もし沖縄戦がなかったら

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  1. 人口は200万を超えていた。
    • 厳密には高度成長期一時激減、航空会社のキャンペーンが始まると人口増加に。
      • ただし、観光地は首里城などの世界遺産と海水浴ぐらい。戦跡も基地も存在しない。
        • どうしても4000m滑走路の基地をおくならたぶんこことかここかも。
        • 美ら海は?
      • 中学高校の修学旅行は今も少ない。
        • その分北海道や海外に行く学校が増えていた。
          • 広島に行く学校も増えていた。
            • 長崎でも可能。
      • 基地の代わりに本土から大企業の工場が進出し、第二次産業比率が現実より上がっていた。
        • 沖縄の失業率が現実より低かった。
    • 水も電力も逼迫していたため、今よりももっと多くダムが建設され、原発ですらできていた可能性が高い。
      • 原発は現に沖電が検討している。
      • 海水を淡水化するプラントも沖縄のあちこちに設置されていた。
    • 沖縄県内で政令指定都市が実現している。
    • とはいうが、実際には現在は100万人くらいになってた気がする。ついでに言うと人口トレンドも本土と同じようになっていた。
  2. 那覇の市街地は現在も東町と西本町。
    • 那覇市役所は郵政会社の南。だが、手狭になりやっぱり甲辰小学校と沖縄県庁の間に移転。
      • 10・10空襲がなければ県庁が原形とどめているため、別の意味で保存運動が巻き起こった。
        • だが発掘中に湧田釜が見つかり、結果与儀駅か安里駅近くへ移転。
    • 山形屋は現在のポートホテルの向かい。
      • たぶんリウボウは存在しない。ライバルは三越とJR高島屋。
        • 県内資本は円山号を母体とするデパート。郵政会社向かいにある。
          • マルヤマに改名、県資本のデパートとして山形屋撤退後もしぶとく生き残る。
          • ADOには非加盟、かつての史実のリウボウみたいに西武系か、別の本土系デパートの流通システムに組み込まれていた。
      • だがやっぱり廃業、もしくは鹿児島山形屋の支店だったが本店が閉店決定。
      • でもって跡地はJALシティホテルへ。
  3. 国際通りは単なる住宅街。
    • そもそも「国際通り」ではなく、「新県道通り」か「牧志大通り」という名前になっている。
  4. 首里城より高い建物が簡単に建ってしまう。
    • それでもやっぱり沖縄で一番高い建物はマンション。
  5. 那覇市は政令指定都市になる。
    • 昭和合併で実際の那覇・首里・小禄・真和志に加えて南風原・浦添・西原を合併、平成になって豊見城・宜野湾・与那原を合併。1993年5月20日に政令指定都市へ移行。
    • 或いは平成の大合併で那覇のベッドタウンである浦添市と合併、政令指定都市へ以降というパターンも
  6. 鉄道は名護市まで延伸。
    • 戦後に1067mm軌間に改軌され、電化も行われる。
      • 電化が行われたのは国鉄民営化の直前になってから。1960年代~1980年代前半はキハ35系の天下となっていた。那覇-名護の急行列車には房総電化で捻出されて転属してきた冷房付きのキハ28形が使用されていた。
        • 遅くても1970年代には電化されていたんじゃ?
          • 戦前の沖縄に対する扱いをみれば、沖縄が戦後もずっと日本領のままの場合はむしろ四国以下の扱いになっていたのは充分想像できる。よって電化されるのは四国同様、国鉄民営化の直前になるのでは。
    • 電化後、直流電化された場合は普通列車に103系、205系、113系、211系が投入される。
      • むしろ電化は1986年で四国同様121系が新車で投入されたのでは。
    • 交流電化された場合は普通列車に415系、713系が投入される。415系は3ドア+転換クロスシートのため、混雑が激しくなる。そこで2000年代にに4ドア通勤形電車「803系(303系の交流版)」が投入される。駆逐された415系は九州島に飛ばされる。(主に福北ゆたか線)
      • 交流電化の場合でも電化は1986年で、ステンレス製の713系1000番台が新車で投入される。415系の沖縄への投入はJR化後に九州からの転属という形で行われる。
    • 1960年代前半に「越来線(大山~普天間~越来~具志川~石川~金武~辺野古~名護)(支線:石川~仲泊)」が開業する。
    • 戦後に経営は沖縄県から国鉄に移管され、今ではJR沖縄となっている。
      • さすがにJR九州管理でしょう。
        • JR九州沖縄支社が誕生した。
    • 与那原線、糸満線と、名護線(延伸時に嘉手納線から改称)の嘉手納以南の区間は、都市近郊鉄道となっている。
      • 名護本線と与那原線と糸満線は幹線に、越来線は地方交通線になる。
    • 名護線の嘉手納以北は観光鉄道の色が強い。
      • その後美ら海水族館へ延伸し、水族館へのアクセス鉄道として活躍。
    • 本土からあまりにも離れているため、2010年代になっても国鉄車ばっかりだった。そのためにJR九州沖縄支社は「國鐵沖繩」と呼ばれる。
    • 史実より多くの大変な途中下車シリーズMAD作者が沖縄に来て素材を集めてMADを作っていた。
      • そしてJR沖縄が誕生する。
      • 沖縄出身の途中下車MAD作者も出てくる。
  7. もし南西放送が開局していたらなどはとっくに実現。
    • 新聞は沖縄新報1紙だけ。
      • でもってテレビはほかに沖縄放送(JNN)、沖縄(または琉球)テレビ(クロスネット→FNN:もちろん西日本新聞の資本入り)、琉球朝日テレビ(ANN)
        • 第1局となる沖縄放送のラジオ開局は現実の琉球放送とほぼ同じ、テレビは現実の沖縄テレビとほぼ同じ。
      • 沖縄新報が暴走すれば喧嘩別れで琉球タイムスが創刊。
        • どっちかは保守系の新聞。
          • 朝日と読売は、沖縄版が発行される。
            • 日経、毎日も刊行される。
    • NHKはテレビ開局まで那覇市首里寒川町、送信所は首里崎山町(のちテレビ送信所)。開局直前に久茂地(県庁と市役所の位置関係から現実の琉球放送周辺)へ移転。テレビ開局は1959年4月。
      • マイクロ開通が「御成婚パレードを沖縄まで中継せよ!」と「プロジェクトX」のねたになる。
      • 沖縄県の受信料納付率も現実より高かった。
    • もしかしたらTXN局も出来ていたかも…
  8. 沖縄師範学校が国立沖縄大学になる。
    • あとから私立大学が琉球大学を名乗っていたかもしれない。
    • 沖縄国際大学は存在しない。
      • それでも名桜大学はできた。
        • いや、宮古島や八重山にも私立大学が誕生していたかも。
          • それはちょっと無理では…
    • 那覇大学も誕生しているに違いない。
    • 開南中学校が開南学園として幼稚園から大学まで要していた。
      • そして開南高校(↑上記の戦後改組)は1999年よりはるか前に夏の高校野球で優勝していた。
  9. 海洋博は開催されなかった。
    • 2008年のサラゴザ博覧会が海洋博になる。
    • 本部は今でも村。
      • 本部は1940年に町になってるからそれは無い。
    • 沖縄自動車道は国体までに整備される。
    • 美ら海水族館は別の場所に出来ていた。
  10. 1973年に奥武山で沖縄国体が開催される。
    • 沖縄市は旧コザ市と美里村の両方に競技会場がある。(現実でもそうだけど)、ただし、メイン会場が那覇なので旧美里村泡瀬に大規模な県総合運動公園は存在しない。
      • 少なくともコザなんて地名にはならないと思う。
        • 越来市になっていた。
    • プロ野球公式戦は奥武山か浦添で毎年1回はある。
      • 奥武山建て替えも早まった。か?
  11. 皇室への価値観も様変わりしていた。
    • 皇室番組は3本とも放送。
    • 火炎瓶事件などおきない。逆に沖縄が攻撃される前に戦争を止めたとして昭和天皇が評価される。
  12. 石川は市になれなかった。
    • 越来村(実在したコザ市)は嘉手納町に吸収される。
    • 昭和合併で次の市が誕生する。
      • 嘉手納市((嘉手納+北谷:両町は分村していない)+旧越来村)
        • 北谷から嘉手納が分割されたので、北谷市では?
      • 具志川市(旧具志川+旧美里村+旧石川)
  13. 中城村と北中城村も分離しない。
    • 金武村と宜野座村も。
  14. 逆に喜屋武村・真壁村・摩文仁村が合併しないため、糸満市になる前に存在した三和村はない。
    • 真壁は町制を施行している。
    • みなと村も存在しない。
      • 国場組は実際ほど大きくならなかったか、もっと大きいゼネコンが沖縄に存在していた。
  15. 現実とは逆に、沖縄は保守王国、つまり自民党最大の牙城となっていた。
    • 基地反対運動も存在しないので、こいつらもいない。
    • 史実の奄美群島区(中選挙区時代の1人区)のように保守系同士での政争が激しくなっていた。
    • あるいは、保守派や戦闘的な左派から「お花畑」と揶揄されるような護憲・平和主義が主流だったかもしれない。
      • 学生運動全盛期でも、沖縄の大学に過激派はほとんどいなかったかもしれない。
    • 左派や、内地の保守派とは一線を画す保守派の団体はそれなりの勢力を保っている。
      • 内地の人々の沖縄に対する意識や、それに対する地元の人々の反感という問題は戦前からあったので。
      • 逆に沖縄の右派は独立を主張していたかもしれない。
    • 間違っても沖縄のメディアが左派系だけになる事は無かっただろう。
      • 本島で保守系メディアが台頭しているため、八重山日報は沖縄本島版を刊行していない。
        • 本島の保守系メディアはもちろん産経や八重山日報と提携。
        • 八重山日報は知名度が低かった。
    • 左翼系圧力団体や労組の反対がないので、沖縄でも「たかじんのそこまで言って委員会」が放映されていた。特に南西放送が開局していたら確実に放映されていた。
  16. 沖縄戦を舞台にした音楽「さとうきび畑」や「島唄」などは存在しない。
  17. ブルーシールは存在していないかも。
    • オリオンビールは1990年代になってから地ビールとして登場。
  18. タコスの具をご飯に乗せたタコライスは存在していない。
    • ポーク卵という家庭料理も存在しない。
    • 高度経済成長が始まる前は庶民はサツマイモやソテツを主食にしていた。そのため、昭和30年代まで沖縄ではソテツ中毒による死亡事故のニュースが報じられていた。
  19. 高校野球で沖縄勢の優勝が史実よりも早かった。
    • 恐らく1980年代には優勝していたと思われる。
  20. 那覇空港が存在したかどうかは微妙。
    • おそらく主要な地域であったため、建設されていたでしょう。
    • 建設自体はほぼ確実に行われていたが、場所が違った可能性はある。
  21. 飛び級市制(コザ・真和志・宜野湾・浦添・具志川・豊見城)や分立市制(石川)はなかったかも。でも豊見城はしていた?
    • 分立した町村もたくさんある。
    • それらの町村の行方(一部↑のほうと被る)
      1. コザ市→嘉手納に編入。1980年ごろに市制。
      2. 真和志市→1954年に小禄村・首里市とともに那覇市に編入。
      3. 宜野湾市・浦添市→1955年ごろに合併、宜添(よろぞえ)町。那覇のベットタウンとして栄え60年代に市制。
        • 宜野湾の大部分は元々浦添だったから名前は浦添のままになる可能性がある。
      4. 石川市・具志川市→美里村と具志川村で里川村を形成。70年代町制、90年代に市制。
        • 平成大合併で半島部2村も統合しうるま市に。
      5. 名護市→屋部村を切り外さなかったため、羽地と久志の2村の編入で済んだ。
        • 本部町は名護市に編入されていた。
      6. 中城村は那覇のベットタウンとして栄え1970年ごろ市制。
  22. 沖縄がアメリカに支配されることはなく、戦後はずっと日本支配だった可能性が高い。
    • もしそうだった場合、寝台特急「なは」は誕生しなかった。
    • アメリカ文化の影響は本土より弱かったかもしれない。
    • 洋楽はそれほど盛んになっていない。
      • フィンガー5や紫(ロックバンド)は結成されなかったかも。
      • 1960~70年代辺りに、全国的な沖縄音楽ブームが起きていたかもしれない。
        • 青春歌謡やグループサウンズで、沖縄出身で沖縄音楽を取り入れた曲を歌い、全国区の人気を得る歌手がいたかも。
        • 沖縄フォークは史実より盛んになっていたかも。
          • その場合は政治色の無い歌が中心だっただろう。
    • マクドナルドケンタッキーフライドチキンなどの米国系チェーン店が沖縄に進出するのは1980年代後半のバブル期になってからで、47都道府県の中では島根などと並んで最も遅い方であった。
    • 沖縄の食文化の欧米化はほとんどなかったため、平均寿命は男女とも日本一の座を21世紀に入っても維持し続けていた。
    • 軍道や政府道がないので沖縄県道は大半の府県同様、番号が1,2桁の路線が全て主要地方道、3桁の路線が一般県道になっていた。
      • 番号がそのまま路線名になっている県道は存在せず。
  23. 「沖縄だけ別会社管轄」という事態は現実ほど多くなかった。
    • 電気は九州電力管轄。
    • auもバヤリースも本土と同じ。
      • それでもローソンやファミマなど小売業は(本土から遠いこともあって)別会社だと思う。
  24. なぜかわからないが中華民国が居座る。
    • せいぜい中華民国亡命政府か、史実同様の台北駐日経済文化代表処那覇分処だと思うが。
    • 1949年に中国本土が毛沢東政権になった後、中国本土から共産党支配を嫌って逃げてきた亡命者も多数流れ込んでいた。那覇市内のどこかには彼らによるチャイナタウンが作られていた。
  25. 南西航空はJAL直轄であり、コミューター路線は東亜国内航空→日本エアコミューターが担っていた。JACの資本に沖縄県も参加している。
  26. 地理的に重要なポイントなのでどのみち基地問題は発生しているが、史実の闘争に比べれば圧倒的にマシな状態になっている。
    • 少なくとも普天間基地とキャンプ・ハンセンは存在しない。嘉手納はあったとしても史実の半分程度の面積になっている。
  27. 史実で種子島に建設された宇宙センターは与那国島に建設された
  28. 沖縄にも100番台、200番台の国道があった
    • 国道36号が鹿児島市~那覇市の路線として指定されていた。
      • 国道36号の沖縄県内区間は国頭街道(今帰仁村~那覇市)と同じルートを辿っている。
    • 1965年の道路法改正前に二級国道227号那覇名護線(那覇~首里~与那原~越来~金武~辺野古~名護、与那原~辺野古は史実の国道329号)と二級国道228号那覇与那原線(史実の国道331号南部区間)も指定されていた。
  29. 総じて史実の奄美諸島とほぼ同じような変遷を辿っているイメージだな。
  30. 「ゴジラ対メカゴジラ」の内容は大きく変わっていた。
    • 少なくとも舞台は沖縄ではなくなり、キングシーサーは誕生しなかった。



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