会津若松市
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会津若松市の噂[編集 | ソースを編集]
- 生徒手帳に無免許で耕耘機の運転を禁止する箇条がある。
- 発音通り表記する。無人野菜販売所に「勝手に蟹を弄らないで下さい。」と書いてあった。良く考えると「勝手に鍵を弄らないで下さい。」だろう。
- 正月のお節にイナゴの佃煮が入っている。
- お節には入ってないが、夏~秋は食卓に並ぶ、他県から来た人は要注意。
- 歴史的遺恨から河豚は食べない。
- 河豚を取り扱う料亭や寿司屋も無いそうだ。
- でも私はスーパーで買って食べます(by市民)。
- 普通にふぐ料理の店はあるよ…旨い食い物に罪はない(by市民)。
- 山口のせいか?
- 実は新幹線を使わなくても東京へ鉄道で行ける。
- 新幹線というか、JRを使わず行ける。但し余程の物好きじゃないと選択しないルート。
- 西若松から会津若松は只見線なので、西若松で下車する必要はあるが。
- JRに乗り入れる私鉄の列車に乗るのはやはりナシでしょうか。
- 今は会津若松まで乗り入れしている。料金はJR基準であるが。東武鉄道さんも栃木から大宮~新宿の乗り入れもあることだし。
- 西若松から会津若松は只見線なので、西若松で下車する必要はあるが。
- 景色もよく安いので利用しています。しかし、「会津鉄道が混み合うと困る」という意見もあるのであまり宣伝してはいない。
- おいおい、会津鉄道も他の多くの三セク同様ジリ貧なのに。
- 運賃値上げされたくなかったら少々の混雑は諦めないと・・・。
- おいおい、会津鉄道も他の多くの三セク同様ジリ貧なのに。
- 高速バスの方が安くて早い。が、座れるくらいの客数ならこちらのほうが快適。
- 今価格暴落中
- 高速バスが往復7000円程度だが、会津鉄道も6560円の「浅草往復列車たびきっぷ」とかを出してる。東武も浅草から喜多方まで行ける「ゆったり会津 東武フリーパス喜多方」が6990円である。特急料金は別途だがこっちはフリー乗車券のメリットがある。
- (例)鬼怒川温泉までAIZUマウントエクスプレスで行って、そっからスペ―シアで北千住か浅草で地下鉄に乗り換え
- 新宿や渋谷にもいける。
- ダイヤ次第では西若松から神奈川県の中央林間や千葉県の東葉勝田台などまでJRの線路使わずに行ける(笑)
- 会津田島始発の快速もある。但しほとんど区間快速なのでめっちゃ長い(会津田島から東武浅草まで約4時間)。
- 新宿や渋谷にもいける。
- リバティ号で乗り換えなしで浅草まで行けるようになった。料金はともかく、時間はお察しください。
- 新幹線というか、JRを使わず行ける。但し余程の物好きじゃないと選択しないルート。
- SLが走っている。
- 運行時には撮り鉄が大挙して駅に駆けつける。
- 運行日であればいつ行っても2・3人ぐらいは撮り鉄がカメラ構えて待機している。
- 運行時には撮り鉄が大挙して駅に駆けつける。
- 白虎隊で有名。近藤勇の墓がある。
- 本当の墓はここではない。
- 片手で足りないほど墓あったような…。なお、ここの近藤勇の墓は土方歳三が建立した。
- 藤田五郎の墓はガチ。七日町駅の近くの寺。
- 斎藤さんェ・・・。
- 藤田家の墓の隣は巨大な戦死墓。戊辰戦争の会津藩戦死者の大多数が眠っている(他にも数か所同様の墓がある)
- 本当の墓はここではない。
- 「故郷列車」と言って、野口英世の母のしかの書いた手紙(原文)が書かれた列車が走っている。何だか耳無し芳一を想像して不気味である。
- 飯盛山辺りの駐車場の呼び込み等が社会問題になりつつある。
- 確かに。会津の人は、「大阪(など、関西地方)からの観光客」や、「山口県からの観光客」をかなり警戒しているし…。(後者の方は、もう言うまでも無い。)
- ひどい財政難で、観光地なのにまともに市内の整備もできない上今にも倒壊しそうな市役所を建て替えることも出来ない。
- 市役所、表だけなら立派に見えなくもないのに……
- ちなみに1937年製。1933年製の名古屋市役所が現役なのだから、まだ大丈夫・・・かな?
- 山口県萩市からの和解提案を時期尚早として拒絶。
- そりゃそうだ、和解を受容れる事はこの地では冗談でなく失脚を意味する。
- 昔の市長選挙でも、例の話題を持ち込んでしまった為に(得票数最下位で)落選してしまった人もいるし…。
- 萩から申し出があった当時の福島県知事は、最後の会津藩主松平容保の孫。「お殿様の孫がご健在なのに!」という反発が噴出した。間が悪かったと言える。
- 「会津と萩」とは正反対の例が「水戸と彦根」。水戸と彦根を和解させた都市が敦賀。
- ただし、今の若い世代はあんまり興味ないらしい。某津大等に来る山口県人も周囲には「まぁ遠いところからわざわざ…」程度に受け入れられている。
- そりゃそうだろう、少なくとも学内の人間の大半は会津の出身じゃないし。
- 同じ会津出身でも若い人は全く気にしていない。普通の国民。
- 1996年の時も、山口県・萩市長が会津を訪問した際に、(会津の市長から)「現状では、関係の回復は難しい」との返事を受け、「結局は、和解交渉が棚上げにされた」話を聞いたことがあるし…。
- しかし、ユニクロはある。
- 西若松駅の近くにあった店を閉鎖して、若松IC近くに新しいデカイ店をオープンさせた。
- そして萩市がここと手を組んだため、夜7時にはネプリーグやフレンドパークを見ている。
- サンデーも読まないとか。
- ネプリーグは夕方じゃないのか?
- サンデーも読まないとか。
- アンサイクロペディアで会津若松市を検索すると、物凄い事が書かれている記事[1]に到達する。会津の人以外でも、読まないことをお奨めする。
- さっさと和解すれば良いじゃない。「雨ふって地固まる」というし。
- 振りに降った血の雨の量が巨大台風並みにとてつもないので固まるどころかガラガラと崩れている感じ。
- ゆかりの自治体には、山口県萩市があるぞ。
- リンク切れになっていたのでこちら→ 会津若松ゆかりの地探訪
- 会津人に言わせると百歩譲って薩摩は許せなくもないが、長州だけは考えるだけでも嫌だそうだ。
- 戊辰戦争のときに新政府軍は会津の方に対して暴虐の限りを尽くしたが、その中でも長州人は薩摩・土佐・肥前の三藩と比較しても論外なまでの行動をとったことが、感情的しこりの差なんだとか。
- 薩摩は西南戦争で負けた側なので、憎さが和らぐところもあるのでは。西郷隆盛のいとこ、元帥大山巌の妻捨松は会津藩士の娘だが、捨松の家族が当初縁談を断るつもりで「陸軍卿閣下が朝敵と姻戚になるのは……」と言ったところ、「もとよりこちらは逆賊の身内でごわす」と返されて逃げ場をなくしたという逸話もある。
- そりゃそうだ、和解を受容れる事はこの地では冗談でなく失脚を意味する。
- 花春町が存在する。ちなみに七日町は「なぬかまち」と読む。
- それ駅名だけです。
- 「七日」自体、本来は「なぬか」と言うらしい(ジャポニカロゴスより)。
- 正確には「なぬがまぢ」かな。
- すみません、てっきり清酒「花春」の銘柄の起源かと思っていました。
- 逆です。清酒「花春」の蔵があったので「花春町」になりました。
- 「AIZUその名の情熱」というご当地アピールソングがあり、南こうせつが作詞した。会津若松駅の発車メロディにもなっている。
- 白虎隊で有名になった飯盛山では一時地元では幽霊が出ると噂になっていた。
- 「サンピア会津」と言うプールがある。会津に住んでいる人は一度は行き、ウォータースライダーの混み具合にうんざりする。
- 2007年に倒産。
- 現在は大江戸温泉物語の支所。先述のウォータースライダーや冬場のスケート等娯楽が減ったことは意外と大きな痛手。
- コゲどんぼ作の某漫画で会津若松駅が出てくる。
- この局がアニメ化したあれですな。
- 詳細情報を希望。
- 「ぴたテン」ですね。
- この局がアニメ化したあれですな。
- 市内にある東山温泉は、会津民謡に登場する小原庄助さんゆかりの温泉。その名もズバリの「庄助の宿・瀧ノ湯」という温泉旅館(ホテル)もある。
- あとは登録有形文化財第一号の「向瀧」とか。
- 会津若松駅から東山温泉駅までバスが走っている。東山温泉駅とはあくまでバスの停留所である。
- スーパーで馬刺しが普通に売っている
- 会津の旅行パンフレットでも、つい最近見かけた。
- 県外でも会津の影響圏に入っている地域なら売ってたりする。
- 会津の旅行パンフレットでも、つい最近見かけた。
- 先日のあの事件はかなり衝撃的だった。
- 確かに。会津地方は、昔から「教育熱心」だったのか、その「弊害」が出てしまったのが悲しい…。
- 見たことのある風景が全国ニュースで流れ、事件の内容と共に軽く戦慄が走った。
- 実害はなかったが地元の後輩から「大丈夫でした?」と連絡された時はなんて答えようか迷った。
- しかし、タイミング悪く全国ニュースで放送された会津若松警察署はプレハブ・・・。
- 会津武家屋敷がある。
- 「西郷頼母子女自刃の図」の人形再現はかなり衝撃
- ソースカツ丼を名物とする町のうちのひとつ。
- とある店では「正気か?」と疑いたくなるようなホイールサイズのソースカツ丼が出される。値段はサイズの割にはリーズナブル。
- TBSにクレームを言った伝説の都市。
- TBSは謝罪したが萩市をいまだに許していない会津若松市が許してくれるはずがない。
- 関東の人は会津若松のことを「若松」ではなく「会津」と略したがる。
- ボヤッキーの故郷。
- そば屋だったっけ???
- かつては県内最大の都市だったが、県庁を福島町に取られ、安積疏水と鉄道で郡山が発展し、炭鉱労働者が集まったいわきも都市化してしまい...
- しかも自殺率が高い(会津全体にいえるが)。
- 直進ながら鉤形にハンドルを切らなければならない交差点がある。┴┬←こんな感じ。
- 大町とか。
- 鉤形交差点を直進するときにいちいち左・右とウィンカーを出すか出さないかで県外人がどうかがわかる。会津人はウィンカーなんか出さずにハンドルを切っていく。
- 城下町ならどこにもある。
- NHK総合・NHK教育のチャンネル番号が関東と同じ(総合1、教育3)。
- 飯盛山に登る際に、エスカレーターを使うだけで金を取られる。
- 江の島自慢の「エスカー」と一緒。
- あまり知られていないが、飯盛山は飯盛さんの個人所有地である。
- 新潟市から定員制の高速バスで行ける新潟県外唯一の市だったりする。
- 会津若松からは定員制の仙台線・福島線・郡山線・いわき線もあるので、秋田市を除く東北7県の県庁所在地は全て定員制の高速バスのみで行くことも可能である。
- 謹教小学校という上にもあるとおり教育熱心な会津ならではの名前の学校がある。
- 会津サティ(2009年)に続き、2010年2月には中合会津店と、中心市街地の大型店が相次いで閉店してしまった。両方とも歴史ある店舗だったので、市民は大ショック。
- やたら「城下町」を強調する。
- 実は日本有数の兵器廠である。修学旅行生に売りつけられる白虎刀は通常の木刀に比べ軽く、振り回しやすいため殺傷力が高く危険である。
- 「あいづ」のどこにアクセントを置くかで、地元人か旅行者かわかる
- 上述の鉤型交差点のほか一方通行や細い路地が多く、市街地の道路網はグチャグチャ。
- 会津若松ICから鶴ヶ城や東山温泉を目指す場合、遠回りだと思っても素直に大通りを辿っていくべき。近道しようとして下手に脇道に入ると迷う危険がある。
- 2013年の大河ドラマ「八重の桜」の舞台の1つということで、観光振興に躍起になっている。
- 市名に「会津」がついたのは、福岡県現・北九州市の地域に若松市があったため。もうそろそろ、「若松市」になっていいんじゃ…
- 大嘘。福島県若松市の方が市制施行が早いし、さらに言えば、岩越鉄道(磐越西線)若松駅のほうが筑豊本線若松駅よりも開業が早い。
- いや、そういう意味じゃなくて、最初は、福島県若松市だったが、北九州の若松市に譲った、という意。それにしても、どうして譲ったのか…
- どっちも「若松市」だった時代が40年も続いたんだから、譲ったも奪ったもないはず。昭和の大合併で周辺の村々を合併した時、「若松市に吸収された」感じをなくすために広域地名の「会津」を冠した地名に変えたというあたりが実情だろう。
- それも逆。本来は会津の中心になるのは確実なので「会津市」となるつもりだったが、周辺町村から「会津の名を独り占めするな」とクレームがついたため、仕方なく「若松」を付けざるを得なくなった。なお、北九州の若松より会津若松の方が先に市制施行したというのは合っている。決して北九州の方に遠慮したわけではない。
- 大嘘。福島県若松市の方が市制施行が早いし、さらに言えば、岩越鉄道(磐越西線)若松駅のほうが筑豊本線若松駅よりも開業が早い。
- 大手ラーメンチェーン「幸楽苑」古くからの地元民は「会津っぽ」または「づっぽ」と呼ぶ。
- 地元民なら誰もが違和感を覚える、ガラスに「AIDU」と大書きされた某病院。「お前ら田舎者はローマ字も知らないのか、あいずって何だよw AIZUじゃなくてAIDUって書くんだよ」とでも言いたげな関係者のドヤ顔が目に浮かぶが、国土地理院は地名の「づ」は「zu」と書くと定めておりどう考えても「AIZU」が正解。正式な英語表記として「AIDU」を使っているのは世界的に見ても間違いなくここだけ。市は何も言わないんだろうか?
- ボーイスカウトの創始者であるベーテン・パウエルが各国遊説中に白虎隊の話を聞いて感銘した。
- その後ベーテン・パウエルの執務室には白虎隊自刃の図の油絵複製が飾られ、1920(大正9)年の第1回世界ジャンボリー@ロンドンで紹介して世界に発信されるほど。
- その第1回に行った3人のうちの1人の下田豊松が、飯盛さん(の先祖)と個人的に知り合いで、手紙でその話を伝える→観光地化
- ベーテン・パウエル経由で知り感銘したイタリア政治家ムッソリーニが飯盛山にローマ市寄贈の碑を送っている。
- ローマ市寄贈の碑にはファシスト党の党章のまさかりがあったが、第二次世界大戦後のGHQによって削られた。
- その後ベーテン・パウエルの執務室には白虎隊自刃の図の油絵複製が飾られ、1920(大正9)年の第1回世界ジャンボリー@ロンドンで紹介して世界に発信されるほど。
- 国道49号・磐越自動車道上における郡山市~新潟県新潟市間の中間地点。
- どちらも東側はいわき市が終点。
- 2004年11月1日に北会津郡北会津村を編入。さらに05年11月1日に河沼郡河東町を編入合併した。
- 例年は非常に雪深いが、2024年は暖冬少雪。
- 逆に郡山は例年は真冬でもつもっていない時期が多いのに、会津より積雪量が多く、磐越西線で会津にむかうとどんどん雪が減っていくという例年は見られない逆転現象が発生した。
河東[編集 | ソースを編集]
- 磐越西線の駅が続いていない。東長原→広田→会津若松→堂島と1回会津若松市内に入っている。
- 小学校3校が統合し、河東学園小学校になる。公立なのに私立の小学校と間違える名称である。
- 真冬でも利用できるコミュニティプール(屋内温水プール)を併設。児童のみならず一般にも開放。
- 会津藩校日新館がある。
- 中学のくせに弓道部がある。
- ちなみに弓道部が使用する弓道場は日新館の弓道場である。
- 「かわひがしまち」と読む。
北会津[編集 | ソースを編集]
- 北会津郡唯一の自治体だった。しかし平成の市町村大合併で福島県内で真っ先に消えた自治体であった。
- 北会津郡≒会津若松市みたいなもんだからなぁ(町北村とか神指村とか)。
- ホタルの里。
- 最近人口が増えたらしい。小学校のクラスも増設されるとか。
- 投票で合併になったものの、結果から見て村民の大部分が合併に納得できていない。
- サンボマスター山口隆の出身地である。