もしあの自動車メーカーが○○だったら
トヨタ自動車[編集 | ソースを編集]
主要拠点を福岡県宮若市に移したら[編集 | ソースを編集]
あの「世界のTOYOTA」が国内主要拠点を宮若市(トヨタ自動車九州の本拠地)に移したら?考えただけでゾクゾクワクワク…
- 多分、東海地震で名古屋一帯が再起不能になれば実現するかも。
- いや、トヨタの本社機能が災害で麻痺したときは東京本社に移転させるみたいだから無理だよ。そもそもトヨタグループ12社のうち11社(デンソーやアイシン)が愛知県にあるのにトヨタだけ九州に移転ってなぁ…
- それら共々宮若に移転するだろう。
- アイシンの場合は工場がある熊本に移転するかもしれない。
- なぜか東海地震の直後に東京が直下型地震で壊滅して(ry
- それら共々宮若に移転するだろう。
- いや、トヨタの本社機能が災害で麻痺したときは東京本社に移転させるみたいだから無理だよ。そもそもトヨタグループ12社のうち11社(デンソーやアイシン)が愛知県にあるのにトヨタだけ九州に移転ってなぁ…
- 今度こそ福岡市が、名古屋の人口を抜き去る。
- 福岡が「日本第三の都市」になる。
- 宮若市から「西豊田市」に市名が変わる。
- 宮若市と福岡市の間に高規格産業用道路が建設される。
- 積出港であるアイランドシティーへのアクセス向上のため。
- 宮若市と苅田港との間に高規格鉄道が建設される。
- もちろん積出港であるアイランドシティーへのアクセス向上のため。
- アイランドシティー~宮若~直方といったところか。
- もちろん積出港であるアイランドシティーへのアクセス向上のため。
- 豊田市が名称を旧名の「挙母市(ころもし)」に戻す。
- 豊田市の成人人口の約半分は自動車関連の職業なので、人口は40万人から20万人に半減する。
- 豊川市が「日車市」に変わる。
- さながら「日本のデトロイト」と呼ばれるようになる。
- 財政再建団体に転落する可能性も。
- 苅田に工場がある日産が無意味に張り合いだす。
- いや。実はそれこそが真の狙いなのだ!(by設置者)
- やめてくれ!(愛知県民代表として書きました。)
- でもうれしい人もいると思うけど。(岡崎の三○の人は)
- 愛知県と豊田市の税収が落ちる。
- JR貨物のトヨタロングパスエクスプレスが盛岡~福岡の長距離運用となり、2回EH500に牽引される列車として鉄オタ間で有名に。
- トヨタの工場が近い北上駅付近に貨物駅が作られる。
- 豊田市の住民真っ青。
- 豊田市が破産する。
- 実際税収入減って大変らしい。これでこれが本当になったら財政再建団体入り必至。
- 名古屋経済沈没。
- 愛知県・名古屋市の大阪志向と静岡県・長野県の東京志向が強まっていた。
- 浜松市がなぜかこれを機に東海地方の中心を名乗り始める。
- 愛知県・名古屋市の大阪志向と静岡県・長野県の東京志向が強まっていた。
- トヨタが移転して空き家となった生産拠点を他の自動車メーカーが使用する。
- トヨタが移転に際してそれまで豊田市内にあった生産拠点をわざわざ全て破壊していくとはちょっと考えにくいし、世界屈指の高度な生産設備は他のメーカーにとっても魅力なはず。
- この場合、インドのタタ・モーターズが最有力候補なのではなかろうか?
- お隣・韓国のKIAかヒュンダイあたりも可能性アリ…?
- 「現代市」「起亜市」「塔々市」…いやなんでもないです。
- お隣・韓国のKIAかヒュンダイあたりも可能性アリ…?
- この場合、インドのタタ・モーターズが最有力候補なのではなかろうか?
- トヨタが移転に際してそれまで豊田市内にあった生産拠点をわざわざ全て破壊していくとはちょっと考えにくいし、世界屈指の高度な生産設備は他のメーカーにとっても魅力なはず。
- 豊田市が岡崎市に吸収合併される。
- ルートイン若宮インターが、ビジネス客で連日満室状態になる。
- 対抗して東横インも進出してくるが、それでも捌き切れず。
- JR九州バスが、宮若市内から福岡空港までリムジンバスを運行開始。
- 日本の三大都市圏といえば「東京・名古屋・大阪」ではなく「東京・大阪・福岡」になっていた。
- 東海道リニア新幹線は東京~名古屋ではなく東京~新大阪間で建設される。
- 佐賀空港が拡張され「九州国際空港」となる。
- 名古屋グランパスが移転し、福岡グランパスになる。地元は大歓迎。
- そしてアビスパ福岡は藤枝ブルックスとして晴れて里帰りとなる。
- サッカークラブの移転はまず考えられない(ヴェルディが異例なだけ)。
- 北九州工業地帯が北九州工業地域と呼ばれることはなかった。そのかわり、中京工業地帯が中京工業地域と呼ばれるようになる。
- 特に筑豊地帯の復権が進んでいた。
- JR宮田線が復活。
- トヨタは必死に阻止しようとするも、結局開業。
- トヨタの社員でやたら混む
- トヨタは必死に阻止しようとするも、結局開業。
- AKB48の選抜総選挙は第7回のうちにチーム8メンバーもランクインできていた。
- 場合によっては、AKB48の第一党陥落も阻止できていた。
- 新幹線の小倉~博多間の新駅は宮若市内にできていた。
- 福岡版五摂家の仲間入り。他のメンバーは、九州電力、西部ガス、西日本鉄道、福岡銀行。
レクサスが日本で展開されていなかったら[編集 | ソースを編集]
トヨタの高級車専用ブランド・レクサスは1989年に米国での展開が始まり、日本では16年後の2005年より展開が始まりました。もしレクサスが日本で展開されていなかったらどうなっていたのでしょうか?
- GS、IS、SCはそれぞれアリスト、アルテッツァ、ソアラの名称をそれぞれ引き継いだ。
- よって、トヨタブランドからクーペが消えることはなかった。
- それでもアルテッツァジータは2代目(史実のIS)へのフルチェンジで一旦消えていた。
- そして2011年よりCTの日本仕様として復活。
- アリストとアルテッツァにはネッツ店専売車種を表すエンブレムが付けられた。
- 後に発売されたLSとRXもそれぞれセルシオとハリアーの名称を引き継いだ。
- LXも引き続きランドクルーザーシグナスの名称を引き継いだ。
- 価格は旧モデルと同等か、1割増し程度にとどまっていた。
- ワンプライス販売も発売当初だけで、売れ行きが鈍るにつれ値引きが拡大していった。
- 各車とも、販売台数は史実よりも多かった。
- アベンシスの輸入終了後、ネッツ店からセダンが消えることはなかった。
- この関係で、3代目プリウスおよびSAIがトヨタ全店で併売されることもなかった。
- 3代目プリウスの販売台数は2代目の売れたときとそう変わらなかったかもしれない。
- この関係で、3代目プリウスおよびSAIがトヨタ全店で併売されることもなかった。
- ウィンダムは海外専売のカムリ派生車種「オーリオン」をベースにして販売された。
- いや、普通にESが名称を引き継いだと思う。
- スーパーGT(旧JGTC)へのソアラの投入は史実よりも早く、スープラ生産終了の翌年である2003年に行われた。
- GT300のトヨタ系チームが使用する車両もすべてカローラアクシオになった。
- こちらの導入も史実より早く、MR-S生産終了の翌年である2008年に行われた。
- GT300のトヨタ系チームが使用する車両もすべてカローラアクシオになった。
- チューニングメーカーが色々苦労する事はなかった。
- VAC2も存在無かったかも。
- HSはプログレ/ブレビスの新型として販売された。
- そもそもHSはもともとSAIの派生車種として開発されていたため、日本ではSAIだけの発売になっていたかもしれない。
- LFAは開発そのものが凍結された。
- 開発凍結がなされなかった場合、2011年に「トヨタ4800GT」として発売された。
- auのW44TIII(レクサスケータイ)はなかった。
- CTはブレイドの新型として販売された。
- 左ハンドルの逆輸入レクサスの人気が実際より高くなっていた。
- LSも日本国内向けは2006年以降もセルシオのままだった。
- GSは3代目以降も日本ではアリスト、ESは2代目以降も日本ではアルテッツァとして販売されていた。
- 2代目SC後期型も日本では4代目ソアラ後期型として販売されていた。
- ウィンダムはどうなっていたかは不明。
- アバロン・プロナードがアッサリ絶版となったくらいだからいずれにせよこいつは消える運命であった。
- トヨタブランドの他車種への影響
- クラウンマジェスタの装備が大幅にグレードアップされることはなかった。
- ヴァンガードはカローラ店専売車種となった。
- あるいは前身のクルーガー同様、カローラ店とネッツ店の併売車種となった。
- 3代目RAV4もカローラ店とネッツ店で販売され、ヴァンガードはRAV4の1ラインナップとして販売された。
- クルーガーハイブリッドの後継車としてヴァンガードハイブリッドも発売された。
- あるいは前身のクルーガー同様、カローラ店とネッツ店の併売車種となった。
- 日本でもオーリスハイブリッドが発売される。
- 2016年に兼ね合いがあるにも関わらず発売。
- アリストハイブリッド(史実のGS450h)との兼ね合いから、200系クラウンではハイブリッドは発売されなかった。
- ハリアーは3代目からNXベースになっていた。2Lターボも出ていたかも?
- 本当に出やがったよコンチクショウ・・・レクサス品質ではなくトヨタ品質として多少デチューンはされているが。
いすゞ自動車[編集 | ソースを編集]
乗用車事業の撤退があの時期だったら[編集 | ソースを編集]
- 史実での完全撤退は2002年です。
1953年[編集 | ソースを編集]
- 原因は間違いなくヒルマン・ミンクス。
- 下手をするとGMとの資本提携も無かったかもしれない。
1973年[編集 | ソースを編集]
- ベレットの生産終了とともに117クーペやフローリアンも生産中止。
- GMよりオペル・カデットを輸入販売していた。
1993年[編集 | ソースを編集]
- フィリーやオアシスは無かった。
- 自社開発時代は存在しなかった為。
- ジェイ・バスの設立が早まった可能性も。
- 時期次第ではブルーリボンシティは製造されず、ブルーリボンIIハイブリッドが出ていた。
- 三菱と日産ディーゼルの統合も早まったかもしれないな…あと富士重工のバスボディ製造撤退も。
- そのうちトラック部門も統合し「ジェイ・トラック」も設立されていたかも?
- そしてバス・トラック両方統合して「ジェイ・ディーゼル」設立。
- ビークロスも存在しなかった。
ジェイバスを設立していなかったら[編集 | ソースを編集]
いすゞと日野のバス部門は2002年にジェイ・バスを設立し、2004年に統合しました。もしジェイ・バスがなく、いすゞはいすゞバス製造で、日野は日野車体で今でもバスが作られていたら?
日野自動車[編集 | ソースを編集]
- ブルーリボンシティのデイーゼル車が今でもラインナップされている。
- レインボーがモデルチェンジしている。
いすゞ自動車[編集 | ソースを編集]
- ガーラはいすゞオリジナルボディ。
- ガーラミオもいすゞの独自設計。
三菱ふそう[編集 | ソースを編集]
- ゲテモノノンステはなく、ぺたんこノンステのままで今でも販売。
- エアロミディもラインナップされている。
UDトラックス[編集 | ソースを編集]
- 西工が廃業することはなかった。
- その可能性は低いかと…
- 三菱ふそうからOEM供給を受けることはなかった。
2階建てバスを発売していたら[編集 | ソースを編集]
2階建てバスは国産メーカーではいすゞだけが発売したことがありません。もし、発売していたら?
- スーパークルーザーがベースとなっていた。
- ボディはIKコーチの他に富士重工製ボディを架装した車両も存在していた。
- はとバスが好んで導入していた。
- ドレクメーラーの2階建てバスを導入することはなかった。
関連項目[編集 | ソースを編集]
- もしいすゞ自動車が自動車事業から撤退したら(もしも借箱)
ダイハツ[編集 | ソースを編集]
スバルとの軽自動車が○○だったら[編集 | ソースを編集]
ダイハツの軽自動車が全てスバルのOEMになったら[編集 | ソースを編集]
ありえないかもしれないが、「サンバーを維持する」つもりでダイハツの軽自動車をすべてスバルからのOEMにしてしまったら……
- ムーヴはステラの、アトレー / ハイゼットはサンバーのOEM、ソニカはR2のOEM、ミラはプレオのOEM。
- タントはR2シャシーで生産されるが、スバルブランドでは発売されない。
- あおりでサンバー ディアス・ワゴン / バンがセミキャブ1.5Boxとなり、サンバーのファンは消沈する。
- コペンはR2シャシーだが、車体は共同開発で無駄に力が入る。
- もちろんSC車で、フルタイムAWDもラインアップされる。
- スバルからはヴィヴィオの愛称復活で発売か?
- ダイハツの軽の新車は半年待ちが当然になる。
- ライセンス生産をダイハツでさせない限り、解消しない。
- 一方、スバルは国内生産だけで手一杯になり、輸出の比率を大きく落とす。
- 軽自動車のエンジン音がEN07ばかりに……
- 逆パターン(スバルの軽自動車がダイハツのOEM)は現実になりそうで怖い……
- ココの二の舞になりそう……
- これでダイハツも終わりか……
- エンジンよすぎて元のダイハツ使用者がついていけない。
スバルの軽自動車が全てダイハツのOEMになったら[編集 | ソースを編集]
逆に、もしSUBARUの軽自動車がすべてダイハツからのOEMになったらどうなるでしょうか?
- ステラがムーヴのOEMとなり、サンバーはハイゼットのOEMとなる。
- 寧ろ、ハイゼットがサンバーのOEMになる。
- うえ二つとR1・R2がミラのOEMで決定。
- スバルはタントが欲しかったが、売れ筋なので「あかん」と言われたらしい。
- 結局、ダイハツから「タントEXE」という新車種があてがわれた(スバル名「ルクラ」)。また、ミラのOEMはプレオになった。
- 旧来のスバルファンから「名ばかりのスバル」とか「スバルらしさがどこにもない」などと揶揄され、ファンが大いに悲しむ。
- サンバートラックフリークからは間違いなくそっぽを向かれる。
- 赤帽から訴えられる。
- 事実、サンバーのOEM化は赤帽の結論待ちらしい。
- 軽自動車の生産設備があく。
- 自転車の生産設備に転用する。自転車を生産する際、カチオン電着塗装など長年の車作りで培ったノウハウを生かし、既存の自転車メーカーをギャフンと言わせる。
- ドサクサにまぎれてブーンX4もOEM供給でスバルから発売される。
- 又は、ダイハツとスバルの共同開発でラリーウェポンの軽4WDが新レックスとして登場する。
- スバルは知らないうちに軽自動車の自社設計をやめ、ダイハツのOEMになりました。この通り。
日産自動車[編集 | ソースを編集]
ブランドが「ダットサン」のままだったら[編集 | ソースを編集]
- いつのまにか「ダッツン」が正式なブランド名になっているだろう(デンオン→デノン参照)。
- 日本でもブランドはダットサンと呼ばれていた。
- スカイラインとグロリアは「プリンス」のブランドが復活し、史実のインフィニティのような位置付けになっていた。
- 社名もダットサンになっていただろう。
- スカイラインorプリンス至上主義者が激怒し、桜井眞一郎や伊藤修令が落胆しそうな…。
- アメリカではトヨタやホンダと共に多くの販売台数を記録していた。
- 石原俊社長とその後継者の評価も高かった。
- それはさすがにない。石原は結局労組問題で足を引っ張られたわけだし。久米豊は史実より多少高くなっているかもしれないが。
- 片山豊氏は落胆していなかった。
- ルノー傘下入りしていなかったかもしれない・・。
- スズキから軽自動車のOEMを受けることもなかっただろう。
- ブランド戦略の失敗例としてアメリカの大学の教材になっていない。
- むしろ、成功例として大学の教材になっている。
- GTカーやスポーツカー主体のブランドになっている。
- やがて、SUVなども設定されている。
- いや、もともと小型車向けブランドだったこともあって、マーチやノート、ティーダなどBプラットフォーム車が「ダットサン」を名乗っていたのではないか。(Zは排気量が大きいので北米除いて「ニッサン」)
- リーフ(電気自動車)は専用プラットフォーム車だが、一部部品にBプラットフォームのそれを使っているので「ダットサン」ブランドで発売。
- NISMOはない。
- 商号(ニッサン・モータースポーツ・インターナショナル)としては存在するだろう。ただし実戦参加は「ダットサン」「ニッサン」「プリンス」などを使用。
- 横浜国際総合競技場は日産スタジアムではなくダットサンスタジアムと呼ばれている。
- 販売チャネルは小型車主体の「ダットサン○○」、中型車中心の「○○日産」(上二者は「日産」と「日産サニー」、「日産チェリー」、「日産モーター」を再編成)、高級ブランドの「日産プリンス○○」に移行していた。
- Bプラットフォーム車が「ダットサン」を冠した場合、「ダットサン○○」が同じコンパクトカー主体の「ネッツトヨタ○○」と張り合う。
- 今でもブランドが残っていた場合。
- 東南アジア向けブランドを日本に輸入する形となる。
インフィニティの日本本格投入が行われていたら[編集 | ソースを編集]
- 「日産バリューアップ」通りに2007年までに本格投入。
- 初期ラインナップはQ(史実のシーマ)、M(同フーガ)、G/Gクーペ(同スカイライン)、EX(同スカイライン・クロスオーバー)に加えてFX、そして史実のティアナを「I」として投入。
- 日本と北米以外ではフェアレディZを「Z」として投入。
- その結果ここの09の3行目が現実になっていた。
- それでもQの生産は2010年で打ち切られていた。
マツダ[編集 | ソースを編集]
ロータリーエンジンの開発が○○だったら[編集 | ソースを編集]
失敗していたら[編集 | ソースを編集]
- ロータリーエンジンは世に出ることなく「幻のエンジン」としてマニアの記憶の中にだけ存在する。
- ロータリーエンジンと言えば、ノームに代表されるレシプロ・ロータリーを指す。
- マツダは開発費が負債となって覆い被さり倒産、スバルあたりと合併。
- ちなみに史実ではトヨタに吸収合併される予定だったらしい。
- あるいは自転車などの製造に鞍替えしていたかもしれない。
- コスモやサバンナは全てレシプロエンジンで開発されている。
- 後にRX-7は2000cc直4ターボ、コスモは3000ccV6ツインターボでデビュー。
- OEMの水平対向(FLAT-4~BOXER)だったりして……EA82エンジンは最後はレオーネ用よりOEM用の方がカタログ上ハイパワーになってたりとか。
- さらにはコスモ辺りにER27~EG33とか? ターボを付けて本家よりもパワーアップしている可能性も。
- OEMの水平対向(FLAT-4~BOXER)だったりして……EA82エンジンは最後はレオーネ用よりOEM用の方がカタログ上ハイパワーになってたりとか。
- 後にRX-7は2000cc直4ターボ、コスモは3000ccV6ツインターボでデビュー。
- カペラは最初からレシプロエンジンのみでデビュー。
- 輸出向けのRX-○という車名は誕生していない。
- 当然サバンナRX-7やRX-8という車名もない
- スバルの(レオーネ)RX用エンジンを積んでサバンナRX-○じゃない?
- その場合、単にサバンナRXか数字の場所がアルファベットになるかも。
- スバルの(レオーネ)RX用エンジンを積んでサバンナRX-○じゃない?
- 当然サバンナRX-7やRX-8という車名もない
- パークウェイロータリーやREPU(輸出向けのREエンジン搭載のピックアップ)も登場していない。
- ロードペーサーはレシプロエンジンで登場していたはず・・。
- RE-5の関係で、マツダではなくスズキがロータリーの代名詞的なメーカーに。
- それでもオイルショックで生産中止となるため、四輪車への展開は叶わなかったかもしれない。
- AZ-1にスズキ製RE搭載モデル(通常仕様はEN07)が出現して、結局マツダはロータリー車メーカーに。
- AZ-1はF6Aエンジンなんだが……EN07は富士重製のエンジン。どこから持ってきたんだ?
- AZ-1にスズキ製RE搭載モデル(通常仕様はEN07)が出現して、結局マツダはロータリー車メーカーに。
- それでもオイルショックで生産中止となるため、四輪車への展開は叶わなかったかもしれない。
- 日本車のルマン24時間レース優勝は未だに実現していない。
- 日産やGM、ダイムラーベンツがロータリーエンジンの開発に乗り出していたかもしれない。
- 本家NSUはどう思っていたのだろうか・・。
行っていなかったら[編集 | ソースを編集]
- コスモは直列6気筒エンジンを積むクーペになっていた。
- ルマン参戦など検討さえされなかった。
軽自動車の自社開発を続けていたら[編集 | ソースを編集]
- キャロルはセミトールワゴンとして存続。
- 1990年代前半についにRE搭載の軽自動車が発売。
自転車事業に進出したら[編集 | ソースを編集]
- 「LEVEL」ブランドのマツダ自転車工業と商号を巡って法廷闘争となる。
- ロードバイクやマウンテンバイクなどスポーツ系の自転車ばかり手がける。
- マツダ本来のイメージを汚さなくするためか、子供用や実用車などは生産しない。
- これを反映して英名を"MAZDA MOTOR CORPORATION"から"MAZDA CORPORATION"に改める。
- マツダはついでに車椅子も手がける。
- ただし、スポーツタイプのものしか作らない。
アマティが販売されていたら[編集 | ソースを編集]
かつて1994年春から米国で展開する予定だった高級車ブランドのこと。
- 結局1999年あたりに廃止される。
- 国内展開は行わない。
三菱自動車[編集 | ソースを編集]
リコール隠しがなかったら[編集 | ソースを編集]
- ギャラン店とカープラザ店が現在でもある。
- そのためのディーラーが統合することはなかった。
- むしろ、さらに店舗展開をしていた。
- そのためのディーラーが統合することはなかった。
- ディアマンテやギャラン、プラウディア/ディフィニティといった高価格の車をまだ生産している。次期型が開発されている。
- ディファニティではなくディグニティです。ちなみにプラウディア/ディグニティは日産からののOEMで復活しました。
- ギャランフォルティスが日本でもランサーとなっている。
- グランディスがミニバンナンバー1になっていたかも
- それでも世界金融危機で事業の大幅見直しを余儀なくされ、現実通り位に事業は縮小。
- 三菱ふそうにもリコール隠しはなかった。。
- WRCやダカールラリーなど国際モータースポーツ活動からの撤退もなく、現在も活動を継続している。
- むしろスーパーGTなどの国内モータースポーツ活動を拡大している。
- ラリーアートの事業縮小もなかった。
- 「日本のビッグスリー」の3番目はホンダではなく三菱になっている。
- 現在でもGDIエンジンの開発が進められている。
- 長崎自動車もバスを新車投入していた
- その理由は?まあ三菱の導入は現在休止中だが、一時期新車導入が無かったのはリコール隠しよりはハウステンボス倒産の影響が大きいかと。
- トヨタとのテレマティクス提携が凍結されることもなく、現行三菱車にはG-BOOK対応ナビの設定がある。
- この影響で、日産と互いの車種をOEM供給しあうこともなかった。
- トヨタと三菱で互いの車種をOEM供給を受けるようになった。
- トヨタ→三菱のOEM例:ウィッシュ→ディオン、カムリ→ディアマンテ、プロボックス/サクシード→ランサーカーゴ
- 三菱→トヨタのOEM例:ギャランフォルティス→ビスタ、RVR→ヴォルツ、i-MiEV→e-com
- i-MiEVはもう少し早く発売されていたかもしれない。
- コルトのフルモデルチェンジはもっと早まっていた。
- その新型コルトはジェットファイターグリルが用いられた。
- 『東京フレンドパーク2』の賞品がフリーランダーやラスベガスに差し替えられることはなかった。
- 番組末期にはトヨタにスポンサーを鞍替えすることもなく、賞品がパッソになることもなかった。
- ミニキャブがスズキのOEMになることはなかった。
- デリカD:2も自社開発で発売されていた。
- 名古屋グランパスがあの不適切な横断幕を掲げることもなかった。
- 軽自動車ナンバー1メーカーになる。
日野自動車とOEM提携していたら[編集 | ソースを編集]
もし三菱ふそうトラック・バスが日産ディーゼル工業ではなく日野自動車とOEM提携したら、もし日野自動車がいすゞ自動車ではなく三菱ふそうとOEM提携していたらどうなっていたでしょう?
全般[編集 | ソースを編集]
- ふそうが路線・自家用系を主体とし、日野が観光・高速系を主体となる。
- エアロスターが日野へ供給され、ブルーリボンMPとして供給される。
- 一方日野側はセレガがエアロバス・エアロクイーンとして供給される。
- エアロキングはセレガの2階建て版に受け継がれ、セレガの2階建て版がエアロキングとして供給される。
- MPそのままにはならんような…いすゞLVがKVになるくらいだから、KPとかじゃないか?
- ブルーリボンも三菱へ供給され、エアロスターHとして供給され、旧エアロスターM派の業者も選択する。
- 京阪バス、南海バス、神戸市営バス辺りで車種の判別がしにくくなる。
- エアロミディMK観光系にパワーシフトが装備される。
- ローザがリエッセIIIとして供給され、リエッセがローザとして供給される。
- 日野を扱っていないふそうユーザーに日野供給モデルが導入される。
- その逆もある。
- 三菱グループがトヨタ系列に。
- いや逆に日野がトヨタから離脱してダイムラーにつくんじゃない?
- 日野がUDへのエンジン供給を打ち切る。
- ふそうが「FFシフト」の名称を使うようになる。
- その逆では日野が「フィンガーコントロールトランスミッション(orFCT)」の名称も使うようになる。
- 恐らくガーラはあんな車両にはならなかったでしょうね。
- いすゞ主導で開発。
- 奈良でもエアロスターを見ることができるようになる。
- 三菱ふそうエアロミディMEの後継車は2代目ポンチョのOEM車になっていたかも。
- 2010年までエアロスターに西工ボディを架装することができた。
- メルファが三菱ふそうにOEM供給されていた。
- なんと、現実世界でも三菱ふそうと日野自動車が経営統合。
いすゞ×UD[編集 | ソースを編集]
- ふそう・日野の提携で残ったいすゞとUDが提携をしてたかもしれない。
- UDが主に観光・高速系、いすゞが路線・自家用系を主体に。
- 観光・高速系にはいすゞのラック&ピニオン機構が採用されていたかもしれない・・。
- エルガ・エルガミオにアドブルーを標準装備。技術は勿論UD担当。
- ガーラにも標準採用される。
- UDが製造してるからね。
- まさかの現行仕様に標準装備。どうしてこうなった。
- ガーラにも標準採用される。
- UDの車体を担当していた富士重工がバス製造から撤退していなかったかもしれない。
- どちみち撤退してからの話なので有得ません。
- 結果、生産はいすゞバス製造と西工で分担する。
- '10年8月の西工の会社清算後はいすゞバス製造に集約ね。
- むしろ西日本車体工業は生き延びてた。
- '10年8月の西工の会社清算後はいすゞバス製造に集約ね。
- 結果、生産はいすゞバス製造と西工で分担する。
- どちみち撤退してからの話なので有得ません。
- デザイン開発ではいすゞとUDのデザイナーの競作が行われる。
- UDは純正ボディがないのでデザイナーもいないと思いますが・・・
- 西工を忘れないでください。
- 西工は'10年8月で会社清算だそうですよ。
- 西工を忘れないでください。
- UDは純正ボディがないのでデザイナーもいないと思いますが・・・
- スペースランナーJPはいすゞにOEM供給されていた。
- ただし、エンジンはいすゞ製である。
- いすゞが大型観光バス、中型観光バスを自社で開発していた。
- もちろんエンジンはいすゞ製である。
- このバス会社ではUDといすゞの区別が付かなくなっていた。
日産以外と合併していたら[編集 | ソースを編集]
プジョー・シトロエン[編集 | ソースを編集]
2009年頃、三菱は既にアウトランダーのOEMで業務提携していたプジョー・シトロエンと資本提携する構想があったものの、破談となりました。ただし、業務提携については拡大するとのことで、その後RVRとi-MIEVのOEM供給も行ってうたものの、結果的に日産傘下になったことでライバルのルノーと組んだことになることもあってか、現在ではこの業務提携自体が終了しています。もし、プジョー・シトロエンと資本提携していたらどうなっていたでしょうか…
- ミニキャブ/タウンボックス、ミラージュ、トッポ、パジェロミニ、eKとi/i-MIEVはPSA・PF1プラットフォームやPSA・CMPプラットフォームでフルモデルチェンジしていた。
- コルト、ランサー、パジェロ、RVR、グランディス、アウトランダー、トライトンとデリカD:5はPSA・PF2プラットフォームやPSA・EMPプラットフォームでフルモデルチェンジしていた。
- ギャランはPSA・PF3プラットフォームやPSA・EMPプラットフォームでフルモデルチェンジしていた。
- デボネアはPSA・PF3プラットフォームやPSA・EMPプラットフォームで復活していた。
- デリカバン/デリカトラックはプジョー・エキスパート&シトロエン・ジャンピー(2代目以降)のOEM車になっていた。
- デリカD:3はプジョー・エキスパートティピー(→プジョー・トラベラー&シトロエン・スペースツアラー)のOEM車になっていた。
- エクスプレス(ルノー・トラフィック(3代目以降)のOEM車)は存在しない。
- プジョー・108、シトロエン・C1(2代目)、プジョー・エキスパート&シトロエン・ジャンピー(3代目以降)とプジョー・トラベラー&シトロエン・スペースツアラーはトヨタではなく三菱と共同開発されていた。
- プジョー・シトロエンがダイムラーから三菱ふそうトラック・バスを買収されていた。
- プジョー・シトロエンのクロスオーバーSUVや電気自動車は三菱の技術が入っていた。
- 三菱は2021年にイギリスから撤退しなかった。
スズキ[編集 | ソースを編集]
燃費不正問題で日産傘下になったがスズキ傘下に入っていたら
- スズキの苦手な3ナンバー車を強化する目的で買収。
- 軽自動車部門は独占禁止法に引っかかる恐れがあるので水島工場をホンダorマツダor日産に売却。
- スイフト&バレーノに統合してミラージュは生産終了。
- 町工場のスズキと財閥系の三菱では社風が違いすぎて失敗に終わる。
トヨタ[編集 | ソースを編集]
- EV技術以外はイラネ。
- 日産の軽自動車販売に打撃を与えることが買収の目的。
ダイムラーAG[編集 | ソースを編集]
- 三菱ふそうトラックと再び合併。
マツダ[編集 | ソースを編集]
- ASEAN市場に強い三菱とASEAN市場に弱いマツダで補完。
- 三菱自動車が潰れると三菱自とマツダ両方から下請けてる会社が潰れてマツダへの部品供給も滞るとか中国地方の景気が落ち込むとかいわれて中国地方政財界の圧力でしぶしぶ救済。
- マツダが日産の軽自動車生産を担うため、現在ハイブリット車で提携しているトヨタとの間で提携合戦が起きる。
ホンダ[編集 | ソースを編集]
アキュラブランドを国内展開したら[編集 | ソースを編集]
- MDXは2代目以降も日本で売られていた。
- 新型NSXの価格に対する抵抗感が多少は和らいでいた。おそらくプレミアム代として100万程度は上乗せされているだろうが。
ゼネラルモーターズ[編集 | ソースを編集]
現在でもジオを販売していたら[編集 | ソースを編集]
- オリジナルの車を売っているかはわからない。
- 売っていた場合、国内展開している(イスズの乗用車ブランドの代わり?)。
ダイムラーAG[編集 | ソースを編集]
あの自動車メーカーが傘下に入ったら[編集 | ソースを編集]
- スズキ
- スズキがダイムラーAGと小型車を共同開発する。
- スズキのディーラーでスマート車を販売する。
- ダイムラーが二輪車事業に参入する。
- 当初はスズキからのOEM供給を受けるが、後に自社生産を開始する。
- メルセデスブランドで普通/大型、スマートブランドで原付/小型を販売する。
- 富士重工→ダイムラーAG
- スバルが軽自動車の生産を打ち切ることはなかった。
- トレジアはラクティスベースではないかもしれない。
- トヨタ86とスバルBRZはどうなっていたのだろうか。
- スバルディーラーでスマート車を販売する。