サッカーカメルーン代表

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カメルーン代表の噂[編集 | ソースを編集]

  1. 「不屈のライオン」。
    • ただお家芸のチーム内紛等で選手個々の持っているポテンシャルが全く発揮されずに「眠れる獅子」となってしまっている。
  2. 中津江村に来た事で有名。
    • 中津江村は2002年のサッカーワールドカップ・日韓大会の出場時の代表キャンプ地。しかし、とある理由で来るまで異常に時間かかった。
      • 選手たちはパリの空港に集合してチャーター機に乗り、その後いろいろあって到着が遅れたんだが、一人だけ集合に遅刻したヤツがいて、その選手は自費でチケットを買って一般の国際線旅客機に搭乗。その結果、その選手だけが先に日本に到着したため、仲間の到着をボーッと待つハメになったらしい。
  3. ロジェ・ミラは英雄。
    • 38才という年齢で迎えたW杯イタリア大会ではアルゼンチンを下す金星を挙げるなどで、ベスト8にまで昇り詰める功績を残した。
      • ただそのアルゼンチンは最終的に大会準優勝しています、念の為。優勝は西ドイツ。
      • そのアルゼンチン戦も、カメルーン守備陣の問答無用のラフプレー乱発があってのもの。
        • マラドーナはハイキックを浴びせられ、カニージャは靴が脱げるほどの危険なタックルを浴びた。2人の退場でよく収まったといえる。
          • 靴が脱げたのはタックルした方のカメルーンDF、マッシンでした。
        • 大会後にFIFAから目を付けられた為か、次大会から退場者をきっかけに、グループリーグをなかなか突破できなくなってしまった。
    • それまでの華々しい活躍から何と42才W杯アメリカ大会にも出場、させられた。この時決めたゴールはW杯の最年長ゴール記録。
    • コカ・コーラのCMによると、ゴールを決めた後のダンスパフォーマンスは彼が始めて、世界に広がったらしい。
  4. 「不屈のライオン」をそのまま人間にした様なリゴベル・ソングが長年キャプテンを務めている。ちなみに愛称は「兄貴」。
    • センターバックながら激しい闘争心でチームとディフェンスラインを統率する漢。
      • 個人的には1発レッドのイメージが強い。その闘争心からか大舞台で1発レッドを貰ってしまうシーンが度々あって、チームが敗退してしまう事もしばしば。
    • アーセナルでプレーするアレクサンドル・ソングは甥っ子。プレミアビッグ4でスタメンを張るだけあって若くして代表チームでも中心選手になりつつある。
      • ただW杯南ア大会で「叔父さん呼ばないんなら自分も行かないよ」なんて言って、年齢的な衰えを見せるソングを代表入りさせてチームを混乱させたなんて報道もあった。
    • スタメン落ちしていたけど、南ア大会の日本戦の時ベンチにいた金髪のドレッドに金髪のヒゲと言う、目立つ容姿をしていたのがソングです。多分。昔は黒髪にバンダナだったのに。
  5. サミュエル・エトーが最近の顔。
    • 限り無く発音が「江藤」に近い事から、マジョルカ時代から日本でもサッカーファンに親しまれていた。ちなみに表記は「ETO'O」なので、そう表記される事もあるけどカナでは「エトオ」の方が近いかも。
      • 10代の頃からカメルーンのエースとして親しまれてきた江藤も遂にインテルで10億円プレーヤーになってしまった。
    • 悪い意味で「王様」気質な事でも有名で度々ピッチ内外で問題を起こす。つい先日もW杯を直前に国の英雄であるロジェ・ミラと舌戦を繰り広げW杯をボイコットする事すら含ませて騒動になった。
  6. 代表の試合中に突然倒れ、そのまま帰らぬ人となってしまった選手がいる。
    • 当時マンチェスター・シティにいたマルク=ビビアン・フォエ。物静かな長身のミッドフィルダーで中津江村(日韓大会)にもその姿はあった。マンCではこの死を悼んで当時付けていた「23」番を永久欠番にした。
      • 実はこの時マンCへはレンタルで出されていた。奇しくもフォエが倒れたそのピッチは、来シーズンからの復帰が決まっていてそこでプレーするはずだったリヨンのホームスタジアム、「スタッド・ジェルラン」だった。
        • そんな深い縁のある場所で最期を遂げられたのは彼にとって不幸中のほんの僅かな幸いかもしれない。
    • いつだったかのコンフェデ杯で、画面の左端、ピッチのほぼ中央でプレーとは全く関係のない場所で突然倒れ込むフォエがカメラに映っていた。その後担架で会場の外へ搬送される姿は今でも忘れられない。
    • 彼の没後の試合となった決勝のフランス戦の前に、当時彼が付けていた17番のシャツを遺されたメンバー全員が着用した。まるで、フォエの追悼試合であるかのように。
    • また、カメルーンのソングとフランスのデサイーの両主将は彼のパネルの持ちながら選手入場した。
    • 中津江村の一部村民も彼の死を悼んだ。フォエ選手のご遺族にとって、ワールドカップ開催経験国のキャンプ地でも悼まれたことは、少し力になっただろう。
  7. 浪速の黒」ことパトリック・エムボマもかつての代表。
    • 日本にいた事もあって自身の三男に「ケンジ(健志)」と名付けたのは有名な話。
  8. ドーハの悲劇」や「パリの悲劇」などと同様に「ヤウンデの悲劇」と言う、寸前でW杯(ドイツ大会)を逃してしまう出来事があった。
    • ただ状況的には逆で、千載一遇のチャンスで得たPKを外してしまいW杯を逃すという出来事。この時PKを任されたのは当時(確か)インテルにいたウォメ。その後、ウォメはキレた暴徒に自宅を襲撃されるなんて憂き目にも遭った。
      • 更にエトーが「本当は自分が蹴ろうとしたんだけど~」なんてインタビューで嘘をついたもんだからまた一悶着あった。
  9. ノースリーブのユニフォームを開発、数試合着用するもFIFAに却下された。
    • このユニフォームだったか忘れたけど、引っ張るとすぐに破ける(相手チームの反則が分かりやすい)なんてユニフォームもあえなく却下。
      • 破れるユニフォームはたしかアフリカネイションズカップで使用。破れたのをそのまま次の試合で使うもんだから決勝まで進むと全員ビリビリ、ボロボロで半数以上が半裸状態。
        • 筋骨隆々なカメルーン選手だからある種の格好良さもあったが、もし日本代表だったらかなり悲惨な見た目になるだろうな、と思った。
  10. W杯南ア大会でもチームが内紛を起こして分裂。
    • 本来スタメンを張るべき数人の選手が出場しなかったり、キャプテンのソングやジェレミー・ヌジタプの様な名選手も衰えを隠せずにスタメン落ちと、明らかなチーム分裂の影響と元々相性が悪かった事などもあってか日本に勝ち点3をプレゼント(?)してくれた。日本が勝った事は素直にうれしいけどあんなライオンを見るのは正直悲しかった。