もし阪神・淡路大震災が○○だったら
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独立項目[編集 | ソースを編集]
他の時間帯に発生していたら[編集 | ソースを編集]
朝の通勤時間帯[編集 | ソースを編集]
- 午前7~8時だったら?
- 死者は確実に1万人を超えていた。
- 死者は5~6万程度。但しそれと同数か数倍の行方不明者、数十倍の負傷者を出す。特にこの沿線は地震による高潮・津波や、線路からの脱線→武○川やY川(漢字一文字の大阪市内の川)へ転落する事故が発生し、多くの犠牲者を出す。
- 瀬戸内海ぐらいの深度だと、津波は起こらないのでは?
- なお実際は1m未満で被害が起きない程度の津波なら発生していた。
- また、史実では殆どいなかった焼死者も多くなる。理由は、朝食時にガスを使った家庭や店舗が多くなるため。
- この地震を契機にオール電化が進むかというとそうではない(停電もするので)。
- 通学途中の児童・生徒にも犠牲者が出ていた。
- ブロック塀の撤去・見直しも早く行われていただろう。
- 死者は5~6万程度。但しそれと同数か数倍の行方不明者、数十倍の負傷者を出す。特にこの沿線は地震による高潮・津波や、線路からの脱線→武○川やY川(漢字一文字の大阪市内の川)へ転落する事故が発生し、多くの犠牲者を出す。
- 救助活動は史実以上に困難を極めた。
- 新幹線の営業列車としてはじめての脱線はこの時だった。
- 新幹線だけではなくJR在来線や私鉄線も史実より多くの列車が脱線し、多くの車両が損傷した。
- 新幹線乗客の死者0の記録はここで途切れていたよ。
- マスコミはこぞって「新幹線の安全神話が崩れた」と報道していた。
- 大阪~東京・福岡間の需要が現実よりも航空機に転移していた。
- これがきっかけで新幹線には現実よりも早く脱線防止ガードが備えられるようになった。
- その結果新潟中越地震における上越新幹線の脱線事故もなかったかもしれない。
- 新幹線のイメージが悪くなったので、新幹線の整備計画にも影響が出た。
- 北海道・北陸・九州新幹線の開業が遅れていた。
- 九州新幹線長崎ルートは建設されなかった。
- その分長距離輸送の手段として寝台特急が見直されるようになっていた。
- 「日本海」や九州特急に新型車両が投入されていた。
- 新幹線が日本の経済や国民生活に占める位置づけからしてそこまでの悪影響があったようには思えない。
- それでも大幅な地震対策の強化は不可避だった。
- 北海道・北陸・九州新幹線の開業が遅れていた。
- 阪神高速神戸線の高架橋倒壊による犠牲者もさらに増えていた。
正午前後[編集 | ソースを編集]
- 関東大震災は11時58分発生でした
- 死者は確実に10万人を超えていた。関東大震災よりも悲惨になっていたことも考えられる。特に建物の倒壊による圧死・津波や高潮による犠牲者よりも、食事時の火災が原因の焼死者の数が断然多くなる。
- 時間帯を考慮すれば南京町でも相当な惨事が発生していたと思われる。
- 兵庫県内よりも大阪府内での犠牲者・負傷者の数が、多くなった。
- いや兵庫県内の方が被害規模そのものが大きかったので、やはり兵庫県の方が死傷者が多かっただろう。
- 特にそごう、阪急三宮駅、神戸新聞会館などがことごとく大破した三宮は地獄絵図と化していた。
- 圧潰した市役所二号館で働いていた職員にも犠牲者がたくさん出ていた。
- 圧潰した二号館6階は水道局だったので水道の復旧が遅れていた。
- 民間のオフィスビルなんかでも多数の犠牲者が出ていた。
- いや兵庫県内の方が被害規模そのものが大きかったので、やはり兵庫県の方が死傷者が多かっただろう。
- 観光客にもかなり犠牲者が出ていた。
- 地震発生は三連休の翌日やったんで、そこまで観光客は…
昼間~夕方[編集 | ソースを編集]
- 東北地方太平洋沖地震の発生時間が14時46分。仮に13~16時に起きていたら…。
- 就業時間や授業時間帯での発生のため、建物倒壊による犠牲者が増え、犠牲者は史実の3~4倍になっていた。
- 繁華街で買い物をしていた人も多くが犠牲になった。
- 負傷者も数十万人規模で発生。ライフラインの寸断も手伝い、病院が機能不全に陥る。
- 鉄道の脱線や路線・施設類の破損によって交通網が完全マヒし、大量の帰宅困難者が発生する。(これは夕方~夜間と同様)
- 2018年の大阪府北部地震でもこの時の状況が引き合いに出されていた。
- 夕方以降、ライフライン寸断による二次的な災害が起こっていた(例:暖を取るために蝋燭などに火をつけるが、それが別のものに燃え移り火災発生)
- 夕食の準備で火を使用している家も多いので、史実よりも火災の被害が大きかった。
- 電気絡みの火災も増えていた恐れあり。
夕方~夜間[編集 | ソースを編集]
- 北海道南西沖地震は22時17分発生でした
- 夕方のラッシュアワー時の発生なら、死者は最低3~4万人は出ていた。
- JR在来線や私鉄線は史実より多くの列車が脱線・損傷した。
- この場合も焼死者数が多くなる。
- 夕食時のガス使用による火災が増加すると考えられるため。
- 飲み屋などの飲食店での犠牲者も多数出ていた。
- 津波や高潮による犠牲者数も史実以上。
- 阪神大震災と奥尻島地震はメカニズムが違うのでは?
- 時間だけが北海道南西沖と同じという設定なのでメカニズムは史実の阪神・淡路大震災と変わっていないはず。
- なお史実の阪神・淡路大震災では津波は一切発生していない。
- 小規模な津波はあったらしい。
- そもそも高潮は地震ではなく台風などで発生する。
- なお史実の阪神・淡路大震災では津波は一切発生していない。
- 夕食時のガス使用による火災が増加すると考えられるため。
- 救助活動は史実以上に困難を極めた。
- 関西の鉄道各社が全線運転見合わせすることにより、大量の帰宅難民が発生する。
- 真冬なので、東日本大震災以上に歩いて帰宅するのは困難であっただろう。
- 晩冬の3月とはいえ東日本大震災が起きたのは北日本だから寒地暖地補正を導入すると大きな差はあったかどうか…。ただ神戸は仙台と比べてもはるかに人口密集地だからそういう意味では帰宅困難者は増えたとは思われる。
- 参考までに3.11直後の福島市の天候は吹雪。
- 晩冬の3月とはいえ東日本大震災が起きたのは北日本だから寒地暖地補正を導入すると大きな差はあったかどうか…。ただ神戸は仙台と比べてもはるかに人口密集地だからそういう意味では帰宅困難者は増えたとは思われる。
- 真冬なので、東日本大震災以上に歩いて帰宅するのは困難であっただろう。
- 「ゴールデンタイムのテレビ番組を見ていたら報道特番に変わった」という報告があちこちで見られた。
他府県も兵庫県並みの被害を受けていたら[編集 | ソースを編集]
全般[編集 | ソースを編集]
- 死者は最低2~3万人、最悪5万人以上。
- 日本経済へのダメージも現実以上に大きかった。
- 2008年の世界金融危機どころではなかった。
- 1970年代後半~1980年代前半に産まれた人の就職状況はさらに酷いことになっていた。
- その結果21世紀にはさらに少子高齢化が進んでいた。
- 関西が本拠地の大企業のいくつかはさらなる業績悪化により破産や倒産に追い込まれていた。
- 三洋電機の業績が悪化し、パナソニックに吸収されたのはこの震災がきっかけだったかもしれない。
- 関西大手私鉄の利用客減少は現実よりも大きく、21世紀に入ると阪急阪神の経営統合以外にも企業の再編が行われていたかも。
- JR西日本も私鉄の利用客を奪ってイケイケドンドンになることもなかった。そのためJR福知山線脱線事故は起こらなかった可能性が高い。
- 大阪近郊区間における減便も現実よりも早く行われていた。
- 中国自動車道や名神高速道路も広範囲で崩壊していた。
- 関西経済の地盤沈下がさらに激しくなっていた。
- 国内第二の大都市圏は名古屋圏にとって代わられていた。
- もしくは福岡圏。
- 復興計画である程度厚遇されたはずなのでそうはならなかったのでは。
- そもそも地震の規模はマグニチュード7.3どころではすまなかった。
- 8〜9くらいだったかな。
- 西日本で計画停電が実施された可能性も。
- 仮に福井も被害を受けてたとしても中国と中部電力からの送電で何とかなったと思う。
- 四国電力や九州電力からも送電していたかもしれない。
- 仮に福井も被害を受けてたとしても中国と中部電力からの送電で何とかなったと思う。
- 名称も「阪神・淡路大震災」ではなく「関西大震災」あるいは「西日本大震災」となっていた。
- 「西日本大震災」は東海・東南海・南海の3連動地震が発生した時のためにとっておくのでは?中国・四国地方より西まで被害が及んだら話は別だが。
- 記事を見る限りは関西地方以外の被害は徳島のみ。よって西日本大震災はオーバー。
- 福井・三重・香川あたりは被害を受けていても不思議ではない気がする。
- 「関西大震災」は震災名称が決定する前まで一部マスコミが使っていたので、そちらの方かも。
- 「西日本大震災」は東海・東南海・南海の3連動地震が発生した時のためにとっておくのでは?中国・四国地方より西まで被害が及んだら話は別だが。
- おそらく複数の断層帯で連動して地震が発生していた。
- 単一では被害範囲はそこまで広くならない。
- 六甲・有馬断層帯以外に中央構造線、上町、花折、木津川、琵琶湖西岸など各地の断層帯で強い地震が起きていた。
- このようなタイプの地震は後に「群発性プレート内地震」などと呼称されるようになり世界各国で警戒すべきものとされていた。
- 震災復旧・復興に現実以上に多額の費用がかかったので、消費税は2000年頃には8%に上がっていた。場合によっては1997年の時点で8%に増税されていたかも。
- 阪神大震災の復興が目的の「復興税」が1990年代に導入されていた。
- 18日午後以降の通常編成では済まされていない。
- 金子信雄の楽しい夕食の追悼特集は史実通り行っている…かも。
- ひょっとしたら、JR西日本・JR東海のCMで関西の復興CMを流していたかもしれない。
- ちなみに史実でもJR西日本がそれっぽいCMを実際に流していた模様。
- 有名芸能人にも複数の犠牲者が出ていた。
- Chakuwikiの「もし阪神・淡路大震災が発生しなかったら」に相当する記事では芸能関連の内容が独立ページ化されるほど膨らんでいる。
- 芸能人のみならず関西在住のスポーツ選手にも犠牲者が出ていた。
- 「ゴジラVSデストロイア」は制作中止に追い込まれた。
- その後7~8年くらいの間怪獣映画で近畿地方を出すのは自粛していた。
- 青島幸男都知事の誕生より前に世界都市博の中止が決定された。
- 東日本~中四国・九州の陸路がほぼ完全に切断されたため長距離フェリーが見直される契機になっていた。
- 戦後50年となる年に発生した巨大災害ということで複数の識者が「第2の敗戦」と表現していた。
- 東京でも震度4くらいの揺れがあったかも(現実には震度1くらいの弱い揺れはあった)。
- 名古屋は震度5、酷かったら6あったかもしれない。
- オリックス・ブルーウェーブの「がんばろうKOBE」は「がんばろうKANSAI」だった。そのため、阪神タイガースや近鉄バファローズもこのキャッチフレーズを使い関西同士地元を励ましあっていた。
- 阪神が最下位になることもなかったか……?
- 近鉄も最下位じゃなかったかもしれない。
- Jリーグのガンバ大阪・セレッソ大阪、Vリーグ男子の新日鐵堺・サントリー・松下電器もこのキャッチフレーズを使用していた。
- というか本拠地の球場が大きな被害を受けるため、野球どころではなかったかもしれない。シーズン開幕延期や最悪の場合シーズン中止もあり得た。
- 近鉄は史実よりも早く球団を手放していたかも。
- Chakuwikiでもこの震災を下手に取り扱えなくなっていた。
- 一部自治体のページでは未だに震災関連の投稿が規制されていた可能性あり。
- 震災そのもののページは経験者の意見もあり白紙保護されている。
- 復興財源のため98年の長野五輪返上を訴える声も出るがそうはならなかった。
- 関西の遊園地が軒並み被害を受け、復旧をあきらめ閉園する所も出ていた。
- 宝塚ファミリーランドや甲子園阪神パークなどはこの時点で閉園していたかも。
大阪府[編集 | ソースを編集]
- 横山ノックの大阪府知事選挙立候補は無かった。
- 大阪市は2008年の夏季五輪の候補地に立候補しなかった。
- 国内候補都市は横浜のみになっていた。
- あるいは東京が2008年夏季五輪の候補地に立候補していた。
- あるいは名古屋が1988年のリベンジとして、2008年夏季五輪の候補地に立候補していた。
- 「関西大震災(仮)からの復興」をスローガンに立候補しようとしても府民の支持が得られなかったと思われる。
- 梅田の阪急百貨店本店は震災復旧を機に高層ビルに建て替えられていた。
- 大阪市内の老朽住宅が多く倒壊したため、市内至るところで区画整理を含む再開発が行われた。
- 多くの地域が高層ビル街に変貌していた。阿倍野地区の再開発も史実より早いペースで進んでいる。
- 大阪都心部にある明治~昭和初期に建築された近代建築の多くも倒壊あるいは大きく損傷していた。
- 大阪城天守閣は震災復旧と同時に平成の大改修が行われていた。
- 釜ヶ崎では再開発により日雇い労働者の居場所が減らされていた恐れもある。
- 状況にもよるが海底地形が変化して大阪湾が隆起し、陸地になっていた。
- ちょうどこうなってしまう。
- 大阪湾が隆起するような(湾が陸地になるなら数10m単位で隆起する)地震が起こったら、大阪はおろか名古屋あたりまで壊滅してそう。大地震といわれるものでも隆起量は数m。地震じゃなくて海底火山があったならそれくらいの隆起は起こりうる、のかな?
- 火山の密集地帯から完全に外れているのでその可能性はほぼない。
- 大阪都構想にも影響が出ていた。
- 橋下徹氏など推進派は「震災の時に大阪都があればもっとスムーズに救援や復興が進んでいたでしょう」と防災面での効用もよく持ち出していた。
- 大阪府内のテレビ局も一部破損していた。
- 特に当時は1960年代くらいの局舎を使っていたABC・関西テレビが危ない。
- USJの建設は復興事業の一環として行われていた。
- NHKドラマ「ボーダーライン」の主人公の設定が現実と全く異なっている。
- 「震災で両親を失った」などという設定になっていた。
- 阪神なんば線は震災復興計画に盛り込まれ、史実よりも早く開業できていた。
- 道頓堀付近では大型看板がことごとく落下。
- その後条例により看板の大きさや取り付け方などに厳しい規制がなされる。
- 京都市のような屋外看板禁止条例ができていたかも。
- それではかえって景観破壊になってしまうため避けられていたのでは。
- 関空で離陸or着陸の最中だった航空機が事故を起こしていた恐れもある。
- 震源域は大阪都心の上町断層。死者数は東日本大震災並となっていた。
- 最も被害が大きかったのは堺筋沿いだった。日本橋のでんでんタウンは壊滅的な被害を受けていた。その場合日本橋がオタクの町として発展していたかどうかも微妙。
- 高島屋東別館も震災で倒壊していた可能性が大。
- 有馬高槻構造線や生駒断層の可能性もある。
- 最も被害が大きかったのは堺筋沿いだった。日本橋のでんでんタウンは壊滅的な被害を受けていた。その場合日本橋がオタクの町として発展していたかどうかも微妙。
- 藤井寺球場が倒壊していた可能性があり、近鉄バファローズの試合に影響が出ていた。
- 大阪ドームの開業が1年早まった。
- グリーンスタジアム神戸や甲子園球場の被害も大きくなっていたため95年はプロ野球の開幕時期自体遅れていた。
- 万博公園の太陽の塔が震災で損傷し、最悪解体されていた。
- あるいは復旧工事と同時に耐震補強も行われ、内部の一般公開も現実よりも早く実現していた。
- 当時まだ現存していたエキスポタワーは確実に助からなかった。
- 鉄鋼館も大きな被害を受け解体されていた恐れあり。
- エキスポランドに被害が出て、最悪閉園に追い込まれていた可能性もある。その場合2007年のジェットコースター事故はなかった。その場合跡地は現実のエキスポシティではなかった可能性もある。
- 某大物YouTuberの「自分の身は自分で守れるはずです」発言も少しは変わっていたか。
- 「自然には勝てませんが、ですが、それを教訓にして普段からできることもあると思います」(下線部が該当箇所)といった感じだろうか。
兵庫県[編集 | ソースを編集]
播但地域も阪神間や淡路島並みの被害を受けていたら…
- 明石海峡大橋の開通は21世紀に入ってからだった。
- 場合によってはしまなみ海道の方が先に開通していた。
- 姫路城の一部が破損しており、平成の大修理が予定より早く行われたり、姫路駅の高架化が遅れる。
- 旧姫路モノレールの高架倒壊による被害が出ていた恐れもある。
- 旧大将軍駅の駅と一体になった集合住宅の建物にも被害が出ていた。
- これを機に姫路モノレールの高架橋は全て撤去されていた。
- 旧姫路モノレールの高架倒壊による被害が出ていた恐れもある。
- 阪神甲子園球場が倒壊していた可能性もある。
- 1995年のセンバツは中止になっていた。場合によっては同年夏の選手権大会も。
- その場合阪神タイガースの試合にも影響が出ていた。
- もしかしたらこの年の阪神は史実でのオリックス・ブルーウェーブのように被災した地元ファンのために奮闘し、久しぶりのAクラス入りを果たしていたかもしれない。
- 万が一優勝していたら、被災した地元を元気付けることができ、尚且つ球団創設60周年をも飾ることができ大盛り上がりだった。
- もしかしたらこの年の阪神は史実でのオリックス・ブルーウェーブのように被災した地元ファンのために奮闘し、久しぶりのAクラス入りを果たしていたかもしれない。
- 淡路島は史実よりも断層で動いていた。
- どこかの温泉地が源泉ストップにより致命的な打撃を受けていた。
- 阪神石屋川車庫と同じく高架式の車庫である阪急平井車庫が全壊していた。
- 阪急も宝塚線を中心に多数の車両が損傷、廃車に追い込まれていた。
- 車両不足を補うため、京都線車両の一部が神宝線に応援に入っていた。
- 恐らく寸法的に神宝線にも入れる2300・2800系が入線していた。
- 車両不足を補うため、京都線車両の一部が神宝線に応援に入っていた。
- 被災した車両の代替のため1996年に9000系(現実とは異なる)が登場していた。
- 史実の阪神9000系と同様短期間で車両を作る必要があるため、アルナ工機以外のメーカーに発注され、場合によっては阪急としては初でなおかつ唯一のステンレス車となっていた。
- それでもブランド維持のためマルーンに塗装され、車内は木目調にゴールデンオリーブのモケットだった。
- 史実の阪神9000系と同様短期間で車両を作る必要があるため、アルナ工機以外のメーカーに発注され、場合によっては阪急としては初でなおかつ唯一のステンレス車となっていた。
- 阪急も宝塚線を中心に多数の車両が損傷、廃車に追い込まれていた。
- 摩耶観光ホテルがこの地震で倒壊していた。
- 廃墟スポットとして注目を集めることはなかった。
- 完全に撤去されない限りは何らかの形でマニアが訪問しているはず。
- 廃墟スポットとして注目を集めることはなかった。
- 余部鉄橋の損傷次第によってはこの時点で架け替えられていた。
京都府[編集 | ソースを編集]
- 京都や奈良の文化財が壊滅状態になっていた。
- 「古都京都の文化財」が危機遺産リスト入りしていた恐れもある。
- 恐らく、一部破損していたかもしれない。
- 花折断層が動いていた場合は東山界隈の物件が深刻な被害を受けていた。
- 清水寺の改修工事も早まっていた(現実には2017年より改修工事を開始)。
- 任天堂本社も影響が出ていた。
- 京都タワーは…?
- 外皮で支える構造が災いし「倒壊は免れたが大きく変形して危険なため取り壊し」という運命をたどったかもしれない。
- 被災者支援にあたり大寺社が予想外の活躍を見せた。
- 史料・古文書の被害は関東大震災並みに。
- 旧市街では崩れた古い建物で道がふさがれ救助などに大きな悪影響が出ていた。
- 京町屋はさらに希少な存在になってしまっていた。
- 近代建築の被害も相当ひどかった。
- 史実の震災でもかなり損傷した府立図書館あたりは確実に倒壊していた。
- 京都市内のあちこちで井戸が涸れたり突然地下水が噴き出したりしていた。
- 1995年の葵祭は中止された。
- 場合によっては祇園祭も。
- もっとローカルな行事では震災のせいで完全に絶えてしまうものも出ていた。
- 震災復興事業として地下鉄東西線の工事が一気に進められた。
- 京都のどこかの大学に「防災学部」ができていた。
- 復旧工事の際にいくつかの考古学的に重要な発見がなされている。
- 場合によってはこの地震を機に朱雀大路の復活などを行っていたかも。
- 現在の京都市街地を西側の微妙な位置(千本通)で2分割することになるためマイナスのほうがはるかに大きくなるのでは。
- 立ち退き区域に壬生寺と梅小路蒸気機関車館(当時)がかかってしまうのはさすがにまずい。
- 巨椋池が液状化で一時的に復活した。
- 京都駅ビルの開業が1年ほど遅れた。
- 成績が史実通りなら京都サンガのJリーグ昇格が府民を勇気づけるニュースになっていた。
- 丹後方面は大きな被害を何とか免れたが山城地域が全体的にとんでもないことになっていた。
- 特に木津川断層が動いていた場合。
徳島県[編集 | ソースを編集]
- 徳島でも被害が出ていた。
- 被害地域は鳴門市から阿南市にかけての平野部に集中している。
- 弁天山は崩れていたかも。
- 「民放テレビ局が1つしかないため地元の情報が入りにくいのではないか」という声が上がっていた。
- その結果徳島県が正式に近畿広域圏入りすることになった。
- 大塚製薬など大塚グループの経営にもかなり影を落としていた。
- 大塚国際美術館の計画が断念に追い込まれていたかもしれない。
- 徳島そごうの閉店が現実よりも早まっていた。
- 場合によっては日本初の百貨店のない県になっていた。
- 米津玄師が震災復興の歌を作っていたかもしれない。
和歌山県[編集 | ソースを編集]
- 活断層の分布から推測すると西牟婁・東牟婁はあまり被害を受けなかったと思われる。
- 人口減少が史実以上に加速している。
- 100万人を切るのも2010年頃になっていた。
- 紀州路快速の熊取以南各駅停車化も現実より早く行われていた。
- 和歌浦の廃墟がことごとく崩壊していた。
- この年の大河ドラマ「八代将軍吉宗」の制作に何らかの悪影響が出ていた。
- トルコからの大規模な援助が県民の間で後世まで語り継がれる。
奈良県[編集 | ソースを編集]
- こちらも世界遺産リストや暫定リストに載っている物件にかなりの被害が出ていた。
- 「古都奈良の文化財」の世界遺産登録がやや遅れていたかもしれない。
- 山間部では道が寸断され孤立する集落が続出していた。
- 奈良そごうは震災被害が原因で閉店に追い込まれた。
滋賀県[編集 | ソースを編集]
- 湖南・湖西は確実に大きな被害を受けている。
- 湖東が無事だった場合はしばらくのあいだ琵琶湖の水上輸送が重要な交通路になっていた。
- 滋賀県、特に湖東エリアは現実以上に名古屋志向が強くなっていた。
- 湖東が無事だった場合はしばらくのあいだ琵琶湖の水上輸送が重要な交通路になっていた。
- 琵琶湖疏水や瀬田川洗堰が大きな被害を受けていたら京都や大阪の復興も遅れていた。
- かつての地震で発生したような「地滑りによる住宅などの琵琶湖への流出」が起きていた恐れもある。
- 琵琶湖の生態系にも何らかの影響があったはず。
- この年における鳥人間コンテストはほぼ確実に開催中止。
- 後に嘉田由紀子が県知事選に出馬する動機がやや変わっていた。
- 「新幹線駅より防災で県民の命を守ろう」と呼び掛けていた。
高知県[編集 | ソースを編集]
- 1946年昭和南海地震が当時関西大震災と呼ばれていたそうです参考
- 高知市一極集中が現実より進んでいた。
- 堤防が決壊して満潮になると浸水被害が多発していた。
- 震源が和歌山と徳島の間だったらありえたかもしれない。
- 孤立する集落が大量に続出していた。
- 東洋町の高レベル放射性廃棄物最終処分場誘致計画は最初からなかった。
- 復興PRのキャラクターを当地出身のやなせたかしがデザインしていた。
津波による被害が出ていたら[編集 | ソースを編集]
- 実際に和歌山や大阪南部で津波が観測されたそうだが、高さは10cmほどだったらしい。
- 神戸はもちろん、大阪や京都、広島や岡山、高松や福岡でも大ダメージを受けていた。
- 京都は多分無いと思われるが…。っというか京都も巻き込まれたら大阪は大ダメージ所ではないと思う。
- ちなみに南海トラフ大地震でも津波が遡上するとされるのはせいぜい枚方や高槻まで。
- それでも淡路島が一番ダメージを受けたと思う。
- 京都は多分無いと思われるが…。っというか京都も巻き込まれたら大阪は大ダメージ所ではないと思う。
- 大阪や神戸の地下街や地下鉄が浸水し被害が出ていた。
- 特に大阪の地下鉄は第三軌条方式が多いため、電気系統に被害が出ていたことから復旧に長期間かかっていた。特に利用客が多い御堂筋線が運休したことから大阪の経済活動にも影響が出ていた。
- 開港直後の関西空港が津波被害に遭い暫く使用不能に陥っていた。
- その間、暫定的に伊丹空港の発着便を増やし国際線も乗り入れていた。
- 関西圏の鉄道・道路は地震そのものの被害に加えて津波被害も出ていた。
- 現実には被害が少なかった南海電鉄でも海岸沿いを中心に被害が大きかった。
- 死者は1万人どころでは済まなかっただろう・・・。
- 阪神工業地帯を津波が直撃する。
- その後、官公庁の内陸移転が検討される。
- 文化庁の京都移転はこの震災の教訓を生かしたことにされる。
- サザンオールスターズの「TSUNAMI」は被災者に配慮してリリースされなかったかもしれない。
- もしリリースされていたとしたら「不謹慎だ」というクレームが出ていたかも。
- むしろ犠牲者を追悼する歌としてリリースされていたような気がする。
- 揺れの周期が現実よりかなり長めだった。
- 揺れによる一軒家や低層アパートの被害はそこまでなかった。
- メカニズムとしてはやはり地震による淡路島の山体崩壊だろうか?
- この時の教訓を生かして全国各地の沿岸に防波堤が建設される。
- そのため3.11の津波被害が忠実より小さくなっていた。
- USJは現在地には建設されなかった。
- 関西に作るとしてももっと内陸部になっていた。
- もしかすると大阪ではなく名古屋に建設されていたかも。
- 2025年大阪・関西万博開催地も夢洲ではなかった。
- 恐らく千里にある万博公園が再利用されていた。
もし政府が事前予知に成功していたら[編集 | ソースを編集]
- 当時政府が予知情報に基づく警戒宣言と避難命令を出したとしても、従わなかった住民が相当数いただろうから、犠牲者は史実より大幅に少なくはなるとしても、ゼロにはならなかっただろう。
- 阪神高速道路は当然警戒宣言を出すと同時に封鎖されていただろうから、倒壊したことによる人的損害はなかった。
- 阪神電鉄は政府の警戒宣言と同時に高架である石屋川車庫から全車両を待避させていたので、史実のような車両大量廃車はなかった。
- 当時の村山内閣の支持率は当然大幅アップ。
- むしろ技術を開発した学者の方が喝采を浴びていたのでは。
- 社会党政権も史実より長続きしただろう。
- その場合橋本政権による「9兆円の負担増」がなかった。
- うまく行けば社会党政権がその後も永続し、自民党と立場が逆転していた。
- 小泉内閣もなかったので、行き過ぎた自由化や聖域なき構造改革もなかった。
- 「新自由主義」という考え方は現実ほど広まらなかった。
- 竹中平蔵もそこまで有名にならなかっただろう。
- 小泉内閣もなかったので、行き過ぎた自由化や聖域なき構造改革もなかった。
- 土井たか子氏はいずれ首相になっていたかも。その場合日本初の女性首相が誕生していた。
- 東日本大震災や新潟県中越沖地震、熊本地震も予知できていたかもしれない。
- 直下型まで予知できるのなら海溝型地震の予報などお茶の子さいさいであろう。
- 北海道胆振東部地震も予知できていたかもしれない。
- 2024年の能登半島地震も。
- 一体どのような技術があればあのような直下型地震を予知できたか見当もつかない。
- 日本が本当にそのような超技術を持っていたら国際社会での地位は間違いなくさらに上がっていた。
- バブル崩壊後の「失われた30年」はなかった。
- GDPが中国に抜かれることもなかった。
- 観測網次第では他国での地震接近の情報をつかみ有利な外交取引もできる。
- 日本が本当にそのような超技術を持っていたら国際社会での地位は間違いなくさらに上がっていた。
- 震災の1週間前あたりから関西から関東へ民族の大移動があった。
- 東海道新幹線は関西を脱出する人で大混雑になっていた。
- 反対側の山陽新幹線は震災で被害が大きかったので影響はなかった。
- 震災当日は世間は休日扱いになっていた。