三木鉄道
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路線の噂[編集 | ソースを編集]
- 存亡の危機に瀕している。
- 新しい三木市長が「廃止」派。市民の半数以上も廃止を望んでいる。
- 新聞に時々出てくるが、いつも話題は「廃止」。
- 昼間に三木~厄神まで乗る乗客は2、3人。
- 途中駅からの乗降は皆無に等しかった。途中駅にて乗降があると奇怪な目で見られたそう。
- 三木市民の半数は緑ヶ丘・自由が丘あたりに住む。彼らにとって三木旧市街など山の下のことはどうでもいい。
- 彼らにとって大事なのは三木旧市街ではなく神戸市中心部。よって三木鉄道よりも神姫バスの方が重宝する。
- 自由が丘で東横線思い出した。こっちも高級住宅街なのかな?
- 緑が丘も東京にあり、しかも自由が丘駅の隣。
- 半数どころか7割が廃止に賛成だったとか。
- 駅と駅の間の距離が短い。
- 路線がほぼ直線なので、国包‐宗佐間では隣の駅がよく見える。
- 3セク転換後に追加された。
- 国包駅は、日本で最初の「カプセル駅舎」。
- 車両はまだ新しいほうだが駅はボロイ。
- 車窓が殺風景。
- 最大の敵は「車」。
- 加古川線との直通がなくなったのがおそらく一番痛い。対三ノ宮でも、所要時間では神戸電鉄に勝てるのに。
- 対ハーバーランドだとバスにも勝てる。
- でも加古川経由では遠回りのイメージが強い。地図で見ると三木市は明石市の真北にあり、神戸市とも隣接している。
- もし三木市から明石駅まで鉄道が通っていたら、三セク転換時に廃線していたかもしれない。
- 現に明石まで延ばす計画は存在した。もし実現していたら明石寄りが阪神地域への通勤路線となり3セク転換は免れていたかも。
- もし三木市から明石駅まで鉄道が通っていたら、三セク転換時に廃線していたかもしれない。
- 廃線が決定した後ぐらいから、カメラ等を携えたそれらしき方々を時々見かけるようになった。
- 廃線決定後の盛り上がりが凄い気がする
- まるで廃線を祝っている(?)ような感じだ。
- 縁起でもない・・・
- まるで廃線を祝っている(?)ような感じだ。
- 平成20年3月31日の運行を最後に廃線となった。
- 車両をあちらこちらの会社が欲しがっているらしいが、どうして、くりはら田園鉄道や鹿島鉄道の車両はどこの会社も欲しがらなかったのだろうか。
- 三木鉄道のレールバスは車齢が若いし、小さくて使い易いから。くりでんはデカすぎ、鹿島は現役日本最古を含め古いものが多かった。
- 鹿島には古いのも多かったけど平成生まれの新型もいた。廃止後スクラップになってしまった車両もあり、どこかの鉄道で活用できなかったのか非常に惜しまれる。
- 新車を投入した直後に廃止になったからなあ。
- 三木鉄道に車輌譲渡を打診したのは全国の弱小私鉄8社にものぼった。
- お隣の北条鉄道にも譲渡された。
- あとはひたちなか海浜鉄道にも譲渡された。残り1両は歯医者になった。
- ここの気動車は標準タイプの車両で、全国の3セク鉄道で同型車両が見られる。
- 三木鉄道のレールバスは車齢が若いし、小さくて使い易いから。くりでんはデカすぎ、鹿島は現役日本最古を含め古いものが多かった。
- ここと北条鉄道を国鉄赤字線の3セク鉄道ブームにのって存続したものの、赤字になってしまったので、本来なら利用者が多くて生き残るはずの鍛冶屋線が潰れた。
- 西脇駅…
- 三木鉄道代替バスが運行(開業)された(08/04/01~)
- 時間がかかると不評の東日本大震災の被災地の鉄道代替バスですら、本数を増やすなどせめてもの利便性の向上に努めてるというのに、こちらは何の工夫もない。神姫ゾーンバスの社長も三木市長も関西国際大の学生のボランティアにやらせていいレベルじゃないか、ぶっちゃけ。
- ビルゲーツやドバイのおっちゃんが鉄ちゃんだったら運命も変わったかもしれない。
- ローカル線のお得意様に通学の高校生があるが、三木と加古川では公立高校の学区が異なるためそれもなかったのが痛かった。
- 廃線して数年後、学区統合されたのはなんとも皮肉な話。
- なぜ第3セクターで存続させたかよくわからない路線。
- 三セク転換当時の三木市民が存続を希望していた為。後に廃線を希望するようになったのは先述の通り。
- 仮にJRとして存続していたら神鉄対策として電化と加古川直通列車を作り新快速との乗り継ぎを上げていただろう。
- 逆に神鉄の方が廃線になっていたかも。