トレンティーノ=アルト・アディジェ

提供: chakuwiki
移動先: 案内検索
Googleで「トレンティーノ=アルト・アディジェ」を検索
FR CH AT
VA PI LO TAA FVG SN
SB VE HR
LI ER
TO MA SM



Co




CdV LA UM I
T
A
L
I
A
AB
SA CAM MO
  BA
CAL PU
SI
Malta イオニア海
地 中 海

ご当地の噂 - 世界ヨーロッパ南欧イタリアトレンティーノ=アルト・アディジェ


トレンティーノ=アルト・アディジェの噂[編集]

  1. トレント市を中心とする南部(トレンティーノ県)と、ボルツァーノ市を中心とする北部(ボルツァーノ自治県)に分けられる。
  2. 第一次大戦終結まではオーストリア・ハンガリー帝国領。
    • 元々チロルの一部。オーストリア側の呼称は「南チロル」。チロルの地名は元来ボルツァーノ自治県の村の名前から来ている。
    • 一方、イタリア側では全域を「トレンティーノ」と呼び、「未回収のイタリア」と呼んでいた。
    • 南端にガルダ湖があり、オーストリア・ハンガリー帝国の海軍(水軍?)が駐留していた。
    • 戦後処理によりブレンナー峠の分水嶺以南がイタリア領となった。
  3. トレンティーノ県はイタリア語圏だが、ボルツァーノ自治県は基本的にドイツ語圏である。
    • ムッソリーニ体制の元ではかなり強引なイタリア化政策(ドイツ語禁止、改名、イタリア系住民の殖民と結婚の奨励(一部には強制も!))が進められた。
    • 後にナチスドイツと同盟関係になると幾分緩和されたらしいが、イタリア化政策の基本は揺るがなかった。
    • 第二次世界大戦でイタリアが降伏すると、今度は第三帝国に編入された。ヒトラーの山荘のうち一つは南チロルにあったという。
    • やがてナチスが崩壊して終戦、イタリア領に復帰するが、むしろムッソリーニ体制の被害者であったドイツ系住民東欧のようには追放されず、むしろ少数民族として保護される方向に…
    • 一時はオーストリアへの復帰を求めるテロなども起きたが、現在ドイツ語による教育などの行政サービスを保証することで、鎮静化に向かっている。
    • なお、ボルツァーノ市にはイタリア系住民が多く移住してきており、現在では市民の8割がイタリア語話者。一方ボルツァーノ市の近在以北の町や村は、一部(ドロミテ地方=ラテン系のラディン語が話される)を除きほぼ完全にドイツ語圏である。県全体でもドイツ語話者が多数派となっている。
  4. 女子フィギュアスケートのイタリア代表・コストナーはドロミテ地方のラディン語系住民。姓が示すように第2言語はドイツ語。
    • あと、登山家のラインホルト・メスナーも。
  5. トレント市(ドイツ語名トリエント)は16世紀半ばに、カトリック教会による対抗改革を目的とした公会議が開かれた都市である。
  6. J-WAVEのイタリア関連番組に日本在住のイタリア人が交代で出演していたが、ある回には南チロル人が出てきた。なんでもわざわざミュンヘンの大学に行っていたという。
  7. トレンティーノとアルト・アディジェはとっても仲が悪い。
  8. 「イタリアの屋根」。街の全景写真でよく見るれんが色のやつを連想しないでね。
    • 州のほとんどが山岳地帯。氷河によって鋭く削られた岩山は圧巻。
    • 冬は本当に寒い。氷河の上に町があるようなもので、年々アドリア海の方に向けて移動しているらしい。
  9. ここのパスタは団子状
    • 一般的にイメージするパスタからは全くかけ離れた形。
  10. ここの商店はやる気がない。昼前になって開店したと思ったらすぐ昼休み、夕方前に再開して暗くなる前には閉店。
    • プッリャ時間と比べると同じイタリアとは思えないほど。

町の噂[編集]

  • トレント(州都)



関連記事