              • 近鉄パールスは藤井寺球場を本拠地とするが日生球場へ史実と同じく移転
              • 近鉄バファローを名乗ることなくパールスから一気に近鉄バファローズに改称
                • 東花園に新球場を建設し2019年現在もそこを本拠地としている
                  • 名称は近鉄東花園球場
          • 西鉄球団の発足は史実と同じ。当初は西鉄クリッパースだが西日本パイレーツを吸収して西鉄ライオンズになるのも史実と同じ。
            • 1950年代に南海と人気と実力を同時に二分するのは同じ
            • 1963年のリーグ優勝を最後に低迷し始めるのは変わらず
            • 黒い霧事件でのダメージは史実をも上回る
              • 黒い霧事件自体が刑事事件として扱われ、主犯の永易将之と西鉄オーナーの西亦次郎は逮捕され実刑判決を受けていた。
              • 西鉄の身売りは史実と同時期か史実よりやや早い
              • 西鉄身売り後は地元自治体の福岡直轄市(現:福岡特別市)が引き取っていた。
                • 進藤一馬市長がオーナーに
                • 1974年オフには国土計画(西武グループ)に売却され福岡を去り首都圏の埼玉・所沢に移転していた。
          • 南海が1950年代に西鉄と人気と実力をともに二分するのは同じ
            • リーグ優勝は何度もするが日本シリーズで巨人に毎度のように敗退し「何回も巨人に勝てない南海」と史実同様揶揄される
            • 1959年の日本一でようやく巨人を倒して日本一になるのは変わらず
            • 1964年の阪神との日本シリーズで大阪は史実以上に盛り上がった。
              • この日本シリーズで阪神を倒して日本一は変わらず
            • 開発独裁による難波駅界隈の区画整理で大阪球場は1970年代前半に整理解消。本拠地球場は堺の中百舌鳥に移転した。
            • 1970年代以降の低迷は変わらず
              • 成績低迷のほか親会社の業績不振で毎年莫大な赤字を出すがオーナーの川勝傳が「儂の目の黒いうちはホークスは絶対売らん」と言い張り頑なに維持し続ける。史実と同じ。
            • 1988年4月に川勝傳が死去し吉村茂夫にオーナーが交代してからも、史実のバブル景気がなかったほか中百舌鳥の本拠地球場の償却期間が球団の経営不振で延び延びになった影響ですぐには売却できず、1989年以降もしばらく南海は存続。
            • 1994年頃にオーナーが川勝泰司(川勝傳の息子)に交代。この少し前に中百舌鳥の本拠地球場の償却期間が終了し、球団の赤字経営もあり、川勝泰司オーナーにより球団は売却された。
              • 売却先は松下電器産業と思われる。
            • 杉浦忠の監督退任は史実より遅れる。監督退任時の杉浦の強い懇願で後任の監督は王貞治に。
              • 当然ホークスのオールドファンは強く反発するが、杉浦自身の一声で沈静化した。
              • 王貞治がホークスの南海時代最後の監督になっていた。
          • 西武の球界参入は1975年開幕前になった可能性が一番高い
            • 先述のとおり、福岡特別市(1975年当時おそらく既に直轄市から昇格)から1975年元日付で福岡球団を買収し、本拠地を埼玉県所沢市に移転し、球団名を「西武ライオンズ」とする。
            • 当時の親会社は国土計画。史実と同じく球団名は「西武グループ」という意味合いがある。
            • 西武時代初期は低迷が続くが徐々に実力を増していく。
            • 1978年が初優勝になったかも知れない
              • この場合日本一も達成していた
            • 所沢移転後に稲尾和久が監督に復帰したかも
            • 鬼頭政一の監督就任はなかった
            • 根本陸夫の監督就任は史実と変わらず
              • 監督退任後のGM就任も史実と同じ
            • 西武ライオンズ球場が社会人野球用の西武園野球場を改造・拡張する形で誕生するのは史実と同じ。
              • 通称が「西武球場」なのは変わらず
              • ドーム化され西武ドームになるのは史実より早い
                • 命名権を賃貸し「インボイスSEIBUドーム」や「グッドウィルドーム」、「西武プリンスドーム」や「メットライフドーム」を名乗ることはなかった。
            • 広岡達朗の監督就任は史実と同時期
              • 1982年と1983年の優勝と日本一は史実と変わらず。これにより西武が一躍全国レベルの常勝球団になるのは変わらず。
              • 阪神タイガースの監督に招聘する話もあり取り合いになったのも史実と変わらず。
          • 東急の球団売却がないため、日本ハムは新球団を旗揚げし新規参入という形で球界入りした。
            • 日拓が球団を所有することはなかった。
          • バブル景気がないため、ダイエーが球界に参入することはなく、南海ホークスはダイエーとは別の企業が買収していた。
            • 先述したとおり松下電器産業の可能性が最も高い。
            • 南海は(おそらく)1994年オフに球団を松下に売却し、南海ホークスは松下ホークスとなった。
              • その後は大阪松下ホークスへの改称を経て、親会社の社名変更に伴い現在は大阪パナソニックホークスになっている。
            • ホークスの松下時代最初の監督は王貞治。その後仰木彬や片平晋作などが監督を務める。
              • 清原和博は大阪松下ホークスで現役を終えていた。
                • 大阪パナソニックホークスになったあとに監督に就任し現在に至る。
                • 当然薬物所持などせずに済んだ。
          • ロッテの球界参入とその形が史実とやや異なる
            • 前身の大映毎日の経緯が史実と違う
              • 毎日オリオンズと大映スターズの発足は史実と変わらず
              • 高橋ユニオンズは誕生せず大映スターズが吸収し大映ユニオンズになることもなかった。
              • 大映スターズと毎日オリオンズの合併による大映毎日オリオンズの発足は変わらず。
                • 但し合併以降の経営の主導権は史実と違い毎日が握った。
                  • 1962年頃を最後に大映は撤退し毎日ユニオンズに戻った。
                    • オーナーは本田親男
                  • 南千住移転はなく東京スタジアムは建設されなかった。
                    • 東京オリオンズを名乗ることもなかった。
                • 1964年のシーズンを最後にロッテに身売り(詳細は後述)
            • 毎日オリオンズのロッテへの売却によるロッテオリオンズの発足は1964年オフ。
              • 岸信介政権の政策によるもの。岸信介による大東亜共栄政策の一環として韓国系資本のロッテへ球界参入を斡旋し毎日球団をロッテに買収させる。
                • 因みに史実でもロッテの東京オリオンズ買収は岸信介の斡旋によるものです。
              • 史実と違いロッテオリオンズ発足当初よりロッテが親会社
            • 大映毎日~ロッテ時代初期・前期と長らく成績低迷が続いた。
            • ジプシー・ロッテはなかった。
          • 東北楽天ゴールデンイーグルスは東北イーグルスとして1980年代の球界拡張で誕生した。
            • 当初は東北野球企業が親会社だった。
            • 発足は国策での列島改造とその後継的な政策によるもの。
            • 2000年代に楽天が買収し東北楽天イーグルスに。
              • 「ゴールデン」はチーム名に入らない。
            • 本拠地は球団発足から現在まで一貫して宮城球場。
  4. 日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)の発足は史実より20年早い
    • サッカーのJリーグは田中角栄政権のスポーツ振興政策により創設された

芸能[編集]

  1. 芸能界全体に史実とそれ相応の差異があるのは確実
    • 芸能界自体が史実より政財界とコネの強い業界になっていた
      • なかでもアイドルは自民党の政治家とのコネが強い
        • 極右や左派からはアイドルは史実以上に忌み嫌われる
    • 業界全体が史実より反共色の強い世界になっていた
      • 制作される作品で反共色の強いものは史実よりかなり多い
  2. 音楽界にも史実より多少或いは大幅な差異があった
    • 軍歌は史実ほど衰退しなかった
    • 演歌や浪曲は1970年代まではそれ相応に聴かれていた。
    • 若者の演歌離れ・浪曲離れはいずれにせよ不可避
    • 大衆的な歌謡曲の発展は史実と変わらず
      • 舟木和夫、橋幸夫、西郷輝彦は史実通りブレイク
      • 内山田洋とクール・ファイブやザ・ゴールデン・カップスのブレイクも史実と変わらず
      • 加山雄三、石原裕次郎、小林旭も史実と同じかそれ以上にヒットを飛ばしただろう
    • 思想犯などの政治的犯罪で逮捕されたり引退を余儀なくされる音楽家は史実より多かった
      • 赤い鳥はプロデビューできなかった
      • ザ・フォーク・クルセダーズ解散後の加藤和彦は国家保安法違反で逮捕され、有罪判決を受けたのちに、海外へ亡命した。
        • イムジン河は当然放送できず。放送しようとなら史実以上の刑罰が関係者に下る。
    • フォークソングやそこから派生したニューミュージックが1970年代以降の音楽シーンを席巻するのは変わらず。更にそれが1980年代以降になってロックやポップスなどのJ-POPや和製のHR/HMやR&Bに発展して現在に至る。
      • 井上陽水のデビューとブレイクは史実と変わらず
        • アンドレ・カンドレでデビューするも全くの不振に終わるのは同じ。史実以上の不振に終わっただろう。
          • 井上陽水で再デビューして、傘がないなどをリリースしたのちに夢の中ででブレイクするのは史実と同じ。
          • 年代的にデビュー前に徴兵制による兵役を経験している。
        • 大麻所持をせずに済んだだろう。
          • 昭和50年代中盤の人気低迷はなかった。
        • なぜか上海は別のタイトルになっていた。楽曲も上海については唄われていない。
          • 台北か香港の可能性が高い。
      • 中島みゆきの音楽業界入りも史実と同時期
        • 初期は史実ほどヒットしないがわかれうたは史実以上にヒットする。
        • かなしみ笑いは史実以上にヒット
          • B面の霧に走るの「いっそこんな車壊れて~」は2019年現在史実以上にネット上で引用されている。
        • 悪女は史実よりかなりヒットした
      • (荒井由実→)松任谷由実の音楽業界入りは史実と同時期
        • 大学中退は史実より早まるだろう
        • 反共独裁政権と新左翼の学生運動の確執と攻防を第三者目線で描いた楽曲を複数発表していた。
        • 「いちご白書」をもう一度を制作することはなかった。
        • ひこうき雲と返事はいらないの制作は史実と同じ
          • 返事はいらないがデビュー曲なのは史実と同じ
        • 横浜での大規模な開発独裁の影響で海を見ていた午後の歌詞が壮大なものになっていた
        • あの日に帰りたいのヒットは史実と変わらず
          • 史実以上にヒットしたかも
        • 松任谷正隆との結婚は史実と変わらず
        • 1970年代終盤の低迷は史実と同じ
        • 守ってあげたいが久々のヒットとなるのは史実と同じ
          • 史実よりヒットした
      • 浜田省吾は史実よりヒット曲を量産していた
      • 大瀧詠一の音楽界での活躍は史実をも遥かに上回るものに
        • アジア太平洋地域の諸外国でもヒットを飛ばしていただろう
        • 森進一や小林旭への楽曲提供も史実と変わらない
      • 長渕剛の業界入りも史実と変わらないが、その経緯が史実と異なった可能性もある。
        • 九州産業大学への進学はなかったかあっても史実より早くに中退した
          • 大学進学がなかった場合はデビューが史実より早まっていた
        • 業界入りする前に志願兵として兵役を経験していた
        • 巡恋歌がデビュー曲かどうかは一概に言えない
          • 雨の嵐山が正式なデビュー曲になっていた可能性があるので
        • 順子でブレイクするのは史実と変わらず
          • これ以降なかなかヒットシングルに恵まれないのは史実と変わらず
          • アルバムは史実と同じかそれ以上にセールスを伸ばした
          • 1983年のGOOD-BYE青春が久々のヒットとなるのは史実と同じ
        • 音楽番組には初期より史実より頻繁に出演していただろう
      • サザンオールスターズの結成と業界入りも史実と変わらず
        • 但しデビュー前の動向が史実より慌ただしくなる
        • バンド名の変更回数は史実より減ったかもしれない
        • メンバーの約半数はデビュー前に志願兵として兵役を経験
          • メンバー全員が青年期に志願兵として兵役を経験した可能性もある
          • 年代的に徴兵制の対象だった可能性もあり
        • 勝手にシンドバッドでデビューするのは変わらず
          • 勝手にシンドバッドは反響は史実以上も売上は史実以下
          • 気分しだいで責めないでは史実ほどヒットせず
        • いとしのエリーは史実ほどヒットしなかった
        • デビューから数年はあまりヒットシングルに恵まれず
          • アルバムは史実と同じくヒットしたか場合によっては史実以上のヒットとなった
          • コンサートライブも連日連夜大盛況で、場合によってはすぐにチケットが入手困難に
          • アルバムのタイニイ・バブルスとステレオ太陽族のリードシングルもヒットしなかったが、アルバムは史実以上にヒットした。
            • C調言葉に御用心も史実ほどヒットしなかった。
            • タイニイ・バブルス収録の松田の子守唄は、原曲の赤い鳥の竹田の子守唄が発禁になるため別のタイトルになっていた。
            • 働けロックバンドの歌詞は史実より辛辣なものになっていた。
        • 1982年のチャコの海岸物語が久々のヒットシングルとなる。
        • 桑田佳祐と原由子の結婚は史実と変わらず
        • Ya Ya(あの時代を忘れない)は史実よりヒット
        • EMANONが不振に終わるのは史実と変わらず
          • アルバムの綺麗も史実ほどヒットしなかった
            • 史実で綺麗に収録されているかしの樹の下では検閲に引っかかり収録できなかった。
        • ミス・ブランニューデイは史実よりヒットした
        • BYE BYE MY LOVE(U are the one)も史実よりヒット
        • メロディも史実よりヒット
        • アルバムの人気者で行こうとKAMAMKURAの完成度は史実をも遥かに上回るものになった
          • 吉田拓郎の引退の噂はなく吉田拓郎の唄は制作されなかったかも
          • Computer Childrenは史実以上のハイテクサウンドを駆使した楽曲になっていた
        • 1983年を最後に紅白歌合戦の出場が長期間途絶えることはなかった
          • 1982年の紅白歌合戦での物議を醸す行動もなかった
          • 1984年はミス・ブランニューデイで出場していた
          • 1985年はBYE BYE MY LOVE(U are the one)で出場していた
        • 1985年を最後に原由子の産休で活動休止に入るのは変わらず
        • 1986年以降のサザンオールスターズはソロ活動に突入した
          • 桑田佳祐がKUWATA BANDを期間限定で結成するのは変わらず
            • 松田弘の参加も変わらず
            • KUWATA BANDの解散後の1987年の桑田佳祐と松田弘がソロ歌手として活動するのも史実と変わらず
      • チャゲ&飛鳥→CHAGE&ASKAのデビューも史実と同時期
        • チャゲも飛鳥涼も青年期に志願兵として兵役を経験
        • ユニット名はチャゲ&飛鳥からCHAGE&ASKAを経て、現在のCHAGE and ASKAに
          • 正式名称としてCHAGE&ASUKAを名乗ったことはなかった
            • レコードジャケットのクレジットのデザインとして名乗ったことはある。
        • ひとり咲きでデビューするのは変わらないが、史実以上の不振に終わる。
          • ひとり咲きで夜のヒットスタジオに出演することはなかった。
        • デビューのきっかけとなった流恋情歌も史実以上の不振に終わる
        • ファーストアルバムの風舞は史実以上の不振に終わった
          • このアルバムから私の愛した人がシングルにリカットされた
        • 万里の河でブレイクするのは史実と変わらず
          • 夜のヒットスタジオへの初出演も万里の河だった
          • 万里の河は史実よりもヒットした
          • 万里の河以降はなかなかヒットシングルに恵まれず
            • しかしコンサートライブはむしろ史実以上の大盛況で場合によってはチケットが発売からすぐに入手困難に
            • 万里の河以降のシングルはほとんど不振続きに終わったのは史実と同じだが、それでも男と女やオンリーロンリーは史実よりそれ相応にヒットした。
            • 熱い想いと北風物語は不振に終わったほか、1983年のシングルもどれも不振に終わった。
            • 南十字星がアルバムからシングルにリカットされた。
          • 1984年のMOON LIGHT BLUESと標的は史実よりはヒットしただろう。
        • 1985年の夏と秋に史実にないシングルをリリース
        • SUPER BESTは1985年12月頃のリリースになっていた。
        • Standing Ovationはリリースされなかった。
        • 1986年初旬に他者への提供曲のみで構成されたセルフカバーアルバムを発表していた。
          • 葛城ユキに提供したボヘミアンもこれに収録された。
        • チャゲアスは史実と同じく、当初は演歌フォークと呼ばれる演歌の要素を取り入れたフォーク調の作風の路線を行くが、1982年末辺りを契機にニューミュージックに路線変更し、更に1984年~1985年にJ-POPへと作風を変える路線変更を行った。
          • 真紅な動輪のサントラ盤の熱い想いまではフォーク調の作風だが、21世紀でニューミュージックになり、IN SIDEとZ=Oneで完全に演歌フォークから脱却しロック、ポップス、テクノなどのJ-POPに路線変更した。
            • 熱い想いが真紅な動輪の主題歌なのは史実と変わらず
            • TWILIGHT ZONEの歌詞が史実と異なる
        • 1986年にレコード会社をデビュー時のワーナーパイオニアからキャニオンレコードに移籍するのは変わらず。
        • キャニオンレコード移籍第1弾のシングルであるモーニングムーンは史実よりヒットした。
          • 財閥系大手企業のCMソングだっただろう。
        • 黄昏を待たずにも史実よりそれ相応にヒットした
          • こちらも大手財閥系企業のCMソングだった
            • もしその場合はモーニングムーンとタイアップ先が同じだった
        • Count Downと指環が泣いたも史実よりヒットした
          • どちらもドラマ主題歌に起用された可能性がある。
        • 1986年は国営放送の紅白歌合戦と産経の世界紅白にW出演した。
          • 紅白歌合戦ではモーニングムーンを唄い、世界紅白では指環が泣いたを唄った。
          • 世界紅白出場がアルバムのMr. ASIAを制作するきっかけとなるのは変わらず。
        • SAILOR MANは史実よりヒット
          • 日本航空のタイアップが付くのは同じ
        • ロマンシングヤードは史実よりヒット
          • 産経のミリタリードラマの主題歌に起用されたかと。
            • 主演は渡哲也か舘ひろし
        • 恋人はワイン色は史実よりヒット
          • テレビ朝日系列のドラマ「あぶない雑居カップル」の主題歌なのは史実と同じ。
            • チャゲアスが連ドラ主題歌を担当するのはこれが最初ではなかった。
        • アルバムのRHAPSODYは史実以上の売上を記録した。
          • レノンのミスキャストの歌詞が史実と違うかもしれない。
          • 狂想曲がシングルにリカットされるのは変わらず。
        • アルバムのENERGYも史実以上の売上を記録した。
          • 先行シングルはLove AffairとTrip
            • Love Affairのリリースは1988年7月頃
            • Tripは史実と同時期
        • 光GENJIへの楽曲提供は史実以上の成功を収める。
        • 昭和天皇崩御から約3か月間は喪服でステージに立つ
          • そのような指導がチャゲアスに限らず行政から入るだろう
          • 昭和天皇崩御に際してチャゲと飛鳥涼は公式のお悔やみのコメントを発表した。
            • 飛鳥涼は昭和天皇へのレクイエムを制作し発表した。
        • WALKの発表は史実と同時期
          • 発表時の評判は史実ほどではないが芳しくなかった。
          • 数作ぶりに週間チャートの上位10位圏外へのランクインとなったであろう。
          • 史実と同じく1992年に再発売されその時に高評価されただろう。
        • LOVE SONGは史実よりかなりヒット。
          • 1992年にリミックスされ再発売されるのは変わらず。
          • 1989年のLOVE SONGは民営化されなかった国鉄のタイアップが付いたかも。
        • 10周年のアルバムであるPRIDEは史実以上の売上。
          • 表題曲のPRIDEはチャゲアスファンはもちろん、ファンに限らずコアなリスナーからも史実以上の人気。
          • 天気予報の恋人の認知度も史実以上。
          • 砂時計のくびれた場所の認知度は史実以上だった。
        • アジア進出は昭和末期には行われる。
          • チャゲアスの大東亜共栄圏ツアーも1986年頃には定番に。
      • TM NETWORKとglobeの活動とその経緯が史実と異なる。
        • 小室音楽は史実以上の支持を得ていた
        • 宇都宮隆と木根尚登がSPEEDWAYを結成するのは史実と同時期
          • 宇都宮隆は青年期に志願兵として兵役を経験
            • 木根尚登も実父の指示と宇都宮隆の誘いで志願兵として兵役を経験しただろう
          • SPEEDWAYに小室哲哉が加入するのは史実と同時期
        • SPEEDWAYが何のヒットもないまま1983年に解消するのも史実と同じ
        • SPEEDWAY解散後の小室哲哉と木根尚登とオーストラリア人ボーカリストの新ユニット構想はなかった。
        • SPEEDWAY解散後は小室哲哉は即座に宇都宮隆と木根尚登にTM NETWORK結成を呼び掛けた。小室のこの声に宇都宮と木根はすぐに応じて、TM NETWORKは結成された。
          • フレッシュサウンズコンテストで優勝しデビューの切符を掴むのは変わらず
        • 1984年4月21日のデビューは史実と同じ
          • 1stアルバムのRAINBOW RAINBOWの収録曲は史実以上に難解な歌詞が多かった。
            • 金曜日のライオンがデビューシングルになるのは変わらず
            • 1974のシングルへのリカットは史実と同じ
              • シングルジャケットに木根尚登の姿がないのも同じ
        • 木根尚登が坊主頭を拒否する代わりにサングラスをするのは史実と変わらず
        • ACCIDENTのリリースは史実と同時期
          • 作詞が松井五郎なのも史実と変わらず
          • ACCIDENTを収録したアルバムのCHILDHOOD'S ENDの発売時期も史実と同時期
          • CHILDHOOD'S END収録のDRAGON THE FESTIVALのリミックス版のシングルでのリリースも変わらず
            • YOUR SONG("D"Mix)と併せて12インチシングルとしてリリースされるのも史実と変わらず
        • 初期は阿久悠との楽曲制作も行った
        • 湯川れい子や秋元康もTM NETWORKの楽曲制作に参加した
        • 松井五郎との楽曲制作は史実よりかなり増えた
        • 神沢礼江や川村真澄との楽曲制作は変わらず
        • 小室みつ子との楽曲制作は史実以上
        • 澤地隆とも楽曲制作を行っていた
        • TWINKLE NIGHTの発売は史実と同時期
          • 表題曲のTWINKLE NIGHTの歌詞が史実と若干異なる
    • 阿久悠、松本隆、筒美京平、橋本淳、秋元康は史実をも上回るヒットメーカーになっていた。
  3. 国策映画や国策音楽は戦後も多数制作された
    • 戦前の国策映画の主題歌となった蘇州夜曲は史実以上に歌い継がれている。
  4. 伝統芸能が戦後も伝承されるのは史実と変わらず
    • むしろ史実以上に伝承され現在に至る。
  5. 映画やドラマやアニメは以下のようになっていた。
    • 映画は戦後史実以上に流行するが、高度経済成長によるテレビの普及で衰退。
      • 但し、1980年代以降の映画館のシネコン化やインターネットの普及によるテレビ業界の低迷で昨今復調するのは同じ。
      • 映画館のシネコン化は史実より早くに始まっていた。
    • 東宝映画が阪急傘下なのは変わらず
      • 帝国復古に反対した社内の集団が第2次東宝争議を起こしたかも
        • 第2次東宝争議が起きた場合、東宝は確実に行政からの懲罰を受けていた
    • 東映が東急グループを離脱することはなかった
      • 石原軍団の映画を多数制作していた
        • 史実以上に制作していただろう
      • 特撮作品の制作も多数行うのは変わりなし
      • 朝日が資本傘下することはなかった
      • 経営拡大も史実より進んでいる
        • シネコンのT・ジョイを展開するのは史実と変わらず
          • T・ジョイの展開は史実より進んでいるだろう
      • アニメ映画も史実より多数制作していた
    • シネセゾンは西武映画として高度経済成長期には発足していた
      • 流通系に属するのは変わらず
        • 鉄道グループとの分裂がないので、西武鉄道やプリンスホテルとのコラボは盛んに行われる
      • 1980年代にシネセゾンに改組
      • 解散することなく現在まで存続
        • シネコンのセゾンシネマを全国展開している
        • ラブライブ!シリーズの映画版はここが制作し配給している
  6. タレントエージェンシー法が成立し、その影響で芸能人による労組が結成されていた。
    • 芸能人の労組の大半は同盟系であるが、史実の進歩的文化人及びそれに近い立場のタレントは総評系の労組に所属していた。
    • また、JASRACのあり方も史実と異なっていた。
      • JASRAC自体は存在するが著作権管理の主体はアーティストの所属する労組にある。
      • またJASRACも同盟系の大手芸能労組の言いなりになっていた。
    • JASRAC以外にも著作権管理団体があったかもしれない。
  7. ゴジラシリーズは幼児/自動/少年層向けの国軍プロパガンダ映画として史実以上に親しまれている。
    • 2004年で一旦シリーズ終了などということはありえない。
    • 国の体制が史実と異なった影響でシン・ゴジラにも差異がいくらか出た。
      • 蒲田くんの段階で機関銃の発砲及びミサイル攻撃が行われていた。
      • ゴジラ滅却のために用意された核ミサイル及び原潜は史実の作品と違い米軍ではなく新日本軍のものだった。
      • ヤシオリ作戦で使われた無人攻撃機群は日米混成部隊だった。
      • 無人在来線爆弾には史実より多数の車種が登場していた。
  8. ウルトラシリーズでは防衛組織の代わり新日本軍が登場していた。
    • 史実における作品での架空銃・架空機の立ち位置に実際に使われている軍用機や銃が登場する。
  9. 仮面ライダーシリーズは中国の抗日ドラマ的ポジションになっていた。
    • ショッカーは「ネオナチと共産主義者の連合組織」という設定になっていた。

金融[編集]

  1. 金融業界で日本が令和初期の今も世界で物言い続ける国なのは変わらず。
    • 東京市場も世界に冠たる株式市場のままである。
    • 日本の都市銀行や証券会社も世界の金融市場で史実以上に物言う存在である。
  2. 証券取引所の数は史実より多く廃止も史実より少なかった。
    • 史実で廃止された証券取引所は全て2019年現在も存続
    • 東京証券取引所と大阪証券取引所の経営統合も行われていない
  3. 平成以降は銀行や証券会社は史実ほど積極的に合併しなかった
    • メガバンクも誕生しなかった
      • みずほ銀行は今でも第一勧業銀行、富士銀行、日本興業銀行と別々のまま
        • 日興コーディアル証券は日興証券として日本興業銀行と同一グループのまま
      • 三菱UFJ銀行も三菱東京銀行やUFJ銀行にすらならない
        • 三菱銀行、東京銀行、東京三菱銀行、三和銀行、東海銀行、東洋信託銀行のいずれも現存



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