もし日本プロ野球であの球団が優勝していたら/セ・リーグ

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東京ヤクルトスワローズ[編集 | ソースを編集]

1991年に優勝していたら[編集 | ソースを編集]

1991年シーズンのヤクルトは、6月に球団新記録の12連勝で一時は首位に立つも、その後失速し優勝争いから脱落。もしヤクルトが勢いそのまま優勝していたら?

  1. (現実のまま行けば)ヤクルトは91年・92年・93年と三連覇を達成。
  2. 野村ヤクルトVS森西武のカードは、日本シリーズの黄金カードになっていた。
  3. 2016年の広島カープの優勝は、1986年以来30年ぶりになっていた。

1992年に優勝を逃していたら[編集 | ソースを編集]

1992年のヤクルトは広島・巨人・阪神との優勝争いとなるも、最後の最後で阪神との直接対決に勝って優勝しました。もし、ヤクルトが優勝を逃していたらどうなっていたでしょう?

  1. 「2勝したほうが優勝とし、第1戦を甲子園、2戦目を神宮、3戦目を東京ドームでおこなう」プレーオフ巴戦が実現していた。
    • 広島も関わっていたら、市民球場でも行われていただろう。
  2. もし現実の阪神との首位決戦に敗れていたら、野村監督の責任問題にも発展していた。
    • 阪神や巨人が優勝していたらそこまで追求されたかは微妙。ただし、現実のような長期政権にはならなかったかもしれない。
    • 広島が優勝した場合は、責任問題に発展していたかもしれないし、最悪の場合はこの年のオフに辞任していたかも。
  3. 現実のとおり、翌1993年に優勝していたら「前年のリベンジ」として盛り上がっていた。
    • 野村監督が続投していたら、手のひらを返したように「名将」と呼ばれるようになっていた。
  4. ただ、広島・巨人・阪神のどれがが優勝したとしても、日本シリーズでは燃え尽き症候群で惨敗していたかも。

1995年に優勝を逃していたら[編集 | ソースを編集]

この年、ヤクルトは序盤首位を走るも、中盤に広島の猛チャージを受け2.5ゲーム差まで追い上げられますが、そのまま逃げ切って優勝。 もし、ヤクルトが優勝を逃していたら?

  1. 2年連続で優勝を逃していたので、野村監督の責任問題にも発展していた。
    • 序盤で首位を走っていながら終盤に首位を逆転される展開だったら、野村監督は辞任していたかも。
  2. 優勝は、広島のものとなっていた。
    • 日本シリーズではオリックスの震災復興ムードに呑まれたか

2002年に優勝していたら[編集 | ソースを編集]

  1. 若松監督の「小さな大監督」は定着していた。

2004年に優勝していたら[編集 | ソースを編集]

  1. 古田が再編騒動の傍ら、優勝に貢献していたら伝説となっていた。
    • 同年の明るい話題が増えていた。

2006年に優勝していたら[編集 | ソースを編集]

  1. 古田はプレイングマネージャーとして当初の冷ややかな声を覆したとして、選手引退後も指導者オファーが殺到した。
    • 史実以上に師匠であるノムさんと比較されていた。

2011年に優勝していたら[編集 | ソースを編集]

2011年シーズン9月までヤクルトは首位を走っていたものの、その9月に中日に大きく負け越して10ゲーム差をひっくり返され優勝ならず。もしヤクルトが優勝していたら?

  1. 祝賀会場等の予約は当然無駄にならなかった。
  2. 中日落合監督の解任劇はそこまで大きな話題にはならなかった。
    • 当然あのオーナーも注目の的にはならなかった。
      • それがガッツポーズの件を意味しているのであれば、オーナーではなく球団社長。
  3. どっちみち中日落合監督は辞任している。
  4. CSも勝利して日本シリーズに進出した場合、1993年以来18年ぶりに平日デーゲームが組まれるという事態が起きていた可能性もある。
    • 11月16日と17日に女子バレーの日本戦が組まれており、且つヤクルト戦はフジテレビに優先権があるため、最低でもこの両日のうち1日はデーゲーム開催を強いられていたと思われる。
  5. CSにも勝っていれば、鳥類同士の日本シリーズが4年早く実現した。
  6. 場合によっては小川淳司監督は2015年以降も監督を務め真中満監督の就任が無かった、もしくは遅れてたかも?
    • 上手くいけば2019年現在も小川監督が2010年途中から続いてた可能性も…
      • それでも2019年の成績が史実通りならそこで退任になった可能性も考えられる。
  7. CSでの活躍が注目されて、山田哲人のブレイクが早まっていた。
  8. 第2次小川政権はなかったか史実以上の期待だった。
  9. 2011年といえばあの東日本大震災があった年であり、1995年の阪神・淡路大震災の年もヤクルトが優勝していたことから、日本国内で未曾有の大震災があった2つの年はともにヤクルトが優勝したという事になっていた。
    • 「日本国内で震度7の大地震が発生した年は阪神はBクラスになる」というジンクスと比較されるようになっていた。

2016年に優勝していたら[編集 | ソースを編集]

  1. 真中満監督が辞任することはなかった。
  2. 山田哲人が3年連続トリプルスリーを達成していれば可能性があっただろう。
  3. 広島の21世紀での初優勝が遅れていたか、もしくは未だに無かった。

2018年に優勝していたら[編集 | ソースを編集]

  1. 第二次小川政権への疑問はなかった。
  2. 青木は救世主とされていた。
  3. 日本シリーズの対戦相手が西武なら、1997年以来の組み合わせになっていた。
  4. 村上は1年目から大ブレイクしていた。

横浜DeNAベイスターズ[編集 | ソースを編集]

1962年~64年に優勝していたら[編集 | ソースを編集]

特に1964年はマジック1で最終戦を終え、阪神が残っていた3試合を全勝したために逆転された。

  1. 三原監督の時代にあと2、3回は優勝できていた。
    • 三原が近鉄やヤクルトの監督をすることは無かった。
    • 「死に馬に蹴られた」と発言することも無かった。
  2. 巨人の連覇開始は遅れていた。
  3. なかなか優勝できない阪神は南海と阪急にファンを奪われていた。
    • 阪神のセ・リーグ初優勝が遅れていた。
      • 最悪1985年に初優勝、なんてことも考えられる。
    • 関西ではパ・リーグ人気の方が高まっていたかも。
      • その場合現実と異なり阪神がダイエーに身売りされていた可能性もある。
  4. 1964年に優勝していた場合、ホークスとの日本シリーズが53年早く実現していた。

1970年代に優勝していたら[編集 | ソースを編集]

  1. 中日・広島・ヤクルトのいずれかの優勝回数が一個減っていた。
    • 70年代前半は巨人V9の真っ只中だったので、70年代後半が有力か?
  2. または、1973年シーズンに開幕から6月頃まで広島とともに首位争いの主導権を握っていたのでそのあたりに優勝していた。
  3. 横浜移転直後に優勝していたら、横浜の街の盛り上がりは異常なものとなっていた。
  4. それでも日本シリーズでは阪急に負けていただろう。

1980年代に優勝していたら[編集 | ソースを編集]

  1. 長嶋茂雄の大洋監督就任が実現していた
  2. ベイスターズに改名することは無かった。
    • 21世紀になっても大洋ホエールズのままだった。
    • とはいえいずれ鯨は獲れなくなっているし、遅くてもマルハが球団経営から撤退する頃にはチーム名を変えていたと思う。
  3. 高木豊、加藤博一、屋鋪要のスーパーカートリオが現実よりも有名なものとなっていた。
    • スーパーカートリオは優勝の立役者として、後に他球団にトレードされることなく、ホエールズ(ベイスターズ)で現役を終えていた。
  4. 一番可能性が高いのは唯一Aクラス(3位)だった1983年か。
    • それでも日本シリーズでは西武に負けていただろう。

1997年に優勝していたら[編集 | ソースを編集]

この年、横浜はシーズン後半に首位のヤクルトを脅かす急追を見せたもののあと一歩及ばず、2位で終わりました。もし、横浜がヤクルトを逆転して優勝できていたら?

  1. 日本シリーズももちろん制覇。
  2. 翌年は1997年に最下位だった某球団にペナントを奪われた。
    • 燃え尽き症候群のため8月までに失速。
    • もし連覇していた場合、ベイスターズフィーバーは史実以上になっていた。
  3. もちろん大矢監督は続投していた(辞任の原因となったフロントとの対立が無ければ…)。
    • 権藤博は躍進の立役者として大いに評価されていた。
      • 翌年にはバッテリーコーチからヘッド格へ昇格していた。少し遅れはするが後々には監督への就任も当然あっただろう。
      • 史実通り権藤監督に交代した場合、「別監督による連続日本一」をソフトバンクより先に達成していたかもしれない。
  4. もしかしたら横浜の暗黒期到来は数年遅れていたか、もしくは無かった。
  5. 阪神は1995年から2001年まで7年連続で最下位になっていたかも(史実ではこの間は1997年のみ5位だった)。
  6. 一方、逆転されたヤクルトは、野村克也監督の責任問題に発展。
    • 最悪の場合、野村監督がこのシーズン限りで辞任していたかも。
  7. 『ダウンタウンのごっつええ感じ』が打ち切りになることは無かった。
    • TBSの放送で優勝を決めていた。

1998年に優勝を逃がしていたら[編集 | ソースを編集]

  1. 横浜→DeNAは13球団(消滅した近鉄も含む)で唯一、平成時代にリーグ優勝を経験できずに終わっていた。
    • それどころか「横浜ベイスターズ」としては「横浜大洋ホエールズ」と同様リーグ優勝の経験が無いまま身売りされることになった。
  2. 権藤監督の辞任が早まっていたかも。
  3. 優勝は中日か巨人のものになっていた。
  4. 大魔神が流行語にはならず、ライト層にも浸透しなかった。
  5. 翌年以降も現実通りの成績なら、2023年現在で60年以上リーグ優勝が無いことになっていた。もしくは身売りが早まっていたため逆に1周まわって00年代か10年代のどこかで優勝していた?

1999年に優勝していたら[編集 | ソースを編集]

2連覇が懸っていた1999年。序盤は好調だったものの、三浦大輔の不調や佐々木主浩らの故障などで、3位に終わった横浜。もし、2連覇できていたら?

  1. 権藤監督政権が実史より息の長いものとなっていた。
    • よって、後の森祇晶監督就任は遅れていたか、就任自体なかった。
      • そのため暗黒時代もなかったか遅れていた。
  2. 大魔神・佐々木が、大リーグに行くことはなかった(佐々木はこの年、シアトルマリナーズに移籍)。
    • 佐々木は、大リーグに行くことなく、横浜で現役を終えていただろう。
  3. ローズが153打点を記録し二冠王に輝いたり、当時のチーム打率のプロ野球記録を打ち立てたことも有名になっていた。
    • ローズが3冠王を獲得していたかも。
    • MVPはもちろんローズがぶっちぎりで最多票を集めて受賞。(ちなみにローズは史実でも野口・上原に次ぐ3位だった)
  4. 川村丈夫が沢村賞…とまではいかなくともMVP争いに絡むくらいはできていたかもしれない。
  5. 日本シリーズは横浜vsダイエーだった。
    • 「ベイスターズvsホークス」の日本シリーズが18年早く実現していた。
  6. 史実では福盛和男・森中聖雄が台頭してはいたがそれ以上に中継ぎ陣の疲弊や野村弘樹・佐々木の故障や三浦の不調が響きV逸したが、野村・佐々木・三浦のうち誰か1人でも万全だったら優勝できたか?

2011年に優勝していたら[編集 | ソースを編集]

  1. 横浜ベイスターズというチーム名で有終の美を飾れていた。
  2. DeNAに買収され 「横浜DeNAベイスターズ」 というチーム名になることもなかったかも。
  3. 前年最下位からの優勝ということでも盛り上がった。

2012年に優勝していたら[編集 | ソースを編集]

  1. 横浜DeNAベイスターズの評判がやや上がっていたかも。
  2. 中畑清監督の就任1年目での優勝という快挙。
  3. 阪神が最下位になっていた。
  4. 前年最下位からの優勝ということでも盛り上がった。

2015年に優勝していたら[編集 | ソースを編集]

  • 前半戦は1位だったが、交流戦以降で負けが込み最終的には安定の最下位に。もし後半戦でも勢いを維持していたら?
  1. 久々のリーグ優勝ということもあり、交流戦で貯金を一気に掻っ攫っていたパの球団に対する逆襲意欲が物凄い事になっていた。
  2. ラミレスはもう数シーズンオリックスのスタッフを務めていた。
    • もちろん中畑清が監督続投。
    • むしろヘッドコーチ格でコーチングスタッフ入りしていたと思う。
  3. 有名選手の引退が相次いだシーズンなので、「日本一になったら「有終の美」として番長も引退するのではないか」と三浦大輔に対する注目度が急激に上がっていたかもしれない。
    • 翌シーズンを見るに本当に引退が1年早まった可能性も…。
  4. 優勝の勢いに乗って、DeNAによるハマスタ買収がすんなり決着していた。
  5. 10年ぶりのAクラス入りだったので初のCS出場とDeNA初優勝のダブルで盛り上がった。
  6. 史実より2年早く、DeNA×ソフトバンクの日本シリーズが実現していた。
    • 日本一とはいかずもソフトバンク相手に2勝か3勝はできていた可能性も。
  7. パ・リーグ3位のロッテがCSで勝ち残った場合、日本シリーズは1960年以来の組み合わせ(当時は大洋VS大毎)になっていた。
    • テレビ中継で「55年前のリベンジなるか!?」と言われていた。

2016年に優勝していたら[編集 | ソースを編集]

  1. 中畑監督は史実以上に無能扱いされていた。
    • 阪神時代のノムさんのような評価だったかも。
  2. 前年最下位からの優勝ということでも盛り上がった。

2018年に優勝していたら[編集 | ソースを編集]

  • この年は、開幕は出遅れるもそこから8連勝を記録し、4月13日には単独首位に浮上しましたが、先発投手陣や倉本寿彦の不振により3年ぶりのBクラス(4位)となりましたが、もし優勝していたら?
  1. 広島カープと熾烈な優勝争いを繰り広げていた。
  2. 来年の成績が史実通りの場合、ラミレス監督になって最下位常連を脱してからは、4年連続でAクラスを達成していた。
    • 中畑監督は阪神時代のノムさん、ラミレス監督は星野仙一のような評価になっていた。
  3. 日本シリーズは、パ・リーグのCSが史実通りなら昨年と同じ横浜VSソフトバンクになっていた。
    • テレビ中継で「昨年のリベンジなるか!?」と言われていた。
    • 日本シリーズでは、史実の広島カープよりはソフトバンク相手に善戦し、優勝とはいかなくとも2勝か3勝はできていたかも。
    • パ・リーグ優勝の西武がCSで勝ち残った場合、1998年以来の横浜VS西武になっていた。
      • テレビ中継で「20年前のリベンジなるか!?」と言われていた。
      • 西武の辻発彦監督は短期決戦に弱いので、CSでソフトバンクに勝てたとして、いくら山賊打線でも疲弊しているので、日本シリーズでは横浜があっさり20年ぶりの日本一を決めていた可能性大。
        • その場合、「横浜はなぜか日本シリーズで西武に強い」と言われていた。
    • 一方、広島カープとホークスは、2022年現在日本シリーズ未対戦のままなので、西武がパ・リーグで唯一、現存するセ・リーグ6球団全てと日本シリーズで対戦経験がある球団となっていた。
  4. 活躍次第で佐野恵太がこの年の新人王に選ばれていたかも。
  5. 筒香嘉智は史実より1年早くメジャーリーグに挑戦し、2013年の田中将大同様優勝を置き土産に渡米していた。
    • 横浜にとっては筒香が抜けた穴が大きく、来年は良くても3位止まりで代わりに阪神が2位になっていた。
  6. 同年はFIFAワールドカップでフランスが1998年以来20年ぶりの優勝を果たしたので、「FIFAワールドカップでフランスが優勝した年は、セ・リーグは横浜が優勝する」というジンクスが誕生していた。
    • 日本シリーズの対戦相手が西武で、かつ横浜が日本一になっていれば、このジンクスが尚更強まっていた。

2019年に優勝していたら[編集 | ソースを編集]

  1. 筒香嘉智のメジャー挑戦は史実以上に好意的にみられていた。
  2. シーズン成績によっては、今永昇太が投手三冠を獲得し沢村賞を手にしていたかもしれない(史実では無冠・該当者なし)。
  3. CSはおそらく巨人が勝ちあがってくるので、ハマスタでの対戦成績を鑑みるに日本シリーズへの切符は横浜が手にしていた可能性が高い。
    • 日本一とはいかずもソフトバンク相手にそれなりに善戦できていた可能性も。
    • 史実の巨人のように、ソフトバンクに4タテされることはなく、2勝か3勝はできていた可能性が高いだろう。
    • テレビ中継で「一昨年のリベンジなるか!?」と言われていた。
    • パ・リーグのCSで優勝した西武が勝ち残った場合、1998年以来の横浜VS西武になっていた。
      • テレビ中継で「21年前のリベンジなるか!?」と言われていた。
      • ただ、西武の辻発彦監督は短期決戦に弱いので、日本シリーズでは横浜があっさり21年ぶりの日本一を決めていた可能性大。
        • その場合、「横浜はなぜか日本シリーズで西武に強い」と言われていた。
  4. 2019年はラグビー(決勝が日産スタジアム)・サッカー(F・マリノスがJ1制覇)と合わせ、横浜市がスポーツで躍動した一年となっていた。
  5. 同年は1998年に公開された劇場版ポケットモンスター ミュウツーの逆襲が全編フル3DCGで公開されたので、「ミュウツーの逆襲が劇場公開された年は、セ・リーグは横浜が優勝する」というジンクスが誕生していた。
    • 日本シリーズの対戦相手が西武で、かつ横浜が日本一になっていれば、このジンクスが尚更強まっていた。

2022年に優勝していたら[編集 | ソースを編集]

  • 前半戦からぶっちぎり首位だったヤクルトを激しく追い上げたDeNA。8月26日の首位攻防戦の時点で4ゲーム差と逆転も見えていましたが史実ではここで3タテを食らわされ、2位に終わってしまいました。もしDeNAが優勝していたら?
  1. それでもMVPは村上だっただろう。
    • ただし流行語大賞にまでなったかは不明。
    • 王貞治超えの日本人最多56号本塁打を放ったことで、セ・リーグでは2013年バレンティン以来9年ぶりのリーグ優勝球団以外からのMVP選出となっていた。
  2. 24年ぶりの優勝として横浜は大盛り上がり。
    • 三浦監督は史実以上に持ち上げられる。
    • 前年のヤクルトに続き、セ・リーグは2年連続で前年最下位の球団が優勝していたことでも話題になっていた。
  3. パ・リーグが史実通りならば、日本シリーズは横浜DeNAVSオリックスとなり、前身球団を含めても史上初の組み合わせとなっていた。
    • どちらの球団も前世紀末に優勝・日本一になってから、20年近い暗黒期を乗り越えて再び優勝し、遂に日本一を争うまで上り詰めたため話題になっていた。
      • 山本由伸VS今永昇太のエースで同年にノーヒットノーランを達成した投手同士の対決が注目されていた。
      • 桑原将志、佐野恵太、牧宗悟、宮崎敏郎、ネフタリ・ソトといった好打者に今永昇太、大貫晋一、伊勢大夢、エスコバー、山崎康晃といった良い投手陣が揃い、村上宗隆ほどのホームランバッターもおらずオリックスの警戒度も史実のヤクルトほどではないだろうから、史実のヤクルトよりもオリックス相手に善戦し、場合によっては横浜DeNAが24年ぶり3度目の日本一に輝いていた。
      • とはいえ、向こうも福田周平、宗佑磨、中川圭太、吉田正尚、杉本裕太郎、紅林弘太郎、山本由伸、宮城大弥、平野佳寿といった好打者や良い投手陣が揃い守備も堅いため、結局史実通りオリックスが26年ぶりの日本一を決めていた可能性がある。それでも、オリックス相手に3勝し、大接戦になっていたたろう。
    • ソフトバンクが最終戦で決めて優勝していた場合、日本シリーズは5年ぶりに横浜DeNAVSソフトバンクになっていた。少なくとも5年前よりもソフトバンク相手に善戦し、場合によっては24年ぶり3度目の日本一に輝いていた。
  4. ヤクルトは7月3日時点で横浜DeNAと最大17.5ゲーム差離していたので、1963年の南海の西鉄に対する14.5ゲーム差以上の史上最大のV逸になっていた。
    • 前半戦マジック点灯からのV逸ということで、2008年の阪神のVやねん!と比較されていた。ヤクルトがCS1stステージで阪神相手に敗退していたら尚更。
      • ただし、CSで勝ち上がり日本シリーズに進出していた場合は話は別。
  5. 日本一になった場合、山崎康晃はそれを置き土産にメジャーリーグに移籍していた。
    • 2013年オフに同様に、日本一を置き土産にメジャーリーグに移籍していた楽天田中将大投手が何らかのコメントを出していた。
  6. 10月3日の最終戦のヤクルトとの直接対決で優勝が決定していた場合、前日のパ・リーグのソフトバンクが史実通りなら、セ・パ両リーグ共に最終戦まで首位だった球団がV逸したことになり、史上最大の悲劇と言われていた。
    • セ・リーグの最終戦の直接対決で優勝決定ということで、1994年の巨人VS中日の10.8決戦と比較されていた。

2023年に優勝していたら[編集 | ソースを編集]

  1. 1998年以来25年ぶりのリーグ優勝ということになり、横浜の町は盛り上がっていた。
    • 親会社がDeNAになってからは初の優勝だった。
    • 同年は夏の高校野球でも神奈川県代表の慶応が優勝したこともあり、横浜高校が春夏連覇を果たした1998年同様「神奈川の年」と言われていた。
    • ここ10年で広島、オリックス、DeNAと3球団が「25年ぶりのリーグ優勝」を達成したことになっていた。
  2. 3月の相鉄・東急新横浜線開業が優勝と関連づけられていた。
  3. 同年の阪神はDeNAにシーズン負け越していた(史実でも勝ち越しは1つだけ)。
  4. 日本シリーズは前身となる球団を含めても初の横浜DeNA×オリックスの組み合わせとなっていた。
  5. 史実以上にバウアーが神格化されていた。

広島東洋カープ[編集 | ソースを編集]

1976年に優勝していたら[編集 | ソースを編集]

  1. 広島は1975・76年とV2を達成。
  2. 1977年にBクラスに転落することはなかったかもしれない。
  3. 対戦相手が実史通り阪急だった場合、前年のリベンジとなっていた。
  4. 赤ヘルブームが現実以上のものになっている。

1985年に優勝していたら[編集 | ソースを編集]

  • 1985年は8月まで阪神・広島・巨人の3チームがデッドヒートを繰り広げていましたが、9月になって阪神が2位広島に7.5ゲームと突き放し、最終的には阪神が優勝しました。もし、広島が勢いを持続して優勝していたら?
  1. 広島は1984・85・86年とV3を達成していた。
    • 広島の黄金時代が再来していた。
  2. 21年ぶりのリーグ優勝に期待をかけていた阪神ファンの落胆は大きかったかも。
    • バース・掛布・岡田のバックスクリーン3連発は現実ほど印象に強く残らなかった。
  3. 阪神は1992年に優勝していたかも。
  4. 古葉監督の最後の花道を優勝という形で飾ることができた。

1988年に優勝していたら[編集 | ソースを編集]

  1. (現実のまま行けば、)昭和・平成2元号続けて当該元号最後のセ・リーグ優勝チームは広島という事になっていた。
  2. 日本シリーズは86年と同じく、広島VS西武だった。
    • 史実通り西武が日本一の場合、昭和・平成2元号続けて当該元号最後の日本シリーズは広島が工藤公康率いる球団(88年→西武、18年→ソフトバンク)に敗れたということになっていた。
    • 相手が近鉄だった場合(史実では10.19で引き分けに終わって2位)、1980年以来の組み合わせになっていた。

1992年に優勝していたら[編集 | ソースを編集]

  • 1992年はヤクルト・巨人・阪神のデッドヒートで有名でしたが、広島は序盤首位をキープしていたものの5月以降失速。最終的に4位だったものの首位のヤクルトから8ゲーム差と大健闘。もし、広島が序盤の勢いそのままに優勝していたら?
  1. 広島カープは79年・80年以来のV2を達成。
    • 相手が実史通り西武だったら、前年のリベンジとなっていた。
  2. 北別府が200勝達成ももう少しクローズアップされていた。
  3. 達川光男は、もう1~2年現役を続けていたかも(現実は、92年オフに引退)。

1994年に優勝していたら[編集 | ソースを編集]

  • 1994年の広島は、一時期は最下位から10連勝の快進撃で優勝争いに加わるものの、その後失速し巨人・中日につづく3位に終わる。もし、広島が勢いそのままに優勝していたら?
  1. 10.8決戦はなかった。
    • もしくは、広島市民球場でカープVSジャイアンツの10.8になっていた。
  2. 川口和久が巨人にFA移籍することなく、カープに残留していた。
  3. 平成初の前年最下位からの優勝が7年早く実現した。

1995年に優勝していたら[編集 | ソースを編集]

この年の広島は、野村謙二郎・前田智徳・江藤智・緒方孝市らの強力打線が活躍。8月にはヤクルトに2.5ゲーム差まで迫ったが、ケガ人が出て失速。ヤクルトに逃げ切られてしまいます。 もし、ヤクルトを逆転して優勝していたら?

  1. 巨人に行った川口を物ともしない優勝だったということで、話題になっていた。
    • この年新人王を獲得した山内泰幸が川口の代わりとして話題に。
  2. この年の日本シリーズは、イチロー擁するオリックス・ブルーウエーブとの対戦となっていた。
    • 野村・前田・江藤・緒方らの強力打線が日本シリーズでも爆発し、優勝はカープのものとなっていた。
    • 逆に広島投手陣もイチローを筆頭とするオリックス打線に打ち込まれ、壮絶な打撃戦になっていた。
      • 野村ヤクルトだからこそイチロー封じができたわけで、広島にできたかは疑問が残る。
  3. 金本知憲は広島時代にリーグ優勝を経験していた。
  4. オリックスがこのシリーズを制し、史実通り翌年巨人を下してV2を成し遂げていた場合、阪急時代の1975、76年と比較されていた。(それぞれの相手が広島・巨人だったため)

1996年に優勝していたら[編集 | ソースを編集]

  • 背景については同年の中日の節を参照。
  1. 「メークドラマ」は流行語にならなかった。
    • 逆に当時の三村監督が言った「奇跡は起こすためにある」がクローズアップされたかも(発言自体は1994年だけど)。
  2. 後のカープ暗黒時代が訪れる事は無かったと思う。
    • 向こう10年程はAクラスが続いてたはず。
      • 逆に巨(ry
        • 長嶋監督はこの年ではなくても、翌97年に史実同様低迷していたならそこで辞任していた。
  3. 日本シリーズは、広島VSオリックスだった。
  4. 金本知憲は広島時代にリーグ優勝を経験していた。
  5. 江藤が夏場に死球禍に見舞われ離脱していなければ優勝できていた可能性が高い。江藤本人もその後、史実ほど早くは衰えなかった。

2013年に優勝していたら[編集 | ソースを編集]

  1. 連続Bクラス脱却を優勝で飾り、盛り上がりを見せた。
    • また、1991年以来22年ぶりのリーグ優勝でもあるため、広島の街は大変盛り上がりを見せていた。
      • その代わり、2016年のリーグ優勝は3年ぶりになるため、広島の街の盛り上がり度合いは史実より低かった。
  2. 野村監督退任が遅れていた可能性も。
  3. 日本シリーズは広島VS楽天になっていた。
    • お互いの地元である広島市と仙台市は大変な盛り上がりになっていた。
    • その場合、日本一決定が11月4日以降にもつれていた可能性もある(第5戦までに中止が発生した場合、第5戦と第6戦の間の移動日は割愛されるが、広島対楽天の場合は移動日なしで仙台←→広島間の移動ができないため、移動日も割愛されない)。
    • 前田健太と田中将大の同学年のエースの投げ合いが注目されていた。
    • しかし不敗神話を築いていたマー君に勝てず、いつもの如く日本一を逃がしていた。
      • 日本一になれなくても現実の巨人と同様、日本シリーズでマー君の不敗神話を崩していた。
    • もし広島が日本一になった場合、1984年以来29年ぶりの日本一となるため、広島の街の盛り上がりは尋常ではないし、史実でこの年限りで引退した前田智徳と菊地原毅は「日本一」という最高の舞台で有終の美を飾っていた。
    • 一方、巨人VS楽天の日本シリーズは未だに実現していないので、2004年の球界再編問題による近鉄消滅後は、現存するパ・リーグ全6球団と日本シリーズで対戦したことのあるセ・リーグの球団は存在しないことになる。
  4. 「メークドラマのリベンジを17年ぶりに果たした」と言われていた。
  5. 前年オフにデニス・サファテが残留し、守護神として大活躍していればあり得たかも。
  6. それでも、この年のセ・リーグMVPは史実通り、シーズン60本塁打を記録したヤクルトのバレンティンだろう。
  7. 史実でこの年限りで引退した前田智徳と菊地原毅は、有終の美を飾っていた。
    • あるいはもう少し現役を続けたかも。

2015年に優勝していたら[編集 | ソースを編集]

  1. 「黒田フィーバー」が流行語ノミネートされていた。
  2. 前田健太は残留していた。
    • 楽天時代の田中将大のように、優勝を置き土産に旅立ったの方がしっくりくる。
  3. 広島地区で視聴率50%を達成していた。
    • 2016年の優勝時の視聴率が70%越えだったらしいので、翌シーズンが史実通りの成績で連覇となれば90%越えもあった可能性が…?
  4. むしろあの「世紀の大誤審」「幻のホームラン」がなければ展開が変わっていた。
  5. 緒方孝市が史実の翌年通りの采配をしていたら十分あり得たかもしれない。
  6. 黒田博樹はこの段階で現役引退を決めていたかもしれない(史実では本当に優勝した2016年に引退)。

2019年に優勝していたら[編集 | ソースを編集]

  1. 4連覇で緒方監督は退任せず名将の呼び声も高くなっていた。
  2. 大物退団もはねのけるバイタリティがあったと評された。
  3. 田中の怪我やバティスタのドーピングも無かった。バティスタはもっと長く広島に居続けていて、背番号が25に代わって居たかもしれない。

2023年に優勝していたら[編集 | ソースを編集]

  1. 新井監督就任1年目で優勝ということになっていた。
  2. もしCS・日本シリーズを制して日本一になっていたら1984年以来39年ぶりということになり、広島の町は大きく盛り上がっていた。
    • 史実で起こった大阪・関西の盛り上がりと同様のことが広島で起こっていた。
      • 広島のマスコミは特番一色だっただろう。
    • 日本シリーズの対戦相手が史実通りオリックスだった場合、オリックスになってからは初めて広島との対戦となっていた(阪急時代には対戦経験がある)。
    • とはいえ都市圏人口の差もあり、阪神ほどの盛り上がりにはならなかっただろう。
    • 阪神はセ・リーグでは最も日本一から遠ざかっているチームということになっていた。
      • 阪神ファンにとってはこれが屈辱となっていた。
      • それとともに、阪神はセ・リーグで唯一21世紀に入ってから1度も日本一を経験していないことになっていた。

関連項目[編集 | ソースを編集]