ベタな作曲家の法則
ナビゲーションに移動
検索に移動
ベタな作曲家の法則[編集 | ソースを編集]
- フリーターを兼任している。
- ピアニストを兼ねていることもある。
- 指揮者も。
- 失恋すると大曲ができる。
- 怒ったときにも大曲ができる。
- 小銭を失くすと作曲する。
- 怒ったときにも大曲ができる。
- 作った曲が難しすぎて自分でも弾けない。
- 作っている人格と演奏する人格とは別。
- クラシック作曲家だがシューベルトは弾けないどころかキレたことがあるらしい。
- 短命である。
- 下記のクラシック作曲家は特に。
- 始めは売れない。
- 誰々のパクリと言われるのは宿命。
- 売れなくなると「○○も落ちぶれたな」と大声で言われるのも宿命。
- しかし過去のヒット曲で印税ぼろもうけ。
- 元アイドルバンドの一人だけおっさんくさいメンバー
ベタなゲーム作曲家の法則[編集 | ソースを編集]
- 正規の音楽教育を受けた者はほとんどいない。
- 黒歴史を抱えている。
- エロゲーの曲作ってた、とか
- やはり誰々のパクリと言われるのは宿命。
- クラシックから流用しても、パクリ扱いされる。
- 過去の作品を代表作と言われるとムカつく。
- 最初はゲーム会社に所属しているが、何年かして独立する。
- このパターン多すぎる。コナミ系列だとnagureoとTatsh、ナムコ系列だとMegatenやらAyaやらSanodgやらSOLID STATE KOHTAなどなど。
- サウンドチーム所属の場合、一人一人の影が余りに薄い。
- そこそこ知名度があると、他の人と出来を比較されて肩身の狭い思いをする。
- 原曲のアレンジバージョンを出すとたいてい×××××出来になる。
- ゲームに合わせた曲ではなく、曲に合わせたゲームを開発に作らせてこそ一流。
ベタなクラシック作曲家の法則[編集 | ソースを編集]
- 音楽室に肖像画が飾ってある。
- 白いカールした髪。
- 実はヅラで、当時の正装らしい。
- この名残でイギリスの裁判官や弁護士などは法廷で同様のカツラをつけている。2008年に一部廃止。
- このカツラは人毛を編んだとても品質の高いもので、今も昔もお値段の張るもの。
- ベートーヴェンはあの肖像画のせいでボサボサの髪を振り乱している印象が強いが、手帳には「カツラ屋に行く」などの書き込みが見られる。社交場に出る時にはちゃんとヅラをかぶっていたらしい。
- バロック音楽(バッハ、ヘンデルなど)~古典派(ハイドン、モーツァルトなど)限定。ロマン派以降はカツラを着けなくなった。
- 実はヅラで、当時の正装らしい。
- マニアには常識だが、一般人が聞くと驚くようなトリビア的エピソードがある。
- 例:俺の尻をなめろ
- 「9番目の交響曲を書くとじきに死ぬ」というジンクスがあった。
- ベートーヴェン、ブルックナー、ドヴォルジャーク、シューベルト(昔は9曲だと思われていた)などが、みんな「交響曲第9番」までで死んでいる。
- このジンクスを異様に気にしたのがマーラー。
- 交響曲第8番(千人の交響曲)を書いたあと気が気でなく、次に書いた「大地の歌」は無理矢理「カンタータ」と称した(実は劇音楽みたいな8番よりよほど交響曲っぽい)。
- それで死ななかったので、次は2曲の交響曲を同時に書き始めた。同時に完成すればジンクスを破れると思ったらしいが、あろうことか、片方(9番)が完成しもう片方(10番)が未完成という状態で死去。やっぱりジンクスは破れなかった。
- このジンクス、その後ショスタコーヴィッチが15曲書いたりしているので、現在ではもう無くなっている。
- ハイドンやモーツァルトの頃ならともかく、ベートーヴェン以降は交響曲の規模が肥大化したので、人生で大体9曲ぐらいしか書けないということだったりもする。
- 生涯独身が多い、というのは誤解。
- ただ、超有名どころでは独身の比率が高いかもしれない。ベートーヴェン・シューベルト・ショパン・リスト・ブラームス……
- 結婚している場合は、けっこう愛妻家が多い。
- バッハ・モーツァルト・ヴェーバー・シューマン・エルガーなどが有名。
- ハイドン・チャイコフスキー・プッチーニなど悪妻に悩まされた人も居るが、悩まされつつも愛そうとはしていたようだ。
- あちこちの女を泣かせるような好色な作曲家は、意外なほど少ない。これ、実はクラシックに限らなかったりする。
- 今でこそ「クラシック(古典)」だが、当時の彼らはどんな位置づけだったのだろうか。
- ロッシーニやドニゼッティなどのオペラ作曲家は、いまで言えば「昼ドラの劇伴作曲家」である。
- オペラをやたら重いものにしたのはヴァーグナー。それ以前は、けっこう気軽な娯楽だった。
- 現在でも昼ドラのことを「ソープオペラ」と呼ぶことがあるのはその名残り。
- オペラをやたら重いものにしたのはヴァーグナー。それ以前は、けっこう気軽な娯楽だった。
- ヨハン・シュトラウスやオッフェンバックなどのワルツ作曲家は、いまで言えば「ディスコ音楽の作曲家」である。
- 「舞踏会」というとお上品に感じるが、「ダンスパーティ」というとイメージが変わる。当時の感覚としてもそんなもの。
- 彼らはオペレッタなどもたくさん書いている。いまで言うミュージカルである。
- ベートーヴェンの新作発表のときは、ずいぶん遠くの町の新聞まで提灯持ちの記事を書いてくれたらしい。当時から人気だった。
- ただし、オペラ作曲家のほうがやっぱり人気はあったようだ。
- ロッシーニやドニゼッティなどのオペラ作曲家は、いまで言えば「昼ドラの劇伴作曲家」である。