もし阪急電鉄が○○だったら

提供: chakuwiki
移動先: 案内検索
保護解除
このページは、「ブロック逃れによる編集強行」のため保護されていましたが、現在は解除されています。詳しい経緯はトークページをご覧下さい。
経過次第では再び保護される事もございますので、趣旨に合った投稿をお願い致します。

あの路線が○○だったら[編集]

京都本線[編集]

阪神急行電鉄によって建設されていたら

阪急京都線は京阪系列の新京阪電鉄によって建設され、京阪電気鉄道へ(以下京阪)の合併を経て戦時中に阪神急行電鉄と合併、京阪神急行電鉄(以下阪急)となりましたが戦後京阪が分離した際旧新京阪線は阪急側に残されたという歴史があります。もし阪急京都線が新京阪電鉄ではなく阪神急行電鉄によって建設され、最初から阪急の路線として開業していたら・・・

  1. 京都線開業前に十三-千里山間を営業していた北大阪電気鉄道は阪急に合併されていたことになる。
  2. 淡路-天神橋(現天神橋筋六丁目)間は建設されず、大阪側の起点は当初十三駅となっていた。
    • 淡路-天神橋筋六丁目間は戦後大阪市交通局によって建設され、堺筋線の一部となっていた。
      • 淡路駅の高架化は堺筋線が開業した時点で完成していた。
      • 堺筋線列車は淡路を出るといきなり地下に潜る。
        • 柴島~天神橋筋六丁目間に淀川があるので、淀川南岸までは高架では?
    • 梅田-十三間の三複線は史実より早く完成していた。
      • 京都線にも中津駅ができていた。
  3. 京都線の車両限界は神戸線・宝塚線と同じとなっていたため、同線車両の車体幅は狭くなっていた。
    • 使用する電機品のメーカーも神宝線と同じ東芝製となっていた。
    • 京都線と神戸線の車両の区別はなかった。
      • 路線長を考えるとクロスシート車ぐらいは入ったかもしれない。
  4. 「茨木市」「高槻市」駅はそれぞれ「茨木」「高槻」駅となっていた。
    • 後年、駅名標は「阪 急 いばらき」などの表記となる。
  5. 輸送実態に合わせて、梅田方面行きが上り列車になる。
  6. 京阪電車はなかったかも・・・・。
    • そもそも現在の阪急京都線が京阪系列で敷設できたのは京阪電車の自社防衛と鉄道省の競合路線潰し。
      • その後自社防衛の名目で京都ー枚方ー梅田間の鉄道が阪急系列で建設されていたかもしれない。
  7. 架線電圧は開業当初は600Vで、1500V昇圧は堺筋線乗り入れと同時に行われた。
淡路~茨木市間が複々線化されていたら

都市交通審議会答申第13号等で取り上げられていました。

  1. 天神筋橋六丁目行き止まりの列車が茨木市まで乗り入れていた。
  2. 特急の所要時間が短くなっていた。
    • 特急は現在も淡路を通過している
  3. 京都線の昼間の急行は現在も存在
    • 準急は朝夕のみの運転になっている
  4. その後の計画の発展で高槻市まで複々線区間が延伸されていた
  5. 高槻市内と茨木市内の高架化は史実より早まり、駅周辺の再開発も史実より進んでいた。
    • 高槻市には阪急百貨店が開業していた。
      • JR高槻駅北口の西武百貨店は閉鎖と阪急への譲渡はなく、西武百貨店として営業を続ける。
      • イングス高槻が閉店へと追い込まれることもなかった。
    • 茨木市にも阪急百貨店が開業していた。
    • 高槻市と茨木市にホテル阪急か新阪急ホテルが開業
    • 淡路駅の高架化も史実よりも早かった。
      • 早ければ複々線化と同時に完成していた。
  6. 摂津市駅が史実よりも早く開業していた。
新大阪駅経由になっていたら

新大阪線(十三~新大阪~淡路)が開業した暁には、梅田と京都・千里方面を結ぶ列車が従来の京都本線(十三~南方~淡路)ではなく、当路線で運行される予定でした。

  1. 十三~新大阪~淡路間は京都本線となり、十三~南方~淡路間は「崇禅寺線」になっていた。
    • 十三~南方~淡路間は廃止されていた可能性もある。その場合、新大阪~淡路間に崇禅寺駅ができていた。
  2. 新大阪駅周辺の開発に阪急グループが加わっていた。
    • 新大阪駅前にあるニッセイ新大阪ビルは、阪急電鉄と日本生命が共同で開発されて、「阪急日生新大阪ビル」になっていたかもしれない。
  3. 阪急千里線(南千里~北千里)の開業が1964~1966年年頃に早まっていた可能性もある。
    • その場合、1967年頃に開業し、自動改札機も導入されていた。
  4. 1970年頃まで開業していたら、大阪万博へのアクセス路線として、北大阪急行電鉄線とともに、活用されていた。
    • もしかしたら、千里線が中央会場に直接乗り入れて、北大阪急行電鉄の開業が1972年以降になっていた。
  5. 新大阪駅にごあんないカウンターが設置された。また、アズナスや阪急そばやブックファーストも駅に開業していた。
  6. 普通列車の7両編成、8両編成での運転が史実より早まっていた。
  7. 遠方から阪急沿線に訪れる観光客が増えた。
    • 宝塚ファミリーランドの閉園が史実より遅れていたかもしれない。
    • 阪急西宮球場の閉園と阪急ブレーブスの身売りが史実より遅れていたかもしれない。
  8. 新大阪駅はターミナル駅として、史実より賑わっていた。また、駅周辺の開発も史実より進んでいた。
    • 特急「くろしお」の新大阪乗り入れとおおさか東線の開業が史実より早まっていた。
    • その一方で、南方駅周辺はさびれて、再開発で高層マンションが乱立していた。
      • ラーメン店の激戦区にはならなかったかもしれない。
        • おおさか東線の開業は、史実通り、2019年になっていた可能性もある。
  9. 種別や停車駅も史実と異なるものになっていた。
    • 特急が新大阪駅に停車する代わりに、淡路駅に停車することはなかった。
    • 準急の設定はなかった。よって、急行は存続していた。
  10. 淡路駅の高架化が史実より早まっていた。
  11. 府立東淀川高校や北大阪急行電鉄沿線にある駿台や代ゼミ(江坂にある大阪校は2015年に廃止)に通う学生や予備校生で賑わっていた。
  12. 2010年代には、JR東海と阪急電鉄とのコラボレーション企画が実施された。
  13. 御堂筋線の中津止まりが新大阪まで延伸されるのが現実よりも早かった。
  14. 駅前にある新大阪センイシティーの規模が史実よりも大きくなっていた。
    • 阪急グループの手によって、開発されて、阪急百貨店もそこに入居していた。
    • その代わりに、ライフが入居することはなかった。
  15. 大阪モノレールの東大阪市の瓜生堂駅までの開業が史実よりも早まっていた。
    • 大阪モノレールの開業も史実よりも早まっていたかもしれない。
  16. なにわ筋線計画は史実と異なるものになっていた。
    • 阪急がこの計画に参加することはなかった。
  17. その後の関西私鉄の歴史に大きな影響を与えていた。

千里線[編集]

国立循環器病研究センター付近まで延伸していたら

北千里駅付近に留置線があるのは国立循環器病研究センター付近までに延伸しようという構想があったからだそうです。もし実現していたら…

  1. 駅名は「今宮」駅か「小野原」駅あたりになっていた。
    • もしかしたら、「北千里」駅となり、現北千里駅は「古江台」駅になっていたかもしれない。
  2. 国立循環器病研究センターの移転はなかったかもしれない。
  3. 小野原住宅地の整備が史実より早まっていた可能性が高い。
1970年の大阪万博において、会場輸送のメインルートになっていたら
  1. 新大阪線(十三・神崎川~新大阪~淡路)が開業していたら、確実に直接万博会場に乗り入れていた。
  2. 南千里駅で分岐していたか、北千里駅から延伸していた。
  3. 千里線・京都本線において、列車編成の長大化が史実より早く進んでいた。(ちなみに、普通列車は、1982年に7両編成での運転、2001年に8両編成での運転が開始されていた。)
  4. 北大阪急行電鉄の開業は、史実より遅れて開業していたかもしれない。
    • 早くても、1974年頃に開業していた。
    • 緑地公園駅も(史実では、1975年に開設)路線開業時に開設された。
  5. エキスポランドは神戸ポートピアランドと同様に阪急電鉄の手によって、運営されていた。
    • その場合、大阪モノレールの開業までに山田駅、茨木市駅から直通バスが運行されていた。

嵐山線[編集]

8連対応だったら
  1. 阪急京都線から嵐山線への臨時列車は当然8両編成となる。
    • 神戸線・宝塚線・今津線からの直通臨時列車も8両編成。
  2. 紅葉のシーズンにおける混雑が緩和されていた。
  3. 2009年4月に投入された6300系4両編成は行楽シーズンには2編成併結の8両編成となる。
  4. 阪急7300系と8300系は全て8両固定編成で製造されていた。
  5. 阪急9300系が嵐山線に入線していた。
    • 神戸・宝塚からの直通列車は9000系や8000系転換クロスシート搭載車で運転されていた。

神戸本線[編集]

伊丹経由だったら

阪急神戸線は免許申請時、伊丹の開発を名目の一つに置いていたため、十三から伊丹・門戸厄神を経て神戸へ向かう計画となっていました。しかし阪神電鉄本線国鉄東海道本線との競争上、阪神間をできるだけ短いルートで結ぶ必要があると阪急首脳部が判断したことから、伊丹へは支線(伊丹線)を接続させる代わり、現行の塚口・西宮北口を経由するルートが最終的に採択されています。

ではもし、ルート変更を行わず神戸線が伊丹経由で開業していたら?

  • 阪急神戸線
  1. 特急の停車駅に伊丹が加わっていた。
    • 一方で西宮の市街地からかけ離れたところを経由することになるため、西宮市は現在の尼崎市芦屋市のように特急からスルーされていた。
    • 夙川が現行駅の代わりに「西宮北口」を名乗った可能性もある。そして平成に入って特急停車駅となる。
  2. 特急の所要時間は最速でも27~29分。
    • 阪神電鉄と大差なく、JR民営化後に早々競争力を失っていた。
    • 阪神と同じく未だに6両編成が標準かもしれない。
    • あるいはJRとの競争力を高めるため、スピードアップが行われて21世紀初頭には最高130km/h運転が実現した。
  3. 今津線とは門戸厄神で接続。
    • ただし現実の西宮北口のように直角平面交差とはならなかった。おそらく淡路(京都線・千里線)のような配線となっていた。
  4. 阪神と同様、JR発足後は特急の停車駅がやたら増加した可能性がある。
    • 現在では十三・伊丹・門戸厄神・夙川・岡本・六甲…とか。
  5. 阪急伊丹駅は現行より南寄りにあった。
    • 現実の新伊丹駅のある辺りか。
  • 国鉄→JR東海道本線・福知山線
  1. 東海道線は戦前の段階でスピード勝負において圧勝。
    • 大阪・三ノ宮間24分だったため。
  2. 一方で福知山線は現実ほど伊丹の客を奪えていない。
  • 阪神本線
  1. 阪神間の乗客数は戦後も長らく阪急と同レベルだった。
  2. 阪神間ノンストップ特急(梅田・三宮間25分)は存在しなかったかもしれない。
    • 西宮駅か甲子園駅が西宮市ひいては阪神間トップのターミナルだったかも。
  • 地勢への影響
  1. 伊丹市の人口増加率が現実より高まった。
    • 一方で尼崎北部の開発は遅れた可能性がある。
    • どちらにせよ、伊丹市は現実より発展し、尼崎や西宮と並ぶ阪神間有数の都市となっていた。
  2. 甲風園と昭和園(西宮北口駅付近の高級住宅地)が存在しない。
    • 代わりに門戸厄神駅の付近に高級住宅街が形成。
    • 現実以上に西宮の高級住宅街が北寄りとなる。
  3. 門戸厄神の知名度が高まっていた。
  4. 西宮球場は作られたかどうか……
    • 本拠地が宝塚のままだったかも。

宝塚歌劇団を作っていなかったら[編集]

宝塚歌劇団は1914年に設立され、100年たった今でも人気を博していますが、もし小林一三が宝塚歌劇団を作っていなかったらどうなっていたでしょう?

  1. 今でも松竹歌劇団は健在だった。
  2. 宝塚からデビューした芸能人の人生は大分変わっていた。
    • 何人かは芸能界にデビューすることなく一般人としての人生を歩んでいたかもしれない。
    • もしくは宝塚がない分、松竹やOSK、劇団四季あたりに史実で宝塚に行っていた人が流れていたか?
  3. 少なくとも東日本では鉄道オタク以外の阪急電鉄の知名度は低かった。
    • 阪急百貨店は東京に開店するも、早期に閉店を余儀なくされていた。
  4. 「ベルサイユのばら」の知名度は低く、池田理代子のその後の人生に影響していたかもしれない。
    • アニメ化もされなかったかも。
  5. 宝塚といえば「手塚治虫の記念館があるところ」か「温泉」のイメージしかなかった。
  6. 東宝が設立されない可能性が高いので、日本映画史にもかなり大きな影響が出ていた。
  7. 阪急ブレーブスは身売りされることもなく、球団経営により力を注いでいた。
  8. パタリロ!』でツタカズラ少年歌劇団も作られなかった。

能勢電鉄が○○だったら[編集]

阪急電鉄の路線だったら[編集]

にっせいちゅうおう
日生中央
NISSEI-CHUO
やました
YAMASHITA

  1. 路線名は「阪急能勢線」になっていた。
    • 能勢電鉄日生線は「阪急日生線」になっていた。
    • いや「阪急妙見線」かも。そもそも現実の能勢電鉄は能勢町まで達していない。
  2. 川西国鉄前から能勢口の間は早期に消えていた。
  3. 運賃が通算になるため、現実よりもう少し安かった。
    • JRへ逃げる客もそんなに出なかったはず。
    • 沿線の人口ももっと多く、日生線内折り返し以外の普通電車は6両編成で運転されていた。
  4. 直通電車の本数が今より多かった。
    • 梅田方面からの直通列車の運行に不便なスイッチバックを解消するため、起点が川西能勢口ではなく池田に付け替えられる。
    • この工事は'80年代の池田駅周辺の高架化に際して同時に行われていた。
    • 池田駅は2面4線構造となり、宝塚線列車と同一ホームでの乗り換えが可能になっていた。
  5. 車両面は現実とあまり変わらない。
    • 現在に至るまで塗装変更は一切なかった。
  6. ていうか、阪急に編入するべきでしょ?
  7. ワンマン化されていない(日生線折り返し列車はわからないが)。
    • 山下折り返しの区間列車くらいはワンマン化していたと思う。2両編成なので現時点では阪急では最短の編成両数となっている。
    • 今津南線や甲陽線の例からすると3両編成での運転のような気がする。
    • 車両は6000系をワンマン化したもの。ドア開閉警告音はブザー音ではなくチャイム音。
      • 車内放送の声優は今津南線や甲陽線と同じ。
  8. 日生エクスプレスはただ単に「特急」を名乗るか、または「通勤特急」となる。
    • 京阪の交野線直通「おりひめ」「ひこぼし」のようにヘッドマーク付きで運転されていた可能性もある。
  9. 中間駅の無人化はされていない。
  10. 日生中央の駅名標は、開業当時は本当に阪急仕様だった。ただ、あの当時は漢字表記のほうがでかかった。
  11. 架線電圧の600→1500V昇圧は現実よりも早く行なわれていた。
    • 早ければ宝塚線と同時に、遅くとも日生線開通時に行なわれていた。
  12. 「パストラルカード」は存在しなかった。
  13. ICカード全国共通利用にもいち早く対応していた。
  14. 阪急阪神1dayパスで妙見線や日生線にも乗れるようになっていた。

西武グループに買収されていたら[編集]

絹延橋
きぬのべばし
Kinunobebashi
川西能勢口
Kawanishi-Noseguchi
滝山
Takiyama

現在阪急電鉄の子会社となっている能勢電鉄ですが、1960年代には西武グループによる買収計画もありました。これは結局実現しませんでしたが、もしこれが実現して能勢電鉄が西武グループ入りしていたら…。

  1. 全線が1067mm軌間に改軌され、車両は西武鉄道の中古車で揃えられた。
    • 当然阪急宝塚線との直通は行われず。
    • 701系辺りの最後の活躍の場になっている。
  2. 川西能勢口~川西国鉄前間は存続していた。
  3. 「日生エクスプレス」はJR川西池田からJR福知山線に直通していた。
    • さらにJR東西線・片町線にも直通し、日生中央~同志社前・木津間の直通快速となっていた。
      • これの運行開始に備えて西武6000系ベースの新車が導入されるが、朝晩以外はJR線内に封じ込められ、自社線内に戻ってこない。
        • 流石にJR車の片乗り入れでしょ。
  4. 「阪急日生ニュータウン」は「西武日生ニュータウン」になっていた。
  5. 川西能勢口駅前の阪急百貨店は西武百貨店になっていた。
    • それはどうだろうか。能勢口は阪急の駅でもある。それなら西友の敷地を使って、西武にしたかも。
  6. バス事業もやってたかもしれない。
    • しかし、場所が場所なので親会社の中古は来ない。
  7. 思い切って近江鉄道との連結延伸工事、もしくはバスによる接続。
  8. 能勢妙見山へのアクセスは池田から阪急バスを利用するのがメインになっていた。
    • 阪急側が能勢電経由ではなくそちらをPRしていたため。
    • その場合、妙見の森ケーブルは利用客減少で廃止されていたかもしれない。
    • 一方能勢電側もケーブルカーの近くまで延伸して対抗した。
  9. 関西における西武グループの力が強くなっていた。
    • そごう神戸店や高槻西武がH2Oリテイリングに譲渡されることはなかったかもしれない。

起点が川西能勢口ではなく池田だったら[編集]

  1. 梅田方面からスイッチバック無しで能勢電鉄線に直通できるようになっている。
    • 「日生エクスプレス」は平日・土休日とも終日運転されている。
    • 史実よりも早期に梅田~能勢電鉄の直通列車が運行されていた。
  2. 現実では川西能勢口駅前にある阪急百貨店やモザイクが池田駅前にできていた。
    • 現在も池田があの周辺の商業の中心である。
  3. 川西能勢口~JR川西池田の乗り換えがなかったため、阪急は現実よりもJRに客をとられなかった。
  4. 川西能勢口駅が「川西駅」で、代わりに池田駅が「池田能勢口駅」となっていた。
    • 当時から栄えていた池田がわざわざ他所の地名をつける意味はない。
  5. 一時期宝塚本線で運転されていた特急は川西駅を通過していた。
  6. そもそも能勢電接続のための駅である能勢口駅(現・川西能勢口駅)は開業しない

宝塚ファミリーランドが閉鎖されなかったら[編集]

  1. 京阪のひらかたパークと南海のみさき公園と同様に関西近辺で手ごろに行ける遊園地として注目されていた。
  2. ひらかたパークと同じやり方で、関西出身の芸能人をイメージキャラクターとして、起用していた。
  3. 小林一三の生家や宝塚大人形館や電車館も存続していた。
    • 阪神との統合後、甲子園阪神パークが閉鎖された場合、阪神電車の車両も展示されていたかもしれない。
  4. 阪急新大阪線が開通していたら、遠方からの客も来ていた。
  5. 跡地に宝塚ガーデンフィールズを開業することはなかった。
  6. 園内にいたホワイトタイガーが現在に至るまで名物となっていた。
    • 2003・2005年における阪神タイガースのリーグ優勝の際には阪神ファンに注目されていた。
      • ただし阪神統合まで一部のファンにネタにされていた程度。

神戸ポートピアランドが閉鎖されなかったら[編集]

史実では、神戸ポートピアランドは、2003年に阪急は運営から身を引き、神戸市に譲渡されましたが、2006年に閉鎖されました。阪急による運営のままで、存続していたことを仮定した上で、

  1. ひらかたパークと同じやり方で、神戸市出身の芸能人をイメージキャラクターとして、起用していた。
  2. 宝塚ファミリーランドが閉鎖されていた場合、小林一三の生家と宝塚大人形館と電車館が神戸ポートピアランドに移転していた。
    • 電車館は京都鉄道博物館のオープン後に施設が拡張・リニューアルされ阪急阪神の鉄道博物館となっていた。
      • 名称も「神戸鉄道博物館」になっていた。
      • 展示車両も電車館から正雀に移された車両の他、阪神の保存車両や北大阪急行電鉄2000形も含まれていた。
        • 京福電鉄→えちぜん鉄道に移籍した元阪神の車両も引退後ここで保存されていた。
      • 鉄道だけでなく阪急・阪神が展開した文化事業(宝塚歌劇団・阪神タイガースなど)についても取り上げられていた。
  3. 神戸空港からほど近い遊園地として注目を集めていた。
  4. 神戸新交通が阪急阪神ホールディングス系列になっていたかもしれない。
  5. IKEAはポートアイランド内の別の場所に出店していた。

関連項目[編集]




関連記事