もし阪神・淡路大震災が発生しなかったら

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もし阪神・淡路大震災が○○だったら > 発生しなかったら

全般[編集]

  1. 涼宮ハルヒもなかったかも??
    • 確かにあの作者は阪神大震災で人生が変わったといっていたな。
    • To Heartの保科委員長もないと思われる。
    • 「らき☆すた」や「けいおん!」も流行ってない。またけいおん!は紬の中の人が変わってた。
    • ハルヒがなかったという事は、その後の深夜アニメの歴史は大きく変わっていたかもしれない。
    • 京都アニメーションも史実ほどメジャーな存在になっていなかっただろう。
      • 『「ドラえもん(大山のぶ代版)」や「クレヨンしんちゃん」の下請けを行っている会社』という認識で終わっていた。
    • 当然エンドレスエイト事件もなかっただろう。
  2. その前に、「埋立地で液状化」とか、「ビルが横倒し」とか、「高速の橋脚が折れた」と言ったものを知らないまま過ごしているだろうと思われる。
    • まじめに語ってるよ…
    • 未だに高速道路の橋脚が地震で折れるのは外国での話と思われている。
  3. オリックスが優勝しても世間の反応が薄かった。
    • てか優勝できなかったと思う。あの時は皆「ファンのために」って思いながらやってたから。
      • ならヴィッセルのJ昇格もなかったかも。
        • むしろダイエーがメインスポンサーから撤退しなかったことでヴィッセルのその後の歴史も大きく変わっていたはず。
          • 「神戸賛歌」も誕生しなかった。
      • ダイエーの暗黒時代脱出が史実よりも早く、「生卵事件」も起こらなかったかも。
        • リーグ優勝や日本一も史実より1~2年早かった。
      • 優勝できなかった場合、イチロー人気だけが先行したままだったかも。
      • 1995年のプロ野球は渡米した野茂英雄が現実以上に話題となっていた。
      • 暗黒時代真っ只中の阪神がもっと悲惨だったかも。
        • むしろ親会社である阪神電鉄は震災被害で野球どころではなかったという側面もあるので、同年の成績は現実よりも良く最下位ではなかったかも。阪神電鉄の経営も史実よりは良かった可能性もあるため、暗黒時代も早く脱していた。
          • その場合1999年あたりに優勝を果たしていたかも。
      • 1995年のパ・リーグ優勝はロッテのものになっていたかも。
        • さらに、セ・リーグ勝者が史実通りヤクルトだった場合、鳥類同士の日本シリーズが20年早く実現していた。
      • 1996年もオリックスは優勝できず、この年のパ・リーグ優勝は日本ハム西武のものになっていた。
    • 2004年の球界再編で現実とは逆に近鉄がオリックスを吸収合併していたかも。
      • 近鉄の経営状態が史実よりも良かった可能性があるため。
  4. 震度表記は1~7の7段階のままだった。
    • 東南海地震への対策が今のように進んでいなかった。
    • しかも観測方法は震度計での観測ではなく、気象庁の職員の感覚による観測のまま。
      • 東日本大震災発生後、ようやく9段階になる。
      • 緊急地震速報の導入は2010年台になっていた。場合によっては東日本大震災後かも。
      • 観測の結果、栗原市は激震指定を免れた。
        • 当初の最大震度は6だった。
  5. 女子高生のルーズソックス大流行は1年早くなっていた(史実は1996~1998年がルーズソックスの全盛期だった)。
  6. 新潟の中越地震が史実以上の扱いを受けている。
    • 福岡県西方沖地震も。
    • 熊本地震も。
    • 直下型地震に対する認識が現実よりも甘く、大地震と言えばプレート境界型地震のことを指したままだった。
      • 首都直下地震について言及されるのがもっと遅れていた。
    • 2018年の大阪北部地震での被害がもっと大きくなっていた。
    • 新潟中越地震や東日本大震災の被害が更に大きくなっていたのは言うまでもない。
  7. 神戸まつりは現在に至るまでずっと5月開催だった。
  8. 新長田駅近くの鉄人28号のモニュメントは作られなかった。
  9. 神戸ルミナリエは開催されなかった。
  10. 神戸市長田区のご当地グルメである「そばめし」や「ぼっかけ」がブレイクするのが少し遅れていたかもしれない。
    • 「いかなごのくぎ煮」の知名度も全国区にならなかったかもしれない(阪神・淡路大震災で支援してもらったお返しに贈ったのが普及のきっかけの1つだったので)。
  11. 小林一三の生家は現存している。
  12. 毎年12月に行われている「今年の漢字」の発表は1995年の時点ではなかったかもしれない。
    • そもそも「今年の漢字」自体存在しなかったかもしれない。仮にあったとしても2001年以降かも。
  13. このアナウンサーは史実ほど有名にはならなかった。
  14. 羽生善治は王将を獲得して史実より前に将棋タイトル七冠独占を達成していたかも。
    • 対戦相手の谷川浩司が「自分が震災にあっていなければとられていたかもしれない」みたいな趣旨のことを言っていたので。
  15. 史実で阪神大震災が発生した日に淡路島で生まれた照強は注目されなかった。
  16. 「ズッコケ三人組」で稲穂県南部地震が設定されることはなかった。
  17. 関西学院大や神戸女学院大、甲南大の偏差値低下は史実ほどひどくならなかった。
    • ダイエーの経営難が史実ほどではなかったので、流通科学大学も。
      • 関関同立は厳しいが産近甲龍くらいのレベルにはなっていた。場合によっては「産近甲流」と呼ばれていた。
  18. 関西経済が現実よりも好調だったことが考えられるため、2008年の夏季五輪は北京ではなく大阪になっていたかも。
    • その代わり、2020年の夏季五輪は東京ではなくイスタンブールか北京になっていたかもしれない。
  19. 王子動物園にパンダが来ることはなかったかも。
    • 王子動物園にパンダが来たのは震災からの復興という意味もあったので。
  20. 神戸市の人口が福岡市に抜かれるのが現実よりも遅くなっていた。
    • 2010年代後半の時点でも抜かれていないかも。
    • 川崎市も。
  21. 1月17日が「防災とボランティアの日」と呼ばれることはなかった。
    • 代わりに10月23日か3月11日辺りが防災とボランティアの日になっていただろう。

政治・経済[編集]

  1. 無論、神戸の地盤沈下は無かった。
    • ただし復興事業による好況も無かった。
    • 2017年現在、神戸市の人口は福岡市に抜かれていない。
    • 神戸というより関西経済の地盤沈下が抑えられていた。
      • 現実ほど東京に一極集中することはなかった。
  2. ダイエーが経営破たんする事はなく、ましてやイオンの傘下になる事はなかった。
    • 当然Kiss-FMは独立局のまま。
    • 逆にイオンがダイエーの傘下に入っている。
      • むしろジャスコの段階で買収されていた。
    • ドリーム観光は現在でもダイエーグループ内にあり、新歌舞伎座の難波から上本町への移転もなかった。
      • 横浜と奈良の両ドリームランドの閉園もなかった。
    • ヴィッセル神戸のメインスポンサーから撤退することもなかった。
    • その後も極端な経営悪化が無ければ、福岡ダイエーホークスのソフトバンクへの売却も無かったかもしれない。
    • 三宮の「ダイエー村」は健在。ただビルは老朽化により建て替えられているかも。
      • 現実のダイエー三宮駅前店は現在もプランタン。
        • プランタンは今もダイエーグループである。
          • 現実のイオン甲子園店もプランタンのままか、ダイエーに業態転換されてもイオンへの店舗譲渡はなく、2017年5月に食品売り場を除いて閉鎖されることもなかった。
          • プランタンなんばは閉店せず、大阪におけるビックカメラは別の場所に出店していた。
      • 2010年代に入って同じ場所で建て替えが行われていた。
    • マイカルが史実通り経営破綻していた場合、ダイエーがマイカルを吸収していた。
    • ダイエーのマークが現実のものに変わることはなく、今も半月マークが使われている。
    • 球団を手放すこともなかった。
  3. 平成不況真っ只中とはいえ、自衛隊の入隊希望者は、そんなに増えなかった。
  4. 釜山港は発展しなかった(神戸港が壊滅した為、貨物が釜山に流れたため)。
    • それでも高雄・香港・シンガポールの港は大震災がなくてもそれなりに発展していたが。
      • 上海の港も。
  5. 兵庫県知事が「関東大震災で・・・」なんて不適切発言をする事はなかった。
    • 村山富市の「なにぶん、初めての経験でもございますし…」という発言も無く、村山内閣は史実よりは長く持ったかもしれない。
      • 社会党政権も史実よりも長続きし、社会民主党への党名変更もなかった。
        • 場合によっては社会党政権が定着し、自民党は解党あるいは分裂していたかも。この場合新進党→民主党も最終的に社会党に合流していた。公明党も社会党と協力体制にある。
          • その場合小泉政権も誕生せず、様々な規制緩和もなかった。郵政民営化も行われず。
            • 大学の設置基準緩和もなかったので、大学の数が必要以上に増えることもなく、21世紀になって閉校する大学も少なかった。
              • その結果大学進学率は21世紀になっても30%くらいで推移し、経済的に苦しい家庭の子は高卒で就職していた。
                • 奨学金を駆使してまで大学進学に拘る学生はほとんどいなかった。奨学金も給付型がメインで、日本学生支援機構が学生ローンと言われることもなかった。
        • その場合個人情報保護法は施行されていなかった可能性がある。
          • 長者番付の廃止もなかった。
  6. 六甲ランドAOIAは1995年以降も営業を続けた。
    • しかし不況で客足が遠のき、21世紀初頭に閉鎖。
  7. その後の日本経済の低迷は史実より緩和されていた。
    • 第2次ベビーブーム世代の就職がやや楽になっていた。
    • 橋本政権による「9兆円の負担増」はなかった。
      • 消費税の3→5%への増税も1997年の時点では行われず、早くとも2000年代半ばにずれこんでいた。場合によっては2014年まで消費税率は3%だった。
        • あるいは史実より10年遅れて2007年だったかもしれない。
    • もしかすると2000年代半ば~後半あたりに「第2次バブル景気」が起きていたかもしれない。
  8. 「株式会社神戸市」とも呼ばれる神戸市の開発行政はその後も続いていた。
    • その後もさまざまなイベントを開催していた。
    • オリンピックに立候補していた可能性もある。
      • 震災後の日本経済が史実より好調だったため、2008年の夏季五輪は神戸になっていた可能性もある。
  9. 成人の日は移動祝日とはならず、今でも小正月である1月15日のまま。
    • あるいは1月の第3月曜日になっていた。
    • ハッピーマンデー制度そのものがなかったかも。
  10. 神戸阪急ビル東館が登録有形文化財になっていた。
    • あるいは阪急百貨店梅田店と同時期に高層ビルに建て替えられていた。
      • ビル建て替えと同時に阪急三宮駅を地下に移設し、神戸市営地下鉄西神・山手線との直通が実現していたかも。
    • 阪急西宮ガーデンズができたことで売り場面積の縮小・最悪の場合は食品売り場を除き撤退もあり得る。
      • あの河原町阪急まで撤退させたからやりかねない。
      • 空いたスペースにはこれこれができる。
  11. 第3次ベビーブームも有り得る。
    • 少子高齢化がもう少し遅れていただろう。
  12. 三宮にあるそごう神戸店が阪急百貨店に移管されることはなかった。
    • そごう時代の売上が京阪百貨店守口店を下回ることもなかった。
    • というか、そごうの経営破綻はなかった。
      • 西武百貨店やセブン&アイホールディングスと経営統合されることもなかった。

メディア・芸能[編集]

  1. 藤原紀香はデビューしなかった。
    • もちろん陣内智則との結婚もなかった。
      • その場合陣内は松村未央と結婚しなかったかも。
    • 既にデビューしてたけど・・・
      • 全国区になることはなかった。
      • 関西ローカルの番組では大活躍するものの、東京での知名度は低いままだった。
  2. 佐藤江梨子はデビューしていなかった。
    • ごく普通に大学進学してOLになった後、普通の主婦になっていた。
  3. 外国語FMは存在せず、コミュニティFMの開局ラッシュもなかった。
    • 21世紀に入ってもせいぜいInterFMくらいしか開局していないか。
      • つまりMeganetは存在せず、InterFMがあったとしても独立局になっている、ということか。
  4. J-Friendsは結成されず、KinKiだけでカウコンをしていた。
    • そもそもカウコン自体存在したかどうか怪しい。
      • そうなるとフジテレビの年越し番組はいったい何をやっていたのやら?
  5. NHKはCO2削減のため、午前0時終了に戻っていた。
    • 民放も石油高騰で24時間放送をやめていた(午前2時前後休止・5時再開)。
      • よって、鳩の休日は1分が健在。ただしデジタルリマスター版に。
        • 日テレニュース24は当然NNN24もしくは日テレケーブルニュースのまま。
      • TBSも「バクと少女」で開始・終了。
        • ニュースバードは存在しない。
      • 地方局の広島テレビなどもオープニング、クロージングは健在。
    • 4時台や5時台の早朝生番組競争の始まりも遅くなってた。実際震災当時生放送やってたのはABC(ローカル)とMBS(東京発)だけで、NHKが5時台の定時放送を開始したのも震災の3か月後。
  6. ABC土曜午後の番組「わいわいサタデー」もしばらく放送が続いていた?
  7. ラジオ関西の本社移転はなかったor史実(1996年8月)より遅れていた。
    • それでもアニラジは積極的に放送。
  8. 嘉門達夫は「怒りのグルーヴ」をリリースしなかった。
    • 「怒りのグルーヴ」の原曲は震災前からあった(1993年発売『NIPPONの楽しみ』収録)。「『震災篇』は存在しなかった」というのが正確。
  9. 連続テレビ小説「甘辛しゃん」や「わかば」の筋が激変していた。
  10. 江口洋介と森高千里は結婚しなかったかも。
    • この2人が出会ったのが震災のチャリティイベントだったので。
    • 森高の結婚による活動休止もなかったか時期が異なっていた。
  11. SMAPが1995年1月20日放送の「ミュージックステーション」で「がんばりましょう」を歌うことはなかった。
  12. 竹内良太は声優にならなかったかもしれない(この震災を経験し、父親がいない事に不満を持つようになったので)。

交通[編集]

  1. 阪神間の阪急・JR・阪神は未だにスピード競争をやっている。
    • 阪急特急は岡本・夙川を通過。
    • JR新快速は芦屋一部通過の方針を貫く(現実では2003年12月改正で全部停車)。
    • 阪神特急の梅田~三宮間の停車駅は現在も西宮・芦屋・御影。
      • 近鉄直通快速急行も現実よりは速かった。三宮~大阪難波間の停車駅は魚崎・西宮・甲子園・尼崎・西九条のみになっていたと思われる。
      • 結局福知山線脱線事故でJRはスピード規制を辞める。
        • 震災復旧が早かったことでJRがさらに力を付けることはなかったので事故自体なかったのでは?
    • 村上ファンドによる株の買い占め後、阪神の経営統合の相手は阪急ではなかったかもしれない。
      • 震災後定期券の相互利用など阪神と阪急による協力が進んだため。
      • 京阪か近鉄と統合していた可能性がある。
  2. 新潟県中越地震では、小千谷市では現実と違い地震対策が皆無で被害者が倍増。
    • とき325号、脱線と同時に高架橋の崩落(鉄板巻きが無い為)に巻き込まれ死者多数。新幹線の安全神話が完全に崩壊。
      • 「ときタン」なる愛称は生まれず、それどころか「325号」は永久欠番に。
        • JR東日本はその後10年間ぐらいは車両基地公開を自粛していた。
      • 甚大なダメージを負った上越新幹線は長期運休。東京新潟間は完全にバス輸送に主導権を奪われる。
        • 東京-鶴岡・酒田間は山形新幹線経由に誘導させるものの、羽田-庄内間の空路に完敗していた。
        • 年末年始の「ムーライトえちご」は1往復で乗客を捌ききれず臨時の91・92号を設定した。
        • ただし練馬から先の一般道の渋滞の問題がある以上、計画止まりだった首都高練馬線が建設する運びになっていた。
        • 北陸新幹線開業以降は上越新幹線の本数が大幅に減らされる。
          • 新潟県の東京指向が現実よりも弱くなり、逆に名古屋・大阪指向が強まっていた。その結果急行「きたぐに」は車両置き換えで存続していた。
  3. 「神戸空港」は出来なかった。
    • しかし、調子に乗って結局神戸空港が出来た。
      • 2010年代に入ってインバウンドなどで発着能力が限界に近づいた関空を補完するために建設されていた。
  4. 阪神電車の9000系は誕生しなかった。
    • 2009年の阪神なんば線開業に際しては1000系が史実より多く製造されていた。
    • 阪神5500系は従来の青胴車色で登場していた。
      • 9300系や8000系リニューアル車もジャイアンツカラーにならず、赤胴車色のままだった。
    • ステンレスカーは導入されない。
  5. 阪神なんば線は数年早く開業していた。
    • 後のリーマンショックがなければ開業時にもっと盛り上がっていた。
  6. 阪神梅田~山陽姫路間の直通特急は21世紀に入ってから運行開始した。
    • 場合によっては阪神なんば線経由阪神三宮~近鉄奈良間直通電車の運転開始の方が早く実現したかも。
  7. 邪推に過ぎないが、阪急電鉄5000・6000・7000・7300各系列の屋根肩アイボリー塗装はされていなかったんじゃないかと思う。
    • 阪急は平成7年以降も新造車両を積極的に投入して車両の老朽置き換えを進めた結果、2300系や3000系は20世紀中に引退し、8000・8300系が現実より多く製造された。さらに京都線特急車9300系も史実より早い2000年頃には投入されていた。
      • その結果6300系は史実より早く京都線特急から撤退し、1960年代製造の5000系のリニューアルもなかった。
        • 6300系に関しては地方私鉄への譲渡が行われていたかも。
      • 9300系は現実と異なり2扉車となっていた。
    • アルナ工機が路面電車以外の車両製造から撤退することはなかった。
      • 武庫川車両工業が解散することもなかった。
        • 阪急・阪神の経営統合後はアルナ工機と合併していたかも。その結果阪神にアルナ製の車両が入っていた。
  8. 新幹線が新神戸に全列車停車するのは史実とは異なり、2008年の品川・新横浜と同時に行われている。それまではのぞみの半数の他、一部のひかりレールスターも新神戸を通過していた。
  9. 山手幹線はいまだに全通していない。
  10. 加古川線は電化されなかった。
    • 震災で不通となった東海道・山陽本線の迂回ルートとして同線が機能したため。
    • 最悪の場合、西脇市~谷川間は廃止されていた。
    • その場合和田岬線も非電化だった。
  11. 223系2000番台は予定通り大和路線に入っていた。
    • 大阪環状線用207系も登場している。
      • 大阪環状線のオール3扉化構想は出なかった。
    • 新快速への223系1000番台の投入は現実よりも遅れていたかもしれない(223系が新快速に投入されたのは震災後に利用客がJRに集中して輸送力が不足したための補充用)。
  12. 大阪市内での阪和線の高架化が早まった。
    • 当初の計画通り阪神高速との二重高架になっていた。
    • しかも複々線。
  13. 阪急伊丹駅は、リニューアルが遅れた。
    • というより建て替えられず、震災前の高架駅を耐震強化して使っていただろう。
  14. 神戸市営地下鉄1000形のVVVF改造は行われず、2010年前後から新型車両への置き換えが始まっている。
    • その車両は将来の阪急乗り入れにも対応していたかも。
  15. WEST21の導入が実現していた。
    • その分、223系1000番台は登場せず、新快速の輸送力増強に回すこともなかった。
  16. 鷹取工場が21世紀になっても稼働していた。
  17. 神戸市営地下鉄西神・山手線における快速運転は1995年以降も継続されていた。
    • 三宮~名谷間に待避線を増設したり停車駅の見直しが行われていた。
  18. リニア中央新幹線は2020年の時点で品川~名古屋間が開業できる目処がついていた。
    • 名古屋~新大阪は2025年頃に開業予定。
  19. 新快速への乗客転移がないので阪急8200系などの折り畳み式座席車両が増備されていた。
  20. ここでの復旧工事の経験がないため、それ以後の災害での復旧までの期間が長くなっていた。
  21. 水害対策として車両基地を高架化するケースが現実よりも多くなっていた。



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