コルシカ島
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- フランス読みでは「コルス」と呼ぶ。
- WRCの一戦ツール・ド・コルス
- ナポレオンの故郷。
- 土地の言葉はフランス語ではなく、むしろイタリア語の方言。ナポレオンも子供の頃は方言を理由に苛められたらしい。
- 第一、コルシカは元々イタリア領だが、イタリア統一の際ニースとともにフランスに割譲された。
- その所為か、マフィアが暗躍してたりする。
- 地理的に見てもイタリア領の方がしっくり来るのに、何故フランス領なんだろう。
- 実は別に元々イタリアってわけでもない。カルタゴだったりローマだったりイスラム勢力だったりとあちこちに翻弄されてきた歴史があり、ジェノバ支配の時代に「独立だー!」という機運が高まった。それを抑え込む力を貸す代わりに統治権を譲りうけるという契約を結んだのがフランスで、以降はそれがそのまま続いている。
- 第一、コルシカは元々イタリア領だが、イタリア統一の際ニースとともにフランスに割譲された。
- だから、ナポレオンはフランス人を馬鹿の集団と思っていた。側近も殆ど外国人だしな。
- 実はコルシカ人はナポレオンが大嫌い。彼らにとっては裏切り者らしい。
- ナポレオンはフランス遊学制度を利用して本国となったフランスの士官学校に入学してフランスの事情を知り、「フランスが民主化すれば、コルシカ住民の意見が通りやすい。無理に独立して経済的に大変な思いをするより、此方の方がいい」と現実的なフランス帰属提案に代えた。一方、独立派のリーダー・パオリは「英国の保護国になってでも独立したい」とフランスからの分離一点張りであった。パオリ案の方は理想的だが現実的には難しいものであるが、コルシカ住民にしてみれば保護国提案の方が受けが良かったらしく、フランスよりのボナパルト家を島から追放。その結果、フランス軍に鎮圧されるが(パオリは英国に亡命)、どうしてもコルシカ住民にとってロマンチックなパオリを支持してしまう。一方、ナポレオンは(革命後に樹立された)ロペスピエールの全体主義体制に失望して距離を置いて民主化を支持するが、「集団指導体制」がうまくいっていないので、独裁に踏み切った。
- 土地の言葉はフランス語ではなく、むしろイタリア語の方言。ナポレオンも子供の頃は方言を理由に苛められたらしい。
- ナポレオンが島流しにあったところ。
- それはエルバ島だったと思うが。ちなみに↓は正解。
- 二度目はセントヘレナ島。
- シヴォレー・コルシカ
- ここの兄弟はどれも一心同体。
- とにかく山だらけ。
- 可住地が少ないため面積は広島県より若干広いくらいだが人口は廿日市市と東広島市を合わせたくらいしかいない。
- 「マキ」と呼ばれる低木の茂みで覆われている。
- ここに逃げ込んだコルシカ人を追跡できるよそ者はいないらしい。
- スキー場も数箇所ある。
- かつては独立を求めるテロ組織が暴れていたこともあった。
- 2014年に独立闘争の休止を宣言し、今は道路標識のフランス語を塗り潰すくらい。
- この島の鉄道は軌間1000mmの狭軌だが「TGV」という俗称もある。
- 外人部隊の中でも特に厳しいとされるパラシュート連隊の本拠地。
- 多声合唱・ポリフォニーが盛ん。
- 「パディエッラ風の歌謡」は無形文化遺産に登録された。