もし日本プロ野球であの球団が優勝していたら/パ・リーグ
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北海道日本ハムファイターズ[編集 | ソースを編集]
1965年に優勝していたら[編集 | ソースを編集]
- 巨人との後楽園シリーズが16年早く実現していた。
- いずれにせよ、1965年の巨人日本一は変わらなかっただろう。
1973年に優勝していたら[編集 | ソースを編集]
- 日拓ホームは球団を持ち続け、知名度は向上した。
- 身売りはなかったか遅れていた。
- 巨人との後楽園シリーズが8年早く実現していた。
1980年に後期優勝していたら[編集 | ソースを編集]
1980年のパの後期リーグは日本ハムが優勝まであと1勝と迫っていましたが、近鉄のまさかの猛追で後期優勝を逃す形となりましたが、もし後期優勝できていたら?
- プレーオフは最終戦までもつれていたかも。
- 近鉄の西本監督(当時)はこの年限りで引退?
- いずれにせよ、1980年の広島日本一は変わらなかったと思う。
- 広島VS日本ハムが36年早く実現していた。
- 2016年の日本シリーズの結果が史実通りならば、「36年前のリベンジを果たした」と言われていた。
- 広島VS日本ハムが36年早く実現していた。
1993年に優勝していたら[編集 | ソースを編集]
優勝した西武に1ゲームとわずかの差でリーグ優勝を逃した日本ハム。もし、日本ハムと西武の立場が逆だったら?
- 西武・森監督はこの年限りで辞任していた。
- 現実より1年早く辞めることになる。
- 東尾修の監督就任が1年早まっていたかも。
- 日本シリーズは野村監督率いるヤクルトとの対戦となっていた。
- 南海OB対決であると同時に食品会社対決になっていた。
- 仮にセ・リーグの優勝チームがヤクルトではなく中日だった場合(史実では2位)、中日対日本ハムの日本シリーズ13年早く実現していた。
- その場合、後の落合博満の日本ハム移籍が現実以上に話題を呼んだ。
- パリーグMVPは、前年のスランプから復活を遂げた西崎に輝いた。
- この年に西崎の次女・莉麻が生まれたのでおめでた続きとなっていた。
1996年に優勝していたら[編集 | ソースを編集]
1996年の日本ハムはオリックスと熾烈な優勝争いを繰り広げました。ところが上田利治監督の「家庭の事情」により休養となった頃を境に成績は急降下、最終的にはオリックスに優勝をかっさらわれるという結果になりました。もしそういう間の悪いトラブルもなくリーグ優勝していたら…
- 1981年以来となる「後楽園シリーズ」が話題となっていた。
- この年の日本シリーズは「東京ドームシリーズ」と呼ばれていたか?
- 日本一は当時、「メークドラマ」で勢いのあった巨人にかっさらわれたかもしれない。
- その場合、翌年の巨人は史実よりも成績が良かったかもしれない。
- 上田監督の「家庭の事情による休養」をネタにされることは無かった。
- 日本ハムは1998年以外にもAクラスへ入っていたシーズンもあり、上田監督は史実以上に日本ハムの監督を続けていた。
- オリックスは前年のリーグ優勝で燃え尽きて優勝できなかった、と見なされていた。
- 西崎幸広は日本ハム時代に優勝を経験していた。
- この年にウルトラマンネオスがTVシリーズ化されるかつ2006年も史実通りファイターズ優勝とウルトラマンメビウスが放映されてたら日ハムファンからは「10年前の再現」だと言われていた。(実はウルトラマンネオスのTVシリーズ化の際80後のその後の時代を描こうという案もあったらしい…)
- さらにこの年のセ・リーグ優勝チームが巨人ではなく中日(史実では2位)だったら尚更。
- 「平成以降、西暦の下1桁が6の年は日本ハムが優勝する」というジンクスが生まれていた。
- その場合、オリックスは現存するパ・リーグ6球団で唯一、平成時代に日本一を経験できずに終わっていた。
1998年に優勝していたら[編集 | ソースを編集]
1998年の日本ハムは開幕から独走し、一時は2位に10ゲーム差をつけていましたが、オールスター以降は失速し、西武に優勝をさらわれてしまいました。
もし、前半戦の勢いが持続し日本ハムがリーグ優勝していたらどうなっていただろうか?
- とはいうものの、この年の日本シリーズはあの横浜が相手だったから、ビッグバン打線もマシンガン打線には勝てずじまいになっていたと思う。
- 東京ドームは真っ青になっていた。
- 横浜は38年ぶり、日本ハムは36年ぶりなので、いずれにしても日本シリーズ終了後の盛り上がりは大きかった。
- 大魔神が出てくるまで打ちまくらなければならなかったので、日本一は難しかった。
- そもそも、この年本塁打王のナイジェル・ウィルソンがDH専門で守備は素人レベルだったみたいだし、横浜スタジアムでは代打でしか出番が無い。
- 仮にセ・リーグの優勝チームが横浜ではなく中日だった場合(史実では2位)、中日対日本ハムの日本シリーズ8年早く実現していた。
- 落合博満は古巣である中日との対戦になっていた。
- 1999年の失速はなかった。
- ダイエー初優勝を目前で許す可能性はあったかも。
- オリックスの連続Aクラスは1年早く途絶えていたかも。
- 2006年の優勝も、現実より冷めた感じになっていた可能性は否めない。
- 北海道はともかく、東京のファンは。
- 2006年は北海道に本拠地を置く球団としては史上初の優勝であるのに変わりはないので北海道での熱はそこまで変わらなかったはず。
- テレビ東京の日本シリーズ中継が5年早く実現していた。
- その場合、テレビ東京系のない地区では録画放送となっていただろう。
- 片岡篤史、下柳剛、中村豊は日本ハム時代にリーグ優勝を経験していた。
2000年に優勝していたら[編集 | ソースを編集]
チーム打率・本塁打数・得点数・盗塁数が全てリーグ1位という破壊力抜群の打線で優勝争いに加わるも、エース岩本の不調等が響き3位に終わる。
- 1996年に優勝していた場合と同様に、1981年以来となる「後楽園シリーズ」が話題となっていた。
- 2001年以降の成績ももう少しマシなものになっており、最下位ではなかったかも。
- 2001,02年リリースの応援歌「熱血ファイターズの歌」が現実以上にヒットしていた。
- いずれにせよ、日本一は史実通り巨人のものになっていただろう。
- この年の日本シリーズが変則的な日程になる事はなかった。
- 大島康徳は現実より長く監督を続けていた。
- トレイヒルマンの来日がなかったか遅れている。
- 仮にセ・リーグの優勝チームが巨人ではなく中日だった場合(史実では2位)、中日対日本ハムの日本シリーズ6年早く実現していた。
- 監督は中日が星野で、日本ハムが大島なので、何気に中日OB対決になっていた。
2003年に優勝していたら[編集 | ソースを編集]
- 東京時代ラストイヤーに有終の美を飾ることができた。
- この年の日本シリーズは、1962年以来となる阪神VS日本ハムになっていた。
- 坪井智哉は日本シリーズで古巣と対戦。
- その際阪神側からも「坪井」コールが起こる。
- 片岡篤史、野口寿浩も古巣日本ハムとの対戦に。
- 日本ハム側からも「片岡」「野口」コールで応援されていた。
- 坪井智哉は日本シリーズで古巣と対戦。
- トレイヒルマンの監督就任1年目の優勝としても盛り上がった。
- 「シンジラレナーイ」発言が3年早く話題になった。
2004年に優勝していたら[編集 | ソースを編集]
- 北海道移転初年度での優勝と言うことで、北海道は大きく盛り上がっていた。
- 在札の民放各局は、こぞって巨人戦中継の差し替えに着手していた。
- ちょうどここらへんで、巨人人気の陰りも見え始めていたため。
- 今まで巨人ファンだった道民も、手のひらを返すようにファイターズファンに寝返った。
- MVPはムードメーカーだったSHINJOあたりが有り得た。
- 中日VS日本ハムが史実より2年早く実現していた。
2013年に優勝していたら[編集 | ソースを編集]
- オフのトレードは成功だったとも。
- 糸井嘉男の移籍をものともしない優勝としても話題になった。
- 2連覇で盛り上がりを見せた。
- セ・リーグも前年と同じ巨人が優勝したため、日本シリーズでは解説者が「昨年のリベンジなるか!」と実況していた。
- 大谷翔平が新人王とMVPに選ばれたかも。
- 代わりにオリックスが最下位だった。
- 2022年現在、楽天は2005年の球団創設以来、一度もリーグ優勝や日本一を果たしていないことになる。
- もしかすると田中将大はメジャーに移籍していなかったかもしれない。
- 田中将大は日ハム戦でいくつか負けをつけられていたかもしれない。したがって24勝0敗1Sという成績は生まれなかった。
- もしかすると田中将大はメジャーに移籍していなかったかもしれない。
2015年に優勝していたら[編集 | ソースを編集]
- 翌年も史実通りリーグ優勝していたら、2007年以来となるリーグ2連覇を達成していた。
- セ・リーグの優勝チームが史実通りヤクルトだった場合、日本シリーズは初の顔合わせとなった。
- ヤクルトOB対決(真中と栗山)であると同時に食品会社対決になっていた。
2018年に優勝していたら[編集 | ソースを編集]
- 序盤の西武との首位争いを維持できたとされた。
- 大谷翔平のメジャー移籍をものともしない優勝としても話題になった。
- 西武の「末尾8の年はリーグ優勝する」というジンクスは崩れていた。
- セ・リーグの優勝チームが史実通り広島だった場合、日本シリーズは一昨年と同じ顔合わせとなった。
- テレビ中継で「一昨年のリベンジなるか!?」と言われていた。
2022年に優勝していたら[編集 | ソースを編集]
- 2012年の栗山監督に続き、新庄監督も就任1年目で優勝できていた。
- 北海道を中心に新庄フィーバーが巻き起こっていた。
- 札幌ドーム時代ラストイヤーに有終の美を飾ることができていた。
- 金子千尋も有終の美を飾って引退していた。
- あるいはもう少し現役を続けていたかも。
- セ・リーグの優勝チームが史実通りヤクルトだった場合、日本シリーズは初の顔合わせとなった。
- 監督がメジャー経験者同士であることが話題になっていた。
- ただ、日本ハムが2016年以来6年ぶりの日本一に輝けていたかは別問題であり、打線の差でヤクルトが日本一となり、日本シリーズ2連覇を決めていただろう。
- 対巨人においても過去に3度対戦していずれも敗退しているので、「日本シリーズにおいて日本ハムはセ・リーグの在京球団(巨人とヤクルト)に弱い」というジンクスができていた。
- (史実では3位だった)阪神だった場合、日本シリーズは1962年以来となる阪神対日本ハムとなっていた。
- テレビ中継で「60年前のリベンジなるか!?」と言われていた。
- 新庄監督と阪神ナインの戦いが話題になっていた。
- 古くからの阪神ファンの間では新庄を懐かしむ声が上がっていた。
- 親会社の本社はともに大阪市内にあることも。
- 何気に食品会社対決になっていた。
2023年に優勝していたら[編集 | ソースを編集]
- エスコンフィールド北海道への本拠地移転1年目で優勝していた。
- セ・リーグの優勝チームが史実通り阪神だった場合、日本シリーズでは阪神ナインと新庄監督の戦いが話題になっていた。
- 古くからの阪神ファンの間では新庄を懐かしむ声が上がっていた。
- 親会社の本社はともに大阪市内にあることも。
- 本来と別の意味で「大阪ダービー」と言われていたかもしれない。
東北楽天ゴールデンイーグルス[編集 | ソースを編集]
2005年に優勝していたら[編集 | ソースを編集]
- 参入初年で初優勝と言う前代未聞の記録を成し遂げていた。
- 日本一になろうものなら、全国的に話題になっていた。
- 1950年の毎日オリオンズというケースがありますが…。
- 大阪近鉄バファローズファンだった人、オリックス・ブルーウェーブファンだった人からも評判が上がっていた。
- 序盤の成績が史実通りなら、他の5球団は笑い者にされていた。
- 特に0対26で楽天に勝ったロッテが嘲笑の的にされていた。
- 田尾監督は解任されずにもう数シーズン続投していた。
- もちろん野村氏とブラウン氏と星野氏の監督就任はなかったか遅れていた。
- ブラウンが楽天の監督になることはなかったかもしれない。星野とデーブはおそらく史実通り。
- 当の田尾氏は楽天監督退任後も中日など現役時代の古巣で監督やコーチを歴任していただろう。
- どこかのタイミングで田尾監督の背番号が楽天の永久欠番になっていただろう。
- 当の田尾氏は楽天監督退任後も中日など現役時代の古巣で監督やコーチを歴任していただろう。
- ブラウンが楽天の監督になることはなかったかもしれない。星野とデーブはおそらく史実通り。
- もちろん野村氏とブラウン氏と星野氏の監督就任はなかったか遅れていた。
- 「ソフトバンクがレギュラーシーズン1位となるが、プレーオフで楽天に敗退」という形での楽天優勝だったら、プレーオフでNPB参入1年目のチームに敗退したことになりホークスの悲劇性はさらに高まる。
- 当時はファーストステージ勝利チームがファイナルステージも勝利した場合、リーグ優勝はファーストステージ勝利チームに与えられることになっていたため尚更。
- 韓国では1988年に三星ライオンズが当時KBO参入3年目のビングレ(現ハンファ)・イーグルスに敗れたことで時の監督を更迭した経緯もあるだけに、王監督は2005年限りでホークス監督を解任された可能性もある。
- 当時はファーストステージ勝利チームがファイナルステージも勝利した場合、リーグ優勝はファーストステージ勝利チームに与えられることになっていたため尚更。
- 日本シリーズのセリーグ側の相手と試合結果が現実と同じだったら・・・。
- 本当に33-4だったら黒歴史どころか公式から記録が抹消されていた。
- 少なくとも阪神タイガースが33-4の大差で4タテされて負けることはなかった。
- 参入1年目の楽天を破り、1985年以来20年ぶりの日本一を達成出来ていた可能性が高い。
- 当然、インターネット上で334という数字が有名になることはない。
- むしろ楽天が大差で4タテされて負けていたかもしれない。
- MVPは選手会長の礒部かエースの岩隈あたりが有り得る。
- 一場靖弘が新人王を獲得したかも。
- 代わりにオリックスバファローズが最下位だったかもしれない。
2009年に優勝していたら[編集 | ソースを編集]
- 史実ではこの年に初のAクラス入り(2位)を成し遂げている。
- 交流戦とその先で一時期低迷していなければあり得た。
- レギュラーシーズン終了後に解任を通告されたことを考えると、どのみち野村監督は勇退していた。
- 日本シリーズまで勝ち上がれていれば、楽天と巨人の両軍による二度目の勇退の胴上げが行われていた。
- 日本シリーズ進出だけでなく巨人との対決も4年早まった。
- 日本シリーズまで勝ち上がれていれば、楽天と巨人の両軍による二度目の勇退の胴上げが行われていた。
- 岩隈と田中は日本シリーズでそれぞれ2戦は投げていた。
- 岩隈久志にとって自身2度目で2球団目の日本シリーズ出場を果たしていた。
2011年に優勝していたら[編集 | ソースを編集]
史実ではBクラスで5位だった。
- 東日本大震災が発生した年だったこともあり、東北は幸せなムードに満ちていた。
- 阪神大震災が発生し「がんばろうKOBE」を合言葉に優勝した1995年のオリックス・ブルーウェーブと現実以上に比較されていた。
- 嶋基宏選手会長の 「見せましょう、日本の底力を」 が2011年の新語・流行語大賞で年間大賞を受賞していた。
- セリーグが史実通りなら、日本シリーズは対中日なので星野監督にとっての古巣との対決で盛り上がった。
- まして当時の中日の監督が、星野さんの中日監督時代の教え子だった落合さんなので師弟対決として尚更盛り上がった。
- もし岩隈が史実通りこの年オフにメジャー挑戦していたら、のちの田中将大と同様にチームの優勝を置き土産に渡米することになっていた。
2013年に優勝を逃していたら[編集 | ソースを編集]
- 田中将大のメジャー移籍はなかった。
- 連勝記録が話題になることもなかった。
- 連勝記録が13年シーズン中に途絶えていたら可能性があった。
- 黒星の数次第では1位と僅差の2位or3位だったか下手すればAクラス入りしたか微妙なところかも。
- 沢村賞も金子千尋だった。
- 連勝記録が13年シーズン中に途絶えていたら可能性があった。
- 連勝記録が話題になることもなかった。
- 楽天は未だに弱小球団というレッテルを貼られたままだっただろう。
- 日本シリーズは巨人VSロッテになっていた。
2014年に優勝していたら[編集 | ソースを編集]
- リーグ2連覇で盛り上がりを見せた。
- 前年に初のリーグ優勝を達成したチームがこの年もリーグ優勝という珍事は(運営会社譲渡のものを除くと)1980年の近鉄以来となる。
- 日本シリーズはセ・リーグのCSが史実通りなら、星野監督がかつて監督を務めた阪神との師弟対決になり、リーグ優勝の巨人がCSで勝ち抜けば、前年と同じ巨人との対決になる。
- 阪神との日本シリーズなら2連覇できていただろうが、巨人との日本シリーズなら前年のリベンジを許していただろう。
- 田中将大のメジャー移籍をものともしない優勝としても話題になった。
- 星野監督の辞任はなかったか、史実よりも遅れていた。
- 体調不良の休養はあっても、復帰して翌年以降も続投していた。
- 現実通りこの年限りで退任し、阪神時代の2003年みたく日本シリーズで有終の美を飾れるかと話題になったかも。
- 「マー君の抜けた穴が大きい」と言われることもなかった。
- この年来日した新外国人ケビン・ユーキリスが現実以上に活躍できていた。
- 代わりに西武が最下位になっていた。
- 前年のパ・リーグAクラスとBクラスがそっくり入れ替わるという珍事は起きなかった。
2017年に優勝していたら[編集 | ソースを編集]
- 後半戦での失速がなければ可能性があった。
- 梨田監督にとって3球団目の優勝で、3回とも就任2年目に優勝出来ていた。
- 2018年シーズン途中に辞任することもない。
- 平石洋介が監督代行→監督になることもない。
- 2018年シーズン途中に辞任することもない。
- CSでソフトバンクに下克上を許さなければ、セ・リーグのCSが史実通りなら、史実のソフトバンクVSDeNA同様、DeNAとのIT対決が実現していた。
2019年に優勝していたら[編集 | ソースを編集]
- 交流戦終盤からの失速がなければ可能性があった。
- セリーグが史実通りなら、日本シリーズは6年前と同じく対巨人になっていた。
- 平石洋介がもう少し長く監督を続けていた。
2022年に優勝していたら[編集 | ソースを編集]
- 序盤の快進撃を維持できたとされた。
- 「楽天は偶数年は必ずBクラスになる」というジンクスは崩れていた。
- 2013年以来9年ぶり2度目のリーグ優勝ということになっていた。
- 同年は夏の高校野球でも宮城県代表の仙台育英が優勝したこともあり、この年は「仙台の年」と言われていた。
- セ・リーグの優勝チームが史実通りヤクルトだった場合、日本シリーズは初のヤクルト×楽天の組み合わせとなっていた。
- 鳥類球団同士であると同時に、監督が元ヤクルト投手同士であることが話題になっていた。
- ただ、楽天が2013年のように再び日本一に輝けていたかは別問題であり、打線の差でヤクルトが日本一となり、日本シリーズ2連覇を決めていただろう。
- 楽天としては球団史上初の日本シリーズ敗退ということになっていた。
埼玉西武ライオンズ[編集 | ソースを編集]
1966年に優勝していたら[編集 | ソースを編集]
- 黒い霧事件はなかったかもしれない。
- 場合によって、球団の身売りはなかったかもしれない。
- 日本シリーズでは、巨人に敗れていた。
- やはりV9は史実通りだった。
1975年に優勝していたら[編集 | ソースを編集]
西鉄撤退後初のAクラスとなった。
- 福岡野球の体制がネーミングライツに近かったためそれがこの時点で普及した。
- 地方のお荷物球団として語られる事はなかった。
- 西武への身売りと埼玉への移転が多かれ少なかれ遅れていた。
- MVPは移籍1年目でホームラン王に輝いた土井正博だった。
- 同年は山陽新幹線が博多まで開業したこともあり、それと合わせて語り継がれていた。
- セ・リーグの優勝チームも広島だったので尚更。日本シリーズは広島との西日本シリーズとなっていた。
1989年に優勝していたら[編集 | ソースを編集]
1989年のパリーグは、近鉄・オリックス・西武による史上まれに見る争いとなり、最終結果も優勝した近鉄と3位の西武との差がわずか0.5ゲーム差という壮絶なものでした。もし西武が優勝できていたら?
- 巨人を上回るV10となっていた。
- 全盛期の野球チームの代名詞は「V9の巨人」ではなく「V10の西武」になる。
- チームが綺麗にセ・パでバラけているから「セのV9、パのV10」としてどっちも称えられていたと思う。特に西武は全部日本一になっている訳ではないし。
- 全盛期の野球チームの代名詞は「V9の巨人」ではなく「V10の西武」になる。
- 「西暦が9で終わる年には優勝できない」のジンクスを打破できていた。
- 地上波での中継本数が増えてたかも。
- 「球界の盟主」とは巨人より西武になっていたかも。
- 特に2003年以降、巨人の凋落は史実以上となっていた。
- 第二次原監督時代に史実通りV3を達成しているなら史実並みでしょ。
- どう頑張ってもコクドが証券取引法違反をやらかすのは避けられないだろうから、一時的に盟主になっても結局ソフトバンク辺りに抜かれてしまうのがオチなんじゃないだろうか。
- 特に2003年以降、巨人の凋落は史実以上となっていた。
- 日本シリーズでは、ペナントの勢いそのままに、ジャイアンツを圧倒していた。
- 近鉄のように逆転で日本一を逃すようなことはなかっただろう。
- 当然ながら「巨人はロッテより弱い」は存在しなかった。
- そもそも清原がジャンピングニー事件の処分で欠場しなければ優勝できていた。
- 2019年の成績が史実通りならば、「ミラクル元年だけあって元年に強い」と言われていた。
- 史実通り2018年にも優勝すれば、平成のパ・リーグは西武優勝から始まって西武優勝で終わっていた。
1994年に優勝を逃していたら[編集 | ソースを編集]
- この年の西武ライオンズの監督は辞任していた。(実史における2008年の阪神タイガース岡田監督みたいに…。)
- 史実でも、森監督辞めていたんですがね・・・。
- 森監督がこの年限りで西武の監督を退いたのどの結末でも変わらん、って事ですな。
- 辞任発表によるモチベーション低下がない為日本シリーズはもっと接戦になっていた。
- 史実でも、森監督辞めていたんですがね・・・。
- 2002年の日本シリーズでは史実以上に「巨人が1990年のリベンジを果たした」と言われた。
1999年に優勝していたら[編集 | ソースを編集]
黄金ルーキー・松坂大輔の獅子奮迅の活躍も空しく、「白にゃんこ打線」とまで揶揄されるほどの貧打っぷりから3連覇を逃した1999年。もし優勝していたら?
- 「日本シリーズで勝つために(セ・リーグホームゲームでの守備に不安のあった)マルティネスを解雇した結果、肝心の日本シリーズの出場自体を逃す」という笑えないオチはなかった。
- 1989年の場合と同様、「西暦が9で終わる年には優勝できない」のジンクスを打破できていた。
- MVPはもちろん松坂が受賞。
- 優勝を逃したダイエー・王監督はこの年限りで辞任か。その場合、ダイエーの黄金時代もなかったかも。
- 日本シリーズでは中日と対決したが、さすがに打線の差がここで出て敗れる…?
- こちらが西口文也、松坂大輔、豊田清、石井貴といった強力な投手陣を擁するとはいえ、向こうも、MVPの野口茂樹を始め、川上憲伸、武田一浩、山本昌、岩瀬仁紀、宣銅烈と投手王国を築いているので、日本シリーズは史上屈指の投手戦になると思われる。
2000年に優勝していたら[編集 | ソースを編集]
8月30日の時点で2位に3.5ゲーム差をつけるも、翌日からの8連敗が響き2位に終わる。
- 西武日本一の場合、東尾修が翌年、西武の監督を辞任することは無かったかもしれない。
- 福岡ドームの使用権問題がなかったので、ダイエーの身売りが遅れていた可能性もある。
- この年の日本シリーズが変則的な日程になる事はなかった。
- 松坂大輔の道路交通法違反の報道は日本シリーズ後に先送りされていただろう。
2001年に優勝していたら[編集 | ソースを編集]
2001年、終盤まで近鉄とダイエーと優勝争いするも、最後は力尽きて3位に終わり、3年ぶりの優勝を逃した西武。もし、3年ぶりの優勝を達成していたら?
- 近鉄はこの年優勝できなかったため、1989年以来日本シリーズに出場することなく球団は消滅した。
- 第1戦の先発はもちろん松坂。
- 第5戦あたりに2度目の先発を任された。
- 同じカードだった1992年・1993年同様、第7戦までもつれていたと思われる。
- 少なくとも、やはり同じカードだった1997年のような展開(ヤクルト4勝1敗)にはならなかった。
- 東尾修の監督退任が遅れていた。
- 後任も伊原春樹ではなく伊東勤かもしれない。
2002年に優勝を逃していたら[編集 | ソースを編集]
- 優勝は近鉄かダイエーのものとなっていた。
- 序盤から首位を独走していたのに終盤に首位を逆転されるという展開だったら、伊原監督はこの年限りで辞任していたかも。
- その場合、伊東監督の就任が1年前倒しになっていた可能性も。
2003年に優勝していたら[編集 | ソースを編集]
- 2003年の日本シリーズは1985年以来の顔合わせとなっていた。
- 仮に阪神を下し日本一になった場合、「18年前のリベンジを果たした」と言われていた。
- 逆に阪神が日本一になっていた場合、「阪神は日本シリーズではなぜか西武に強い」と言われていた。
- 仮に阪神を下し日本一になった場合、「18年前のリベンジを果たした」と言われていた。
- 史実通り2004年も優勝していた場合、4度目の3連覇(1度目は西鉄時代の1956~1958年、2度目は1985~1987年、3度目は1990~1992年)を達成していた。
- 史実通り王シュレット事件が起きたとしても、2003年の日本シリーズの中継に影響が出る事はなかった。
2006年に優勝していたら[編集 | ソースを編集]
- ワールドカップ開催年優勝のジンクスを守った。
- 翌年のBクラスはなかったか。
- 伊東勤がもう少し長く監督を続けていた。
2008年に優勝を逃していたら[編集 | ソースを編集]
- 同年の優勝はオリックス・日本ハム・ロッテいずれかのものになっていた。
- オリックスの場合近鉄との合併及び大阪移転後は初めての優勝だった。もしセ・リーグの優勝チームが阪神だった場合、史実より15年早く日本シリーズで阪神×オリックスの関西ダービーが実現していた。
- 2023年現在、西武は2004年以来20年近く日本シリーズへの出場経験がないことになっていた。
2010年に優勝していたら[編集 | ソースを編集]
一時はマジック4としながら終盤で大失速した西武。もし優勝できていたら?
- 少なくとも、CSでロッテにストレート負けを喫することはなかった。
- もっとも、2年ぶりの日本シリーズに進めたかどうかは別問題。それでもロッテがシリーズに進んでいたら…(以下略)
- ロッテは多分相手がソフトバンク、日本ハムいずれの場合も第二ステージに進んでいた。
- 渡辺監督続投はもっと早くに決まっていた。
- ユニフォームカラーをライオンズブルーの水色から黒に変えて2年目の優勝なので、のちに失速しても「ライオンズブルーに戻せ」という声が現実ほど大きくならなかった。
2012年に優勝していたら[編集 | ソースを編集]
序盤の開幕ダッシュ失敗から一時は日本ハムを抜いて首位にたったものの結局日本ハムに優勝を許した西武。もし優勝できていたら?
- 渡辺久信は2014年以降も西武監督を続投してた。
- その場合2014年~2016年の西武は史実より良い成績を残してたかもしれない…。
- 平成時代西暦がx2年は西武が優勝するジンクスが継続してた。
2015年に優勝していたら[編集 | ソースを編集]
- 開幕大型連勝は吉兆のイメージが強かった。
- アイマスの疫病神伝説が減っていた。
- セ・リーグが史実通りなら日本シリーズは18年ぶりにヤクルト対西武となっていた。
- 田辺徳雄がもう少し長く監督を続けていた。
2017年に優勝していたら[編集 | ソースを編集]
炎獅子ユニフォームの着用や球団タイの13連勝を記録するなどの快進撃があったものの2位に終わる。
- この年からファンになった佳村はるかは史実以上に勝利の女神扱いされていた。
- 日本シリーズの対戦相手が広島なら、1991年と同じ対戦カードであると同時に、都道府県の組み合わせがその年の夏の高校野球決勝と同じということになっていた。
- 日本シリーズの対戦相手が史実通りDeNAなら、1998年と同じ対戦カードになっていた。
- 辻監督の就任1年目の優勝としても盛り上がった。
2022年に優勝していたら[編集 | ソースを編集]
前年所沢移転初年度以来となる42年ぶりの最下位に沈んだ西武。一時はソフトバンクを抜いて首位に立ったものの結局ソフトバンクはおろかオリックスにも抜かれ3位に終わる。
- 辻発彦がこの年、西武の監督を辞任することはなかったかもしれない。
- CSでオリックスかソフトバンクに下克上を許されなければ、日本シリーズは1997年以来25年ぶり4度目となるヤクルト対西武となっていた。
- テレビ中継で「25年前のリベンジなるか!?」と言われていた。
- ただ、西武が2008年14年ぶりの日本一に輝けていたかは別問題であり、打線の差でヤクルトが日本一となり、日本シリーズ2連覇を決めていただろう。
- このまま西武がCSを勝ち抜いていた場合、日本シリーズ出場から最も遠ざかっているチームはロッテだった。(史実では西武)
- 日本シリーズで優勝しても敗退しても、日本一から最も遠ざかっているパ・リーグのチームはオリックスのままだった。(こちらも史実では西武)
千葉ロッテマリーンズ[編集 | ソースを編集]
1977年に優勝していたら[編集 | ソースを編集]
1977年、後期優勝のロッテはプレーオフで前期優勝の阪急と対戦。最終戦までもつれ込んだが3勝2敗で敗退。もし、阪急を下して優勝していたら?
- 日本シリーズは、長嶋監督率いるジャイアンツとの対決となっていた。
- カネやん率いるロッテオリオンズVS長嶋ジャイアンツの顔合わせとあって、現実よりも盛り上がっていた。
- 後のダイエー対巨人の「ON対決」並みに話題となり、「ガムはロッテ、野球は巨人」のキャッチフレーズのCMも現実以上に有名になっていた。
- もし日本一になっていたら、当時の本拠地・仙台でも優勝パレードを行っていた。
- ちなみに、1974年に中日を倒して日本一になったとき、パレードは東京・銀座から新宿にかけて行われたのみで、仙台では行われず、大ひんしゅくを買ったことがある。
1980年に優勝していたら[編集 | ソースを編集]
- 日本シリーズは、広島東洋カープとの対決となっていた。
- 「昭和時代、西暦の下1桁が0の年はロッテが優勝する」というジンクスが生まれていた。
1984年に優勝していたら[編集 | ソースを編集]
1984年のロッテは後半戦に追い上げを見せるも首位阪急を最後まで捲る事は出来ず2位に終わりましたが、もしこの年にロッテが優勝できていたら?
- 日本シリーズは、広島東洋カープとの対決となっていた。
- 仮にセリーグの優勝チームが中日ドラゴンズだった場合(史実では2位)、10年前(1974年)と同じカードになっていた。
- その場合、後の落合博満の中日移籍がもっと話題を呼んでいた。
- 仮にセリーグの優勝チームが中日ドラゴンズだった場合(史実では2位)、10年前(1974年)と同じカードになっていた。
1985年に優勝していたら[編集 | ソースを編集]
- 日本シリーズは、阪神タイガースとの対決となっていた。
- 2005年の日本シリーズは20年ぶりの組み合わせとして、注目されていた。
- 落合博満とランディー・バースの三冠王対決が注目されていた。
1995年に優勝していたら[編集 | ソースを編集]
1995年のロッテは、10年近くの間4位にすら上がれなかったのが嘘のように活躍し、オリックスとは大差がつきながらも2位を確保しましたが、もしこの年にロッテが優勝できていたら?
- これで実史通りバレンタイン監督が解任されようものなら、球団やGMは現実以上に叩かれまくっていた。
- フリオ・フランコも尚更後味悪く退団することになったかも。
- あるいはもう少し長く在籍し、史実通りマット・フランコが入団して混同するファンが尚更多かったかも。
- フリオはボビーが監督務めている間はロッテに在籍していただろう。
- フリオ・フランコも尚更後味悪く退団することになったかも。
- 1996年のオリックスは日本一になれなかったかも?
- ユニフォームをピンクから縦縞に変えた1年目なので現実以上にゲンのいいユニフォームになる。
- セ・リーグの優勝チームがヤクルトだった場合、日本シリーズはチームの親会社が食品会社同士の対決になっていた。
2000年に優勝していたら[編集 | ソースを編集]
- 巨人の石井浩放出が悔やまれていた。
2005年にレギュラーシーズン1位だったら[編集 | ソースを編集]
- 同年はRS1位はソフトバンクでしたが、プレーオフに優勝してRS優勝扱いになりました。
- ロッテとしては1974年以来31年ぶりのRS1位でシーズン終了した。
- 阪神との日本シリーズで史実通り33-4で4タテしたとしてもRS1位だったことから史実ほどブーイングは出なかったかもしれない。
2010年に優勝していたら[編集 | ソースを編集]
3位とはいえ首位とのゲーム差が2.5と、リーグ優勝も不可能とは言えない状況でしたが、優勝できていたら?
- ロッテにとっては、36年ぶりのレギュラーシーズン1位となっていた。
- もちろんロッテが日本シリーズ進出の場合、「下剋上」は話題にならなかった。
- 第2ステージがロッテVSソフトバンクの場合、ファイナルステージは千葉マリンスタジアムで行われるため、ロッテの一方的な展開となっていたかもしれない。
2020年に優勝していたら[編集 | ソースを編集]
- 史実ではソフトバンクとの熾烈な首位争いを演じるも、最終的にソフトバンクに優勝を許してしまい2位に終わったロッテ。もしこの年優勝していたら?
- ロッテにとっては46年ぶりのレギュラーシーズン1位になっていた。
- 1月に球団オーナーを務めた重光武雄が亡くなっているので、彼に捧げる優勝となっていた。
- このままCSを勝ち抜き、日本シリーズで巨人に勝っていれば、「巨人はロッテより弱い」がTwitterあたりで大きな話題となっていた(ストレート4連勝なら尚更)。
- その発言をした?加藤哲郎氏が何らかのコメントを出していたかもしれない。
- ロッテと巨人の日本シリーズでの対戦は、ロッテオリオンズ時代の1970年以来50年ぶりとなり、前回1970年は巨人にV6を許してしまったため、テレビ中継で「50年前のリベンジなるか!?」と言われていた。
- そもそもコロナで主力選手を欠かなければ優勝できていた。
- 史実通り翌年にオリックスが優勝していた場合、2021年シーズン終了後パ・リーグで優勝から最も遠ざかっているチームは楽天だった。(史実ではロッテ)
- また、10年以内にパ・リーグの全6球団がリーグ優勝を達成したことになるため、「世はパ・リーグの時代だ」と言われていた。
2021年に優勝していたら[編集 | ソースを編集]
- 史実ではオリックスと2.5ゲーム差ついての2位でした。
- ロッテにとっては47年ぶりのレギュラーシーズン1位になっていた。
- 井口監督が名将としてロッテファンから崇められていた。
- パ・リーグMVPが益田になって、サファテ以来のクローザーからの選出になっていた可能性も・・・
- ただ山本由伸も投手5冠の成績だろうから、MVPの投票はかなり荒れていた可能性も・・・
- 日本シリーズの相手がヤクルトだった場合、監督同士がメジャー経験者という史上初の日本シリーズになっていた
- ただヤクルト×ロッテでは盛り上がりに欠けたような…。
- 6年ぶりの鳥類対決としても話題を呼んだ。
- ただし、こちらはヤクルトVSソフトバンクである。
- 無論、ロッテが11年ぶりの日本一に輝けていたかは別問題であり、打線の差でヤクルトがあっさりと日本一を決めていただろう。
- 仮に日本一になっていた場合、鳥谷は阪神では成し得なかった日本一をこちらで経験していた。
- しかも阪神時代に唯一リーグ優勝した2005年の日本シリーズで33-4で敗れた相手だと言うことも話題にされていた。
- 彼は同年限りで現役引退したので、まさに有終の美を飾っていた。
- 仮に日本一になっていた場合、鳥谷は阪神では成し得なかった日本一をこちらで経験していた。
- 何気に食品会社対決になっていた。
- パ・リーグで優勝から最も遠ざかっているチームがオリックスのままだった。(史実ではロッテ)
- このままロッテがCSを勝ち抜いていた場合、日本シリーズ出場から最も遠ざかっているチームもオリックスのままだった。(史実では西武)
- ロッテが日本シリーズで敗れていても、日本一から最も遠ざかっているチームもオリックスのままだった。(史実でもオリックス)
- ただし、翌年に史実通りオリックスが優勝・日本一に輝いた場合、パ・リーグで優勝から最も遠ざかっているチームが楽天(史実ではロッテ)、日本シリーズ進出から最も遠ざかっているチームが西武(史実でも西武)になっていた。
- 「隠れマジック」という言葉が流行語になっていた。
- 翌年にオリックスが史実通り優勝・日本一に輝いた場合、前年のV逸の屈辱を乗り越えたと言われ、史実以上にオリックスの選手陣や監督が称えられていた。
- さらに、10年以内にパ・リーグの全6球団がリーグ優勝を達成したことになるため、「世はパ・リーグの時代だ」と言われていた。
- 最後の最後で逃して翌年に優勝ということで、「10.19」の翌年に優勝を果たした1989年の近鉄バファローズと比較されていそう。
2023年に優勝していたら[編集 | ソースを編集]
- オリックスはV3ではなくV2となっていた。
- ロッテにとっては49年ぶりのレギュラーシーズン1位になっていた。
- CSも優勝して日本シリーズ出場を果たした場合、2005年と同じ組み合わせだった
- 対戦相手である阪神の監督があの時と同じく岡田彰布だったので尚更。
- テレビ中継で「18年前のリベンジなるか!?」と言われていた。
- もし阪神が日本一になった場合、ロッテには前回2005年は4連敗(いわゆる33-4)で敗れ去ったことから、そのリベンジを果たしたとも言われていた。
- 赤星憲広、金本知憲、今岡誠、鳥谷敬、矢野輝弘、井川慶ら2005年のV戦士が何らかのコメントを出していた。
- もし日本一になれなかった場合、阪神ファンの間では2005年と同様に同年の日本シリーズはなかったことにされていた。
- もし阪神が日本一になった場合、ロッテには前回2005年は4連敗(いわゆる33-4)で敗れ去ったことから、そのリベンジを果たしたとも言われていた。
- 史実通りオリックスが優勝したもののロッテがCSで下剋上した場合も同じ。
- その場合、阪神やオリックスのファンや在阪マスコミから「59年ぶりの関西ダービーは幻に終わった」と言われていた。
- その勢いでロッテが日本一になっていた場合、2010年を超える「史上最大の下克上」が完成していたのは間違いなかっただろう。
- パ・リーグで優勝から最も遠ざかっているチームは楽天になっていた(史実ではロッテ)。