シロンスク

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ご当地の噂 - 世界ヨーロッパ中欧ポーランドシロンスク

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シロンスクの噂[編集]

  1. 一見、町の名前っぽいが、実は地域名
  2. 南西部。チェコと山脈(ズデーテン)からなる長い国境を接する。ナイセ川でドイツと国境を接する。
  3. オーデル川(ポーランドではオドラ川)の上流部分にあたる。
  4. 中心都市はヴロツワーフ。ドイツ名ブレスラウ。
  5. 炭田があるため工業が盛んだった。
  6. 実は近くに砂漠がある。しかしここでは砂漠化ならぬ森林化がすすんでいるらしい。

旧ドイツ領シュレージェンの噂[編集]

  1. 第二次大戦までは大部分がドイツ領だった。ドイツ名:シュレージェン。英語など諸外国語では「シレジア」と呼ばれる。
  2. 歴史をさかのぼると中世11世紀頃まではポーランド人の土地だったらしい。その後東方殖民でドイツ化された。
    • 但し、ドイツ系とポーランド系の区別は元々あいまい。当時は東部にいくほどポーランド系の色彩が濃くなっていた。
  3. 1740年まではオーストリア(ハプスブルク帝国)領だったがプロイセンが強奪した。
    • このときわずかにハプスブルク帝国に残った地域があり、ボヘミアに事実上編入され現在チェコの一部。特に地域として扱う場合はチェコ語で「スレスコ」と呼ぶ。
    • 但し、当時の住民の多くはプロテスタント(ルター派)だったので併合支持。そういうこともあって奪回はかなわなかった。
  4. 産業革命以後、ドイツ西部の工業地帯に移住した人が多く当時既に過疎化が問題となっていた。しかも、ポーランド系はカトリックが多く多産だったので、一旦ドイツ系が優勢となった地域でも再ポーランド化が進行しつつあった。
    • そのためドイツの民族主義者が改めてこの地方への移住者を募っていたほどである。
    • なお、工業発展期における西方への移住者にはポーランド系も少なくなかった。現在では全くドイツ人に同化吸収されており、父系の祖先を示す姓に名残を留めるに過ぎない。
      • ただ、純然たるドイツ姓へと改姓した人も結構いるという。
      • ドイツ財界の重鎮の1人が「ポーランド系」。(先祖が)ここの出身かどうかは不明だが…
      • 第一次大戦後住民投票で一部先端部が先にポーランド領となる。この先端部分は確かにポーランド系が大多数だったのだが、その住民の多くは「ドイツ国民」意識のほうが結構強かったらしい(60%が残留票だったとも…)
      • 18世紀末のポーランド分割・ナポレオンによる解放を経て1815年に再びプロイセン領になったポズナニ(ドイツ名ポーゼン)地域(一部を除きポーランド系大多数・反独暴動多発)とはどうやら対照的。ただしこちらは第一次大戦後も北西部がドイツ残留。
  5. ドイツの首都・ベルリンは、戦前には市民の1/3がこの地域の出身者だったらしい。
    • リティもスラブ姓なので、ひょっとしたらこのお仲間?(本人は(西)ベルリン出身)。
  6. 戦後処理でポーランド編入。ドイツ系住民の殆どは追放された。なお上記のように東部にはポーランド系やその混血が多かったが、彼らもかなりの部分がソ連の支配を嫌って西側に逃れた。しかしながら現在でも東部を中心に100万人ほどが「ドイツ系」らしい。最も、ドイツ語のほかに元々ポーランド語の変種を話すバイリンガルが多いのだが・・・・
    • M.クローゼ(ポーランド出身)の父方はシロンスクの残留ドイツ人。母方はポーランド系。
  7. 住民の殆どが追放された西部では、ソ連に編入された地域から追放されたポーランド人が代わりに住み着いた。
    • 最近ドイツ人が個人として土地の返還を求めて訴訟を連発している(あくまで領土としてではなく、だが)。
  8. なお、旧シュレージェンの領域のうち西部の極一部はナイセ川の西にあったため当時の旧東ドイツに留まり、住民は追放を免れた。現在ではザクセン州の一部となっている。
  9. 民族移動以前の古ゲルマンの時代にはポーランド一帯には東ゲルマン諸部族(オーデル・ヴァイクゼル・ゲルマン)がいたが、シロンスク(大体オーデル川本流以西)のみは旧東独チェコバイエルン北部などとともに西ゲルマンの一派である「エルベゲルマン」諸部族(現在の南ドイツ住民の祖先)が住んでいた。
    • その後のシロンスクの歴史の独自性を考えると興味深い。



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