もし江戸時代に自転車が開発されていたら
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自転車は1817年にドイツのカール・フォン・ドライス男爵がドライジーネを発明したことに始まりますが、 18世紀初め、自転車の先駆けともいえる発明である陸船車を武蔵国(現在の埼玉県本庄市)の百姓である門弥が発明し、彦根藩士の平石久平次時光も享保17年(1732年)に新製陸舟車という乗り物を発明しましたが、当時の一般的な路面状態の悪さや、幕府による地方の新技術発達を抑圧する政策などにより広まることはありませんでした。もしこれが日本全国に広まっていたら?
- 日本人が自転車を発明したことになっていた。
- よってドイツで作られたものは盗作に。
- ドライジーネ以降の自転車に関しては「西洋式陸船車」として伝わっていたんじゃないだろうか。構造が違うから盗作とは言い難いし。
- よってドイツで作られたものは盗作に。
- 日本全国の街道は全て石畳で舗装されていた。
- 当然幕府が街道筋の各藩にやらせた。参勤交代の移動時間は短縮されるが、こんどは道の舗装と修繕で財政逼迫。
- 大井川にも橋がかけられる。
- しかし洪水のたびに橋が流される。
- 自転車搭載可能な渡し船が運航されたと考えるのが妥当ではあるまいか。
- 籠屋は全て廃業していた。
- その代わり輪タクが江戸時代から営業していた。
- なので失業で困ることは無かった。
- 自転車に乗れない人もいるわけだから全てでは無いだろう。
- その代わり輪タクが江戸時代から営業していた。
- 日本の産業はかなり発達していた。
- 特に堺市は「東洋のマンチェスター」と言えるほどの大都市となっていた。
- 本庄市と彦根市、どちらが自転車発祥の地かで揉める。
- 幕末では新政府軍は自転車に乗って攻撃した。
- 宿場町では馬の代わりに自転車を用意することに。
- 駅伝が自転車で行われることになる。
- 浮世絵にはサイクリングを楽しむ武家の女性が描かれる。
- みんな陸舟車と呼ぶ。
- 英語ではランドボートとか呼ばれる。
- 大名用の数人で漕ぐ、馬車みたいな陸舟車が出来る。
- 箱根などの峠では旧来のまま。
- 一体に坂道の多い日本では、あまり広域的に自転車を使う習慣は生まれなかったかも……
- とはいえ、ほどなくギアチェンジの技術も確立されたことだろう。
- 一体に坂道の多い日本では、あまり広域的に自転車を使う習慣は生まれなかったかも……
- 火付盗賊改方の面々はみんな自転車に乗って江戸の治安を守る”元祖銀輪部隊”となっていた。
- 当然鬼平も自転車に乗っている。
- 彼らが乗る自転車は機動性に富むMTBスタイル。
- ロードレースも存在し、三十三間堂の通し矢がそうであったように、各藩選りすぐりの自転車上手の藩士が藩の威信と名誉をかけて戦う場となっていた。
- コースはたぶん江戸・日本橋から日光・東照宮まで。
- 飛脚は高機動、郵便物の輸送量増加も図り、値段的コストも安くなった。
- 佐川急便のCIの飛脚は陸舟車に乗っている。
- 人力車は誕生しなかった。
- 朝鮮通信使やオランダ商人などにより外国へも伝わった。
- 流石に江戸幕府がそれを認めるとは…むしろシーボルトあたりが陸船車の設計図を勝手に持ち帰ろうとして国外追放になってそう。
- 行商人も自転車を利用していた。
- 農村部への普及は都市部と比較するとやや遅れた。
- 戦前の「自転車に乗る女性はおてんば(悪い意味で)」という偏見はなかった。
- むしろ「自転車乗らない奴は非国民」といわれていた
- 茶道や華道のように自転車道が女性の嗜みとして推奨されている。
- むしろ「自転車乗らない奴は非国民」といわれていた
- 今にはもう空飛ぶ車が当たり前になっている。
- もうガソリン車は走っていない。
- 自転車の使用により所要時間が短縮されていたことで一揆などが大規模になっていた。
- 江戸、大坂の市街地が史実より拡大していた。
- 新宿や梅田、難波あたりは鉄道開業前から商業地として開発されていた。
- 市制施行当初の東京市や大阪市の範囲は広かった。
- 平安京の洛中の範囲も、上賀茂から上鳥羽あたりまで広がっていた。
- 道路舗装が江戸時代から進むことになるので戦後史実ほど土建国家化することはなかった。
- 百姓・町人が武士と衝突事故を起こした場合いかなる状況でも切り捨て御免になる。
- おそらく江戸市中では(火付盗賊改方などの役人以外は)江戸町奉行の発給する鑑札がないと乗れないルールになっている。
- この場合世界最初の運転免許制度及びナンバープレート制度として交通史に記されることになる。
- 結局一部の都市しか普及しなさそう。
- 江戸幕府の交通政策ががらりと変わるので馬車や牛車も普及していたかもしれない。