もし赤穂事件が○○だったら

提供: chakuwiki
移動先: 案内検索

松之大廊下の刃傷[編集]

発生しなかったら[編集]

  1. 赤穂浅野家は他のトラブルがない限り幕末まで続いた。
    • 戊辰戦争では尊王方か。
  2. 城作りなどに凝りすぎて財政が悪化したため18世紀末には塩の専売制に踏み切っていた。
    • 史実では赤穂で塩が専売になったのは19世紀に入ってから。
  3. 吉良家も高家として何事もなく存続。
  4. 必然的に芝居の忠臣蔵も存在しようがない。
    • 現在山鹿流陣太鼓を知っているのはよほどのマニアくらい。
    • 文芸の歴史にも相当な影響があったはず。
    • 新選組の制服も史実とかなり違ったデザインになっていた。
    • 「暗殺教室」の生徒の名字も別の由来になっていた。
  5. 泉岳寺は都民でも「品川の隣にある寺」くらいの認識に留まっていた。

吉良義央が死亡していたら[編集]

  1. こちらでも芝居にはならず。
  2. 現在この事件は一部の研究書などで取り上げられる程度の扱いが限度だった。
  3. 浪士たちは完全に歴史に埋もれていた。
    • 町人や百姓として生涯を終えた者もかなりいた。
  4. 吉良家は養子の義周が当主として無事存続。
    • その一方赤穂浅野家は史実通り取り潰された。
  5. 浅野長矩は史実以上に「ひどい殿様」として語り継がれていた。
    • とりわけ地元赤穂ではタブー視されていた。

吉良も処罰されていたら[編集]

  1. =吉良が応戦していた場合。
    • 「喧嘩両成敗」の原則が適用され両者切腹は確実だった。
  2. 史実では浅野内匠頭を止めた梶川与惣兵衛あたりが巻き添えを食って死亡していた可能性あり。
  3. ここで浅野家は取り潰されたが吉良家は取り潰しを免れていたら浅野家遺臣の不満が高まり史実に近い事態が発生していた可能性も。
    • ただしターゲットは義央ではなく吉良家の次の当主。

赤穂開城[編集]

浪士が切腹していたら[編集]

  1. 少なくとも当時は大事件として江戸で大いに騒がれた。
    • ただし現在は赤穂など一部地域で語られるだけ。
  2. 赤穂城が心霊スポットになっていた。
    • 江戸時代のうちにこの件に絡んだ怪異が複数語られ始める。
  3. 国元家臣喪失により大学(内匠頭の弟)がどうなろうと赤穂浅野家の大名としての再興は不可能だった。

赤穂浅野家の再興が認められていたら[編集]

もしあの大名家があの地域を治め続けていたら#浅野家(赤穂)

討ち入り[編集]

脱盟者が一人も出なかったら[編集]

  1. 赤穂浪士は総勢100人近くの大所帯に。
    • もはや「仮名手本」というレベルではない。
    • どこかから情報が洩れる恐れも高かったはず。
  2. 討ち入りも相当な力攻めに。
    • フィクションのように堂々と正門から入る選択肢もあり得た。
      • 史実では壁を乗り越えたり裏から侵入したりした。
    • おそらく浪士にも犠牲者が出ている。
  3. 寺坂吉右衛門のように討ち入り後いつの間にかいなくなった人がもう数人いた。
  4. 後世のドラマ化は史実より困難だった。
    • 場合によっては人形浄瑠璃の段階で浪士の人数が半分程度に減らされていた。

中止されていたら[編集]

  • 史実のタイミングを逃せば資金切れでこうなっていた可能性が高いとか。
  1. 大石内蔵助は確実に責任を取って自刃している。
    • 悲嘆した何人かも後を追って自害していた。
  2. 江戸の世論は討ち入りを断念した浪士たちを激しく非難していた。
    • ただし断念の原因次第では吉良家やバックにいた上杉家が非難の対象になっていた。
  3. 現在では討ち入り計画自体ほぼ完全に忘れられている。
    • 浪士の書状などが出てこなければ実際に計画されていたということさえ当時の風説扱いされていた。

浪士に犠牲者が出ていたら[編集]

  1. 後世の芝居などで最期がやたら脚色された。
    • 下手をすると吉良とその浪士が差し違えたことにされる可能性もある。
  2. 浪士を倒した吉良側の人物も名が広く知られている。
    • 清水一学以外にも数名は名前が出ていた。
  3. 本所の吉良邸跡に犠牲になった人物を祀った神社ができていた。
  4. 討ち取られた人物によっては討ち入りの成功自体が無くなっていた。
    • 特に大石内蔵助が開始直後に倒されたような場合。
  5. 討ち入り序盤で士分でない者を長屋に閉じ込め損ねていたら確実にこうなっていた。

吉良を討ち漏らしていたら[編集]

  1. 事前の手筈通り赤穂浪士は全員吉良邸で自害していた。
  2. 吉良は「士道不覚悟」の咎で切腹に。
    • 芝居などではここで「死にたくない」と嫌がるのがお決まりに。
  3. 吉良の逃げ方次第では江戸の町人にボロクソに叩かれていた。
    • 名前に引っ掛けて「切られまじ」などという表現が入った狂歌が作られていた。
  4. 浪士にスパイがいたという説がまことしやかにささやかれる。
  5. 討ち入りの詳細な記録はほとんど残らなかった。

討ち入り後[編集]

浪士たちが助命されていたら[編集]

  1. それでも蟄居、遠島などの処分は免れなかった。
    • 大石内蔵助など主だった者は三宅島や八丈島などに流されていた。
      • 結局綱吉没後に大赦される。
  2. 旗本となった浅野大学に仕える浪士もいたはず。
    • 広島の浅野本家も何人か受け入れた。
  3. 大石内蔵助・主税親子の子孫は維新後に爵位を得た。
  4. 浪士たちの話を残した史料がより多く残り後世の研究に役立った。
  5. 自称「赤穂浪士」や「吉良家遺臣」の騙りが何人も出没していた。
  6. 史実の経緯を踏まえると室鳩巣の助言の影響が大きいと思われる。
  7. 後世での綱吉の評価が少し上がっていた。

切腹より厳しい処分を受けていたら[編集]

  • 切腹より厳しい打ち首獄門などの処分だったら。
  1. 浪士たちは「義士」と称えられることはなかった。
  2. 赤穂には他の殿様が入ることはなく、幕末まで天領だったかもしれない。



関連記事