もし1970年の大阪万博が○○だったら

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開催されていなかったら[編集]

  1. 大阪経済の地盤沈下はもっと深刻になっていた。
    • 大阪市は1970年代のうちに横浜市にはもちろんのこと名古屋市にも人口が抜かれていた。
      • 西日本における政治経済の中枢がアジアに近くて地理的条件の良い福岡市に移ってしまい、そちらの人口増加が現実以上に著しくなり人口が200万人台となった。それとは裏腹に大阪市の人口規模や国際的な格付けが、1990~2000年代には札幌市や福岡市とほぼ同じになった。
      • 関西国際空港が建設されなかった代わりに、羽田空港や成田空港、千歳空港の拡張や24時間化及び現在の北九州空港もしくは佐賀空港が福岡板付空港の狭小化に伴って、早くから滑走路2本を有する24時間空港と言う形で建設されていた。
      • 中部地方の位置付けが変わり、東海・北陸・近畿の三地区で構成される。それによって、甲信越三県と静岡県は本格的な関東地方への仲間入りを果たす事になる。同時にJR東海やNEXCO中日本は設立されていないし、「中部地方の中心は何処か?。」と言う名古屋市と大阪市との対立が勃発した。
      • いくら何でもそこまでの地方区分の変動が起きるとは考えにくい。
        • 京阪神と中京圏では人口や産業基盤など都市圏の基礎体力とでも言うべき部分の差がまだまだ大きいのでは。
    • 東京一極集中をさらに促進させることにもなった。
    • 北陸新幹線の金沢以西は計画が凍結されたか、建設されるにしても米原ルートにすんなり決定した。
  2. 地下鉄御堂筋線は現在も新大阪止まり。
    • もちろん北大阪急行電鉄も建設されなかった。
      • 開通していたとしても運賃は現在の市営地下鉄の1.5倍程度ぐらいまで上がっていた。
    • この場合、阪急千里線が千里ニュータウンのメインの交通機関となっていた。
      • 大阪市内までの所要時間は現実よりも長くなっている。
      • 千里ニュータウンは現実ほど発展しなかったかも。
      • 大阪モノレールも建設されていない。
    • 万博開催が決まる前にも御堂筋線の延伸計画はあったはず。
  3. 大阪市営地下鉄の路線網は現実の半分程度となっていた。
    • 少なくとも千日前線堺筋線は建設されなかったか開業が遅れていた。
      • もし堺筋線が開業した場合、直通相手は阪急ではなく南海になっていた。
      • 阪神なんば線は昭和のうちに開通していた(近鉄難波線の開通は数年ほど遅れた可能性もあるが)。
      • 四つ橋線の難波駅の駅名は今も「難波元町」のまま。
  4. 大阪市内の道路が貧弱になっていた。
    • 千日前通の道幅は昔のままで、虹のまち(現在のなんばウォーク)も建設されなかった。
    • 御堂筋は南行き一方通行にならなかった。
  5. 大阪市電の廃止が数年遅れていた。
    • 全面廃止は1977年4月の地下鉄谷町線都島-守口間開通時になっていた。
  6. この作品の内容が変わっていた。
    • 「ウルトラマン」の関西が舞台の回も史実とまったく異なる内容だった。
    • 映画「クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ モーレツ!オトナ帝国の逆襲」に関しても同じく。
  7. むしろつくばか東京近郊のどこかで万博開催。
    • 羽田の旧ターミナルが史実よりでかくなるので今も残存
    • サンシャイン60に匹敵する大型ビルは巣鴨拘置所跡地以外に誕生するなど、東京の超高層化は20年早かった。
    • 通勤五方面作戦や武蔵野線も現実より早く完成。
    • つくば万博の開催が15年早かった場合...
      • 常磐線15両化が早まり「サハ401」形が誕生していた。複々線化による快速の減車(10→8両)もない。
      • 「エキスポライナー」にキハ80系や旧型客車、急行形電車も動員される。
      • つくば市は昭和40年代に誕生。
      • 関鉄は常総線を早期に複線化し、筑波線や鉾田線の分離・廃止もなかった。
      • ひたち野うしく駅とTXも昭和のうちに開業。ただし名称が違ったかもしれない。
        • TXは国鉄の路線として建設されていた。
    • なお史実で名前が挙がっていたのは千葉県、山梨県、静岡県、「羽田空港跡地」。
    • そもそも日本ではなく対抗馬だったオーストラリアのメルボルンで開催された可能性もある。
  8. 岡本太郎の知名度が現実より下がっていた。
  9. 名古屋ではなく大阪が1988年のオリンピックを誘致しようとしていた。
  10. 70年代以降の三波春夫の人気や知名度は史実よりも低かった。
  11. 関西以外で「千里丘陵」を知る人はほとんどいない。
  12. 「博覧会→儲かる」という図式が広まらないため80年代からの地方博ブームはない。
  13. 70年安保も国民的な運動になっていた。
    • ベトナム反戦運動と結びついて60年安保以上の規模になっていた可能性も。
  14. 明治ブルガリアヨーグルトは誕生しなかった。
    • 缶コーヒーの誕生や日本でのファストフードの普及も遅れていた。
  15. 阪急南茨木駅は1970年の時点では開業していなかった。
  16. 関西圏の新快速の運転開始は1972年3月改正となっていた。
    • 茨木駅は1985年3月改正まで快速も通過していた。
  17. 東海道新幹線の16両運転開始は史実よりも遅れ、山陽新幹線岡山開業時となっていた。
  18. 同年4月に発生した天六ガス爆発事故が史実以上に大きく取り上げられていた。
    • 同年における大阪としては最大のニュースとなっていた。
  19. 堺屋太一が博覧会と深く関わることになる機会は確実に減っていた。
  20. 日本での万博初開催はおそらく90年代。
    • 92年セビリア万博と00年ハノーバー万博の間に日本開催の万博があったかもしれない。
    • あるいは史実で1990年に大阪で開催された国際花と緑の博覧会がさらに大規模になり、一般博となっていた。その場合会場は鶴見緑地ではなかったかもしれない。

別の時代に開催されていたら[編集]

当時のBIE規約では万国博覧会を開催する間隔は「2年以上」としか書かれていなかった。

  • 期間は1964年(大阪の前の一般博はシアトル・1962年、モントリオール・1967年)~1990年(大阪の次の一般博・セビリアが1992年)とする。
1964年
  1. 万博開催中に東海道新幹線が開通していた。
    • 史実では東海道新幹線開通は10月1日。大阪万博最終日は9月13日。
    • 1964年3月1日が開業日だった。
      • 地盤が固まらず開業時の所要時間が史実よりさらにかかっていた。
  2. 北大阪急行電鉄の開通も早まった。
    • 北大阪急行の開業時の車両は大阪市交50系に準じた3扉鋼製17m車で製造されていた。
    • 阪急千里線の北千里延伸も1964年3月に実現していた。
      • ただこの場合でも1964年に地下鉄堺筋線の建設や堺筋線との直通運転が実現したかどうかは微妙。
  3. カラーテレビ・クーラー・自動車が展示されていた。
    • 他のパビリオンも企業色全開のものになり海外メディアなどから酷評された。
      • その代わり3年後のモントリオール万博の日本館は史実より高い評価を受けている。
  4. 衛星中継実現の動機が万博になっていた。
  5. 参加国は確実に減っている。
    • 当時国交成立前の韓国や独立していなかったアフリカの一部の国が参加できなかった。
  6. もちろん日本の国際博覧会条約参加はもっと早い。
  7. 『愛と死をみつめて』の中で万博に言及しているシーンがあった。
    • 「ALWAYS 三丁目の夕日'64」でも何らかの形で登場していた。
  8. 40年不況はもっと深刻化していた。
1972年
  • 実際、1964年8月のある新聞記事には「72年に開催を延期する可能性がある」という趣旨の記述があった。
  1. 山陽新幹線全線開業が1972年だった。
    • 史実通り岡山開業なら九州方面のエキスポこだまも運行された。
      • もし1972年開催の場合、山陽新幹線岡山開業は万博に間に合わせる形になっていた。
  2. もしかしたら同年開催の札幌オリンピックとの連動企画も行われていた。
    • 万博の開会式より前にオリンピックが終わっているのでそれは考えにくい。
  3. マクドナルドが会場内に出店していた。
    • カップヌードルの自販機も置かれており、売店でも売られていた。2月のあさま山荘事件とともにカップヌードル大ヒットのきっかけとして後々まで語られる。
  4. 赤軍派によるテロの標的にされた恐れあり。
  5. 会期中にセイロン館が「スリランカ館」に変わった。
  6. 沖縄が日本に復帰した5月15日には沖縄舞踊などが披露された。
  7. 佐藤栄作首相の退陣時期に影響があったかもしれない。
  8. この年に発生した羽田やニューデリーでの日航機事故に万博関係者が巻き込まれていた恐れがある。
  9. 放送期間の前半分が会期と重なったであろう「ウルトラマンA」にも万博ネタが登場していた。
  10. 1972年は現実以上に後々まで語り継がれる年となっていた。
1975年
  • 1970年に開催できなければ、1975年開催、そのときは
  1. 沖縄海洋博がない。したがって沖縄の街並み発展が遅れる。
    • 沖縄の街並みが発展するのは1980年代後半のバブル期になってから。
  2. オイルショックで万博の内容が愛知万博を先取りしたような省エネ型、そして不況型に
    • ただし、開催により日本はいち早くオイルショックから脱出。
  3. 山陽新幹線は万博を前に博多まで全通していた。
  4. 12系客車の登場が遅れた。
    • むしろ12系よりも14系座席車の方が史実以上に製造されていた。
  5. 沖縄海洋博はなかったか、1980年代に開催されていた。
    • 1980年代に開催されていたら史実より規模が大きかった。
      • 沖縄への観光客が増加していることもあり、入場者数も増えていて、黒歴史扱いにされることはなかった。
      • 本土における沖縄ブームは史実より10年以上早く到来していた。
  6. ボイジャー計画に関連した展示物も出展していた。
    • アポロ・ソユーズテスト計画もけっこう大きく扱われた。
  7. 中華民国ではなく中華人民共和国が参加した。
    • 日本との国交成立後のためモンゴルも参加できた。
  8. 反博運動はそこまで過熱しなかった。
  9. ザ・ピーナッツの最終公演が万博会場で行われたかもしれない。
  10. サイゴン陥落により南ベトナム館は会期途中で閉鎖された。
  11. この年の阪急ブレーブスの日本一が万博と結び付けられて語られることもある。
    • 同じ年なこともあり関西の街の盛り上がりが現実以上のものとなった。
1985年
  1. これから始まるバブル景気の始まりを象徴するイベントとなっていた。
  2. 1990年の花博は開催されなかった。
    • 代わりにつくば科学万博が1990年開催となっていた。
  3. 人口の多い団塊ジュニア世代は小中学生時代にこの万博を経験していた(特に関西在住)。
    • 彼らにおける思い出話にこの万博がよく出てくるようになっていた。
  4. 同年8月に発生した日航123便墜落事故の犠牲者の中にも万博に向かう乗客が含まれていた。
  5. 同年における阪神タイガースのリーグ優勝・日本一が万博と結び付けられていた。
    • もしかすると関西の街の盛り上がりが現実以上のものとなっていたかもしれない。
  6. 当時の人気番組だった「夕やけニャンニャン」が万博会場から生中継されていた。
    • おニャン子クラブのライブも行われていた。

別の場所で開催されていたら[編集]

全般
  1. 千里ニュータウンの発展が遅れた。
    • ニュータウンのメインアクセスは阪急千里線となっていた。
  2. 北大阪急行電鉄は建設されなかったが、建設されていても1970年代後半以降の開業となっていた。
    • 運賃も現実よりも高くなっていた。
  3. ガンバ大阪の本拠地は千里ではない。
  4. 阪急南茨木駅の開業は1990年の大阪モノレール開業時となっていた。
  5. 地下鉄堺筋線は南海と相互直通運転をしていたか、もしくは相互直通を一切考慮しない第三軌条方式で建設されていた。
  6. 万博開催が関西地方の他の場所で行われた場合、阪急は新大阪線を建設し、見物客を宝塚などの沿線に誘致しようと図っていた。
千葉県
  • 最終的に関西に開催地が決まる以前は千葉県で開催することも検討されていたそうです。
  1. 開催場所は東京湾岸の埋立地が有力。
    • その場合、東京ディズニーランドが現在地にできなかった可能性がある。
    • 開催地が現在の千葉ニュータウンあたりだった場合、北総鉄道は万博に合わせて開業していた。
      • 万博で稼ぎに稼ぎまくったので、高運賃に悩まされることもなかった。
      • 千葉ニュータウンは現在では人気の住宅地となっている。
  2. 成田空港は万博に合わせる形で開港していた。
    • 史実での苦戦ぶりからして建設地が変更されていた公算が大きい。
    • 都心と成田空港を直結する鉄道新線(成田新幹線もしくはスカイアクセス線)が万博にあわせて開業していた。
  3. 1970年代における京成電鉄の経営悪化はなかった。
東京
  • 日本万国博覧会において事務総長理事を務めていた鈴木俊一は最後まで首都圏開催を主張していた。
  1. 世界都市博覧会は計画すらされなかった。
  2. 1940年の東京万博のリベンジだと言われていた。
  3. 開催場所は晴海か。
  4. 総入場者数が7,000万人を超えていた。
  5. 代わりに国際科学技術博覧会が近畿で開かれていた。
    • 会場はけいはんな学研都市だろうか?もしそうだったら片町線は科学万博開催に合わせて全線電化されていた。
      • 京田辺市の市制施行も早まっていた。
      • 快速運転開始も早まっていた。
        • 万博期間中に「エキスポ快速」として運行したのがきっかけで、その後快速運転が定着した可能性が高い。
      • 大量の万博来場客を捌くため、電化と同時に全線が7両編成対応になっていた。
      • 近鉄京都線でも科学万博に合わせてさまざまなムーブメントが行われていた。
        • 京都市営地下鉄への直通運転も史実より早く実施されていた。
        • 新田辺駅は万博に合わせて大規模な改築工事が実施され、万博期間中は特急も臨時停車していた。
        • 難波-新田辺間にも特急を含む臨時直通電車が運行されていた。
    • その場合1990年の国際花と緑の博覧会は大阪で開催されなかった。
  6. 東京への一極集中が現実よりも早まっていた。
  7. 1988年夏季五輪の開催地に大阪が立候補していたかも。
    • 国内候補地選定で名古屋市と争っていた可能性もある。
  8. 都電の廃止ペースが史実より早まっていた恐れあり。
    • その代わり大阪市電の廃止のペースは史実より遅くなり、全廃は谷町線守口延伸直前の1977年3月末となっていた。
山梨県
  • 最終的に関西に開催地が決まる以前は山梨県で開催することも検討されていたそうです。
  1. 開催場所は恐らく富士五湖周辺。
  2. 静岡県で開催された場合と同様、万博会場から富士山が見えることが魅力となっていた。
  3. 中央自動車道の河口湖以東は万博を見据えて開通したことになっていた。
  4. 富士急行が万博輸送に大活躍した。
    • 運賃も現実よりかなり安くなっていた。
    • 「富士急ハイランド」が「エキスポランド」と呼ばれていた。
  5. 山梨県が現実ほど地味な存在になっていなかった。
  6. 会場跡地の利用がなかなか進まなかったかもしれない。
  7. 石和温泉や昇仙峡、身延山も万博客で史実以上の賑わいとなっていた。
  8. 中京・関西方面からの利便を図るため、東海道新幹線の新富士駅は万博に合わせて開業していた。
静岡県
  • 当初会場予定地には静岡県も立候補していたようです。
  1. 万博会場から富士山が見えるのが魅力になっていた。
  2. 県内のどこに会場ができるのかにもよるが、東海道新幹線の新富士・掛川のいずれかは万博開催に合わせて開業していた可能性がある。
    • 駅名は万博会期中は「万博中央口」とかになり、終了後に現駅名に改称されていた。
    • 会期中は全部あるいは一部の「ひかり」も停車していた。現実と異なり島式2面4線ホームになっていた可能性もある。
  3. 富士山静岡空港は万博開催を前に開港していた。
    • 空港名も当初は「静岡空港」だった。
  4. 本田技研工業・ヤマハ・河合楽器製作所などの県内の有力企業もパビリオンを出していた。
  5. 静岡市か浜松市のいずれかが20世紀中に政令指定都市に昇格していた。
    • 特にその2都市以外の場所で行われた場合は結局史実と変わらないような気もする。
  6. タミヤ(当時の田宮模型)が全パビリオンのプラモデルを発売していた。
  7. 静岡県パビリオンでは「浜名湖遷都構想」に関する展示も出していた。
守山市
  • 滋賀県は琵琶湖大橋東側付近の守山市木浜地区への会場誘致を目指していた。
  1. 会期中には一部の特急・急行が守山駅に停車していた。
    • 新快速は万博輸送のため1970年3月に姫路・西明石~野洲間で運転開始していた。
  2. 守山の市制施行がやや早まっていたかもしれない。
  3. 混雑緩和のため水上交通も活用された。
    • 湖東・湖北から会場内の港へ向かうアクセス航路が運航された。
  4. 近江商人が興した大企業が共同でパビリオンを出展していた。
  5. 愛知県が05年の万博誘致を発表した際に名古屋市守山区が何らかのアクションを見せていた。
  6. 万博期間中東海道新幹線の京都~米原間に臨時駅が設置されていた。
    • 会場へはここからモノレールorバスでアクセスしていた。モノレールの場合は守山駅も経由していた。
    • 万博終了後この臨時駅は一旦廃止されるが、用地があるので後年南びわ湖駅として復活していた。
    • ホームは2面4線になり、全部あるいは一部の「ひかり」が停車していた。
  7. 滋賀県の人口増加のペースが現実よりも早かった。
  8. 湖西線は万博開催に合わせて開業していた。
    • 会期中は一部の特急・急行が万博会場の対岸にあたる堅田駅に停車していた。
    • 江若鉄道の廃止も早まっていた。
  9. 琵琶湖大橋が連絡道路として大いに機能し、レインボーロードは万博に因んだ愛称となった。
    • 万博開催を前に片側2車線、計4車線に拡幅されていた。
    • 同時に名神栗東ICに直結し会場を経由して琵琶湖大橋に直結する連絡道路も建設されていた。
  10. ピエリ守山のある位置は万博記念公園かもしくは何らかの施設となり、開業されなかったかもしれない。
  11. 京阪は万博期間中淀屋橋~浜大津の直通電車を運行していた。
    • 三条駅の本線と京津線の連絡線は万博終了まで存置された。
    • 万博観覧はもちろんのこと、滋賀県への観光客誘致の意味も込めて運行されていた。
    • 浜大津港からの航路も運航され、京阪は電車と湖上アクセス航路の乗り継ぎによる万博アクセスをPRしていた。
    • 特急用3000系(初代)は万博アクセスも兼ねて史実より1年早く登場していた。
大阪市
  • 大阪市は当初大阪南港での開催を主張していた。
  1. 万博後にいくつかの建物はフェリーターミナルなどへ転用された。
  2. 地下鉄中央線がメインゲートのそばまで延伸された。
    • 阪神なんば線も万博に合わせて実現していたかもしれない。
  3. 海上輸送が使えるため史実より大きな展示物を運び込めた。
  4. 決定時に大阪府が「大阪市は万博の利益を独り占めしようとしている」と批判していた。
  5. ニュートラムは、もっと早く開通していた。
    • 新交通システムではなくモノレールになっていたかも。
    • 地下鉄四つ橋線は万博開催に合わせて住之江公園まで延伸されていた。
      • あるいはニュートラムやモノレールではなく四つ橋線そのものが万博会場まで延伸され、万博期間中は御堂筋線直通の新大阪~万博会場直通列車が運転されていた。場合によっては万博終了後も御堂筋線直通が残された。
  6. 近鉄名阪特急の利用客回復が早まった。
  7. 1990年の花博は千里か泉北で開催された。
  8. ガンバ大阪の本拠地も南港にできていた。
  9. 阪神高速湾岸線の堺以北は万博に合わせて開業していた。
    • 南海沿線からのアクセスとして堺・堺東駅からシャトルバスが運行されていた。
      • 国鉄長居駅からも阪和線からのアクセスとしてシャトルバスが運行され、万博期間中は長居にも快速・区間快速が臨時停車していた。
    • 港大橋が大阪万博の象徴となっている。
  10. 2025年の大阪万博招致構想の開催地が夢洲以外になっている。
神戸市
  • 候補地の一つに「神戸市東部埋立地」があった。
  1. 史実の六甲アイランドに相当する位置か。
    • ポートアイランドかも。
  2. 神戸市電や阪神国道線の廃止がやや早まった。
  3. 大阪南港の場合と同じようにこちらも海上輸送を活用できた。
  4. もちろんポートピア81は開催されなかった。
    • 代わりに1980年代に大阪で博覧会が開催されていたかも。
    • 日本最初の新交通システムは大阪のニュートラムとなっていた。
  5. UCCはこの博覧会から自社パビリオンを出していた。
  6. 阪神淡路大震災で万博の遺構に被害が出ていた。
  7. 山陽新幹線の岡山開業は万博開催に合わせて行われていた。
    • そこまでいかなくても西明石・あるいは姫路まで部分開業していたかもしれない。
  8. 阪神なんば線が万博までに開業できていたかも。
    • 万博期間中は近鉄の名阪・阪伊・阪奈特急の一部が阪神三宮まで延長運転されていた。
    • 阪神電鉄自身も万博会場への路線を建設していた。
      • 阪神電鉄は万博で大儲けできていたため、球団に金をかけることができ、1970~80年代における成績の低迷は現実ほどではなかった。
        • 1970~85年の間に何度か優勝できていた。特に1973年は阪神がリーグ優勝し、巨人のV9を阻止していた。
      • ポートライナーは建設されなかった。
  9. 神戸高速鉄道は万博開催が開業のきっかけになっていた。
    • 阪神・阪急梅田~山陽姫路間の直通特急は万博を機に運行開始されていた。
    • それに対抗する形で国鉄も新快速を史実より半年早く運行開始していた。
東大阪市
  • 大阪万博の誘致に積極的に取り組んでいた近鉄は、東大阪市で開催する計画も持っていたようです。
  1. 会場は花園中央公園とその周辺になっていた。
    • 「万国博記念近鉄ラグビー大会」が開催されるかもしれない。
  2. 会場へのメインアクセスは近鉄奈良線で、東花園駅が万博期間中だけ「万国博中央口」駅に改称されていた。
    • 他のアクセスとして近鉄東大阪線が万博に合わせて会場最寄りまで開通していた。
      • 生駒・学研奈良登美ケ丘までの延伸は史実通りだろう。
      • 奈良線の東花園検車区の北側に東大阪線の車両基地を、併設して仮乗降場「万国博東口」駅を設置し、会期中はそこへの回送線を利用して輸送が行われる。
        • 東大阪線車輌の大規模検査のための回送は、この車両基地と東花園検車区を接続したルートを介して行われるようになる。
    • 阪神なんば線も沿線の反対運動に遭いながらも万博開催に合わせるように開通し、神戸方面からの万博アクセスとなっていた。
      • 会期中には山陽姫路からも万博会場への直通特急が運行されていた。
    • 近鉄大阪線沿線とのアクセスには恩智駅が、国鉄関西線沿線とのアクセスには志紀駅が活用され、志紀駅・恩智駅と万博会場を結ぶシャトルバスが運行され、万博期間中は恩智駅にも準急が臨時停車していた。
    • 布施駅周辺の高架化及び鶴橋-布施間の方向別複々線への変更も万博に合わせて実施されていた。
    • 奈良線では料金不要特急の快速急行への種別変更も史実より早く1970年3月1日に実施されていた。会期中は万国博中央口駅(史実の東花園駅)にも快速急行を含む全列車が停車していた。
    • おおさか東線万博を前に開業していた。
      • 万博期間中は近鉄奈良線の優等列車が河内永和駅に臨時停車していた。
  3. 万博期間中は名古屋から会場まで近鉄特急が直通していた。
    • 橿原線奈良線経由の名阪乙特急が生まれ、万博終了後は従来の大阪線経由をノンストップ特急専用にしていたかもしれない。
      • この場合の名阪乙特急は、橿原線の大和西大寺から大阪線の伊勢中川まで京都伊勢間特急との併結運転とされる。
    • これを機に新青山トンネルが早期に建設されれば、1971年の特急正面衝突事故は発生しなかった。
      • 工期上の関係もあって史実の新青山トンネルのルートではなく、旧東青山駅を通る旧来のルートで複線化されていた可能性も強い。
    • 会期中は観客の京都への誘導を目論み、臨時で京都発着の直通特急も運転された。
  4. 東大阪市のイメージが大きく上がっていた。
    • 「中小企業の町」ではなく「万博が開催された町」というイメージになっている。
    • 人口も現実よりも多く、2017年現在50万人を割ることはなかった。
    • 布施・河内・枚岡三市の合併直後で成立間もない東大阪市にとっては万博が市のPRの良い機会となっていた。
  5. 万博会場と生駒山上をロープウェイで結んでいた。
    • 生駒山上にも会場が作られていたかも。
  6. 花園周辺の町の様子が現実と大きく変わっていた。
  7. 近鉄は球団もOSKも手放さずに済んだかも。
    • 万博終了後に花園に球場を作り、そこに本拠地を移転していた。
  8. 大阪府の南北格差が現実よりも小さくなっていた。
    • 現実ほど北摂偏重にならなかった。
  9. 荒本の新市役所も現実より早く完成していた。
  10. 太陽の塔は生駒山を背に西を向いて立っていた。



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