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三条市

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ご当地の噂 - 世界アジア日本甲信越 > 新潟中越三条市

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テーマ別の噂[編集]

三条市の噂[編集]

三条市看板.jpg
  1. 隣の燕市とは、本当に仲が悪い。
    • 三条市と燕市の境に上越新幹線の駅と北陸道のインターがあるが、新幹線の駅は「燕三条」、高速のインターは「三条燕」である。これは、どちらの名前を上にするかで揉めた末の妥協の産物。
    • 何でそんなに仲が悪いの?
      • 詳しくは三条vs燕をご覧ください。
      • 三条は商業の町(江戸時代、越後の物流の中心地だった。他にも主に金属・衣服の問屋業、小売業)としての顔、城下町としての顔、寺社の門前町としての顔、金属加工等の工業の町としての顔、置屋や飲み屋の立ち並んでいた夜の町としての顔がある。城は江戸の早いころに廃城となり、商業の町(この顔が燕との対立を招いた)、夜の町も大きく衰退したが県内ではまだまだ裏表含め存在感のある所だと思う。
  2. 三条市に本社を置く三条新聞のTV欄は粗筋が事細かく書かれていて放送を見なくても十分過ぎる程の情報量だ。
    • また、三条新聞の大スポンサーや社長個人と親交のある人が経営してる会社の不祥事やマイナスになる記事は絶対掲載しない事で有名。
      • お金さえ払っていただければひき逃げ事件も黙止します。
        • 某ローカル板ではあまり評判がよくない。
          • 一部では山新聞と言っている人がいる。
        • 求人広告はあまり信用してはいけない。
    • そのクセどうでもいい記事が多すぎ。(例:迷いネコを探す記事を紙面の1/4使うとか)
      • 当たり前。毎日発砲事件やら、覚せい剤所持やら、拉致やら、軟禁やら、殺人が紙面を賑わす地域ではない。
        • そうでもない。実際人口比では県内一治安が悪いと思われる。実際に殺人事件や傷害事件が隣の燕市や加茂市などで滅多に起きない事件が毎年数件起きてる。
    • トリビアの泉に出てたなぁ。
      • トリビアの泉といえば、三条市出身の高橋克実は子供の頃、三条信用金庫のCMに出ていた。
      • トリビアでは「82へぇ」と「金の脳」を獲得。でもカッツミーのリアクションに落胆した三条市民も多かったのでは。
    • あと、正しくは「三新聞」ね。
    • 三面の広告欄には葬儀屋の御会葬案内、御会葬御礼の広告が多い。毎日こんなに亡くなられているのかと思ってしまうほど。
      • この広告があるから三條新聞を購読したくなくても購読し続けなければならない。
  3. 近年、本寺小路(飲屋街)に新潟長岡方面より悪質な客引きや立ちんぼ女性が流入。それに伴いチンピラやチーマー風の若者が激増。
    • 昔の本寺小路を知る人は、「ヤクザが減って睨みを効かせる人が居なくなり治安が悪くなった」と嘆いている。
      • ちなみに本寺小路の本来の読み方は「ほんじこうじ」ではなく「ほんじょこうじ」と読む。敢えて「ほんじょこうじ」と言いわれている方はネイティブの鑑。
    • 2008年10月27日、10棟以上を全半焼する大火災が発生。影響が心配だなぁ・・・。
  4. 現在三条市から福島県只見町へ行く国道289号線は途中で途切れる。
    • 現在、国の直轄事業として鋭意工事中だが、全線開通の目処は暗い。また、福島県側にはもう1箇所不通箇所があるが、そちらも同様の状況である。
    • もう1箇所の甲子道路は平成20年度開通です。
      • 予定通り開通するのか甚だ疑問だ。
    • 「国道」ならぬ「酷道」ってやつね。
  5. 町の中心駅は三条駅ではなく東三条駅。
  6. 一応、三条市は「中越」と定義されているが、ナンバーが「新潟」だったり電話帳が「新潟下越版」だったりするなど、実際は「下越」なのかどうか市民にも区別がつかない。
    • 加茂市と田上町も同様に帰属があいまい。
    • そもそも燕三条・東三条駅以北では「中越」という意識自体が希薄。
      • 県そのものの帰属が曖昧なのに、その中でも曖昧な地域だなんて…。
    • 天気予報と農協の区分では中越。
    • 路線バスは越後交通新潟交通が混在。但し前者のほうが圧倒的に多い。
      • 燕市・加茂市と並んで「新潟ナンバーを付けた越後交通のバス」が見られる貴重な場所。
      • 今や新潟交通は高速バスくらいか。
  7. 三条の大企業といえばストーブの「コロナ」とホームセンターの「ムサシ」だが、それぞれに強力なライバルである「ダイニチ」と「コメリ」が存在する。しかも後者の二社とも三条が創業地。
    • 新潟県内だけ見て「コメリ」と「ムサシ」を比べてはいけません。「コメリ」は全国規模だし店舗数・売り上げともに全国一のホームセンターです。対して「ムサシ」は色んな分野に手を伸ばしすぎて経営不振に陥り新潟市の「ランドクラブ」は消えちゃいましたね
    • 冬季はコロナ、ダイニチ限定の「ストーブ病院」が開業する。
    • カタログギフトのハーモニックも三条の会社。
  8. 2007年現在の市長である国定氏は就任時34歳という、全国一若い市長らしい。
    • 東京都千代田区出身。五十嵐川の川幅の狭さにびびったらしい。
    • 就任時年齢の記録では箕面市長に並ばれた模様。但し記録を更新されたかどうかまでは不明。
      • 2009年、千葉市長に大きく引き離されました(31歳)。
  9. 東三条駅前にAPAマンションの建設が続いているが、耐震強度偽装問題に泣かされている。
    • 新潟県民一般にとっては、「APA」の響きが新潟方言の「あっぱ」(ウ●コの意)と聞こえるため、イメージはあまり良くないと思う(食事中の人スマソ)。
  10. 三条市民球場での北信越BCリーグ開幕戦、雨はあがったのに試合開始が2時間近く遅れる。
    • 理由はグラウンドに入れる土が用意してなかったとの噂。
      • これまでグラウンド整備したことないのか?
        • スーツ姿の関係者までがスコップと一輪車で大慌て。スタンドからは大ブーイング。
          • ホームのアルビの選手だけでなく、富山サンダーバーズの選手までがトンボを持って整備を手伝った。
            • プロの両チームの選手が試合前に観客の前でグラウンド整備とはある意味歴史的シーン。
  11. 商売で見積もりの時点で、かなり値引きさせられ商談成立したのに集金へ行くとまた値引きをせがまれる。これを「三条払い」と言う
    • 金物の産地でもあり商業の街だからでしょう。地元で「金物屋」というと街にあるお店じゃなく金物問屋を指す。最盛期には金物問屋だけでも400軒あったとか?今は年々減っています。
    • 技術の高さをして「西の三木、東の三条」と言われるくらいに昔は産業が栄えていた。今でも関西弁が飲み屋で聞こえてくるのは産地間の交流があるため。
      • 三条は小さいながらも何でもそろう町であるので、それらを組み合わせ発明品を作り世に送り出す職業をされてた方々がいた。今その血筋を受け継いでるのがツインバード工業とも取れる。ただしツインバードは三条の企業ではなく燕。
  12. 最盛期の三条競馬場(現在は廃止され、場外馬券売り場のみ)が懐かしい…。
    • かつては重鎮声優の冬馬由美が場内アナウンスをしていたこともあるとか。
    • 廃止後は7.13水害で被災した住宅から出たごみ置き場になっていたことも。
      • 匂いがやばかった。
        • 「匂い」じゃなく「臭い」だな。「匂い」だと芳香ということになってしまう。
    • 「♪まーたードラマがー始まるー、エキサイティング! 三条競馬♪」…懐かしいなあ。
    • 2009年の新潟国体で馬術競技の開催地となった。しかし競馬場としての復活はない模様。
  13. 夕方5時の時報はウェゲナー作曲の野ばら。
    • 正直うるさい。
    • 2009年4月現在は新潟国体のテーマソングである「ガムシャラな風になれ」。
      • 2010年6月現在は「遠き山に日は落ちて」って曲(名前が思い出せない…)。
        • 曲名はそれでOK。5時になるとあちこちで一斉に流れるが、それぞれ微妙にタイミングがずれて聞こえるせいで真面目に聞いていると少し変な気分になる。
  14. 代官山ならぬ、代官がある。
  15. 市内には「月岡」という町域が存在する。
    • テレビで「月岡温泉」のローカルCMが流れるたび、ここに所在しているものと勘違いして育った三条人は少なくないのでは(実際は新発田市の旧豊浦町)。
  16. 北海道の老舗百貨店丸井今井の経営破綻は他人事ではないと思っている。
    • 創業者が三条出身というのがその理由。市内には生家が保存されている。
      • その隣には地元のデパート「まるよし」(すでに倒産)の廃墟が存在。
        • 一旦は別のテナントが入って再出発したものの、またまた閉店って…、はぁ…。
      • 一部ではあるが”ただの古い家じゃないか?”と言っている心無い人がいる。
        • 周囲があれだけの大火災に見舞われても生き延びたんだ。少しは大事にしてやってくれよ。
      • ちなみにその生家、丸井今井側は「丸井今井三条」を名乗っているが、当然店は無い。
  17. 三条市内は道路が狭くて下水道がほとんど普及してないのでちょっと住みにくい。
    • 三条市内は道路が狭いので車で運転していると一時停止でなくても一端止まらないと危ない交差点がある。
    • 下水道が普及してないので春になるとドブ上げをしなければならない。
  18. 菅野美穂主演のテレビドラマ『曲げられない女』のロケ地でもある。
    • 主人公が新潟出身という設定の上、なんでも「街中に古い建物が多い」というのが理由らしい。
  19. 新潟市の結婚相談所が三条市で定期的にお見合いパーティーを開催しようとたが全て失敗に終わった。
  20. 1997年に県央地場産センターで新潟県で初めて統一教会の合同結婚式が開催された。
  21. 故・ジャイアント馬場の故郷。
    • 生家は県央工業高校ほど近くにある。
    • 但し、お墓は兵庫県明石市にある。
      • プロ野球選手時代のキャンプ地でご当地出身・元子夫人と初めて会った場所で、明石を第2の故郷と公言していたため。
    • ミスタータイガース・掛布雅之氏もここで生まれてから3歳まで三条で過ごした。
      • 実母の故郷もまた三条にあるため。
  22. 体育がやたら厳しい高校が多い。三条工業(県央工業)はレスリングのメダリストが体育を指導しておられる。そこの生徒たちに大変畏怖されている存在であり、心の拠り所でもある…。
  23. 2004年の7.13水害の時、堤防決壊現場から近い曲渕(まがりふち)地区からTeNYのニュース中継が入ったのだが、現場の堀敏彦アナが思いっきり「渕曲」と逆に読んでしまい、スタジオが一瞬凍りつくハプニングがあった。
    • ニューススタジオ「………、さ、三条市、曲渕から、堀キャスターに伝えてもらいました(汗)」
  24. 加茂市が北越の小京都なら、三条は北越の小大阪である。昔は越後に届いた商品はまず三条で荷解きされてから、各地に届けられたらしい。ちなみに一時期なにかで本家の大阪に勝ってたとかよくわからない伝説も残ってる。
    • 三条というと京都を連想するが、橘(三条)左衛門定明という京都出身の伝説上の人物が周辺を拓いた時に、恩のある人を忘れないため、槻田という地名を改め京都の三条という地名を移したのだとか。
  25. 門前町でもあり八幡神社やごぼさまをはじめ、寺や神社が町に密集している
    • 日本一大きい石仏がある寺があるらしい
      • 法華宗陣門流総本山の本成寺の鬼踊りが名物
      • 八幡神社はもともと京都石清水八幡宮に有ったものを移したもの
        • 大崎地区に八幡山という山があって、もともと八幡神社はそこにあった。
    • 実は山の中に木彫りの男性の象徴を四本も祭る神社がある
    • 良寛さんの托鉢(地元の言葉で、膳回ぉり)の定番地でもあり、良寛さんの足跡なる看板がある。
    • 延喜式神名帳という、由緒あるありがぁてぇ~書物の記載の神社が四つもあるが市民はほとんど知らない。(現在の市域で、伊久礼神社、槻田神社、小布勢神社、伊加良志(五十嵐)神社)市民はもっと誇りも持ちましょう。
      • 伊久礼神社は和歌を俳句をしてる人には「井栗の万葉の藤」ゆかりの地としても有名。今でもその藤の子孫が残ってて、時季になると藤の花の下で歌を詠みに来る人もチラホラ。
    • 北三条駅近くの鍛冶道場には西本願寺派の三条別院があった。今あるごぼ様は東本願寺派の三条別院なので昔は本願寺の別院はどちらもあった。与板にもあるお西さんの別院と一緒になる形で、平成8年くらいに無くなったと思う。
    • 実は越後の仏都の異名もある。
  26. 江戸時代が鉄加工の地場産業の起源と言われてるが、実際の歴史はそんなもんじゃないらしい。大昔は河内の国から鋳物師が大崎地区に移住したり、7世紀位には刈羽郡近辺にいた鉄加工技術を持った集団の移住があったらしい。
  27. 最後の瞽女と言われた小林ハルの出身地
  28. あまり話題に上がることはないが三角厚揚げは車麩と並ぶ三条人のソウルフード。
    • 三条周辺の若い世代にとってのソウルフードは早通屋パン屋で作ってる象さんマークの袋の「チーズクレープ」だろう。
      • 1985年前後産まれの世代の給食には既にあったらしい。おいしいので事情があって余るようなことになれば必ず争奪戦が起こったもので、多くの小学校・中学校での思い出の風景では無いだろうか。
  29. 着物の街としてもかつては有名で、附近の産地(加茂や見附栃尾等)から集めたものを扱っていたお店・問屋が昔はたくさんあった。
  30. なんと昔はサトウキビを作ってた。江戸時代あたり駄目かと思って五十嵐川の河原に植えたら思いの外出来が良ったんだとか。「大東亜の戦争」の戦後辺り周辺の在郷に普通にあったようで、食べるものが無く「申し訳のぉ思うての、たまにもろうて食うたんだいや」みたいな話はけっこう昔話で聴かされた
  31. 江戸時代には廃城されてたが城下町でもあって、一代目の城が古城町、二代目の城が競馬場跡のところにあった。
  32. かつてベニスの商人と言う貸ボート屋があって五十嵐川で船が漕げた。
  33. 凧や凧合戦も名物。

旧栄町の噂[編集]

  1. 存在感希薄。何か特徴ってあったっけ・・・?
    • 北陸自動車道の栄パーキングエリアがあるため、知っている人は知っている。
      • スマートICが出来た。三条市初のインターチェンジである。しかし多くの三条市民より燕市民の方が使いやすい。
  2. 昔、大面油田のあった町。
  3. 新潟ナンバーと長岡ナンバーの境界線はここ。
    • 三条市といわれても市の端っこのモンは未だにピンとこない。
  4. 他の平野部と足並みそろえて、移民地として観光を売り出すと良いのかも。
  5. 旭隧道は最近有名。肝試しの定番スポット。その先には世界一神社という、大層な名前の神社がある。
  6. しらさぎ荘は開湯のゆかりがあり、しらさぎが湧いていたお湯で足の傷を癒してたのをとある男が発見し、湯あみをすることで羽の傷をいやし飛び立っていった。そこから人にも温泉の効能に評判が立ち、利用が広がっていったんだとか。宿泊はできないが、台所やガスコンロなど今でも湯治場としての設備は完備されてる。
    • 殆ど同じ伝説が金沢の湯涌温泉にもあるそうな。加賀の移民の人が故郷を偲んで伝説を広めたのかも
  7. 明治時代に高安寺焼と言う瀬戸物の窯元があった。渋い味わいの日用品を作っていた。
  8. この地区原産の芝地鶏と言う地鶏が市の天然記念物に指定されている。昔の人の言うところ、北前船で山陰地方から渡ってきた系統のニワトリなんだとか言う話。
    • 母校の北小学校(栄北小学校)ではこの鶏を飼育委員が増やしていたけど、今は飼うの辞めたのかな?ちなみに昔飼育委員をしていたころの印象では、小さい卵をよく産む鶏で、チャボと比べると気性の荒い反面、根気よく世話すると良く懐く鶏だった印象。卵は見かけ通り茶色で、卵黄も黄色と言うよりオレンジ色に近い。良く卵を譲り受けて家で食べたが、市販の卵よりはるかに風味豊かで旨みのあるものだったと覚えてる。芝地鶏で三条の地方創生をすればいいのに、と思うこのごろ。
      • 「しばじどり」「しばずどり」は当て字したのをそのまま読んだ(今風の)読み方で、本来は「じばっとり」・「しばっとり」と言っていたらしい。島根の芝鶏(しばっとり)がまさに同じ読みで、その鳥の子孫では?と言うことらしい

旧下田村の噂[編集]

  1. 「しもだ」ではなく「しただ」と読む。
    • 旧下田村時代、営業電話の業者さんから「住所の読みは『みなみがまはらぐんしもだむら』でよろしいのでしょうか?」と訊かれたことがある。
    • みのもんたも下田を「しもだ」と間違えた。
    • NHKのアナウンサーもしもだって読んでた。確か中越地震の後の地震関連のニュースの時。
  2. 合併後の新しい市の花に、同村の花であったヒメサユリ(正しくはオトメユリらしい)が選ばれた。
  3. 新三条市の観光資源を一手に担っているらしい。
  4. ここの合併により「会場は三条市って聞いたけどいったいどこよ?」という事態に陥ることもある。
    • 特にこんな所とかが選ばれてしまうと・・・
  5. カーナビつきの車で旧下田村内をはしっていると、やまなみロードの中盤付近で「麻生」という住所が出てくるが、「あそう」とは読まずに「おはい」と読むらしい。
  6. 福島県へ抜ける交通網の要衝になることが夢だった。
    • 信じられないが村内に弥彦線の駅があった。しかも福島県側に延伸する計画すらあった。
      だだっぴろいバス停がかつての名残
      • 信じられない気持ちも分からなくはないけど、「長沢駅跡」とわざわざ「駅跡」をアピールしたバス停がその証拠。近くには石碑も建っている。
    • 道路にいたっては、今でも福島県に抜ける国道を掘削中。あと何年かかることやら。
  7. 地域の象徴である粟々岳はの山で少なからず鉄鉱石が出る。↑の三条の移住は五十嵐川経由の水運で鉄鉱石や隣近所の光明山の砥石、火起しの木材を運べたためにあったものらしい、という説が新潟日報に掲載以来、地元を騒がせつつある…。
    • ちょ、「あわあわたけ」って…w 「粟岳」な。
    • ちなみに下記の天皇家や三条・加茂をはじめとする川下に渡来人ゆかりの地名があるが、彼らはここの鉱物資源を目当てに進出してきた可能性も(後世の蒲原郡では三川鉱山が開山されてる。今のそこは名前を変え、別のスポットとして有名だが……)
  8. 垂仁天皇第11皇子の五十日足彦命という皇族の人を祭る五十嵐神社がある。配下の渡来人を率いて今の下田周辺や魚沼、頸城へ農地を拓きに来たそうな。伝説によると命の御陵の上に神社が立ってるのだとか。
    五十嵐さんの故郷(らしい)
    • 全国の「五十嵐(五十嵐小文治)」さんの苗字は下田発祥で五十日足彦命の子孫と地元では言われてる。ほかにも、命は結構ヤンチャだったらしく、蛇に化けて村娘をマァソノ孕ませたとかの伝説もあり、今では新潟のイイカゲン・サンジョッパライ・ヨゴレ・ショウワル担当な面がある(を押し付けられてる?)三条人の血は、実は新潟で一番高貴な可能性が?…
      • 五十嵐をイカラシと濁らないで読むのもここ発祥らしい。
      • 伝説にちなみに安産の神とも
  9. 文学博士の諸橋轍次の出身地。庭月集落にある記念館は毎回漢検の会場にも使われてる。
    • 記念館の隣には道の駅がある。
  10. 下田の福島に接する所に吉ヶ平と言う廃村がある。昔は只見に抜けていく旅人の重要な拠点の村だったらしい。吉ヶ平分校の建物が残っていて、山荘として使われてる。昔はキャンプでにぎわってたらしい。
    • 湧水が建物中の蛇口から流れ続けてる。詰まりの防止のためなんだとか。
      • トイレは何気に水洗(TOTOの洋式。ただし水流れっ放し)
        • 最近建てなおして小奇麗な建物になってしまった…味が無くなりつまらない。そりゃ昭和生まれにすればただのぼろい建物に見えるんだろうけど…わかって無いなぁと感じる。
    • 雨生池は大蛇伝説がある。その一つ「笠堀集落の名主、甚右エ門の娘の伝説」を辿ると平家物語「緒環の章」に似てるらしい。ちなみにもう一つの「吉ヶ平集落の大蛇伝説」は旧栄町尾崎集落でも、昔あった池で同じ伝説が伝えられていたらしい。
    • 吉ヶ平は平家の末裔が暮らしてるという、落人伝説がある村でもあった。
    • 吉ヶ平の福島側は八十里越という峠道。八里ほどの距離が余りに曲がりくねっているので八十里ほどに感じられた為に付いた名前なんだとか。魚沼側、六十里越と会津街道の本尊岩と並ぶ会津へ抜ける難所だった。
      • 「八十里 腰(越)抜け武士の 越す峠」と戊辰戦争の敗戦の途上、長岡藩家老の河井継之助は句を手負いの身でここで詠み、最期を迎えたそうな。
      • ちなみに里という単位は、厳密には距離を表す単位ではなく、運動量の単位であるのだとか。一里四キロなのは東海道中山道基準で、山陽道基準では一里2キロと伝えられているんだとか。そのため里の基準は、道や区間のよってバラバラらしい。要するに八十里越の区間はそれだけのキツイ往来だったということ。
  11. ひこぜんと言う伝統食がある。ほかにもこの地には一部に千枚漬け(昆布の代わりに柑橘と唐辛子を入れる)が伝わっていて各家庭で親しまれている。村の有力者が京都の新しい漬物がある、村人へ伝えたのが始まりなんだとか。
  12. 越後明暗寺跡と言う寺跡がある。幕府隠密の虚無僧を養成していたらしい。
  13. 昔は結構山深くまで田んぼや畑があった。今は杉林が広がる山中もかつては耕してたところが結構あるのだとか。かわりに下の方では桑畑が広がっていた。下田だけの話ではないのだけど、この蒲原辺りでは群馬や長野と同じように戦後しばらくまで養蚕は農家の仕事として一般的だった。昔の農家は忙しかった。
  14. 大瀧山の山頂付近に「道上パノラマ公園」があり、越後平野と周辺の山々を一望することができる。小屋とベンチしかないが、晴れていれば景色は良いのだろう。
    悪路を攻め上がってきた先にあるもの
    • 近くに電波塔があり、公園に行く場合はこれが目印になる。ただし、あくまで電波塔であり展望台ではないので登ることはできない。もったいない気もする。
      • 春になると植えてある桜も綺麗だよ。あとは、このへんから見附の花火も見えると聞く(長岡はわからない)。噂を聞く限りどうやらこの付近の山道は隠れた花火観覧スポットでもあるらしいね。
    • 道546号線か林道を辿らなければ着くことはできない。道が悪いので一般の観光客はほとんどおらず、宣伝もあまりしていないようだが、悪路を愛する酷道ファンの間では546号のおまけとしてそれなりの知名度があるようだ。
      • 新潟にいたころ、友達の家が下田側入口のすぐ麓にあるので、話がてらのドライブにここへ毎週のように行っていたが、ちかごろ全面舗装されるようで残念。



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