ベルリン

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ご当地の噂 - 世界ヨーロッパ中欧ドイツベルリン

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ベルリンの噂[編集]

  1. ペキン・ベルリン・ダブリンリベリア・・・・
    • PUFFYのアジアの純真か…。
    • ペキン以外アジアではない
      • リベリアに至っては都市ですらない。
  2. ナチス時代に人口が過去最高となった。現在は320万人ほど・・・
  3. 森鴎外の「舞姫」の舞台。
    • 森鴎外記念館なるものが存在する。
  4. 物凄い勢いでトルコ化が進行中
    • オランダやスウェーデンの各都市同様移民がもたらす弊害の典型例になってしまっている。
    • 食べ物ではかなり貢献してる。
  5. 赤い雨が降ることで有名
  6. 世界屈指のオーケストラ、ベルリンフィルハーモニー管弦楽団が有る
    • 旧西側の「壁」近く。カラヤン存命中は「カラヤンサーカス」と綽名されていた。
      • 西ベルリンの中心街ではなく壁近くに作った理由は、カラヤンが統一後にここがベルリンの中心となると信じていたから。
      • 屋根が火災に遭ったが、シャウロンの斬新的な設計により、消火の水がホール内部を汚すことは無かった。シャウロン、恐るべし!
    • カラヤンやアバドの治世によってすっかり無国籍楽団化してしまったかのように見えるが、ヴァントみたいなゴリゴリのドイツ魂を持つ指揮者が振ると、思い出したかのように実に渋いゲルマンチックな音を鳴らす。
    • ちなみにベルリンフィルハーモニー管弦楽団とウィーンフィルハーモニー管弦楽団は合同演奏会を行ったことがある
  7. ブラウンシュヴァイク公の旗艦。
  8. おっさんの天使がいる。
  9. 秘宝館発祥の地。
  10. 漢表記は「鈴鳴」(正しくは伯林)
  11. 「世界の奈良市」。ブランデンブルグ門が東大寺南大門と言ったところか・・・。
    • 奈良のほうが歴史が古いため「ヨーロッパの奈良市」が正しいアル。
  12. 1990年、連合国からドイツに返還された。
  13. なぜか名物はカレーソーセージ。ビールに赤や緑のシロップを入れて飲む。
    • カリーヴルストと言うあんまり期待してると超絶ガッカリな食べ物。
    • 赤や緑のシロップを入れて飲むのはベルリナー・ヴァイセ(Berliner Weiße)。Weiße(白)という割には色がついている。
  14. 国会議事堂は、古い外見ながら、中身がごっそりと入れ替わった。
    • 世界史に残る「放火」事件から統一後しばらくまで廃墟だった。(東西分断時代は西側に位置していたが、西ドイツの国会議事堂はボンにあったため使われなかった)
  15. ベルリン発祥の地を含む旧都心(旧ミッテ区)は東地区。そこで戦後は西にあるクアフュルステンダム(通称クーダム)が実質的な都心として機能。統一後は旧・壁近くのポツダム広場など旧都心地区が再開発で再び賑わっている。
    • 東京に例えればクーダムはさしずめ新宿。ミッテ区は丸の内・霞ヶ関・大手町・銀座・日本橋といったところ。
      • これはあくまで歴史的経緯の話。繁華街の現状からみれば逆の感じらしい。
    • なお、合区が行われたので、現ミッテ区には旧西のティーアガルテンなども含まれている。
      • 中心にあるティーアガルテンは、19世紀に造園技師レンネによって整備された風格ある大公園で人気があるのだが、日本人には意外と知られていない。
      • ティーアガルテンの近くに「広島通り」(Hiroshimastraße)がある。通り沿いには日本大使館がある。
  16. 現在の市長はゲイ。しかも、次期首相候補。
  17. 90年代半ば、ベルリン市(州)と隣接の(ベルリンを取巻く)ブランデンブルク州との合併(統合)が真剣に議論され、いったんは両州政府レベルで合意に至った。しかしながら、肝心の住民投票で否決(ベルリン側は過半数が賛成したが、ブランデンブルク側の反対票が多かった)され、頓挫してしまった。
    • ただ、仮に合併が実現していたとしても、ベルリンがドイツの連邦首都の地位にあることから、実際にはベルリン市が州レベルの事務をほとんど処理し(準州的な取り扱いを受ける)、合併新州のベルリン市内での行政権限はきわめて限られたもの(ベルリン市と州内のほかの市町村にまたがる大河川・森林の維持・管理や警察関係の事務など、真に広域的な分野)だけになっていたかもしれない。
    • 分断以前は「ベルリン州」というものが無かったから検討されたのだが、首都だけ特別州なんて国はざらにあるし、首都でもないハンブルクブレーメンは特別州(自由都市)。
  18. はるか中世の頃、狩人が熊を捕まえようとしていた。熊の後を追い、その巣まで行くと、熊が小熊に食べ物を与えていた。狩人はちょっとかわいそうになり、熊を捕まえるのをやめ、同行していた者に「私はここに街をつくる。街の名はBärlin(小熊)にしよう」と言った。これがBerlinの由来だそうな。ちなみにベルリンの市章には現在でも小熊が描かれている。
    • というのはガセというか伝説的な話で、実際はスラヴ語由来の「湿地」を意味する「berl-」もしくは「birl-」という説が有力。ベルリンの市章は最初は鷲で、後に「Bär」に関連付けて熊になったとか。
      • ちなみにブランデンブルク選帝侯が統治していた時代の市章は、熊に首輪がつけられて鷲を背中に乗せているというものがあった。鷲はブランデンブルクの紋章で、ベルリンがブランデンブルク領内であることを指している。選帝侯に従属させられることに抵抗したりしていたので、当時の市民にとって、これはかなり屈辱的だったのではなかろうか。
  19. Ich bin ein Berliner。
    • ケネディがなかなかと思うのがこのeinをつけたことである。ein無しだとニュアンス的に「ベルリンにいる者」となり、観光客、外国人労働者、旧連合国駐留兵士(果ては旧ソ連軍軍人)まで含んでしまうのだ。einをつけると「ベルリンの一市民」として理解される。つまり彼はフルシチョフの恫喝に怯える西ベルリン市民に対し「私もあなた達と同じベルリン市民としてこの街を死守する」と言いたかったのだ。
  20. 日本人にはあまり馴染みが無いが、欧米ではドイツ有数の人気都市らしい。なんでも、激動の歴史があるがゆえに、バウハウスを始め、どんどん新しい文化が出てくる素地があり、そのエネルギッシュさがたまらんのだと。
    • ロンドンのビッグベン、パリのエッフェル塔、ローマのコロッセオの様に、パッと有名所が思い付かない所為か、名前は知られているもののヨーロッパ主要都市の中でも地味なイメージがある。
      • これらに相当するものはブランデンブルク門だと思うけど、一番有名な建築物はなんといっても「壁」かもしれない。
    • ドイツというと、中世・近世の伝統的な建物が立ち並ぶ都市のイメージが強いのも原因。ベルリンの場合は戦争や東西分断でその多くが失われている。
  21. その時、私は…
  22. 地下鉄(U-Bahn)はロンドンと同じゾーン制。ただしこちらはA~Cまでの3区間。
    • 運賃はU-Bahn、S-Bahn、RB、トラム、バスで共通になっているので、乗換えても初乗り運賃がかからない。
    • 駅には改札機が無く、そのままホームに行けるので簡単に不正乗車ができそうだが、実際は車内検札が多いのでほぼ罰金コースらしい。
      • 俗に言う信用乗車方式。乗車券を打刻して検札員が乗車券に不正がないか確認する方式らしい。
    • 但し、検札員が1日乗車券を短距離巻と誤認したり、検札詐欺が横行しているので利用者は、それ程多くない。
      • 一応、利用者は1日約130万人。

東西分断時代の噂[編集]

  1. 隣に囲いが出来たってね~へい
    • ベルリンの壁は西ベルリンを囲むようにして存在。
      • ベルリンの壁は境界線上にあると思われているが、実は西ベルリン側の面も含めて厳密には100%東ドイツ領内に建てられている。
        • そのため西から見て壁の前に「あなたが今立っているのはDDR(ドイツ民主共和国)領内であり、即刻立ち去りなさい!」という立看板が部分的に存在していた。
    • 西ベルリンのソ連への引渡しを拒否したため。
      • 間違い。東独の通貨政策の失敗で東の暮しが悪くなり、西への逃亡が後を絶たなくなったから。ちなみに壁の建築責任者は後のホーネッカー東独議長である。
    • そんなベルリンの壁であるが、崩壊した理由に関しては政府広報の勘違いと検問が独断でゲートを開けた事が大きな原因とされている。
  2. 東西分断時代、西ベルリンにはヘルタ・ベルリンがあって、東ベルリンにはベルリンFCディナモというサッカークラブがあった。
  3. 東西分断時、西ベルリンの地下鉄は東ベルリンの領域内の下を通ったことがある。
    • 駅は閉鎖され、ホームには東独軍の兵士が立っていた。当然全列車通過。
      • 兵士ではなくて東独警察の警官だったはず。
    • 一応幽霊駅(?)ホームは薄暗いながらも電灯で照らされていたがホームには誰もいない。なぜなら壁ができてからこの幽霊駅のホームから通過する車両に掴まって西に逃亡する者が出たため、地下鉄入口を封鎖してしまったから。ちなみにホームの壁面は陥落当時のタイル張りで、駅名表示はラテン・アルファベットではなく、所謂「ひげ文字」だった。
    • なお西側が最初に壁建設に気付いたきっかけは地下鉄を待っていた人が「いつになっても電車が来ない」と次々通報してきたことだった。
  4. かつての壁の近くに「ブランデンブルク門」がある。壁崩壊時の混乱で上にあった飾り(クヴァドリガ。女神と馬の組み合わせ)が一部破損したが現在は修復されている。
    • 昔はブランデンブルク門が市の西の端。その名のとおり、ブランデンブルク市(ベルリンをとりまく州の名前でもあり、かつてはここがこの地方の中心だった。現在は寂れている)に向かう街道に通じる門であった。
    • ブランデンブルク門のすぐ近くに、第二次大戦中のソ連の戦車が飾られている。
      • 確かT-34。ベルリン陥落記念碑として置いてある。分断時代は西側占領区域内にありながらソ連占領区域の飛び地で、東側兵が警備していた。
    • この門の付近だけ壁の高さが若干低くなっていた。
  5. テレビ電波塔(350m)は旧東地区にあり、かつては旧東独の誇り、旧西ベルリン市民にとっては屈辱の存在だった。今は同じ塔から旧西のTV局の電波が中継されている。
    • モスクワ平壌にも同じような塔が存在する。
    • 屈辱と言うより「東に突き刺さったシシカバブ(マトンの串焼き)」と言ってバカにしていた。
      • 戦前にテレビ放送が始まっていたドイツでは東の市民も西のTV放送をみることが出来た。当然ながら社会主義的な報道統制と歪曲をする東の放送は、東ベルリン市民に見向きされず。
        • 対抗するため東ドイツは「黒いチャンネル」という西ドイツテレビ放送を糾弾する番組を作成、放映したほど。
    • レーガンがゴルバチョフに壁を壊せって演説したのもここ。因みに崩壊の二年前。
  6. 法律上、西ベルリンは西ドイツ領ではなく米仏英の管理地域とされていたため、西ベルリンには徴兵制も西ドイツへの参政権も無かった。
    • 半分正しい。西ベルリンに徴兵制がなかった理由はいつソ連に占領されるかわからないので若い人の西ドイツへの流出が止まらなかったから。人口の流出は巡り巡って東に飲み込まれる恐れがあったので、徴兵制を敷かなかったのである。そのため徴兵を逃れたい西の若者はこぞって西ベルリンに移住した。西ベルリンで音楽のロック文化が流行したのはそれが理由。ちなみに当時西ドイツの環境庁は西ベルリンにあった。
    • ついでに東ベルリンもソ連管理地域だった。
    • しかし西ドイツ憲法では「ベルリンは、ドイツ連邦共和国の一部」と規定され、東ベルリンも東ドイツ憲法上の首都と位置付けられていた。
      • 「西ドイツ憲法」ではなく「ドイツ基本法」ですよ。
    • 西ベルリンでは、西ドイツとは別地域という建前から、東西ドイツ統一まで独自の切手を使用していた。
      西ベルリン1989年発行記念切手・造園技師レンネ誕生200年・ベルリン大公園計画図
      • 一方、東ベルリンでは終戦直後の一時期を除き、東ドイツの切手が使われていた。
  7. そのため、西ドイツから西ベルリンへルフトハンザドイツ航空は飛んでいなかった。
    • 東独の航空会社インターフルクは、シェーネフェルト空港を拠点としていたが統一直後に見事に消滅した。そのシェーネフェルト空港は目下、統一ベルリンの新たな玄関口として絶賛整備中。
      • テーゲルやテンペルホフは街中にあるため拡張できないし、S-BahnやU-Bahnが通っていなくて不便だから。逆にシェーネフェルトは旧東独時代からS-Bahnが通っていて便利だし、街の少し外れで拡張しやすいから。
  8. 東ドイツの地図では西ベルリンの部分は空白とされていた。
    • 逆に西ベルリンの地図では東ベルリン部分は戦前の地図をそのまま使っていた気がする。
      • 現在の日本で、北方領土の地図に戦前の町村名がそのまま載っているのと同じようなものか。
  9. 壁のすぐそばに建つとある西側のビルには東側の警備兵に見せつけるためストリップまがいのことをしていた女性がいたらしい。
  10. 壁建設時には「これで西の住民による物資の買い占めがなくなる」と安堵した東の市民が意外といた。
  11. ベルリンの壁は単に壁があっただけでなく、地雷、落とし穴、有刺鉄線、番犬などのトラップが張り巡らされていたという。
  12. ベルリンの壁ができたのはドイツが東西に分かれてからしばらく後。それまでは東西の移動は自由だった。西ベルリンで働く東ベルリン市民や東ベルリンで働く西ベルリン市民が結構いた。
  13. ベルリンの壁崩壊時に、民衆の一部がKGBベルリン支部前に押し寄せたが、そこでKGBのある職員が「この門より内側はソ連の管轄下にある。侵入した場合は発砲する用意がある」と言い、民衆たちは去って行った。彼こそが後のロシア大統領、ウラジーミル・プーチンであったと言われている。



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