もし減反政策がなかったら

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減反政策

  1. 日本米が輸出されるようになった。
  2. 学校給食はご飯が主流になり、パンや麺類は週に1回程度しか出なくなっていた。
    • 刑務所のご飯もすべて白米になっていた。
    • 麺類に関してはともかく、学校給食のパン食も米粉パンが普及していたんじゃないだろうか。あのもっちり感が昔でも作れるならば結構人気になっていそう。
  3. 1994年の米騒動は起きなかった。
  4. おにぎり専門のファストフードチェーンがマクドナルドに匹敵する店舗数を誇るようになる。
    • ほっかほっか亭や本家かまどや、オリジン弁当などの弁当屋も現実以上に店舗数を拡大していた。
      • 吉野家などの牛丼屋やCoCo壱番屋などのカレー屋も同様。
        • すき家が売り上げでマックを抜くのも15年程早かった。
      • モスバーガー辺りではライスバーガーオンリーになっていただろう。
      • ほっともっともロッテリアやモスバーガーに匹敵する店舗数を誇るように。
    • 日本発のハンバーガーチェーンなら米粉パンや国産野菜を使ったメニューの導入で対抗していただろうが、外資であるマクドナルドやケンタッキーは間違いなくこの潮流に乗り損ねていただろう。
  5. 第1次産業の従事者が倍以上はいた。農林高校も底辺ではなくなっていた。
  6. 当然、ジャスコやヤマダ電機は郊外にない。
  7. 地方の過疎化は現実よりも進まなかった。
    • 新潟市は昭和のうちに政令指定都市に昇格している。
  8. 米粉利用技術の発達が早まっていた。
    • GoPANの商品化はもっと早かった。
  9. TPPなどなんのその。むしろ好機。
    • アメリカやオーストラリアに対して「量より質」の戦法で輸出を行っていた。
  10. 代わりに食糧管理法が史実よりかなり早く廃止されていた。
    • 「市場原理の活用による農業の活性化」が農政の基本方針とされた。
    • 株式会社の農業への参入も現実より早く許可されていた。
      • 農協も抜本的に改革されていた。
  11. イネから他の作物への転作に対する補助金は支給されていたが、あくまでも「他のコメ農家との競争に敗れ路線変更する農家への支援」という形だった。
  12. 大潟村の村民が国の政策に振り回され続けることはなかったはず。
  13. 『究極超人あ~る』においてR.田中一郎が「今の減反政策は間違っている」と主張することはなかった。
  14. ホンダの農機からの撤退もなかったか遅れていた。

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