ロマノフ朝の皇帝

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歴代ツァーリ[編集 | ソースを編集]

ミハイル[編集 | ソースを編集]

  1. 影は薄いが意外と知名度のある初代。
  2. 王朝の初代というと、華やかな武勲や才気ある逸話がつきものだが、彼にはそう言った話が全くない。

ピョートル1世[編集 | ソースを編集]

  1. ロシアの近代化を強引に推し進め大帝と称される。
    • 自分も(お忍びで)参加した外交使節団をヨーロッパに派遣し、先進技術を吸収する。
    • オランダの造船所に身分を隠して船大工として雇われ、造船術を自ら学んだ。
    • 同じオランダで歯科医(抜歯)の技術も覚え、麻酔なしで廷臣の歯を抜くのが生涯の趣味になったという傍迷惑な一面も。
    • 大帝と呼ばれたのは、「偉大な皇帝」だからではなく、2メートル以上の身長があったので「巨大な皇帝」と呼ばれたという物理的理由からだという噂も。
  2. ヨーロッパに旅行して、ロシア人のマナーの悪さを知らしめた。
    • ハノーファーでは当主(後にイギリス王ジョージ1世になる)のょぅι゙ょに×××××一歩手前の行為を働いた。彼女は後にプロイセンのフリードリヒ・ヴィルヘルム1世に嫁ぐ。その子がフリードリヒ2世(大王)。
  3. 他人のアゴヒゲに税金をかけた。しかし自分の口ヒゲは対象外。
    • もともと口ヒゲは対象外です。駄目なのはアゴヒゲだけ。
  4. ゴキブリが大の苦手(実話)。
  5. 寒い気候のロシアにゴキブリっていたんですか? 雑学の本には「寒いので北海道にはゴキブリはいない」って書いてあったんですけど、どうなんでしょう?(by ゴキブリ大嫌い)
    • ピョートル1世は若い頃西欧を視察していたので、そこで遭遇した可能性は高い。
  6. 聖ペテロにかこつけて自分の名前を首都名にした。
    • 後に共産主義者たちや一部の日本企業が行った地名改悪の悪しき前例となった。
    • その都市を建設させたのはご本人だが。
  7. 身長2m超の大男。前述の造船所でも「力仕事をバンバンこなして新入りにしてはやるじゃねえか」と評判だった。
  8. 冬の海で転覆しそうな漁船を助けるため海に入り、肺炎にかかって死去。最後まで豪快な生きざまだった。
  9. しかし后の不倫相手をクビチョンパにして瓶詰めにするという野蛮な一面も。
  10. ロシアにジャガイモを最初に持ち込んだのだがピョートル1世なのだが、今まで見たこともない上に、持ち込んだのがアレなお方のためまったく普及せず。
    • 皇帝自ら農民たちの前で食べて見せたが、「悪魔の化身」と噂される人なので「あのお方だから平気なんだろう」とやっぱり食べない。
    • 最終的に剣を突きつけて無理やり食わせ、食べられるものであることは理解されたが、普及にはとんでもなく時間がかかった。人間日頃の行いですな。
  11. オランダが日本との独占貿易でぼろ儲けしていると聞き、日本に興味を持ち始める。その後見たこともない異国人の噂を聞き、彼を宮殿に呼ばせたところ、その漂流民の正体は日本人ですぐさま日本語学校を開校、彼を教師として登用し日本開国のためにロシアの若者に日本語を教えさせた。なおその日本人は大坂の商人で、ロシア人が最初にしゃべった日本語は関西弁である。
    • 彼が計画した日本開国計画は150年以上に渡り、不凍港獲得に匹敵するほどの壮大なプロジェクトになってしまった。
  12. 病気になった側近がいると、自ら見舞いに行った。……外科の手術道具を持って。
    • つまり大人のお医者さんごっこ……おやこんな時間に誰だ。
      • 抜歯にはかなり自信あり。

エカチェリーナ1世[編集 | ソースを編集]

  1. リトアニアの芋娘がどういういきさつかロシア初の女帝に。
  2. 女帝になって行ったことは亭主の前妻を迫害しただけ。
  3. 実際は傀儡。
  4. オッパイこそでかいが決して美人ではなかった。亭主が癇癪を起こした時に止めに入れる程ガタイが良く頑丈、ついでに聞き上手なおっかさんタイプだったのが決め手だったようだ。

ピョートル2世[編集 | ソースを編集]

  • わずか3年の在位で天然痘で死亡したかわいそうな人。
    • それに14歳

アンナ[編集 | ソースを編集]

  1. さっぽろ雪まつりの元祖。
    • 氷で宮殿を作らせた…が、自分の機嫌を損ねた家臣夫妻に一晩住ませるというしょーもない使い方をさせただけだった。

イヴァン6世[編集 | ソースを編集]

  • 生後6ヶ月で即位、1歳で退位させられ、その後ずっと監禁されて一生を終えたかわいそうな人。
    • 救出を試みた人がいてその時に殺された。
    • 物心ついたときには監禁されていたということになる。もしかしたら字も読めなかったかも。

エリザヴェータ[編集 | ソースを編集]

  1. ピョートル大帝とエカチェリーナ1世の娘で、母から後継者指名を受けていたにもかかわらず、3代も待たなければならなかった。
  2. その反動か、やたらと豪勢な宮殿をぶっ建てまくった。
  3. しかし彼女の代、外ではフィンランドを制圧し七年戦争でプロイセン優位に戦局を進め、内ではモスクワ大学を設立し国内の近代化を推し進めた。それゆえ後世の歴史家には「栄光なきにしもあらず」と称えられている。
  4. 初恋の男性が死去したため公式には独身を貫いた。後継者のピョートル3世は姉の息子にあたる。

ピョートル3世[編集 | ソースを編集]

  1. 現代に生まれていればさぞセルフ車掌になっただろう。
  2. プロイセン人と仲良くしたばっかりに廃位された。
  3. なぜか死後に偽者が次々と現れて騒乱を引き起こした。
  4. 女房(エカチェリーナ2世)を担ぐ連中に暗殺されたかわいそうな人。
    • 女房にぶち殺された時は、「痔が悪化したとかいう理由で崩御された」と公式発表されて嗤いものになったそうだ

エカチェリーナ2世[編集 | ソースを編集]

  1. 彼女以降は生粋のロシア人では無くなっているのだが、歴史の授業ではその事実は教わらない。
  2. 亭主から帝位を奪った際にどんちゃん騒ぎをやらかし、居酒屋にツケを払うのに3年かかった。
  3. 池田理代子のマンガやおろしや国酔夢譚のおかげで日本人に一番人気のあるツァーリ。しかし彼女の代に農奴制が確立しており、農民に対しては大魔王でしかなかった。
  4. 性欲が物凄く、馬とアレの最中に押し潰されて崩御された。
    • これは単なるホラ話に過ぎないが、無数いた愛人の一人とやってる最中に脳卒中を起こしたという説が強い。
    • 愛人を斡旋していたポチョムキンとの間にはエリザヴェータ・ポチョムキナなる娘がいたらしい
    • このことを死後に孫(ニコライ1世)にボロクソ言われている。
  5. 大黒屋光太夫が最初に彼女に謁見した際彼の漂流譚を聞き、涙を流したが、二回目の謁見のとき光太夫がいつ日本へ帰してくれるのか聞いてみたが、答えはなかったらしい。
  6. 息子パーヴェルは愛人との子。といってもロマノフ家の血が絶えたわけでなく、姑エリザヴェータ推薦でロマノフの分家筋のイケメンを宛がわれたそうな。

パーヴェル[編集 | ソースを編集]

  1. ナポ公と仲良くしたばっかりにあの世に送られたかわいそうな人。
  2. この人の治世の時にアラスカの領有を宣言した。(本人が関わったかどうかは知らんが)

アレクサンドル1世[編集 | ソースを編集]

  1. 親父が好きだったナポ公と絶交し、その侵略を撃退した。このときの戦法は第二次大戦でヒトラーに対して使ったものと同じである。
  2. 「神聖戦隊ユーロレンジャー」を結成した。他のメンバーはイギリス、フランス、プロイセン、オーストリアである。
  3. 上の五国はあくまで五国同盟であり、神聖同盟には教皇、オスマン、イギリスを除く全欧が加わった。
  4. 彼が知らない間、日本と戦争寸前になった。
  5. 『会議は踊る』のロマンスで有名な"アポロンの再来"の二つ名を持つイケメンツァーリ・・・と崇め奉っていたら肖像画見て一気に幻想が打ち砕かれた腐女子がいたとかいないとか。
  6. ポーランドとフィンランドを手中に収めた。
  7. このあたりから統治者がハゲ→非ハゲ→ハゲのサイクルが始まる。

ニコライ1世[編集 | ソースを編集]

  1. 刑事プリオが引き起こした反乱を鎮圧した。
  2. 政治犯に死刑の判決を下し、執行直前でシベリア流刑に切り替えるという皇帝陛下のご慈悲を自作自演した。その時の死刑囚の一人がドストエフスキー。
  3. 誰が勝ったんだかよくわからない大戦争(クリミア戦争)をひきおこす。
    • 天使を降臨させる一方で死人も多数。
  4. 死因はインフルエンザ

アレクサンドル2世[編集 | ソースを編集]

  1. 最初は啓蒙君主を目指し善政を心がけたが、民衆があんまり感謝してくれないのでぶち切れ、一転して専制君主に。
    • 長期的には成果があった。
  2. その結果、テロリストに爆弾を投げつけられて死んでしまったかわいそうな人。
    • ちなみに、サンクトペテルブルクでもっとも派手な「血の上の教会」はその暗殺現場に建てられた教会。
  3. ロシアの版図はこの皇帝の時に最大となった。
    • ソ連時代よりも大きく、「地球上の陸地の6分の1はロシアの物」と言われた。

アレクサンドル3世[編集 | ソースを編集]

  1. このツァーリの戴冠式に出席した山県有朋は大いに感動し、わが皇室もこうでなければならぬと思い詰めて帰国、以後皇室の神聖装飾に腐心した。その後の経過を顧みると、皇室にとっても国民にとっても、かなり迷惑な道であったように思われる。
  2. 嫁さんは美人。同時代のエリザベート・オーストリア皇妃とも張る位。
    • もともとは兄と結婚する予定だったが兄が結婚直前で死亡し、兄の遺言で結婚。
    • 嫁さんの姉も美人。
  3. 明らかに頭が光っている。

ニコライ2世[編集 | ソースを編集]

  1. ラストエンペラー。
  2. 日本旅行中に襲撃された事を根に持って日本人を猿呼ばわりしていた。まさかその猿軍団に負けるとは思わなかっただろう。
    • 大津事件まではかなりの親日家だったらしい。
    • 戦争をする気はなかったらしい。「日本と戦争? そんなことは決してあり得ない。なぜなら朕が望まないからだ」と言った。
      • 「自分さえ望まなければ戦争は起こらない」というタワゴトを信じている者は現代日本にも数多くいるので、ニコライ2世を笑えない。
    • 日本で刺青まで施している。
      • この当時日本で入れ墨入れるのがなんか向こうの王族の間でステータスになってたらしく、サラエボ事件で有名なフェルディナントとかイギリスのジョージ五世も入れ墨持ち。ちなみにニコライのは右腕に龍の図案である。
  3. 自称教祖様を寵愛したため顰蹙を買った。
  4. 現在では土産物のマトリョーシカでたまに見る。
  5. ロマノフ王朝を扱ったフィクションでは遺体が見つからない皇女のその子孫が登場する。
  6. 四女はどこへ行った。
    • 三女は逃げ延びて日本で暮らし、その財宝が米花町で好評されたが、危うく怪盗1412号に盗まれそうになった。
      • 2008年4月に三女の遺体が発見!! よってこのフィクションは矛盾してしまう。
  7. 最期は一家全員ソビエト政府による銃殺刑。そして、その近くの土地に遺体が埋められた。
    • そして、その近くの土地に遺体が埋められた。
    • 皇帝一家はゴミのように捨てられ、レーニンの遺体は未だに永久保存。扱いが悲惨!!
    • レーニンは暗殺未遂をされた後に旧貴族や政治家、軍人を帝政派思想という理由で処刑。
    • アナスタシアと名乗ったアンナ・アンダーソンというポーランド人が現れる。
      • しかしDNA鑑定で偽者と判明。
  8. 共産主義国は『坊主憎ければ袈裟まで憎い』思想である。(シナがパンチェン・ラマの生まれ変わりである当時6歳の少年を政治犯として逮捕するのと同じよう)
    • 北朝鮮は犯罪起こしたら家族まとめて刑が下される。共産主義は根絶やしにしなければ気がすまない。
  9. ロマノフ4皇女はいちご100%の4人みたいに人気ある。
    • たしかにOTMA(オリガ、タチアナ、マリア、アナスタシア)というこの結束力と身長差がいち100に似ている。
  10. ロマノフ王朝が滅んだらソ連誕生、しかし建国者レーニンはわずか2年で死亡。
    • スターリンが30年も権力握ったためにスターリン王朝が誕生。しかしスターリンの子供は死亡・またはアメリカ亡命。
  11. レーニンのニコライ一家銃殺刑が「法を守る振りさえしなくなった」契機だと歴史家に批判されている。
    • これがきっかけで大粛清が始まったんだな。
  12. 結局無意味に殺された悲劇の皇室であった。
  13. ニコライ以外にも弟のミハイル一家も粛清。ニコライ・ミハイロヴィチ大公を含む四人の大公がペトロハバロフスク要塞で処刑され犠牲者は17人。
    • 生き残れたのは、数人で、ニコライ2世の母、つまりはデンマーク皇女だったマリアとその娘。
  14. ソ連があまりにもたちが悪かったのでアメリカやヨーロッパでは結構その死が共感されている。
  15. 末っ子のアレクセイ皇太子はまだ13歳で、しかも血友病という不治の病を患い、20歳までは生きられないらしい。そんな罪のない子どもまで、平然と殺した。ロマノフ家の血を絶やすためとはいえ、非道の極み。
    • 遺体は硫酸で溶かされ、残った骨は幽閉されていた屋敷近くの森に(埋葬ではなく)ただ埋められた。
    • ロシア正教では、ニコライとその家族は聖人として祭られている。