もし日本のあの地域が平野だったら

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日本は山がちな地形が多いですが、もしあの地域が平野だったら?

全般[編集 | ソースを編集]

  1. どこが平野になるにせよ、人口配置が変わっていた可能性が高い。
    • 史実で峠・盆地という交通の要衝だった地域は史実ほど発展しなかっただろう。
    • 都(道)府県の境界も大幅に変わっていただろう。
  2. 全般的に日本の人口は増えていたかもしれないが、開発で人口の涵養力が減ってそこまで増えてなかったかもしれない。
    • 人口のバランスが均衡化されて森林などが増えていたらそこまでではなかったかもしれない。
  3. 中央集権化が進んでいた。日本海の荒波を超えないといけないので遊牧民や漢民族による侵略は少ないと思われる。

北海道[編集 | ソースを編集]

大雪山系[編集 | ソースを編集]

  1. 札幌・手稲山にあるテレビ・ラジオの電波はオホーツク海側にまで届く。
    • したがってオホーツク管内でもTVhを普通に視聴できた。
    • 無理じゃね?せいぜい旭川までだろ。
  2. 冬は雪雲をせきとめるものがないので、北寄りのみならず西寄りの風でも普通にオホーツク海側は雪。
  3. スキー客はニセコに一極集中。
    • オーストラリア人が来なくてもバブル期並の集客力を誇っていた。
  4. 日本の食料自給率がもう少し上がっていた。
  5. 石北本線の利用者は確実に史実より多くなっていた。
    • 当然、上白滝駅の廃止はない。

知床[編集 | ソースを編集]

  1. もちろん世界自然遺産に登録されていない
    • 車道が知床岬まで開通している。
  2. 根北線が開通していた
  3. 岬まで道路が開通していた。

日高山脈[編集 | ソースを編集]

  1. 日勝線が全通していた。
  2. 十勝平野が日高地方まで続いていた。
  3. 日高管内に市が一つくらいはあった。
  4. 二風谷ダムはなかった。

東北[編集 | ソースを編集]

三陸沿岸[編集 | ソースを編集]

  1. 当然リアス式海岸になどならない。
  2. 気仙沼、陸前高田、大船渡、釜石、宮古、久慈は全て人口10万人を越えていた。
    • 仙台からこれらの都市を経て八戸に向かう「三陸本線」が開業していた。
      • むしろそっちが八戸・青森方面への大動脈になっていて東北本線を名乗ってるかもよ。
        • 利府〜品井沼は最初から敷設されない。
      • あまちゃんのストーリーが現実と変わっていた。
  3. 岩手県の米生産量は秋田や新潟に匹敵するレベルになる。
    • それでもやませに苦しめられるのは同じ。
  4. むしろ内陸と沿岸で別の県になっていたかもしれない。
    • 沿岸の県名は「宮古県」か「釜石県」。
      • 宮古県は沖縄と名称でもめる。
      • この場合「閉伊県」となっていた。
  5. チリからの津波が内陸奥深くまで達して大被害が出る。その後数年は塩害に苦しめられるので、復興が遅れる。
    • しかし、市街地にまで津波が及ぶことはなかった。

阿武隈高地[編集 | ソースを編集]

  1. 福島県とは別に「平県(or磐前県)」が出来ていた。
    • 原町は人口10万人以上。富岡や浪江も市制施行していた。
  2. 常磐線は「常磐本線」となっていた。
    • 常磐線と東北本線を結ぶ路線が「福島~相馬」など複数できていた。
    • 磐越東線は平ではなく浪江が終点になり、白河~棚倉~平や日立~大子~黒磯などに路線ができていた。
  3. DASH村はこの地域ではない。
  4. 浜通りへの原発建設はなかった。

奥会津[編集 | ソースを編集]

  1. 檜枝岐村は人口密度全国最下位にならずに住んだ。
    • 稲作が行われていたかも。
  2. 尾瀬が原が存在しない可能性も。
    • 存在していたとしてもとっくの昔に食糧増産で消滅したと思われる。
    • 国道401号は分断されていない。
  3. 会津藩の降伏が早まった。
  4. 野岩線は戦前のうちに開業。

奥羽山脈[編集 | ソースを編集]

  1. 東北6県の県庁所在地が平地繋がりになり、関東平野とも合体。
  2. 仙台が首都圏並みの巨大都市圏になっていた。
  3. 平地が増え、食料自給率も80%を超えたかも。
  4. 奥羽山脈がないので、秋田県内陸部は今より雪が少なく、北上高地が豪雪地帯に。
    • 水源も北上高地頼りになる。
  5. 史実の面白山高原あたりが仙台のベッドタウンになっていた。
    • そのへんのほうが仙台に近くて便利なので、山形市は衰退し人口激減。酒田が新潟や関西を志向する独自路線で地位を維持し県庁所在地になっていただろう。
  6. スキー場が減ってウインタースポーツファンはがっかり。

朝日山地[編集 | ソースを編集]

  1. 羽越本線は架線下DCで運行されず、E721系・E129系の交直流版で運行されていた。
  2. 山形県庄内地方は新潟県となっていた。

飯豊山地[編集 | ソースを編集]

  1. 福島県の細長い部分はない。
  2. 日中線は米沢まで延伸されていた。

関東[編集 | ソースを編集]

日光[編集 | ソースを編集]

  1. 今市市と合併する事は無かった…か?
    • 少なくとも大合併するような事は無かったはず。
  2. 足尾線は全開通していた。
    • 日光駅まで延伸していたと思われている。
  3. 久能山東照宮の知名度が史実より高かった。
  4. いろは坂や華厳の滝は無かった。
  5. 足尾銅山も存在しないので鉱毒事件はなかった。
    • 谷中村は廃村にならなかったが、昭和の大合併で藤岡町に併合される。

西毛[編集 | ソースを編集]

  1. 高崎市はもっと発展していたはず。
  2. 要するにもし日本航空123便が市街地に墜落していたらである。
    • 少なくとも住宅は少ないと思われるのでそれほど被害は無かったかも。
  3. 上信電鉄が佐久まで伸びていた。
  4. 信越本線は内山を通るルートで開通していた。

房総丘陵[編集 | ソースを編集]

  1. 小湊鉄道と木原線(現久留里線・いすみ鉄道)はともに全線開通していた。
  2. 市原市が中核市、場合によっては政令指定都市になっていた。
  3. 養老渓谷は存在しない。
  4. 鹿野山に測地観測所は造られなかった。
  5. 明治から大正にかけて東京と房総を結ぶ私鉄路線が開業していた。
    • 小湊鉄道は京成に飲まれていたか、あるいは自力で東京延長を果たして大手私鉄になっていた。
  6. 東京湾アクアラインは房総ニュータウンから東京への通勤客でごった返し、下手すりゃ4車線ぐらいに拡張されている。
    • もちろん通行料があんなに高くなることはなかった。
  7. 千葉県最高峰がさらに低くなる。

秩父盆地[編集 | ソースを編集]

  1. 秩父鉄道はとっくに旧大滝村まで延長している。
    • 現在は山梨県方面延長を計画している。
  2. 小鹿野町はとっくに合併している。
  3. 長瀞の風景が悪くなりそう。
  4. 西武池袋線は飯能駅からほぼまっすぐ秩父方面に伸びており、吾野駅が終点ということはなかった。
    • 飯能駅はスイッチバックにならず、八高線との乗換駅になっていた。
  5. 埼玉県は完全に南関東地方になっていたか…?
  6. 彩甲斐街道は有料道路になる事は無かった。
  7. 熊谷はそれほど暑く無かったかもしれない。
    • 観測史上最高気温の記録は高知県四万十市の41.0℃のまま。
  8. 西武鉄道の軽井沢延伸が実現していたかも

奥多摩[編集 | ソースを編集]

  1. 「東京都の田舎」と言われてもピンと来ない。
    • しかし大島があるのでこれは微妙な所。
  2. 奥多摩町は檜原村と合併した。
    • そして市制施行。
    • むしろどっちも独立を保っていて市制施行している。
  3. 五日市線は檜原村まで延長していた可能性も。
  4. 奥多摩~塩山を結ぶ路線が出来ていた。
    • 中央本線がこのルートになるかも。
  5. 多摩川がもっと長くなる。
    • 小淵沢あたりに源流が。
  6. 丹波山村と小菅村は東京都になってもっと人口が多かった

丹沢[編集 | ソースを編集]

  1. 松田町と開成町と大井町辺りは市制施行していた。山北町は史実と異なり玄倉町と分割していたかもしれない。
    • 現在は小田原市と合併構想が存在していたかもしれない。
    • 清川村も史実より人口が多く町制していたかも。
  2. もしかしたら足柄県が出来ていた?県庁は小田原市。
  3. 旧津久井町部も平地化していたため、豊富な後背地を背景に京王相模原線の相模中野延伸が実現、当駅から東野/月夜野に向けてバスが12分間隔で出便していた。
    • なおその場合も旧相模湖町/藤野町部は山地のままなので、中央快速の高尾止まりは史実通りであって、相模湖止まりに延伸等はしないだろう。

三原山(伊豆大島)[編集 | ソースを編集]

  1. 本州から伊豆大島は見えなかった。
  2. ゴジラ岩が出来ないので、ゴジラの聖地になることはなかった。
    • 代わりにここが聖地になっていた。

中部[編集 | ソースを編集]

群馬・新潟県境付近[編集 | ソースを編集]

  1. フェーン現象が無くなり、群馬県や埼玉県北部が夏に猛暑に苦しむ事は無かった。
    • 熊谷はあつくなかった。
    • 逆に冬は関東平野で雪の積もる日が増え、東京都内でも新潟並みの雪対策が進められていた。
  2. 上越線は信越本線より先に開通。大宮~高崎~長岡~新津~新潟間が「武越本線」となっていた。
    • 北陸本線の終点は直江津ではなく長岡。
      • 長岡ではなく宮内。
      • 信越本線は別の名前になっていたかもしれない。
    • 上越新幹線が東北新幹線より遅れて開業せずに済んだ。
    • 北陸新幹線は越後湯沢で分岐し、史実の北越急行に近いルート(越後湯沢~十日町~上越妙高)を通っていた。
      • 一方で長野新幹線は軽井沢~長野がミニ新幹線となっていた。
  3. 新潟県の人口はもっと増えていた。
    • 新潟市は1960年代には人口50万人を突破。仙台市と同じく1989年ごろに政令指定都市へ移行。
    • 新潟県は関東地方になっていたかも。
    • だだっ広い平野のおかげで史実以上に車社会化が進行。
  4. 国道17号・国道291号・国道353号は分断区間が最初から無かった。
  5. 「雪国」も「大清水」も世に出なかった。
  6. 上毛高原駅は無く、水上駅に停車していた可能性も。
    • そもそも水上自体温泉街にならず東京のベッドタウン化している。
  7. 土合駅は日本一階段の多い駅じゃなかった。
    • 新潟のスキー場が大幅に減っていた。
  8. 渋川・沼田あたりも住宅地になり、平成の大合併あたりでそのまま前橋市に飲まれていた可能性大。
    • 前橋より高崎のほうが人口が増えることはなかった。
  9. 両県境が大幅に異なっていた。
    • 湯沢あたりまで群馬県になっていてもおかしくない。

碓氷峠[編集 | ソースを編集]

  1. 軽井沢は市制施行していた。
    • 無論避暑地にはなっていない。それどころか夏には熊谷や館林と最高気温争いをしている。
  2. アプト式鉄道やEF63形電気機関車など、横軽のために開発された鉄道システムはすべて存在しなかった。
    • 信越本線は新幹線開通後も分断されていない。
      • 軽井沢までの3セクは史実通りかもしれないが。
        • この場合高崎までしなの鉄道の路線だった。
        • 3セク化は県単位で行われているので、群馬県区間はJRのままでしょう。
          • 横川以東も三セク化していたと思われ。
  3. 日本の東西を結ぶ大動脈中山道経由になっていた
    • 東京・京都間の鉄道は当初中山道ルートで建設される予定だったが、碓氷峠の急勾配がネックとなり現在の東海道ルートに変更された為。
  4. 上信越自動車道は富岡から真っ直ぐ軽井沢に向かい、松井田妙義ICは設置されなかった。
  5. 長野と群馬は史実よりも発展し、太平洋側は史実よりも発展しなかった。
    • ただし別荘地としての需要はなかった。
  6. 碓氷は片峠なので平地になりようがないのだが。

日本アルプス[編集 | ソースを編集]

  1. 長野や岐阜の気候が大幅に変わっていた。
  2. 中仙道が山道ではないので東海道と肩を並べる道路となっていた。
    • 中央自動車道中央本線も諏訪へ遠回りをしていない。
    • 日本最初の鉄道は中山道沿いを通り、「中山道本線」になっていた。
      • 日本最初の新幹線も中山道経由で「中山道新幹線」になっていた。
    • それでも碓氷峠がネックとなる。
      • 碓氷峠から西が西日本扱いだった
      • 碓氷峠を避けるため甲州路(国道20号・JR中央東線沿い)がメインルートになるかもよ。南アルプスがなければ少し楽になるはず。
        • 参勤交代でこっちを通る大名が多かった。
        • 徳川秀忠が上田城を攻めなかった。
  3. 北陸新幹線は長野~白馬~富山というルートだった。
    • 新潟県を通らないルートになっていた。
    • 国内のトロリーバスが全滅していた。
  4. 富士山はアルプスではないので関係ない。
    • 「富士見」の地名が周辺各地にもっと増えている。
    • 富山あたりの日本海沿岸からでも富士山が見える。
  5. 当然リニアも某○井知事がゴネることはなく、あっというまに直線ルートで飯田を通るルートに決定。
    • 静岡県が揉める事もなかった。
  6. 静岡市清水市と合併せずとも政令指定都市になれていた。
  7. 諏方国は廃藩置県までずっと存続した。
    • 現在は「塩尻県」か「飯田県」になっている。
  8. 「アルプス」といえば本家のヨーロッパのみを指した。
  9. ハクサンイチゲとかキタダケソウの名前もない。日本の高山植物の種類がだいぶ少なくなっている。
  10. 野口五郎岳も存在しないので野口五郎の芸名は別の名前となっている。
  11. 親不知がないので北陸と江戸(東京)は往来しやすくなっていた
    • なので北陸地方の東京志向が現実より強くなっている。
    • 逆に新潟や東北日本海側の大阪志向も強かった。
  12. 三遠南信自動車道は計画変更がないので、全線開通の時期が早まっている。
  13. 飯田線に秘境駅は無かった。
  14. 国道418号はキングオブ酷道と呼ばれていない。
  15. 君の名は。」の糸守町の風景がかなり変わっている。
  16. 松本と高山を結ぶ鉄道路線が開業していた。
  17. 静岡には雪が降るようになる。
  18. 東日本の気温が今より冷涼になっている。フェーン現象が起こらない為、関東や新潟北陸は猛暑から解放される。
    • 夏は台風による南風は全て海風となる為、気温が上がらない。
    • 夏は冷涼かつ乾燥するが、新潟は秋になると台風の直撃を受け易くなる。
    • 冬は対馬海流が東日本を通り抜ける為、関東では積雪が多くなり、東北では積雪が減る。
      • 東北太平洋側はCwa、Cwb(温帯夏雨気候)に
      • 取り合えず秋田山形は今よりも穏やかな気候になっていると思われる。
    • 農業も稲作から小麦になっていたかも。

近畿[編集 | ソースを編集]

鈴鹿山脈[編集 | ソースを編集]

  1. 東海道本線東海道新幹線名神高速道路など道路・鉄道の主要幹線は四日市経由となっていた。
    • 東海道本線と北陸本線の分岐駅は草津駅となっていた。
    • 東海道新幹線が冬に関ヶ原の雪で悩まされることもなかった。
  2. 三重県が現実以上に発展している。
    • 逆に岐阜県は主要ルートから外れるため、あまり発展しなかった。
      • 少なくとも飛騨地方は富山県になっていた。
      • 四日市の政令市移行構想もあった。
  3. 三重県は現実以上に近畿地方としての性格が強くなっていた。
  4. もちろん東海道の鈴鹿越えも存在しない。
    • 鈴鹿の関もない。
      • となれば「関の山」なんて言葉もできない(別の関所が由来になってるかもしれないけど)。
        • 聞きかじりの話では「関の山」は関の町の「山車」が語源という説もあるらしいので鈴鹿の山がなくても言葉はあったかも。あ、その説に従っても鈴鹿の山がなければ関所も置かれないから関という地名が生まれてないから違う言葉になっているか。
    • 琵琶湖の水がこっちに流れる
  5. 三岐鉄道は関ヶ原まで開通できていた。木ノ本まで伸ばせたかは微妙だが。

京都盆地[編集 | ソースを編集]

  1. 大文字焼きは最初から無かった事に。
    • その菓子の由来となった五山送り火ももちろん存在しない。
  2. 東海道本線は当初から現在のルートを通っていた。
  3. 滋賀県県庁所在地が彦根市になっていた
    • 一方大津市は「京都市大津区」になっていた。
      • 大津駅は新快速に素通りされる。
        • 駅名は東京都(ひがしきょうと)か京大津(みやこおおつ)になってたかも。
  4. 京都市付近はテレビ大阪のスピルオーバーを拾えるように。
    • 現状でもデジタルを含めて十分拾えていますが…(京都御苑近辺在住)
    • びわ湖放送も四六時中受信できるようになりそう。
      • いや、BBCはそもそも存在し得なかった可能性のほうがデカイ。
  5. 「山城」とは呼ばれなかった。近江国の一部と扱われていただろう。
  6. 延暦寺はどこか違うところにできていた。
    • 比良山延暦寺とかになっていたかも。
  7. 京都はもともと三方を山に囲まれたから台風なども少なく発展したのだ。したがって盆地でもない京都は大津京などの様に素通りされていた。
    • 奈良の平城京が未だに都だ。したがって東海道も奈良経由。
    • 京都は完全に大阪平野の一部。
    • 京都の郊外都市だった大坂(大阪)や堺は正史よりも小都市だった。でも大坂は港都市だったから正史通りだったかも。
    • 794うぐいすが、実現していた場合、街自体が、鴨川の東~浜大津の辺りに広がっていた可能性もある。史実とスライドして。
      • どのみち長岡京は短命に終わっている。
  8. 日本におけるインクラインの知名度が低かった。
  9. 京都という土地が風水思想にそぐわないので都がおかれることはない。

生駒山地[編集 | ソースを編集]

  1. 奈良県は史実以上に大阪の植民地になっていた。
    • 下手をすると奈良県自体存在していない。
    • 奈良県ではなく堺県が存在していたかも。エリアは旧和泉・河内・大和国。
    • 史実は生駒山地を境に東西に分かれているが、この場合は大和川を境に南北に分かれていそう。
  2. 生駒山に電波塔が設置されることは無かった。
    • 代わりにOBP辺りに東京タワークラスの電波塔が設置されていた。
      • そこからTVOは電波を発していて、MXTVA同様関西全域がスピルオーバーの恩恵を受ける。
        • 逆に奈良テレビも大阪で視聴できるようになっている。
    • 地デジ化に伴い東京スカイツリークラスの電波塔が建設される。
      • 設置場所は阿倍野あたりが有力か?
        • 近鉄が大阪ドームとセットで建設していた可能性もある。
  3. 大阪府生駒市。
    • 生駒市は東大阪市にされていた。代わりに布施市が八尾市とともに大阪市に編入されていた。
    • 生駒とその他大勢は河内になっていた。
  4. 京阪交野線は生駒まで延長されていた。
  5. JR片町線と関西本線のルートが変わっていただろう。
    • 近鉄奈良線はさらに激しい競合にさらされるものの、生駒トンネルがないので大阪電気軌道の経営は史実よりマシだった。
    • 梅田から奈良へ行くのが現実よりも便利になっていた。
      • 現実には大和路快速が直通しているものの、ルート的には大きく迂回している。
    • 大阪から見れば奈良市神戸市よりも近い場所だというイメージが強くなっていた。
    • 湊町や天王寺がターミナルたりえたか怪しい。
    • なにわ筋線計画にJRは関わっていなかった。
  6. 神武天皇があっさり浪速から大和盆地(盆地じゃないか)に入る。熊野の八咫烏、出る幕なし。
    • 地元豪族も地の利を活かしにくいだろうからなぁ。
    • 日本サッカー協会のマスコットはどうなっていただろうか...。
  7. 生駒山地がなくなると、八幡市~柏原市の山地が全部消えることになる。そうなると、山林を切り開いて作ったけいはんな学術研究都市がそもそも存在していなかったかもしれない。
    • 木津川も、三川合流まで北上せず国道163号線沿いに西流して寝屋川になっていた可能性もある。
  8. 国道308号にあたるルートは国道25号に指定されていた。
    • もちろん酷道になるなんてありえない。
  9. 大阪都市圏の拡張性が史実より増えるので大阪経済が東京に抜かされるのは史実より遅れていた
    • まして阪神工業地帯のGDPが中京工業地帯に抜かされる事は無かった

紀伊半島[編集 | ソースを編集]

  1. 和歌山は埼玉や茨城のように野菜の生産が盛んになっていた。
    • 関西人の胃袋を支える存在に。
    • 梅は栽培されていたがみかんは栽培されず、みかんの生産量1位は今でも愛媛。
  2. 当然交通網は大いに発達。
    • 紀勢本線は戦前に全通。五新線も当然開通。
      • 海から離れた所を走る区間も多かった。
    • 高速道路もとっくに開業。
    • 国道425号が酷道になることはなかった。
      • 市にGO!線と呼ばれるようになった。
      • 国道371号や国道422号は既に全線が整備されている。
  3. 和歌山県の人口は2倍になっていた。
    • 田辺市は特例市、新宮市も10万人を突破していた。
      • 田辺はあんなに大きくならなかった。
    • 奈良県南部に「十津川市」ができていた。
  4. 尾鷲市が日本一雨の多い市といわれることはなかった。
    • 代わりに大阪市が日本一雨の多い市といわれる。
      • 大阪市ではなく、神戸市かも。でも、どっちみち水の問題はないに等しくなる。
  5. 冒険でしょでしょ?
    • なぜここでハルヒ
      • ヒント:「平野」の読み方。
  6. 熊野古道が世界遺産に登録されることはなかった。
    • 地の果てという意味で熊野なので熊野の地名もないかも知れないし、那智の滝もないし古代の人々は熊野の地に何の畏敬の念も抱かず、熊野神社はなかった。
      • 特急「紀伊」のイラストマークも別のデザインに。
  7. 大阪の降水量が多くなっていた。
    • 台風の上陸も多くなっていた。
    • 阪神タイガースのゲーム消化のペースが遅くなっていた。
      • 2009年はCSに進出できていた可能性がある。
      • 高校野球の雨天順延もさらに増え、会場の変更やドーム化がより真剣に議論される。
    • 冬は雪も多かった。
      • それは中国山地等がなくて、和泉・金剛山系がなくて雪雲が紀伊山地で足止めされる場合か、または和泉・金剛山系が高くて雪雲を足止めする場合では?これでは雪雲は現実通り中国山地等に阻まれ、それを乗り越えても紀伊山地等がなくてそのまま足止め喰わず素通り。
  8. 南海高野線は全線で20m車が運行可能となっていた。
    • そればかりか龍神を経て紀伊田辺まで延伸されていた。
  9. 近鉄吉野線が熊野市まで延伸されていた。
  10. 大阪か京都が首都になっていた可能性がある。
  11. 大阪の夏の暑さが少しはましになっていた。
  12. 後醍醐天皇は吉野方面に逃れて隠れる事ができず、さっさと室町時代突入。
    • 四国か中国地方(名和氏のとことか?)に逃れるかもしれないけれど。
  13. 「太陽の黙示録」で紀伊半島は完全に水没していた。

六甲山地[編集 | ソースを編集]

  1. 神戸市の人口は200万人を越えていた。
    • 北区はさらに分区され、「有馬区(仮)」ができていた。
      • 有馬温泉は存在し得なかったか、あったとしても温泉街の風情は全くなかった。
    • そして震災の被害がひどくなる…
      • 死者は間違いなく1万人を超えていた。
    • 西日本の中心都市は大阪ではなく神戸になっていたかも。
  2. 阪急神戸線はもっと北を走っていた。
    • 阪急宝塚線の有馬延伸も実現していた。
    • 神戸市営地下鉄は谷上まで路線を伸ばしており、北神急行は存在しない。
      • 当然途中駅もある。
    • 山陽新幹線新神戸駅はトンネルの合間ではない。
      • ホームは島式2面4線となり、東京方面からの折り返し列車も設定されていた。
        • 新幹線西明石駅は設置されていなかったかもしれない。
          • 明石海峡大橋が開通した頃になってから、淡路島方面との接続のために設置されたかも。
    • 三宮から摩耶・有馬を経て三田に至る国鉄路線が存在した。
      • 新神戸駅は「摩耶駅(現実で摩耶山頂のあるあたりに存在する)」を新幹線開通時に改名。
    • 神戸電鉄は大手私鉄になっていた。
  3. 「阪神タイガースの歌」は全く異なる歌詞になった。
  4. ポートアイランド・六甲アイランドは整備されなかった。
    • あるいは神戸市内に地下鉄が現実以上に整備され、その残土で埋め立てられていた。
      • 地下鉄の残土って埋め立てるほども出ないぞ、掘る体積考えれば。
  5. 一ノ谷も無い。平氏も異なる場所に陣を敷いたと思われる。
  6. もちろん「六甲のおいしい水」などというミネラルウォーターはない。
  7. 福原京は長続きした。
  8. 灘で酒造業が発達することはなかった。
  9. 神戸市自体そこまで広くならなかった。
    • 少なくとも北区の北半分と西区は編入されなかった。
  10. 宝塚渋滞は疾うの昔になくなっている。
    • 山陽道と中国道は吹田市あたりで分岐し、名神豊中あたりから山陽道が真西へ伸びていた可能性が高いため。
      • まあ、後5年近く待ったら、新名神の神戸三田~高槻が完成するから、それまでの辛抱なんだけどね。
  11. すかいらーくグループの回転ずしチェーンの名前は「魚屋路」になっていなかった。

丹波高地[編集 | ソースを編集]

  1. 京都府と兵庫県の北部は現実よりも発展していた。
    • 舞鶴・福知山・豊岡の各都市は15~30万人程度の規模の都市になっていた。
    • これらの地域で独立した県を形成していた。県庁所在地はこの3都市のどこかになっていた。
  2. 京阪神地区は現実よりも冬季の積雪が多くなっていた。
  3. 京都府内には京都市・宇治市以外にも10万人規模の都市ができていた。
    • 京都市右京区や左京区の北部は京都市に編入されず、独立した都市になっていたかもしれない。
  4. 保津川下りや嵯峨野観光鉄道もなかった。
    • 桂川は蛇行せず、京都府中部からまっすぐ南下して流れていた。
  5. 福知山線山陰本線京都口も現実よりも早くに近代化されていた。
  6. 叡山電鉄は鞍馬から先、舞鶴や小浜まで延伸されていたかもしれない。
  7. 亀岡市は現実よりも大阪志向が強くなっていた。大阪方面に向かう鉄道が建設され、道路も改良されていた。
  8. 北陸新幹線は小浜ルートにすんなりと決まっていた。
    • 2014年に金沢まで開業した後、即座に新大阪まで着工されていた。
  9. 国道477号のいわゆる「百井別れ」は普通の交差点になっていた。

中国[編集 | ソースを編集]

山陰[編集 | ソースを編集]

  1. 西日本最大級、秋田や新潟と並ぶ米の産地になっていた。
    • 鳥取城はもう少し長く秀吉の兵糧攻めを持ち堪えられた。
  2. 鳥取県・島根県ともに人口は100万人を越えていた。
    • 鳥取・米子・松江はすべて中核市。
      • 上記は旧規定の「人口30万人以上」という意味だとご解釈ください。
    • 岩美市や羽合市、大山市などが誕生。
    • 鳥取・島根選挙区の合区は無かった。
  3. 山陰本線は全線が電化・複線化。
    • 陰陽連絡線は伯備線以外も電化されていた。
      • スイッチバックやSL三重連、振り子式車両などは見られなかった。
    • 智頭急行は国鉄智頭線として戦前に開業していた。
    • 山陰新幹線が整備新幹線になっており、まず2015年までに出雲市まで開業。
  4. 美作は鳥取県になっていた。
  5. 山陰自動車道はもっと早く開通していた。
    • そして全線完成4車線。
    • 山陰自動車道は京都縦貫道、山陰近畿道もルートに含めていた。
  6. 民放の相互乗り入れなどない。
  7. 浜田県が存続している。
  8. そもそも「山陽」「山陰」という地域名は存在しなかっただろう。
  9. 三江線がくねくねにならず、利用客ももっと多かった
    • 勿論廃止は免れている。
  10. 可部線は部分廃線されるどころか浜田まで結ばれていた
  11. つまり「中国山地が平野だったら」という事かな。
  12. 中国自動車道に60キロ制限区間はなかった。

山陽[編集 | ソースを編集]

  1. 少なくとも山陽三県の人口は1.5倍〜2倍になっていた。

四国[編集 | ソースを編集]

讃岐山脈[編集 | ソースを編集]

  1. 香川県にも大きな川が流れ、水不足に困ることは無かった。
    • 香川県最大の都市はその川の河口にできる。
    • 香川県の降水量自体も増えている。
  2. 吉野川は別の方向が水源になり、下流では香川と徳島の県境になっている。
    • 鳴門市と板野郡は香川県に属していた。
  3. 琴電が徳島まで延伸していた。
  4. 金毘羅さんの山がもっと目立っていたのでますます航海をする人から信仰を集めていた。

徳島県南部~高知県東部[編集 | ソースを編集]

  1. 徳島県・高知県ともに人口は100万人を超えていた。
  2. 阿佐線はとっくに開通していた。
  3. 馬路村は昭和の大合併あたりで合併されている。
    • ごっくん馬路村もなかったのか。
  4. 平野になる範囲でも変わるが、どうしても高知の局が徳島にスピルオーバーしてしまい、相互乗り入れも視野に入れられるかも・・・。
  5. 上勝町の葉っぱ産業もない。この地域に限っては現実よりも収入が減ってたりしてな。
  6. 国道439号は重要道路としてほとんどの区間で整備されていた。
  7. 坪尻駅は秘境駅じゃなかった。
  8. 無論、かずら橋や剣山もない。

九州[編集 | ソースを編集]

筑紫山地[編集 | ソースを編集]

  1. 福岡市の人口は200万人を超えていた。
    • 日本三大都市は東京・大阪・福岡となっていた。
    • 1956年の時点で政令指定都市の一員に入っていた。
  2. 福岡都市圏の一部になるため佐賀県の人口は2倍以上になっていた。
    • 佐賀市は政令市になっていた。
    • 鳥栖市は中核市になっていた。
    • 太宰府市とか筑紫野市とかが合併して政令市移行していたかもしれない。
    • 福岡県の人口も800万人を越えていた。
  3. 英彦山あたりから博多湾に注ぐ河川があったかもしれない。

北九州市[編集 | ソースを編集]

もし北九州市の地形が山がちではなかったら

大分県南部~宮崎県北部[編集 | ソースを編集]

  1. 宮崎県の陸上交通はもっと発展していた。
    • この地域が陸の孤島と呼ばれることもなかった。
    • 高千穂鉄道も廃線になることもなかった。
    • 高千穂線は全通していた。
    • 東九州新幹線が整備新幹線に挙げられており、2015年に大分まで開業後、2023年に宮崎、2047年に鹿児島中央まで開業する予定。
  2. 現実の大分県中南部+宮崎県北部+熊本阿蘇地方は「延岡県」になっていた。
    • 日田は福岡県に編入され、豊前国全域と国東は1つの県を形成していた。
  3. 大分と宮崎を結ぶ高速が完成していた。
  4. 天下った天孫がこの地で満足してしまい、神武東征がなかった。奈良地方が栄えない。
  5. 日豊本線の利用者は現実より多く、佐伯~延岡間の普通の運行本数が1日5往復未満ということはなかった。
  6. 大分県はトンネルの数日本一じゃなかったかも。

鰐塚山地[編集 | ソースを編集]

  1. 東九州自動車道のこの辺りの区間の工事があんなに難航する事はなかった。
    • 遅くとも平成のうちに開通していた。
  2. 日南海岸の景観も変わり、鬼の洗濯板もなかった。

屋久島[編集 | ソースを編集]

  1. 勿論世界遺産に登録されない。
  2. 縄文杉もない。
  3. 「もののけ姫」も生まれなかった。
  4. 人口も種子島並みにあった。
    • 平成の大合併で屋久島市が出来ていた。

奄美大島[編集 | ソースを編集]

  1. アマミノクロウサギなどの固有種は存在しない。
    • もちろん世界遺産候補になるわけがない。
  2. 奄美地方単独で奄美県となっていた。
  3. 現実の沖縄並みに水不足に悩まされる事に。
  4. 奄美市は全島合併に成功していたか・・・?

西表島[編集 | ソースを編集]

  1. イリオモテヤマネコなどの固有種は存在しなかった。
  2. 竹富町の島のほとんどは「西表市」の一部になっていた。
  3. 2010年代後半に陸上自衛隊が駐屯地を設けていた。
  4. 大原港は史実の石垣港並みに発展していた。
  5. もしかしたら、西表島でマラリアは発生しなかったかもしれない。その場合、石垣島より西表島のほうが人口が多かった。

日本主要四島全域(北海道・本州・四国・九州)[編集 | ソースを編集]

  1. 夏は北陸地方もじめじめ…冬は関東地方にも雪が降る
    • 太平洋側や瀬戸内海沿岸も降雪が多くなっている。
  2. 東京以外にも広い都市が複数あった
    • 下にもある通り、東京一極集中はなかった。
  3. 鉄道や高速道路が山のせいで回り道することがなく直線的な道路/鉄道が多かった
  4. 農業が大きく発展していた。
    • 日本の食料自給率がこんなに低くなかった。
    • その分林業が発展しないのかな?
    • 日本の森林率も現実よりもっと低い。
    • 大名の石高が全体的に増えていた。
  5. 地球温暖化は深刻な問題とされていた。
  6. 日本人の「日本は世界的に見て狭い国だ」という意識が多少は薄れていた。
    • 住宅一軒あたりの面積が2倍以上に増えていた。
    • タワーマンションはあまり建設されていない。
  7. 全国的にスピルオーバーだらけになっていたかも。
    • 日本テレビは一局全国ネットを実現できていた(史実通り沖縄進出はできなかったが)。
    • それ以前に放送局のエリアが県域ではなくなっていると思われる。
    • むしろテレビ放送開始当初から全国で広域放送が行われていたかも。
  8. 日本はアメリカのようなクルマ社会になっていた。
    • それ以前に馬車が一般的になっていた。
  9. 居住に適した平地が数倍に増えるため日本の人口は2億人を突破している
    • 特に古代~中世にかけての先進地帯である関西・瀬戸内・北九州地域の人口は現実の2倍以上に増える
    • 東京の一極集中も史実に比べてやや緩和されるが首都圏への流入人口が増え今頃、首都圏の人口は6000万人前後に増える
      • 京阪神圏の人口も5000万人程度に増えていた。
      • 日本三大都市は東京・大阪・福岡となっていた。
      • 2020年のオリンピックは大阪か福岡で開催される。
    • 今でも世界第2の経済大国の地位が崩れる事は無かった
      • それでも2015年頃には中国に世界第2の経済大国の地位を明け渡している。
  10. 酷道や分断国道の数は確実に現実よりも少ない。
  11. そもそも「やまと」とか言う名前にになっていないかも。
    • 山処由来なので。
  12. 戦国時代には小田原のような城塞都市があちこちにできていた。
  13. 平家の落人伝説が残る地域は現実より遥かに少ない。
  14. 県境がアメリカの州境のように直線部分が多くなっていた。
  15. 日本一長い川の長さは500~600kmぐらいだろうか。
    • 川の流れもやや緩やかになっていた。

関連項目[編集 | ソースを編集]