京都市の住所と道路
ナビゲーションに移動
検索に移動
京の住所と通りの噂[編集 | ソースを編集]
- 住所に番地がない
- 上下左右を、東西南北で語る。西に入る、東に入るといわず、右折・左折といってほしい。
- それでは、どっちを向いてはるかで違う方向になってしまいますやんか。
- 上下左右で語るのは、東西南北で語ると逆に混乱する構造をしている東京のローカルスタンダード。
- というよりも、東西南北で語れることをあえて自慢するのは、基本的に東京生まれ東京育ちの移住者(全国問わず)。
- 京都や大阪は基本的に碁盤目状になっているので東京の放射状の道が理解できない。東京の路線図を見ると頭が痛くなる。
- 上下東西だよ
- 「〜入る」は登記時の住所表記にもなっている。その後に町名と番地がある。
- 京都人にとって辻(交差点)毎に方角を指すのは日常の感覚。
- 町名は同じ区内でも同名の町があるため場所を一意に区別できない。逆に通り名+上ル下ル東入ル西入ル(ルは片仮名が正しい)で場所を一意に指定できるため町名番地は普段使われない。
- 郵便番号が7桁になるまでは京都人でも町名番地を知らない人が少なくなかった。というか、あれはどう考えても、郵政省を利用して国が京都の町名を忘れ去られないように画策したとしか思えない。
- あれって東(あずま)国人が京都のことを知らなかったからでしょ?
- 郵便番号が7桁になるまでは京都人でも町名番地を知らない人が少なくなかった。というか、あれはどう考えても、郵政省を利用して国が京都の町名を忘れ去られないように画策したとしか思えない。
- 三条通り、四条通り、五条通り、七条通り。。。あれ、六条通りは?ってほど、六条通りに存在感がない。
- 一条通り、二条通りはもっと存在感がない。
- 9系統堀川通縦断バスは、一条戻り橋・二条城前・堀川三条〜七条堀川停留所があるが「堀川六条」だけがない。
- 元処刑場だからです。…ってけーねが言ってた。
- 堀川六条は西本願寺前あたりなのに?
- 堀六に当たるバス停は「西本願寺前」
- 五条が南にズレた。今の松原が昔の五条。なので六条がないがしろにされてる。
- 五条を南にずらしたのは太閤秀吉。
- 現在は「花屋町通り」が六条にあたります。
- 五条を南にずらしたのは太閤秀吉。
- 「二条」は駅があるが、「一条」「六条」は駅すらない。
- 「六条郵便局」は現存する。
- 通りそのものは堀川~河原町の非常に短い距離しか現存してない。
- そもそも、京都の場合は「通り」と送りがなをふらず「通(とおり)」と書く。四条通、烏丸通など。
- 道幅も非常に狭く、油小路通から新町通の間は歩行者専用道路に指定されるレベルの幅員しかない。
- そもそも、京都の場合は「通り」と送りがなをふらず「通(とおり)」と書く。四条通、烏丸通など。
- 羅生門跡地を観に行くととてもガッカリする。
- 近所の公園の中にある。
- そのまた近所には、平安京南端を東寺と並んで護った、西寺跡も公園となっている。
- バス停は「羅城門」と表記したような気がする。
- 「まるたけえびすにおしおいけあねさんろっかくたこにしきしあやぶったかまつまんごじょう せきだちゃらちゃらうおのたなろくじょうさんてつとおりすぎひっちょうこえればはっくじょうじゅうじょうとうじでとどめさす」という謎の呪文があり、これを覚えないと「石の中にいる!」
- 正しくは「丸竹夷二押御池、姉三六角蛸錦、四綾仏高松万五条、雪駄チャラチャラ魚の棚、六条三哲通り過ぎ、七条超えれば八九条、十条東寺で止めさす」であり、東西の通りを北から順に唄ってます。憶えると迷う確率が90%減少。
- 一時話題となった電波ソング「巫女みこナース」にも「姉三六角」が。
- 名探偵コナンの映画でも使われたな。
- なお和葉は姉小路を嫁小路と勘違いしている。
- 六条から下は複数パターンがあるようで……どうやら口頭伝達での間違いや地勢変化に応じた改造があった模様
- 著名なのが「六条七条通り過ぎ 八条越えれば東寺道 九条大路でとどめさす」。
- 「八条越えれば東寺道 九条東寺でとどめさす」ってのもある。
- 「四綾仏高松万五条、美味いお野菜花の種、六条三哲通り過ぎ、七条超えれば×××××です」と歌う地元企業のラジオCMもある。
- 正しくは「丸竹夷二押御池、姉三六角蛸錦、四綾仏高松万五条、雪駄チャラチャラ魚の棚、六条三哲通り過ぎ、七条超えれば八九条、十条東寺で止めさす」であり、東西の通りを北から順に唄ってます。憶えると迷う確率が90%減少。
- 南北の通りは「寺御幸麩屋富柳堺、高間東車屋町、烏両替室衣、新町釜座西小川、油醒井で堀川の水、葭屋猪黒大宮へ、松日暮に智恵光院、浄福千本はては西陣」(てらごこふやとみやなぎさかい、たかあいひがしくるまやちょう、からすりょうがえむろころも、しんまちかまんざにしおがわ、あぶらさめがいでほりかわのみず、よしやいのくろおおみやへ、まつひぐらしにちえこういん、じょうふくせんぼんはてはにしじん)。これを憶えれば洛中で99%迷いません。(京都人でも、丸竹夷は歌えてもこっちは歌えない人が多い)
- 「丸竹夷」と「寺御幸」の歌さえ暗記すりゃ同じ碁盤目状の札幌の街区よりはるかに目的地を探しやすいと思う。(by札幌市民)
- 俺は札幌の方が座標になっているし覚えやすいな~。京都の場合は通りの名前を知っているという前提じゃないとわからん。
- 「J-AC TOP40」を初期の頃から聞いてる者にとってはちょろいもの。
- 南北の通り歌は京銀が積極的にCMで流していた。
- 「丸竹夷」と「寺御幸」の歌さえ暗記すりゃ同じ碁盤目状の札幌の街区よりはるかに目的地を探しやすいと思う。(by札幌市民)
- 「烏丸」を「からすま」と読まないと、冷ややかな眼差しの笑顔で訂正されてしまう。
- アニヲタにまで訂正されてしまう。
- 大路、ちとせ、キリオ
- 京介、与一、さくら、あとまた別の千歳が。
- 修学旅行の中学生は地下鉄車内で「とりまるおいけで乗り換え」と何度も確認する。
- 修学旅行生に「よんじょう」には止まりますか?と確認されたことがある。
- 東京方面からの修学旅行生が「シジョー」と一本調子で読んでたのを聞いたことがある。思わず「訛ってはんなぁ」と思ってしまった。
- 恥ずかしいことに、「とりまる」と勘違いしていました。
- 「鳥」と「烏」は根本的に字が違うと思う。「烏」の読み方は京都に限らず全国何処でも「からす」
- 字が似てるから勘違いするんじゃない?
- 実際には違うが、パソコンで見ると同じに見える。間違うのも無理はない。
- というより「烏」という漢字を使う機会は少ないからでは、とも思う。カタカナで表記することの方が多いから。
- カラスは真っ黒で目が見当たらないから、「鳥」の目の部分がなくて「烏」。だから白いカラスは「鳥」。
- 「鳥」と「烏」は根本的に字が違うと思う。「烏」の読み方は京都に限らず全国何処でも「からす」
- 「笛吹」「人里」東京都奥多摩の地名ですが、読めますか?読めないと奥多摩町民に冷ややかな眼差しの笑顔で訂正されてしまいますよ。
- そんな蛮地と都の中心部とで知名度比べされてもー
- それより先に「日暮里」と「御徒町」を挙げていい気がする。
- 「笛吹」と書いて「うすい」と読む苗字のアナウンサーがいますね…。
- アニヲタにまで訂正されてしまう。
- 北海道にも「ウトロ」があると初めて聞いたとき「北海道も京都と同じで大変なんやなあ」と思った人は多いはずだ。
- 読み方は「うとぐち」ね。
- 「烏丸丸太町」のことを「からすまるまるふとるまち」と読んだ人がいると聞いて大爆笑したことがある。
- 他、河原町で「しんでいち」行きのバス停はどこですか?と修学旅行生に聞かれたことがある。もちろん「深泥池」のことである。
- とにかく読み方が厄介な京都の地名だが「七条」は地元でも時々混乱する。「しちじょう」「ななじょう」両方あり。
- 「ひっちょう」だ。ちなみに八条は「はっちょう」だ。
- そんなん聞いたことも言うたこともおへんえ。「しちじょう」「はちじょう」や。
- 普通に言っているけど(by京都に親戚がいる大阪人)。
- 耳を澄ませてよく聞いてごらん。京阪のアナウンスも、実は「hichijo」と発音していることがわかる。
- 関西では「質屋」も「ひちや」と発音する。
- そんなん聞いたことも言うたこともおへんえ。「しちじょう」「はちじょう」や。
- 混乱も何も、交通機関によって言い方が異なる。市バスでは「ななじょう」で、京阪では「しちじょう」。
- 市バスは市電時代から「一条(いちじょう)」との聞き間違いを防ぐため意図的に「ななじょう」と発音している。
- 「ひっちょう」だ。ちなみに八条は「はっちょう」だ。
- 京阪三条と三条京阪のニュアンスの違いが理解できるようになったらプロの京都民。
- 「東大路通」を「東山通り」と言うようになったらこれまたプロ京都民ですな。
- 「東山三条」は「東大路三条」
- 町名との逆変換ができるのもプロ京都市民。「円町」=「西大路丸太町」、百万遍=「東大路今出川」、「白梅町」=「西大路今出川」、「熊野神社前」=「東大路丸太町」、「祇園石段下」=「東大路四条」
- とうとう、東西で並行している通り同士が交わってしまう交差点「三条御池」ができてしまった。
- 場所は地下鉄東西線太秦天神川駅・嵐電天神川駅がある右京区役所の前。
- じつは七条通と八条通も交差している
- しかし、その交差点名は「桂大橋」
- 七条通と八条通の双方ともバス路線が通っているが七条通のそれはかなり狭い。おおよそバスが通るとは思えない道。
- 交差点名称(交差点にある標識に書かれた地名)は南北と東西の通り名の組み合わせ。「河原町五条」とか。しかし、南北の通が先か、東西の通が先かはバラバラ。挙げ句、同じ交差点内なのに「河原町七条」「七条河原町」と、標識のついている位置によって名称が違うところまである。
- 同一交差点内で標識に書かれた名称が変わるのは他に北海道くらい。
- 住所と緯度経度座標とを関連づけた「アドレスマッチング(ジオコーディングとも)」では京都市内でも通常の住所には対応しているが、「西入ル」「上ル」などの通り名には対応していない。ので、わざわざそれ用のアドレスマッチングジオどすが作られた。その努力には頭が下がります。
- 中心エリアは、座標表示のような住所表記だが、その外側はそういう表記がない代わりに町名の文字数が多い。5文字町名なんてまだ「平均レベル」の部類。
- 合併した町村の大字小字を殆どそのまま流用した町名だからねぇ。例えば南区吉祥院石原堂ノ後西町とか。
- 実は政令指定都市としては唯一住居表示制度を採用していない。なので妙に長い町名が未だに多く残っている。
- その影響で「何丁目何番何号」と言った一般的な住所で書くのは西京区の一部(洛西NTや桂坂)などに限られる。
- 実は政令指定都市としては唯一住居表示制度を採用していない。なので妙に長い町名が未だに多く残っている。
- 合併した町村の大字小字を殆どそのまま流用した町名だからねぇ。例えば南区吉祥院石原堂ノ後西町とか。
- 「北大路通」「東大路通」「西大路通」は存在するが「南大路通」だけ存在しない。その役割を果たしているのは九条通。
- 場合によっては「九条大路」とも呼ばれる。
- 「九条通」は存在するけど、「カータレット通」は存在しない。念のため。
- 単語で分解すると車屋町通になるとかならないとか。
- 作者曰く何となくらしいが…
- 単語で分解すると車屋町通になるとかならないとか。
- 「千本通」はアホみたいに長い。しかも途中で新旧に分かれる。
- 京都人に京都の地図を描かせると、路線図ではなく、ロードマップを描きだす。それほど、京都人にとって、道路はなくてはならないものである。
通りごとの噂[編集 | ソースを編集]
東西方向[編集 | ソースを編集]
北山通[編集 | ソースを編集]
- 北大路通より更に北側を東西に通る道。
- 京都ではおしゃれなイメージがする地域らしい。
- 例:マールブランシェの紙袋には「京都北山」という地名が明記されている。
- 五山送り火の「妙法」が間近に見える場所がある。
北大路通[編集 | ソースを編集]
- 昭和初期に当時の市街地の北の端として作られた。
- 地図で見ると意外と曲がっている。
- 西側はおそらく大徳寺をかわすために曲げられている。
- ここから北は一気に郊外っぽくなる気がする。
紫明通[編集 | ソースを編集]
- 加茂街道と堀川通の間の1キロほどの道。
- 道幅が50メートルくらいはある。
- しかし、交通量は少ない。
- 北区役所の近くを通る。
鞍馬口通[編集 | ソースを編集]
- 地下鉄の駅名になっているのに、なぜ2022年まで項目がなかったのか。
- だいたい北区と上京区の境界はこの辺。
- 賀茂川以西ではただの生活道路。
- 途中に船岡温泉という風情のある温浴施設がある。
- 実は、市バスが通る区間がある。
御蔭通[編集 | ソースを編集]
- 賀茂御祖神社の門前から北白川へ抜ける通り。
- ここから北に広がる糺の森の広いこと広いこと。
- 北白川で志賀越道にぶつかる。
- 一応、全区間主要地方道。
今出川通[編集 | ソースを編集]
- 学生の街・京都を感じられる通り。
- 西側はいわゆる「西陣」を貫通している。
- 沿道の公共施設や店舗などには名前に「西陣」が入ったものが多い。
- 京都でいわゆる「上(かみ)」と呼ばれるのはこの辺りから北。
- この通りにLRTを走らせる計画は結局消滅してしまった模様。
- 名前の由来となった今出川という川は現存していない。
一条通[編集 | ソースを編集]
- 元平安京北端。
- 今は京都市内ならどこにでもありそうな一方通行の細い通りになってしまっている。
- 現在有名な見所と言えば一条戻橋くらい。
- 橋の下の堀川が整備されたため式神が住めそうにない環境になっている。
- しゃーなしで、晴明神社の境内に復元されていたりする。
- 西大路通より西側は狭い道をバスが走りまくっている。市バスだけでなくJRバスも。
東一条通[編集 | ソースを編集]
- おそらく一条通よりも存在感のある通り。ただ、京大正門前の通りor吉田神社の参道としか認知されていないため、東一条通としての知名度は皆無。
- 年間で1番盛り上がるのは、やはり2/2〜2/3頃だろう。
- ここにも市電を通すつもりだったらしい。
下立売通[編集 | ソースを編集]
- 京都府庁の正面を通る道。
- 皇族の方がお乗りになった車が通ることもある。
- 堀川から烏丸までの道幅がやや広いのはかつて路面電車(京電の狭軌線)が通っていたから。
- 丸太町以西は新丸太町通開通まで主要な生活道路だったという。
- 室町時代に立ち売りが行われていたことが名称の由来。
- もっと北には上立売・中立売通もある。
- 立売は、大阪と違って、普通に「だちうり」と読む。
丸太町通[編集 | ソースを編集]
- 沿道には京都地裁や京都市中央図書館などの公共施設が結構ある。
- 府庁も通りから少し北に入った場所にある。
- 円町以西の区間は開通する前に映画の撮影に使われたという。
- その映画は権利関係で色々あった末現在は祇園祭の時期にしか上映できなくなっている。
- かつて市電が通っていたのに「市電復活」の計画では予定ルートから外されている。
- NHKの近くで曲がっているのはかつて存在した監獄をよけるためだという。
- NHK移転後には「丸太町智恵光院バス停近く」とでも表現すべきか。
- 西大路通より西側は狭くなっている道が多いが、丸太町通は通りの西端までずっと片側2車線の広い道が続く。
- 嵯峨・嵐山地区では珍しく広い道である。
- 円町から西側「新丸太町通」の別名あり。
- 嵯峨・嵐山地区では珍しく広い道である。
- 東西どちらの端も山が立ちはだかっている。
- 京都市バスの93系統がほぼ全線を走る。
- 幕末には二条城や京都所司代などと公家町を結ぶ道路だったためしばしば動乱の舞台になっている。
- 亀岡への延伸構想が浮かんでは消える。
夷川通[編集 | ソースを編集]
- 家具屋が多い。
- 烏丸通と寺町通のところには「家具の街夷川」という看板もある。
- 昭和初期の鴨川の洪水で橋が流されて以来ずっと鴨川で分断されたまま。
二条通[編集 | ソースを編集]
- 疏水の東側では美術館や図書館といった文化施設が沿道の両側に建っている。
- 相当昔に「六勝寺」があったのも同じ場所。
- 梶井基次郎がレモンを持って丸善へと歩いたのもこの通り。
- 烏丸通と交差するあたりは薬の店が多い。
- 西の端は堀川通なので二条駅までは届いていない。
- 千本通より西でも一応「新二条通」とか呼ばれてるらしい。
- 二条駅の目の前から東に延びる道は御池通。
- 江戸時代にはここで上京と下京に分けられていた。
御池通[編集 | ソースを編集]
- 京都市役所の前を通っているので、京都のメインストリートと呼べなくもない。
- 確かに烏丸御池の辺は最近来てるからなあ。
- 1990年代初頭に平安遷都1200年を記念して「京都まつり」というイベントが行われていたがそのパレードもここで行われていた。
- 防火のため、道幅はかなり広い。
- 但し広いのは川端通りから堀川通まで。堀川通から西はこれまでが嘘のような狭い道になる。
- 嵯峨野線の二条のガードより西側になるとちょっとだけマシになる。でもこの道路から直進で接続するのは二条城南側の押小路通。
- 地下鉄東西線も堀川通と千本通の間だけ押小路通の地下を通っている。
- 堀川通や五条通と同様戦時中の建物疎開で拡幅された。
- 終戦直後の写真を見ると拡幅部分がほとんど畑になり壊しきれなかった土蔵やレンガ建築が取り残されている。
- 「御池」という名前の由来は神泉苑の池。
- 昔はケヤキ並木があったが地下鉄東西線の工事により消滅した。
- 最東端は鴨川東岸の川端通で、東大路通までは通じていない。
- 反対側の最西端は「三条御池」という交差点でどちらも東西の道路の名前。三条通がこの辺りでは斜めになっているため。
- 地下鉄太秦天神川駅のすぐ近く。
- 反対側の最西端は「三条御池」という交差点でどちらも東西の道路の名前。三条通がこの辺りでは斜めになっているため。
三条通[編集 | ソースを編集]
- 東の端は京都東ICの流入路に見えるが……
- 側道っぽい1号線への流入道路までが三条通らしい。京都市中心部の通で唯一大津まで伸びる通りである。といっても大津へ入ってすぐの横木2丁目だが。
- 反対側の西の端は嵐山渡月橋のたもと。
- 山科では旧国道1号線。三条通という人もいれば東海道という人も居る。
- 三条大橋を渡り京の都へ入るやいなや、幹線から西行一通に大変動を起こす。旧市街に入った途端渋滞する幹線道路の見本。
- 三条大橋は言うまでもなく東海道五十三次の終点。高山彦九郎像が目印。
- 割とバラエティーに富んだ道。路面電車はあるわ、高速のインターになるわ、旧道とはいえ国道1号線の一部を構成するわ、アーケード商店街に変貌するわ……
- 三条通の商店街と言えば河原町通から寺町まで延びる三条名店街と堀川通~千本通の三条会商店街がある。前者は新京極などに繋がる京都一の繁華街の一角を形成し後者は京都一長い商店街。
- 三条会商店街は抹茶ソフトクリーム発祥の地でもある。
- 明治時代になると早くから赤煉瓦の建物が建ち並んだ。
- そのせいで道路の幅を広げられず市電を通すことができなかったらしい。
- 京津線が御陵以西もあった時は、九条山付近が中央線変異区間だった。
六角通[編集 | ソースを編集]
- 六角堂頂法寺の前を通るから六角通。
- 大宮通より西は結構ガタガタ。
- 壬生では、通りがズタズタに寸断されている。
錦小路通[編集 | ソースを編集]
- 言わずと知れた京の台所。
- この通り沿いの店の人は意外とパン食派が多いらしい。
- かつては「屎小路」という名前だった。
- 正直この名前のまま食品市場にならなくてよかったと思う。
- さらに昔は「具足小路」だった。
- 奇想の画家伊藤若冲を育んだ通り。
四条通[編集 | ソースを編集]
- 東の端も西の端も神社。
- 東端:八坂神社、西端:松尾大社
- 烏丸以東はいつ行ってもとにかく人が多いという印象がある。
- 交通量も多いためこの通りを通る市バスは遅れることが珍しくない。
- 昔は四条大宮から松尾橋までトロリーバスが走っていた。
- 全通当時のニュース映画によるとさらに嵐山方面への延伸も計画されていたらしい。
- 今は西大路通~鴨川西岸までの間の地下を阪急京都線が通っている。お陰で市営地下鉄を建設できない。もしここに市営地下鉄があったら京都駅~四条河原町を地下鉄だけで移動できるので運賃も安くなり京都市内の交通事情は改善されていただろう。
- 7月になると山鉾の組み立てが始まり通っているだけでも「もうすぐ祇園祭か」と意識させられる。
- 京都外国語大学の前あたりから西は片側1車線と狭くなる。
- 烏丸~川端も片側1車線になってしまった。
- 烏丸通~河原町通の信号機は祇園祭の山鉾が通るために折りたたむことができる。
- 市電があった時代は架線を撤去していた。
- 交差点名は、西大路と葛野大路を除いて全て、「四条〇〇」。烏丸通りに勝った唯一の通り。
- 昔から栄えていたあかし。
- α-stationだけは、放送スタジオの場所を「烏丸四条」と名乗る。
綾小路通[編集 | ソースを編集]
松原通[編集 | ソースを編集]
- かつてはこちらが五条通だった。
- 弁慶と牛若丸が橋の上で戦ったのもこの通りなのに二人の石像は現在の五条大橋のたもとにある。
- 清水坂もこの通りに属する。
- 穂乃花ファンの聖地
- ここと高辻通りの間を、北緯35度線が通過する。つまり、大津駅とほぼ同じくらいの緯度。
- テヘランやオクラホマシティと同じ緯度。なお、イランとアメリカの関係は最悪。
五条通[編集 | ソースを編集]
- 太平洋戦争の時に建物疎開をしたのでやけに広い通りになった。
- 戦前はどんな町があったかということを記録する取り組みも行われている。
- 豊臣秀吉が方広寺参拝のため整備したので秀吉本人同様の出世を遂げた。
- 西京極総合運動公園から西大路通までの間はよく駅伝やマラソンのコースとなる。
- 全区間が1桁国道(堀川通を境に東が国道1号・西が9号)。
- 大津市横木〜東山五条までは、昭和40年代、国道8号だった。
- 三条通とともに東山を越えて山科に通じている。
- 五条坂交差点は京都市中心部に近い所としては珍しく立体交差構造となっている。
- 立体区間は二輪車通行禁止となっている。
- 高架の下部には今でも市電の架線を吊り下げていた金具の跡が残っている。
- 五条坂交差点は京都市中心部に近い所としては珍しく立体交差構造となっている。
- 東山トンネルのすぐ横に、かつて山科と下京を結ぶメインルートだった渋谷街道の花山トンネルがある。
- r35大津淀線との交差点の地図に、なぜか名古屋の文字が。
- 直線距離でも100kmくらいあるのに・・・
- 領域展開はしない。
七条通[編集 | ソースを編集]
- 「しちじょう」なのか「ななじょう」なのかよくわからない。
- 京阪の駅は「しちじょう」なのに対し市バスの停留所は「ななじょう」。
- 正式には「しちじょう」だけど、市バスは市電時代から「一条」との混同を避けるために意図的な「ななじょう」という読みにしたとか。
- 京阪の駅は「しちじょう」なのに対し市バスの停留所は「ななじょう」。
- かつて市電の通っていた中心部は片側2車線以上あって比較的広いが、西大路通から少し行った場所から西はこれまでが嘘のような狭い道になる。
- しかもそこをバスが通っているが、すれ違いに苦労するほど。
- 西端は桂大橋の東詰で、八条通と合流する。
- 平安時代の西市・東市はこの通りに面していた。
- 現在は京都市中央卸売市場の南側が面している。
- 京阪七条駅から烏丸通以西に行くのはあまり便利でない。
- 間に京都駅があり、バスはそこを中心に路線が延びているので。
- その代表的なケースが京都鉄道博物館。京阪バスのステーションループバスが近くまで行っていたが、利用客が少なかったためか2022年9月に15→30分間隔に減便された。
- そのステーションループバスだが、京都駅-七条駅-梅小路というルートで運行されているため、七条駅~梅小路を利用する場合京都駅をスルーするのが特徴だった。
- 通りの東端に智積院がある。
- 近くには京都国立博物館や三十三間堂もある。
塩小路通[編集 | ソースを編集]
- 京都駅烏丸口を出ると見えてくる東西の通り。
- 京都駅の位置がもう少し南北方向にずれていたら地味な通りで終わっていたことは間違いない。
- かつては三哲通と呼ばれていた。
- JRバスには現在もこの名称のバス停がある。
- かつては市バスにもあった。
- 残念ながら市バスに合わせる形で「下京区総合庁舎前」に改称、消滅。
- JRバスには現在もこの名称のバス停がある。
八条通[編集 | ソースを編集]
- 京都駅八条口の名称の由来となった道路。
- 京都駅のすぐ南側を通っている。
- 但し御前通以西はJR線の北側を通っている。
- JR線が斜めに通っているため、千本通~御前通が分断されている。
- 葛野大路通以東は今はバス路線がないが、昭和の頃は市バス路線が通っていた。
九条通[編集 | ソースを編集]
- 今も昔も京都市街地の南側というイメージ。
- 北大路・西大路・東大路はあるが南大路だけ存在しない。事実上ここがその役目を果たしている。
- 「九条大路」とも呼ばれている。
- 北大路・西大路・東大路はあるが南大路だけ存在しない。事実上ここがその役目を果たしている。
- 京都のラーメンに欠かせないネギの名称としても知られる。
- 東寺近くでこの通りを跨ぐ歩道橋は市電の撮影スポットとしておなじみだった。
- 五重塔と電車といういかにも京都らしい場面を撮ることができた。
- 東寺の前から西は少し南西に斜めになっているが、これは西国街道(国道171号)に繋げるため。平安京の頃はまっすぐ西に向かっていた。
- 京阪本線とJR奈良線は東福寺駅の真上をこの道路が陸橋で跨いでいる。
- 近鉄京都線がこの道路との交点に駅があるが九条駅ではなく東寺駅。近鉄九条駅はここではなく奈良県内にある。
- すこし東側に地下鉄烏丸線の九条駅があるが、同名の駅は上の近鉄九条駅の他大阪の大阪メトロ中央線と阪神なんば線の九条駅があり、これらは全て近鉄の車両が乗り入れている。
十条通[編集 | ソースを編集]
- そんなの覚え歌にはないじゃないか!という人も少なからずいるはず。
- 近代以降につくられた歴史の浅い道路だから仕方がない。
- 吉祥院天満宮という、御前通くらいの緯度のところで終点を迎える。
- 近鉄にも地下鉄にも十条駅はあるが、少し離れている。
- 東橋付近で、新十条通と接続するが、そのまままっすぐ行くわけではない。
- 一旦南へ曲がり、くるっと円を描いて新十条通の稲荷山トンネルへと突入する。
- 鳥羽街道。
久世橋通[編集 | ソースを編集]
- 百歩譲って、京都市内と言えるのはこの道まで。そこより南は伏見。
- 十一条通ではない。
- 河原町通に直結している。
- イナイチ。
南北方向[編集 | ソースを編集]
白川通[編集 | ソースを編集]
- 東大路通より更に東にある大通り。
- 一般的には南禅寺前から宝ヶ池通までの区間を指す。
- 銀閣寺道から修学院道の間は街路樹が立ち並んでいる。
- その光景はけいおん!でも再現されている。
- 道路の中央分離帯に植わっている。
- 丸太町通以南は道幅が狭い。
- 銀閣寺道から修学院道の間は街路樹が立ち並んでいる。
- 京都市北部では珍しく道路側が上の叡電との立体交差がある。
- 大原方面から来る京都バスはここから川端通に入るため、陸橋脇の側道に入っていく。
- 立体交差には歩道が無いため、この辺を徒歩か自転車で行こうとすると、ちょっと面倒臭い道のりとなる。
- 大原方面から来る京都バスはここから川端通に入るため、陸橋脇の側道に入っていく。
- 京都の有名ラーメン店である天下一品と魁力屋の本店がこの通りに面している。
東大路通[編集 | ソースを編集]
- 沿道にいろいろありすぎて一言では表現できそうにない。
- 北の方は京都大学の校舎や関連施設がかなりある。
- 有名な立て看板のある百万遍交差点は、ここと今出川通の交わる所。
- 八坂神社や知恩院、清水寺、智積院など観光名所が多いため年中渋滞している。
- 特に紅葉シーズンはひどい。
- 一応片側2車線はあるものの重要な道の割には幅が狭い。
- 丸太町通以北は少し広くなる。
- この通りの地下にこそ地下鉄が欲しい所だけど…。
- バス停名などではもっぱら旧名の「東山」が使われている。
- だが今熊野辺りに置かれる話が出ているJR駅の仮名は「東大路」。
- 京都市民、それも東山区や左京区の人間からすると、東山通のほうが、未だに通じる。東大路通と言われると、一旦、東山通に言葉を脳内変換する。
- 京都市営地下鉄東西線の駅はずばり「東山」駅。京阪時代は交差点の名前と同じ「東山三条」だった。
- 通りの北端は北大路通と交差する高野交差点と思われがちだが、実は叡電修学院駅のすぐ西側である。
- 高野以北は道幅も狭くなるので東大路通だという実感が薄い。
- 一乗寺のラーメン店密集地も含まれる。
- 北端は北山通。修学院駅の前で、スーパーが2軒ある。そんな所なので、それなりに人も多い。
- にもかかわらず、交差点には信号がない。
- 厳密には、歩行者用の押しボタン式信号があるにはあるが、実質的に無いに等しい。踏切が横にあるので、設置しづらいという事情もあろうが……
- にもかかわらず、交差点には信号がない。
- 道なりに下がると萬寿寺の近くの泉涌寺道との交差点のあたりでカーブを描き、そのまま九条通に入る。
- 東山が…九条になる…
- 西大路通~北大路通もそんな感じ。
- 西大路〜十条、千本〜北山、河原町〜久世橋も。
川端通[編集 | ソースを編集]
- 三条から南はもともと京阪電車が走っていたところ。
- 今も地下に通っている。
- そのためもあろうか、京都市バスはあまり通っていない。
- 出町柳以北は真下に鉄道は通らないものの、京都バスが頻繁に通っているためか、市バス路線はない。
- 道幅も狭くなり片側1車線となる。
- 出町柳以北は真下に鉄道は通らないものの、京都バスが頻繁に通っているためか、市バス路線はない。
- そのためもあろうか、京都市バスはあまり通っていない。
- 京阪電車に沿って琵琶湖疏水もあったが、京阪の地下化と同時に暗渠化された。
- 今も地下に通っている。
- そんなに歴史がない通りなので「川端○○」という交差点の呼び名はあまり見かけない。
- むしろ『京阪』が使われる。
- 〇〇京阪という交差点名は、京阪の駅があるところにしか用いられないので、川端松原のように京阪の駅がないところは普通に川端〇〇になる。また、1989年延伸の三条以北も、川端丸太町のように川端〇〇が用いられる。
- 位置の割に意外と静かな印象がある。
- 大阪府茨木市にも同名の道路がある。
- こちらは市内出身の作家川端康成に由来する。
- 福岡市にもある。那珂川の横。
- 名古屋市にもある。久屋大通の成れの果て。
河原町通[編集 | ソースを編集]
- 烏丸通はビジネス街だが、こちらは京都一の繁華街を南北に貫く。
- 実は北大路通まで通じていない。出町で賀茂川を渡ると下鴨本通に名前が変わる。
- 四条通より南は地味な印象。
- 四条通から南、七条通までは実は斜めになっている。
- 四条河原町からまっすぐ南下すると鴨川にぶつかってしまう。
- 四条通から南、七条通までは実は斜めになっている。
- 当初京都市が予定していた街路整備案では拡幅されない予定だった。
- 隣の木屋町通を広げるはずだったが高瀬川の景観保全のためこちらの拡張に変更された。
- もし木屋町通が拡幅されていたら河原町よりも木屋町の方が有名になり、阪急の駅も「木屋町」になっていたのだろうか?
- 隣の木屋町通を広げるはずだったが高瀬川の景観保全のためこちらの拡張に変更された。
- テレビでよく取り上げられいつも行列ができる和菓子屋「出町ふたば」はこの道路に面して存在する。
- そもそも「出町」のエリアも出町柳駅周辺ではなく鴨川右岸のこの辺りのこと。よって左京区ではなく上京区。
新京極通[編集 | ソースを編集]
- 修学旅行でやってきた中高生がうろついている印象が強い。
- 昔の場合は「中高生の一部がお土産で買った木刀を持っている」というものも追加。
- もともと寺が多くあったが、江戸時代からすでに境内は縁日や見世物などに利用されていたらしい。
- 本格的に現在のような繁華街になったのは明治に入って境内の整理と道路の建設が行われてから。
- 今もいくつかの寺がこの通りに面している。
- 「活動写真」の時代からずっと映画館がある。
- 表通りから少し奥に入るとサブカルチャー関連の店も見かける。
- 1本西側の寺町京極商店街と歩き比べると雰囲気が違って面白い。
- 誓願寺の前でクランク状に曲がっている。
- 寺の反対側は広場になっていて、北側にはかつてサカエがあった。
- 京都市内にいくつかある「○○京極」という商店街はここにあやかったもの。
- その名の通り、平安京の時代はここが洛中の東の端だったらしい。これに対し西の端は西京極。
寺町通[編集 | ソースを編集]
- 四条通から御池通にかけてはアーケード街になっている。
- 1本東の新京極通が土産物店が多いのに対しこちらはサブカルチャーなんかも目立つ。
- 三条通の場所で一旦アーケードは切れており、以北は少し東にずれる。
- 本能寺がアーケードに面しているが、本能寺の変の時とは場所が違う。
- これに対し四条通から南側はかつて電気街として栄えたが、京都駅周辺にできたヨドバシカメラとビックカメラに押され今や見る影もない。
- 南に行くと河原町通に合流する。
- 御所の東側はやや道幅が広い。
- この辺りに京都市歴史資料館がある。
烏丸通[編集 | ソースを編集]
- 不甲斐ない朱雀大路に変わって、都の中心となっている通り。
- 明治時代に京都駅と京都御所を直結する行幸を想定した道路として大拡張された。
- 京都市営地下鉄のメインの路線もこの道路の下に建設されている。
- 基本的には直線。でも東本願寺前のみ何故か捻ってある。遺跡でも避けとんかね。
- おかげでさながら東本願寺の車止め状態。
- あれは東本願寺の門前を市電が通らないようにしたため。
- 京都駅より南にも伸びているが、やや影が薄い。
- 基本的に地上には京都駅が立ちはだかっているため、駅の南北をまっすぐ行くことはできない。地下鉄は駅の真下を通っているが。
- 丸太町通から五条通のあたりまでは赤く塗られた二輪用レーンがあるが、駐車帯状態になっていることもしばしば。
- 四条通との交点のみ烏丸があとに来る。他は烏丸○○と烏丸が先頭に来る。
- 七条通との交点は市電時代「七条烏丸」だったが現在はなぜか「烏丸七条」とひっくり返っている。
- 実は烏丸丸太町交差点付近で微妙にS字がかっている。
- 四条烏丸を中心に金融街が広がっている。
- 「からすま」だが、関東からの観光客に「とりまる」と誤読されやすい。関東にも那須烏山市、千歳烏山、新橋駅烏森口とかあるのだが。
- 「からす」はともかく「ま」が読めない。
室町通[編集 | ソースを編集]
- 足利氏が作った幕府の名称として知られる通だが今はそこまで存在感があるわけではない。
- だが鉾町は多い。
- 最盛期はやはりと言うべきか室町時代。
- 当時は裕福な町衆が多く住んでいた。
- 今でも呉服商がそれなりに残り当時の名残をわずかにとどめている。
西洞院通[編集 | ソースを編集]
- 京都駅を出たら、四条通までバス通り。
- 1961年までN電が通ってた。
- 四条通を過ぎたら、徐々に道が狭くなり、今出川通まであと100Mほどってところで力尽きる。
油小路通[編集 | ソースを編集]
- 単独では地味な通りに過ぎないが東海道線以南では堀川通と合体し一躍幹線道路に。
- 上には高架も通っている。
- ただし「新堀川通」という通称で呼ばれることも多い。
- 東海道線を潜ったところの、狭い一方通行から片側3車線・天下の国道1号に大躍進する場所は、圧巻。
- 幕末ファンには伊東甲子太郎らが斬られた「油小路事件」で有名。
- 秀吉が京都の大改造を行ったときにはこの通を基準線にしていたらしい。
堀川通[編集 | ソースを編集]
- 堀川が地上に出ている部分では通りが東西に分かれている。
- 昭和36年までチンチン電車が走っていたのは狭い方の東堀川通。
- この通りも大戦中の建物疎開により大幅に拡張されている。
- その時に京都有数のにぎやかな商店街だった場所が一つ完全に消滅してしまったという。
- その割に京都市内の他の南北の通りに比べて地味。大きな繁華街を通らず著名な観光地も少ないためか。
- 日本で初めて「1階が店舗、2階以上が住居」の集合住宅が建てられたのはこの通り沿い。
- 交差点名などでは「ほ」にアクセントを置いて発音される。
- 南側は油小路通を経て第二京阪道路の側道(国道1号線)に繋がっている。
- 1度も右左折せずに道なりに行くと大阪市鶴見区に行くことができる。
- 花博通りを都島通りに繋げたら、西賀茂から梅田まで右左折なしで行けるようになる。一応計画だけある模様。
- 1度も右左折せずに道なりに行くと大阪市鶴見区に行くことができる。
- 北大路通以北はやや道幅が狭くなる。
- 最北端は上賀茂神社のすぐ近く。
- 西本願寺や二条城はこの通りに面している。
- ほぼ全区間を市バス9系統が通っている。
- 信号機一つにつきバス停ひとつと言っても過言ではないバス停間距離。表定速度は自転車未満。
猪熊通[編集 | ソースを編集]
- ただの生活道路で、標識や建物名にも殆ど使われていないが、これまた一部の人達の間での知名度は絶大。
- ただ地味過ぎて探すのが難しい。建物名ではよく『大宮』が使われている。
- 鬼畜の仕業
- ただ地味過ぎて探すのが難しい。建物名ではよく『大宮』が使われている。
- 綾小路通とは交わるが、大宮通とは交わっていない。
- つまりそういうことだろう。
大宮通[編集 | ソースを編集]
- もともと平安京の大内裏の東の端だった。
- 西の端には対応する「西大宮大路」(現御前通)もあった。
- 四条と九条の間は元電車通りということで広い。
- 東海道線を越えるガード部分には今も当時の架線柱が残っている。
- 四条以北は一見ぱっとしない通りに見えるがかつては西陣の中心地としての役割を果たしていたこともある。
- 北大路通以北は「新大宮商店街」という京都で1番長い商店街になっている。
- 北区に「大宮○○町」という地名もこれに由来してるのかな…。
千本通[編集 | ソースを編集]
- 見ただけでは、ここが朱雀大路だったとは絶対に思ってもらえない。
- 京の朱雀大路だったのに平安中期には既に風葬のための道路となっていた。高級貴族は紫野にて風葬されたが中級以下の庶民は、野辺送りなどされず途中で捨てられていた。そこに申し訳程度の供養目的で立った卒塔婆があまりにも多かったので千本通なんて名前になったらしい。
- 畑として使われた部分もあったらしい。
- だいたい洪水のせい。
- しばしば浸水する右京が廃れこの通りが中心から転落するのはもはや必然だったような気がする。
- それでもこの通り沿いの立命館のキャンパスは「朱雀キャンパス」を名乗っている。
- これでも昭和の頃は歓楽街だった。今は全然大したこと無いけど。
- 水上勉の小説『五番町夕霧楼』に登場した色街もこの通り沿いだがかなり寂れている。
- 主な客が西陣織関係者だったため和服離れの影響を大きく受けてしまった。
- 丸太町通と今出川通の間はちょっとした商店街となっている。因みにここはは片側1車線になっている。
- 三条通以北は広いが、以南は狭い。
- 逆に大宮通は四条大宮交差点以南が広く以北は狭い。その間を後院通が繋いでいる。
- 南端は何と京阪淀駅近くの納所交差点。
西大路通[編集 | ソースを編集]
- 左大文字を見通すことができる区間がけっこうある。
- 昭和になってできたせいかけっこう道幅が広い。
- 北の方は金閣寺、平野神社、北野天満宮(若干距離あり)などけっこう見どころがある。
- それに対し四条通以南はこれと言って有名な観光地はない。
- 八条のあたりでは神社のご神木を避けるためやや曲がっている。
西小路通[編集 | ソースを編集]
- 西大路通があれば西小路通もある。
- 位置は西大路通から少し西に行ったあたり。
天神川通[編集 | ソースを編集]
- 京都市の市街地付近を通る道路であるが、全区間を通して、当路線を経由するバスは少ない。
- 西京極付近の、阪急をくぐるガードは高さ2.9mしかないので、トラックは通行できない。
- ほとんどの区間が国道162号。
- 福王子交差点でそのまま周山街道へと突入していく。
- 片側1車線でかつ嵐電との踏切もあるので、観光シーズンは大渋滞を引き起こしがち。
長辻通[編集 | ソースを編集]
- 嵐山のメインストリートで、天龍寺や嵐電嵐山駅がこの道に面する。
- そのため観光シーズンを中心に道路いっぱいに人があふれる。
- 混雑時には交通規制が敷かれ、バスも迂回する。
- そのため観光シーズンを中心に道路いっぱいに人があふれる。
- かつてはタレントショップがこの道に面していた。
- 美空ひばり館もあった。
- 道幅は渡月橋に近い方は広いが、北に向かうにつれ狭くなる。
本町通[編集 | ソースを編集]
- 東山区と伏見区を南北に貫く道路。
- 概ね京阪本線の東側を並行している。
- 伏見稲荷大社の鳥居の前を通る。
- 東福寺駅から東福寺に行く時もここを通る。
- 北は地図上では五条通まで続いているが、実際にはJR東海道本線の場所で分断されている。
- こんな狭い道だが、かつては九条通以南のほぼ全線で市バスが運行されていた。
- 藤森神社から上賀茂神社まで行く長距離路線だったらしい。
- 但し北行きの一方通行だったので、南行きは別の道を経由していた。
- 大阪にも同名の道路があるが、こちらは東西の道路。
- 東山区内は本町1~22丁目という地名になっている。
その他[編集 | ソースを編集]
後院通[編集 | ソースを編集]
- 京都では数少ない斜めに通った道。
- この通りから細い道に入るとすぐ碁盤の目状の部分に戻るため一瞬方向感覚が狂う。
- 千本通と大宮通を北西から南東に向けて繋ぐ形になっている。
- 市電を通す時に千本通りを拡張する予定だったが用地買収でもめたあげく若干ずらす羽目になってしまったらしい。
- まっすぐ南下すると人口密集地を外れ儲からなくなるからずらしたという説もある。
- 餃子の王将の1号店はこの通りに面している。
- 目の前に四条大宮バス停(北行)があるため時間帯によっては前を通り抜けにくい。
渋谷街道[編集 | ソースを編集]
- ある意味、国道1号線の基となったルート。
- 歌の中山越え区間だけは、国道1号線と重複する。
- 基本的には府道116号に指定されている。
- 東大路馬町から花山洞を抜けて山科盆地へ下り、音羽の辺りで奈良街道(追分から六地蔵へ行くやつ)と合流する。
- 古くからあった街道だが、山科盆地では今でも渋谷川田道とか外環渋谷、渋谷醍醐道等の交差点名が残っており、今でも地域住民にとっては現役の道路。つうか抜け道として使う人多すぎへん?
- 恐らく、清閑寺への参拝ルートととしても四条以南の京都から東国へ行くルートとしてもそれなりに需要はあったルートだと思う。粟田口・蹴上程ではなかっただろうが。