もしSASUKEが○○だったら

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大会別[編集 | ソースを編集]

第1回・1997年秋[編集 | ソースを編集]

SASUKEオールスターズ全員が出場していたら
  • 実際に出場していたのは山田勝己と山本進悟。では他の4人も出場していたら?
  1. 初回で慣れていないので完全制覇は出来なかっただろう。
  2. 1stステージは凡ミスをしなければ全員がクリアしていた。
  3. 2ndステージが鬼門だったか(上記の2人もここでリタイア)。
    • 竹田はスパイダーウォークでリタイアし、秋山と白鳥はタイムアップ、長野はクリアしていた(いずれも史実の2nd初挑戦時の結果に基づく)。
    • 長野も3rdステージ・ポールブリッジかファイナルステージでリタイアしていたか。
  4. 竹田はこの時から出場していればファイナル進出&完全制覇していたかもしれない。
完全制覇者が出ていたら
  1. 第2期SASUKEは2年ほど早く始まっていた。
    • いきなり陥落したことで大団円を迎え、そのまま1回限りで終了していたかも…?

第3回・1999年春[編集 | ソースを編集]

山田勝己が完全制覇を達成していたら
  1. 山田はとっくにSASUKEから引退していた。
  2. 彼が本番組や後の出場者達、ひいては本人やその周囲に及ぼした影響もさほど大きくなっていなかった。
    • 「ミスターSASUKE」と呼ばれることはなかった。
      • 代わりに他の誰かがそう呼ばれていたかも。
    • 長野がSASUKEに出場することもなかった。
    • SASUKEが現実ほど人気が出ることはなかっただろう。
      • 番組自体も筋肉番付終了と同時に無くなっていた可能性もあった。
    • 山田一家が崩壊することはなかった。
    • 山田軍団「黒虎」は存在していなかった。
    • 後のテレビ・CM出演等も実現していなかった。
      • 「ZONE」等の特集番組には出ていたかも。
  3. 第4回から山田のトレーニングを参考として作られたクリフハンガーが登場することもなかった。
    • もしくは登場が数年遅れていた。
  4. ジャンプハング、そりたつ壁などの新設が1大会早かった。
    • そのため秋山は完全制覇できなかったかもしれない。

第4回・1999年秋[編集 | ソースを編集]

大森晃が1stステージでリタイアしていなかったら
  1. 3rdクリフハンガーあたりまでは進んでいたか。
    • 仮にファイナルに進出していたら、史上最多となる4大会連続ファイナリストとなっていた。
秋山和彦が3rdステージでリタイアしていたら
  • 最後のパイプスライダーの着地(史実ではギリギリで成功)に失敗していたら…?
  1. SASUKE史上初となる3rdステージ全滅で終了していた(実際は第5回)。
    • 山田のクリフハンガーリタイアは史実よりも注目されていた。
  2. 秋山は翌大会でリベンジし史実通り制覇していたかもしれない。
    • 彼の後に続く制覇者もいたかもしれない(山田・山本・トラビス辺りか)。
トラビス・アレン・シュレイダーの3rdステージ・パイプスライダーでの失格がなかったら
  1. そのまま秋山と共にファイナルに進出していた(放送ではカットされたが、その後何事もなくゴールに到達していたらしい)。
  2. 米海軍という職業上ロープ登りは得意だが、大柄な体格ゆえに完全制覇していたかどうかは微妙なところ。
    • 仮に制覇していたら、日米両方でその名が知れ渡りNinja Warrior(SASUKEの海外版)も史実より早い時期に始まっていた。
    • 後年の大会にも出場したり、会場に顔を出したりしていた。

第5回・2000年春[編集 | ソースを編集]

竹田敏浩が1stステージをクリアしていなかったら
  1. どのように脱落していたかによるが、尺の都合で放送されていなかったかもしれない。
  2. SASUKEに出場し続けることはなかったかもしれない。
    • 仮に今回限りの出場となり通常通り放映されていた場合、彼の名前は「竹田敏"弘"」と今日まで間違われたままとなっていた。
      • 「史上最強の消防士」としてSASUKEで活躍することはなかった。
    • 逆に続投していた場合、最初のクリアは第6回以降であり、印象は薄くなっていた。
  3. 1stクリア者は2人と第19回に並ぶ最低記録に。
    • そして、最初のクリア者がゼッケン98番の山本進悟となり、今日に至るまでの歴代最遅記録となっていた。
山田勝己が1stステージ・ローリング丸太で着水失格となっていたら
  1. 丸太脱線の危険性を史実よりも多く知らしめることになっていただろう。
  2. 山田は「丸太の人」、「丸太の山田」などといった渾名で呼ばれていた。
2ndステージで全滅していたら
  1. 2nd全滅が実際よりも14大会・7年半早く起きていた。
    • 第19回は2度目の事態だった。
  2. 3rdパイプスライダーまで進出した史実とは回の印象が全く異なっていた。
    • 「史上最悪の大会」、「難易度を上げ過ぎた結果がコレ」などと言われていた。
    • それにより翌大会以降1st、2ndの難易度を落とすためにエリア変更やマイナーチェンジがなされ、結果的に第2期全体の3rd進出者は実際より多くなっていたかもしれない。

第6回・2000年秋[編集 | ソースを編集]

山田勝己の3rdステージでのコースアウトがなかったら
  1. 第2期ファイナルが半年早く見れた。
  2. 初見なので山田は完全制覇できなかっただろう(長野も4回掛かっている)。
    • しかし第10回もファイナルに進出し、完全制覇していたかもしれない。

第8回・2001年秋[編集 | ソースを編集]

ヨルダン・ヨブチェフが1stステージで時間切れになっていたら
  • 「残り0秒00でクリア」という奇跡的な記録を残したが、仮に時間切れで終わっていたら?
  1. 結果が評価されず、1回限りの出場で終わっていた可能性があった。
  2. 「3rd最初の挑戦者がファイナル進出」という例は現在に至るまでない。
    • 「3rdのトップバッターは必ずリタイアする」というジンクスが現在まで続いていた。
  3. 初出場でのファイナル進出は第37回のレネ・キャスリーまで途絶えていた(第3回以来20年ぶりになっていた)。
山田勝己がそのまま引退していたら
  1. 伝説の挑戦者として名を刻んでいた。
    • 上記の第3回制覇パターンと同じく、彼がSASUKEに与えた影響は史実よりも少なかった。
    • 山田は過去の人となり、今のSASUKEファンの多くは山田のことを知らない。
    • 後年の出来事(黒虎結成・バラエティ出演等)も幻に終わっていた。
      • 一方でケイン・コスギのように後年の大会で復活を果たしていたかもしれない。
  2. 長野は出場し続けなかったかもしれない。
  3. 山本と竹田は何回かゼッケン100番や99番を経験していた。
  4. おそらく筋肉番付打ち切りとともにSASUKEも第10回で打ち切りになっていた。
ファイナルステージで雨が降っていなかったら
  1. ケインは史上2人目の完全制覇を達成していた。
    • いや結局あと数メートル止まりだったか。
  2. ヨブチェフが制覇していたかどうかは何とも言えない。
    • 開始後数秒のタイムロスがあったので制覇は無理だっただろうが、少なくとも綱登りまでは到達していただろう。
      • ヨブチェフのタイムロスは大雨でスタート音が聞こえなかったのも要因の1つなので、晴天であればタイムロス自体なかった可能性も。そうであれば制覇の確率は少なからずあったということになる。
  3. あの名実況「ケインの悔し涙かこの雨はー!!」は聞けなかった。
    • そのため彼の脱落後の様子は史実よりも地味なものとなり、以後の大会にも普通に出場し続けていたかもしれない。
  4. 第24回大会ファイナリストの橋本の出場はなかった。

第9回・2002年春[編集 | ソースを編集]

山田勝己の地下足袋でのタイムロスが無かったら
  1. スパイダーウォークを無難にクリアしていれば、そのままつつがなく3rdに進出していた。
    • 場合によっては自身初の最速タイムを出していた(史実ではスパイダーウォークで17秒ロスしウォールリフティングの2枚目でタイムアップ。その回の最速タイムは山本進悟の11秒69なので充分あり得る)。
  2. 史実の第10回の展開が、今大会で起きていた。

第10回・2002年秋[編集 | ソースを編集]

山田勝己が1stステージでリタイアしていたら
  1. 史上初のSASUKEオールスターズ1st全滅となっていた(実際は第19回)。
  2. 2nd以降の印象はかなり薄くなっていた。
    • 最終競技者&最優秀成績は池谷直樹であり、彼の方が注目されていた。
  3. 「俺には、SASUKEしかないんですよ。」という名言も生まれなかった。
    • むしろ再び引退を考えていたかもしれない。
山田勝己が3rdステージをクリアしていたら
  1. 初見である場合、やはり完全制覇は難しかっただろう。
    • 上記の通り第6回でもファイナルに進出していた場合はこの回でリベンジを果たしていたかもしれない。
  2. いずれにせよ、山田と大会の印象は史実とは大きく変わっていた。
    • 「仲間たちが1stで散った中、よくここまで来た!」という感じで前向きに受け止められていた。

第12回・2003年秋[編集 | ソースを編集]

山田勝己が手袋で失格にならなかったら
  1. 3rd進出者は史上最多タイの11人となっていた。また、第6回以来となる「2ndで脱落者が出なかった回」となっていた。
  2. SASUKEオールスターズ全員が3rdステージに進出していた。
  3. 山田自身はまたパイプスライダーでリタイアだったか。
    • 山田が「手袋の人」とかいわれることはなかった。
  4. 山田が第13回への出場を辞退することはなかった。その上、第14回以降も1stをクリアしていた。
長野誠が完全制覇を達成していたら
  1. 1stはクロスブリッジとジャンプハングのマイナーチェンジ版、2ndはメタルスピン、3rdはカーテンクリング・ジャンピングバー・デビルブランコが第3期SASUKEのエリアとなっていた。
    • ジャンピングスパイダー、サーモンラダー、新クリフハンガー、グライディングリングなどは登場しなかった。
  2. SASUKE第3期が実際より3年早く訪れていた。
    • 史実の第13~17回がそのまま3期となっていた。
    • ジャンピングスパイダー、サーモンラダー、フライングシュート、グライディングリング等といった実際の3期に登場したエリアは存在しなかった。
      • あるいは第4期以降に持ち越しとなっていた。
    • 史実通り第17回でも制覇していた場合、長野は史上初となる二度の完全制覇達成者となっていた。
  3. ゼッケン100番での完全制覇が17年早く実現していた(実際は第38回)。
  4. 山田はこの大会を最後に引退したかもしれない。

第15回・2005年夏[編集 | ソースを編集]

長野誠が2ndステージのメタルスピンでリタイアしていなかったら

第15回では、7人が2ndに進出し、2ndにおける6人目の挑戦者まで6人連続で2ndクリアしましたが、同大会の2ndの最後の挑戦者である長野誠が2ndのメタルスピンでリタイアしたため、同大会唯一の2ndリタイア者となり、第6回以来2度目となる「2ndで脱落者が出なかった回」とはなりませんでした。では、もし彼がリタイアしていなかったら?

  1. 長野は間違いなく2ndをクリアし3rdに進出していたので、第6回以来2度目となる「2ndで脱落者が出なかった回」となっていた。
  2. その後の大会において、長野がメタルスピンに不安意識を持つことはなく、実況やナレーションなどによってメタルスピンが「長野にとっての鬼門」とかといわれることもなかったんだろう。
  3. 第16~18回も史実通り3rd進出していた場合、竹田とともに第11~18回まで8大会連続の3rd進出となっていた。
    • 竹田は第11~17回である(7大会連続)。
  4. 場合によっては次の回でメタルスピンが撤去されていた。次回以降存続してリタイア者が史実どおりでも18回で撤去された可能性も(第3期で2ndの既存エリアで唯一存続したのは長野を落としたエリアというのが大きいだろうから)。

第17回・2006年秋[編集 | ソースを編集]

竹田敏浩がファイナルステージに進出していたら
  1. オールスターズ全員がファイナル経験者となっていた。
  2. 職業柄、ロープ系エリアが得意とされていた竹田は長野と共に完全制覇を達成していたかもしれない。
長崎峻侑が完全制覇を達成していたら
  1. おそらく第18回からオールスターズの仲間入りを果たしていた(現に第19回で実況が長崎のオールスターズ入りを匂わせるような発言をしていたため)。
  2. 第20~28回までの間欠場することもなかっただろう。
    • 弟の剛政も「完全制覇者の弟」という肩書で実際よりも多くSASUKEに出場していたかもしれない。
長野誠が完全制覇を達成していなかったら
  1. どのみち数大会以内に達成していただろう。
  2. 仮に達成出来ないまま今日に至っていたら?
    • 長野もSASUKEも現実ほど有名にはなっていなかった。
    • 最高成績は第12回(0秒11遅れ)となり、山田に代わって「頂点に最も近づいた男」と呼ばれていた。
      • 逆に秋山はオールスターズ唯一の完全制覇者として史実より知名度が上がっていた。
    • 山田から本当にミスターSASUKEを襲名していたかもしれない。
      • 逆に山田の存在感は薄くなっていたかもしれない。
      • ニックネームは「無冠の帝王」、「第2の山田」だった。

第19回・2007年秋[編集 | ソースを編集]

長野誠が1stステージをクリアしていたら
  1. 史実の第20回のような展開になっていた。
    • 2nd以降は第20回か第21回のようになっていた。
    • 2nd全滅は回避されていた可能性があった。
  2. 1stクリア者は3人と、最低記録としては第5回・20回に並んでいた。
2ndステージクリア者が出ていたら
  1. SASUKEにおける2nd全滅例は未だに存在していない。
    • KUNOICHIの第1回(2001年)のみが該当していた。
  2. 大会の印象は史実と大分違っていた。
    • 2ndで日本人が全滅した第20回の方がむしろ印象が良くなかった。
  3. あの幻のエリア、スカイウォークも勿論使われていた。
    • 同じく使われなかった3rdのセンディングクライマー(ハングクライミングの前身)も使われていたかも。
  • 山田康司がクリアしていたら
  1. 新クリフハンガーはクリアしていただろうか?
  2. 第20回以降も出場していたかもしれない。
  • 鷲見裕二がクリアしていたら
  1. 最後の1人という事もあり、「SASUKEの危機を救った男」と言われていた。
  2. 3rdは新クリフハンガー(あるいはその前)でリタイアしていた。
  • 2人ともクリアしていたら
  1. 第6回以来の「2nd脱落者がいない回」になっていた。
  2. 「オールスターズをも苦しめた史上最高難度の1st、2ndを破った2人の男」として知られていた。

第21回・2008年秋[編集 | ソースを編集]

佐藤惇が1stステージをクリアしていたら
  • 現在パルクール指導員で森本世代の一員でもある佐藤惇は今大会が初出場(現時点で唯一の1st脱落回)。
  1. 今日に至るまで1st不敗記録を維持していた。
    • 最近の大会の選手紹介時に「1st無敗のスピードスター」と呼ばれていた。
  2. 当時の1stクリア最年少タイ記録(16歳)となっていた(現在は14歳)。
長野誠が3rdステージをクリアしていたら
  • 最終エリア・グライディングリングが第22~24回のように滑り易くなっていたら腕に疲労が溜まることなくクリア出来ていた。
  1. おそらく2度目の完全制覇を達成していた。
    • 当初は制限時間が45秒もあったことや史実(第23回)での彼のペースを考慮すれば初挑戦でも時間的余裕はあったと思われる。

第23回・2009年秋[編集 | ソースを編集]

長野誠のセット不備によるやり直しがなかったら
  1. 1st再挑戦の疲労がたまることなく、2度目の完全制覇を達成していた。
  2. 実況による「ミスターSASUKE、それは長野誠だ!」という恰も山田からその称号を襲名させるような発言もなかった。
高橋賢次が3rdステージをクリアしていたら
  1. ファイナルステージは当時実況がやたら強調していた新世代VSオールスターズに加え、VS古参(コング?)という三つ巴の構図になっていた。

第24回・2010年元日[編集 | ソースを編集]

山田勝己が今回限りで本当に引退していたら
  1. やはり伝説となっていた。
    • 脱落直後のそり立つ壁の前で仰向けになるシーンは、彼のSASUKEにおける最後の姿として語り継がれていた。
  2. ミスターSASUKEの称号は消滅か永久欠番になっていた。
    • あるいは長野誠に渡っていたか。
田島直弥のストッパー外し忘れがなかったら
  1. ファイナルステージには史上最多の6人が進出していた。
    • 一方で、3rd進出者の中で唯一のSASUKEオールスターズである竹田だけがここでリタイアする展開となり、「SASUKEオールスターズの時代の終焉」が史実以上に番組内で強調されていた。
  2. 田島は漆原とともに完全制覇を達成していた。
漆原裕治がファイナルステージでゴム足袋着用を理由に失格になっていたら
  1. 山田勝己よろしく「ゴム足袋の人」、「ファイナル失格の人」などと呼ばれていた。
    • 「足袋」という点では第9回の山田と被っているが...。
  2. どのみちリベンジは果たしていた(実際に第27回でゴム足袋無しで達成)。
    • 因みに、実際はファイナリスト5人中4人がゴム足袋を使用していたので(唯一使わなかったのはリー・エンチ)、4人も失格者が出たことになる。
  3. 第4期SASUKEは2010年春以降に持ち越されていた。
高橋賢次のファイナルステージでのアクシデントが無かったら
  1. ゴールボタンの直前でタイムアップになっていた(第22回漆原か第23回長野の再現)。
    • ペースを落とさずに登っていたら辛うじて間に合っていたか?
  2. 上記の通り第23回でもファイナリストになっていたら今回でリベンジを果たしていたかもしれない。

第26回・2011年正月[編集 | ソースを編集]

奥山義行が2ndステージでリタイアしていたら

第26回では10人が2ndに進出しましたが、うち外国人が6人で日本人がその10人の半数未満の4人しかおらず、6人が3rd進出するも、その中に日本人が奥山義行1人しかいなかったため、彼が同大会における日本人唯一の3rd進出となりました。ではもし3rdに進出することなく2ndでリタイアしていたら?

  1. 第20回以来となる「日本人が2ndまでで全滅した回」となり、実況やナレーションなどにより「日本人全滅!」「日本人が消えた!」的なことが嘆かれるかのように言われていた。
    • 3rd進出は5人となっていた。
  2. 彼の後に挑戦した橋本との放送順の入れ替わりは起きていなかった。

第29回・2013年[編集 | ソースを編集]

森本裕介が3rdステージをクリアしていたら
  1. 第5期ファイナルが1年早く見られた。
    • スパイダークライムは今大会から復活したため、第1回以来となる「ファイナルリニューアル回でのファイナリスト」となっていた。
  2. 森本は今大会で完全制覇を達成していたかもしれない。
    • 史実(第31回)でも初見で制覇しているため可能性は十分にあった。
    • その場合、翌大会でエリアがリニューアルされ、川口朋広と又地諒はファイナリストになれなかったかもしれない。
    • また、岸本真弥は1度も1stをクリアできなかったかもしれない(史実の第30回でのみ突破しているため)。
    • 第5期SASUKEは僅か2大会で終了していた。

第32回・2016年[編集 | ソースを編集]

森本裕介が出場していたら
  1. ゼッケンは99番か97番だった。
    • 100番は今大会で引退を宣言していた長野誠に譲っていた。また順番的にオールスターズの2人(竹田敏浩と山本進悟)の前に来ていたかもしれない。
    • もし99番だった場合、山本進悟は99番未経験のまま。
  2. 結果は史実の第33回と同じだったか。その代わり第33回はもう少し先まで進めていた。
1stステージ中断が無かったら
  1. 長野の1st挑戦・引退セレモニーは予定通りの日程で行われていた。
    • セレモニーの参加者は史実よりも多かった。
      • スケジュールの都合上、実際は参加できなかった者が多かった(オールスターズの山田・秋山・白鳥、芸能人等、他多数)
    • そのため、史実以上に盛り上がっていた。
  • 夜露自体が無かった場合
  1. 1stクリア者は史実より多かったか。
    • 夜露が発生していたと考えられる時間帯(日没~中断まで)に挑戦し、脱落した5人(岸本真弥・漆原裕治・又地諒・樽美酒研二・高橋賢次)の中からクリア者が出ていたかもしれない。
  • 夜露があっても中断しなかった場合

ドリュー・ドレッシェルがエリアの濡れを指摘していなかった場合(SASUKEでは通常、小雨等でエリアが濡れていても時間の制約上中断できないことも多い)。

  1. ラギヴァル・アナスターズと川口朋広は1stをクリアできなかったかもしれない。
  2. 長野はゴール手前までたどり着けなかったかもしれない。
長野誠が1stステージをクリアしていたら
  1. 引退撤回はおそらくなかった。
    • 事前に引退を公言しており、結果に関わらず今回でSASUKEを退くという形になっていた。
    • 2nd以降の結果次第では史実(第38回)よりも早く復帰していたかもしれない。
  2. 当時の1stクリア最年長記録(44歳)に並んでいた。
    • 仮に3rdまで進出していたら当時の最年長記録(41歳)を更新していた。
  3. 今大会唯一の2nd脱落者になっていた可能性があった。
    • その場合、「2ndで脱落者が出なかった回」は今日まで第6回のみに。
    • 「アンカーの長野だけが脱落」という点では第15回とも類似している。
  4. 引退セレモニーは2ndか3rd収録後に行われていた。

第34回・2017年10月[編集 | ソースを編集]

漆原裕治が1stステージでリタイアしていたら
  1. 公言通りSASUKEを引退していた。
    • 第38回で山田・長野と共に復帰していたかも。
  2. 以降の大会での活躍もなかった。
    • 「昔は凄かった人」という印象のままだった。

第35回・2018年3月[編集 | ソースを編集]

日置将士が1stステージでリタイアしていたら
  1. 1st最初のクリア者はゼッケン89番の山本桂太朗であり、第6回の最遅記録(83番)を更新していた。

第36回・2018年大晦日[編集 | ソースを編集]

ドリュー・ドレッシェルの2ndステージでのコースアウトがなかったら
  1. 今大会の2nd最速タイムを記録していた(27.55秒残し)。
  2. 竹田敏浩に並ぶ7大会連続の3rd進出(当時の最長記録)となっていた。

第38回・2020年[編集 | ソースを編集]

竹田敏浩がフィッシュボーンで失格にならなかったら
  1. 当時の1st最年長クリア記録を45歳で更新していた(実際に彼は14.83秒を残しゴールに到達していたため)。
  2. サーモンラダーが苦手なので、サーモンラダー下りでリタイアしていた。
  3. 第39回の前にリベンジを果たそうとトレーニングをしすぎて心房細動を発症することなく、第39回以降も現役で出場している。

もっと前から放送されていたら[編集 | ソースを編集]

1980年代[編集 | ソースを編集]

  1. 風雲たけし城は存在しなかった
    • あるいはVIKINGみたいになってたかも
  2. バラエティ色が強い内容になっていたかもしれない。

1990年代前半[編集 | ソースを編集]

  1. 山田勝己はこの頃からSASUKEに出場して、場合によっては完全制覇していたかもしれない。
  2. この番組のルーツである「スポーツマンNo.1決定戦」があったかどうか…。
  3. やはりバラエティ色が強い内容になっていた。
  4. 全面クリア賞金1000万円と謳っていたかも。

その他[編集 | ソースを編集]

全員カットしなかったら[編集 | ソースを編集]

  1. 多分相当時間がかかる。
    • 下手すると半日はかかる。
      • 全員の説明があったら、それ以上はかかるだろう。

リニューアルが一切なかったら[編集 | ソースを編集]

  1. 相当つまらないことになっていただろう。
    • 半数近くが2ndステージまで進出。なんかやだな。
      • おそらく完全制覇は100人を超えていただろう。
  2. たぶん1~2年で打ち切りされていた。

毎週やっていたら[編集 | ソースを編集]

  1. おそらくVIKINGは存在しなかった。
  2. 確実にどこかで事故が起き、筋肉番付みたいに打ち切りになっていた可能性も。
  3. 結局2年程で打ち切りになる。

出場制限があったら[編集 | ソースを編集]

M-1グランプリの「結成から10年」のように出場制限があったら?(現に導入すべきという意見がある。)

全般
  1. SASUKEのために仕事をやめる人はいなくなる。
  2. 引退撤回はない。
  3. 出場資格のある最後の大会となる選手は、脱落時の感動が大きくなる。
  4. 現時点のSASUKEオールスターズは漆原・森本・菅野・朝・川口・又地。少なくとも最初の3人は確実だろう。
  5. それでも記念大会とかは特例で出ると思う。もしくは皆勤賞の山本あたりはオープン枠での参加が考えられる。
初出場から10年
  1. 竹田敏浩、高橋賢次は2010年元日の第24回大会を最後に引退。
    • そのため同大会の高橋のファイナルステージ進出、竹田の3rdリタイアのシーンは史実以上に感動的になっていた。
    • 竹田は23回大会までかも
出場20回まで
  1. 26回の長野誠を最後にオールスターズ全員が引退していた。
完全制覇したら強制的に引退
  1. 秋山は第4回、長野は第17回、漆原は第24回、森本は第31回でそれぞれ引退。
    • 一度制覇した者は出場権を永久に失うので「オールスターズ」や「~世代」のメンバーとは呼ばれなくなる。
      • 単に「制覇組」、「チャンピオン」、「レジェンド」などと呼ばれていた。
  2. できるだけ長く出場し続けるべくあえて完全制覇を狙わない輩が出てくる。

3rdステージに時間制限があったら[編集 | ソースを編集]

  1. たぶん全員ここでリタイアになる。
    • 完全制覇者は永遠に出ない。
    • クリフハンガーのように難易度が高い所だけ時間制限なし(但し一時停止ボタンを押す必要有)にすればまだ何とかなる…のか?
    • それでも誰かしらクリアしてそうだが、3rdのリニューアルはほとんどされていない可能性もある。
  2. 時間は(一時停止をしないのなら)240秒くらいか。
  3. 史実よりも簡単になっている。

関連項目[編集 | ソースを編集]