もし食堂車の営業が現在も盛んだったら

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  • 史実では食堂車そのものが風前の灯となっていますが、現在でも食堂車の営業が盛んだったら?
  1. おそらく新幹線を中心に営業するようになっていた。
    • と言ってもE1・E4系や500形などには連結できなかったと思われる。前者は通勤用でもあるから尚更。
      • 700系の開発理由の1つに「食堂車の再連結」が挙げられていた。
      • 食堂車の代わりにE1・E4系にはカフェテリア(史実でも100系・200系の2階建て車に連結)が連結されていたかもしれない。
        • 遠距離通勤のサラリーマン(ある程度以上裕福)の朝食場所として重宝されていた。
      • 「増結車で食事を楽しめないのはいかがなものか」と言う理由から、400系やE3系などの在来線直通車にも半室ビュフェが連結されていた。
    • グランクラスでは史実のような軽い弁当だけでなく、食堂車の料理を直接オーダーできるようになっていたかもしれない。
    • 東京~新青森(はやて)、東京~博多(のぞみ)、新大阪~鹿児島中央(さくら)の列車には食堂車が併設されていた。
      • さくら(とひかりレールスター)は半室ビュフェだと思う。ある程度ウエストひかりの流れを汲んでいる訳だし。
        • ひかりレールスターやN700系7000番台・8000番台の半室ビュフェではかつてのサハシ455を彷彿させるようなうどん・丼物メニューが提供されていた。
    • N700系だと高級ホテルを意識した雰囲気になっていそう。
      • 諸外国の高速鉄道でもビュッフェ程度のものが主流なので一部を除きそこまで豪華にはなっていないと思う。
        • 少なくとも東海道・山陽新幹線は300系以降ビジネス特化型の半室ビュフェになっていたと思う。
        • 300系では0系37形を踏襲したような構造となるが、700系以降はグリーン車(8号車)の一角にバーカウンター&ミニラウンジを設置する構造に設計変更され、利用もグリーン客限定となる。
      • JR東日本がジョイフルトレイン扱いで「豪華な食堂車を連結した新幹線」を運転し始めていた。
        • 「とれいゆ」「GENBI SHINKANSEN」と同様に、E3系が食堂車メインの車両に改造されていたと思われる。
    • 最近「こだま」から食堂車が撤退して話題になる。
  2. 長距離列車には食堂車、中距離列車にはビュフェ+車内販売という棲み分けが史実以上に行われていた。
    • 房総特急やホームライナー的な列車等、短距離メインの特急には増結されないと思われる。
      • 基準としては、現実に車内販売がある (最近まであった) かないか。
        • 座れる通勤電車タイプの列車には現実の子ども食堂のように短距離で気軽に利用できるタイプの食堂車が登場して「座れる通勤食堂車」と呼ばれた。特に関西地区で導入されていた。
          • 50系客車簡易ビュッフェ「オアシス」のようにビールなどの飲み物・おつまみ主体のメニューで営業していた。
        • 食堂車やビュフェの連結条件として、走行距離が150km以上(新幹線は300km以上)とか、起終点間の所要時間が2時間以上といった条件も設けられそう。
    • 伊豆急行が2100系に2代目スコールカーを連結、国鉄民営化後JR線での営業が認められリゾート踊り子に充当される。
  3. N700系7000・8000番台はグリーン車とビュフェの合造車になっていた。
    • 「クロシ789」「サロシE257」といった在来線特急車が当たり前のように製造されている。1両まるごとは今や少数派かも。
      • 最近ではいなほ用E653系に食堂車が設置されていた。
      • 「サンダーバード」にも新潟発着が設定され、新潟発着列車には食堂車「サシ681」が連結されていた。「サシ681」は北陸新幹線開業による新潟発着の廃止まで連結・営業されていた。
  4. 在来線だとJR九州が観光特急を中心に導入していた。
    • 史実でもつばめにビュフェ車があったりしたので、今でも営業が盛んであればもっと導入している気がする。
      • 導入するとしたら、883系と885系か。振り子と両立できるか微妙だけど。
        • それ以前に787系でも当初の予定通り食堂車が導入されていた。
      • 787系のビュフェ車は撤去されず、「リレーつばめ」「きりしま」で存続していた…かもしれない。
    • 長距離昼行が史実通り減少しているならば、こういった観光列車に食堂車を連結する事がもっと早くから行われていた。
    • 食に重点を置いた列車はもっと古くから登場していた。
      • バブル期から現在のような「グルメ列車」とでも言うべき存在が全国で走っていた。
  5. 特急「白鳥」(大阪-青森間を運転していた方)には廃止まで食堂車が連結されていた。
    • 「やまばと」「つばさ」(上野発着)「白山」も。
      • 「白山」のサシ489はJR化後、トワイライト用スシ24に準じた内装にリニューアルされていた。
    • JR北海道の気動車特急も連結。
      • その代わりキロ182に車販準備室がない。
      • しかし「スーパー」化で縮小傾向に。
    • 大阪-青森間の「白鳥」は2001年に系統分割されず、2015年の北陸新幹線金沢開業に伴うダイヤ改正まで運行されていた。また、「白鳥」のサシ481はJR化後、スシ24形に準じた内装にリニューアルされていた。
      • その場合、2002年~2016年に八戸(2010年以降は新青森)-函館に運転されていた列車は引き続き「はつかり」を名乗っていた。
  6. 車両形式「シ」の知名度が史実以上に高かった。
  7. 在来線車両でも食堂車内を通過せずに車両間を移動する方法が検討されるようになっていた。
  8. 民営化や規制緩和の折り合いで史実以上に外部企業からのサービス提供が推進されていそう。
    • 人件費圧縮のためにセルフサービスの徹底などが推し進められていたか?
    • 特定企業とタイアップする場合も多い。
      • 食堂車のメニューだけに留まらず、「JRカレー」などと題した食堂車の味をそのまま再現したレトルト食品も市販されていた。
    • 日本レストランエンタプライズやJR東海パッセンジャーズといった構内営業者がマクドナルドや吉野家など有名ファストフードチェーンと合弁で会社を設立し、列車内での営業を行っていた。
    • 列車によっては和食がメニューから除外されていたかもしれない。
  9. 車両基地公開イベントで使用済みの食器が売られ、人気商品になる。
  10. 国鉄時代より「駅食堂とのバーターで食堂車を運営」していたので、車内販売ワゴン基地「でも」販売をしている形だったのでは?
    • 従ってほとんどが半室ビュフェ車で、一部の観光列車と寝台列車についているのが(正しい意味での)食堂車に???
  11. 回転率を上げるために時間制限が導入されていた。
    • 自由席車の客は利用お断りになっていた。食堂車内に入る時にはスタッフが検札を行っていた。
      • ドリンクだけの利用も禁止になっており、最低でも一品は料理を注文するシステムになっていた可能性が高い。
        • そのため自由席車にはドリンクの自動販売機が設置されていた。
          • さらにはおつまみやサンドイッチの自動販売機も設置されていた。
      • 食堂車連結列車は盆・年末年始・ゴールデンウィークなどの繁忙期は全車指定席になっていた。
        • みどりの窓口やインターネットで事前予約ができるようになっていた。
    • 長くても60分程度が時間制限の目安となっていた。半室ビュフェに関しては軽食のみの供用ならばこれよりも短くなっていたかもしれない。
      • さすがにその時間以内に食べきれない人もいるのでむしろ注文が終わったら即退場という方式のほうがありそう。
      • JR化以降の半室ビュフェはグリーン車の一角に飲食カウンター付きラウンジという形に変更され、グリーン車の客だけに利用を限定していた。
  12. 現在では接客を行うスタッフはほとんど非正規雇用。
    • 職場環境がブラック化していた恐れも十分ある。
      • 最悪の場合食堂車でもバイトテロが発生していた。
      • さすがに夜行列車の食堂車の従業員がテーブルの上で寝る(種村直樹の著書にそういう記述があった)ことはないはず。
  13. 食堂車の事業を行う会社を保護するため「駅ナカ」などでの弁当販売に規制が加えられた可能性もある。
    • 日本での食堂車衰退の一因として弁当の習慣が広く浸透していることを挙げる見方がある。
    • 駅ナカ自体は史実通り存在するだろう。長距離需要が食堂車、短距離需要が駅ナカに振り分けられるだけだと思うし。
      • あまり規制をかけすぎると所謂「中食」の販売まで規制されそうだから、民営化後は双方の便宜を図りつつうまい事調整するようになっていたんじゃないだろうか。
    • あるいは駅そばや駅弁が史実以上に衰退して駅構内に供食設備がない駅が続出したのが食堂車連結存続の要因になった。
      • むしろ食堂車が今も盛んだったら駅そばと駅弁の衰退もなくその業者も食堂車に参入していた。
  14. 一部の線区ではかつて存在していたような特定の料理に特化したものが再び登場する。
    • と言うか民営化により三島会社を中心に地域特化が進むはず(特にJR九州)。故に会社や路線によってメニューが異なっていても全くおかしくはない。
    • 東海道線急行でおなじみだった寿司ビュッフェの復活はどこかで実現しているはず。
    • 鉄道ならではの雰囲気を出すため途中で通過・停車する地域の名物料理を充実させた列車も出てくる。
  15. 鉄道博物館で各列車の食堂車のメニューを再現したものが食べられるようになっていた。
    • リニア・鉄道館の0系・100系食堂車が館内で営業を再開していた可能性もある。機器更新が壁になりそうだけどやろうと思えば何とかなるはず。
    • 現実では尾久に留置中のオシ24形700番台が展示・利用される。
      • 北斗星の運行終了後はスシ24も追加される。また、京都鉄道博物館でもトワイライトエクスプレス用のスシ24が同様の扱いで保存されていた。
        • 場合によってはサシ481に外観を復元される可能性もありえた。
    • 利用客の殺到を避けるためにも、食堂車内での飲食に関しては事前予約制かつ交代制にしていたと思われる。一方でメニュー自体は館内の食堂で食べられるようにはしていただろう。
      • 雰囲気を出来るだけ同じにするためにも(?)、館内の食堂の一部も151系などの食堂車をイメージした内装になっていたかもしれない。
      • 車内での営業は弁天町にあったナシ20と同じように土休日・春休み・夏休み・冬休みのみになっていたかもしれない(平日の来館者は児童などを中心とした団体客が多く食堂車の利用に結びつかないため)。
  16. 近鉄特急には今でもスナックカーのコンセプトを受け継ぐ車両が連結されていた。
    • 東武スペーシアのビュッフェのシートサービスも廃止されなかった。また、500系リバティにもビュッフェコーナーが設置されていたかもしれない。
      • 小田急の走る喫茶室は今も健在。
    • 伊勢志摩ライナーのシーサイドカフェはスナックコーナーとして利用され、現在でも供食サービスが行われている。
    • アーバンライナーにもスナックコーナーが完備されていた。
      • 「ひのとり」にも。
  17. 木村裕子や古谷あつみは鉄子タレントにはならず食堂車のサービス係(ウェイトレス)として勤務し続け、後に会計係を経て食堂長になっていたかもしれない。
    • 斉藤雪乃もタレントにはならずに本名の「斉藤尚子」として食堂車でウェイトレスになっていたかもしれない。
      • 斉藤雪乃=帝国ホテル列車食堂、久野知美=都ホテル列車食堂、古谷あつみ=ビュッフェ東京、木村裕子=日本食堂を起源とするJR関連会社となっていた。
  18. バラエティ番組でもよく取り上げられていた。
    • 「帰れま10」にも複数路線が登場している。
    • テレビ東京系の大食い番組では1両貸し切ってフードファイターによる対決の場にされていた。
  19. 現在までに「食堂車テツ」という人種が出現しているはず。
    • 多くは「飲み鉄」との兼任で、乗り鉄の中のジャンルの一つになっていた。
  20. 機内食のごとく有名なシェフや板前が監修した高級路線のメニューも登場する。
  21. 70年代に国鉄が研究を進めていたような「動くオートレストラン」が実現していたら人件費が浮くためまだ採算がとりやすくなっていたと思われる。
    • 展開次第では料理系自販機そのものの寿命も延びていた。
  22. 結局のところ「高くてメニューが多くもなく特別に美味しいわけでもない」という欠点を克服できるかにかかっている気がする。
    • 史実ではさらに所要時間の短縮も加わり街のレストランや弁当に敗北する原因となった。
    • 中国の在来線のように直火が使えるわけではないためメニューの本格化には限界があると思われる。
      • ただこれも近年のレトルト食品の発展やIHによる火を使わない調理法などで改善はされているだろう。
    • いや、熱源に関しては問題はない筈だ。実際の食堂車は電熱器だったが料理は基本手作りしていたらしいので。
  23. 近年では外国人観光客が主なターゲットになっている。
    • アリペイなどのスマホ決済にも当然のように対応。
      • これをきっかけにアリペイやクイックペイなどのスマホ決済で改札も通過できるようになっていた。
      • 当然クレジットカード決済が可能なのは言うまでもなく。
      • もちろんICOCAなどの交通系ICカード決済にも対応している。
    • メニューは日・英・中・韓くらいの併記になっている。
      • 北海道ではロシア語、中京地区ではポルトガル語も加わっている。
  24. 場合によってはアニメや漫画とタイアップしたメニューが提供されていた。
  25. 列車の車内販売も衰退することはなかっただろう。
    • 飲料自販機のラインナップももう少しバラエティに富んでいた。
  26. 平成以降に始まった一流ホテルも食堂車に参入していた。
    • ホテルザ・リッツカールトンや大阪コロナホテル辺りが食堂車に参入。
      • 帝国ホテルと都ホテルも食堂車から撤退せずビュッフェ東京のJR東海系列の会社との統合もなかった。
  27. 現在は車内での調理ではなく機内食のようにあらかじめ外部で調理済みのものを車内に持ち込む形になっていたかもしれない。それを車内の厨房で暖めていた。