ロレーヌ

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ロレーヌの噂[編集 | ソースを編集]

  1. ロレーヌという地名は、かつてこの地に存在したロタリンギア王国からきている。
    • 9世紀にフランク王国が分裂してできた中フランク王国を、国王であったロタールI世の死後、その息子たちが3分割して継承。そのうちの1つがロタリンギア王国。
    • ロタリンギアという名は、この地を継承した国王、ロタールII世からきている。
  2. 東隣のアルザス地方とともに、フランスとドイツとの取り合いが繰り返された。石炭と鉄鉱石が目当てらしい。
    • その歴史から、ドイツ文化が色濃く残る地域である。ドイツ語では「ロートリンゲン」。
      • 文化全般としては確かにそう。但し、土地の言葉はアルザスの場合は(一部山村を除き)元来ドイツ語系なのに対し、こちらは北部のモゼル県(北半分がドイツ語圏)以外は完全なフランス語圏になる。
        • メス付近に言語境界線が走る。既に近世にはフランス語化していた市内にはフランス語の地名が多い(但しドイツ帝国領時代はそれなりにドイツ語も使用され、大戦間期にも一部残存していた)のに対し、北東部郊外あたりからドイツ語系の地名が出現し始める。
        • 普仏戦争でドイツが併合したのはドイツ系の多いモゼル県のみ。残り2県はフランスに残留していた。
    • 確か、マリア・テレジアの夫はここの人じゃなかったっけ。
      • 神聖ローマ帝国所属の「ロレーヌ(ロートリンゲン)公国」の君主だったわけだが、マリア・テレジアとの結婚の条件として領地ロレーヌをフランスに譲ることを強要されたという。
      • 最も、フランス王ルイ15世の舅で前ポーランド国王が隠居領として一旦相続しているので、正式にフランス領となったのは1766年。住民がドイツ系のアルザスよりもフランス領としての歴史は実は短かったりする。
        • 厳密には独仏二股膏薬状態でずっと来ていたらしい。神聖ローマ帝国所属ながらフランス語圏で、フランス王家ともつながりがあってフランスの諸侯とも見なされるという複雑さ。
          • ルイ14世の侵略でロレーヌ公はハプスブルク家を頼ってオーストリアに亡命、以来ロレーヌ家は半ばゲルマン化し、領土を奪還した後もドイツ名を名乗るようになった。マリア・テレジアとロートリンゲン公フランツ(一応フランソワというフランス読みもあるのだが)が結婚したのもこれと無関係ではない。
  3. バカラ・クリスタルに代表される、アール・ヌーヴォーのガラス工芸が有名。発祥の地「バカラ村」はロレーヌにある。
    • 豊富な鉱産物と窯の薪になる森林、動力になる清流に恵まれていた。
  4. 森林と言えば、フランス国内唯一の森林学校とやらがあるらしい。
  5. キッチュ・ロレーヌの本場。ベーコンが入るのがロレーヌ風らしい。
  6. 清流と言えば、ミネラルウォーターVittelの採水地、ヴィッテル村がある。

町の噂[編集 | ソースを編集]

ナンシー[編集 | ソースを編集]

  1. 金沢と姉妹都市。
    • ナンシーはガラス工芸、金沢は九谷焼や漆器という、美術工芸の街同士というのが縁。
    • とは、消しゴム版画が仲を取り持つ。
  2. 古くからのガラス工芸を押しのけ、19世紀後半より鉄鋼業が盛んになる。当時プチ成金が急増した。
  3. アール・ヌーボーの街。キラキラした街並みにもどこか日本チックなところがある。
  4. やっぱり夏色をしているのだろうか?

メス[編集 | ソースを編集]

  1. 中世ヨーロッパの中心地。今では見る影もない。
    • 16世紀半ばにフランス領になって以来、対ドイツの要塞都市化してしまった。
    • 17世紀後半、ナントの勅令(信仰の自由を認める)の廃止により、産業の中核を担っていたプロテスタントの商人・職人がさっさと街を出て行ってしまった。